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January 31, 2009

咳が止まらず

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咳が出る。朝食後またベッドに戻り水村美苗『日本語が亡びるとき』筑摩書房2008を読む。著者は去年亡くなった中学の担任教師の偲ぶ会に来られた先輩の奥さん。もちろんその先輩、岩井克人氏の奥さんが水村氏であることをその時知っていたわけではない。岩井氏が近しい人であることに驚き、昔読んだ彼の著書を検索した時にwikipediaに「奥さんは水村氏である」という風に書かれていたのを目にし、この岩井氏の奥さんがどんな人か興味をもっていたところ、その二日後に朝日新聞の書評にこの本が出ていたのを目にしたわけである。本との出会いとはかくも偶然の積み重ね。アメリカ生まれのアメリカ育ちなのにアメリカが好きになれず、ひっこみじあんで日本文学ばかり読みイェールでなぜかフランス文学を学び、プリンストンで日本近代文学も教える才女。久々に文学者の文章を読んでああなんて文章が上手なんだろうと感激する。言葉が生き物のように溌剌としている。
午後事務所に行きコンペのモックアップを少し精度を上げて作る。6時頃スタッフミーティング。内容を説明。その後事務所にいるスタッフ全員を誘い、近くのライブハウスで友人のブルースライブを聴く。プロの前座なので7時から30分だけ。スタッフは事務所へ。僕は家へ。咳がとまらない。

January 30, 2009

修論受領

昼からコンペの打ち合わせして、新幹線に飛び乗る。車中ジンメル川村二郎編訳『ジンメルエッセイ集』平凡社1999を読む。読みたいのはこの中の「アルプス」と「廃墟」。「アルプス」は美の要素としての大きさに注目する。その意味では崇高論である。風邪のためかアルプスを読んでうとうとしていたら佐久平である。今日は空気が澄んでいて佐久平の高原が実に美しい。しかし佐久平が美しく見えるのもほんの1分くらいである。その間だけ新幹線脇の防音パネルがないのである。駅を出て少し進むと防音パネルが窓高さに出てくる。そして高原は見えない。この高原の雄大さはまさにジンメルの言うところの大きさである。一度新幹線からではなくこの大きさを味わってみたい。4時に研究室、修士論文を受け取る。主査7つ副査が12。計19の修士論文である。1000字梗概を先ずは全部読んでみる。読んで大体分かるもの分からないものさまざま。自分の部屋のものを他の部屋のものと比較してみる。どうも体裁が悪い。歴史の論文の方が資料の扱いとかコピーとか図版とかしっかりしていて見栄えがいい。意匠の部屋であるうちの方が体裁が悪い。困ったものだ。今年は量が多すぎて少し時間をかけないとどうにもならない。帰りのアサマでラスキン内藤史朗訳『芸術の真実と教育』法蔵館2003を読む。この本は三巻本。僕の読みたいところはどうも第二巻のようだ。

余剰の獲得

1月29日
朝一で現場。塗装工事がだいぶ進む。シナのオイルステインの天井がきれいに仕上がっている。白い塗装がはいると今まで暗いと思っていた部屋もぐーっと明るくなる。
風邪が全然良くならず再度医者へ。「インフルエンザかなあ?」と何気なく言うので、こっちはおたおた。鼻の粘膜をとってインフルエンザ検査をしたが、そうではないようだ。ほっとする。なんでよくならないのでしょう?と聞いたら「安静にしてないからです」とけんもほろろ。まあそうだ。悪化するといやなので昼を食いがてら家に戻りしばし横になる。夕刻事務所に戻りコンペの打ち合わせ。大学で作るイメージと事務所でそれを具体化していくその相互刺激的な進め方はそれなりにいい。
早めに帰宅夕食後すぐベッドに入り『できそこないの男たち』の残りを読み切る。なんでメスしかいなかった生物の世界にパシリ役としてオスが登場し、今はこんなに威張っているのか?最後に著者はこんな問いをたて自ら答える。それはメスがよくばりだったから。というのが著者の推論。パシリ程度にしておけばよかったものが、もう少し使ってみようと欲張った。獲物をとって来させよう、家を作らせよう、なんて考えた。オスはメスを喜ばせようと必死。しかしそのうちとった獲物を全部上げなくてもメスは喜ぶことを覚えた。そこで余剰を隠し持ったのである。そのうちその隠された宝をめぐって抗争が起き。余剰を獲得したものが偉くなると言う社会ができてしまったのである。なるほど。もともと生物は子孫を残すために生きていたのが、人間社会はそうではなくなった。だから現代のメスはこの役割を変えようと必死である。子育てを旦那にまかして、余剰を獲得しに社会に出て行こうとするのである。そうそうに均等な世界ができるのではなかろうか?とはいってもまだまだ子孫の問題は大きいのかもしれないが。

January 28, 2009

デフォルトは女

午前中須坂に出かけ蔵の町並みキャンパス運動の推進協議会に出席。製図第二の敷地は須坂市にしてあり、その優秀作品も展示されている。須坂の蕎麦やで昼を食べる。美味しい。同僚のy先生はいい店をいろいろ知っている。午後研究室に戻り、雑用に追いまくられながら、4年の梗概チェック。昨日送った原稿を読みなおし、やはり直したいところが出てきたので再送。コンペの打ち合わせ、ストローでできた模型が面白い。新しい仕事の話が事務所から送られてくる。青山の事務所2層分1000㎡のリノベーション。つまらないと思いきや送られてきた図面をみて腰を抜かした。オフィスビルの9階と10階なのだが、10階フロアに10メートル角の吹き抜けが二カ所あり螺旋階段がついているのだ。こうした作りはまあ貸しビルでは考えにくい。いや本社ビルだってこんな上層階でこんな吹き抜けとらないでしょう。区画が面倒だし。まあ話を持ってきた人と今日は話ができないので細かいことは明日だが、とりあえず日建の同僚でリノヴェーションのプロがいるので電話する。一体設計料はいくらもらうものか?設計期間はどのくらいみるのか?施工期間はどのくらいかかるのか?工事費はいかほどか?教えてもらう。流石やり慣れている人は何でも知っている。
終わってそそくさと駅へ。今日はバスで帰る。車中福岡伸一『できそこないの男たち』光文社新書2008を読む。福岡氏は『生物と無生物のあいだ』の著者である。男を作る染色体遺伝子発見の歴史。これはなかなか根気がいる読み物だが、生物嫌いの(というか生物の点が悪かった)僕でも面白い。彼は言う。生物学的発見の手に汗握るドラマチックなストリーを全部捨象した結果を羅列したのが学校の生物だと言う。まったくその通りである。彼の巧みな話術で仕立て上げられた生物の話は推理小説のごとし。ところで、生物学的に男女のデフォルトは女なのだそうだ。男は間違ってできてしまったもの。だからこのタイトルなのである。

POPEYE

25日締め切りと言われていた原稿を2日遅れてやっと送る。気分が楽になってコンペの打ち合わせ。形を出すか出さないか、戦略的なポイントではあるが、ミーシアンを超えたユニヴァーサルにしたいところ。ジャイアントファニチャーはスタッフが皆どうも乗って来ない。やめるか??技術的に困難だと言いたげである。そうかもしれないが、、、
今日はヨドバシに用事があったので、用事を済ませそのままバスで長野に向かう。久々のバスである。横川のサービスエリアでジュースを飲んでいたら森山邸をバックに爆笑問題と西沢立衛がテレビに映し出されていた。森山邸の路地は結構せまい感じである。バスの中で難波功士『創刊の社会史』ちくま新書2009を読む。この人の広告の本をかつて数冊読み面白かったのでこの本も思わず丸善で購入。自称創刊フェチの著者は僕の二つ下。そのせいで集めている創刊誌はだいたい聞いたことがある。その中でもPOPEYは兄貴が創刊から10年くらいは欠かさず買っており僕もよく読んでいた。創刊の76年僕は高校2年生。創刊号の特集はFROM CALIFORNIAでULCAのキャンパスがレポートされていた。今でも忘れないUCLAの学生ファッション。素足にニューバランスのジョギングシューズ。白地で紺色のUCLAのロゴの入ったジョギングパンツ。白襟海老茶のラグビージャージ。そして紺色のダウンベスト。来ているのは皆ハリウッドスターのようなブロンズの白人の男女である。砂漠気候のロサンゼルスは冬でも昼間は20度近いが夜は一桁なる。一日の寒暖の差が激しいくTシャツの上にダウンというのは極めてポピュラーなスタイルとなる。70年に創刊されたANANがフランスかぶれの女性ファッション誌であり、POPEYEはアメリカかぶれの男性誌であった。大衆消費社会全盛時、未だに外国コンプレックスの抜けない日本人の悲しい嵯峨をついたカタログ雑誌だった。それから約10年後、UCLAに留学した僕の目に映ったキャンパスはまさにPOPEYEそのままで映画セットのようであった。建築ではアメリカ人に負ける気はしなかったが格好良さでは勝てる気がしなかった。

January 26, 2009

つかれる

午前中会議。午後また会議。重要なこともあれば取るに足らぬこともある。まあこれが会議の宿命なのだが、、、、、一体会議という制度はどうしたら効率よくそして実効性の高いものになるのだろうか??その後修論の1000字梗概のチェックをしたりコンペの打ち合わせをしたり。僕も修士の時1000字梗概を書いた。手書きの下書きに坂本先生の赤が入った現物がある。それは徹底した推敲の末書かれた。そして10字ほどの修正が加えられた。先生のチェックは後にも先にもこれ一回だし、その文章で僕の論文の概略は分かる。しかるに今日もらった梗概はもう何回目のチェックだろうか?4回目くらいのものでもまだ赤を入れる必要がある。もちろん今日が最初のチェックのものはほとんど日本語の体をなしていない。英語を読むよりはるかに苦痛である。英語はまだ考えればわかる。考えても読解できないこの文字群は何語と解釈すればよいのか?僕は思う。学生は能力がないのではなく甘えているのである。何度か出して僕が赤を入れ続けているうちにいつしかまともな文章になるだろうと考えているのである。そこで僕は決めた。来年はもうこの甘えに付き合わない、、、、、来年の4年入研希望者はかなり多いと聞く。毎年この時期になると思う。とにかく国語ができるやつが来ないことには指導は不可能であると。また、昨日のように負けたコンペの結果を見ると思う。スタッフが良くないと事務所はつぶれる、研究室も同様で設計ができないやつは要らない。研究室に誰もいないと思う。学校に来る奴だけに机を与えようと。ゼミで飛び交う程度の低い言葉を聞いていると感じる。入研希望者に知能テストをするかと。さて一体何が最も重要なのだろうか??(全部重要なのだが)!!帰りのアサマでゲルノート・ベーメ梶谷真司他訳『雰囲気の美学―新しい現象学の挑戦―』晃洋書房2006を読む。この本は残念ながらひどく読みにくい。編訳者が3人いて翻訳者が11人もいるからなのだろうか?まあ、我々もそうならぬように気をつけなければ。
今日は朝から晩までひどく疲れることばかり。帰宅して声も出ずにこの文章を打っている。

January 25, 2009

浅草の結果

昼からA0勉強会。少しずつ前進。まだ数か月かかりそうである。春の出版は厳しいか?夜浅草コンペの第二次審査通過者の展示を見に行く。2次に残るだけのことはある。皆それなりに力作だ。プレゼンのレベルも高い。隈案の造形力は見事。馬鹿にできない。乾案はヴィジュアルなプレゼンで押し通しているわけでもなく徹底的に内部から外部まで考え尽くされている。揺らいだ構造は佐藤さんだがこれも説得力がある。三浦案も構造は佐藤さん。pcをレンガのように積み上げてロッドで緊結。一見外観だけのように見えて動線から外部までやはり考え抜かれていた。伊藤案は曲線のルーバーが重層されている魅力的な造形。中井案はスパイラルで模型写真にインパクトあり。下吹越案はスラブがずれながら重層されていて造形的インパクトはあるし構造的リアリティも高い。木下案は行燈を模した外観。美しいパースである。
これらの中から選ばれた二つ(隈、乾)は極めてレベルが高く異存はない。しかし最優秀の選定理由にはやや疑問を感じなくもない。審査評にはこの不思議な造形に抗しがたかったというようなことが書かれていた。分からないでもない。しかしトータルな建築の豊かさということで言えば乾案に軍配があがるのではないだろうか?ポピュリズムに堕した感がある。
さて我々の案は一体どのレベルなのだろうか?これらの一角を担ってもおかしくないような気もした。考え方としては対抗できる。ただやはり一枚の絵の訴求力では負けていた。やはり最後の詰めが甘いのかもしれない。次への反省材料である。

January 24, 2009

原稿

ここ数日喉が痛く心配なので朝一で近くの内科に行き薬を処方してもらう。インフルエンザではないようである。風邪薬を飲むと眠くなるのだが、原稿を書くためのメモを作る。昼はかみさんと荒木町のイタリアン「エドキアーノ」にスパゲッティを食べに行く。ついでに事務所に寄って原稿に必要な本をとってくる。スタッフによるコンペのスケッチが置かれていたが、今日は原稿に集中するのでこれは見ずに帰宅。文章の組み立てを3つ作りどれで行くか考える。気に入った一つをベースに一気に打つ。ディテールは後から検証するつもりでとにかく最後まで打つ。6枚程度と言われていたが8枚程度の量となった。多い分にはお好きなだけと言われたのでまあいいか。薬のせいかぼーっとするので今日はもう終わりにしよう。明日の勉強会の予習は明日。

柳澤氏来校

午前中デザイン論の最後の講義。レポートの書き方の説明後時間があったのでリーテム東京工場の芦原賞受賞講演のパワポをつかって自作紹介。学生にはこの自作紹介がとても楽しいようだ。午後は製図第二の講評会。今日は柳澤潤氏にゲストで来ていただいた。先ずは彼に1時間のショートレクチャーをしてもらう。東京建築士会の住宅賞を受賞した「みちの家」から昨年末着工した塩尻の図書館などなど紹介してもらう。小さいものから大きいものまで徹底して道と壁柱を一貫したコンセプトとして貫いているのはお見事。講評会は僕が昨日選んでおいた28作品を発表してもらう。年々力がついてきているような気がする。柳澤氏からも「他大学に比べて一歩先を行っている」というような嬉しい言葉をいただく。しかし僕から言わせればまだまだ井の中の蛙。ビギナーズラック。この春休みにオープンデスクなどで勉強しないと、あっという間に低空飛行することになろう。講評会後セントラルスクエア(オリンピックの表彰式場)そばで懇親会。こうした懇親会で美味しいものに出会ったことはなかったのだが、今日はうまい。みそ仕立ての白子鍋と刺身がいけている。覚えておこう。最終で柳澤氏と東京へ戻る。塩尻のコンペ後から着工までの悪戦苦闘の話を聞く。技術的問題、市への説明の問題、構造評定の問題など。この建物の特徴は何と言っても構造である。厚さ20センチ長さ12.5メートル幅約1メートル程度の鉄板付きPC壁柱100枚近くで建物を支持するのである。スタッド付きの鉄板加工は松本で行い。それを埼玉のPC工場に運び12.5メートルのPCをつくり一枚ずつトレーラーで塩尻に運ぶと言う。建て方終了時は壮大な光景だろう。その時は是非見学したいものだ。長野にも久しぶりにいい建築ができる。

January 23, 2009

過剰の表現とは

午前中修士の2次試験。午後コンペの打ち合わせ。その後4年、M2の様子を見る。夜学生たちとスパゲッティを食べに行く。食後昨日読みかけた岡真理『記憶/物語』岩波書店2000の続きを読む。再現不可能な出来事の過剰を我々はどう扱うのか?岡さんはホロコーストや従軍慰安婦の問題などについてその出来事の過剰さに言及し、それを我々は再現しなければならないし、分有しなければならないと言う。そうだと思う。しかしその方法は表現者の主体が出来事を「まとめる」という方向性ではなく、出来事が主体を「まとめる」という方向性でなくてはならないと言う。さてその場合どういうことが起こるか?出来事の過剰が主体の正常な抽象化を妨げる、あるいは狂わせる。その結果その主体の精神の疵としてほとんど無意識のようにその疵が表出される。そうした状態の中に受容する方は出来事の過剰を感得するのであろう。というのが岡さんの主張である。美しい情景を話して聞かせようと躍起になっている人間がいくら言葉を尽くしても伝えられないのに、例えば、ふっとした言葉の間に見せた遠くを見つめる透明な眼が多くを語ったりする。ちょっと次元は異なれど、表現と言う意味では建築にも似たようなことが起こり得る。建築も一つの出来事である。それは建築家と敷地との出会いであり、クライアントとの出会いであり、あるいは要求との葛藤からひらめいた自らの思考との出会いでもある。それらは一つのあるいは複数の出来事であり、その出来事の翻訳化された再現なのだと思う。そしてこうした出来事もホロコーストと比べるべくもないとしても、それでも過剰であり再現不可能性を持っている。しかし表現者はそうした過剰を表現するしかないのである。そしてその過剰を表現するためには主体が出来事を「まとめる」のではなく出来事が主体を「まとめる」のでなければなるまい。そのためには出来事に自らを晒し、こちらから「まとめ」にはいるベクトルを捨てなければならない。自分をして出来事を語らせる。そうした姿勢の結果として絞り出す何かが今アクチュアルな表現なのだと思う。

January 21, 2009

出来事

朝一でk-project施主定例。色やら位置やら、クライアントの意向も気になる部分を説明して了解していただいた。今日は2階のトップライト下のFRPハニカムパネルの床が搬入設置された。光は無事このFRPを透過して1階の床まで届く。期待通りのいい光である。午後の打ち合わせで神田へ行く途中、品川で下車して原美術館に寄る。ジム・ランビーの縞縞を見る。http://ofda.jp/column/手作り的でクールに見えて泥臭い。ミュージアムショップに寄るとその昔見た、オラファーのカタログが売られていた。展覧会中はまだできてなかったそうだ。分厚く重いが充実しているので買ってきた。午後中国プロジェクトの現場報告。久しぶりに社長と会う。サステイナブルシティの仕事の可能性をいくつか聞かされるがまだどうなることやら。夜のアサマで長野に。車中、岡真理『記憶/物語』岩波書店2000を読む。この本を読むきっかけは誰かの本に引用されていた以下の文章が気になったから。
「<出来事>が言葉で再現されるなら必ずや再現された『現実』の外部に<出来事>の余剰があること。<出来事>とはつねにそのようなある過剰さをはらみもっており、その過剰さこそが<出来事>を<出来事>たらしめている」
この本を読んでみると、再現不可能な過剰を、しかし、われわれは再現して分有しなければいけないというのが著者の言わんとするところ。表現者とは常に表現すべきことの過剰性と戦うのであろう。しかし過剰性が再現不可能性を内在させているのであればこの矛盾と僕らはどう向き合えば良いのだろうか???続きは明日。

January 20, 2009

場所

事務所でコンペの打ち合わせ。空いた時間に丸田一『「場所」論』NTT出版2008を読む。副題である「ウェッブのリアリズム、地域のロマンチシズム」というのがなかなか興味深い。参照している書物が既読のものが多く読みやすいかと思いきや、なかなか面倒くさい本である。副題が示す通り、没場所性の現代社会において、ウェッブ空間の中に生まれた記憶の故郷がむしろ場所性を持ってリアリティを持っているというのが著者の主張。しかし現実の場所が現実性を失い、非現実の場所が現実性を持つという著者の示すねじれ現象は理解はできるが、それほど確かなものとは思わない。地域のロマンチシズムは夢物語というわけでもなく、そこにはリアルで生き生きとした生活もあるものだ。でも我々がそうした二重の世界の中に棲息ているのは紛れもない事実であり、それを無視してローカリズムを能天気に表現するわけにもいかない。しかし、でも、僕らの職能は現実の中に再度場所性のリアリティを求めているのである。そしてその志向はどちらか一方しか受け入れないというものではなく、その二重性を許容しながらそのリアリティを模索するのである。もちろんその場所性は相互に影響されながら変容していくのであろうが。

January 19, 2009

建築論いろいろ

大学で打ち合わせ、会議。センター入試の時は教員も携帯電話を試験室に持ち込むなと言われどこかに置きっぱなしにして見つからない。忘れっぽくなった。夕方のアサマで東京へ。車中ライザー+ウメモト著、隈研吾監訳、橋本憲一郎訳『アトラス新しい建築の見取り図』を読む。邦題は新しい建築だが、原題はAtlas of Novel Techtonicsである。Tectonicsだけあって内容はモノに即した構築原理である。フランプトンのそれを彷彿とさせる。隈研吾の解説によれば86年にチュミがコロンビアにやってきてペーパーレスアーキテクチャと称してコンピューターの中で完結する建築を模索した時にその周辺にいた人間が感じ取った新たな建築潮流の理論的結実だそうだ。モダニズムもポストモダニズムも単一のパラメーターの上に乗っており、結局は排除の思想。一方このアトラスは一つと言わず様々なパラメーターを認めようとするところが新しいということのようである。多くのパラメーターの大分類項目は幾何学とモノと操作である。難解な言葉の羅列で正直言うと。あまり細かい主張はつかめないのだが文章に付随するドローイングや写真が示唆に富んでいる。邦訳は最近出たが原著も2006年。しかしその思想的端緒は隈さんの証言では80年代。20年前である。僕が建築雑誌に記したとおり、80年代はポストモダン旋風であったが、その陰で複雑系やデコンの理論構築がなされていたのである。
東京駅丸善でラスキンの『近代絵画論』を買って帰宅。少しcontemplationと現代建築の言葉を考えたい。帰宅すると頼んでおいたヴィドラーの新刊Histories of Immediate Present が届いていた。カウフマン、ロー、バンハム、タフーリの論を分析したものである。そのポイントは、彼らのモダニズム史がモダニズムそのものを明らかにしようとしたのではなく、彼らの時代のデザイン(理論と実践)に向けて作られたプログラムであることを明らかにしようとしている点である。カウフマンはネオクラシカル・モダニズム。ローはマンネリスト・モダニズム。バンハムはフューチャーリスト・モダニズム。タフーりはルネッサンス・モダニズム。という具合である。こういうモダニズム史観を分析する本が早く欲しいと思っていたところである。遅きに失した感はあるが、とにかくやっと出た。それほどの大著ではないし、翻訳するには手頃でかつ意味がありそうな本かもしれない。

チェ・ゲバラ

やっとセンター入試終了。これと言ったトラブルもなくほっとする。夕方から雨が降り出した。この時期長野で雨と言うのも季節はずれ。終わって近くのスーパーで夕食を買って歩きながら頬張る。家路を急ぐ受験生たちはほっとした表情である。数十年前に東京商船大学で共通一次を受けて友達と遊びに行ったのを思い出す。研究室で雑務。原稿を書こうかと思ったが、丸ニ日の試験監督の疲労。雨だが自転車でシネコンへ。レートショーで「チェ・ゲバラ28歳の革命」を見る。アルゼンチンで生まれたゲバラはブエノスアイレス大学で医学を学ぶも、南米を放浪し、メキシコでカストロに会い革命のためにキューバーに行く。マルクスもレーニンもカストロも裕福だったようだがゲバラも例外ではない。更にマルクスは哲学博士、レーニンは大学主席、カストロは弁護士、ゲバラは医者。革命家になれる人間とは経済的にも知性的にも、もはや自らに不足するものがないということが必要条件なのかもしれない。だからこそ他人の幸福に手が回る。
それにしても革命に参加するのが28歳、そしてハバナを制圧したのは31歳1959年。僕の生まれた年である。彼は自ら先頭を進み、負傷兵を助け、学を授けながら戦った。その語り口は(映画では)決して激しくはないが自信に満ちている。それは自らのコミットメントの深さに起因している。とても手が届かぬカリスマだが見習うこと多し。

January 17, 2009

考える時間

考えてみれば、アクション映画の多くはカント的崇高の原理を多いに使って人をあっと言わせている。例えば最新007のオープニングの映像は海面すれすれのカメラで大海原のさざ波の無限の波頭を鮮明に映し出しその向こうに山の(島の)巨大な偉容を見せる。その山の岩肌だったか木々だったか忘れたがこの肌理の細かさも鮮明に映し出されている。その圧倒的な量感はまさに数学的崇高である。そしてすぐさま始まるカーチェイスは見る者に手汗握る恐怖感を抱かせる力学的崇高である。ところでこうした崇高のカント的解釈は『崇高の美学』桑島秀樹によれば、必ずしもそうした対象の力よって生ずるものではないと言う。それは発端は対象にあれども最終的にはそうした無限性を超えられないと判断する受容側の理性の内にあると説明される。しかるにジンメルはそうした理性側に根拠を求めず、あくまで対象の側に何かを見つけ出そうとする観察眼にかけていると桑島は説明する。どうもこのあたりから桑島の言わんとするところが僕には正確には分からないのだが、僕に引き寄せて勝手に解釈するなら、理性の限界でわっと驚いて手を抜くと人間の脳みそはそこで考えることをやめてしまう。そして適度な驚きに満足する。(アクション映画の爽快感はここからくる)。しかしもう少しその先をじっと観察してそれを言葉にしていく努力をするなら何かまた別の感興を発見できるかもしれない。もっと泥臭い、言葉にならないかもしれないような何かである。そこをもう少し考えていくと感性の発見へ一歩近づくのではないかと桑島はジンメルに掉さし言っているように思える。そしてその思いはとても納得がいくし僕もずっと考えていることを少し発展させてくれるように思う。では何をすれば良いのだろうか?先ずは辞書的な概念で語ることをやめるということがそのスタート地点ではなかろうか?そしてそれは比喩かもしれないし、感嘆詞かもしれないし、別のジャンルからの引用かもしれないし、ラブレターかもしれないし、味かもしれないし、手触りかもしれないし、、、、よくわからないけれどもう一度観察して努力する態度がトニモカクニモ必要である。それには多少時間がかかる。よく考える時間がいる。007的な受容側の心を巧に操作するようなプログラムに乗らされるとその場所には行けない。考える時間を生み出すプログラムが必要でありその果てに観察と言葉が生まれる。

January 16, 2009

ジンメルの山岳美学

ニュージーランドに数か月滞在していた友人が帰国し午前中長電話。彼が昨今の世界情勢を見ながら「世界の進歩は止まってしまったのだろうか?」と言うので思わずフランシスフクヤマの『歴史の終わり』を思い出してしまった。対立する思想の弁証法的な展開によって進歩してきた世界は冷戦終結によってその2極構造を失い、もはや進歩の歴史が終わったという話。これからの世界は明確な目標のない時代であり個々の倫理と誠実な気概のみに誘導されるのだと思う。
夕刻のアサマで長野へ。車中桑島秀樹『崇高の美学』講談社選書メチエ2008を読む。ジンメルのアルプスをめぐる山岳美学はとても興味深い。先ずは山を「形式」と「量」、ある時は「テクスチャー」も加えて観察をする。僕の部屋では数年前から「質料」、「形式」に着目した山と建築の観察を試みており、それは独自の見方だろうなんて高をくくっていたがやはりヨーロッパにはこんな論考があるわけだ。さらに、ジンメルによれば「アルプス」は「量」の再現不可能性によって芸術対象にはならないという。そしてそれゆえにそれを崇高と呼びうるのだと。そして先日の山岳シンポジウムで紹介されていたセガンティーニ(Giovanni Segantini 1858-1899)のようなアルプス山岳画家は技術によってアルプスが本来持っている表象不可能性を回避していると言うのである。http://www.google.co.jp/imgres?imgurl=http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/ec/Giovanni_Segantini_004.jpg&imgrefurl=http://commons.wikimedia.org/wiki/Image:Giovanni_Segantini_004.jpg%3Fuselang%3Dja&h=1042&w=2048&sz=206&tbnid=QmdQOM9E7h4yBM::&tbnh=76&tbnw=150&prev=/images%3Fq%3DGiovanni%2BSegantini&hl=ja&usg=__RBeMcNQNufZHivXlMTLSJas6Ofs=&sa=X&oi=image_result&resnum=1&ct=image&cd=1。志賀重昂『日本風景論』における日本山岳の崇高性の困難を濱下は指摘したが、アルプスの崇高論を前にするとそれは確かに大人と子供の感がある。

January 15, 2009

建築論

朝一で現場。内装家具の工事がどんどん進む。家具がはいると空間のスケール感がぐっと変わる。来週からは塗装の下地に入る。四谷までもどり昼をとって南洋堂に。昨今の建築論について原稿を頼まれたのだが、一体日本に建築論があるのだろうか?目についたのは建築論と言うよりは藤本、石上、乾さんたちのコンテンポラリーアーキテクツコンセプトシリーズ。乾さんのは既に読んでおり大いに刺激的だったので残りの2冊を書架から取る。加えて、ライザー+ウメモトの『新しい建築の見取り図』他10冊ほど購入。打ち合わせに行く電車の中でぺらぺら、帰って事務所で続きを読んでみた。面白い。その面白さは原稿の一部に組み込みたい。彼らの建築は建築外の何かを参照しようとなどとせず、徹底して建築のど真ん中から考えているところが特徴だ。そこがとっても清々しい。素直にこちらの府に落ちる。夜コンペの打ち合わせ。なかなか簡単には進まない。

武見太郎

研究室でコンペの打ち合わせ。そし4年、m2の梗概を集め読もうと思ったが、会議、会議。その間に一つだけ読む。夕刻は今週末のセンター試験監督者説明会。受験者数は変わらず、教員は毎年減るから今年は教員総出である。夕方終わってアサマに乗る。車中水野肇『誰も描かなかった日本医師会』ちくま文庫2008を読む。日本医師会には27年会長を務めた武見太朗という人物がいる。僕が生まれる2年前、昭和32年から僕が大学3年になった昭和57年まで会長を務めた。けんか武見といわれ常に厚生省と大喧嘩をしながら医師の立場を守った人間である。業界の利益や働きやすさを求めて国とけんかをした。当時はよく分からんオヤジと思ったものだが、この本を読むと彼のおかげで医師はだいぶ救われたのではないかと思った(もちろん27年も殆ど専任でこうした会長職を務めれば裏で何が起こっているのか定かではないが)。因みに武見の義理の叔父さんは吉田茂だとか、若いころから政治家とはなじみがあったようだ。加えて役人負けない勉強を怠ら無かった。だから役人と渡り合えたのだろう。建築界にも武見がいれば、、、とつくづく思う。数年ごとに名誉職のように入れ替わる学会会長や家協会会長なんて不要である。武見は医療業界の利益のために厚生省にさまざまな要求をねじこんだという。国交省の役人に一歩も引かぬ知識と知恵を蓄える努力を怠らず、政治的腕力をもち、そして四半世紀戦い続けられる男は現れないものか?彼はほとんど専任で会長をやっていたように見えるが、生涯銀座にクリニックを持っていたそうだ。保健医療はやらず、「好きなだけ置いてけ」というクリニックだったとか。それも戦う武見の頑固なポリシーなのだろう。
帰宅すると谷川渥先生より『シュールレアリスムのアメリカ』みすず書房2009が届いていた。ありがとうございます。久々の書き下ろし。10年越しのテーマの渾身の一冊である。ちょっと襟をただして時間のある時に一気に読みたい。

January 14, 2009

the sublime

リノヴェーション特集のTOTO通信が届きぺらぺらめくってみるとなかなか痛快な建物が載っていた。ぼろぼろになったコンクリートの豚小屋を改装して住宅にしている。その方法がいかしている。朽ちた屋根を取り外し、コンクリートの殻にはまる木の家を工場で作ってきてそれをクレーンで釣って中にはめ込み、薄い屋根をかけるというもの。朽ちたコンクリートの外皮と中の新しい木造の小屋の間の隙間数㎝が旧と新の明確な対比を生む。さらに旧と新の異なる機能が生み出す(たとえば豚に必要な窓の位置と人間に必要なそれは異なる)使い勝手のひずみが新たな発見を生む。これは始めたばかりの大多喜町コンペのヒントになりそうな。事務所で打ち合わせを終えて壊れたプリンターを修理に新宿ヨドバシへ。修理のついでに冷蔵庫のような長野の家用パネルヒーターも買う。
9時半のアサマに乗り車中読みかけの濱下昌宏『主体の学としての美学』の続きを読む。今日は志賀重昂『日本風景論』。本書の中で志賀は「跌宕」という言葉を使ってthe sublimeに相当する概念を示そうとする。現在の言葉なら崇高であろう。著者濱下はここで日本に本当に崇高なる風景があったかを検証するために中国人留学生の『日本論』を引用する。そして中国人の目から見ると日本趣味は崇高、偉大、幽雅、精緻という観点からすると前二者に対し後二者が豊かであるとしていることに注目。そして志賀が日本風景に崇高を見ようとするその姿をナショナリズムの発揚と捉えるのである。なるほど確かに、世界的に見て日本の風景に崇高を見ようとするのには無理があるという著者の見解には賛成である。日本には山がないとこの間来たスイスの建築家は言っていたが、水平に伸びる日本の山はヨーロッパアルプスと比べてその垂直性にかなわず、水平性においては大陸的なオーストラリアやアメリカの岩山にかなうはずもない。別に大きさを競うわけではないが、崇高はある意味で相対的な概念であろうから、一度それ以上大きな(水平的にも垂直的にも)ものを見た目にはもはやそうした表象は生み出さないものである。

January 12, 2009

成人の日

朝から学内で使うパワポを作っていた。20分話すから20sheets。午前中に終わるかと思ったが2時ころまでかかった。その後、今日はどこにも行かず家にいた。家族は皆どこかに出かけたおかげで僕はのんびり静かな一日である。犬飼隆『漢字を飼い慣らす』人文書館2008を読んだ。年初から古典づいている。特に松岡正剛の「仮名の発明は日本の最大の発明」という言葉の影響が大きい。この本も日本人が日本の字を持たず、漢字を使って日本の発音を表記してきた歴史を綴っている。改めて複数の字体と、多様な発音(音読み訓読み)を駆使してきた日本語に恐れ入る。そしてわれわれはその昔から外来語(漢字)を変化させて自国のものとしてきた国民であることを再認識。カタカナ語が氾濫する現在の日本語は伝統なのかもしれないと妙に納得してしまう。夕食後、濱下昌宏『主体としての美学―近代日本美学史研究-』晃洋書房2007を読む。「美学」という翻訳語を作ったのは「哲学」という翻訳語を作った西周。因みに慶応や芸大で美学の講義をしていた森鴎外の訳語は「審美学」だったとか。
夕刻、高校サッカー決勝戦最後の10分をテレビで見た。鹿児島の高校にジャパン級のストライカーがいたが広島の高校が初優勝した。1点リード後、相手陣奥でのボールキープが巧である。高校生は上手くなった。
そう言えば今日は成人の日。夜、「爆問学問」に糸井重里や立花隆が登場し、自分たちが大人になったと感じたのは40過ぎだったと言っていた。さてそう言われると自分はと考えてしまう。うーんそんなことは考えたことも無かった。もちろん成人式など出る気もなかった。これは難問だ。就職して最初の給料をもらった時か?結婚した時か?子供が生まれた時か?事務所を作って給料を払った時か?と考えてみたが、どこかの時点で自分が大きく変わったという意識がまるでない。いいことか悪いことか分からないけれど、その意味ではまだ子供。モラトリアムと言って学生を責めることも当分できないかも?

January 11, 2009

目黒美術館

朝一で目黒美術館の石内都展を見に行った。「ひろしま」はだいぶ前にテレビで見ていたし、カタログも買って眺めていた。あらかじめかなり内容を知っている展覧会を見るのも珍しい。写真の展覧会はあたりはずれが多く(それは展示されているものがいい悪いではなく、僕の写真を見る感性の許容範囲が狭いということなのだと思うのだが)今日は妙に緊張して会場に出向いた。もちろん当たりだといいなあという期待をこめて行ったということだ。結果はとても考えさせられる僕にとっては良い展覧会だったhttp://ofda.jp/column/。最終日ということもあり石内さん本人がいて僕のすぐ脇でお客さんとずっと話し込んでいた。
午後は大学の書類作りと読書。小穴晶子『なぜ人は美を求めるのか』ナカニシヤ出版2008を読む。美学入門書ということで洋の東西を問わず基本的なことが書いてある。のだが、天内君も言っていたが、近代美学(カント)に触れられていないのは理由あることなのだろうか?この本もナカニシヤの津久井さんが担当されたようである。懐かしい。

大多喜町

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コンペの敷地である千葉県の大多喜町に行く。電車で行くものと思っていたが、調べると高速バスが早い。電車よりバスが早いとは???なぜかよくわからぬまま東京駅からバスに乗る。アナウンスが流れこのバスがアクアラインを通り、東京湾を横断することを知る。であれば早いはずである。そしてこの自らデザイン監修したアクアラインに開通後初めて通ることを知りちょっと興味深い旅となった。東京駅を出発して川崎まで湾岸の高速道路を地上と地下を交互に進む。そのためかどこからアクアラインに入ったのかが分からぬまま10キロのトンネル。光が見えたところはすでに海ほたるを過ぎた橋脚の上。後方に過ぎ去った海ほたるはどこだろうなんて目を凝らしているうちに木更津であった。ここから1時間房総半島の中央めがけて進む。このあたりはその昔数回ゴルフに来た場所であり、そしてそこはとんでもない山奥だった記憶がある。記憶通り大多喜町はひなびた集落。町の中央まで歩き、そこで昼飯、スタッフに美味しいものを探しておいてと頼んでおいたら、ソバかとんかつだとか。別に名物と言うわけではなく、それしかレストランがないということのようだ。ソバを選ぶ。結構うまい。満足。駅前で鯛焼きを食べそしていざ町役場、土曜日だが職員が数名。お願いして屋上をみせてもらう。今井兼次独特のガウディに影響されたと自ら語るタイル細工の壁面を見る。この役場ができた1959年に僕も生まれた。僕と同じだけ生きてきた建物だと思うと感慨深いし、その年に今井がモダニズムに対抗してガウディの影響を明示しながらこの建物を設計したその反骨精神に頭が下がる。役場が見下ろせる丘の上にある大多喜城の復元まで登り町を一望。低い山並と林の連続。長野でもない、武蔵野でもない、房総のランドスケープを感じた。

January 9, 2009

分かること

午前中デザイン論の講義、午後製図。昼休みはm2や4年の梗概を読む。あまりに分からないので帰りがけ丸善に行って、(いつもならアートや哲学に行くのだが)、今日はハウツー本のコーナーに行く。先ずは短時間で梗概を読む力がないのだろうか?と自分を疑い、川辺秀美『カリスマ編集者の「読む技術」』洋泉社2009を。更に自分はいつも「分からない分からない」と言うのだが、ではいったい「分かる」とはどういうことなのか?ということを知るために畑村洋太郎『「わかる」技術』講談社新書2005を買った。書店の喫茶に行って斜め読み。えてしてハウツー本と言うやつは欲しい知識が得られないものだが、ひとつ分かったことは、(これはアメリカのreading授業で教わったことでもあるが)本を読むときはanticipationが不可欠ということ。つまり何が書いてあるかをあらかじめ予想してかからないと理解不能になり得るということである。川辺の本にはそう言う実例がいろいろ載っていた。クリーニング屋さんの会話とか、出版業界での会話など。言葉は簡単だが、ある種のジャーゴンが含まれているので状況を知っていないとそれらのジャーゴンの内容を推測できないのである。梗概も数が多くなると僕の知らない言葉も出てくる。それは僕にとっては一種のジャーゴンでありそれを推測するには予想が不可欠ということだ。もちろん予想したからなんでも理解できるというようなことなら苦労しないのだが。さらに分かるということはどういうことか?一つの教えは身近なところに話が敷衍出来る場合分かりやすいということ。つまり観念的な言葉が羅列されているものでもそれが具体性を帯びる場合は読者のイマジネーションに接続しやすいということだ。つまり思惟的な文章の分かりやすさはそうした言葉を選ぶセンスにかかっている。まあ現状は言葉の選択以前でもあるのだが。

背中

昨番の背中の痛みは半端じゃなかった。とっさに「が〇」の2文字が頭をよぎり、精密検査の4文字が浮かび上がり、放射線科の先生となった才女Wに電話。お医者さんは早い。8時ちょっと過ぎに病院にいらっしゃる。「寝ると背中が痛い。MRIを撮ると解明できるのでは???が〇の可能性は???」「が〇なら一日中痛い。MRIは意味なし」と言われ可能性ある病気の病名を告げられ、これなら薬を飲めば治ると言われ、先ず内科。さすが才女W淀みなく理路整然と電話問診での指示であった。最悪の可能性を否定されたので気分が良くなり現場に。少し遅刻。徐々に内装の細かいつめとなってきた。昼事務所に戻り忘れかけていた背中、、、を思い出す。てっとり早く薬をもらう方法はないか?そこで内科ではないが、(小児科だが)やはり級友に電話。というわけで朝W氏に言われたことを告げ、、、「薬処方してよ」と言いたかったが見ていただいてもいないのにそんなこと頼むのはさすがに失礼。と思い返し、どう思う?と聞くと、「筋肉痛じゃないの???」と言われた。「でも筋肉自体は痛くないんだよ」と言うと、「君が背筋と思っていない背筋が痛いという可能性もあるでしょ?」と鋭いことを言われ、連休明けまで様子見たら?とさびしく突き放された。それならそれが一番助かるが。

January 8, 2009

次はあんこう

東京も寒い。今年最初の事務所出勤。仕事始めは数日前なので事務所自体は少し温まっているようで一安心。年賀状の整理。もう今日で最後だろうか。パートナーと1月のコンペの話題。柏崎のホールか?大多喜町の庁舎か?庁舎は今井兼次設計のdocomomo建築をリノヴェーション、増築するもの。プログラムは後者がいまどきのテーマだし、おもしろそうである。が審査委員が、、、、建築家は二人、古谷さんもいるのだが、委員長ではない。大半は町の人たち。浅草のコンペに感じられたことだが、どうも町の人の力が大だと選択される案がポピュリズムに流れる。それが事前に分かると、どうしても建築家のポリシーのぶつかり合いではなく、審査委員の嗜好の読み合いになる。それはちょっと勘弁願いたい。とは言うものの、やはりプログラムの面白さには勝てず大多喜町をやることにする。事務所+大学m1精鋭部隊で行こう。
最近連夜寝ると背中が痛く寝付けない。この痛みを取るべく八潮の人たちとの新年会の前に店のそばの浅草ロックス7階のスパに寄る。スチームサウナのタイルのベンチの上に仰向けに寝ていたら少し気分がよくなった。
八潮の人たちは皆大学の先生。1月の大学は卒論、修論で修羅場なのだが、それでも国際コンペをやっている研究室もあり感心した。この時期平気?という心配の声などどこ吹く風。この時期何を焦ったところで何も変わらないとどっかり構えている。ご立派。東北から、神奈川から、遠路はるばる御苦労さま。論文無事通したら2月末には日立であんこうを食うスケジュールを決めて解散。

January 7, 2009

ニコッと笑うオヤジ

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Robert Frank "Hotel Lobby -Miami Beach" The Americans

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足のお皿を手術してからランニングもままならず、大好きなサッカーも出来なくなった兄は一眼デジカメに夢中となる。今日帰宅すると年末年始に会食した時の写真1ギガ分のDVDが届いていた。無精者の兄貴がこうして送ってくるところをみるとよほど撮った写真を見せたいということだろう。
その中の一枚「オヤジとオフクロ」。なかなかいい写真である。しゃべっては怒声をあげるオヤジが珍しくにこっと笑う。ロバートフランクの写真集Americansの中の一枚hotel lobbyに映る、いかついオヤジとやさしそうなオフクロの写真を思い出した。実はこの写真は僕の建築の規則「包容性と排他性」の講義で最初に映す写真である。建築にもこんないかついオヤジとやさしいオフクロがいるよという話である。その講義の結論はこれからの建築は強いオフクロたれ。であるが、ニコッと笑うオヤジたれというのもいいかもしれない。

January 5, 2009

極寒の地

大学仕事始め。年を越したら長野は半端じゃなく寒い。一昨日読んでいたペンギンの話は南極での観測がメイン。読みながら極寒の地を想像し震えていたが、昨晩は暖房つけっ放しなのに震えた。これから2か月、僕にとって長野は死の季節である。朝から会議に加えて少し重い宿題。しかし今年はこういうことを上手に利用して長野での生息領域を拡張することにしたので、重いと思わず積極的に利用する。10時から学部長の年頭挨拶。日建時代の社長挨拶を思い出す。社長挨拶は冬休みに根をつめて考えたであろう思考の軌跡をそれなり感ずるものであった。それに比べると工学部長のそれは気軽なものである。まあ大学というものは組織力で戦うようなものではないのだから当たり前ではあろう。しかしこれからは大学とて一企業として戦う側面も出てくる可能性もある。そうなっては欲しくないが。
午後4年m2の梗概修正をまとめて目を通す。うーんまだ真っ赤にしたくなるものが散見される。こっちも向こうも大変だなあ。でもまあやらざるを得ない。設計はだいぶ形が見えてきた(今頃かよ??)。見えてくるとこちらも言いたい。「言ってることとやってることが違うだろう?」「やろうとしていることがすでに矛盾しているだろう?」などなど。あと三週間で完成するのだろうか?坂牛研の最初の修士設計の時は年が明けたら模型の3分の2くらいはできていていたように記憶しているのだが?記憶違いか??

January 4, 2009

美術史

「建築史で語られる建築は教会か宮殿」とは誰もが言うこと。だから建築史からはみ出た建築がたくさんあり、それが実は凄いと口では言う。バーナード・ルドルフスキーの『建築家なしの建築』なんていう本の魅力を知った顔して語ったりする。でも自分は本当にそんなヴァナキュラー建築を知っているのだろうか?と少々不安。そんな不安を一層高めてくれるのが、佐藤道信『美術のアイデンティティー』吉川弘文館2007。著者曰く、美術史なるものは市民革命後の近代社会が過去の宮廷コレクションと教会文化を陳列し、さらには自国の帝国的権威を誇示するために作られたmuseumという制度の基礎を作る学なのであると言う。ということは同じ様に建築史も多かれ少なかれ(museumという制度の中にははいらねど)、自国の遺産を誇示するための分類指標であると考えて間違いなかろう。であれば権威に裏付けられたものしかここには登場しないのはやむを得ぬこと(もちろんこうした美術史は19世紀までのものでありモダニズムはそもそも教会も王権も基盤としていないのだからその分類指標も全く別物になる)。僕らはモダニズムより前の世界の建築(日本はまだ身近なので)の本当の姿を知らない。と謙虚に受け止める方が多分正しいのだろう。この美術史という制度はあまり信用しない方がいい。

January 3, 2009

写真

昨番は姪っ子が泊まりに来た。今朝僕の部屋にやってきて、読み始めた本:アン=セリーヌ・イエガー著小林美香訳『写真のエッセンス』ピエ・ブックス2008を横取りして眺め始めた。小学三年生の彼女のお父さんは舞踏を取り続ける写真家である。さすがだなあと思っていると、トマス・デマンドの模型写真がお気に入りの様子。「これは模型写真なんだよ」と教えるとうなづきながら「まるでチョコレートのようね」と言う。確かにそう見える。さらにとある肖像写真を見ながら「この写真は何を伝えようとしているのだろうか?」とつぶやいた。これにはびっくりである。何時も父親が写真を見ながら「これは何を言おうとしているだろうか?」と聞くのだとか。午後事務所に寄って少し仕事。数名仕事をしていた。今日は正月、二日とは違ってかなり寒い。事務所の中も冷え込んでいる。やることを終わらせて早々に退散。風呂につかりながら佐藤克文『ペンギンもくじらも秒速2メートルで泳ぐ』光文社新書2007を読む。水中動物に測定器をつけて体温、水温、深度、加速度などを測定する。こうしたデーター取得に基づく生物学はバイオロギングサイエンスと呼ばれ、生物研究のフロンティアなのだそうだ。観測するなんていうことは小学校の理科程度のたいして知恵も能力も不要な学問の基礎のように思われるが、南極の海中でしかできないこととなった瞬間それはとんでもない高度で国家的(大学的?)科学になるというのも不思議なものかも(言い過ぎか?)?

January 2, 2009

2日恒例

夕方まで昨日読み始めた『歴史の終わり』下巻を読む。夜は1月2日恒例となったかみさんの兄姉その家族との会食。今年は渋谷の中華料理。渋谷ハチ公前あたりはすでに混雑し始めている。副都心線ができたおかげで渋谷まで10分で行けるようになった。なんのためにできた電車かいまだによくわからないが、とりあえずわずかだが便利になった。中華の後は子供も多いのでボーリング。10年ぶりくらいだろうか?2ゲームしかやっていないが腰が痛い。

January 1, 2009

「認知」

あけましておめでとう。9時頃起きて居間に行く。差し込む光が快晴を知らせる。天気の悪い正月は記憶にない。エントランスの集合ポストと事務所のポストから年賀状を回収。送ってくれた方、本当にありがとうございます。年賀状を見ながら雑煮を食べて、浅草に出かける。雷門の前は異常な人出。とても参拝できるような状態ではないので側道を通り本堂の横まで行きそこから拝む。おみくじを買ったら吉。娘は凶。浅草寺は凶が多いらしく、あちこちで「凶だあ!」と嘆きの声が上がっていた。4時頃、恒例のふぐ鍋。親父は相変わらず元気。煩いくらいよくしゃべる。兄貴は新しい一眼デジカメに熱狂。義姉は未だにサッカーをしているそうで素晴らしい。甥っ子は学院から早稲田建築に希望中。拙著を謹呈。食後親父たちを表参道に送りがてらヒルズをぶらつく。1日から開いているとは商売熱心。帰宅後フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』下巻三笠書房1992を読む。ヘーゲルとコジェーブを引きながら人類の基本的欲望には「認知」へのそれがあることを力説する。自己保存のみを主張するホッブスに代表される当時のアメリカネオコンに見られるアングロサクソン的思考を批判。他人からの「認知」を得たいという欲望は確か 姜尚中もエッセイのなかで説いていた。そして僕もそう思う。そしてその欲望がある程度の人間同士の調停を生む。