« January 2009 | メイン | March 2009 »

February 27, 2009

プロセスが見えること

岩波ブックレットという60ページ程度の小冊子がある。数冊買って放っておいた一冊に偶然近著を二冊ほど読んだ福岡伸一氏のものがあった。タイトルは『生命と食』(2008)。その中にこんな話がある。氏が好む京料理の一つにすりおろした蓮根を握ってあつあつの椀にひたす料理がある。その料理のルーツを京都吉兆の当主から教えてもらったとき当主はこう言ったと言う。「でも、練りものというのは、料理としては本質的に「逃げ」なんですよ」と。それを受けて氏は現代の食物はファーストフードを筆頭に製作のプロセスが見えない練りものだらけ。練りものは何がどれほど混入しているのか全く分からない危険状態なのだと言う。そして食物ばかりか経済にしてもサブプライムも立派な練ものだと言う。不良債権になるかもしれないローンを他のさまざまな債権と練り混ぜ見えないようにして売りさばき、その危険なローンが発病したのだから問題の一端は練りまぜにあると主張する。先日お会いした女性社長もサブプライムは世界を相手取った一大詐欺だと言っていた。彼女もブラックボックス化にことの原因をおいている。
そう言われて我々の周りを見れば、建築におけるスケルトンとブラックボックスという問題に気が付く。建築は透明化と同時にブラックボックス化もしている。そしてそのブラックボックスが竣工後、誰も分からぬ困ったことを引き越す。故柳田博明氏は「昔のテレビは自分で直せたのに今のテレビは捨てるしかない」と昨今の家電ブラックボックス化を嘆いた。数万のテレビは捨てられても数千万の建築を捨てるわけにはいかない。やはりプロセスが明瞭であることはすべてにおいて望まれることである。因みに僕は食の練りものもあまり好みではない。昔かまぼこやのそばに住んでいたからだろうか。煉りものを見ると練り混ぜ機械の中でぐるぐる回る生臭い魚肉が頭に浮かぶ。

February 26, 2009

〇〇

朝一で現場。クライアントの奥様が来られ、ブラインド色、その他の細かな打ち合わせ。今日の冷え込みは激しい。3時間くらい現場にいたら芯から冷えた。午後事務所にもどりコンペの打合せ、レイアウト検討。外装の形状がかなり複雑になってきて模型がおっつかない。できるかなこの形?夕刻、馴染みのトンカツ屋に行ったらマスターに「四ツ谷の〇〇町にある〇〇って言う設計事務所知ってます?」と聞かれた。「ええよく知ってます、どうして?」と聞いたら、その事務所のボスの両親が来られ、自分らの子供が近くで〇〇という名の設計事務所をやっており、、、、、と大いに宣伝して帰ったとか。親が広告塔してくれるなんて、なんとも理想的である。微笑ましい家族である。

February 25, 2009

早朝慌てた

おっと今日はクライアントも来る早朝現場定例ではないか?と寝ぼけ眼で家を飛び出し現場やスタッフに電話。と慌てたのだが定例は明日だった。というわけで再度家に戻り朝食をとってから事務所に。コンペ案の構造について電話でミーティング。設備もおおよそ見えてきたので電話でヒアリング。断面のスケッチをして西浦君に模型制作を頼む。午後は昨日のブーフーウープロジェクトのスケジューリング。あれあれ2年後なんて呑気に考えていたけれど、線を引くと結構ぱつぱつ。できるだろうか?大学と事務所で共同する最初のプロジェクト。ちょっと心配になる。

とある女性社長

朝一で上田に。産学共同を支援する組織の方の仲立ちで、東京の、とある会社の女性社長とお会いする。本社を長野県に移したいとのこと。お話を聞いているとその意志と実行力に驚く。藁で本社を作りたいと驚きのお話。打ち合わせが終わり、上田でも有名らしい、池波正太郎もこよなく愛した蕎麦やで昼食。ここの蕎麦はサイズが4種類。小、中、普通、大。普通か大か迷っていたら店の人が、「うちの普通は大きいので食べきれませんよ」と言う。すると社長は「じゃあ普通」。と、強気である。そこで僕も普通。ところがこれがとんでもなく大もり。腹が膨れた。
午後大学へ。工学部長選挙。第一回投票では一位が過半数とれず2回目の投票。工法のI先生に藁で建物を作る方法を聞く。接着剤で固めたらとの話。臭そうなのでちょっと敬遠。 研究室で雑用をこなしてから新幹線で東京、事務所。中国から一時帰国したナカジに様子を聞く。最後の追い込み。帰ってきたと思ったらまた明日から中国である。

February 23, 2009

絞り込み

一日事務所で試行錯誤。やるべきことがいろいろあって集中できないのだが、なんとかコンペ案を一案に絞り込む。もう少し試行錯誤したいところなのだがもう時間がない。明日は長野なので少し頭を冷やして最後のブラッシュアップに進めたい。

February 22, 2009

ポスト戦後社会

朝の用事を済ませ、朝食。今日は温かくて心地よい。読みかけの『サブリミナル・インパクト』を読み終えて、吉見俊哉『ポスト戦後社会』岩波新書2009を読む。読みながら年表のようなメモを作ったら、吉見の言う(その師匠である見田も言う)ポスト戦後社会への転換期である70年代半ばという時代が読めてきた。1975年に僕は高校へ入学した。そのころ社会では浅間山荘事件(72)があった。これを起こした赤軍派は戦後社会運動の一つの象徴である(因みにポスト戦後社会のそれはオウム真理教団と著者は言う)。政治では田中首相が逮捕(76)され重厚長大社会は終わりを迎える。70年の大阪万博は「人類の進歩と調和」がテーマ。未だ前進することへの希望があったが、75年の沖縄海洋博は「海その望ましい未来」がテーマ。地球環境への問がこのころから本格化する。71年にニクソンが金ドル交換の一時停止を宣言したことにより変動相場制となり巨額資金が世界を流動する。それまでの高度経済成長経済は、金融グローバリゼーションの渦の中に巻き込まれていく。更に80年代に入り中曽根政権が新自由主義的政策に転換、小泉で極まる。吉見俊哉は高校の二つ先輩だから、似たような時代を生きている人だが、僕にとっては戦後社会が単潤に戦後とポスト戦後に2分できるとも思いにくい。もちろん70年代半ばが一つの転換点であることに異論はないが、その後を一枚岩とするにはあまりに大きな変化があった。やはりバブル経済は日本をかなり大きく歪めた挙句に違う位相の時代へ投げ込んだ大事件であったように感ずるのだが。
夕食後エルザ・スキャパレリ『ショッキング・ピンクを生んだ女』ブルース・インターアクション2008を読む。先日読んだ谷川渥『シュルレアリスムのアメリカ』にスキャパレリは登場している。ペギーグッゲンハイムの友人としてアンドレ・ブルトン、マルセル・デュシャンと親交を持つという話だった。モダニズムのファッションデザイナーの中でも特に芸術的造詣が深いというのは有名な話。そんな興味から一読してみたくなった本である。

八潮人会合

午後コンペ案スタディ。できたスケッチをオープンデスクの西浦君に模型化してもらう。夕刻事務所に八潮ワークショップチームの5大学の先生(og, so, tsuk, ter, )が集結。来年度の進め方を確認。某雑誌が取り上げてくれることになりその紙面構成を議論。八潮という町をどう映し出せばアピールできるのかがポイント。腹が減りトンカツ鈴新で夕食。この店は先日の「チューボーですよ」かつ丼編で町の巨匠として登場した荒木町の名物店である。土曜日だというのに珍しく超満員。話は雑誌構成、写真家、コールハース、と尽きない。二軒目はロックバー。坂牛は毎晩こういうところを徘徊しているのかと思われたようだが、もちろんそうだったらいいがそうではない。

February 21, 2009

学生に戻り

昨晩の疲れが残りつつ、確定申告書類と睨めっこ。やっと大学から源泉徴収票が届き。終わったと思ったがまだ支払調書が送られてきた。これでまとめて会計士に送れるか?午後事務所にでてコンペの進捗を見る。少し硬い。柔らかい線と硬い線のコントラスにしたいのだが、模型がうまくできるだろうか?打ち合わせが終わり夜8時半。今日は大学時代の気が置けない友人たちとの集まり(友人一名の昇進祝いという名目で)。もう遅いので辞退しようかと電話をしたらまだいるからとお決まりの返事。行ったら15名くらい懐かしい顔が並んでいる。当時女生徒は3名、その一人我クラスのマドンナが紅一点で出席。離婚後再婚した相手の子供にはすでに子供があり、おばあちゃんになって10年たつそうだ。数奇な人生である。また3名のうち一人は台湾からの留学生。彼女は現在アメリカに居住。昨晩の出席者の一人が学生時代から仲が良く、2年前に家族で彼女の家に遊びに行ったら大歓迎を受けて一銭も使う必要がなかったそうだ。とんでもない資産家の娘とは聞いていたが、聞けば聞くほど驚き。因みに2年前では世界一高かった台北101は彼女の父親の所有だとか。ゼネコン、設計事務所、土木コンサル、住宅メーカー、このまま建設系就職相談コーナーができそうそうである。

February 20, 2009

サブリミナル・インパクト

午前中市役所の景観委員会に出席。終わって大学の車で松本に。学長、理事を相手に学内GPの説明会。研究費は寝て待っていてもやって来ない。夕方のあずさで東京へ。車中、下条信輔『サブリミナル・インパクト』ちくま新書2008を読む。まだ途中だが面白い。前半の山は人がものを好きになる理由。建築でも何でも物への関心が湧きそれを気にいるという人間の精神の流れを方向づける主たるものは流行や消費などの社会的な要因であろうと僕は思っている。一方この本ではそうした原因はさておき、異なる側面、つまり人間に内在する潜在的な志向性を探る。そしてそれらは「新奇性」と「親近性」であり、新奇性は人間の顕在的意識上で確認され、親近性は潜在的な意識(つまり無意識下)から立ち上ると説く。一連の説明が様々な実験を理由に説明されるのだが、なるほどとうなずくものばかり。こうした人間の本質論的な部分にこれからは少し目を向けた方がよさそうである。事務所に戻り今晩は事務所の皆とお好み焼きへ。いくつかの仕事の区切り。

February 18, 2009

久々に長野は雪

午前中事務所でコンペ打ち合わせ。昨日構造に送った2案について電話ミーティング。1案はけんもほろろに否定された。仕方なくもう一案に集中することに決める。k-projectは最後に来ていろいろと修正依頼が舞い込む。修正というよりは、ことここに及んでは取り壊しである。customer satisfactionとは本当にちょっとしたことなのだが、難しいものである。12時半の新幹線に飛び乗る。名古屋に転勤になった施主から長野に仕事をしに行く建築家に電話。2人とも新幹線に乗っていることに思わず笑う。家は東京なのに。大学に着いて会議。教員の給与査定について説明がある。この手のことを真剣に理解しようという気力が湧かないのは日本人的かもしれない。金は天下の回りモノと達観している。とにかく努めて4年だが給与は上がらないようにできている。その後たまった雑務を片っ端から片付けて、講師の先生が作ってくれた明日の学内gpインタビューのパワポをチェック。贅沢は言っていられないが人の作ったものを話すのは結構大変。さっと頭に入れて大学を後にする。今日はちょっといいことがあったので一人で祝福するためにちょっと一杯ならぬ、ちょっと映画。キアヌ・リーブス主演の「フェイク・シティ」のレイトショーに出かける。今晩の長野はかなりの雪。自転車は危険。シネマに着いたら雪で真白。LA市警を舞台にしたポリス同士の裏切りの話。よくあるハリウッド映画。今一つ焦点が定まらぬ。誰かがこの年になると映画は泣くために行くと言っていた。思いっきり泣くか笑うか怒るかは精神の浄化(カタストロフィ)。その意味ではこの映画は不合格。

February 17, 2009

芸術言説の元締め

今日はことのほか寒い。朝事務所でコンペ打ち合わせ、信州大学から3年生の西浦君がオープンデスクで参加。午後現場。外構がだいぶ進んだか。残り一か月。
先日源喜堂に頼んでおいた『講座20世紀の芸術』が事務所に届いた。谷川さんから頂いた本にいくつか引用があったので、この手の講座本ではできが良いのかと思いネットで検索した。何せ9冊で5千円と安かったものでつい注文。しかし届いた本を見れば定価が一冊4400円9冊で4万円のもの全集が5千円だから価値が半減どころか八分の一になったとも言える。安さを喜ぶべきか価値低減を嘆くべきか?執筆者を概観すると、建築はだいたい八束さん。流石。その他3篇以上書いているのが谷川さん、多木さん、藤枝さんである。そう言えば先日読んだ『日本近現代美術史事典』東京書籍2007も編者が多木さんと藤枝さんだったわけで、この二人はやはり20世紀の芸術言説の元締め?というとろか。

February 16, 2009

虎ノ門

今日は朝からずっとコンペのことを考えていた。こんな日も珍しい。事務所はなぜか全員いてにぎやか。その上、風邪か花粉症か分からないが、マスクの人が多い。家に帰っても家族は僕以外マスク族。こちらも花粉症か風邪か分からないがかなりの重症。何処に行っても重篤患者に囲まれている。しかもなぜかそれらは皆女性。春の悪魔は女性好きである。
夕方急激に冷え込む。ニュースを見ると10時で3度。チャンネルを回すと森ビルの次の開発:虎ノ門ビルの模型がテレビに映る。森ビルの役員会議にNHKが入り込む。森稔社長の隣に本さんの姿が映っている。日建の先輩である。転職して立派になられた。前会ったときは常務だったが今は昇格したのだろうか?この場所に知り合いが住んでいるかみさんはひどく憤慨している。僕には都会の高密度化は必然と映る。しかし、、このビルのデザインはちょっとひどい。まあそれはおいておこう。問題は低層部の作り方。そしてゆっくりやること。時間差が時代を刻みそして多様性を生むのだろう。作為的に作る多様性には限界がある。

February 15, 2009

今朝はゆっくり起床。食事もとらずかみさんと銀座へ。ペニンシュラのコーヒーハウスでブランチ。初めて来たホテルだがエントランスの照明がいい。外装のオレンジ色の石は珍しいが全体のデザインは装飾的で良くない。食後に出光美術館で「文字の力・書のチカラ」展を見る。青山杉雨の大字はすごい迫力。西川寧の作品は小さいが線に力がある。平安時代の三蹟小野道風、藤原佐理、藤原行成、の作品も伝ではあるが展示されている。三蹟もよいが、平安なら西行がいい。好き嫌いもあろうが、筆の息継ぎが感じられない、淡々とフラットな画面が好みである。2時に帰宅してラグビー日本選手権早稲田vsサントリーを見るが、社会人の前に大学一位も粉砕される。夕刻風呂で金子勝『閉塞経済』ちくま新書2008を読む。バブル経済の原理を真っ向から書いている。そう言う本はあまりないとのこと。それによれば所謂需要と供給の関係がバブルは一般時のそれと逆転すると言う。つまり一般時は需要が高まると値段が上がり、値段が上がると需要は下がる。ところがバブル時は需要が高まり値段が上がると、まだ値段が上がるだろうと予想してまた需要が上がるというものである。このバーチャルな人々の期待がバブルの原動力ということである。

A0

午前中勉強会の予習。今日のパートは何時になくスムーズである。午後から事務所でA0勉強会。ヒューマニズムの価値の源を探るような話。ヴェルフリンへの言及が数カ所見られる。そして内容はすこぶる『建築心理学』(ヴェルフリン)に近い。建築に感動するとは建築の持つ運動感、平衡感のようなものが観者の精神に内面化されるところから発生するというものである。井上君の訳がいいのか原文がややこしくないのか訳文と英文が両方の目から滑らかに脳に流れ込む感じである。気持ちいい。夜はコンペ打ち合わせ、葛飾北斎の美術館。昨日のイメージでプランニングしたのだが、どうも建築の制限が大きくて、思った形状には作れないことが分かってきた。方針変更である。それでも北斎の「富士」にはこだわりたい。富士壺構造が頭に浮かぶ。これをすすめてみたい。コンペスタッフとうどんやで夕食(夜食?)ワインを一本。

February 14, 2009

プリミティヴィズム

昨晩は学生たちと3時ころまでよくしゃべった。寝不足のせいか新幹線の中では買った週刊誌を少し読んで眠りに落ちる。東京駅丸善で葛飾北斎の本を2冊買って事務所へ。スタッフも北斎をだいぶ調べ上げてくれていた。有名な波の絵の色は化学顔料でくすんだ藍色だとか。しかし、色を判別するのは至難の技。版画作品は下手をすると一品一品色の濃さが異なるし、本に印刷されれば、もう一回版画をしているようなものだからそこでも色は変わる。同じ作品が違う本では違う色で現れている。
夜帰宅すると注文していた本が届いている。ウィリアム・ルービン編『20世紀美術におけるプリミティヴィズム‘primitivism`』淡交社1984。本物を見るまで知らなかったのだが、この本はタイトルと同名の展覧会のカタログだった。展覧会は1984年にニューヨーク近代美術館で行われたものである。正式名称はPRIMITIVISM IN 20th CENTURY ART Affinity of the Tribal and the Modern である。文章を追う元気がないので2巻組の写真を追う。ゴーガン、マチス、フォービズム、ピカソ、レジェ、クレ―、ジャコメッティ、ダダ、シュルレアリスム、ヘンリームーア、抽象表現主義、アースワーク、皆プリミティヴィズム(北アメリカ、アフリカ、オセアニアの部族美術)の影響を受けているとこの本では説明する。ジャコメッティの鉛筆のような人間もアフリカにそのイメージがあるのには驚いた。ニュートラルなモダニズムの時代だからこそその対極が欲しくなる。人間とは本当にアンビバレントなるもの。つくづく感じる。

February 13, 2009

修論発表会

今日は修士論文発表会朝8時半から総勢31名午後4時半まで。僕の部屋は発表7人。6人設計、一人論文。去年まで修士設計のノルマは定量分析の論文+設計A1 20枚だったのだが、定量分析入れるとどうしても設計が計画的に硬くなるので、エッセイでも論理的ならいいかあということにした。そのかわりその場合は30枚+作品とハードルを上げた。30枚はしんどいと学生に文句を言われたが、まあよく頑張って皆仕上げた(20枚分を30枚に拡大したと見受けられる部分もあるが)。いずれにしても定量分析の枠を取り払ったので設計の幅が広がり面白い作品も増えたようでその点では成功か?設計テーマは水、影、負、山、装飾、日本、論文はウェッブサイト。
夜は学部、院を含めて設計11名を手伝ってくれた下級生を交えての慰労会。これが毎年結構な人数となる。一人を5人が手伝えばそれで55人。何人いたのか分からないけれど、製図の授業より多いような気がした。1次会も2次会も貸切状態。最後に一言と頼まれて、昨日見たオーストラリア戦の岡田に自分をなぞらえた。全日本(信大)の力をワールドカップ(世界)に示すために雇われた。示せないとクビのつもりやっている。だから選手(学生)もがんばって欲しい。まあ教師と言うよりはコーチだ。去年は雪だったが今年は暖冬。

February 11, 2009

シュルレアリスムをめぐって

『シュルレアリスムのアメリカ』を読み進めながら、アンドレ・ブルトン、ポール・エリュアール編江原順訳『シュルレアリスム簡約辞典』現代思想新社(1938)1971、アンドレ・ブルトン森本和夫訳『シュールレアリスム宣言集』現代思潮社1992を併読。前者はGalerie des Beaux-Artsで1938年に開かれたシュルレアリスム国際展のカタログである。第二次世界大戦を前にロンドン、ニューヨークに遅ればせながら、ヨーロッパで初めて開かれたシュルレアリスムの展覧会。このカタログには今井滋の作品も日本人としては唯一掲載されている。大戦の勃発とともにヨーロッパのシュルレアリストはみなニューヨークへ移動。ブルトンと親しかったデュシャンが来たのは1942年。その年に「シュールレアリスム第三宣言か否かのための序論」がブルトンにより書かれる。これは上記宣言集に掲載されている。そこでブルトンはダリのことをドルの亡者と軽蔑的に呼んでいる。ダリは広告を軽蔑しながら広告デザインをやっており、それをブルトンは蔑視していた。しかしそんなブルトンもエルンストと結婚したペギーグッゲンハイムを介してファッションデザイナーのスキャパレリと親交をもつ。スキャパレリはブルトンに加えデュシャンに展覧会を持ちかける。こうして徐々に自立的な芸術が、広告や、ファッションと混じり合っていく。それにしてもダリをドル亡者と呼ぶなんて40年代まだ美術はピュアだったようだ。

*surrealismeの日本語表記はシュルレアリスムが昨今普及しているようだが、広辞苑はシュールレアリスムと音引きが入っている。宣言集のタイトルも同様である。

オープンデスク学生募集

オープンデスクの学生1名募集。墨田区の北斎館のコンペをいっしょにやりましょう。期間は来週月曜日くらいから3月4日提出まで。希望者はメールください。 sakaushi@ofda.jp

February 10, 2009

CCTV隣接タワー炎上

CCTV敷地のの高層棟が一晩で焼け落ちた。原因は旧正月後15日の元宵節を祝う爆竹だとか?本当?爆竹が引火した程度で159メートル30階建ての超高層ビルが焼け落ちるだろうか?確かに建設中だから消火設備が作動しないとか、防火区画の設備が動かないということはあるだろうが、それにしても、、、、。今中国で工事を進めている我々は地元の設計院を通して中国の建築レギュレーション正確ではないが体感している。その感触からすると今回の事件はあり得ることだ。僕らの受けている法的規制がどの省においても、どのようなビルディングタイプにも当てはまるとは思わないが、それでも日本との差を示すものにはなる。その感触のなかで一番の驚きは防火区画が甘いこと。鉄扉の防火ドアという概念がない。避難階段のドアが平気で木ドアである。僕らの建物は2階建ての工場だから避難階段はないけれど、クライアントのオフィスの入る建物は高層ビル。ここに設置される避難階段の区画扉が木である。加えて吹き抜けに防火シャッターがない。そして2番目に驚くのは不燃材料の甘さ。日本ならある規模以上になれば木の無垢材など使うとスプリンクラーが必要だし、もっと大きくなれば内装不燃は当然だ。しかるに中国ではそういう規制を感じない。内装に木は使いたい放題である。今回の高層ビルもマンダリンホテルが入る予定だった。となるとふんだんに木が使われているとみて間違いない。それにロビーの吹き抜けも当然のこと。いや下手をするとマンダリンだから建物を貫通する吹き抜けがあったかもしれない。そこに防火区画が無くて不燃材が使われてなければ煙突に薪をくべるがごとくである。
これはあくまで憶測である。真実はいずれ明らかになるのだろうが、設計者が一流でもレギュレーションが悪ければこうなる。国をあげて危機管理考え直さないとだめということか?

February 9, 2009

arts & architecture

午前中修論発表練習を聞く。卒論発表練習より下手。話す量が倍あるし、内容も高度ではあるが、もうちっと練習しないとまずいんじゃないか?午後はドクターの公聴会。集成材のクリープについての発表があった。その中に集成材梁とコンクリートスラブによる合成梁という考え方があって面白かった。これはヨーロッパでは普通に使われている工法なのだそうだが日本ではまだ合成強度は認められていないようで残念である。木造の最大の欠点は層間の音問題だと思っているのでこうした工法は是非実用化していきたいものである。帰りの電車で谷川さんの本を読み続ける、マグリットとグリーンバーグの章はなかなか機知に富む。そもそも絵画をキャンバスと絵の具に還元し、絵画の自己言及性にその本質を見たグリーンバーグにとってマグリットなど絵画に値しないのだろう。しかし窓枠のようなイーゼルの中に空が描かれたキャンバスが部屋の片隅に置かれた≪人間の条件≫は一体どう見たらよいのか?と谷川は問う。それは窓から見える空なのか?空が描かれたキャンバスなのか?その意味でこれは表象による自己言及性を持つとまとめるのである。もちろんそんことをグリーンバーグが言っていたわけではないのだが、シュルレアリスムをこう読み込んで悪いこともあるまい。
東京駅で丸善に行ってボールペンの芯を代えてもらおうとしたらその場でボールペンが壊れた。ショック。こんなこともあるものだ。そのまま修理。洋書コーナーに行ったら、あのロサンゼルスの有名な雑誌arts&architecture(エンテンザによってケーススタディハウスが生まれたあの雑誌である)の復刻版が10年分10万円で売っていた。今後残りの10年分も出版予定だとか。世界限定1000部。これは買っとくべきか?研究室に置いておけば修士論文のひとつやふたつここから書けそうだし、英語が使えない信大の学生の特訓にもなりそうだが。

February 8, 2009

シュルレアリスム

事務所で雑用。誰もいない事務所は寒い。亀沢町のコンペのデーターをダウンロード。1月,2月にコンペがた立て続けにあるというのも珍しい。締切は3月頭だから結構厳しい。しかし「北斎の町亀沢」はその昔菊竹さんが審査委員長でアーバンデザインのコンペがあったところ。そのコンペで僕らは実質的に最優秀賞をいただいた(最優秀該当なしだったが優秀賞数点の中では一番いい評価だったと勝手に思っている)。というわけで町の雰囲気は知っているつ。その時のアイデアが役立つだろうか?
午後帰宅して一人でランチを作って食べて、さて、谷川さんから頂いた『シュルレアリスムのアメリカ』みすず書房2009を読み始める。シュルレアリスムのまとまった本を真面目に読むのは初めてである。いきなり序章のタイトルが、ブルトンVSグリーンバーグ。いったいどうして?「・・・・つまるところ、本書はブルトンとグリーンバーグの言説を両軸として構成されるシュルレアリスム美術論であるといっていい・・・」ということだ。ちょっと乱暴だが20世紀美術はつまるところモダニズムとその他という2項対立図式におさまるということなのだろう。そして「その他」は「その他」で網の目状につながっている。本書はそんな網の目めぐりなのかもしれない。すでに1章は「ブルトンとピカソ」と題してプリティヴィズとの関連が語られる。参照されているウイリアム・ルービン『20世紀美術におけるプリミティヴィズム』淡交社1995はなかなか良書のようだ。ネット古本屋に注文した。

February 7, 2009

国語力

午前中国立新美術館に行って加山又造展と文化庁メディア芸術祭を見たhttp://ofda.jp/column/加山の日本画はしゃれている。顔料にも工夫があり、ものによっては工芸のようでもある。ロビーでサンドイッチを食べながらコラムに感想を書いた。いつも思うがここの食べ物は高い。帰宅後石原千秋『秘伝大学受験の国語力』新潮選書2007を読む。この本は大学受験の参考書ではない。受験国語の変遷を見ながら国語の変化を追うものである。明治35年の一高の入試問題が載っている。これはすごい。全く分からない。ジャンルは3つ、国語解釈、国語文法、漢文解釈。全部で3時間。文章を読ませ、それについて設問があるわけではない。どれもいきなり次の文章を解釈せよとか次の熟語の読み方と意味をかけなどである。国語の問題は今でこそ(僕らの時にすでにそうだったが)答えは問題文章中にあるというのが鉄則だがその昔答えは問題分の中には無かった。いや正確に言えば、問題文章なるものがそもそもなかった。つまりすべては暗記なのである。それは古文であり漢文であり文法であり漢字である。それが徐々に変化する。昭和初期の国立大学の文系、理系の現代国語を見るとこれは読む文章なるものがある。しかし国語の素養と呼ぶべき暗記的知識もないと答えられない。さて、それがマークシートになるとかなり変わる。2003年のセンタ試験が載っていた。第一問は評論文である。やってみた。答えは確実に文章中にある。必要な力は二項対立整理力と、複数概念を束ねて抽象度の高い概念にまとめる力。さて第二問。これは遠藤周作の小説。著者に言わせると小説の読解は評論に比べ訓練を要する。評論は論理性なので数学的であるから答えはルールに従い自動的に出る。一方小説は論理性ではない。そこで言わんとすること(世界観)を推理しなければいけない。しかるに勝手に世界観を作り上げると正解に行きつかない。そこで求められるのは学校的倫理感だという。回答者はこの手の問題を数多くこなし、学校的倫理観の常識を身につけその世界観の中で問題文の言わんとするところを推理せねばならないのである。やってみるとあやしいところがいくつかあった。僕には学校的倫理感が欠如しているからであろうか?いやはやこんな力を問うということに何の意味があるのだろうか?なんだかおかしい。

卒論

本日は卒論発表会。朝8時半から始まり一人7分。終わったのは5時。面白い視点もいろいろあった。卒論としての形式や体裁とオリジナリティを両立されるのはなかなか大変だが、そう言う意味で優れたものも一つ二つ見られた。終わって成績をつける。さて帰ってコンペの最後を見るか、もう少し待ってデーターをチェックするか?事務所に電話。30分したら送るとのこと。学食で夕食をとって戻ってデーターチェック。最後の修正を指示。7時のバスに乗るべく駅までちゃりんこ、平安堂に駆け込み平積みの一冊を買う。扇田孝之『東京発信州行き鈍行列車30年―まちの味わいいなかの愉しみ』現代書館2008。帯に上野千鶴子の推薦があったのが目についた。東京で30年生きた人が人生の後半を大町で30年生きたその差を書いた本である。東京と田舎の差のいいところ悪いところが書かれている。彼の視点は公平だが僕には田舎の辛いところの方が気になる。東京に着く前にコンペの最終シートが送られてくる。まあ最後はこんなものかな?

February 6, 2009

コンペ

朝、事務所から送られてきたコンペのシートをチェックしてメール。4年生は明日卒論発表会。前回の練習で5分に収まらなかった人の分だけリハーサルを聞いたのだが、やはり5分に収まらない。明日はなんとかなるだろうか?午後から3年、m1のガイダンス。就職やら、研究室所属やら。空いた時間に修論を読む。夕刻また送られてくるコンペの修正シートを見る。なかなか時間がかかる。CGにたくさん注文を出しているのだがなかなか直らない。夕刻留守電に某設計事務所から就職エントリーのお誘い。と思ってホームページを見たら〆切が明日ではないか。誘うならもっと早く、、、、夜またコンペシートが送られてくる。まだまだ。締切は明日の消印。もうひと頑張り。

February 4, 2009

柿傳ギャラリー

朝一で現場。家具工事と塗装工事が追っかけっこ状態。外部足場がとれた。外装のディテールはもうひと工夫あったようにも感じる。事務所に帰る途中新宿の柿傳ギャラリーで「和菓子のかたち展」を覗く。5人のクリエーターによる新しい和菓子のデザインということで今村創平、西森睦雄、橋本友紀夫(インテリアデザイナー)、松下計(グラフィックデザイナー)、皆川明(ファッションデザイナー)による和菓子のデザインの展覧会。制作は「とらや」である。その昔建築家によるマカロニのデザイン展覧会というのがあったけれど、それに近い。越境して他人の庭を荒らすというのはなかなか小気味良い経験であろう。そして見る方はそれを期待している。つまり適度にorthodoxyをぶち壊してくれることが愉快なのだと思うが、それにしてはどれもプロのように上手でありやや期待外れ。今村君のだけが和菓子っぽくなくて楽しめたhttp://www.kakiden.com/gallery/2009/0203.html。会場でばったり山本想太郎君と会う。Detail廃刊を二人で嘆く。
10+1のウエッブサイトに僕の原稿と一緒にアップされる予定だったアンケート(80年代の記憶に残る書籍と展覧会)が遅れてアップされているhttp://tenplusone.inax.co.jp/archives/review/topics/0901/enquete/。五十嵐さんが私同様、石上さんの本を挙げている。彼がプロデュースしたようなものだから当然か?クロード・パレンの『斜めに伸びる建築』を挙げている人が数名いた。しかし翻訳されていないがパレンとヴィりリオの編著である『function of the oblique』の方が内容は濃い。倉方さんが菊竹さんの復刻版『か・かた・かたち』を挙げていた。これは日本建築史上の数少ない建築論だと思う。今村君がヴィドラーの新刊を挙げていた。納得。これはきっといい本に違いない。更に彼は建築と全然関係ないが、水村美苗の『日本語が亡びるとき』も挙げている。海外経験が多少あってアンテナが向こうを向いている人はこの本に少なからず心乱される。槻橋さんは拙著を選んでくれている。ありがたき幸せ。コンペのドラフトをチェックして夜のバスで長野へ。

February 3, 2009

日本近現代美術史

博士の2次入試を終えてキャンパス計画の会議。結構かかった。終わって部屋に戻るとm2の梗概のプリントアウトを学生が持ってきた。5日が提出。その前に一度見ておくべきかと思い一応チェック。もう文章はいいと思ったがやはり分からないところがあるのを分かったふりをするわけにもいかず、「分からない」と赤を入れる。問題は写真や図版。やはりまだpoorだな。意匠系の部屋の梗概は内容もさることながらパッと見のヴィジュアルが大事なんだけど。
終わって7時のバスに乗る。最近バスですね。車中、多木浩二、藤枝晃雄監修『日本近現代美術史事典』東京書籍2007を読む。この本、事典というタイトルだけれど読み物である。この監修者であるから東と西と漏れなく書かれているように感じられる。幕末からハイレッドセンター(60年代)まで一気に読んだ。こういうのは初めて読んだのだが、断片的な展覧会の記憶が時間軸の上に整理整頓された感じである。

February 2, 2009

言葉の壁

午前中学科会議。午後長野市の委員会に出て夕刻学部生の発表会の予行演習を聞く。日曜日に練習しておくように言ってあったのでそこそこ形はできているが、論文系の発表で5分はかなり厳しい。相手に語るように話さないと分かってもらえない。棒読みだと伝わらない。
どうも昨日読み終えた『日本語が亡びるとき』がずっしりとボディーブローのように効いている。水村の論旨は昨日書いたとおりだが、国語を守れという最終結論にたどり着くまでに彼女はかなり遠回りをする。その遠回りのポイントは次のような点だ。世界にある言語は普遍語、地方語、国語の三種類。彼女の分析では普遍語とは西洋ではラテン語であり東洋なら漢語。そして地方語はもともと話し言葉であり普遍語が翻訳される時に生じた言語に過ぎない。西洋ではラテン語が翻訳されて、英語、ドイツ語、フランス語が生まれた。日本語は漢語が翻訳された時に生まれた。そして西洋ではラテン語の衰退とともにこれら3つの言語が暫定的に普遍語の地位を築き、明治維新後日本はこれらの言葉を必死に翻訳し新たな語彙を生んだ。旧制高校が語学学校だったのはそう言う理由からだ。そして現在世界の普遍語は英語一つになりフランス語もドイツ語も日本語と同じ地方語となったと著者は言う。日本語はフランス語と同等だと喜ぶべきか、それともやはり地方語に過ぎないことを悲しむべきか?僕は残念ながら後者である。水村は多分英語をネイティブ並に使えるからこういうニュートラルなことを平気で書けるのだろう。僕はたどたどしい英語を恥を忍んで必死に使いアメリカで大学に行った。そして同級生のヨーロッパ人を見ながらああヨーロッパに生まれていればこんなに苦労せずに済んだのにと我が身を恨んだのだが、またあの苦い思い出を蒸し返された。そしてやはり日本人は世界の田舎者であり、どんなに背伸びしても世界人にはなれない。いくらオリエンタリズムを恨もうと、それは仕方ないことかもしれないという諦観につながるのである。そう悲しむ裏にはもちろん日本と言う狭い世界の中だけで生きていくつもりがない、あるいは生きていけないという覚悟があるからである。そしてそう思っている人間にとって日本人に生まれたことは生まれた瞬間にハンディを負っていることになる。もちろん誤解なきように言うが僕は日本文化を素晴らしいものだと思っている。それはずっと継承されるべき世界の宝である。しかしそのことと僕らが世界の中で生きていくことは別問題である。この年になってこのことを再度考えさせられると憂鬱である。娘がよくハリウッド女優をテレビで見ながら、「ああ私はなぜ日本人に生まれたの?」と冗談半分に嘆息を漏らすが、もはや外観の差が東洋人を劣位に置く時代ではなくなった。しかし言葉の問題は決定的である。これはそう簡単に乗り越えられる問題だとは思えない。

February 1, 2009

日本語が亡びるとき

午前中娘と英語の勉強するのと(これは英語を教えると称して忘れかけた単語を思い出す作業である)午後オペラシティに展覧会を見に行くhttp://ofda.jp/column/以外は家の中でも、長野に来るバスの中でもずっと昨日読み始めた水村美苗『日本語が亡びるとき』を読んでいた。久々に著者を感じ、その人が真剣にこちらを説得しようとしている文章と言うものに接した気がした。著者の言わんとすることを簡単に言えば以下のようなことになる。世界は英語を普遍語とする時代に突入し、それにインターネットの普及が拍車をかけた。しかるに日本人の英語力は悲しいほど低い。そしてこの免疫力の無い日本に英語が浸透してきた時に最大の問題は英語強迫症による国語の過小評価である。いつの間にかずたずたになった日本語の前で英語もろくに話せない日本人がおたおたしているだろう。と著者は嘆息をもらす。まったく同感である。ナイーブな日本愛好家とは違い著者はこよなく日本を愛しながら目は世界を見ている。
10+1のウエッブサイトに「過剰の現れ」という論考をアップしたhttp://tenplusone.inax.co.jp/archives/2009/01/30140718.html。興味のある方はぜひご一読を。去年の気になる建築論について書いてほしいと荻原さんに頼まれたのだが日本に建築論は少ないのでマニフェストや作品集まで広げて書いてみた。吉本ばななのから始まり最後は乾さんへと続くはなしである。こういう文章もしっかり英文併記で書くべきなのだと水村さんの本を読んで思うようになった。日本語で書いているうちは、国外には存在しないのも同じである。