POPEYE
25日締め切りと言われていた原稿を2日遅れてやっと送る。気分が楽になってコンペの打ち合わせ。形を出すか出さないか、戦略的なポイントではあるが、ミーシアンを超えたユニヴァーサルにしたいところ。ジャイアントファニチャーはスタッフが皆どうも乗って来ない。やめるか??技術的に困難だと言いたげである。そうかもしれないが、、、
今日はヨドバシに用事があったので、用事を済ませそのままバスで長野に向かう。久々のバスである。横川のサービスエリアでジュースを飲んでいたら森山邸をバックに爆笑問題と西沢立衛がテレビに映し出されていた。森山邸の路地は結構せまい感じである。バスの中で難波功士『創刊の社会史』ちくま新書2009を読む。この人の広告の本をかつて数冊読み面白かったのでこの本も思わず丸善で購入。自称創刊フェチの著者は僕の二つ下。そのせいで集めている創刊誌はだいたい聞いたことがある。その中でもPOPEYは兄貴が創刊から10年くらいは欠かさず買っており僕もよく読んでいた。創刊の76年僕は高校2年生。創刊号の特集はFROM CALIFORNIAでULCAのキャンパスがレポートされていた。今でも忘れないUCLAの学生ファッション。素足にニューバランスのジョギングシューズ。白地で紺色のUCLAのロゴの入ったジョギングパンツ。白襟海老茶のラグビージャージ。そして紺色のダウンベスト。来ているのは皆ハリウッドスターのようなブロンズの白人の男女である。砂漠気候のロサンゼルスは冬でも昼間は20度近いが夜は一桁なる。一日の寒暖の差が激しいくTシャツの上にダウンというのは極めてポピュラーなスタイルとなる。70年に創刊されたANANがフランスかぶれの女性ファッション誌であり、POPEYEはアメリカかぶれの男性誌であった。大衆消費社会全盛時、未だに外国コンプレックスの抜けない日本人の悲しい嵯峨をついたカタログ雑誌だった。それから約10年後、UCLAに留学した僕の目に映ったキャンパスはまさにPOPEYEそのままで映画セットのようであった。建築ではアメリカ人に負ける気はしなかったが格好良さでは勝てる気がしなかった。