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December 31, 2008

大晦日

家族でred cliffを見た。三国志である。日本人二人が出演。諸葛孔明役に金城武、甘興役の中村獅童。中国語をしゃべっていたがうまいのか下手なのかわからない。画像の迫力はすごいものがあるが、これでもかというほどのしつこい演出(戦いシーンがとにかく長くて飽きてくる)が北京オリンピックの開会式を連想させた。今回の映画はpart1。part2は来年4月放映だそうだ。商売上手である。夜は兄貴家族、親父オフクロと恒例の会食。六本木も青山もまるでゴーストタウンのように人がいない。タクシーの運転手も今年は街に人がまるでいませんと驚いていた。

来年はいい年に

今日は朝から我が家の大掃除。先ずは自分の書斎。ここに引っ越した時に本棚だけは注文作りつけで大容量のはずだが限界。減る量より増える量の方が多いのだからいつかはあふれる。そんな分かり切った現実の前に呆然とするのだが、とにかく捨てるべき本を探す。まず小説類。村上春樹を娘に渡したら「村上春樹は高2まで読まない」と宣言された。では2年後にどうぞと言って娘の本棚に(強引)。残りは数冊かみさんへ。段ボール一箱分くらい見つけ出し地下のごみ置き場へ運ぶ。さてこれからが問題。ヴァールブルクになった気分で本棚の分類を再考。テプラを片手に新たな分類項目を増やしたり、減らしたり。机の上に積まれた大量の未読本をなんとか机脇の本棚に。午前中一杯かかったがなんとか終わる。そして場所はバルコニーへ。プラントボックスを移動し(これがメチャ重い)、底にたまった土や枯葉を掃き出す。そして中性洗剤とデッキブラシで1時間タイル磨き。それほどきれいにはならないがよしとする。次は風呂場。ドアのガラリが腐っている。取り外しでゴミをとって塗装し直し。タイル目地をカビキラーでこする。浴槽はバスマジックリンをかけてスポンジがけ。このあたりでもう体力の限界。そのまま浴槽に湯をはって入浴。ああ今日もよく働いた。
着替えて忘年会に。奥山氏、塚本夫妻、萩原氏、柳澤夫妻、木島氏。柳の塩尻は着工したそうだ。めでたし。笑い話が尽きないがリーマンショックは少なからずそれぞれに影響があったようである。しかしそんな話も笑いのネタに。来年は物価降下が工費に現れるはず。12月には1割はさがるとか。ポジティブシンキングで逆境をはね返したいところである。

December 29, 2008

はかなさ

松岡正剛『日本と言う方法』で仮名のことを読んだら興味が湧いた。かみさんの書架から古今和歌集を引っ張り出して読み始める。この程度の和歌なら注釈なしでもだいたいの意味は分かるし百人一首にのっているものもあるから身近である。文庫本で4冊もあり少々量は多いがずっと読んでいくと松岡が言うように「はかなさ」が美意識の根底に流れていることがよく分かる。気に入った和歌をいくつかノートに書き写す。最初の6巻は季節ごとの歌だが春と秋が多く2巻ずつ。万葉集と新古今の歌とも比べてみるとそのテーマもそうだが字も変化していることに気づくのだろう。
午後銀行行ったり郵便局行ったり、雑用を終わらせる。既に仕事は納めたつもりだったがやり残したこともあり事務所に。スタッフも数名来ていた。k-projectの担当T君は「現場に行って来ます」と出て行った。そうか現場は今日までである。九州の担当者と電話で話をして工務店に電話。まあこの仕事には振り回されっぱなしだが来年はうまくいくとありがたい。新年の祈願の一つである。年明けに大学へ出す書類を作り終えて帰宅。義姉が来ておりかみさんの着付けを手伝っていた。皆でピザをとって夕食。食後フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』上巻三笠書房1992を読む。アメリカ右傾化の一連の本を読んでいた時に買って読もうと思っていたのだが、上巻が絶版ので、古本屋に頼んでいたら今になってしまった。コジェーブの弟子だけあってヘーゲル解釈は入念(?)と誰かが言っていた。しかし読んでいるといささか牽強付会に聞こえる部分もある。

December 28, 2008

A0仕事納め

今年最後のA0勉強会。坂牛チームは残りの一章。辺見チームはエピローグの読み合わせ。相変わらず難し文章である。4月頃には終わるだろうか?僕の英語力は学生時代から徐々に落ちて来ている。何と言っても単語を忘れている。書けなくなっている。英語はもとより漢字も書けなくなってきている。そこで来年からはcpuに頼らずなるべくいろいろなものを手で書くことを自分に課すことにした。手が衰えると脳も衰える(ような気がする)。勉強会は5時頃終え、事務所に山積みのお歳暮ビールでささやかな忘年会。A0チームの博士あるいは博士課程終了者全員(3人)は学術振興会から奨学金をもらっている。倍率10倍の難関なのに、打率10割。強打者揃いである。たいしたものだ。ポスドクでもらえる金額は助教並と聞いたがかなり良い。その上教員の研究費などに比べてはるかに自由に使えるようで羨ましい。金と言えば、『言葉と建築』が第三刷でまた少し印税が入るし、『人間主義の建築』も来春に出せればこちらも少し印税がはいる。それらを元手にA0のPR(public relation)を図りたいところだが、何か名案はないだろうか?皆の意見は先ずは出版とのことだが、このメンバーでどういう本が出せるだろうか?いい企画を考えたい。

December 27, 2008

東京は温かい

6時の「ニイハオ」モーニングコールで目が覚める。軽く朝食をとり7時の迎えのタクシーでプードンへ。早朝は高速の渋滞がなく気持ちいい。しかしこちらのタクシーは寒いのに暖房をいれてくれないから凍えそうである。気遣いがない。8時半には空港に到着。プードンの新しい第二ターミナルはとてもきれいだ。第一と似たような波打つ屋根だがインテリアが洗練されている。余った元で少し買い物をしてからCA(China Air)に乗る。CAはANAと、MU(中国東方航空)はJALと共同運航している。多分それなりのサービス教育を日本の会社から受けているのだろうが、どちらもあまりいいサービスとは言えない。その上成田についてバゲージクレイムでアルミのスーツケースを受け取るとと見事にこぶし大のへっ込みが付いていた。派手に投げられたのだろう。まあ建築から、ホテルから、タクシーからいろいろなことががさつである。この調子だと文化は洗練されないぞ!!!タクシー、飛行機の中で松岡正剛『日本という方法=おもかげ・うつろいの文化』日本放送出版協会2008を読む。松岡は日本文化に二つの流れを見る。静かな日本と賑やかな日本。前者は俳句、和歌、能、日本舞踊、禅庭、数寄屋、などの省略の文化。一方後者は歌舞伎、東照宮、お祭の山車など華麗で過剰な文化。日本文化を縄文、弥生の二つの流れに分類対比するのは既に多くの人が行っている。僕の研究室で修士設計をやっているm君もそんな対比を読み換えて、「自然浸透型」と「自然表出型」なんて命名している。しかし松岡はこれらはどちらも日本の文化であり、実はその表層の対比の裏には共通の方法が隠れているという。そして話は古代日本に移り、倭の国から日本が生まれ、仮名の発明へと進む。今まであまり興味のなかった古代日本が現代文化と密接な関係を持って見えてくると急に興味深くなってくる。松岡は日本オリジナルで最も貴重な文化的発明はと聞かれたら迷わず仮名文字と答えるだろうと言っている。なるほど確かに日本人のこの不思議な輸入咀嚼文化の根っこがここにある。成田からリムジンで東京駅、丸善で来年用のノートなど買い帰宅。東京はだいぶ温かい。コートの下で汗をかく。

December 26, 2008

仕事納め

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午前中はナカジとゼネコンの技術担当とクライアントと建物をくまなく見る。工場部分に屋根がつき、トップライトと横連窓から入る光で場内はかなり明るい。工場の床は基礎梁無の土間コン。下地の砕石の代わりにレンガ屑で締め固める。塗装色について少々悩む。柱梁の骨を少し出すか?鉄骨梁の色に合わせ少し落としたグレーとして壁面は少し薄めにする。事務棟のインテリアはコストダウンで木の使用予定をとりやめ、モルタルペンキ。ほとんどの部屋がこのモルタルペンキ。グレーを基調とするも部分的に深紅として外壁の赤い龍と色合わせするか?現場を回ると体の芯から冷える。気温は長野並みか?屋根に上ると雨水が凍っていた。午後は再度現場を一人で回りながら、意匠的な落としが無いか見て回るが、日本の仕事とは勝手が違うし、4000㎡だから現段階では分からないことも多々ある。まあ仕方ない。夜はクライアントと鉄板焼きを食べに行く。食べ放題飲み放題で138元。約2000円くらい。ホテルは中国で最近流行っている錦江之星ホテル、チェーン店。一泊コーポレート価格で2500円くらいのビジネスホテル。ベッドはダブルで部屋も日本のビジネスサイズの1.5倍はある。しかし浴槽はなくシャワーだけ。エアコンは普通の家庭用エアコンが直付け。寒いので一晩つけっ放しである。テレビは100局以上入るが英語とフランス語の局が一つずつあるだけであとは中国語である。明日は7時のタクシーでプードン空港へ向かう。僕の仕事納めである。ナカジとクライアントの担当Aさんは29日まで残って仕事。御苦労様。

December 25, 2008

アート・インダストリー

5時にけたたましくなる目覚まし時計。寝ぼけた頭で家を出たのは5時半。成田に7時半。初めて乗るCA (china air)のカウンターは長蛇の列。8時40分発で上海時間の10時40分に着く予定が12時頃着いた。機内では遅れるなんてアナウンスは何もなく、入国審査も長蛇の列。ちょっと苛立つ。迎えの車に乗って現場に着いたのは2時半である。今年最後の施主定例に遅れてクライアントを待たせてしまった。いきなり会議で夜まで。ハードネゴだった。
車中、機中と辛美沙『アート・インダストリー』美学出版2008を読む。アートが商品としてどのように世界に流通し評価されていくのか?その実態を浮き彫りに。去年ヴェネツィアのグッゲンハイムでヨーゼフ・ボイスとマシューバーニーが2人並列に展示されているのを見たが、いったいどうしてこの2人なのかよくわからなかった。著者の説明はこうである。マシュー・バーニーはクレマスターシリーズ゙で一躍スターになったのだが、その後の拘束のドローイングは不評だったそうだ、その汚名を挽回して再度彼のポジションを確立するために、彼のギャラリーがこの展覧会を企画した。そしてボイスとバーニーを同列に位置付けることで再度バーニーの美術史上(市場)での位置を確立した。というわけだ。「美術史の文脈は自然に発生するものではない。作らなければならない。・・・・マーケットのないところに美術史など存在しない」と著者は言う。なるほどアートは本当にグローバル資本主義世界の中で立派な商品tとなってきたのであろう。もはや自動車や家電やファッションなどおよそ機能を超えたマスプロデザインアイテムと変わるものではない。いつか電通や博報堂がアートそのものを扱う日も近いし建築もそうなったっておかしくないかもしれない。

December 24, 2008

クリスマス・イブ

8時に学生と論文打ち合わせを予定していたのだが、目が覚めたら7時45分。珍しく寝坊した。梗概を読みながら落とし所を学生、助教と3人で打ち合わせ。卒論に続き黄表紙にできそうだと助教のアドバイス。意匠系の新たな論文の書き方を開発したいところである。来年は2本黄表紙を出せるか?その後博士課程の講座会議。その後今年最後の講義と製図。終わって夕食をとり冬休みの宿題(私の)用の資料をまとめて8時半のアサマに乗る。サスキア・サッセン『グローバル・シティ』の続きを読む。この本の醍醐味はデーターの読み込みにありそう。本文はむしろ読まず、グラフや表を追っかけて行く方が分かりやすい。その数値の中に東京、ロンドン、ニューヨークの実態がおぼろげに感じられる。東京のバブル崩壊が金融収益の激減に表れていたりする。数字は正直である。東京駅からJR中央線。四谷から家への途中でコージーコーナーの店内を覗く。ガラスケースのケーキは既に完売。無いと欲しくなるのが人情である。家に一番近いローソンで売れ残ったケーキを一つ。帰宅後早速このブッシュドノエルを皆で食す。結構いけると満足げ。500円で買える幸せ。

December 23, 2008

ヴァールブルク

昨日の雪交じりの曇天とはうって変わって今日の長野は快晴。10時ころのんびり大学に行き4年生の卒業論文の梗概を読む。7人の4年生のうち5人は設計で2人が論文。だから2ページの梗概の2ページとも埋まっているのは論文組の2人だけ。5人はコンセプト作りのための論文として半分だけが埋まっている。残り半分は設計図面が載るはず。3時ころ読み終わり2時間かけて一人ずつ説明しながら設計の進捗も見る。しかし見るべきものがない。あと1か月。できるかな?
その後昨日赤を入れたm2の梗概を渡し説明する。もちろんm2の方はハードルは高いので、どれもこれも真っ赤になっている。できる限り換える文章まで考えて赤入れしたが、全部は手が回らない。よく考えて直すように、という部分も多い。しかしそれが思ったように直らないのが例年のこと。どうしてだろうか?直す力が無いのか、直す気持ちがないのか?
夕刻読みかけの『図書館』の続きを読む。アビ・ヴァールブルグの書斎の話になる。田中純さんの書いた『アビ・ヴァールブルク―記憶の迷宮』にも記されていたが、彼は2~3日に一度書斎の本の並べ替えをしたという。そして、毎回その分類基準が変わったとか。基準を変えるということは自らの知のマップを常に最新の状態に更新するということでこれこそが知的創造において最も必要なこと。その意味でヴァールブルグの行為には頭が下がるのだが、そんな時間があったということが羨ましい。夜早めに研究室を出てリドリースコットのテロ映画をレイトショーで見る。最近テロをテーマにした映画を立て続けに4本くらい偶然見ている。まあどれもこれも同じような筋立てで。ラストはアメリカの横暴を皮肉る形で終わる。

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図書館建築勉強会に出席。丸善の方が米国図書館視察発表をしてくれた。しかし定量データーが少ないので建築を考えるうえでは分かりづらい。最後に発言を求められ、昨日読んだ本に書いてあった「本」の意義や、ライプニッツが語った図書館の価値(蔵書数や希少本の有無ではなく、その内容と来館者の質が重要)などをもとに僕なりの図書館の今後の改革像を多少披露。
12時に終わり走ってバス停へ松本駅スタバで軽く昼食。1時5分の特急しなので長野へ。2時半くらいからm2の修士設計の作品クリティーク。その後夕刻から修論の梗概を読み始めた。例年のことだがうんざりする作業である。しかしひとつだけ読むに値する梗概があった。その意味では例年よりましかもしれない。m2の分は赤を入れたので明日までに直させようと教員部屋を出たが学生部屋は真っ暗で誰もいない。階下に降りて製図室に入ったがいるのは2年生3年生だけうちの部屋の学生はも誰もいない???教師は孤独である。

December 21, 2008

図書館

刷っておいた年賀状に一言づつ(と言っても気の利いた言葉を考えている時間もなく)書いてポストへ投函。事務所に行ったらゴミ屋敷の中から伊藤君が出てきた。今日も忙しそうである。コピーをとり新宿経由で松本へ向かう。明日は信大の付属中央図書館の館長、副館長の依頼で将来の図書館構想の勉強会へ出席する。というわけで今日はアサマではなくあずさに乗っている。茅野を通り古谷さんの小さな図書館を横目で見て、今塩尻。柳澤君の図書館はどうなったのだろうか。長野の名建築の一つになることは間違いない。車中アルベルト・マングウェル著、野中邦子訳『図書館―愛書家の楽園』白水社2008を読む。空間としての図書館の章では昨今のスペース不足で本をマイクロフィルム化して廃棄する愚行に言及する。芝居を見るのとそれをDVDで見るのとは違うし絵画をみるのとそれを写真で鑑賞するのとは違う。同様にネット上で本のデーターを読むのとその本を読むのでは得られる情報が全く違う。マクルーハンをひくまでもなく「メディアはメッセージ」である。ご多分にもれず、わが大学の図書館もデジタル化構想の上にあり、本はほっとくと廃棄される。本の価値を再度見直さないと。

大掃除

12月20日
今日は事務所の大掃除。去年は26日に大掃除。夜から忘年会して27日から上海に出張していた。今年は少し早めに大掃除。いやはや毎年思うことだが、模型室やサンプル室から山のようにごみが出る。40リットルの袋にしたら50袋分くらいはあるだろうか?建物の前面にそれを積み上げるとまるでゴミ屋敷である。朝10時半から開始して2時くらいまでに捨てるものが運び出され、模型室、サンプル室、カタログ室が整理整頓され、それからやっと掃除機。そしてスクレーパーで床をスポンジたわしでこすり汚れ落とし。その後ワックスがけである。終わったのは6時くらい。まだ業者と打ち合わせをしているひとやら図面を描いている人やらいるのだが。大半は忘年会へ移動。今年はメキシコ料理。OB,OGも集まりしかしスタッフの一人は自宅で図面を仕上げ今晩送らざるを得ず欠席。それでも全部で14名。2次会は奇麗になった事務所で。朝まで組3名を残し帰宅。さて明日は年賀状でも書くか??

December 19, 2008

BT

午前中の講義、午後の製図を終えて東京へ、閉店間際の丸善に駆け込みめぼしい本を数冊宅配。帰宅すると頼んでおいた美術手帳12月、1月号が届いている。12月号は美術手帳60周年史。1948年の創刊からすでに700冊以上世にでている。そのすべての表紙が並べられているのが面白い。それを見ると、40年代はタイトルの下の図案が幾何学。モダニズムという感じである。その後50~60年代位までは図案の強い幾何学性は失われるものの、その形式は踏襲されていて「美術手帳」というタイトルが明瞭に分かる。これが70年代になるとタイトルはかろうじて読めるのだが、その下のデザインはイラストだったり、写真だったり、コラージュだったり多様になってくる。そして90年代タイトルの字体や大きさが毎号変わる。もはやレイアウトの形式は踏襲されない。700号の表紙の変遷はすなわちデザイン史を物語るものとなっている。
1月号は「今読むべきアートブック300」と題して未来/日本/ビジネス/批評/アーティスト/言論/感性鑑賞/美術館/制作/子ども展覧会/歴史/文学/地方/サブカルチャー/写真/建築などジャンルごとに10冊ずつがレコメンドされている。建築欄の推薦者は天内大樹氏で拙著『建築の規則』も上松先生、青木淳さん、北田さんなどの本と共に推薦していただいた。ありがたや。http://www.bijutsu.co.jp/bt/
さて300冊もあると読んだものも多々あるし、未読でぜひ読みたいものも多い。『The end of Summer Tanaka Kokih』は田中巧起の初画集だとか。見てみたい。売っているのかどうか知らないけれど津田直の新作写真集『smoke line』はモンゴルからモロッコへかけて透明な風が流れているようで興味深い。現代アートジャンルでは松井『マイクロポップ』や椹木『何にもないところから芸術が始まるは』は読。『観衆の成立』は興。日本のジャンルでは辻さん、山下さんの本は一通り読。土門拳の『風貌私の美学』は興。ビジネスジャンルでは先日『アートバブル』や『現代アートビジネス』など読。『銀座画廊物語』が興。美術批評のジャンルでは『グリーンバーグ』や『大辻清司』は読。『日本近代現代美術史事典』は多木さんと藤枝さんの監修ということで興。アーティストの身の上ジャンル。『金と芸術』は面白かった。世界のジャンルでは『vitamin d』や『ice cream』は事典として活用中。『芸術とマルチチュード』は積読。感性ジャンルさすがに半分以上読。『主体の学』『なぜ人は』『崇高』は読まねば。だいたい300冊の2割は読。2割は興。明日はアマゾンに注文。

December 18, 2008

体が痛い

昨日のダンボール詰めで体が痛い。やわな体になったものだ。その体に鞭打ち、段ボールを開けて中身を本棚に戻す。モノも言わず、飯も食わず20箱。3箱ほど大学に送ることにしたので本棚には少し余裕ができた。2時16分のアサマを目指し事務所をとび出て東京駅へ。しかし改札を抜けて電光掲示板をみたらその電車が掲示されていない。時刻表をよく見たら季節列車だった。こんなドジは初めてだ。おかげで大学のリスニング講習会に少々遅刻。車中柳家花録『落語家はなぜ噺を忘れないのか』角川新書2008を読む。著者は人間国宝五代目柳家小さんの孫。読もうと思った理由はタイトルの通り。なぜ長ければ1時間もの噺を忘れないのか興味があったから。しかしその答えは何も書かれてはいなかった。タイトルにだまされた。しかし兄弟子にあたる小三治の話がいくつか書かれており興味深かった。小三治は古今亭志ん朝とともに僕の中では2人の天才。大学の講習会後夕食をとりサスキア・サッセン著伊豫谷 登士翁監訳『グローバル・シティ―ニューヨーク・ロンドン・東京から世界を読む』筑摩書房2008を読み始める。内容が濃く手ごわいのだが、ネーションステートの話を先日読んだだけにグローバルの実相を見てみたく手にした。しかし厚くて重い。
鹿島出版から『言葉と建築』が順調に少しづつ売れ、ついに3刷に入るという嬉しいお知らせ。ついでに『ヒューマニズムの建築』の翻訳進捗状況を問われる。来春にはなんとか。28日が最後の読み合わせ。

December 17, 2008

レイアウト変更

朝一、雨の中リーテムに打合せ。議題が多く12時までしっかりかかる。終わって急いでk-project現場へ。外壁の半分くらいのパネルが張り終わっている。ほっとする。しかしいくつか問題に気づく。クライアントと相談である。近くで遅めの昼食。駆け足で事務所にもどる。今日は事務所のレイアウト変更の第一弾。ダンボールへ荷物の詰め込み。120箱用意しておいたが足りない。残りは紐で縛る。今日はそこで終わる予定だったが、ここで終わると明日仕事にならないということで皆で机の移動から、新たな棚(エレクタ)の作成まで終わらせる。新たな場所でコンピューターもLANに繋ぎ正常状態に戻る。1階に2人地階に(と言っても崖地なので明るいが)10人なんとか詰め込む。これでやっと模型室復活である。そうこうしているうちに12時である。飯も食わずやっていたので腹ペコ。

宿沢広朗

7時半のアサマに乗る。車中永田洋光著『勝つことのみが善である宿沢広朗全戦全勝の哲学』ぴあ2007を読む。宿沢は僕が中学生のころ早大ラグビー部の主将であり早稲田黄金期のスクラムハーフだった。自分はサッカーをやっていたのに見るスポーツとしてはラグビーが一番好きであり、その中でも早稲田が好きだった。そしてこの宿沢が卒業後ラグビーに進まず住銀に入行するもののオールジャパンの監督になりそしてラグビーワールドカップで一勝をあげたのである。そして住銀では専務執行役員まで務め心筋梗塞のため55歳で死去した。早すぎる死であった。何故早稲田出身でもないのに、結婚して大隈講堂のすぐ脇に住み、そして早稲田のラグビーをこよなく好きだったのかよくわからない。宿沢のころの早稲田は重戦車のような明治のフォワードに挑むそんなチャレンジ精神がありそれにあこがれたのかもしれない。そんな早稲田の象徴がこの小さな宿沢だったのだろう。電車の中で思わず昔の彼の姿を思い出し胸を熱くした。
帰宅してすぐに近くの医者に行く。インフルエンザの予防接種を受ける。大学事務から必ず予防接種を受けるように通達があった。大学センター試験の時の監督員数がぎりぎりでインフルエンザが流行ろうものなら試験が成立しなくなるからである。
午後は事務所で打ち合わせ、久しぶりの中国の状況を聞く。そして九州プロジェクトの問題点を協議。中国は見知らぬ土地の建築習慣に振り回され、九州はクライアントと工期に振り回される。

December 16, 2008

焦る

朝から溜まった雑用を片付ける。11時ころ八潮市役所の方2名が来られた。来年のワークショップの開き方、活動方向性などをディスカッション。わざわざ長野まで車で来られた。5大学すべてを回る熱心さに頭が下がる。午後はm1に長野ガイドを任せ、こちらはゼミ。ゼミの合間に会議が挟まる。その上一人の発表が理解できなくなり2時間費やす。そのうち夕方。今日は建築学科教員の忘年会。その幹事である僕は遅刻もできず。6時でゼミ終了。若干1名終わらず。最近休酒中であり皆が酔っぱらうのを冷静に観察する嫌われ役である。あまり美しくなく酔う人はいるもので我が身を振り返りぞっとする。忘年会を終わって大学に戻り、終わらなかった1名の梗概を読み設計を見る。梗概はダメ。設計は未知数。今のところ全員未知数なのだが、ちょっと遅すぎるのでは??it`s too lateになるのではと心配。学生にそう言っても平気な顔つきなのでこっちが焦る。

December 15, 2008

松本を見る

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松本市内の女鳥羽湧水 石臼の下の方からこんこんと水が湧き出ている

早々に起きて朝の露天風呂につかり朝食をとる。食事は昨晩同様山菜尽くし。少々飽きた。田舎の旅館に泊ると朝から食欲旺盛になるものだが、今日はそれほどでもない。
旅館すぎもとは美ヶ原温泉では名の通った老舗。九州プロジェクトのクライアントは俵屋を見て来いというのだが、時間がなくて行けない。なるべくチャンスのある時にきちんとした日本旅館を味わっておきたいものだ。松本なら杉本かと??誰かに聞いた。旅館中に趣味人である主人の好みが現われている。先ずはオーディオ。マッキントッシュの真空管アンプにJBLのスピーカーそしてガスホースのような電線。こんなセットが玄関、食事室、読書室などに置かれ、いい音を流している。それから調度品の絵画に器などなど。脱衣室に何気なく棟方の版画がかかっている(レプリカ?)朝食後そんな主人と話をしていたら松本民芸館は近いので行くことを勧められた。大正時代に柳宗悦に共鳴した民芸同志が駒場を本拠地として全国に組織化された。その一人である松本の民芸店の主人丸山太郎氏が作った博物館である。創設は昭和37年。現在は木造2階建ての民家調の作りで館内には松本民芸家具をはじめ世界中の民芸品が展示されている。僕は正直言うと松本民芸家具の濃い色と中途半端な装飾性が苦手ではあるが、いつかふっと「好み」になったりするときもあるかもしれない。
昨日松本の建築家Yさんに「松本観光するんですけれど見るべきものはありますか?」と聞いたら井戸めぐりを勧められた。なるほど松本市内には10近くの湧水があり流れっぱなし。近所の人は自由にもらえるわけだ。そもそもこの水は酒造りに使われており、現在は飲食店の重要な資源になっているようだ。松本は水の町と言うとぴんと来ない感じだがさにあらず。小さな水の流れが散見される。
昼食後、市立博物館で松本の歴史を見る。いやこれはひどい。松本たるものもっとしっかりとした展示をしないと恥ずかしい。その後、実は初めて松本城をきちんと見る。この天守閣はツインタワーであることに気づく。そのプロポーションと建ち方はなんとも美しい。内部は寒くて寒くてその上疲労がたまり途中階まであがって降りてきた。そして美術館に行く。新春屏風展を見る。長野は書のメッカ。歴史に残る大書家の屏風が展示されていた。宮本忠長さんのこの美術館にも小川のせせらぎがある。これも湧水だろうか?夜の特急で長野に戻る。

December 13, 2008

山岳建築シンポジウム2008信州

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スイスイタリア語圏の建築家ルイネッリ氏、「いい仕事があったらおれに回せ」と軽快なジョークを飛ばしていた

7時ころ松本キャンパスの宿舎で目が覚める。外を少し散歩。さすがに松本は寒い。ダウンのロングコートが嬉しい。10時からシンポジウムhttp://ims.shinshu-u.ac.jp/081211.pdfが開催され。最初のスピーカーは私。そして助教の梅干野氏、筑波大学の安藤研究室の研究員でポスドクで信大に所属した樋口さんと続く。私のテーマは山岳建築の実践。梅干野氏のテーマは日本の山岳建築。樋口さんは日本とスイスの山岳建築の比較である。そして午後はスイスの建築家であるルイネッリ氏http://www.ruinelli-associati.ch/そして美術史家として建築の批評を多く行っている、レッツア・ドッシュ氏の講演である。ルイネッリしのテーマは私と同様自作の紹介である。ドッシュ氏は「建築と山岳景観」についてである。そして全員のシンポジウムへと続く。
スイス建築については日本の人にとってはボッタに始まり、現在はヘルツォーグ、ズントーというビッグネームにひっぱられやすいのだが、実は町医者のような建築家がとてもいい仕事をしているのだということを知らされた。ルイネッリ氏も町医者の一人でありながら、ヨーロッパの山岳建築の金賞を受賞し、作品集もある素晴らしい建築家なのである。彼らの特徴はシンポジウムの時に図らずも言った言葉に象徴される。それは「人が好むものを作るのではない。人の好みを気にしているとそれはポストカード建築になる」という。ポストカード建築とは素敵な一瞬を写真にしたキッチュなものである。日本的に言えばフォトジェニック建築と言うことになろうか?そして彼の作るものは「建築の質なのだという」。いかにもスイスの建築家が言いそうなことである。
樋口さんはズントーの事務所にいてルイネッリのところに移ったのであるがズントーと言う人はまさにこのルイネッリの言うような建築思想の人に見える。しかし樋口さんに言わせると、ズントーは人の好みを気にせず、質を追い求めているうちにいつの間にかローカリズムの建築家が世界的な建築家に祭り上げられた自分に驚いている、、、、ふりをしているのだという。へー。役者だなあ。しかしスイスにはそういう役者が生まれる土壌となる本当の質の高いローカルなアーキテクトがいるということである。昔のティッチーノ派の建築家たちを思い出す。
シンポジウムを終了後私は松本にもう一泊する。いつも長野と往復しかしないことを反省、明日はゆっくり松本を見ることにする。

温泉

講義と製図を終えて長野中心街のトイーゴという名の再開発ビルに向かう。「山岳建築シンポジウム2008信州」の二日目レクチャーシリーズである。スイスの建築家ルイ・ネッリをはじめ3名によるレクチャーが行われた。なかなか面白いものだった。その後大学の車で学生も乗せて松本へ向かう。本部にある教員宿泊施設に来て風呂がないことが分かる(あるのだが湯がはられていない)そこで皆で近くの温泉:浅間温泉に行く。車で10分、ある宿の風呂を借りる。露天風呂もありなかなかである。キャンパスから10分に温泉のある大学も珍しいのでは。信大の一年生は松本のこのあたり住み温泉コミュニケーションをはかるとか。

December 11, 2008

ナショナリズム

アサマの中で昨日読み始めた『民族とネイション』を読み終える。因みに昨日引き合いに出した「ナショナリズム」について、この本では様々な解釈が紹介されている。そのひとつに次のようなものがあった。「エスニックナショナリズム」と「シビックナショナリズム」という対概念である。これはエスニックな構成員のまとまりを重視する立場と、構成員については多様性を認めルールによる国家というまとまりを重視する立場とを対比させた概念である。前者の例は例えば東欧諸国の民族自決がそれである。後者の例は昨今のアメリカなどであろう。冷戦構造が崩壊しグローバル化が促進されればされるほど境界の意識は顕在化する。グローバールとローカルの拮抗は当分政治的にも文化的にも大きな問題である。午後大学でm2のゼミ。終わって多量なメールを確認返信。明後日のシンポジウムのパワポをチェック。「国際山岳建築シンポジウム2008信州」http://ims.shinshu-u.ac.jp/081211.pdfと題して僕も30分話し、その後数名のシンポジウム。30分しかない上にドイツ語の翻訳も入るので厳選しないと何も言えずに終わりそう。山岳建築について信州で会議をするなんていうことは典型的な文化的ローカリズムである。そしてこうしたローカリティをグローバルに連結させることはもはや時代の趨勢なのだろう。送られてきたカーサブルータスが「ニッポンの旅」特集。松本もいろいろ出ている。おっ、よく見ると明後日泊る予定の「旅館すぎもと」が小さくでいていた。有名な旅館なんだ。

December 10, 2008

朝一でk-project現場。足場に乗って周囲をぐるり。トップライトが全部ついて昨日の雨も問題がなかったようだが、まだディテールが完ぺきではない。地下ピットスリーブ回りのおさめその他気になる点の修正を所長にお願いする。この建物では家具が単なる収納ではなく建築の構成の重要な位置を占める。その材料として、二タックスのベニヤを指定していたのに工務店が拾い忘れいてた。そこで大工さんと相談していたら二タックスを5ミリずつ切ってランバーコアの木口に貼り付けようと言いだした。凄い発想。とその自信。ちょっと嬉しい提案である。内装の色の気になるところなど1/30の模型を作ってスタディするよう担当のT君に指示。年内には外装が張られる予定。木造でシルバーの外装は初めて。午後自宅で作業。夕方事務所で打ち合わせ。会計事務所から質問メール。電話で返答。帰宅後塩川伸明『民族とネイション―ナショナリズムという難問』岩波新書2008を読む。エスニック、民族、ネイション、ステイトという語の定義から始まり、その言葉のはらむ問題に迫る。この本にも指摘されているがこれらの語の定義も使用法も時代と人で大き変わるという。昨日読んでいた本にはナショナリズムとは国家主義ではなく、国民主義であると書いてあったが、さて今日の本ではいかに?

保守を思う

いろいろと用事が会って都内を駆け巡っていた。師走である。昼間事務所によると、年末のレイアウト変更の際のダンボール詰めは120箱になるとのこと。まあそうだろうなあ。大変そうだ。夜帰宅して昨日の佐伯さんの『自由と民主主義をもうやめる』を読み終えた。保守という概念がアメリカではヨーロッパのそれからほぼ180度転回したことを再確認する。そりゃそうだ。ヨーロッパがいやになって新大陸に行ったのがアメリカ人。だから彼らの保守はヨーロッパにとっては革新だ。そして著者はこのアメリカ流保守ではなくヨーロッパ流保守を守るべくこんなタイトルの本を書いたわけだ。しかしどうも伝統論者の愛国の話になると僕はついていけない。なぜ保守主義者と言うのはアプリオリに文化というものを歴史と伝統の上に置くことを疑わないのだろうか?先日の朝日の論説主幹の言葉を思い出す。「君が代斉唱の権利を否定しないが斉唱しない権利も認めるべきだ」。同様に、文化は伝統の上に成立することを否定はしないが、伝統がなくても生まれ得る文化の存在も僕はその可能性を否定しない。だからこその文化の多様性と意外性が生まれるのであろう。保守主義者の文化論は静的で耐えがたい。

December 8, 2008

シージェイ・リムのドローイング

今日は事務所到着一番。まだ日直も来ていない。僕の家が事務所に一番近いのだから、まあ当然かも。僕の次にスタッフのT君、そしてYさん。坂牛チームがやってきたので、さっさと打ち合わせをする。九州プロジェクトはコストの方向性がはっきりしないのだが、コストコントロールをしない契約なのでそのあたりは現地にお任せ。こちらは残りの図面づくり。午後は来年の早稲田の書類やら信大の事務書類やら作成。夜、南洋堂にシージェイ・リムの展覧会オープニングに出かける。今村君が企画した展覧会。シージェイは日本初の個展だが、この時期に同時に3つの会場で彼の作品が展示されているとのこと。とても温和な誠実な感じの人でありゆっくり話したかったが、人も多く先に失礼した。南洋堂にはドローイングだけしかないがこれが実にうまい。繊細な手書きのドローイングに紙の切り抜きと厳選されたレタリング。余白が多いが計算された美しさである。CGがあまりに無計画に多用される昨今、こういうドローイングは清々しい。特に無意味にただ大きいだけの模型写真と余っちゃった余白しか作れない学生は見習ってほしいのだが。南洋堂に行く前に三省堂に寄って本をぺらぺら。もう政治本は買わないつもりだったが、タイトルに誘われて『自由と民主主義をもうやめる』幻冬社2008を買って読む。著者は京大保守派の佐伯啓思。保守ではない私だが、保守とそうでないものとの差が混乱する中、本当の保守とは何なのか?自称保守の彼の意見も拝聴しよう。

December 7, 2008

原美術館に嫌われた

先々週見逃してしまった米田知子の写真展を原美術館に見に行こうと昨晩決めた。今朝起きたら、森美術館でインドの現代アーとやっているのを思い出した。その上朝食をとりながらテレビをつけると日曜美術館でワイエスを紹介していた。僕の最も好きなアーティストの一人である。さて困った。どれを見るか?米田は外せない。森美術館は近い。森に行って原に行くことにする。チャローインディアを見て大江戸線で大門に出てjrで品川。タクシーで原美術館。いやな予感。門が閉まっているではないか。昔もこういうことがあった。どうもここに来るときは会期をきちんと見ない癖がある。米田知子は先週で終わっており、今日は準備期間で閉館であった。ショック。仕方なく五反田に出てjrに乗る。渋谷で降りてワイエスを見ようか迷ったが新宿経由で帰宅。午後インド展のカタログを読み、ネットに感想など記しながら、テレビで早明ラグビーを観戦。嘘みたい。リーグ戦2位の早稲田が6位の明治に負けちゃった。先週は東海が明学に勝つし、番狂わせの連続である。
最近政治本を読み続けていた。大澤真幸の『自由の条件』を読んだあたりからもう少し突っ込んで状況を確認したいと思ったからだろう。それでアメリカの保守化、右傾化、日本の左右などを読んでみて一段落である。今日は高橋悠治のアンソロジー『きっかけの音楽』2008を読む。武満もそうだが正直言って音楽家の文章は建築家のそれ同様分かりづらい。グールド批判などは分かりやすいのだが抽象論になるとちょっとつらい。

初冬

12月6日
午前中代々木公園に所用で行く。終わってから公園を散歩する。昨日の雨も上がり、初冬の公園は清々しい。ベンチに座って本を読んでいるとその昔UCLAの木陰の芝で寝転がって読書した感覚がよみがえり懐かしくなる。疲れて近くのカフェで続きを読みながら昼をとる。仲正昌樹編の『現代思想入門』php2007をつまみ食い。現代の思想史の中で一体リベラリズムがどう位置づくのかを見ておきたかった。その部分を書いているのは北田氏。ロールズ、ノージック、ポパー、ローティーの位置づけや、リベラル、リバタリアン、新保守、権威主義の差を生み出す基軸も明瞭になる。門外漢には入門書も便利である。帰宅して若宮啓文『闘う社説』講談社2008を読む。朝日の論説主幹であった著者の2002年から2008年3月までの社説づくりの闘いが語られている。戦いと言うのはもちろん様々な意味で使われているが、右よりの読売、産経社説との応酬の意味が強いようだ。ナベツネ(つまり読売)が靖国参拝について手のひらを返したように反対の意を表し著者と対談し『論座』に掲載されたなんていうことがあったのには驚いた。やはり新聞も世論には勝てないということか。夕方風呂に入りながら小坂修平『思想としての全共闘世代』ちくま新書2006を読む。昨日呼んだ『I LOVE過激派』に通ずる60年安保から70年代にかけての闘争史である。この本、既視感ならぬ既読感があると思って本棚を探ると同じ本が出てきた。2年前に読んでいた。

December 5, 2008

I LOVE 過激派

10時前に長野駅に着いたら結構な雨である。傘をさそうとして事務所から留守電が入っているのに気づく。この雨だと自転車に乗りながら電話をするわけにもいかない。仕方なく駅構内で電話。内容が込み入っていてなかなか切ることもできないし、講義の時刻も迫ってくるし慌てた。
午前中講義、午後製図。後期後半課題の最初のエスキス。学生はテーマシート(コンセプトをポスターのように描いたもの)を作成してきているのだが、これがひどい。何だこれ?ヤル気あるのか?一気にエスキスの気力を失う。
製図後に飯食って雑用を片付け7時半のアサマに乗った。すると本庄早稲田あたりで「何か」が起ったらしく、軽井沢で電車が動かなくなった。止まること2時間半。その間、早見慶子『I LOVE過激派』彩流社2008を読む。この本は何かの書評に載っているのを見てamazonに注文したもの。著者は1958年生まれだから僕の一つ上。理科大の薬学科在学中から活動を始め共産主義同盟の戦旗派の中で活動していった人である。過激派と呼ばれる組織の中でのオルグ、山岳訓練、そしてアジトでの洗濯、睡眠、そして恋愛まで。普通の一人の人間像が見えてくる。ほとんど同い年の活動家の生活や信条には素直に共感する部分もあるのだが、理解を超える部分も多々ある。しかし、同じ時代に起きた事件の裏側が透けて見えるようでありとても興味深かった。日本の新左翼のこうした活動は昨今社会学者(北田や大澤)が分析し始めている。しかし僕には抽象化された彼らの言葉は実感としては伝わりにくい。それは、僕が社会学のセンスを持ち合わせていないか?あるいは無意識のうちに新左翼の活動に肩入れしているからか?よくわからないが。

December 4, 2008

年末雑務に追われ

今日は自宅勤務である。事務所の年末調整とか、年末のアルバムとか、いろいろ登場する書類の整理に追われる。その間事務所からくるメールを見ながら、(目と鼻の先なんだから事務所まで行ってもいいのだが)、電話とメールでやりとり。K-PROJECTの界壁遮音性に悩まされる。透過損失55DB(マンションの界壁程度)程度欲しいのだが現状とれていない。明日までにそれを可能とする最も安い改善措置をクライアントに提示しないといけない。しかしネットは便利だなあ。欲しいデーターは30分もあれば手に入る。細かいところは明日スタッフに調べてもらえばなんとかなりそうである。夜は飯山雅史『アメリカの宗教右派』中公新書クラレ2008の続きを読む。アメリカは自由奔放の国である故自由奔放であることを守るのが右であり保守。それに対して国の関与を増やして富の再配分を行うのがリベラルであり左。ここを間違えるといろいろなことが逆になる。

December 3, 2008

トップライト

朝一でk-projectの施主定例。現場は毎日凄い職人数である。今日は大工3人、板金屋1人、ガラス屋4人、それから知らない職人数名。クライアントは1月から転勤だそうだ。ある大きな支所の支所長となるとのこと。家を建てると男は病気をするか転勤になるとよく聞く。僕のクライアントにもよくおこる。連窓の家#1では竣工とともに転職。連窓の家#2では竣工と同時に転勤。そして今回である。しかしいずれも栄転なのでめでたい。せっかく作った家が当分お預けとなるのは可哀そうではあるが。今日はガラス屋4人がかりでトップライトのガラスを屋根に引き上げていた。でかいだけに一枚あげるのに1時間近くかかる。はまった場所を下から眺める。ああトップライトはいい。ガラス越しに見る空は大好きである。そしてこの空が内部化されると思うとなかなかこれはいい部屋になりそうである。空と段差と家具の低さ。この取り合わせは今までの僕の設計にはない動きを感じる。
午後事務所に戻る。昔のクライアントが来所。施工した工務店が倒産となり今後のメンテナンス方法などの相談である。昨今この手の話はいろいろ聞くが、困ったものである。こういう場合の対応はケースバイケースでしかない。倒産と言ったってさまざまである。

December 2, 2008

電話

電話、電話、朝から方々へ電話。電話嫌いの僕でも電話しなければならないこともある。電話嫌いといってもメールより好きである。メールは電話以上に誤解を多く生むのでむずかしい。相手への暴力ということを差し引けば電話の方がメールより効率的なコミュニケーション手段である。瞬時に言いたいことの核心へ迫れる。メールが有効なのは一回に多数へ情報を送る時と、一回に多量の情報を送る時だけだ。
その昔親父が毎朝電話をしまくっていたのを思い出す。少なくとも2時間はしていただろうか、相手の人数は分からない。しかも自宅の2階の自分の部屋の窓を全開にして近所に対して演説するかのごとくであった。これはなんとも恥ずかしかった。
午後事務所でパートナーたちとレイアウト変更について延々議論。下階にもうひとつ机をいれるかどうかでああでもないこうでもない。下の階の席をひとつ増やして模型コーナーを元に戻すことに異論はないのだが、それをいかに簡単に行うかで焦点が定まらない。しかし結局最初の案に戻る。3日がかりで、レイアウト変更と大掃除を行う方針決定。その後九州プロジェクト、k-project打ち合わせ。夕刻、読みかけ本に加えもうひとつアメリカ右傾化の本、飯山雅史『アメリカの宗教右派』中公新書クラレ2008を読む。アメリカ人口の4分の1、約7000万は福音派に属し彼らのほとんどは神が現在の地球上の姿を作ったと信じている。では残りの4分の3はダーウィンの進化論を信じているかと言えば、さにあらず。そうしたアメリカ人は国民の4分の1に過ぎない。

December 1, 2008

住みにくい世界

午前中学科会議。修士実務年数の話その他もろもろろ3時間くらいかかる。なかなか重い話である。午後学部生の卒業論文ゼミ。今日は梗概も書かせたが読まないことにした。どうせただ書いただけだろうと感じたから。失礼な邪推かもしれないが、毎年最初の梗概は読めたものではない。きちんと考えたのか?推敲したのか?20回読んでからもう一回持ってこいということで今日は返した。ゼミが夕方終わり学科長が部屋にやってきてまたまた重い話をされた。何の権利があってそんなことを言うの???と言いたくなったが、まあもしこれが民間企業なら普通だなあと思い承諾。でも一体僕はどちらの感覚を持って大学で生きていけばよいのだろうか?行政法人国立大学というのは民間なのか公共なのか?よくわからなくなる。
帰りの電車で読みかけの『アメリカは、キリスト教原理主義・新保守主義にいかに乗っ取られたのか?』を読み続ける。それにしても題名の長い本である。最近の流行りだそうだが。この本を読んでいるとレーガン以来のアメリカの着実な右傾化が伝わるのだが(民主党政権の時でもそうだという)オバマになると少し変わるのだろうか?なんだか確かに世界はアメリカの右傾化のおかげで住みにくくなったような気がする。また熱が出てきた。気分が悪い。