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April 30, 2010

ザ・ヒューレ(質料)


信大の大学院の授業で拙訳『言葉と建築』を教科書として使っている。そして毎週講義のホームページに小さな問いを書きその答えを要求する。
先週の問いはこうである。
「デザインとは概念(イデア)とモノ(モルフェとヒューレ)との相克であるというのがつまるところの今日の話なのだが、建築を見ていると、ああこれはイデア先行型だよなとかモルフェだけだよなぁとかヒューレだけでモルフェがないなあとかそのバランスが悪いものが多々あるのではなかろうか?僕の建築も当初イデア先行型だと坂本先生に批判されたのはArchitecture as Frameを読んで頂けると分かると思う。そこで君の経験した建築においてイデア、モルフェ、ヒューレの視点からそのバランスについて批評してほしい」
これに対して、「モダニズムはイデア先行型建築であり、大学の製図もイデア先行型であり、そんな建築に興味はない、僕はモノの建築が好きだし、作りたいという」というような答えを記す学生が少なからずいた。
そんなレポートをウエッブ上で読んだ後、期せずして先日お送りいただいた『竹原義二の住宅建築』toto出版2010の写真をめくった。「これぞまさにモノ建築!!!」思わずため息が漏れた。ここには概念で建築を語ろうなんてみみっちい作法は無い。「張りつめたプロポーションが作り上げるモルフェの緊張感と、ウソ偽りの無いヒューレの衝撃である」。なんて勝手に竹原宣伝マンになったような気分でページをくくると藤森論文に遭遇した。題して「竹原城の謎」。一体何が謎かと言うと、竹原義二の仕事はその独特の作風を知ってはいても言葉にできないというのである。曰く「言葉という道具は、トンガッタ思想やデザインを把むには適していても、誰にでもすぐわかるような目立つ先端分をもたない存在にはむいていない」これぞまさに竹原がイデアを後景化しモノを先行しながら建築を作っていることを物語っているのである。しかし、ヒューレのヒューレたるは写真なんぞでは分からない。一度本物を見たいものである。竹原さん今度見せてください。
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April 29, 2010

GW出張

いつもより30分早いあずさに乗るべくあわてて家を出る。新宿の改札であずさ回数券を入れるのだが通らない。ゴールデンウィーク中は回数券が使えないことを思い出し慌てる。券売機で特急券を買って乗りこんだのだがその電車はスーパーあずさ。検札の車掌さんが「これは塩山止まりませんよ」というので「八王子で乗り換えるつもり」と言うと、別途慮金がかかりますと言う「なんで?」と聞くと「今回は結構ですから次回は気を付けてください」と言って去って行った。僕は「なんで」と聞いたのであって料金を払わないとだだをこねたわけではないのだが。いまだに理由は分からない。八王子で乗り換えた「はまかいじ」と言う鎌倉から来た特急に乗る。これがひどく旧式な電車。トイレは駅弁トイレで窓も開く。なんだか田舎の電車と言う感じでのどかである。車窓の風景は春うらら。と思いきや八王子を超えて山を抜けたら大雨である。なんだこれは?塩山も土砂降りである。先週渡した25枚の展開図への細かな指示を延々と聞いた。終ってこちらから5枚の建具表を説明。だんだん打合せも細かな話へ入り込む。午後は甲府へ。こちらは殆どのことを決めて後は図面。ひさしぶりに日のあるうちに甲府を出る。帰りの車中はジャック・アタリ斉藤広信訳『1492西欧文明の世界支配』ちくま学芸文庫2009を読む。先日小巻さんに勧められた本である。しかしこのジャック・アタリの博学には恐れ入る。こんな人が世の中にいると思うと本を書こうなんて100年早いと言う気になってしまう。

「けらば」の出

朝から豪雨。午前中某建物の補修工事の件で防水業者と電話で押し問答。防水保証の10年の前に亀裂が生じているので早急に現地視察して処置するように言う。けれどもなかなか気持ちよく動かない。やっと日程調整しクライアントに伝える。午後は5月のプロジェクトスケジュールを入念に作る。現説、見積もり、など細かな締め切りが波打つように迫ってくる。こういう緊張感も久しぶり。今年は本格的にGWが無い。その後明日の甲府遠征のための打合せ。その途中で淡路島の屋根瓦屋さんが来る。現状の設計を見ながら細かにアドバイスをもらう。特にけらばの機能性とデザインについて。僕らはけらばと壁面を面一で納めようと考えていた。同様のディテールを参考にしようと思い、新建築を見ていたら類似事例にこの淡路島の瓦が使われていた。そこでお呼びしていろいろ納まりの原理を聞いていたのだが、「屋根は軒でもけらばでも少なくとも300くらいは出さないと壁が落ちる」と言うのだ。「ではこれは大丈夫だったのですか?」と類似事例の写真を見せる。「うーん大丈夫かなあ?設計者がけらばの出を無くしたいと言っていたからこうなっているけれど」と言う。T工務店が施工しているのだから安心と思いきやそうでもないわけだ。「でも長野でも古い土蔵などけらばは殆ど出てませんよ」と反論するのだが、「ああいうけらばの出の無いしっくい壁は落ちます」とあっさり言う。ここまで言われると方針変更。けらばの出し方を議論していたら夜になった。もう一つのプロジェクトの建具表とにらめっこ。なんとも建具表だけで5枚ある。この建物いかに室が多いかである。展開図は25枚、建具表は5枚。簡略化する必要は無いのが見やすくしないと間違える。

April 27, 2010

越境する批評の可能性

午前中ゼミ。暖房の効きが悪い上に外装工事をしていて窓が全開にされる。寒くて集中力が切れる。午後は製図のエスキス。これもどういうわけか暖房が故障。今日はたたられている。夕食後学生の就職相談やら、クライアントに電話をしたりで遅くなった。乗れた電車は9時。車中思想地図vol5の佐藤俊樹の論考「サブカルチャー/社会学の非対称性と批評のゆくえ―世界を開く魔法・社会学編」を読む。これは昨日読んだ北田の論考が多く依拠していたものである。つまり、この中に北田が思想地図を降りる理由がもっと明快に書かれているはずなのである。そう思って読んでみると期待を裏切らない内容であった。彼の論理はこうだ。サブカルも社会学も売れるものと売れないものがある。一方サブカルも社会学も先端をゆくものがある。そして売れるものが必ずしも最先端のものではない。しかるに0年代の批評なるものは最先端のサブカルを売れる社会学で説明しようとすることでねじれ現象を起こしていると問題提起する。そして売れた(ている)社会学者として宮台と大澤の批判をする。そして結論は最初の問題提起に戻り、それら売れた社会学のみを使った0年代批評の批判となるわけだ。この批評の担い手の実名は挙げられていないがそれは言うまでもない。そしてこの批判こそが、その人間と手を組んで批評を連ねる北田を思想地図から引きずりおろす原動力となったことは想像に難くない。ここにはアカデミズムとジャーナリズムの相克に加え領域を超えた批評の在り方が批判的に語られている。個人的には建築を社会学的に語ろうと思っていた(もはや昨日その野望は捨て「社会的」程度に格下げしたのだが)僕にとってはまたしても厳しい文章である。しかし人文の知による数理的な知の乱用は言うに及ばず(アラン・ソーカル『知の欺瞞』)建築学に越境してくる知に我々もたびたび違和を感ずる。表象やら美学の議論が建築を語り始めると思弁的過ぎるか制作を無視しているかでリアリティを感じないことが多い。それでも僕は越境を良しとしたい。専門分野を越境する時には欺瞞や誤謬やケアレス・ミスは起こり得る。もちろんそれはあってはならないことなのかもしれないが、それでも戦線縮小して自からこの殻に閉じこもっていては学の閉塞が学の鮮度を低下させると信じて疑わない。批判を恐れず行動する勇気が必要だと思わざるを得ない。

April 26, 2010

社会の批評

朝のアサマで大学へ、車中思想地図vol5「社会の批評」の北田論文を読んだ。なんと彼はこれを最後に思想地図を降りるようであり、それなりの決意の責任編集のようである。素人の私には北田氏がここで主張していることを正確には記せそうもないので控えるが、その昔専門家から聞いた社会学の難しさ(社会という対象の同一性を確保する基準、社会学を語る主体自体が既に社会の構成員であること、等)がなんとなーくひしひしと伝わってくる。加えて今まで生半可に興味を持っていた社会構築主義――特に昨年まで信大にいらっしゃった赤川学氏の著作などもその位置づけが克明に記されていた。これほど厳密な議論が社会学には必要であるのかと改めて感じざるを得ない。社会学的に建築を論じるなんて言う野望はどう贔屓目に見ても建築家をやりながら片手間でできるようなことではない。まあそんなことは分かってはいるのだが、、、、、「社会学的」になどと言う野望はさっさと取り下げて、「社会的」にくらいにしておかないといけない。まあこれがKさんに言われた「建築家として」書くということでもある。しかし学際分野を架橋するのだからそれなりの方法論を備えておきたいところだ。うーん。今度祐成先生とお会いした時にヒントを頂こう。
昼前に大学に着いて研究室で講義の準備をしていたら学生がどっと入ってきた。誕生日ケーキと、ワインと、ワイングラスのプレゼントである。ありがたや。ケーキをしこたま食べたらお腹がパンパンになった(ワインは飲みませんが)。午後から講義、ゼミ、即日設計。講義は『言葉と建築』「デザイン」の章。ゼミ輪読はヴォリンゲル『抽象と感情移入』。終ったら6時ころ。部屋に戻ったらご飯を食べに行く元気もなくなり、五十嵐太郎『建築はいかに社会と回路をつなぐのか』彩流社2010のページをめくる。ジェンダーのところが気になって読み始める。なかなか参考になる新たな知見がある。少し勉強させてもらおう。

April 25, 2010

スチュワート研で焼肉食べる

朝から原稿と睨めっこ。いままで書きなぐってきたものを、見直して使えるレベルにブラッシュアップ。夕方ジムに寄ってから銀座へ。スチュワート研の集まり。僕の出版の祝い、スチュワート先生、辺見への御礼、岩下シンガポール赴任の送別、ついでに僕と岩下の誕生日。北大から小澤が来られる日と言うことで今日になった。場所は藤田が選んでくれた正泰苑 (しょうたいえん)銀座店なる焼肉屋。さすが竹中工務店銀座に詳しい。4丁目から歌舞伎座の方に歩いて行って右側だが、その真ん前で鹿島の石張りビルが立ちあがっていた。後で聞いたら三越だとか?三越?ということは伊勢丹??まあ納得。着いたらお店は既に満員。人気店と聞いていたが、確かに。2週間前に予約をいれておいたからはいれたようなもの。肉がとんでもなく美味しくて値段も悪くはない。使える店である。今年はゼネコン設計の就職はかなり少なかったようである。来年は一体どうなるのだろうか?帰りは銀座から丸ノ内線で帰る。宮迫千鶴の『《女性原理》と「写真」』国文社1984を読んでいたのだが気が着いたらお茶の水。また逆向きに乗っていた。中央線に乗り換えようかと思ったが、ゆっくり読書と思い、ただ逆向きに乗り換えた。

April 24, 2010

最近心と体が分離する

昼ころ富山大学助教の横山天心君等が設計した住宅のオープンハウスに行く。場所は阿佐ケ谷。快速で荻窪まで行き乗り換えるのだが、間違って下りに乗る。終りの時刻が早かったので危なかった。最近乗換で逆に乗ることが多い。先日も早稲田に行く時、九段下で乗り換え船橋方面に乗ってしまった。あぶなく遅刻するところだった。注意力散漫。というか全然関係ないことを考えて心と体が分離するのである。
横山君の建物は旗竿敷地に建っている。旗竿の方に間口の狭い入り口部分を突き出して、入るとすぐに2階に上がるようになている。青木淳さんの住宅にもそんなのがあったような気がする。その玄関の上には写真のように壁面から板が倒れてきて段々畑のようになり玄関土間の上に作られた床部分(小さな読書スペースとなるそうだ)に行けるようになっている。
玄関から2階に上がると居間。トップライトから落ちる光がまぶしい。よく見るとその光の下にはガラス製のテーブル(天板だけではなく脚もガラス)が置かれそのテーブルの下の床もガラス。トップライトの光が1階まで落ちる仕掛けになっていた。その他にも玄関の床がとれてブーツ入れになっていたり、いろいろとデバイスのある家だった。オープンハウスを後にして四ッ谷に戻りジムに寄る。久しぶりである。スタジオでダンスをやっていたら「どうしました」と先生に聞かれはっと我に戻る。昨日のKさんとの話を思い出しながら原稿のストーリーに頭が憑かれていたようだ。その間しばらく体が止まっていたらしい。ここでも心ここにあらずである。
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日本のモダニズムのオリジンは?

事務所で昨日の甲府遠征のアフターミーティング。2時くらいから始めるのだがいつも7時近くまでかかる。南洋堂からお電話。拙著Architecture as Frameを来週から販売するとのこと。嬉しいお知らせ。
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http://www.amazon.co.jp/gp/product/4883617289/ref=s9_simh_gw_p14_i1?pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_s=center-1&pf_rd_r=18KWAC2E3E1JCESEPJSM&pf_rd_t=101&pf_rd_p=463376736&pf_rd_i=489986

アマゾンはどういうわけか在庫があるのに発送できずにいる。御待ちの方は是非南洋堂でお買い上げください。
夜Kさんと食事。1年くらい前に「何でもいいから書いてよ」と言われて「いいよ」と生返事していたのだが、1年の間に書きたいことが煮詰まったので企画書にして持っていた。おそるおそる「これ」と差し出したら、しばらく読んでいて「いいんじゃないですか」と言われほっとした。ただ条件を付けられた。「建築家として書いてください」である。これはちょっと難しい。「それってどういうこと?」と聞くと「直感的に言いたいことを言ってください」ということである。少し考えてみないと分からない。篠原一男のように書けということなのだろうが、、、、、、、やれやれ。
Kさんは昨日、あるところでシンポジウムをしている。その話を聞いた。「何話したの?」と聞くと「日本の現代建築のオリジンは西洋のモダニズムであるというのは定説だし、その通りだが、本当にそうだろうか?それだけだろうか?日本独自の文化、特にその抽象概念を無意識的に引きずっているのでは?ということを話した」と言っていた。これはとても面白かった。Kさんは外国雑誌の日本版の編集などもされているのだが、ヨーロッパでは建築の評価はとても歴史的であり、歴史抜きに建築は語れないという。そんな中で日本の建築が評価される時にそれは歴史の無いただ面白おかしい建築ということではないだろうと感じてきたというのである。
妹島和世がビエンナーレの総合ディレクターに選ばれた理由は何なのか?歴史のない日本の建築が世界的に評価されるその理由は単なる現代性だけでは説明がつかない。妹島和世を伊東、篠原の流れだけで解釈しようなどということは表層をなでるだけで意味がないと彼は言う。そうかもしれない。

April 22, 2010

思想地図VOL5の東京の政治学は面白い

朝の「かいじ」で甲府に行く。車中東浩紀、北田暁大編の『思想地図vol5』NHK出版2010を読む。目次を眺め最初に目についた、原武史、橋本健二、北田暁大の鼎談「東京の政治学/社会学―格差・都市・団地コミューン」のページをめくる。戦後東京のどこにどの様な人間が住みどの様な文化圏が形成されたかを分析している。面白いことに(あるいは当然かもしれないが)それは電車の路線沿いに形成されてきたことが見えてくる。そしてここでは中央線沿線の文化圏と西武池袋線沿いの文化圏が浮き彫りにされていた。時期的には60年代がメインである。59年に江古田(西武池袋線)で生まれ、65年に大泉学園(西武池袋線)に引っ越した僕にとってはとても身近な話題である。そして伏線にある話題が団地であり、江古田の団地で生まれた僕にとってはますます身近な話題である。
それらを読みながら、まず驚いたのは団地とは当時のハイカラの象徴であり新中産階級の視覚化だという原の指摘。僕にとって団地とはやや所得の低い人たちが住む場所なのだという気持ちがあったのだが(裕福な人たちは一戸建てに住む者だと子供心に感じていた)どうもそうではなかったわけである。また西武池袋線は東大系の社会主義研究者が多く住んでいたという指摘にまた驚いた。そう言われると両親がこの沿線に戸建を買ったのはそうした理由だったのかと思わなくもない(それが本当の理由だったかどうかは分からないけれど)。北田も本気で言っていたが、知識人がどこに住みどこに引っ越して一生を終えるかということを丹念に調べ東京の文化地図を作る作業は十分研究に値することなのかもしれない。

April 21, 2010

住宅の歴史社会学

甲府遠征の打合せ。部屋数が多いので展開図がやたら多い。1/50で描くとA2で25枚。担当のUさんも悲鳴。明日全部の展開を持って行き収納計画にけりをつけたいのだが。
打合せを終えメールをチェックすると人文学部の祐成保志先生よりメールが届いていた。講演会快諾のメールである。この講演会は学長裁量経費に応募して通った企画の一つ。毎年幸い頂けている。去年はリーテム社長の中島さんが環境問題と建築を。京都造形芸大の成実弘至さんがファッションと建築を。信大人文の准教授でダンサーでもある(というかダンサーの方が有名だが)北村明子さんが身体と建築を。山梨県立大の加賀美さんが子供と建築の話をしてくれた。今年は信大農学部の北原先生に森。信大人文学部の祐成先生に住宅の社会学、ブエノスアイレス大学のロベルトにコンテクスト、早大三嶋先生にアフォーダンスの話をして頂く予定である。
祐成先生は東大時代に山本理顕さんの保田窪団地の社会学的調査をやられたと聞く。私が知ることになったのは成実先生に「信大には面白い先生がいますね」と言われ祐成先生の名を告げられ、それをきっかけに主著『〈住宅〉の歴史社会学―日常生活をめぐる啓蒙・動員・産業化』新曜社2008を読んでからである。生粋の社会学者でマジで建築を対象にしている人はそうはいなのではかなろうか?北村さんにしても、祐成さんにしても、信大には結構素敵な先生がいるものである。やはり総合大学はいいものだ。

April 20, 2010

「貝島さん」は女性原理か?

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午前中、修論、卒論ゼミ。設計組は今年からレジメは要らないので「A1一枚に何か表現して持ってくるべし」という指示をした。これが結構面白い。訳のわからない言葉を並べられて苛立つよりか、よほど精神衛生上いい。しかしいつかはレジメを睨んで言葉が出なくなる日が来るのかもしれない。そう思うと何時苛立つかだけの問題のようにも思うのだが。午後は製図。課題の最初はいつもコンセプトをA3にポスターのようにまとめさせるのだが、これがまあひどい。
帰りのアサマで貝島さんに頂いた『建築からみた まち いえ たてもの のシナリオ』INAX出版2010を読む。かきおろし半分、既往原稿半分の本である。こうやって読ませていただくと、今まできちんと彼女の文章を読んだことが無かったことに気づかされる。読みながらふと昨日まで読んでいた『「女の子写真」の時代』の最終章を思い出した。それは写真における男性原理と女性原理と題して90年代に始まる女の子写真の女性原理とは何かを分析するものである。そこで著者は宮迫千鶴の80年代の書『〈女性原理〉と「写真」』(国文社1984)を参照する。この書では細かく男性原理と女性原理が提示されそれがそのまま飯沢の本に引用されている。そして著者は90年代初期の「女の子写真家」が極めて女性原理的だったけれど、90年代後半の特に蜷川に至ってはもはや女性原理だけでは説明がつかず両性具有的であると結論づける。
貝島さんも「女の子写真家」同様90年代に登場したのであり、女性原理が支配しているのかと考えてみたくなる。確かにそういうところはある。例えばこんな原理を彼女の文章に感じる「〈男性原理〉は普遍化された感情によって「私」を見失い、〈女性原理〉は固有化された感受性によって「私たち」を見失う」。貝島さんの本では殆どの文章で私が登場し、そして対象の何かに関連する固有の誰かが登場する。決して誰がそう考えているか分からないような「〇〇はそう考え得る」。などという分析的抽象的論文的な語り方はない。これは宮迫の原理によれ女性的である。しかしそれでは、貝島さんが一方的に女性原理に支配されているのかと言えばとてもそうは思えない。そもそも東工大の博士課程に進もうなどと言う時点で男性原理に突入している。さらに言えば夫とタッグを組んで建築を作ろうなどいうことも既に女性原理を半分放棄している(まあ彼女の夫が男性原理の人であるかどうかは検討の余地があるのだが)。つまり彼女の語りは女性原理に包まれながら、その本質のあちこちに男性原理が残滓の如く見え隠れするのである、、、、、、と書いてきて本当だろうか?とはたと考える。確かに彼女の生き方や作り方は両性具有的かもしれないが、やはり文章は読めば読むほど女性的かもしれない。

April 19, 2010

女の子写真

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事務所に寄って東京駅へ。9時のアサマに乗る。車中飯沢耕太郎『「女の子写真」の時代』NTT出版2010を読む。石内都、長島有里枝、HIROMIX、川内倫子、やなぎみわ、蜷川美花。皆僕がデビュー当時から好な作家たちである。特にHIROMIXの写真集は今でも鮮烈に覚えている。どこかの本屋の写真集のコーナーで手に取った瞬間に欲しいと思って買った気がする。でもその理由がよく分からない。なんだか新鮮だと思ったし、こんなものの見方は今まで無かったなと思ったのである。
この本を読んでみて分かったが、長嶋有里枝とHIROMIXを発掘したのはアラーキーなのだそうだ。なるほどこういう感性をすくい取れるのは同様な感性の持ち主なのかもしれない。彼女たちが世にデビューし始めたのは90年代後半なのだが様々な分野に女性感性が浸透し始めるさきがけだったかもしれない。
午後大学院の講義、教授会、ゼミ、今日は『第一機械時代の理論とデザイン』を読む。ちょっと古臭い本だが、こんな本を読んでいる奴は信用できる。最後の1時間は即日設計。毎回名住宅のプランを覚えてこさせ、その建物を3階建にしろとか、面積を半分にしろと変わった指示を出す。名住宅のプランを暗記させるのが第一の目的である。今日はカーンのエシェリク邸。何を覚えるのかは学生が選んできた。結構渋い選択である。この建物のプランを変えずに木造にして屋根をかけて自然に開かれた住宅にせよと言うのが今日のお題。1時間でこれをやるのはなかなか大変だが、今日は3年生の成績がよい。3年生はまだゼミに所属していないが、この即日設計は自由に参加を認めている。頑張って先輩を追い抜け!!!

April 18, 2010

建築家とは建築家を続けられる人のこと

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ちょっと早めに事務所に行って今日の勉強会の予習。午後から勉強会やっと第四章のethical fallacyの訳読み合わせが終わる。
帰宅後山本想太郎さんから送られた『建築家を知る 建築家になる』王国社2010を読む。建築設計を志す学生に読ませるにはベストの本である。建築士の法的制度から、その制度の海外との比較(日本の制度の特殊性)さらに建築士と建築家その差などなど。
序の中に共感する部分があった。著者は建築家になるにはどうしたらよいかと質問されることが多々あると言う。それに答えて著者は「建築家とは、建築家を続けられる人のこと」であると言う。その理由は建築家であり続けることが困難だから。確かにこの仕事は倒産することがない代わりに仕事が無くなることはいくらでも起こり得る。そうなればその時点で建築家であり続けられないことになる。さらに仕事があったとしてもその仕事が様々な意味で自分の建築家と言う定義に当てはまるものになるかどうかの保証はない。もし自分の定義に当てはまらない仕事であれば仕事はあってもその仕事をしていることは建築家を継続していることにはならない。だから建築家を続けることはとても大変なことなのである。

April 17, 2010

有名

終日家の雑用。夜ジム。帰り家族と待ちあわせをして家のそばのトマトラーメンで夕食。怪物君がテレビ化されている。小さい頃読んだ漫画なのでちょっと驚きである。その上主人公の怪物君を演じるのは嵐の大野君である。原作者の藤子不二雄は藤本 弘と安孫子 素雄という二人組。小さい頃は一人の人間の名前だとばかり思っていたので二人組と知った時は驚いた。さらに彼らがいつからか合作ではなく独りで描き始めた後も藤子不二雄の名前で通していたと言うのにも驚いた。更にコンビ解消後のそれぞれのペンネームが藤子不二雄Ⓐと藤子・F・不二雄と言うのにはまたまた驚いた。差がよく分からないではないか。でも築き上げた有名な名をそう簡単に捨てられないということか。

打ち上げ

午前中早稲田の講義。先週より少し増えたかな?午後事務所で打合せ。夕方『建築・都市ブックガイド21世紀』 (建築文化シナジー)の出版打ち上げを新宿で行う。彰国社の神中さん五十嵐さん、南さん、暮沢さん、天内さん、たちとお会いする。この本五十嵐さんの編著ということなのだが、五十嵐さんが7割書いている。そういう編著ってあるのだろうか?それって殆ど単著である。というのもこれは五十嵐さんが書きためていた書評などを集めたもの、だから彼が書いていないモノが僕らに回って来たということである。南洋堂でやった建築女子展が話題に上る。信大の植松さんのプロジェクトが超渋いと五十嵐さんが言う。でもプロジェクトが渋いのではなく、課題が渋いのである。

April 15, 2010

甲府の葉桜

甲府遠征。8時半のかいじで甲府へ。車中、大竹文雄『競争と公平感』中公新書2010を読む。競争原理の中に生きる資本主義社会のわれわれがどの様な時に公平性を求めるのか?相手のことをいたわる気持ちがどの様な状況で生まれるのか。考えさせられる。10時半に甲府。今日はひどく寒い。雨が降りしきる中、駅前の葉桜が寒々しい。例によって午前中は住宅の打合せ。今日は新しく発見した屋根瓦を提案。一枚一枚が少しむくりのついた瓦である。今まで提案していた平瓦より屋根に綾がつくのでとお勧めする。提案は無事了承された。昼を御馳走になり甲府まで送って頂く。甲府から塩山に移動し、午後は塩山での打合せ。今日のメインは照明のスイッチングと各ユニットのキッチン。1000㎡のスイッチングの説明はなかなか時間がかかる。読めないスケジュールや読めない補助金の資料の協議は五里霧中である。2時半から始まった打合せは8時まで。休みなしにぶっ通しである。こちらは集中が切れそうになるが、クライアントは根気強い。偉いものである。8時に辞して8時半のかいじで東京へ向かう。さすがに腹が減って車内販売で駅弁を買おうとしたが、一つしかなく二人で分けた。

April 14, 2010

金箱さんの構造の本はお勧め!

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朝一で修論ゼミ。今年のm2は二人アルゼンチンに留学したので4人と少なく少々楽である。「動物と植物」「コンヴァージョン」「巣」「視覚」とテーマは面白いけれどどう発展するだろうか?午後4年生の製図。受講者が少ない。もう少し積極的にやって欲しいのだが。夕方のアサマで長野に打ち合わせに来ていた金箱さんと一緒に帰る。金箱さんの新刊を頂く。タイトルは『構造計画の原理と実践』(建築技術2010)。金箱さん曰く、これまでの構造設計の書は普遍的原理をとうとうと述べるか、極端に数値的なもので数式が連続するかに偏っている。そこで普遍的原理と個別的な実践を常に平行的に解説する本を書きたかったそうだ。確かに内容をみると様々な構造的手法が全て実例(しかも全て金箱さんの設計した)とともに解説されている。構造の個別性が重要であるというのは裏返せば、普遍的原理だけでは解決しない問題が多々あり、その場その場で判断していかなければいけないことが重要であるということだ。この本は僕が知るなかでは最も一般構造的であり、それでいて感覚的なだけに終わっていない本だと思う。初めて構造の本をきちんと読んでみようかという気にさせてくれた(読むぞ!)。4年の製図の教科書にはぴったりである。ぜひ皆さんご一読を。

April 13, 2010

香山先生の新書・親書

午前中『中廊下の住宅』を読み終える。明治から昭和をざっと見ると日本住宅の平面は武家、農村の伝統を引き継ぎ、接客空間と生活空間の画然とした区別を特徴としてスタートする。そしてその区別を更に合理的に明確にするために中廊下が生まれる。明治30年ころから西洋住宅模倣が始まり、玄関ホールを介して田の字に仕切られた各部屋へ独立的に入りそこに2階への階段もあるという合理的(廊下と言う無駄の無い)平面が生まれる。そこに居間中心型(玄関から直接居間に入りそこから各室に分散する)平面が登場するも、中廊下が再度復活するという、なんだか堂々巡りをしてきたというのが流れのようである。そう考えると平成のプランと言うのはやはりかなり違う。家族のありかたや生活スタイルが変ったというのが大きな原因だろうか?
午後の製図は敷地見学。善光寺の脇までチャリで行く。桜が満開。花見でもしたい気分だが夕方からどんどん気温が下がって来た。明日はまた10度である。
夕食後、今日郵送された香山先生からの郵便を開封。先生の新刊『建築を愛する人の十二章』左右社2010が入っていた。達筆のお手紙も同封されている。先生はいつでも丁寧で美しいお手紙を下さる。放送大学の教科書の改訂のつもりで書き始めたのだが一冊の本として「建築の根本について考え直してみました」とのことである。そんな分厚い本ではないので一気に読み切った。ペンシルバニア大学でのカーンやヴェンチューリの教育が先生に大きな影響を与えたことがよく分かる。例えば第二章「空間は私を包む」ではミースのガラスの空間を否定してこう言う「この中で、自分の居場所を見つけ優しく憩うことのできる人はどこにいるであろうか」。そしてヴェンチューリの授業を振り返り、壁の包容性を説く。ヴェンチューリはこう言ったそうだ「建築において、壁は常に、少なくとも二枚重なっている」壁には外側の表情と内側の表情があるべきだというヴェンチューリらしいアンチモダンの言葉である。現代建築がとんでもなく抽象的に進むのとは裏腹に、ざっくりと作られる方向もある。その意味でこの言葉は少々気に留めておきたいところである。全体を通して決して奇をてらった言説が散りばめられた本ではないのだが、香山先生ならではのあっと何かを思い出させるような建築の基本が随所に散見される素敵な本である。大学生には是非読んでほしい意匠の教科書である。
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親書を公開するのも憚られるが僕が最も好きな硬筆の字体なので是非お見せしたい。お許しを。

春休みの活動

朝のアサマで研究室へ。車中『中廊下の住宅』を読み続ける。まだ途中なのだが結構面白い。午後一大学院講義『言葉と建築』。この講義も回を重ねて来たのだが何回やっても講義前の予習が欠かせない。読むたびに分からないところが出てくる。この本はとにかく人名が山のように出てくるのだが、「いったいこの人はどんな人か」とディテールが気になってくる。講義後新しい4年を入れての最初のゼミ。院生は春休みの活動を報告。本を10冊読むか、コンペを二つ以上出すか、どこかでバイトするかという宿題を出したが、バイトした学生は0だった。確かに自分も院生になって事務所のバイトはしなかったかもしれない。テーマは3つだったが、学会の論文書いたり、蔵の改造を皆でやってお店を作ったりとなかなか多彩な活動報告だった。

April 11, 2010

アーティストファイル2010・日本のデザイン2010

午前中に六本木に行く。国立新美術館で「アーティストファイル2010」を見る。福田尚代の作品が印象的だった。そのままミッドタウンのデザインハブに行く。と行っても初めて行くところで、こんな奥まった所にギャラリーがあるとは知らなかった。「日本のデザイン2010」という展覧会が行われていて、イデーの黒崎さんとか、曽我部さんとかのステートメントがいろいろな形で展示されていた。詳細はコラムに書いたのでそちらをご覧ください。http://ofda.jp/column/イデーでランチしながら六本木クロッシングまで足を伸ばそうかどうかと迷ったがやめた。作品集に寄稿くださった先生への御礼の品を探す。コーヒーカップ、花器、パステルなど。帰宅後献本する皆さんへの送付状を書く。結構時間がかかる。

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April 10, 2010

朝イチでメールは読むな

昨日遅かったので今日はさすがに寝坊である。午後は八潮市で打合せ。今年の全体計画についてである。何かの設計をできるという話を聞いていたのだが、それが流れてしまったという話が最初にあった。また今年もスクールをやろうということのようだった。どうもぱっとしないと思っていたら、O先生がその気持ちを代弁してくれた。もっとモノづくりをしようということでスクールを拒否した。打合せは仕切り直しとなった。神戸からはるばるやってきたK先生は少々可哀想である。終ったのは4時であるが、僕以外の先生は飲みに行ってしまった。僕は用事があり失礼した。
最近一日10回はメールをチェックしているような気がするが、時間の無駄である。返事待ちのものについて、焦る気持ちがそうさせるのだが、もうやめた。キャノンでは出社後2時間は部長以上のメール閲覧を禁じているそうである。頭の冴えている朝の時間はクリエィティブに過ごせという会社の意向だそうだ。特に朝の出勤時間で仕事の段取りを考え、そのままメールの邪魔を入れずに仕事に入りこめということのようだ。普通は朝、まず昨日までの情報整理をしろとと言いそうなものだがそう考えない会社もあるようだ(酒巻久『仕事ができる人に変わる41の習慣 朝イチでメールは読むな』朝日新書2010)

本日出版

午前中早稲田の文化構想学部での演習。今年で3年目に突入。最初の授業で学生が30人くらい。去年からちょうどよい人数が来るのはどうしてだろうか?あらかじめ人数の割り振りしているのだろうか?理工の建築にいる甥っ子は来ていない。授業が忙しいのだろうか?この演習でも使用するために僕のポートフォリオを今日に合わせて出版。生協に午後並んだ。ぎりぎりセーフ。皆さん是非アマゾンでお買い上げください。タイトルはArchitecture as Frame。僕の27の作品、コンペ、unbuiltプロジェクトを写真、図面、ドローイングなどを使って構成した。坂本一成先生とディヴィッド・スチュワート先生に批評を書いていただいた。デザインは中島壮さん。僕の小さなエッセイも載せた。
午後事務所で打合せ。夜12年間僕の右腕として活躍してくれた中島壮君の慰労会。荒木町のフランス家庭料理アンシャンテで夕食。2次会は四谷コクティル。そして夜は長い。ナカジ(中島君の愛称)は僕の40代を支えてくれた。デリダ的に言えば彼が僕の右腕だったから僕は今こういうことになっている。もし違う右腕だったらきっと違う僕がいる。今の僕であることに僕はとても満足している。

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April 8, 2010

廊下

毎年4月の最初に研究室所属のガイダンスがある。所属する学生を決めねばならない。定員六名だけど応募者は少し多い。僕が学生のころはじゃんけんで研究室を決めていたのだがそれもなんだか昨今の風潮ではない。それにやはり研究室も大袈裟に言えば会社のようなものだからいい人材が入れば盛り上がるだろうし実力も上がる。と言うわけでいろいろな資料を見ながら選考する。仕方なく数名他の研究室に行ってもらうことになるのだがせつないものである。入研者を部屋の外に張り出して夜のアサマで帰宅の途へ。今日のアサマはひどく混みあっている。Pcを打つ手が隣人の荷物にぶつかる。帰宅後丸善から届いていた宅配本を開けその中の一冊をとりだす。青木正夫、岡俊江、鈴木義弘『中廊下の住宅―明治大正昭和の暮らしを間取りに読む』住まいの図書館出版局2009。なんで廊下?というと、先日高山の陣屋や商家を歩きながら改めて日本の家には縁側はあっても廊下は無いものだと思ったからだ。白川へ行っても公開している重文の合掌造りには廊下はない。僕が泊まった合掌造りには廊下があったがそれは客室を細分化するために後から改装された部分である。まあそんなことは教科書的には分かってはいても、実感してなかった。廊下ってどういう理由でできたの?にわかに興味深くなった。加えて最近設計中の甲斐の住宅ではしっかりとした中廊下が現れている。今回の設計では設計前に住宅特集10年分くらいの平屋平面のタイポロジーを作ってスタッフと平面研究をしていたのだが、そこには中廊下は一つもなかった。タイポロジー分析とは、もちろんそこにあるものを作るためのものではなく、そこにないものを発想する為であり、その模索の結果なんとなく中廊下の形式にたどり着いていた。もちろん中廊下がオリジナルな形式であるはずもないのだが、かといって、それがいつ頃どういう理由で生まれたかを知ることもなく設計は進んできたのである。
高山での廊下と設計中の中廊下が意識の中で混ざりあい、丸善でこの新刊を目にして発火した。読み始めたばかりだが、やはり明治当初の住宅はあくまで縁側のみの廊下なし住宅である。そして明治の後半に縁側が垂直に折れて廊下の形態が生まれるのである。さてその理由は何故?続きはまた明日。

April 7, 2010

花森安治のプラグマティズム

甲府での打合せを終え、今日は長野に向かう。車中、読んでいた本(西村佳哲の『自分を生かして生きる』バジリコ株式化会社2009)に面白い引用があった。『暮らしの手帳』を創刊した花森安治のインタビュー記事である。彼は大阪の警察の発想を褒めている。それはこんな文章だ。「あのね、御堂筋のどん詰まりで、心斎橋から出てきたところあたりにねえ、空きタクシー駐車禁止なんていう立て札が立ってますわ。ところがその下に『但し、雨雪の時、除く』と書いてありますわ・・・」彼はこの看板を凄く褒めている。この話はかなり昔のことで今時こんなおおらかな警察の警告があるはずもない。銀座あたりにこんな看板があったら感激だ。しかし大分前のこととは言えお上の文章にしたら上出来である。これを読みながら前に読んだローティ―のプラグマティズムの話を思い出した。きっとローティーもこの看板に感心するだろう。曰く「プラグマティズムの核心は真なる信念を『事物の本生』の表象とみなすのではなく、うまくことをなさしめる行為規則とみなすところにある」。何が正しいかなんて考えるよりは、どうすればうまくことが進むかと考える方がよほど前進的である。


April 6, 2010

丸善でカート

早朝のアサマに乗る。車内で佐々木敦『ニッポンの思想』講談社現代新書2009を読む。SETENVのI君が「これはまあ、今までのまとめ本ですよ」と言っていたので、積読しておいたのだが、手ごろな旅本が無かったので岐阜遠征のカバンにいれていた。読んでみたら、浅田、中沢、柄谷、蓮實、福田、大塚、宮台、東のスタンスが実感をもとに語られていて、分かりやすかった。9時に東京、丸善に寄る。オープンのチャイムと共に入店したので店には僕しかいない。丸善ではいつもカートを借りて、本を漁るのだが、狭いところや混んだ所には入りにくい。しかし今日は客がいないので、ビュンビュンカートを飛ばしながら、好きな所に入り込める。特に新書コーナーの奥など、いつもなら恐る恐る入っていくのだが、今日は気を使わずにすむ。いつもは行かない建築コーナーにも寄る。窓周り、枠回りだけの分厚い詳細図集があった。これはかなり使えそうである。写真、ファッション、社会学、哲学を巡回し、効率よくカートに放り込み、宅配を頼み事務所に戻る。東京はかなり暖かくなってきた。昨晩の長野も結構暖かかったが、やっぱり格段の差。荒木町のさくらも満開に近い。午後明日の甲府遠征の打合せ。腹減った。

April 5, 2010

前期輪読本を決める

新年度最初の学科会議やら教授会やら。午後は留学希望の学生と相談。英語が使えて授業料が安いヨーロッパの国立大学。そう言えばウィーン工科大学なんていうのもあったなあ。今気がついた。夕方、今年度のゼミの輪読本を考える。今年は建築論と哲学、美学、社会学等を交互に20世紀の最初から通時的に読むことにする。最初はバンハム『第一機械時代の理論とデザイン』。久々に自分も読んでみたい。そしてヴォリンゲル『抽象と感情移入』を読みながらモダニズムの抽象について考える。次にバンハムを相対化する為にワトキンの『モラリティと建築』を読む。どうも在庫が少ないようだが小さな本だからコピーしてもよい。建築の倫理と言う面からマイアソンの『エコロジーとポストモダンの終焉』を読みながら建築の倫理性を考える。順番が逆と言う気もするが、ここで倫理を教科書的に知るために教科書である佐藤俊夫の『倫理学』を読む。ここで歴史に戻り、日本のモダニズム受容と言う意味で篠原一男の『住宅論』。続いてモダニズムを芸術から照射するためにクレメント・グリーンバーグの『クレメント・グリンバーグ批評選集』を読む。そして月並みだがポストモダンの教科書であるヴェンチューリの『ラスベガス』、リオタールの『ポストモダンの条件』を続けて読む。そしてもう一回60年代のおさらいとして磯崎新の『建築の解体』に触れ、いよいよ本格的なモダニズムの解体として多木浩二の『生きられた家』を読み坂本一成の『対話建築の思考』そして消費社会後の展望として上野千鶴子の『ポスト消費社会』を読む。という流れで前期は20世紀のおさらいをしたい。夕方学科の新年度会。今年も信大建築学科が前進しますようにと皆の心意気は高い。

April 4, 2010

キッズルーム

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岐阜遠征最終日。白川を早朝出て高山に戻る。高山最古の商家を見る。吉島家同様一階の吹き抜けの周りに住宅がスキップしながら張り付いている。何故こういう構成なのかと言うと、どうも道路側の軒高を抑えるためのように思えた(本当かどうかはわからないが)。なかなか見応えがある。この商家に隣接して、民家を改修したピザ屋があった。お店の雑誌を見ると設計したのは小泉さん。いや実に面白い。ピザも上手い。ここに中庭をはさんでキッズルームがあった。ピザ屋にキッズルームと言うのがまた不思議な取り合わせ。誰も使う気配がないのだが不思議な空気を発していた。
2時ころの特急で名古屋に出て、のぞみで東京、そしてアサマで長野へ。名古屋からシナノで長野の方が早かったのだが、既に大分前に買ってしまった切符がありこの経路。7時間くらい電車に揺られていた。

合掌造りの曳き屋

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岐阜遠征二日目。午前中高山の陣屋で1時間半説明を聞く。丘の上にあった大名屋敷は江戸の直轄領になった時に壊されそしてこの陣屋(役所、裁判所、お代官の公邸、などなど)が出来たそうだ。陣屋が当時の姿を残しているのはここ高山だけと聞く。屋根はすべて杮葺(グレードは3段階くらいあるようだが)、壁はしっくい、土壁、板壁いろいろである。午後世界遺産白川郷に向かう。高山からバスで50分(去年出来た道路で時間が短縮されたそうだ。それまでは2時間半かかっていた)。途中雪が舞う。もちろん現地にはここかしこに雪が残る。着いたところは巨大バス駐車場。観光バスの大群に世界各国の旅行者が乗っている。駐車場わきには合掌造りの食堂、土産物屋が並ぶ。まるでディズニーランドのようである。橋を一本渡るとこの俗な世界と一線を画し、本格的合掌造りが並ぶ。保存のために合掌造りの曳き屋なんて珍しいものを見た。丘の上に上がりこの集落を一望する。まるでテレビをみているようである。このまま帰ったら本当にテレビを見たような気分で終わったのだろうが、幸い合掌造りに一泊することができた。泊まり客のうち日本人は3割。いろりの煙で燻製になりそうだった。

April 3, 2010

吉島家

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岐阜遠征に出かける。強風のためのぞみが新横浜でとまった。最近乗り継ぎのある電車に乗ると、雪や風のため遅れて乗り継ぎの電車に乗れない。案の定、名古屋からの特急に乗れず1時間後の飛騨号に乗る。高山に着いたのは2時半。Ofdaの伊藤君推薦の吉島家に先ずは行く。この柱梁組の壮大な吹き抜けはあまりに有名。どうして写真があんなに明るく撮れるのだろうと不思議に思っていたら大きなトップサイドライトがついていた。この吹き抜けはさておき、その周りに張り付いた部屋が面白い。5つくらいの部屋が50センチくらいずつ段々に上がっていくのである。まるでhouse saのようである。この空間の流動性って明治の人は意図してやったのだろうか?篠田桃紅の書画がいたるところに飾られ、イサムノグチのぼんぼりと剣持勇のラウンジチェアそしてboseのスピーカーからジャズが流れていた。ほー。和風モダン民家?

April 1, 2010

荒木町の桜の木の下で

今日は春だ。嬉しい。ほっとする。冬は嫌いである。昔は寒いのが大好きだったのだが、、、、アメリカにいた頃、「東海岸で育っても年をとると暖かい西海岸に引っ越す人が多い」という話を聞いて嘘だろう?と思った。ロサンゼルスの常夏(春)の気候が生ぬるく感じられたから。しかし今ではアメリカ人の気持ちがよく分かる。
この陽気で荒木町公園の桜も4分咲きである。この小さな公園には桜の木がたった2本ある。そしてその桜の木の下には夜になると久保田千寿が一本置かれ、誰でもコップ一杯飲んで良いそうである。という話を昼飯食った店の主人に聞いた。なんとも粋なはからいである。
明日から岐阜方面へ遠征に行くので念入りに打合わせをした。いきおいスタッフのUさんといっしょになって基準法を読み解くことになってしまった。20年前に必死になって読んでいた排煙免除の告示。確認申請図にイロハニの色塗りしたのを思い出す。
事務所から荒木町公園の横を歩いて帰ろうとすると、なんとこの桜の木の下で超有名アイドルグループのAと今をときめく超有名アイドルのNSが宴会をやっていた。まるで映画の1シーンのようである。