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March 31, 2010

安藤忠雄の竜王駅

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さて今日は甲府遠征。車中の原稿打ちも次の章に進もうと思う。ジョナサン・クレーリーの『観察者の系譜』をカバンに入れて家を出る。思い出すように車内で読む。これが面白い本である。視覚の変容においてカメラ・オブスキュラの静的な視点からフェナキスティスコープやゾートロープ(と言っても想像もつかないかもしれないが)の動的な映像を生む器具の発明への技術的な変化が例示される。ここに映像の時間性が入り込む。一方視覚はニュートン的な物理的な解明からゲーテ的な生理学的な(人間の脳みそが映像を変換する)解明へと進み。さらにショーペンハウエルの極めて過激な発言――視覚とは脳みそが作り出すものであって、客観的な実体とは関係が無い――へと進む。これは極論だが面白い。そしてこちらも物理的な瞬間性から、脳みそ内での変容を生む時間が問題視される。映像を作る技術と受け取る器官の双方に現れる時間が問題となる。視覚の本はさんざん読んで知識が頭の中で断片化されているのだが繋がっていない。思い出すように読み始めるとこれらが何となく繋がる(予定)。一週間くらい昔の本を読み返すとストーリーの輪郭ができるだろう。なんて思っているうちに甲府。午前中甲府で打ち合わせ。パワーランチをいただき、竜王市役所に行って道路の確認をしてから安藤忠雄設計の竜王駅に行く。いやーこれはちょっと。という安藤設計を見ながら塩山へ向かう。こちらはだんだん細かな設計に入り込む。子供がどうやって靴を脱ぐかとか、幼児がどこでパンツを脱ぐかとか、クライアントも経験と想像を交えながら判断するので時間がかかる。気が付いたら7時。またあわてて車を飛ばし駅へ送ってもらいあずさに飛び乗る。毎週水曜日の甲府遠征がルーチン化してきた。

March 30, 2010

建築倫理

朝から原稿を打っていた。建築の倫理性についてである。建築がその時代の倫理感に影響されるのは当然だし、もしそれを無視すれば社会からも無視される。しかし倫理と言うものは時代とともに変化するものだから、その時代の変化の兆しをつかんで既存の倫理にたてつくことは許される。それをしたのがスコットであり、ワトキンだったと言える。しかし彼らはたてついた揚句、過去の別モノを称揚したのだから余り発展的ではない。それは批評家、歴史家の限界である。と言いつつ同じようなことをするのも気が引けるが、建築における倫理感を跡付けて行くと、現代まで生きながらえている標語としてヴェンチューリの「多様性」と「対立性」を再評価したくなる。哲学的にはポストモダニズムは既存価値の破壊の時代であるから倫理感が死滅した時代ということになっているが、建築はそもそも破壊という表層のもとで構築せざるを得ない。そこでは構築の論理が必然であり、そこに倫理は死滅したと見る必要はない。多様性と対立性という標語は、哲学的にはポストモダニズム後の倫理感を担うと言われた「他者性」を見事に言い当てている。つまり、同一性に回収されない他者の価値観を認め、主体の価値観との対立を歓迎する態度である。これは今や目新しくも何ともないかもしれない。しかしだからと言って無視できるような価値観でもないだろう。
二十一世紀の倫理感が環境倫理であることは論を俟たないだろうが、ポストモダニズムの残滓のようなこれらの標語もまだまだ死んでない。いやあるいは環境倫理と同等あるいはそれ以上に重要とも言える価値観だと思う。

一年目検査

一年目検査で「高低の家」に行く。トップライトの熱割れが一番大きな修復工事。後は毎度のことだが、プラスターボードとベニヤのとり合い部分。ベニヤが痩せるので目違いが起こる。しかし今回はかなり激しく段差ができている。そしてこれも毎度のことだが、建具の建てつけが2か所悪くなった。外部は全く問題ない。今回使ったこの外装材(ガルバリウムの波板)は安くて長持ちしそうである。さて後はJTの撮影だが、果たしてできるだろうか?12月にやろうということでクライアント、JTともに了解していたのだが、こちらが忙し過ぎてセットアップできずにいた。そして今日見ても家の中にまだ荷物があふれている。これじゃあ無理かしら??夕刻事務所に戻り打合せ。スケジュールを作り時間の無さに愕然とする。
夜ベッドで加藤尚武『二十一世紀のエチカ―応用倫理学のすすめ―』未来社1993を読みながら眠りに落ちる予定。昼間電車の中で読んでいたのだが、あとがきにこんな文章があった「環境倫理学、生命倫理学を含む応用倫理学と呼ばれている領域が、今後もビジネス・エシックス、情報倫理学など、ますます発展する傾向を見せている。大学の哲学系の教官で応用倫理学を教えることのできない人は、教育者としての存在理由を失うと言ってもよい情勢である」。なかなか厳しい書き方である。多分いろいろな学問が野放図に発展することに人間的(あるいは環境的に)に歯止めをかけろというのがこの学なのであろう。確かにそういうものはどこかで必要かもしれない。しかし歯止めというのは常に自由とぶつかるのであり、そこに歯止めのむずかしさがある。

March 28, 2010

D.ワトキン

D.ワトキン(Watkin, D.)榎本弘之訳『モラリティと建築』(1977)1981を読み返した。建築が建築以外の何ものかの表出の結果として説明されてしまう18世紀以来の建築の批評の伝統をペブスナーに至るまで刻銘に記したのがこの本である。もちろんこうした言説の嚆矢は我々が今翻訳しているジェフリー・スコット『ヒューマニズムの建築』1917ということになろう。早稲田の講義「建築の条件」の一講が「倫理性」なのだが、ワトキンも、スコットも倫理性を含めおしなべて建築以外の何かが建築を決定することを是としない。しかしでは彼らにとって建築以内の何かとは何なのだろうか?ワトキンの書もその部分に批判が集中したと聞く。これだけ建築に求められるものが複雑になっている現代社会において建築が建築以内の問題意識だけで決めていけると考えるのは少々無理があるだろう。もちろん彼らもそれは承知で敢えて建築固有の精神性のようなものを主張しようとしているのだろうが。ワトキンの書が出たのはジェンクスの『ポストモダニズムの建築言語』が世に出る1年前である。世の中がモダニズムに辟易していたそんな風潮の中で、ジェンクスとは違う形で、モダニズムを瓦解するひとつの論理だったように思える。

走り過ぎ

午前中ジムへ。テレビを見ながらランニングマシーンで走っていたらついテレビ見たさに40分くらい走ってしまった。ちょっと走り過ぎで体がだるい。午後は雑用、スキー合宿に行っていた娘と久しぶりに会う。スキー場は嵐、雨で酷いコンディションだったようだ。

March 27, 2010

南洋堂

夕刻南洋堂に「建築女子」展を見に行く。信大の学生も展示している。小さな会場に5つくらいの作品が並んでいた。展示者は張り切ってプレゼンしている。会場が狭いから皆作品の一部を集約して持ってきているようだ。そのため本当にイメージだけの展示である。元気だけは立派である。その下の階の洋書売り場を覗く。アトリエワンの作品集がリツォーリから出ていた。凄い本である。吹き抜け2階で白井の写真を眺めていたら店長がやって来て立ち話。彼は僕らの事務所がある荒木町あたりにかなり詳しいので不思議に思っていたのだが、東京スリバチ学会員であることが判明。なるほど。

March 26, 2010

虚白庵(こはくあん)

白井晟一の自邸虚白庵が取り壊し前に見られるという。ある意味で日本のモダニズム建築期の極北としての地位を獲得したこの建築家が最近になってやっと視野の中にいる。学生時代に親和銀行を見に行ったけれど、当時の教育や時代風潮からすると全く理解できなかった。その後、これも学生時代にオフィスの課題をするのにノアビルを見に行った。エキセントリックな造りであることは理解できてもそれ以上に考えが及ばなかった。ノアを見るならPMTを見ようという学生の方が主流であった。大江戸線新江古田の出口の目の前に雨の中50人くらいの待ち行列。建物見るのに行列ができていたのは初めての経験である。僕の整理券番号は415番。1時から始まって2時半くらいだったから1時間に200人近く来た計算。しかも来ている人は建築関係者だけではないように見える。確かに彼は多趣味な魯山人のような人だったのかもしれない。RC造とはいえRCが見えているところはすべてはつっているので一見石づくりのようでもある。中庭側には瓦の乗った土塀があり和風も顔をのぞかせるが部屋の中は毛足の長い絨毯敷き、壁、天井は本当のクロス。色も多彩。赤い天井もあった。ただでさえ暗い白井空間で、照明が大分外れているので真っ暗である。手探りで彼のディテールを味わうと言う何とも「粋」な建築体験であった。この建物はプランが公表されていないらしい。だから入口で頂いたプランは貴重なものなのだろう。このプランを見ているとそのドライな空間構成に驚く。入口の両側に大きな長方形が二つL字型に配され、その長方形のそれぞれの中に二つ三つの長方形がわりと無造作に置かれている(そう見える)。そして置かれた長方形によってその残余空間が生まれている。そしてその空間の流れのようなものが家具や照明が白井の思い通りに置かれて初めて体感できるのだろうと想像した。それにしてもスケールが間延びしていると思えるくらいゆったりしている。のべ200㎡余りの平屋を都心で見られることは昨今まずない。

March 24, 2010

冬へ逆戻り

毎週水曜日恒例の甲府遠征。今日は午前中に甲府に行く。朝から雨がしとしとだったが甲府についたらザーザーである。1時半まで昼抜きで打ち合わせ。甲府駅のマックで昼をとり、2時半の電車で塩山へ移動。今日は一日雨だろうか、山には桜も見えるが桜が咲くと雨が降り冷えるのは毎年のこと。こちらも延々7時まで、電車の時刻を聞いてあわてて駅に送ってもらい7時10分のかいじで新宿へ。車中『ポストモダン時代の倫理』を読み続ける。男女平等の起源は啓蒙思想にありと思っていたが、どうもそうでもない。カント曰く「男性の悟性は深く女性の悟性は美しい」であり、女性の理性は男性に劣ると捉えていたと言う。スチュワートミルの『自由論』は女性解放の嚆矢のようだが時すでに19世紀半ば、その後イギリスに女性参政権が確立するのは1928年だから日本と大差ない。
東京は塩山より寒い。四谷駅から雨の中スタッフのT君と相合傘で震えながら事務所に戻る。冬再来。

March 23, 2010

wacol cw-x

昨晩は学科の謝恩会の後,研究室の謝恩会。恒例である。そして毎年卒業修了生の一言があり先生の一言がある。学科の集まりでしゃべったし、各自にはお手紙用紙しているし、もうしゃべることないのだよ。でも何かしゃべる。聞く方も飽きるだろうなあ。そして皆から謝恩の記念品を頂く。今年はワコールのスポーツインナーwacol cw-x。ぴちぴちのボディコンウエアである。これを着て走れと言うことか?なんだか毎年大変高価なものを頂き恐縮してしまう。ありがとうございました。お返しに昼間書いた手紙を渡す。
午前中、某先生が某ゼネコン設計の某建物の基本設計書を持ってきた。気にいないらしく何かデザイン的に言って欲しいというのだが、状況も分からず人の仕事を悪く言うつもりはない。石崎嘉彦、他著『ポストモダン時代の倫理』ナカニシヤ出版2007を読み始める。この本はナカニシヤ出版の〈人間論の21世紀的課題〉シリーズの最初の本。つまり21世紀の倫理の総論として、20世紀の倫理のまとめと21世紀への展望が書かれている(シリーズの他の本は各論である)。午後3つ会議。夕方解放され東京へ。車中上記の本を読んでいたが昨日の疲れで眠りに落ちる。事務所に戻り明日の甲府遠征の打ち合わせ。

卒業式

午前中原稿打っていたらうっかり時計を見過ごした。四谷まで思い切り走る。なんとか予定のアサマに駆け込んだ。あああせった。車中もひたすら打つ。しかしこのタイピングの音はけっこううるさい。周囲に迷惑をかけているかもしれない。音が出ないキーボードが欲しい。
午後卒業、修了証書の授与式。夜謝恩会。謝恩会まで時間があったので卒業修了生にお手紙を書いた。こういうことはやるならやるで毎年やるべきだろうが、去年はやらなかった。一昨年はやった。気まぐれで申し訳ない。謝恩会は駅近くのメルパルク。長野のメルパルクは3層分の吹き抜けに膜構造の屋根が張られとても大きい。毎度思うが、こういう会に招待していただけて光栄である。別に学科長でもなんでもないが、締めの言葉をお願いされたので、ひとこと。

大人になる君たちへ
ここにいる君たちは、卒論と修論を書いてやっと大学から出られることになった。僕もそうで、大学で勉強した記憶はこの学部と修士の最後の年だけ。そして工学部に所属する君たちはきっとそこで科学的で論理的な思考をたたき込まれたはず。つまり1+1=2の膨大な繰り返しをこの一年間やってきた。
しかし、君たちの毎日の様々な思考や判断というものは1+1=2的におこっているとは限らない。君たちの一生を左右するであろう、就職先を決めることだって1+1=2的に決まらなかったはずである。そして君たちが社会に出て行くとそうした問題の方が遥かに多く現れてくるだろう。
僕の友達には1+1に滅法強い奴がいる。でもそう言う人に僕はあまり驚かない。一方1+1では答えが出ない問題に直面した時に極めて適切な答えを出せるやつがいる。僕はこういう人には頭が上がらない。彼らのこうした能力を「常識」と呼び、「常識」とは「明証を持っては基礎づけられないけれどなんとなく確信せらるる知見のことである」と誰かが言っていた。そう「なんとなく」の力である。そしてこの「なんとなく」は直感によって獲得される。この直感の優れた人間を僕は大人と呼ぶことにしている。そして君たちには是非これから大人になって欲しい。
ところでこの直観とは決してその字が暗示するかのごとく天の啓示のように降ってくるものではない。それは心の奥底におりのように溜まった無自覚な経験と知識の蓄積から論理的に生まれてくるものだそうだ。これは脳科学の世界で既に言われている。そしてこの澱のようなものを分厚く溜めることが直感による常識を持った大人になるということである。
そしてもしこの澱を溜める確かな方法があるとすればそれ読書である。大人になるために本を読んで欲しい。会社に入って、君が尊敬できる人がいたらその人の愛読書を聞いて是非その本を読んで欲しい大人への道が見えてくるだろう。

March 21, 2010

我が家は工場?

昨晩五十嵐さんが編集した『建築・都市ブックガイド21世紀』という本が届いた。僕も数ページ執筆した。90年以降に出版された本だけ300冊というところが特徴。リフェレンスブックとしてはよく出来ていると思う。今日はA0勉強会。パートナーのI君が欠席のため一人粛々と訳文のチェック。一人でやると眠くなる。夕方勉強会を終えて帰宅したら居間のテーブルの上に手芸の生地やらミシンやら裁縫道具が散乱。その片隅で娘は生地にアイロンをかけている。床は書の紙が散乱。でかい毛氈の上に書きかけの作品。壁は書きたての作品が所狭しと貼られ、かみさんはソファで寝ている。こりゃまあすごいことになっている。工作室と書道室と家庭科室をいっしょくたにしたような!「お腹減ったなあ」と言うと「ただ今鯛を解凍中」との返事。仕方なく風呂に湯を張り、しばらく風呂で新聞を読む。

March 20, 2010

ダンス

朝から原稿打ち。精一杯打ってから、3時ころ家を出て上野の森美術館に行く。voca展を見るhttp://ofda.jp/column/。今日は20度を超えているだろうか?上野はもう桜が咲いて花見でもしそうな勢いである。四谷に引き返しジムに。スタジオでストリートダンスやっていたので、オヤジで申し訳ないがジョインさせてもらう。その昔初台のジムに行っていた時はよくhiphopやっていたのだがもうすっかり忘れた。四谷はあまり若い人がいないので教えるレベルが低くて楽である。ダンスは見るのもやるのも好きである。下手だけれど。帰宅後かみさん、娘を連れて去年荒木町にできた一口餃子屋に行ってみる。シソ餃子、チーズ餃子、一口餃子、水餃子、などなど、結構いける。八人くらいの個室もある。名前は「いっぴん」(新宿区舟町4-1)。名刺見ながらこの住所書いてびっくり。杉大門通りは荒木町ではないのでした!!知らなかった。帰宅後椹木さんの『シミュレーショニズム』を引っ張り出して来て要点をまとめて原稿に引用。ビール飲みたくなったので勉強修了。

March 19, 2010

俺が俺が

うーん、Architecture as Frameの見本が出来たのだが、この製本が悪い。落ち込むなあ。落ち込む製本持って大学へ。研究室で探していたジャン・リュック。ナンシー編の『主体の後に誰が来るのか』を発見。どこかに捨てちまったかと諦めていたのでこれは嬉しい。会議を終えて帰りのアサマでアンダーラインの部分を読み返す。主体無き後の主体(矛盾?)とは「俺が俺が!」の自己中心的主体ではなく、他者との差異の中に、あるいは他者との関係性の中に浮かび上がる主体ということだろうか?それは何となく納得。俺って君がいるから俺と言うことだ。俺ってその程度のものなのだ。でもこれは人間の本質が変わってきたと言うことではない。その昔、例えば僕の親父たちの時代は社会が親父たちに「俺が俺が!」を要求していたのだ。「俺が俺が!」の無い奴なんて「一人前の男の子ではないよ!」と檄を飛ばしていたわけである。しかるに今の時代、社会は「皆と上手くやれるように」「協調性を持って」を要請している。だから社会が主体を作り上げていると言えなくもない。「言える」と言うと100%社会構築主義に加担していることになるのでそうは言わない。すべてが社会で作られていると言うつもりもない。事務所に戻り打ち合わせ、不満な見本を持って帰宅。

March 18, 2010

ファッションと建築

早稲田で開講している「建築の条件」という演習の主旨は次のようなもの。「第一に建築に関わる文化事象を階級、ジェンダー、セクシュアリティ、人種、国家などのアイデンティティについての問いとしてとらえる視点を導入する。第二に建築をめぐる言説を身体、雑誌、写真、消費空間などメディアも含めた多様な建築文化として再構成する。第三に学際的なアプローチをとりいれる。例えば表象の問題は記号論、映画や雑誌などのメディア研究を参考にし、消費の問題は社会学や歴史学の方法論から多くを学ぶ」。
以上の文章は成実弘至さんが「問題としてのファッション」(『問いかけるファッション』せりか書房2001所収)の中で書かれた文章の「ファッション」を「建築」と置き換えて、若干修正したものである。
一昨年文化構想学部が出来、講義を頼まれた時、成実さんの上記の本を読み、こんな風に建築を考えてみたいと思ったのである。そこで当時の信大修士一年生といっしょに講義ノート作りゼミを始めた。その時のゼミの出発点が上記文章だった。

最近恒例になった塩山、甲府でのダブルミーティング。8時半の「かいじ」で塩山に行きサンドイッチを食みながら2時まで打ち合わせ。衛生器具、照明器具がだいたい決まった。しかし補助金事業の事務的な煩雑さは慣れないと煩わしいこと頻り。おいとまの挨拶もそこそこに車に飛びのり駅へ。甲府行の電車に滑り込む。今日は天気もよく車窓から見える周囲の山はのどか。甲府から車でクライアント宅へ。1/30の模型にクライアントもびっくり。屋根は瓦にしたいとのリクエスト。あれあれ、屋根材たくさん持って来たのに。なるほど瓦か。最初は少々ビックリしたが、これも地方ならではの素材。「瓦屋根の家で育ったし周囲の家は皆瓦だし」とクライアントは言う。面白い。ヴァナキュラーな記憶を料理しようではないか。急に燃えてきた。帰りの電車はT君のIphoneで瓦素材を見ながらディテールについて話し合う。

March 16, 2010

建築対銀行

午前中出版社と打ち合わせ。結構最後の最後までgoが出せない。色やら装丁やら面倒臭い問題が次から次に湧いてくる。午後明日の打ち合わせのための打ち合わせ。明日は午前と午後で違うクライアントと打ち合わせ。やることが溜まる。なんとなく思っていたところまでたどり着かないもどかしさがある。夜LET`NOTEと格闘。先日LANに繋がったかに見えたが、昨日も今日もびくともしない。Windos7はXPで構成するLANに繋がらないのだろうか?どうもそんな噂もネット上には流れている。と諦めていた矢先、どこかをいじくったら繋がった。7のインタフェースは設定が細かすぎると感じるのは僕だけだろうか?
昨晩中学の旧友である根本直子さんから新著をいただいた。彼女は大学を出て日銀に入行しその後シカゴ大学でMBAを取得し格付け会社であるスタンダード・アンド・プアーズに入社した。現在はそこのチーフアナリスト。本のタイトルは『残る銀行、沈む銀行―金融危機後の構図』である。出版社は東洋経済新聞社¥1,890。値段から見ても、出版社から見ても、もちろんタイトルから見ても、売れる本である。彼女は以前にも、中公新書クラレから『韓国モデル』という本を出版している。これももちろん売れる本である。多分数万部は出るのだろう。僕の本などどう頑張っても数千。数十倍の差である。それは僕の知名度の問題ではなく建築と銀行の社会の必要度の問題である。自虐的に言っているわけではない。事実である。これは建築文化度の高いヨーロッパに行ったって五十歩百歩であろう。マルクスみたいな言い方だが、彼女たちが地球を回転させ僕らはその地球からこぼれ落ちないようにしがみついているだけである。だから建築なんて意味が無いとは言わない。しがみついているだけの価値はある。でもしがみつこうとしていないと落ちるというだけである。

March 15, 2010

主体の喪失


読みかけの室井尚『ポストアート論』白馬書房1988を読みながら出勤。アートにおける主体の喪失について何か書かれているだろうと読んでみたらきちんと整理されてあった。ありがたい。明後日締め切りの学会の再査読論文(私はファーストオーサーではないが)に赤を入れる。これで論文の形式としてはOKだろう。大学で設備サブコン2社のリクルーターとお話。就職委員の仕事をすると昨今の建設業界の情勢がよく分かる。午後信州共生住宅研究センターの研究発表会。総合司会をしながら発表を聞く。僕の部屋は関連する作品が少なく発表するものもポスター発表一つだけ。他の部屋では修士1年でも1年分の研究にまとまりを付けて発表している。立派なものである。帰宅の車中、河上正秀編『他者性の時代』世界思想社2005を読み始める。これも近代以降の主体の喪失について生命倫理や環境倫理などのとても建築との関連の深い部分について分かりやすく書かれている。主体の喪失はメディア技術の進展とともに不可避的に(受動的に)起こっている部分と、一方で近代主体主義(河上さんのお言葉)の弊害によって能動的に考えられている部分が現在期せずしてオーバーラップしていると思われるのだが正しいだろうか?

March 14, 2010

静嘉堂文庫

午前中に柳澤潤氏のオープンハウスに行く。成城学園から歩いて5分のところにある集合住宅。RC壁柱構造。最近連続して3つの集合住宅を見た。集合住宅の設計をしたことのない僕としては見るものすべてに沢山の智恵が詰まっているのを感じ、驚くばかりである。加えてこれらをどう評していいか考えると難しい。集合住宅は世相を反映した商品であろうから、自分の価値観では見られない。つまり、コムデギャルソン行っておれはデザイナーズブランドが嫌いだとか、こんな服は着られないと言ったところで意味がない。同じことが集合住宅にも言える。こんな家に住めないとか住みたくないと言ったところで意味がない。僕の娘なら是非住みたいと言うかもしれないからhttp://ofda.jp/column/。成城からバスに乗って静嘉堂文庫に行く。岩崎彌之助(1851~1908 三菱第二代社長)と小彌太(1879~1945 三菱第四代社長が築いた三菱の美術館である。根津や五島と並び、企業の美術館としては日本屈指であろう。ここで現在 茶道具の展覧会が行われているhttp://www.seikado.or.jp/sub0201-r.htm。かみさんに「曜変天目見に行かない?」と誘われ、くっついて来た。曜変天目とは宋時代の黒い茶わん。ただ黒いのではなく、表面にブルーがかった水玉が浮き出た焼き物で、まあ美しいのである。京都など行くとつい小さな天目茶碗が欲しくなってじっと見ていたりする。今回の曜変天目は国宝である。その形といい、色といい、艶といい、申し分ない。こんな美しい曜変天目があるとは知らなかった。このクラスは日本に3つしかないそうだ。

チーズとワイン

お決まりの午前中のヨガに行こうと思ったが、作品集の校正をしていたら行けなくなった。試し刷りはカラーの解像度が凄く良く、印刷機でこれだけの差が出ることに驚いた。しかしカラーが-良くなった分、白黒の荒が目立つようになった。こういうのって何をすればよくなるのか分からないのでストレスたまる。時間があまりないけれど直さないと。
午後校正終えてジムに行く。音楽に合わせて10キロくらいのバーベル使って、腿、胸、腕の筋力トレーニング。30分やっているとじわじわ来る。ジムが終わり、隣の駅ビルで頼まれた買い物。うまそうなチーズやワインに食指が動く。食べるために燃焼してきたようなものである。
事務所によってウィンドウズセブンを解明する。ネット、ランにつなげるのに数時間。性能は良さそうだが、それなりに使いこなすのに時間がかかる。夕食後「消費」について原稿を打つ。坂本、伊東の本を引っ張り出しながら、読んだり打ったり。『透層する建築』が無いので中古本屋さんに注文。80年代と90年代以降では建築家の「消費」へのスタンスが切り替わる。80年代は大衆消費社会最高潮であり、建築家はその問題に真正面から対峙した。伊東さんは「消費の海の向こう側」に行こうとし、坂本さんは「イメージの家へ」の違反を画策した。しかし80年代後半に大衆性が崩壊し、分衆消費社会となってからは、もはやこのテーマがデザイナーの戦う相手ではなくなってきてしまった。では彼らは(僕は)何と戦おうとし始めたのか?この変わり目をどう書こうか考えていたのだが、チーズとワインの誘惑に負ける。

March 12, 2010

seven

午前中試験監督。午後学会に投稿する論文のチェック。その合間に新しく買ったパソコンのセットアップ。ウィンドウズXPにヴァージョンダウン出来るとヨドバシの店員さんは言っていたのだが、ウソばっかり、メーカーに品番を言って聞いてみたら、その機種だけ出来ませんと言われた。まあこの際セブンでもいいかと開き直る。動かないアプリは使わないということで。夕方のアサマで戻る。車中池内さんのイスラムの本を読み続ける。この人の前著は(僕の記憶が正しければ)話題は文化に限定されていたのだが、今回の本は政治的な内容が多い。文化と政治は切っても切れないのだが、政治になるとどうしてもその人のイデオロギーが強く出てきやすく、同意しかねる、あるいは判断つきかねる部分も多い。東京駅で丸善へ。他者性関連の本を集め宅配。西村清和さんの分厚い新刊を発見。これも宅配。哲学書の脇のテーブルにブルータスが平積みされていた。表紙は何と吉本隆明。糸井重里との対談が面白そうだが、買わなかった。先日読んだ鹿島茂の吉本解説以上のことが書かれているとは思い難いので。事務所に戻り打ち合わせ。終ってからコンピューターセットアップの続き。腹減った。

March 11, 2010

S先生

朝一で国博に行く。平日の午前中を狙って、混雑が噂される長谷川等伯を見に行ったhttp://ofda.jp/column/。しかし朝一にもかかわらず、外に行列。来訪者の多くを占める(であろう)年輩の方には平日も休日も無いわけだから平日の方がむしろ混むのかもしれない。午後事務所。夕刻高校の大先輩である計画学の大家S先生の通夜に向かう。先輩とは言え実は3度くらいしかお話したことはない。ただ、リーテム東京工場の芦原賞受賞をお祝いしてくれた時に、当時すでに80近かったにもかかわらず長老の中でただ一人、一緒に2次会にまで来てくれた。そして掘りごたつ居酒屋で僕の真前に座り言葉少ないが心温まるお話をしてくれた。その後建築選奨の授賞式など、何度かお会いする中で、何時も優しい言葉をかけてくれ、なんとなく心の励みになったものである。そんなわけで、特に親しいわけでもないのだが、弔いの気持ちになった。護国寺の会場は長蛇の列だった。やはり僕と同じようにこの方の温かさに呼ばれるのかなと思った。寒空の下待たされても苦ではなかった。僕の前や後ろに高校の大先輩の顔が見え隠れした。武信さんやら益子さんやら。護国寺を後にして東京駅でアサマに乗る。車中池内恵『イスラーム世界の論じ方』中央公論新社2008を読み始める。以前この著者による『書物の運命』を読みその冷静な語り口が記憶に残っていた。この本は様々なメディアに寄稿したものが多く分かりやすい文体となっているが前回同様クールな内容である。

March 10, 2010

ボサノバ

朝から事務所で仕事。午後テーテンス事務所が来所。塩山の設備設計の基本内容を確認する。スタッフのUさんがまとめた設備の色分け図をもとに打ち合わせ、だいたい整理がついた。夕飯の頃に帰宅。食後、ボサノバの歌手ナラ・レオンの自伝の続きを読みながら、ボサノバギタリストのメネスカルやジョアン・ジルベルト、その奥さんのアストラッド・ジルベルトの曲などをyoutubeで聞く。コンピューターから直接アンプに接続すると、結構いい音がするものだ。ボサノバの魅力って音がフラットで抑揚がないところだろう。シャンソンや演歌の真逆である。こちらは心の奥底からの魂の叫び、手はぎゅーっとグー手に握っている感じ。一方ボサノバは心の表面をかすめとるような乾いた音。無表情で手のひらはもちろん開いたままである。この乾いた感じが大人っぽくていい。

March 9, 2010

大雪の中

午前中のアズサで松本へ。車中藤岡和賀夫『さよなら大衆』PHP研究所1984を読む。アマゾンの中古で1円だった。そのせいか、中はアンダーラインで真っ赤。でもそのアンダーラインのおかげで上手に飛ばし読ませて戴いた。「さよなら大衆」とは言うまでもなく、80年代に入り、3C(カラーテレビ、自動車、クーラー)も終り、社会がこぞって何かを求める時代が幕を閉じたことを意味している。上野千鶴子が堤清二との対談で取り上げていた。今から読むと単なる状況の観察とも思えるが、自分が大学を卒業するころの状況分析かと思えば炯眼である。さらに大衆無き後の「分衆」というネーミングも悪くない。松本に着き大雪の中本部キャンパスに向かう。来年度の学長裁量経費取得のためのプレゼンである。大学院の教育改革プログラムとしてグローバリティを主軸に据え、アルゼンチンのブエノスアイレス大学とワークショップを行う提案をした。理解して頂けるだろうか?帰りも凄い雪である。八王子の直前まで車窓は白一色。一体最近の天気はどうしたのだろうか?連日雨、雪、嵐。帰りの車中は原稿作り。「永遠性と消費性」の章をひたすら打ちまくる。分からない書名やら年代は●●と逃げる。これだと衰えた記憶力に苛立つこともなく実にすいすい進む。調子に乗っていたら5000字くらい打ったところでバッテリーが切れた。
電車が立川へ着く頃、研究室の院生から電話。某設計事務所からいい知らせをもらったとのこと。やっとメジャー軍団も田舎チームの実力を正確に評価できるようになったみたいだ。

March 8, 2010

antada

事務所で仕事。金箱さん来所。3月に二つ基本設計をアップ予定。新学期が始まる前にけりをつけておきたい。
少しお手伝いをしたコンペの最終提出図がメールで送られてきた。まあお手伝いした甲斐は少しはあったかもしれない。外観のプレゼンはいただけないが、取れてもう少し手を入れたら大分良くなりそうな案にはなっただろう。まあこれは初戦。次は最初からコミットしたい。
そう言えば昨晩安藤忠雄の自伝のようなものをテレビでやっていた。遂に自伝がドラマ化されてしまう人になってしまった。テレビで見る安藤さんはだいぶ歳をとられたという感じである。とは言え、事務所の中では、入口近くの吹き抜けの下の寒そうな所に陣取って「大将は最前線にいないとあかん」、「建築は闘いである」と豪語する姿はまだまだ若い。

March 7, 2010

non-essetialism

早起きして7時半のバスに乗って山中湖に木島さんの設計した別荘を見に行った。あいにくの雨(というかみぞれ)である。富士山が見える所に行くとたいてい天気が悪いのは僕のジンクスのようである。バス停から地図を見せてタクシ―を走らせたら、なんと昔よく遊んだ友人の親の別荘地だった。懐かしい。遠い場所で雪も降っているから、来ているのは僕くらいだろうと思ったら、続々と人が来るのに驚いた。建築好きはいるものだ。午前中に山中湖を辞して東京に戻り長谷川さんの設計した集合住宅を拝見した。
行きのバスで田崎健太『W杯に群がる男たち』新潮文庫2010を読んだ。FIFA会長にブラジル人のアベランジェが就任し、そしてその後ヨーロッパの巻き返しでプラッターになるまでの期間に起こる様々な利権の争いが描かれている。日韓共同開催となったいきさつは実にドロドロしている。大量の金が動くところにきれい事はないということだろうか?帰りのバスは昨日の続きで『クレオール主義』を読む。著者の今福龍太はその昔多木浩二、長谷川逸子と「アーキ・ぺラーゴ」というテーマのシンポジウムでパネラーをしていた。僕はその時初めて今福さんを見た(見た程度である)。その昔は何を言いたい人なのか良く分からなかったが、この本を読んで少し見えてきた。昨日の「詩性」は彼の別の言い方をすれば「ノンエッセンシャリズム」に相当する。文化に本質などなく、リプレゼンテーションの寄せ集めであり、それを現実に再投錨することが重要だと述べている。これは分かる。僕も建築のノンエッセンシャル側面をかなり信じている。でも仕方なく実体を作っている。でもその実体にどの程度本質があるかは良く分からない。というのも本質があろうがなかろうがリプレゼンテーションは確実にあるからだ。そういう意味では今福の次の言葉は示唆に富む。
「<場所>というような主題を前にした時、その経験の様々な相をとりあうかつために私たちはふつう二種類の思考のレヴェルを使い分けている。エッセンシャルなレヴェルとリプレゼンテーショナルなレヴェル・・・そして後者のリプレゼンテーショナルのレヴェルに焦点をあわせてゆくとき、そこで問題とされるのは、「場所の経験」そのものの存在形態やその辺の姿であるよりも、むしろ、「場所の経験の記述」にかんする形式と変容にかかわるものである」この「場所」を「建築」と置き換えてもむろん構わない。今日見てきたものでもそう思う。僕は僕の記述をしているけれど、僕以外の誰かはまた違う記述をしているはずであるhttp://ofda.jp/column/

ボサノヴァ

午前中かみさんとジムに行く。土曜日の11時のヨガに滑り込む。先週もそうだが、ジムから帰ると結構疲れる。慣れないヨガが原因なのか?帰宅してセルジオ・カプラル著堀内隆志監修荒井めぐみ訳『ナラ・レオン美しきボサノヴァのミューズの真実』ブルース・インターアクションズ2009を読む。この本は荒木町のtwenty groundというお店のカウンターに置いてあったもの。読んでいるうちに眠りに陥る。

March 6, 2010

クレオール

午前中会議。午後昼食後院生の論文を見る。3時半のアサマに乗る。車中、今福龍太『クレオール主義』ちくま学芸文庫2003を読む。クレオールという言葉の意味は多様だが、この本では「言語・民族・国家にたいする自明の帰属関係を解除し、それによって、自分と言う主体のなかに四つの方位、一日のあらゆる時間、四季、砂漠と密林と海とをひとしくよびこむこと――」と定義しているる。つまり自分と場所が多様な軸で混交していくということである。
ところで本文中で今福氏は場所を示す「トポス」は「トピック」、と「トポグラフィー」双方の意味を持つのに、近代的な概念の定位に際して、トピックが排除されたと指摘している。近代地理学における、数学的把握、その反省としての人文地理の登場もこうした反省を契機とする。そして彼の反動の矛先のひとつが場所の詩性をリカバーすることにあるようだ。解説では西成彦氏が今福氏のことを浮浪者であり測量士である人類学者と呼んでいるが、これが正しければ、今福氏は浮浪者となりながら場所のトピックを読みこんでいるのである。
6時に出版社と打ち合わせ。見本刷りが上がるのが来週末とのこと。楽しみである。スタッフ打ち合わせをしてからヨドバシカメラで用事をすませ友人と食事。彼はさいたまのマスコミにいる。八潮の話で盛り上がった。

March 4, 2010

永遠性

朝から事務所で仕事。昨日の二つの打ち合わせを踏まえ、今後の進め方を練る。来週からはスタッフのUさんもこちらのプロジェクトにジョインしてもらうことにする。ちょっと忙しくなりそうである。出版作業は大詰め。原稿はやっとのことで校正が全部終わり、最後のチェック。夕方まで第四章「永遠性と消費性」を書き進める。まだ資料が不足しているが、書き始める。ゴンブリッチの『美術のあゆみ』と図説西洋建築史全15巻を並べながら美術(建築)は原始から始まりエジプト・メソポタミアに進むことを示す。原始とエジプトの差は強力な社会集団ができ、それによって絶大な権力が生まれ、権力が神と繋がりそしてその合体した権力が「永遠性」を誇示したことにある。つまりエジプト・メソポタミア美術の主題は「永遠性」。ゴンブリッチの第二章が「永遠のための美術」というタイトルであるのはこういう理由からである。そして建築はルネサンスまで神のものであり、ルネサンスで金持ちのものとなるが以後ロココまで王のものである。神と王の建築は多かれ少なかれ永続性を希求する。もちろん神のものでも王のものでもない建築(住居)は人間がいる以上いつの時代にもあり、それはそれで社会を反映する一つの縮図である。しかし住居以外の建築の変遷もそれはそれで社会を如実に反映する鏡となっている。新古典、近代となり建築は永遠性の呪縛から解放され新たなフェイズに進むことになる。そこで消費という概念が登場する。というイメージである。書きたいのは消費なのでタイトルがイーブンな感じだとちょっとまずいかもしれない。
夕刻のアサマで長野へ。読みかけだった『印象派こうして世界を征服した』を読み終える。1950年代に印象派が爆発的に世界の富豪が好む商品となった理由の大きな理由の一つが
画商デュラン=リュエルらにより作成された作品総目録にあったという。デュラン=リュエルらは自身が扱った画家の作品を丹念に写真撮影して目録化した。これによって買う方は贋作をつかまされる不安から解放され、商品価値を信頼し、安心して大金を投入できたのだという。芸術などという得体の知れぬ世界において、記録なんていうものがこれだけの価値を持つということが新鮮な驚きである。
Mdrからメールがあり信大傍の飲み屋で収録した僕のインタビューが建築ラジオにアップされたそうだ。タイトルは「建築の規則を超えて」である。http://tenplusone.inax.co.jp/radio/講評会後のディスカッションは現在編集中だそうだ。

March 3, 2010

お茶

8時半のあずさで塩山に向かう。昨日書きかけの原稿、一章の残りを打ちまくる。10時に塩山に着き、打ち合わせ。補助金の関係で4カ月ほど凍結していた仕事の再開ミーティング。予想範囲内だがかなり大変なスケジュールである。まあとにかくこういう仕事は当たって砕けろである。大学のT先生から電話。JIAの卒業設計展の様子を聞く。ゲストクリティークが指導教員との対話を望んでいたと聞く。そういう場合は是非ご一報いただきたい。ことと場合によっては参加したかもしれない。昼の電車で塩山から30分ほどの甲府へ。駅で昼食をとり、住宅のクライアントの家へ。今日は開口部の位置や大きさ、設備機器の説明。機器はショールームで見てきてくださいねとお願いする。ここでの打ち合わせは最初に先ず美味しいお茶が出てそれを飲んでから始まる。1時間くらいすると2回目のお茶が出る。3時間経つとコーヒーとお菓子が出てきて4時間経つとまたお茶が出る。こういうクライアントは前にもあった。その方たちなりの接客の習慣なのだろう。お茶が替わると時間の経過を感じる。夕刻のあずさで新宿に戻る。スタッフのT君と一緒に新宿に戻るのは久しぶりである。今日は朝からよく働いた様な気がして、帰りの電車は珍しく二人でビール。建築スケール問題について話が深まった。電車内ビールもたまにはいいものだ。

March 2, 2010

校正

メールやファックスで作品集原稿の校正を受領し、直しつつ、また自分の原稿に赤を入れ、その翻訳を修正する。原稿が混乱しないか心配。校正の確認のために電話。電話をするとつい話が脱線。なんとか明日中には最終稿がまとまると良いのだが。
時間がある時にちょくちょく手を入れている「建築の条件」を書き加える。今日はため込んだ資料をもとに一気に「日本と欧米の建築の男女性」を書きなぐる。あまり厳密性を気にせず(そんなことは後で考える)ストーリーをばあああと打ちまくる。一気に4000字程度打ちこんだ。正に打っただけだけれど、最初はこんなもんだろう。早くこの章を終わらせたいのだが、、、予定は一章2万字くらいなのだがどうもそこまで間が持たない。
明日の打ち合わせ資料の打ち合わせ。明日は塩山と竜王の2か所で打ち合わせである。ちょっとタフ。

March 1, 2010

駒ヶ根市

長野県の駒ヶ根に北陸建築文化賞の現地審査に行った。東京から4時間かかる。長野は広い。駒ヶ根市は長野市よりはるかに東京に近いのだ時間は倍かかる。緯度で言えば甲府あたりなのだが、甲府から西に向かうと南アルプスにぶつかる。だから甲府から更に北へ北へ岡谷まで行き、そこから飯田線で南下する。中央アルプスのふもとである。駅で学会北陸支部のKさんと会い一休みして審査対象の施設に向かう。施設は県が作って社会福祉法人が運営している。僕も社会福祉法人の設計をやり始めているので、設計上の難しさや運営其の他いろい大変であることを少しは知っている。それをくぐりぬけよくできているなと感心した。4時間もかけて行くのはつらいと思っていたが、来てみると来てよかったと感じた。
じっくり見せてもらったので帰りは遅くなった。加えて強風で徐行運転。東京へ着いたのはかなり遅くなった。車中内田氏の『日本辺境論』を読み続けた。読み進むとなかなか複雑な気持ちにさせられた。昨日はあまり面白くないようなことを書いたが、確かに読み続けてもわくわくするような楽しさはない。でも考えさせられるというのは、こういう本を読んでもわくわくしない僕の鈍感さについてである。日本辺境とは日本は田舎の劣った国だと言っているようなものなのだが、それに対して「そうだね」とも「いや違う」ともそういう感情が全く湧かないのである。これは歴史音痴の典型なのかもしれない。しかしどうも僕には分厚い『昭和史』2巻を読んだ後も、『それでも日本人は「戦争」を選んだ』を読んだ時も面白いテレビドラマを見ているような感覚は起こるのだが、それが自分の国民としてのアイデンティティと連なるものとして見えてこないのである。いや責任逃れをするつもりはないし、むしろ政治的には戦争問題は積極的に頭を下げるべきだというのが僕のポジションだが、それと、自分のアイデンティティは全く別の問題であると感じてしまうのである。あまりうかつなことは言えないが、自分の中に一つの場所や都市や国という枠がはまることをリアルに受け取れないのである。