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社会の批評

朝のアサマで大学へ、車中思想地図vol5「社会の批評」の北田論文を読んだ。なんと彼はこれを最後に思想地図を降りるようであり、それなりの決意の責任編集のようである。素人の私には北田氏がここで主張していることを正確には記せそうもないので控えるが、その昔専門家から聞いた社会学の難しさ(社会という対象の同一性を確保する基準、社会学を語る主体自体が既に社会の構成員であること、等)がなんとなーくひしひしと伝わってくる。加えて今まで生半可に興味を持っていた社会構築主義――特に昨年まで信大にいらっしゃった赤川学氏の著作などもその位置づけが克明に記されていた。これほど厳密な議論が社会学には必要であるのかと改めて感じざるを得ない。社会学的に建築を論じるなんて言う野望はどう贔屓目に見ても建築家をやりながら片手間でできるようなことではない。まあそんなことは分かってはいるのだが、、、、、「社会学的」になどと言う野望はさっさと取り下げて、「社会的」にくらいにしておかないといけない。まあこれがKさんに言われた「建築家として」書くということでもある。しかし学際分野を架橋するのだからそれなりの方法論を備えておきたいところだ。うーん。今度祐成先生とお会いした時にヒントを頂こう。
昼前に大学に着いて研究室で講義の準備をしていたら学生がどっと入ってきた。誕生日ケーキと、ワインと、ワイングラスのプレゼントである。ありがたや。ケーキをしこたま食べたらお腹がパンパンになった(ワインは飲みませんが)。午後から講義、ゼミ、即日設計。講義は『言葉と建築』「デザイン」の章。ゼミ輪読はヴォリンゲル『抽象と感情移入』。終ったら6時ころ。部屋に戻ったらご飯を食べに行く元気もなくなり、五十嵐太郎『建築はいかに社会と回路をつなぐのか』彩流社2010のページをめくる。ジェンダーのところが気になって読み始める。なかなか参考になる新たな知見がある。少し勉強させてもらおう。

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