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香山先生の新書・親書

午前中『中廊下の住宅』を読み終える。明治から昭和をざっと見ると日本住宅の平面は武家、農村の伝統を引き継ぎ、接客空間と生活空間の画然とした区別を特徴としてスタートする。そしてその区別を更に合理的に明確にするために中廊下が生まれる。明治30年ころから西洋住宅模倣が始まり、玄関ホールを介して田の字に仕切られた各部屋へ独立的に入りそこに2階への階段もあるという合理的(廊下と言う無駄の無い)平面が生まれる。そこに居間中心型(玄関から直接居間に入りそこから各室に分散する)平面が登場するも、中廊下が再度復活するという、なんだか堂々巡りをしてきたというのが流れのようである。そう考えると平成のプランと言うのはやはりかなり違う。家族のありかたや生活スタイルが変ったというのが大きな原因だろうか?
午後の製図は敷地見学。善光寺の脇までチャリで行く。桜が満開。花見でもしたい気分だが夕方からどんどん気温が下がって来た。明日はまた10度である。
夕食後、今日郵送された香山先生からの郵便を開封。先生の新刊『建築を愛する人の十二章』左右社2010が入っていた。達筆のお手紙も同封されている。先生はいつでも丁寧で美しいお手紙を下さる。放送大学の教科書の改訂のつもりで書き始めたのだが一冊の本として「建築の根本について考え直してみました」とのことである。そんな分厚い本ではないので一気に読み切った。ペンシルバニア大学でのカーンやヴェンチューリの教育が先生に大きな影響を与えたことがよく分かる。例えば第二章「空間は私を包む」ではミースのガラスの空間を否定してこう言う「この中で、自分の居場所を見つけ優しく憩うことのできる人はどこにいるであろうか」。そしてヴェンチューリの授業を振り返り、壁の包容性を説く。ヴェンチューリはこう言ったそうだ「建築において、壁は常に、少なくとも二枚重なっている」壁には外側の表情と内側の表情があるべきだというヴェンチューリらしいアンチモダンの言葉である。現代建築がとんでもなく抽象的に進むのとは裏腹に、ざっくりと作られる方向もある。その意味でこの言葉は少々気に留めておきたいところである。全体を通して決して奇をてらった言説が散りばめられた本ではないのだが、香山先生ならではのあっと何かを思い出させるような建築の基本が随所に散見される素敵な本である。大学生には是非読んでほしい意匠の教科書である。
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親書を公開するのも憚られるが僕が最も好きな硬筆の字体なので是非お見せしたい。お許しを。

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