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May 31, 2010

時間的経過の生みだすものは?

9時に丸善。40分本を物色。自宅に宅配。久しぶりに最新物価版も購入。9時48分のアサマに乗る。これは大宮、軽井沢しか止まらない最速アサマ。車中、暮沢剛巳の『ア―トピック・サイト』美学出版2010を読み始める。暮沢さんの著書は数冊読んでいたが、お会いしたのは先日の出版打ち上げの時が初めて。温和ないい方。青森出身とは知らなかった。午後の講義。今日はhistoryとmemoryを一度に行う。期せずして今日研究室にHistoric Houses in the Engadin Architectural Interbentions by Hans-Jorg Ruch Steidl 2009が届く。この本は建築家Hans-Jorgの作品集である。彼が事務所を構えるスイスEngadinにおける建築的介入(intervention)の記録である。6~7個の作品はどれも16世紀くらいの建物の改修なのだが、タイトルのinterventionが示すように単なるrenovationではない。どれも新しい何かが挿入されている。そしてその挿入物は理屈なく不思議な形をしている。しかしよくよく見ていると、もともとの16世紀の殻も現代的な合理的な視点からすると実に不思議な形をしている。それを非合理だと言うのは今見ているからであり、当時の視点からすれば合理だったのかもしれないし、合理などと言う視点は無かったのかもしれない。それは分からない。いずれにしても時の経過と言うのはこうした「不思議」を生み出すのである。古いものには経年的価値と歴史的価値が付着すると言われるが、それは意味論的な価値であり、モノそのもに目を目ける時そこにはこうした「不思議」が登場するはずである。そしてその不思議に異議を唱える者はいない。既存のものには文句を言えないのである。
夕方僕がコーディネートしている異分野レクチャーシリーズ2010の第一回。今日は農学部の北原曜教授を招いて森林についてお話頂いた。森の公益的機能など知っているつもりで情けないくらい無知である。森の最も重要な機能の一つが地表の侵食防止であるとは予想外である。それにしても木には実に多くの機能があるものだ。

May 30, 2010

上代ってなんだ

昨日休館日で入れなかったジムへ。腰に負荷がかからないように注意してストレッチと自転車こぎ。午後事務所へ。昨日届いたガラスの見積もりに目を通す。ガラスだけの見積もりをとったなんて初めてだが、物価版の4倍から10倍の値段である。ガラスの上代ってこんなに高いの?12㎡の15ミリのガラス(2枚割)が125万ってどういうこと?開いた口がふさがらない。来週の不在中の指示をして帰宅。
風呂でエンツォ・トラベルソ柱本元彦訳『全体主義』平凡社現代新書(2002)2010を読む。この本は一昨日、昨日とアマゾンから2冊届いた。毎年同じようなことが数回起きる。T.S.エリオットは1929年の発言で資本主義に敵対するものとして共産主義とファシズムを位置付け後者の方が望ましいと言っている。当時ファシズムがこのような展開になるとは祖像されなかったのであろう。歴史の不思議である。風呂から出て松野弘『大学生のための知的勉強術』講談社現代新書2010を読む。学生指導の助けにと思ったのだが、書いてあることが余りに普通である。読むべきものは何もないのだが、逆に言うとこれだけ普通のことが入学してきた学生には分かっていないと言うことがよくわかって勉強になった。

May 29, 2010

建築家の職能を守らねば

午前中ジムに行くべくあっちこっち用事を済ませて四谷のジムにたどり着いたら休館日。仕方なく待ち合わせたかみさんと昼をとる。午後八潮に行って新たな基本設計をする公園の敷地を皆で見る。広大である。打合せ後S氏は所用で帰り残りの面子で鐘ヶ淵に行く。鐘ヶ淵と言う場所は東京人でも滅多に行く場所ではない。そこにいい店があるということで探索。この辺りはかなり不思議な場所である。墨田区なんてめったに来ない。真黒な木造の古そうな居酒屋に到着。今日は建築家のトラブル話。皆お互いの脛の傷を知る。建築士という職能は、他の職能と比べて法的な位置づけがひどく脆弱なものだとある弁護士が言っていたそうである。まったくそうである。契約書が伝統的にあまりに貧弱である。これからはもう少しきちんと作らねば。

May 28, 2010

人間のアタマなんて99%は借用

午前中早稲田の演習。今日は学生8人が10分ずつ発表。テーマは階級性⇔平準性、写真性⇔体感性である。写真性を発表してくれた学生(文化構想学部の3年生である)はコロミーナ等を引用しつつ、建築写真とは建築批評であるというまとめをしてくれた。これはかなり高度である。建築学科の3年生に同じ課題を出してここまで言えるだろうか?と考えてしまう。午後事務所に戻り仕事。今週中に送られて来ると言う資料を待っていたが届かない。諦めて帰宅。
帰宅後上野千鶴子のエッセイを読み続ける。「本棚」というエッセイにこんな文章がある。「にんげんのアタマのなかは、九九パーセントまで他人のことばとアイディアの借用で成り立っている。オリジナルは残りのわずかな部分だけ。・・・・」これを読んで僕の事務所に集まる人文系の若き学者の卵が似たようなことを言っていたのを思い出す。「論文なんて引用の継ぎはぎです、これにオリジナリティを求められてもそんなのは無理ですよ」そう論文と言うものはそうなる運命にある。99%は借用というのは論文頭の上野の言葉であろう。少なくともこのエッセイは上野のオリジナル以外の何物でもないのだから。しかしそうは言っても人は言葉に限らず、音だろうと形だろうと生まれた時から周りの環境から吸収して育っているわけである。そうしたものを先ずは真似ることで成長する。そして芸と名のつくものであってもひたすらコピーするのがことの始まりである。音楽をやっていた僕もひたすらレコードの通り弾けるように練習をした。もちろんそのレコードは数枚あってどれをコピーするかはよく考えてはいたが。書道をやっているかみさんはこの年になってもとにかくコピーである。さてでは建築はどうだろうか。もちろん僕らはやっていることをコピーだとは思っていない。「私」であると自負しているかもしれない。でもそれは疑わしい。99%とは言わないが、オリジナルなんていうものはほんの少しだろうと思う。コルビュジエだってカウフマンに言わせればルドゥーからの流れが指摘されるわけである。上野千鶴子が99%であるのに僕ごときが90%と言うわけにもいかない。

May 27, 2010

上野千鶴子のエッセイほろ苦い

一日事務所で荒さがし、構造からも設備からも調整項目が続々と送られて来る。電気の容量問題がどうしても解決しない。困ったなあ。高圧受電にならぬようあれやこれややっているのだが、IHが多すぎてどうにも納まらない。施主と電話で相談。
夜上野千鶴子の新刊『ひとりの午後に』日本放送出版協会2010を読む。おっと発行日が4月25日(my birthday)である(なんていうことはどうでもいい)。この本はフェミニスト上野の闘争的な本ではない。上野の数少ない(というか僕は見たことも読んだこともない)イデオロギーを感じさせないエッセイ集である。それも、NHK出版が彼女に書きおろしをお願いするために、「おしゃれ工房」なるNHKの女性向けモノづくり番組のテキストブックに連載をさせてそれをまとめた本である。「おしゃれ」などというフェミニストが最も嫌いそうなタイトルを冠した雑誌に上野が連載したこと自体驚きだが、その内容はそれ以上である。
あとがきで上野はこう言っている「私は研究者だから『考えたことは売りますが、感じたことは売りません』とこれまで言ってきた。・・・・・この本の中でわたしは禁をおかして感じたことを語り過ぎたかもしれない。・・・・札付きのフェミニストとしての上野など知らず、予断も偏見もないだろう『おしゃれ工房』の読者との出会いも、しあわせだったと思う」この言葉もなんとも上野らしくない優しさに満ちている。
今まで彼女の「考えた」ことを書いた書物は多く読んできた。それはそれでもちろん面白かった。しかし「感じたこと」はそれにも増して素敵である。人間ってこういう幾つかの側面が見えてくると魅力が増すものである。

May 26, 2010

設備と構造のとりあい

午前中昔の建物の検査に伺う。FRP防水がかなり傷んでいる。しかし一方家の中はとても整然と使って頂いており設計者としては嬉しい限り。行き帰りの車中ティナ・シーリグ、Tina Seelig、 高遠 裕子訳『20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義』阪急コミュニケーションズ2010を読む。さすがアメリカと思うような授業がある。「ここに5ドルある。これをつかって2時間以内にこの金を出来るだけ大きくする方法を考えよ」。と問われてなんと答えるだろうか?5ドルを増やそうとすると何時まで経ってもいい答えは出ない。鼻から金は無いものとして考えると名案が出る。例えば、予約殺到の週末レストランの予約を完全に抑えて現地でその権利を売るとか、、、、なるほどと思わせる。しかし半分読んだらもう飽きた。この本アマゾンでは全てのジャンルで売上一位のようだが、それほどの本ではない。頭の体操である。事務所に戻るとちょうど同じタイミングでテーテンス事務所から3人来所。8時まで最後の調整打合せ。ダクトの貫通をしつこくチェック。もう何度やっているのだろうか?そろそろ飽きた。この期に及んでプレイルームという少し大きな部屋の空調の設置位置が変更となった。これまでワタリウムの天井のように格子梁の中に空調機をはめ込もうと梁サイズをさんざん変更調整してきたのだが、「たれ壁部分に壁埋め込みでやったらどう?」とボスのMさんがぼそりと言う。そりゃすばらしい名案だ。しかしこんな名案があるなら早く提案してよ(涙)でもとりあえずデザイン良くなった(嬉)。

May 25, 2010

マイクロポップ以降?

携帯にロンドンの親友からメール。出張で東京へ行くので飯を食おうとのこと。先月来る予定が火山の爆発で来られなくなっていた。それにしてもメールは距離感を感じさせない。長野もロンドンも殆ど等価だ。午前中市役所主催の景観賞建築ツアー。作品解説係で同行する。年に三回やるのだが昨今新しい建物があまり建たなくなり見るものが無くなって来た。某建築雑誌も掲載するものが無くなって来たと嘆いていたが、日本は大丈夫だろうか?昼大学にもどりサンドイッチ食べながらひたすらメール。他大学の修士受験希望者のメールが溜まって探すのに時間がかかる。その都度返せばいいのだがある程度溜まったところでと思っているとPC内で紛失する。午後の製図を少し見て学内委員会に出席。あっさり終るかと思ったが2時間もかかった。
夕方のアサマに乗る。車中美術手帳の6月号をめくる。アーニッシュ・カプーアのロンドン五輪のモニュメントに驚愕。なんだろねこの大きさ!福住廉「『芸術は可能か?』はどこまで可能か?」を読む。マイクロポップという言葉が市民権を得ているのに驚きつつも納得。マイクロポップは松井みどりが著書『マイクロポップの時代』parco出版2007の題名として使ったのが最初だと思う。フラット以降の個別化を指した言葉。それが美術批評で既に認知されているようである。最近個がますます個化することを実感しているがアートもそういうことになっている。今月号のBTの特集は「新世代アーティスト宣言」である。全部で70人くらいの作品が並べられている。そのうち14人の比較的長い文章もある。それらをさーっと読むと、殆どの人が自分ワールドにいることを感じるが、その中で一人異質なのは田中功起。彼は自分ワールドのことは書いていない。そうではなくて自分が学んだ世界、あるいは自分が組んだ仲間世界で得られたことを全否定して自分を再構築する必要はないと言う。なぜなら学びつつも、組みつつもそこに自分は少なからずいたからである。だからそうした文脈を正確に解きほぐしつつ自己と他者を見極めようとするのである。これは登場するアーティストの中で田中が比較的上のジェネレーションに属すると言うことに由来するのかもしれない。まあ理由はどうあれ、僕には彼の考えになんとなく賛同できる。マイクロポップ以降の可能性?

May 24, 2010

建築家は社会の言葉に追いつけるのか?

今日は土砂降り。雨は大嫌い。朝一のアサマに乗る。車中、奥村倫弘『ヤフートピックスの作り方』光文社新書2010を読む。ヤフートピックスとはヤフーニュースの最初の方に13文字で並べてあるニュースのサマリーである。僕は長野では新聞をとっていないのでヤフーニュースにはお世話になっている。あのトピックスを作るのに実に様々な試行錯誤や戦略があることを知る。午前中講座会議。博士論文の審査の打合せ。終って研究室に来客。昼食抜きで午後の講義。今日は『言葉と建築』のfunctionの章。この言葉が「使い勝手」という意味を帯びたのは19世紀も最後の最後。ワーグナーが『近代建築』で目的建築論を提示してからである。そんな言葉に僕らは日夜振り回されている。3時からゼミ。今日の輪読は土居義岳さんの『言葉と建築』久しぶりに読ませていただいた。日本にはフォーティーのような本がないなんて軽率によく周りの人に言うのだがここにしっかりある。GAの連載として書かれたものをまとめた本なのでそれなりにジャーナリスティックな読ませる構成ではあるが、言おうとしていることは同じである。建築の評価はその時代の広くいえば「エピステーメー」狭くいえば「言葉」によって規定されているということである。二つの『言葉と建築』を通読しながら僕らは言葉の呪縛からどうしたら抜けられるのかを考えさせられる。先日の伊東、坂本、富永鼎談も見方を換えればここに来る。モダニズム時代のエピステーメ―から抜け出てどうしたら社会と共有できる言葉を発見できるかということを皆さんおっしゃっていたように思う。しかるに社会の言葉は凄い勢いで変化する。それに建築の変化はついていけないでいるというのが実情のようにも見受けられる。建築がやっと変った頃には言葉はすでに違うところに行っている。そう思うと現在の社会と何かを共有しようなんて言っていたら何時まで経っても追いつかない。先回り、あるいは変わらない何かを目指さないと同じ地点に立つことはできないのではないだろうか?

May 23, 2010

ティンバライズ建築展

午後事務所で詳細図の打合せ。見積もり事務所に遅れて流し込むのでスケッチでよいので落ちの無いように指示。夕方スパイラルで行われている「ティンバライズ建築展」http://eeg.jp/HKZ4fを覗く。学会のバイオマス委員会で木造中高層の話をしていたのだが、先に大々的に行われてしまった。でも充実した楽しい企画である。ここにはOFDAのパートナーの伊藤君のデザインしたテーブル「サンブスギの家具」http://eeg.jp/6LZ4も展示されている。デザインプロジェクトでは、池田靖史研究室のものと、佐藤淳さんの構造設計によるSALHAUSが美しく印象的だった。見終わったら6時。ワタリウムは未だ開いている時間。外苑前へ地下鉄で移動。ナカジの奥さんのガムテープバッグの陳列を見る。http://eeg.jp/lLZ4これが噂のガムテバッグ。是非作ってみたい衝動にかられる。美術館で行われている「落合多武展」を見る。熱帯雨林の中で紙面を見ずにひたすら描かれた色鉛筆スケッチが魅力的だった。

個がますます個化する

午後からA0勉強会。ついに読み合わせ2回目の最終章。Geoffrey Scott `Academic Tradition`。年内には方が着くだろう。
夕方スタッフと打ち合わせ、見積もり事務所への質疑応答。夜、2月に行われた建築イベント6Qを主宰した学生(いやすでに修了生だが)が4名来所。イベントの続きとしてのインタビューを受けてから食事。あの時発表した修士2年生6名のうち就職したのは3名だそうで、後は研究生、プ―太郎、海外研修。とのこと。就職が厳しいのか、社会へ出ることへ魅力が無いのか。面白い。また6名は三つの異なる大学だったのだが、彼らの建築的興味を改めて聞いてみると。大学毎で(あるいは個人個人で)全然異なる。これだけ興味が異なる人間が一緒になって6Qのようなイベントをやっていたことが面白い。昨日も書いたが個人個人の目指すものがますますばらばらになりつつあることが良く分かる。4名のうちの一人が来月からブエノス・アイレスのスーパー・スザカという事務所で働くそうで、情報交換。

May 21, 2010

マス感性

午前中早稲田の演習。今日のテーマは階級性。ファッションと建築を階級と言う切り口で19世紀後半から現在までパラレルに語る。今日の一冊はソースティン・ヴェブレンの『有閑階級の理論』筑摩書房。流行は上流階級から下層に向かって滴るように伝搬するという話。階級ごとにスタイル化されたファッションも建築も近代市民社会の成立を期に同じスタイルを大量に供給せねばならなくなった。ここに求められたことは安く、早く、大量にである。だからモダニズムとは文化の牛丼化であると説明したのだが、それは言い過ぎか?
午後事務所に戻りクライアント電話で細かな入札スケジュール調整。いよいよあせる。来週からOBナカジに2週間くらい助っ人をお願いする。
夜、佐々木俊尚『電子書籍の衝撃』を読み終える。実はだいぶ前からkindleが欲しいのである(未だ買ってないが)。理由は単純で、多くの本を持ち歩けるから。どれだけ持ち歩いても数百グラムである。長野東京往復の身には重いカバンは応える。加えて検索機能はたまらない。ただ持ち歩きたいのは建築洋書の定番というようなもの。サマーソンとかバンハムとかワトキンとか最近ならヴィドラーとかコロミーナ。だがそう言う本は未だ電子ブック化されていない。でもそれは時間の問題だろうから先ずはこのタブレットを横に置いてみたいと思っている。
なんていう気持ちがあるのでこの本を読んでみたのだが、電子書籍の意味する別の大きな問題提示に少なからず驚いている。それは電子書籍のプラットフォーム、例えばアマゾンではもはや二万円くらいでISBNを取得すれば無料で電子書籍が出版できるのである。後は勝手に定価を設定して売れれば何割かが自分に入ってくるのだ。こうしたself-publishは既に音楽では当たり前に行われている。こう言う時代の文化とは一体どうなるのか。ここで著者の面白い指摘があるのだが、大衆消費社会は85年くらいから分衆の時代、感性の時代へ移行したと言われるが実は90年代終わりくらいまではずーっとマス感性だったと言う。それが上記self-publishやself-distributionの時代に入って本格的に個の時代になって来たのだそうだ。そして今後一層マス感性が淘汰され個の感性が強化されると予想するのである。表現者も受容者もフラット化するということである。
こんな話を聞きながら、先日の建築巨匠三人の鼎談を思い出した。社会、世界、大地というあの発言。建築外と繋がりたいというあの発言である。あの建築の外とは一体何なのか?大衆消費社会にどっぷりつかった巨匠たちが建築の外を指す時その念頭にあるのは90年代のマス感性なのでは???と思えてきた。いやそういう俗っぽいことではないにしろ。多くの人通ずる感性であることには変わりない。しかるに現在建築の外は上述の通り一枚岩ではないのである。そしてどんどん個別化されていくのである。数多くの漂流する個性化した小さな宇宙である。その時多くの人に共通する感性とは何を指すことになっていくのだろうか?????

甲府遠征ばたばた

朝一でとてもイヤーなメールをいただく。何でこういうことになるのかいささか理解しがたいのだが。少し冷静に対応せねばならないので一日考えることにする。8時半のかいじで塩山へ。スケジュールの打合せをしながら最終図面の理事長への説明。午後甲府へ移動して現説。施工者はある方のご紹介なのだが、とてもしっかりしていそうなので少しほっとした。言説後雑談をしていたらクライアントの姪が早稲田の文化構想学部で昨年僕の演習をとっていたとのこと。昨日も感じたが世の中狭い。悪い評判はなかったようでほっとした。夕方のアズサで新宿へ。事務所と連絡をとったスタッフのT君から、設備の大きな問題が発生したことを知る。一難去らずに又一難。最近問題が累積していく。どうして今頃???設備事務所に℡。スケジュールが厳しいのは分かるが、今になってこんな問題はないでしょう。と所長さんに解決方法を考えてもらう。事務所に戻ると解決法が連絡されていた。おいおい最初からやってくれ!!帰りの車中佐々木俊尚括『電子書籍の衝撃』ディスカヴァー・トゥエンティワン2010を読み始める。電子書籍の未来はI-podを見ていると予測がつくと始まる。そうかもしれない。もはや買うならI-padと思っていたがkindleの利点も多々あるようだ。

May 19, 2010

生きられた家

午前中JTの撮影。JT担当のNさんがスタッフのUさんと大学院の同級生で鉢合わせ。世の中狭い。クライアントの都合で撮影が一年ずれた。その間家の中は大幅に変わった。不要なドアは外されたし、家具も予定外なものがいろいろ入ったり。「生きられた家」となっている。撮るにあたっては家具など少々移動した。さすがにそのまま撮る訳にもいかなかった。そう考えるとHOUSE SAって改めて凄いと思う。生活そのまま撮ってあの姿。インクルーシィヴに造るって並大抵ではない。
その家具の移動など張り切ってやったら腰にきた。自分は力持ちなんて思っているとこういうことになる。事務所に戻り整形外科に行った。レントゲン撮ったら実にきれいな背骨で椎間板も傷んでいないと言われた。ただ腰の左側がちょっと炎症を起こしているとのこと。過信しているとこうなるよと注意された。毎日ストレッチしなさいと言われ炎症止めをもらった。事務所に戻り5時から金箱事務所と打合せ。設備のダクト、パイプの経路の納まりなので問題が起こる度に設備に電話。この際テレビ会議でもしたら手っ取り早いのか?アルプとやった国際テレビ会議を思い出す。痛みがひどく9時ころ中座して後はスタッフに任せて帰宅。

May 18, 2010

南米のものさし

朝ゼミ。m2の修論のテーマ、引き算の建築、巣の建築化、生命、視覚的連続性、4つ。今日は時間がなくそれぞれの今後やるべきことのアドバイス。2コマ目はテレビ会議。長野、上田、伊那、松本を繋いで行う。便利と言えば便利だが、コミュニケーションはしずらい。午後3年生の製図エスキス。TAもエスキスしないと終わらないというのはちょっと厳しいねえ。6人がかり。6時7分のアサマで東京へ。車中読みかけの『中南米が日本を追い抜く日』を読み終える。その中にこんな話があった。日本の食の話である。日本の食卓に洋食が大々的に登場するのは戦後。それから半世紀でアメリカンスタンダードに染められたのだが著者はこう言う「そして今、日本は金融、市場もアメリカンスタンダードにあわせていこうとしているようにみえる。世界には、もっと違うものさしもあるのだが」。僕がアルゼンチンに言った時に感じたのはこれにかなり近い。もちろん世界には数多くのものさしがある。中国だって、インドだって、、、、しかしdeveloping countryのものさしは興味深いがそう簡単に受け入れられるものではない。それに比べれば欧米のものさしは受け入れやすい、というより既にかなり受け入れてきた。では南米はどうだろう?南米のパリと言われるブエノスアイレスだけれどパリとは全然違う。食べ物も町も建築も気候も経済も、、、、ものさしが違う。それは日本にすんなり受け入れられそうでいて欧米とは違う。欧米ほどきちきちしていないゆるーい感じである。このものさしはこれからの僕(ら)には是非欲しい何かを持っている。その意味で欧米にかぶれて成長してきた日本がもっと自分たちを相対化するのに欠かせないのが南米のものさしだと思うのである。
ところでこの本は三菱商事の社員の情報を朝日新聞記者が再構成したもの。情報はすべて三菱商事である。それでふと思い出した。その昔サッカー部の同窓会で名刺交換した先輩が三菱商事の偉い人だった。その方は日本アルゼンチン友好協会の会長もしていたし、その昔日本にサッカー番組が無い時に、「三菱ダイヤモンドサッカー」という番組を立ち上げスポンサーとなり世界のサッカーフィルムの買い付けまでしたという。凄い先輩もいるものだと思っていたが、この本を読みながら、南米最大の情報網は実は国でも新聞でもなく商社なのだということを実感した。

May 17, 2010

エコロジーを批判せよ

9時に丸善に行く。誰もいない本屋の快感を一度味わうと忘れられない。走るように欲しい本をカートに突っ込んで宅配する。その中の一冊津田大介『Twitter社会論』洋泉社2009だけ持ち帰り,車中読む。誰かに勧められて最近twitterをやり始めたのだが(tsakaushi)昔の友達に会えたり(それはmixiでもそんなことがあった)、ブログをリンクさせるとそれへの反応を頂けたりと少しその効能を知り始めた。僕が呟くのはもっぱらパソコン上。本当は携帯で何も出来ない時にするものなのだと思う。その方が臨場感ある。電車待ちしている3分間とか、信号待ちしている1分間とか。そういう、ひょっと空いた時間の呟きこそ呟きだろう。
午後は言葉と建築の講義、今日はform。夕方教員会議。ゼミ。今日の輪読はジョージ・マイアソン『エコロジーとポストモダンの終焉』である。ワトキンの『モラリティと建築』を読んだ後なので、現代のモラリティとは何かでこの本を読んでみた。もちろん現代のモラリティとはエコロジーのことである。しかし僕がこの本を通して学生に分かって欲しいことはこの抗えないエコロジーにひれ伏せよということではない。そうではなくむしろ全く逆のことである。モダニズム全盛期にモダニズムのパイオニアたちはモダニズムのモラリティである、機能主義や合理主義に100%身をささげていたわけではなく、50%はまったく半モダニズムを標榜していた。その批判精神がモダニズムのモラリティを昇華させたのだと思っている。モダニズムのパイオニアたちの後の中だるみ期間ではこの批判精神が失われた結果、建築はひどく堕落した。エコロジーも同じであろう。抗えないからこそ抗う必要がありそれを批判的に昇華しないといけないと思っている。加えて正確にその実体を見極めないといけない。

更生工事

柳美代子『住まいと女―女性から見た日本住居史』京都松香堂1983を読む。フェミニズム建築論のはしりかと思ったが、もう少し機能的な視点だった。続けて石田博士『中南米が日本を追い抜く日―三菱商事駐在員の目』朝日新書2008を読む。昨夏アルゼンチンへ行く時日本に中南米の情報が少ないものだと思った。著者は朝日の記者だが朝日新聞の駐在ンは南米はサンパウロに一名しかいないそうだ。因みに中米はロサンゼルス支局がカバーする。一方商社員は新聞屋より駐在員の数が多い。だからこの本は朝日のデーター網ではなく三菱商事駐在員の目から見た中南米を朝日の記者が再構成した本である。
朝日より三菱商事の社員数の方が多いと言うのは面白い。社員の数はその人が生み出す利益によって決まるということか。中南米ではニュースヴァリュー(情報価値)は小さいが、マテリアルヴァリュー(モノの価値)は高いということである。
午後事務所に行き打合せ、屋上階から、階毎に、構造伏図と設備伏図と平面図をテーブルの上に置き目をぐるぐる回しながら、雨水配管、雑排水管、汚水管、そして換気ダクト、空調ダクト、の梁貫通をチェックした。4時間くらいかかって一通り終了。そう言えば空調ドレインのルートを確認し忘れた。
7時半からマンションの理事会。今年は排水管の「更生工事」を行う。古くなった排水管を直す方法は二つある。一つは取り替える「更新工事」もう一つは管の中に樹脂を噴霧して錆び穴をふさぐ「更生工事」である。基準階が同じでpsが真っすぐ通っているような集住では排水管をそっくりそのまま取り替えやすいのだが、僕のマンションは各階のプランが異なるのでpsが縦に通っていない。パイプは天井裏で横引きされ、加えてコンクリートへの打ち込み箇所が多く取り替え不能である。したがって「更生工事」とせざるを得ない。この工事は供用部から全ての工事を完結できず、専用部内で四日程度は工事が必要となる。そのた居住者に在宅してもらわないと仕事ができない。すでに昨日で3回の説明会を行い20日の最終回を入れると出席が三分の二くらい、連絡が取れない人は4名程度と結構優秀な成績となっている。工事の次の議題は決算報告。数字が並び始めると眠くなりお腹が鳴る。終ったのは10時。理事の中では僕は若い方なのだが皆さん元気である。

May 16, 2010

伊東、坂本、富永鼎談

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午後四谷駅のジムに行ってから南北線で大岡山に行く。東工大のテックフロントのホールで学会が主催する伊東、坂本、富永鼎談を聞きに行く。ぎりぎりに会場に着いたら満員だった。東工大の諸先生に加え、首都大の小林さん、京都の田路さん、工芸大の市川さん、東大の岸田さんなどがいらっしゃっている。
鼎談はそれぞれの30分のショートレクチャーを行った後、奥山さんの司会でディスカッションを行うというもの。伊東レクチャのタイトルは「抽象性+批評性をめぐって」。高度経済成長の明るい未来が万博とともに終焉して、抽象+批評性の建築が磯崎、篠原の主導で登場した。それについて行った若い建築家は徐々に社会に組み込まれていない自分を感じ始めた。社会はまさにこの「抽象性+批評性」を弾き飛ばしてきた。それゆえ社会に組み込まれていくためにはこの「抽象性+批評性」を後景化せねばならないtと語る。続く坂本さんは閉じた箱を開くことをやってきた。その目的は自由の確保であり、それによって建築が世界と繋がる可能性を探りたい。そして世界を取り込むためには建築空間というよりも、雑多なもモノを受け入れる場を作らなければいけないと言う。富永さんは自らが行ってきた3つの手法として「内なる空」「コルビュジエの日本化」「大地の空間」を説明。現在その大地性に惹かれ、それは建築をとりまく大きな環境との連続性であるという。
3人の話にはある世代の共有する感覚が感じられた。それは伊東さんの社会、坂本さんの世界、富永さんの大地という言葉が共有するニュアンスである。それは建築の外へ繋がる関心である。そしてそこへ行くための方法として建築の内的論理(理念)の後景化と人やモノの前景化が挙げられた。
建築はギリシアの時代からイデア(理念)とモルフェ(形)ヒューレ(質料)で出来ていると言われてきたし、それは今でもそうずれていない。イデアを唱えるプラトニズムは中世一休みし、ルネサンスのネオプラトニズムとして再来する。そうしたイデアをひっさげて登場したのが建築家であり、イデアを語ることによって建築は熟練技術から自由学芸、「学問」へ仲間入りもしたわけである。そもそもイデアを語るのが建築家でありイデアを語らないのであれば石工でよい。中世へ逆戻りするのである。信大でも建築はモノ(モルフェ、ヒューレ)でありイデアに興味はないと言う学生が多い。そのせいか去年も修士を終わって大工になった学生が二人いた。建築の中世化である。
これは最近の傾向なのだろうが、イデアを語らないというのは一つのポーズである。イデアを語らない建築家は存在しないのである。イデアを語ることが建築家の定義なのだから。秋のワークショップで日本に来るアルゼンチンの建築家からもらった課題がこう始まる「物の定義に関するフィールドは二つの重要な側面と関係しています。一つの側面は「本質」という概念と関係しています。もう一つは、その本質の具現化ということです。イデアとしての本質は、全ての建築作品の創造のために重要な基盤であり、欠かすことのできないものです」。建築のイデアとは西洋建築の伝統の中では不滅だと思われる。そう言うものが簡単に無くなったり出てきたりするのが日本である。とても面白い現象である。イデアとともに建築家が消滅することは考えにくい、イデアその後というのがあるはずである。

May 14, 2010

就活

午前中早稲田の講義。もう5回目なのに初めてとか2回目とかいう学生がいたりする。理由は就活。リクルートスーツの学生が結構いる。なるほど就活の弊害と言うのはこういうことか。うちの大学だと4年になると単位は取り終っていて残りは卒論という学生が殆どなのであまり気にしたことが無かったのだが、他の大学では4年になっても単位とるんだ!!結構びっくり。曙橋に戻りランチとりながら文芸春秋のANA社長の記事を読む。JALへの公的資金を入れた無節操な再建への批判が書かれていた。僕はJAL経営悪化の理由の一端が無計画地方空港への就航にあるのだと思っていたが、それはどうも誤解のようである。JALはそうした地方へ殆ど就航しておらずむしろANAの方が飛ばしているのだそうだ。1兆円もかけて再建するからには大鉈を振るってもらわないと国民はやってられない。事業仕分必死にやっても7000億程度だというのだから。
午後1週間追っかけまわしていた下請け業者とやっと連絡がとれた。下請けと言ったってとても大きな会社なのにこんな無責任なことでいいのかと呆れる。建築業界が土建屋と馬鹿にされるのはこういう無責任が横行するからだ。その後、昨日見られなかった設備構造図のレビュー。なんだかまだ落ちがあったり見にくかったり。飯を食ってからもう一つのプロジェクトの見積もり質疑と足りない図面のリストアップ。見積もり事務所には先週一般図、仕上げ、建具、矩計図等を送ったのだが金に関わる詳細が出来ていない。とりあえず一番大きそうな駐輪場の上屋のスケッチを描き構造に送るようにUさんに指示。特記仕様書は今回は付けないで図面に全て書き込む方針にする。その上で落ちている点をリストアップ。図面に書くことと見積もり要項書に書くことを仕分。なんてやっていたら10時になってしまった。アトリエワンでやっている貝島さんの出版を祝う会に行こうと思っていたが、お開きの時間になってしまった。電話をしたら案の定彼女のしめの言葉の真最中。お祝いとお礼を伝えて電話を切る。

May 13, 2010

日建の査図は凄かった

午後事務所で昨日の塩山の打ち合わせ内容を聞く。慣れぬ入札スケジュールにあたふたである。現状の問題を洗い出すと構造と設備の納まりの確認ができていない。残り一カ月は戦争である。夜は甲斐の家の図説前の図面レビュー。意匠図を見終わったところで根が尽きた。これ以上続けると見落としが出そうなので続きは明日に回す。昔日建の査図(図面チェック)ではちょっと大きな物件では2~3日連続で計30時間くらいやっていた。監理部長「鬼の三宅」という方が図面を真っ赤にしてくれた。特に仕上げ表と建具表の一枚目は一言が膨大な金に影響するので、それぞれ2時間はかかった。三宅さんの集中力はすごかったなあと感心する。真っ赤にされた図面は全てどう直したかを番号をふって図を付けて報告書で出す。その報告書がA4で十枚は軽く超えていたのを思い出す。辛かったけれど勉強になったし、現場で助かった。あれだから日建のクオリティは保てていたと今更ながら感心する。あれに負けじとやっているのだが三宅さんの域に達するのは一生無理な気がする。

May 12, 2010

上海万博

午前中後期のアルゼンチンワークショップのコンテンツとタイムテーブルの案を作りブエノスアイレス他関係者にメール。ワークショップ開催中市内で展覧会をしようと言う学生の提案に乗り、どこかの蔵を借りられないかと検討中。午後4年の製図。エスキス前に『フレームとしての建築』を教科書に実際の建築の設計苦労話を披露しようと思ったのだが教科書持ってきている学生はいませんでした。いやー参った。こいつら研究室に入れなければよかった。研究室の先生が本出したら買ってすぐ読もうと思わないのかなあ?先生の考え方をいち早く知りたかったなんていうのはもはや昔話なのだろうか?まあ知る気が無い人には無理に教えることもないと考えよう。
帰りのアサマで週刊誌読んでいたら上海万博の情報。アゲル記事があれば、サゲル記事もある。後者の中に入場者が激減して終わるころには人がいないだろうなんて揶揄しているものがある。その理由は①まだ出来ていないで工事中。②汚い。③場内の植栽で用を足す。うううう。思い出す自分の現場。全てが当てはまる。万博の中には見たいパビリオンもある。特にイギリス館。8月にはまた現場に行くことになりそうだが、イギリス館見るために会場に行く気にはなれない。

May 11, 2010

現代のヴァザーリにならないように

午前中のゼミ。先週は工事で窓が開いていて寒いし、今日は引っ越し業者が走り回っていてうるさい。教育施設なのだから大学の施設部はもっと気を使って欲しいものだ。午後製図。エスキスは楽しい時間でもあるのだがエネルギーを消耗する。その昔、香山先生が明治大学の退官パーティで「製図は闘い。戦う気力が無くなったので辞めます」とおっしゃっていたのを思い出す。
夕食後ハンス・ベルディング元木幸一訳『美術史の終焉?』勁草書房(1987)1991を読む。ここで美術史と言っているのはヴァザーリ流の美術史のことである。それは「良きものからより良きものを、より良きものからもっと良きものを区別する」美術史である。つまり美術がある進歩を遂げていくと言う史観であり、そうした考え方の終焉を言っている。ではそうではない美術史とは何かということについては明確な回答は避け様々な可能性を語っている。今時進歩的美術史観なんて!と馬鹿にしていると足元をすくわれかねない。我々は建築を語る時にでも、これよりこれはいいと言う時にそれはある尺度を設定してその上での進み具合を言っている。そして往々にしてそんな尺度を我々はそんなにたくさん持っているわけでも無かったりするではないか!!!いつの間にか現代のヴァザーリになっている自分に気づかないだろうか?ベルディングの言葉を肝に銘じておかないと。

May 10, 2010

感応する空間

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yellow room by ofda 2008

朝から学科会議。11時ころ終り午後の講義のテクストを読む。『言葉と建築』のフレキシビリティ。GW明けの最初の授業は久しぶりで楽しいような、疲れるような。その後ゼミ。今日はワトキンの『モラリティと建築』。五十嵐さんがこの本を読んで建築史を相対化できたとどこかに書いていたような気がするが、正にこの本をバンハムの次に読ませているのはそういう意図からである。歴史は一つの虚構であり、その数は限りなくある。ゼミ後の1時間設計はベンチューリの母の家を題材に、母の家を改造して別のメタファーを作れと言うもの。母の家は言わずと知れたブロークン・ぺディメントである。そして意図的に表層的である。そこでもっと日本人にも通用するメタファーで3次元的な空間を作れという課題を出してみた。1時間後スケッチが届く。「メタファー」なんてなんだかポストモダン時代に逆戻りしたような課題だが、80年代のメタファーとは異なるもっと空間的感応的メタファーを期待した。すると、なかなかそれに応える解答がある。ちょっと嬉しい。なんでこんな課題を思いついたかというと、もちろん相手がヴェンチューリだということはある。装飾を研究テーマとしているということもある。しかしそれに加えて、先日頂いたおはがきにも影響されている。それは拙著『フレームとしての建築』を謹呈した桐敷慎次郎先生から頂いたものである。先生は拙著をご覧になられ、あの中で一番興味深いのはyellow roomhttp://www.ofda.jp/sakaushi/works/type/06other/03/index.html#であり、今後もっと装飾の研究をすればよいとしたためられていた。yellow roomは文字通り黄色い部屋(茶室)なのだが、5色の黄色を塗り分けて人間の色彩知覚の閾値に挑むような作品なのである。桐敷先生の言葉は短くその真意は計りしれぬが、あの感応的な空間に興味を示してくださったことが嬉しく、そうした空間の可能性を探りたい気になってきたところである。そこで今回の課題もあまり理性的なものではなく、感覚で分かり作るということを考えてみたのである。

May 9, 2010

地方コミュニティ

スタッフからメールで質問がきたので夕方事務所に。僕のチームは全員いた。これで彼らはGW中完璧に無休。しかし、明日見積もり事務所に図面を渡すというのに、今日やっと届いた構造図の基礎が見事に布基礎になっている。数週間前に届いた構造図が二重スラブで基礎底が地盤の関係で2メートルも深かった。こりゃちょっと勿体無いと思って、できる限り布基礎にして欲しいとお願いしていたのだが、それがよりによってこんなぎりぎりに回答が来るとは。断面から矩計から大量に直しが発生する。間に合うだろうか?
心配しながらアサマに乗る。読みかけの広井良典の『コミュニティを問いなおす』を読み続ける。彼のコミュニティの定義は二つあって、一つはコミュニティには外部があることもう一つはその外部に対してコミュニティはアプリオリに開いているということ。そして、コミュニティの中心について語る。それは歴史的に3段階あり、伝統社会では神社、寺、次の市場化産業化社会では学校、商店街、文化施設、そしてポスト産業化社会では福祉施設、大学、再び神社などのスピリッチュアル施設だそうだ。そしてこういう施設はコミュニティが外部と繋がる場所ではないかと推論する。外部と繋がるコアがコミュニティには必要という考えは賛成である。地方主義の最大の問題はその内に閉塞することである。閉塞した地方に未来はないと思う。長野で考えるとスピリット施設善光寺、大学施設として信州大学がある。これを利用しない手はないのだろう。もちろんこちら側にコミュニティコアとしての自覚が必要なのは言うまでもないのだが。

May 8, 2010

三越の猪熊

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僕が良く見てい東京美術館のホームページがある。最近それを使っていなかったのだが(最近は東京アートビートを見ている)、何を間違えたか今日それを見たらオペラシティのアートギャラリーで「6+(シックス・プラス) アントワープ・ファッション」が6月までやっていることになっている。そう言えばアントワープは去年もやっていたけれど見られなかったなあなんて思ってかみさんと初台に行った。「あれ?おかしい」ギャラリーでは「猪熊弦一郎展」をやっている。ICCかしら?と思って行ってみるとICCは閉まっている。ギャラリーの受付で聞いたら「アントワープは一年前にやってました」と申し訳なさそうに言う。ああ、、、、あのホームページは一年前から止まっているわけだ。良く見ず来たのが僕のミス。ここまで来て帰るのもなんなので「猪熊展」を見た。そしたらこれがなんともいいのである三越の包装紙で有名な猪熊さんだが、その感性が様々な絵の中に染みわたっていた。http://ofda.jp/column/
今日の東京は実に穏やかでいい天気。「一年中こんな気候の所に住みたいなあ」と言うと、かみさんが「そんな場所あるの?」と聞く。そう言われると答えに窮する。地中海沿岸なんてそんな場所なのだろうか?それとも去年訪れたブエノスアイレスとか??
夕刻事務所へ、塩山第二回目の見積もり前最後の図面チェック。夕飯抜きで終わったら11時。腹減った。

May 7, 2010

ポスト消費社会の生産性とは

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早稲田大学文化構想学部 学生撮影 

午前中早稲田の演習。今日は学生のプレゼン。全二回の講義(男性性⇔女性性、永遠性⇔消費性)をもとに自ら建築写真をとってきて批評せよと言うもの。結構刺激的だった。永遠性が現代社会に求められる価値ではないとして、消費社会を脱却した今、求められている建築の質として「生産性」という概念を提示した学生がいた。彼女はセルフビルトの工房を撮影してきた。それは住人の生産能力が形となったものだが、その質が訪れた人の想像力をかきたてる(生産する)のだと言う。なるほど面白い。セルフビルドが消費社会以降の建築の新たな方向性の一つというのはまあよくある話として、そこには作る側だけではなく、受容する側にも生産というベクトルを生み出しているのだと言う解釈が気に入った。こういう生産性は真の象徴性と言い換えることもできるように思う。
また廃墟の中に永遠性と消費性のアンビバレントな価値が内在しているのではないかという仮説もユニークだった。たかだか10分のプレゼンなのだが、されど10分。オリジナルな掴み(つかみ)のあるプレゼンは光っている。
午後事務所で新たに納品された大判プリンターと大格闘。おいおいまともに動け。ロール紙のフィーダーがいかれているのかもしれない。

May 6, 2010

女性の居場所の移動

このところ東京も暖かったが、甲府は30度を超えていたと言う。夏は鹿児島、冬は秋田と言われる所以である。甲府遠征の電車の中で西洋住宅のプランの変遷を日本の住宅と見比べた。どういう視点で比較しているかというと住宅内での女性の居場所の変化の比較である。日本の住宅であれば西川祐子が分析しているように、(いや平井先生を始め多くの方が分析しているように)父権制のオヤジ座敷中心の間取りが、徐々に書斎や応接にオヤジの居場所が追い込まれ、家の中心に家族が皆集まる場所としての居間が登場し、応接が北側に追いやられそのうちなくなって家事室が居間の脇の日あたりのいいところにできてと言う風に女性の居場所が家の良い場所を占めてくるわけである。西洋住宅でも所詮父権制の世界から女性の地位向上という同様な社会変容があるのだから平面も同様な変化をしているだろうと思って平面を追っかけてみたわけだ。そうすると中世の領主の家から近世の住宅になるとやはり主人のための応接空間が南の良好な場所に登場し、19世紀になるとタウンハウスのようなプランではそれが一~二階に現れ、主婦の台所は半地下に作られる。寝室は最上階。寝る時以外は半地下にいる訳だ。それがモダニズム住宅になると陽のあたる場所に台所が登場し、居間なるものが現れる。ライトのロビー邸などでは居間が一番いいところにあり、応接は北側に押し出されることになる。やはり西洋でも女性の場所は徐々にいいところに移動しているようだ。

May 5, 2010

コミュニティを問いなおす

新書大賞(中央公論社)の中で誰かが推した一冊に広井良乗典の『コミュニティを問いなおす』ちくま新書2009があった。広井さんの本は面白いので何冊か読んだし、これも大分前に買って積読状態にあったのだが、順番が回って来た。タイトル自体もそうなのだが、最初の文章を読んでちょっと暗い気持ちになる「これからの日本社会やそこでの様々な課題を考えて行くにあたり、おそらくその中心に位置していると思われるのが『コミュニティ』というテーマである」。僕はこの「コミュニティ」という言葉をうまく咀嚼できない。別の言い方をすると僕の中ではこの言葉がどうにもこうにもうまく位置づかないのである。それは何故かということをよーく考えてみるとどうも大学時代の地域計画(農村計画)の講義にそのトラウマがあるように思える。正確な記憶かどうかももはや定かではないのだが、その講義の中に、「建築を含めた地域の計画がうまくいけばコミュニティがうまく出来上がる」という教えがあったと思う(あるいはそんな教えは無く自分が勝手にそう解釈していただけかもしれない)。その時ぼくにはそれがどうしても正しいことには思えなかったのである。人と人との良好な関係がハードの作り込みによって可能となるなんて妄想としか思えなかったからである。その後、意匠系の研究室に進んだ僕はそのことを真剣に考える機会がないのだが、未だにそれは妄想だと心のどこかで決めつけている。というわけでコミュニティがこれからの時代のキーワードと言われて、そうかもしれないけれど僕たち建築家はそれに対して余りに非力だと最初から匙を投げてしまうのである。ソフトの問題としてコミュニティに関心はあるし、マンションの理事も辞退せずに出来る範囲のことはやっているし、荒木町の石畳を作ろうと言われれば出来る限り協力するし、場所と人が関係を持つことを否定はしない(いやむしろ好き)なのだが、やはり建築がそれに対して何かをできると思うことが分不相応に思えてしまい、この言葉が登場すると喉にものがつかえたような気分になるのである。

May 4, 2010

ニナガワ・バロック/エクストリーム

朝から文章書き。4時ころ家を出て恵比寿へ。写真美術館に行ってからナディフに行こうと思ったのだが、時間が無くなった。美術館は諦めてナディフニ行って「ニナガワ・バロック/エクストリーム」を見る。恵比寿のナディフニ来るのは初めて。表通りから一本裏に入った見つけにくいところにある。住宅街に突如現れる3階建て地下1階。1階が書店で地下と2階3階がギャラリー4階がカフェ。地下にはガングロ他エクストリームな女性写真。2階は蜷川得意の花と最近撮った上海。3階は沢尻エリカのポートレートである。先日この展覧会のオープニングに登場していたのはモデルだったからである。
先日読んだ『女の子の写真』で飯沢は蜷川を両性具有の写真家と位置付け、一歩突き抜けた現代の最先端の写真家と称賛していたが、確かに色の扱いには毎度驚く。しかし一連の上海写真にはそれほどのインパクトは感じられない。上海の力は蜷川得意の色で現れるものでもない。僕には上海の力は人間のどろどろとした蠢きだと思われる。それがあの色の中からは感じられない。蜷川の写真力はその天性の色使い以上に福嶋がいうところの『神話力』が大きいと感ずる。それは時間を上手に扱う力なのである。小走りで恵比寿に戻り四谷へ引き返しジムで30分走ってから事務所へ。23枚の展開図に赤を入れる。10時ころ終り説明をして帰宅。

ガンダムと建築

福嶋亮太の『神話を考える』にこんな文章がある。「表現というものは、親密さの親近感を壊すことによって力を得る。たんに見慣れないものはひとの関心をすり吹けるばかりだし、見慣れたものはそれだけでは何も新しい状況を引き起こさない。むしろ、見慣れたものが見慣れないものになることによって、あるいは見慣れないはずのものから慣れ親しんだ何かが生じることによって、ひとはどうしても対象から目が離せなくなってしまう。フロイトはかつて、この種の攪乱に「不気味さ」の感覚の淵源を見た。本書の文脈で言い換えれば、『不気味さ』とは、リンクしていたものといつしかリンクしなくなり、リンクするはずのないものと過剰にリンクすることによって生じる効果である」。これは僕が建築の表現を考える時の基本を期せずして言い当てている。いや僕だけではなく、福嶋が「表現というものは、、、、」という風に一般論として書いている通り、これは建築をやっている人のかなり多くの人が意識無意識を問わず表現の基本に据えていると思う。いやもっと言えば、彫刻でも絵画でもはたまた文章から手芸、料理に至るまで表現の根底にあるものである。この文章が、ガンダムの解説に登場しているところが面白い。アニメも建築も同じである。
お昼に家を出て1時から塩山実施図面の一回目の図面レビューを行う。関係者4人が打合せテーブルに顔を突き合わせる。一般図(平立断)を見終わったら夕方になった。お菓子を買ってきてもらい、コーヒー飲みながら、天伏せ、矩計を終えて21時。建具表を終えたら23時。展開図23枚残っていたがエネルギー切れ。展開は明日に持ち越し。

『フレームとしての建築』南洋堂、アマゾンにて発売中。
http://www.nanyodo.co.jp/php/detail_n.php?SBID=76f5189b&sbcnt=0&pic_list=p&cate=top&book_id=88361728

May 2, 2010

神話が考える

読みかけの矢作俊彦『悲劇週間』文春文庫2008を読む。たまにこういう何故買ったか思い出せない本というものがある。多分小巻さんに勧められたものだと思うが、何故彼はこの本を勧めたのかが皆目思い出せない。堀口大学を主人公とした歴史小説である。京王線に乗って上北沢に。かみさんの実家に行く。実家と行っても5年前に義父が他界してからこの家は人に貸していたのだが、4月に退去したのでリフォームしようと思い見に行った。丁寧に使ってくれていたようで痛みが少ない。しかし畳と襖紙、障子紙は取り替えざるを得ない。午後帰宅して福嶋亮太『神話が考える』青土社2010を読む。帯に書かれた東浩紀の宣伝文句がすごい「ゼロ年代批評最後の大物新人」の鮮烈なデビュー作。文芸評論はようやく時代に追いついた」である。まだ途中だけれど、著者の言う神話とはひとことで乱暴に言えばネット上の情報提供システムのアルゴリズムのことである。だから神話が考えると言うタイトルは、そうしたアルゴリズムが自律的に動き始めることを示している。ネット上でいろいろなモノが流行り始めるそのメカニズムの内実や、その意味するところを分析する。比較的分かりやすくリアリティを感じるテーマである。

May 1, 2010

1492

ジャックアタリの『1492西欧文明の世界支配』を読み続ける。1492とはコロンブスがアメリカに到着した年であり、レコンキスタのグラナダ陥落の年である。つまりヨーロッパキリスト教社会が新大陸支配を開始し、イベリア半島からイスラム社会を除去した年である。その頃イタリアはルネサンス真っ盛り。昼食後、池上俊一『イタリア・ルネサンス再考―花の都とアルベルティ』講談社学術文庫2007を読む。アルベルティは時代的にはブルネルスキの後、ダ・ヴィンチの前に登場する。1492の20年前には他界する。先日読んだマークウィグリーの論考でアルベルティの建築論が極めて父権的であることに驚いていたのだが、これを読むと当時のイタリアの父権制のなかでは彼の論理は保守本流と言うよりかは革新的と位置付けられている。彼は建築論とともに家族論も書いている。建築家であり倫理家でもあった。それにしてもルネサンスは奥が深い。新しい何かを読めば全ては知らないことだらけ。気が付いたら4時過ぎ。チャリを飛ばし国立近代美術館に。「建築はどこにあるの」展を見る。ぎりぎり4時半に入館。他のものを見ていたら残り10分になってしまった。駆け抜けるように見てから六本木へ。「六本木クロッシング2010」展を見る。六本木もGWで人が多いhttp://ofda.jp/column/