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January 31, 2010

I pad

かみさんは書道の作品提出で朝から外出、娘は模試。ひとりで翻訳本を読み。昼は冷蔵庫を掃除するようにあるもの全部炒めてインスタントラーメンの具とする。午後A0勉強会。パートナーのI君とI padの話題。これはかなり便利そうだし、kindleを買おうかと迷っていた僕としてははかなり魅力的。しかしI padはあくまでI phoneのヴァージョンアップであってコンピューターの軽量化ではない。だからI padを買っても、コンピューターは家に置いておくというわけにもいかないだろう。「2台持ち歩くのはかなり重くないか?」と言うと、「コンピューターサーバーをgoogle docsに任せてしまえば、持ち歩かなくてもいいのでは?」とI君。彼の会社では殆どのデーターがgoogle上にあると言う。これは結構驚きである。メール、カレンダーはもとより、すべての仕事上のデーターもgoogle docs上にあると言う。そんなことが可能なの?と言うか、もちろん可能なのだろうが、会社の重要資料を全部貸金庫の中に入れておくと言うのがちょっと不安。「その貸金庫が火事で燃えたらどうなるの?」と尋ねた傍から、しかし、googleのコンピューターと事務所のコンピューターとどちらが安全なのだろうか?ofdaのコンピューターハードがこの2年間に何回クラッシュしたことか。明らかにgoogleのコンピューターの方が安全であることに気付く。つまり拠点にコンピューターを置き常にgoogleサーバーと同期させておき、その上で、Ipadをモバイルとして持ち歩くというのが理想的なのだろうか????????今日の読み合わせ部分は少し平易な内容。それでも未だ先は長い。何時出版になることやら。

January 30, 2010

岡本太郎

朝、昨日思い出した長谷川堯の2冊の新書を本棚に探したら、なんとあった。建築友情400円、建築旅愁430円である。現在の半分の値段。出版年を見るとそれぞれ1977年、1979年。このころの中公新書はビニールのカバーがつき装丁は白井 晟一だった。午前中、昨日届いた鈴木杜機子、千野香織、馬淵晃子編『美術とジェンダー』ブリュッケ1997の中の3つの論考を読む。西洋美術史の中でのジェンダーについて。森田義之の「ルネサンスにおけるジェンダーとセクシュアリティ」は先日のウィグリーのアルベルティによるセクシュアリティの創出という議論を補強する。古典の肉体主義とキリスト教の精神主義の葛藤がルネサンス期に表出されるということのようだ。続いて鈴木杜機子の「ダヴィッド―ジェンダーの記号としての絵画」は革命以降の近代化するヨーロッパにおける家庭における女性の役割が記号化されて絵画化されていく様を描いている。続いてノーマン・ブライソンの「ジェリコ―と『男性性』」はジェリコ―の描くナポレオン兵士たちの装具の過度な男性的表現に国民、国家の力強さへのイマーゴが表れていることを分析している。それぞれの分析はそれぞれとても面白い。しかし僕が今のところ知りたいのは、日本における縄文的と弥生的のような表現の二軸性みたいなものが西欧にもあるかどうかということなのだが、、、、、???続いてやはり先週届いた岡本太郎の『日本の伝統』光文社1956の縄文土器を斜め読む。この本、僕が生まれる前のもの。紙は日焼けして赤茶色にくすんでいる。彼が縄文に興味を抱き始めたのは1952年ころと言う。建築界が伝統論争をするのは遅れて昭和30年代。岡本の影響なのだろうか?
昼ころジムに行きひと汗流してから岡本の影響で、国立博物館に土偶展を見に行く。土偶から『爆発』を感じるだろうか??http://ofda.jp/column/。今日は天気もよく上野は凄い人出であった。いや上野もそうだが、土偶展自体も凄い人である。こんな(なんて言ったら失礼だが)展覧会はがらすきと思いきや、何故か超満員である。事務所に戻り模型を一つ作ってから帰宅。朝読んでいた本のメモなどとり、研究室から来たコンペのスケッチを見る。なるほど、、、、面白くなるかな??

January 29, 2010

神殿か獄舎か

長谷川堯の『神殿か獄舎か』相模書房1972のオス建築とメス建築の話を読みたいと思って探したが高価な古書しか見つからなかった。そしたらある人がSD選書で復刊されたと教えてくれた。早速取り寄せザーッと斜め読んだ。これが35歳の時の処女作とは信じがたい。藤森照信が解説で長谷川を学兄として慕っているのが納得できる。大正時代の日本の表現派(メス建築)を初めて正当に評価し、それを武器に昭和のモダニズム(オス建築)を初めて相対化したのがこの書だと藤森は言う。そして自らの建築がまさに長谷川の称揚したその精神に立脚していると心の内を吐露していた。それは作り話ではないかもしれない。
長谷川の本は建築友情と建築旅愁という二冊の中公新書を数十年前、多分高校時代、あるいは浪人時代に読んだような気がする。建築に魅かれるきっかけだったように記憶する。その後大学で篠原イズムに浸ってからは、表現派へのこうした心情からは疎遠になってしまった。しかし今こうして読んでみると、再び長谷川の心情に同期する自分がいるのに驚く。大正建築探検をしてみたくなった。

January 28, 2010

ヘルスメーター

帰宅すると新しいヘルスメーターが宅急便で届いていた。10年間使っていたヘルスメーターがまったく信用ならなくなって買い換えた。最近のヘルスメーターは少し高いお金を出すと、体脂肪、筋肉量、内臓脂肪、基礎代謝、骨量まで量れる。一体どういう原理でこんなことが測定できるのかはよく分からない。体中の電気抵抗のようなものを測りそれによってその成分を解明しているのだろうか?ところで、この機械のすごい点は、単に全身のこれらの量を計測するだけではなく、これらの量を体の部位ごとに分けて示してくれる点だ。左右の腕、左右の足、体幹、全身という具合に。人間なんて左右対称だと思っているとそうでもない。一般にきき足やきき手は筋肉量が多い。あるいは僕のように怪我をしてギブスなどしていると筋肉量が落ちる。今日数字ではっきりと出た。
こうやって自分の体を測定するとかなりいい値であることに安心する。特に基礎代謝は1600kcalくらいありこの年にしてはかなり高い。しかし、、、昨日会った旧友は基礎代謝2000kcalと言っていた。もちろんスポーツマンではあったが、今は普通の銀行マンである。とんでもない奴だ。それだからかどうか分からないが、彼はワインなら二本、ウイスキーなら一本までなら二日酔いしないと言っていた。寝ていてもすごい勢いで代謝しているのだろうか?化け物だ。

January 27, 2010

留学生

午前中、留学生試験。12名の受験者がいて数名が受かるのだから狭き門である。事前に多くの資料をもらいつぶさにチェックはするものの、外国の成績表の持つ意味やそれがどの程度の学力を担保するのか判断するのは難しい。幸い、留学生はすべて日本で行われる日本語、科学、物理、数学の試験結果を提出しなければならないので、それを持ってやっと客観的評価ができる。しかし留学生の場合学力以前の問題でつまずくケースが多い。経済的なバックアップの問題である。彼らは親からの自立精神が日本人より高く、それはそれでよいのだが、語学ハンディがあるから日本人の倍勉強してやっとついてこられる。その状況でバイトに追われると、講義には着いていけず、お金はなく、大学に来られなくなってしまうのである。
午後しばらく雑用書類を作り、原稿に必要なメモをとり夕方大学を出る。アサマ車中はゴンブリッチを読み続ける。東京駅で久しぶりに丸善により本を物色、宅配する。事務所に戻り、ほぼ完成した模型を見る。結構面白い。夜は旧友との新年会。

January 26, 2010

カッコイイ女とカワイイ男

午前中事故調査。某建物のトップライトのガラスが割れているとのこと。行ってみると予想通りペアガラスの内側の網入りが熱割れを起こしていた。日建時代も熱割れはいたるところで起こっていた。そしてこれに対してガラス屋は割れることは仕方ないという態度をとり続ける。ハードディスクはクラッシュするものですと言って平気で売っている電機屋と同じである。腑に落ちない。更に、それにも増してこの割れるガラスの使用を強制する法制度はもはや理解不能。火事の時に割れて落ちないためにこのガラスを使えと言うが、火事でもないのに割れて落ちる可能性があるということはもっと問題ではないの??
午後事務所でカワイイデザインパラダイムをチェック。一体カワイイが現代的価値として浮上してきたことを真壁氏はどうとらえているのか?彼はその原因の一端として世の中の母系化をあげる。つまり家庭内において親父の力が下降し、家に長くいる女たち(祖母、母、娘)が価値観を共有し、それが世の中を席巻しているというわけだ。更にそうした価値観が拡張して男的カッコイイをも包み込んでいると言う。一理ある。我々が住宅を設計する時も、クライアントの発言権は旦那より奥さんにある。家にいるのは女だからという理由で。しかし家にいるのは奥さんという時代も何時まで続くか?
ところで真壁理論ではモダニズムがカッコイイ男性でそれにとって代わるカワイイは女性(中性)である。この指標と昨日まで見てきた梅原、谷川による美術における男女的表現の循環運動を接続するといつしかこのカワイイがカッコイイに再転換する時期も来るはずである。それは何時どんな契機で?と想像をふくらましたくなる。その現象はちょっと複雑である。つまり男が家庭化する父系的世界が現れ、再度世を男性表現が席巻しても、その父系世界はすでにカワイイ男に担われているわけだ。そして世の中を牽引する母系は既にカッコイイ女になっているのでは。高校生の娘を見るまでもなく大学を見渡してもそれは伺える。ということは何も変わらないのか?それとも今の表現を担う女性が男性化しその力が表現の覇権を握るのか??
昨日のスケッチの模型化をチェックして事務所を出る。アサマ車中ではゴンブリッチの西洋美術史をトレース。西洋の男女性を追いかける。夜は研究室でコンペの打ち合わせ。方向が見えてきたか?

January 25, 2010

谷川徹三

事務所に行くと谷川徹三の『縄文的原型と弥生的原型』岩波書店1971が届いていた。早速題名となっている論考を読んでみた。縄文的原型を動的、男性的、弥生的原型を静的、女性的と形容している。そしてこの二軸を日本文化の基本と捉えている。また縄文的なものが輝かしく現れたのは平安初期、桃山と言う。その原因を異国文明との衝突に見ている。これは梅原の考えとは異質で梅原は縄文を日本土着のものと捉え、王朝文化を弥生、武家文化を縄文の再現と見ている。
まだ分からぬことは多々あるが、いずれにしても日本ではかなり性格の異なる二つの造形が交互に登場してきたことは間違いない。こうした造形の循環運動のようなものは、しかし、日本的と言うわけでもないだろう。ヨーロッパの造形にしても、動的なものと静的なものが交互に登場してきていると言えぬこともない。これはむしろ人間が何かを表現する時におそらく必然的なことなのではないか?表現とは多かれ少なかれある頂点を極めた後は差異を求めるものである。となれば対比的な何かに振れるのは当たり前のことと思われる。
午後は住宅のスケッチを続ける。ちょっと面白い断面形にたどり着いた。これはコンペの案にも使えないだろうか?

January 24, 2010

日常のトラップ

朝食をとってジムへ。ちょうどピラティスをやっていたので後ろの方に加わる。いろいろな骨が伸びたり縮んだりするような感じである。不随意筋を意識的に動かす練習のようでもある。お腹の底の方の筋肉も大分自覚できるようになった。ジムを出てオペラシティに行きセシル・バルモントの展覧会を覗くhttp://ofda.jp/column/。大量のバナーに生物写真が拡大で映されている。この生物観察を研究室でもやろうかな?観察と図式化でその本質へ想像的に近づこうというのはいいトレーニングになりそうだ。帰宅して相変わらず日本美術史を読む。やっと鎌倉が終了。絵巻物が面白い。積読の中から一冊抜き出す。長谷川一『アトラクションの日常』河出書房新社2009を読む。昨今の我々の生活を取り巻く一連の仕掛けを著者はアトラクションと呼ぶ。その特性は①イベント性②その参加③運動④予定調和⑤複製可能である。そして揺られ乗り込み流され眺め買い物しセルフサービスし繰り返し複製し同期し夢見るという10の運動を説明する。我々を取り巻くこうした自由に見えて予定調和的に仕組まれた罠から僕らはどうしたら抜け出られるのだろうか?というのが著者の狙いのようである。果たして僕らはこうした罠から抜け出なければならないのかどうか分からないが、確かに我々がこうしたトラップに知らぬうちにはまっているのは事実。

三蹟

少々寝坊。駅のカフェで朝食。飲んだ次の日はどういうわけかいつも凄い食欲である。アサマの中で週刊誌を読みながら、昨日の会話を思い出す。まさかあの大澤真幸が事件をおこして辞職するとは思ってもみなかった。しかし、真相はどうなのだろうか?辞職したのだから自ら認めているということなのだろうか?
四谷について昼をとり帰宅。日本美術を読む。話は平安中期。三蹟と呼ばれる3名の書家が登場する。小野道風、藤原佐理、藤原行成。何時見ても佐理の書は自由奔放で素晴らしい。万葉仮名からひらがなが出来たのが9~10世紀。松岡正剛が日本の最大にして最初で最後の発明がひらがなだと言っていたが同感である。そしてそのひらがなを最初にアートにしたのがこのころの書家である。つまりこれらは日本で最初で最後のオリジナルアートなのである。

January 23, 2010

講評会

午前中のゼミ、講義を終えて早めの昼食。今日は製図第二の講評会。ゲストに松田達さんと新雄太君が来てくれた。二人の方に来てもらうのは安田さん藤田君以来。先ず松田君にショートレクチャーをしていただく。建築とメディアについての話は僕の興味とかなり近い。レクチャー後に25人の講評を行う。比較的直観的な新君と、ロジカルな松田君の批評は相補的で面白い。そういう役割分担で行うことを打ち合わせしていたかのようである。せっかく来てくれたので僕は少々控えて二人の発言を聞かせてもらった。なかなか見事な講評ぶりである。今日は3人が皆良いとしたものが一つあったのでそれを最優秀として、3人それぞれの審査員賞、加えて佳作を選んだ。受賞者を含めて本日の感想を建築系ラジオに収録。懇親会は40人近くいただろうかお店一軒借り切って大いに盛り上がる。飲んでいる途中でもう一度ラジオの収録。更に駅前へ移動して2次会3年生もやってきた。

January 21, 2010

昨晩長野に着いて駅で飯を食いながらコンピューターを開くと学生のメール発見「打ち合わせ8時からですよね?」。今既に9時。手帳では明日に打ち合わせとなっている。明日にしようとメールすると、明日はバイトで、、、今日やりませんか?うー帰って寝ようと思っていたが大学へ。そのせいか今日はちょっと眠い。午前中の会議を終えて4年生の最後の梗概チェック。直しても、直しても分からない文章が出てくる。それが、言葉で説明させると分かる。作文技術の問題のようだ。僕は国語の先生ではないので、それは各自やってくれ。
夕食をとって2年生の課題の採点。明日の講評会での発表者を絞る。明日はゲストが二人来るので発表者の人数をいつもより減らすことにする。25名。ちょうど半分である。自分の研究室のホームページで4年前の2年生の同じ課題の優秀作を見てみた。それに比べると遥かに上達している。少しずつだがレベルが上がっているということだろう。
採点を終えて研究室に戻り『日本美術の歴史』を読み続ける。飛鳥、白鳳、天平と来てやっと平安時代である。縄文弥生を抜けるとそこは仏像の世界。これは美術史というよりは仏教史である。仏像も徹底してフォルマリズム分析やる人はいないのだろうか?顔、ヘアスタイル、プロポーション、ファッションと分けて徹底した類型化とその逸脱表現などを分析すると面白いと思うのだが。何が何時できたかというようなことははっきり言って面白くない(もちろん意味が無いということではなく、意匠屋の自分にとって興味無いという意味だが)。

January 20, 2010

縄文・弥生

朝方の脳みその調子がいい内に昨日届いた、梅原猛編『日本とは何なのか』NHKブックス1990の梅原の序文を読む。梅原は平安の王朝文化の基底に弥生を指摘し、その後起こる武家文化を縄文人の遺民による土着日本の噴出と言う。その後千野香織編の『日本?女?美?』に掲載された池田忍の「ジェンダーで読み解く美と権力」を読む。池田は日本文化の中でも王朝文化を持って女性性とする既成の考えを批判的に論じる。源氏物語絵巻から紫式部絵巻日記への男性像の描き方の変化(大きくなり、男らしくなる)に注目し、それは唐と武家への対抗意識であると指摘。またそもそも岡倉天心は王朝文化を女性的であると否定的に扱っていたのが、フェノロサはその逆を輸出し、いつしか逆オリエンタリズム的に日本=女性が定着したと主張。こうして見ると、やはり、ある文化を女性性、男性性で形容することに本質的意味を感じない。それはただ安易で分かりやすい形容でしかないのではなかろうか?ただ、梅原が言うように、縄文的なるものと弥生的なるものが弁証法的に日本文化を形成してきたことは納得のいく話しだ。午後事務所へ。やっと年末作っていたportfolioが印刷されて届いた。スタッフのN君、T君の力作である。住宅のスケッチを続ける。夕方それをもとにT君と打ち合わせ。案を3案に絞り、模型の作成を指示して長野へ向かう。車中、辻 惟雄『日本美術の歴史』東京大学出版会2005を読む。この本これだけカラー図版が多くて2800円とはビックリ。よく売れているということだろう。さすが辻 惟雄である。

January 19, 2010

最近脳みそのバイオリズムのようなものを感ずる。つまり一日の内で最も注意力が増して、冷静で、記憶を呼び戻す力が冴えわたり、そしてそうやって頭の中に並べられた様々なことが直感的に結びついていくそういう時間帯があるということが意識されるのである。でそれは何時かと言うと朝起きて30分後くらいから1時間くらいと寝る前1時間くらい。何のことはない昼間は全く使い物にならないということではないか?そう。一体それはどうしてかと考えると、暇なようでいて、常に何かに追い立てられているような強迫観念に襲われているからだと思う。まあそれほど大袈裟なことでもないのだが、でも多かれ少なかれ常にあれはどうなっただろうか?とかこれは終わっているだろうか?とか心配になる。もちろん働いている人は誰だってそんなことはあるのだろうから、自分だけが悲劇の中にいる訳でもないのだろうが。
それにしても、、、、今日は脳波が調子いい時に所用で文京区のある地区を行ったり来たりしていた。終わって事務所に戻れたのは既に午後4時。そしてスケッチしたりメールしたりしているともう7時。それから打ち合わせすると10時。ここまで来ると力仕事は出来るのだが脳波既に静止しているので考えることはやっても無駄である。脳波が一番いい状態にある時に考えないと、その日は一日棒に振ることになる。という気がする。

January 18, 2010

運動

センター試験にかけてずーっと長野にいたから、家事がたまった(と言っても洗濯物がたまっているわけではないが)。その書類を整理したり、郵便に目を通していたら昼になってしまった。午後事務所で打ち合わせ、住宅の敷地が決まったので、先ずは可能性を求めて動き始める。事務所にいても大学の用事が結構多くて参ってしまう。夕方春休みに来るインターンシップの学生の親が訪れた。フランスの大学のインターンシップは卒業のための必須科目なので僕の受け入れサインが必要。終ったら修了の証明書も必要だと言う。今まで来た学生の大学は書式が無かったのだが、このフランスの大学は書式がありそこにサインと事務所の印を押した。夜、運動をしに事務所を出る。運動が死ぬほど嫌いなかみさんがついに観念してジムに行き始めた。先日自転車でこけて体がついに思い通り動かなくなったことにショックを受けたようだ。四谷の駅の横、土木学会の隣のこのジムのヴィジター券があるので僕も行ってみることにした。僕も一昨年サッカーをやって筋肉を断絶してから運動は一切やっていなかったのだが、50になってそろそろまずいのではと思い、少し体を動かそうと思い始めた。夜のエアロビクスをやったら息が切れた。隣では僕よりははるかに年配の女性が平気な顔してやっているのには参った。

January 17, 2010

センター試験2日目

長い長い(と感じた)センター試験もやっと終わった。今回は試験室の主任監督員で、試験説明をし、部屋の答案回収の責任者をした。時間を間違えず、説明を正確に行うのは少し緊張する。加えて計10回、試験前後に同じ説明を繰り返すのは自分を機械のように思いこまないと務まらない。とにかく今日の午後あたりから頭がぼーっとなってきた。風邪が原因なのかやっていることの単調さが原因なのか分からなかった。
試験が終わり研究室に戻りメールをチェックしてから自転車で長野駅へ。駅で夕食をとり店を出ると電光掲示板の気温が-1度だった。多分昼間も氷点下だったと思う。この数日本当に寒かった。7時のアサマで東京へ。車中ゴンブリッチの『美術の歩み』の必要個所を飛ばし読む。途中で居眠りをして気が付いたら大宮だった。久しぶりに自宅に戻り。日本酒を一杯。

January 16, 2010

センタ―試験1日目

朝起きたら雪。いや参った。センター試験の日に雪が降るといいことがない。案の定、JRで事故があり試験時間が30分繰り下がった。昼からは明るい日差しがさしこんで雪も解け始めほっとする。自分の体もなんとか風邪にならずぎりぎりの線で持ちこたえている。最後はリスニング。ここで何か起こると時間を延長して追試をやらなければならないのだが何事もなく無事終了。
飯食って研究室に戻って、英語の筆記をやってみた。けっこう簡単と思ったが、ネットの答えと合わせてみるとなんと発音とイディオムを間違えた、、、、あれあれ。
夕食をとって一日たまったメールに返信。来週の講評会のゲストで来校する松田達君から信大でラジオの収録をどうですかとの依頼。いいねえ、でも何やるか?
春休みにフランスから来るインターンシップの学生からメール。彼女は日本人なのだがフランス語とポルトガル語がネィティブ、僕とは英語で話し、日本語は日常会話程度のようだ。パリ第五大学で哲学と文学で修士まで終えて、現在建築を学んで3年目。ヨーロッパやアメリカではこういう厚みのあるインテリが建築やっている。日本も負けないようにしないと。a.s.a.p.でいらっしゃいとメールしていたのだが2月3日に来られるとの返事。何してもらおうかな?
試験監督は結構へろへろに疲れる。研究室で読みかけの本を読んでいたのだが気力が続かない。帰ろうと思ったら信大OBのM君から電話。「セシルバルモントの講演会面白かったです」と飲み屋から。そうそう買ったチケットが行けないと分かりM君にあげたのだった。羨ましい。「懐かしい人に代わります」と言われて若松が出てきた。「展覧会どうだった?」と聞くと「模型が結構面白いですよ」とのこと。来週見に行こう。

January 15, 2010

女?日本?美?

やはり風邪っぽさが抜けない。マスクしながら研究室でコンペのプランを整理してみる。いろいろな可能性を発見するのだが、スタディの仕方がどうも違うと感ずる。プランを整理する前にやることがありそうだ。ヨーロッパのコンヴァージョン事例集を眺める。手法を整理すると、挿入するか、被せるか、分割するか、後はその組み合わせである。それはまあ手法であって、一番大事なのはその結果生まれた状況である。その状況は写真じゃ分からない。距離感が伝わらない。この距離感を操作したいのだが。そのためにはどこからやるべきなのだろうか?
午後は明日の試験の説明書や、緊急事態のQ&Aに目を通す。やりたくないが、仕方ない。このQ&Aが山のようにあって閉口する。夕方やっと終えると風邪の頭がぼーっとなってうたた寝。
気を取り直して、原稿のために、こちらに置いてある本をまとめてチェック。石本泰博の『桂離宮』の磯崎論文に目を通す。磯崎論文が読みたいのではなく、磯崎が紹介する丹下の引用が読みたかった、丹下は桂を縄文と弥生の結合と位置付けている。今とりよせている本で、梅原猛もそう主張しているようだ、かたや谷川徹三の本ではもっと2元的な筋のようである、、、本棚を眺めていると面白い本を発見。男女性をやり始めた時に購入してほっぽらかしていたもの。熊倉敬聡、千野香織編『女?日本?美?』慶応義塾大学出版会1999。その本の熊倉の序文を読んで冷や汗。曰く「『日本美術のジェンダー』は往々にして『男性性/女性性』の二項対立的表象で言説化されやすい」、曰く「―上野千鶴子も言うように―暗黙の裡に『西洋』=『父』=普通 / 『日本』=『母』=特殊というオリエンタリズム的表象を繰り返している、、、、、」何が冷や汗かと言えば、男性、女性の2言論、西洋男、日本女の2言論に陥りそうな昨今の自分の思考に冷や汗なのである。もちろんその中間のグレーゾーンが常に僕の思考では重要な部分なのだが、正直言うと事例探索でも言説探索でも、そんな美味い例は見つからなくて、ついつい分かりやすい方へ傾斜してしまっている。時にこういう頭を冷やす言葉に出会わないと危険である。一昨日のかみさんの指摘はまさにこうした単純な二元論に対する痛烈な批判だったわけである。とは言え、建築を語るときにどこまで既成権力を相対化せねばならないかは難しいところだが。

January 14, 2010

これが建築なんてありはしない

どうも昨日のアサマの隣人から強力なウィルスを譲り受けたようで、喉が痛い。あれほど酷い風邪の末期症状で新幹線に乗り込むなど言語道断。もしあれが飛行機で数時間隣にいられたら明らかにこちらも死んでいる。一種のテロリズムである。ハサミやカッターとりしまるのに加えてウィルスチェックもして欲しい。電車も同じ。自動改札機でウィルス保持者をはねたらどうだろうか?。保健室に行って風邪薬をもらい服用。毎度頂く白い顆粒。
マスクをしながらM2梗概の最終チェック。もう終わりとしたかったのだが、、、、案の定まだ終わっていないものがちらほら。仕方ないもう一度来週見ることにした。修士と学部に一つずつ心理実験をして、統計処理したものがある。これがなかなか手ごわい。数三の統計を思い出し(やったはずだが遥か昔)分からないところをネットで調べなんとかフォローするが風邪の頭は追いつかない。まあだいたい間違っていないだろうくらいのことが分かったのでいいことにした。
チェックしたものを学生に渡し、急いで遅めの昼をとり、戻ったら所にリクルーターの方が来研。4時と5時に一社ずつ。終って就職相談の学生が矢継ぎ早に2名。今日の義務は終りと言いたいところだが、メールとスケジュールを睨み会議日程を調整してメール、論文題目をとりまとめてメール、博士課程学生のレポート題目メール、学生の相談へのメール、小さなことも数がたまるとなんだかんだと時間がかかる。
カーサブルータスの最新号が手元にある。住宅特集である。興味深い若い人の作品がたくさん載っている。芸能週刊誌ではないが、毎年毎年登場人物が若くなっていく。Smapは終り嵐というところか?来年は誰になっているのか?先ほど調べ物をするのに開いた本(ゴンブリッチ(Gombrich, E.H)友部直訳『美術の歩み』1972(1967))の序文がこう始まる。「これが芸術だというようなものは、本当はありはしない。ただ芸術家がいるだけである」芸術を建築に入れ替えてみる。「これが建築だと言うようなものは、本当はありはしない。ただ建築家がいるだけである」現在の建築状況に近いかもしれない。

January 13, 2010

たおやめぶり

朝食後しばらく自宅で調べもの。フォーティーの『言葉と建築』によれば西洋建築の評価軸には男らしい・女らしいという比喩があり、それに則れば評価が高いのは古来男なのである。その理由は頑丈で堅固なものでなければ人を守れないからであろうと推測される。建築って当然そうだよなと思う。しかしそう思う反面、世界中どこでもそうだったのだろうか?と疑問もわく。それは西洋が狩猟民族であったことに関係しないのだろうか?ちなみに日本では縄文的(狩猟時代)・弥生的(農耕時代)という通俗的美意識の二元論がある。それは和歌では「ますらおぶり」(男性的でおおらか)な万葉集「たおやめぶり」(女性的で優美)な古今集と繋がるし建築も陶器もそうした二つの系列が表現の軸になってきたところがあった。そしてこの「たおやめぶり」の美意識は既述の通りフォーティーの西洋建築史には顕著には見られない、他の文献を調べても見つからない。これってかなり日本独特なのではなかろうか?(いや自分で言ったことに従えば、農耕民族にはあるはずの美意識かもしれないのだが、、、、)そこでそのことをかみさんにも尋ねてみた。「どう思う?」。彼女曰く日本のそうした美意識の対比は書道史の中にもみられ、平安から鎌倉へかけての書の変遷は典型的な事例のようだ。それは繊細優美から粗で荒々しい字への変化。貴族の暇人と戦う武将の差が表れるのだそうだ。うーんそれは、狩猟、農耕とは関係ないのだが、、、でも平安の「たおやめぶり」が生まれたのは農耕社会ののんびりムードが関係しているのではないのだろうか?ま、その結論はおいておいて、概説本ではこうした変化を女性性から男性性への移行と説明するらしい。しかし彼女が言うにはゲシュタルト的には認知できにくい線の中身に本質があり、繊細優美な平安の字を表層的に女性的と呼ぶのは間違いだというのである。これはかなり本質的な問題をぐさっと突いている。確かに表現の本質において女性的とか男性的という形容は全く意味をなさない。建築を擬人的にそう呼ぶのももはや無意味である。ただ、世の中がそれをそう呼んだという事実だけが意味を持っている。つまりそれこそが性にまとわりついたイメージのお仕着せなのであり、そのお仕着せの事実こそがジェンダー的に意味があるわけだ。なんて支離滅裂なことを考えながら、事務所へ。スタッフと類型化した住宅分析51棟をもとに打ち合わせ。なるほど名建築でもプランはステレオタイプだったりするものだ。つまりプランじゃない所で作っているということである。プランのセイムスケールってよく見るけれど、今度は断面のセイムスケールを作ってみようかな?
午後のアサマで大学へ。風のため新幹線が遅れ気味。アサマは超混雑。隣に座ったビジネスマンがマスクして死にそうなくらい咳をしている。席を移動したいのだが廊下も立っている人がいて身動きできず。車中未だ戦争本を読み続ける。やっと第一次世界大戦。この本では外交文章を例示しながらことの因果を説明する。その結果何故この当時、子供のケンカのようにいたるところで戦争していたのかが腑に落ちるように出来ている。その腑に落ちた僕なりの理解は、それまでの世界は現代世界のように国家がジグソーパズルのようにピタッとはまって出来ていたのではなかったというものである。大国と言われる国は数えるほどしかなくて、後は空き地っていう感じだったのだ。つまりパズルで言えば100のパーツで完成するところに10しかパーツが無い。だからそのパーツはどこにでも置けちゃうのである。言いかえれば世界中に空き地が一杯あって(もちろん人は住んでいるのだけれど)空き地を誰が使おうがそれを誰も文句は言わない。「でも俺が使いたい空き地にはあまり入ってこないでよ」という、そんな世界だったのだろうなああって思うのだ。野原で子供たちが野球やったりサッカーやったりして「俺らのサッカーやってるところに、外野入ってくるなよ」と中学生の兄ちゃんが小学生を追い出しているようなものである。

January 12, 2010

距離感

半日かけて学内GPの資料作り。毎年とれているのだが額が小さくてあまりたいしたことはできない。とはいえどもbetter than nothing。小さくたくさん稼ぐしかない。Portfolioの試し刷りが出来上がる。事務所内ではインクジェットで試刷りしていたわけだが、印刷になると解像度が少々落ちる。想定外だったが仕方ないかな。今後外部印刷の試しはレーザーでやらないと。夕方、コンペのことを考える。市原の自然の中にあったあの建物。じっと思い返しても、あの建物のあの空間がまったく理解できない。まったく気分良くない。2時間半かけてあんな場所に行ってもまったく嬉しくない。何故なんだろうか?駅から湖を渡ってあの建物に入った瞬間に外界とはなんの関係もない、東京のどこにでもありそうな「部屋」に入ったのである。もちろん部屋によっては大きな窓もあってそこからは外部が見える。しかしこの外部というのが「唯の外」。風景と言うよりサッシュのグリッドばかり目につく。この空虚な味わいはあたかも高速道路のサービスエリアで食うラーメンのようである。これに比べれば、 ぼろぼろの駅舎で猫と戯れていた時間の方が遥かに豊かだった。こっちはガード下で食う焼き鳥のように哀愁に満ちていた。この差はつまりやはり周囲と自分の距離感なのだろうと思える。味はもちろん距離とは何の関係もないのだが、、、、

January 11, 2010

インスタント衣食住

朝から原稿。ずーっと書く。書くと分かる。調べの足りないところ。どうも一章書くのに準備ができてから二日はかかりそうだ。夕飯食べてまだ書こうと思ったが、頭がもう動かないので諦めた。年末に買ったポール・フリードマン(Freedman, P)編 南直人、山辺規子訳『食事の歴史』東洋書林2009を眺める。200点以上の図版が楽しい。マキシムのインテリア写真が見開きで、ロンドンサヴォイの創業時の内観外観のエッチングなど興味深い。そんな図版や見出しを読みながら気になることが一つ。衣食住は近代化とともに「早く安く」という「牛丼化」の傾向を伴いながら変容してきた。住宅は大量生産住宅の夢がコルビュジエやバウハウスによって二十年代に語られた。そしてそれは現代では積水ハウスやミサワホーム、もちろん世界中のプレファブメーカーに引き継がれている。着るものにおいても大衆消費社会に乗ってジーンズ生地でポップオーバーを作ったのはクレア・マッカーデル。1942年のことである。そして今やユニクロが世界中で売れる時代である。では食では?この本によると「19世紀末にスイスの製粉業者ユリウス・マギーは工場で働く女性が、栄養のある食事を家族のために準備したり料理したりする時間を持つことができないということに気が付き」野菜の粉を使って栄養価の高いスープの素を作ったとある。これが誰もが知る「マギーブイヨン」でありインスタント食品の嚆矢である。それ以来もちろん食文化でもファーストであることが金に繋がる時代になってきたわけである。しかしこれからはもう安く早くの時代でもないだろうと思うのだが、それでもユニクロのこの好業績を見るとやはり、牛丼の時代は終わらないのかもしれない。こうなったら徹底的には早い設計のシステムと言うのも考えてもみたい気もする。

January 10, 2010

大衆の終焉

朝の冴えた頭でコンペのことを考えながら既存施設の図面と睨めっこ。増築すべき面積をその上に描き込み余りに小さいので愕然とする。やはりこれは殆どインテリアのコンぺだ。インテリアの関係性を部分の集積として考えるのではなく有機的な全体として考えたい?そこで蔵本由紀『非線形科学』集英社新書2007を飛ばし読む。昔の高校の物理のような内容である。チューリンゲンパターンという面白い画像を発見。内容はとても理解できないのだが、、、、「建築の条件」消費社会の章を考え続ける。そこで先日買った難波功士『広告のクロノロジー』世界思想社2010の後半を読む。70年代後半から80年代にかけての広告自体のサブカルチャー化が語られる。先日読んだ堤清二と上野千鶴子の対談では上野が西武の70年代末の広告を画期的だったと評価していた。それは広告の指示対象物(商品)が広告から消えたという理由による。シニフィエに対してシニフィアンの過剰とも書かれていた。簡単に言うと何の宣伝?とわけのわからない宣伝のことである。しかしそれは若者には受けた。難波の分析による広告自体のサブカル化(若者のアートと化した)とはこのことである。大衆消費社会とは人々が使用価値を越えてイメージを求める社会だが、その終着点でついに使用価値が消滅したことを広告のアート化が示している。夕方風呂につかりながら成実弘至『コスプレする社会』せりか書房2009を一気に全部読む。コスプレが盛んになるのは90年代。つまり大衆消費社会が終焉してつぎの分衆消費が始まる頃からである。大衆と言うひとつのくくりにはめこまれた時代が終わり、大衆が分かれ、そしてさらに個人化していくのが90年代である。そこでは様々な社会現象が登場してくる。それまでとは異なりひとは「本当の自分に執着するように強い圧力を」かけられてくる。その現れの一つがコスプレである。本当の自分というにはやや屈折してるかもしれないが、それでもそこには他者とは異なる自分への執着がある。大衆の夢でもない。ポスト大衆的現象であることは間違いない。

January 9, 2010

市原

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研究生のT君と新宿で待ち合わせ。総武線を乗り継ぎ千葉に行き、内房線に乗り換え五井、そこから小湊鉄道なるバスのような電車に40分揺られて高滝。久々に乗るディーゼル車である。まるでトラックに乗っているようなエンジン音。新宿を出たのが12時。高滝に着いたのは2時半。新幹線なら京都に着いている。コンペの敷地まで駅からぶらぶら歩いて20分。既存の「水と彫刻の丘」と言う名のギャラリー施設の改修増築コンペである。しかし、、、、こんな地の果てのように遠い場所に人はいったいくるのだろうか?????場所は確かになかなか魅力的なところではあるのだが。寒風吹きすさむ中見学。同業者と思しき人たちも少々。一通り見終わり5時の電車に乗るべく駅に戻る。駅の周りに唯一ある何でも屋で菓子を買って吹きさらしの駅のベンチで空腹を凌いでいたらネコが3匹やって来た。野良猫を見るのも久しぶりである。車中可能な案の形式を話し合うのだが、これはかなり難しそうである。
帰宅して読もう読もうとずっとカバンに入れて持ち歩いていた祐成保志『<住宅>の歴史社会学』新曜社2009を読む。著者は信州大学の人文の先生である。去年成実弘至さんをレクチャーで招いた時「信大に面白い建築の先生がいますね」と言われこの著者の名を告げられ恥ずかしながら存じ上げなかった。読む前はブルデューの『住宅市場の社会経済学』のような本を想像していたのだが、どうも違う。社会経済学と歴史社会学だから力点の置き方が違うのは当然である。ブルデューはどうしても話が階級意識に繋がるのだが、祐成氏は住宅を成立させる広範な基盤を丁寧に掘り起こす。その中で紹介される一つの話は印象深い。それは45枚の位牌を背負って師走半ばの雨中を歩き保護された老人の話。現代の我々は彼をホームレスと呼ぶのだろうが、この老人にとって45枚の位牌は極限まで切り縮められたイエなのである。ホームレスなのにイエがあるというこの逆説は考えさせられる。上野千鶴子『家族を入れるハコ家族を越えるハコ』平凡社2002で山本さんがこう言っている「近代家族の理念が虚構でしかないということが分かっても、それでもなぜ家族というものが崩壊しないでかろうじて残っているかという、住宅と言う擬態があるからなんだと思うんです」つまり家族という概念は国家の秩序を保つ重要なユニットであり、その意味で極めて近代的概念として成立してきたもの。さらに言えば西洋キリスト教的な一夫一婦性の性秩序を守る基盤でもあった。つまり秩序を守る箱として社会(国家)が必要としたそのハコは人々が生き生きと暮らす場ではなく国家秩序のユニットを可視化したものに過ぎないというのがここでの山本さんの言わんとするところであろう。そして本来の人の生きる場としての住宅を山本さんは模索する。それはもしかすれば95歳のこの老人にとっては45枚の位牌なのかもしれない。イエとは生きていく選択肢なのであって固定化され、制度化されたハコではないのだと

成人

朝一でゼミ、即日製図は住宅。1時間で40坪の住宅の図面が描けるようになった。その昔研究室の希望者選抜で即日設計やって愕然としたが、それに比べればかなりの上達である。輪読本はルフェーベル『空間の設計』最後にどーんと重い本である。
午後は製図。出席者が少ない。どうも成人式が原因のよう。昔は成人式なんて出るやつは変わり者だったのだが、最近の学生は当然のように参加するらしい。来週が製図の締め切りなのだが今週末は成人式に出なければと学生たちは異口同音に言っている。成人式はもちろん出身地で出席するのだから遠い人は大変である。50人以上いるクラスで今日の出席者は38人。成人式のために既に地元に帰ったか、あるいは冬休みの延長でまだ長野に来ていないかどちらかである。そして残っている38人も大半が明日土曜日は地元に帰るようだ。隔世の感がある。夕刻のアサマで東京へ戻る。車中で読んだ週刊誌に佐藤優が日本の成人年齢について意見していた。現在成人年齢を18に下げろと言う議論があるがとんでもない。若年層の幼児化がひどく昔の成人に値する精神年齢はせいぜい35だと書いてあった。まあ35は極端にしても、確かに精神年齢が下降しているのは事実かもしれない。

January 8, 2010

タクシー

夕方学会の委員会。終って田町で食事をしてから長野へ向かう。同僚先生と3人。長野に着いたら11時半。最近道の凍結で自転車は大学に置きっぱなしなので移動はもっぱら歩き。しかし今晩は余りの寒さにタクシー。

January 6, 2010

スキー部健闘

事務所で住宅プランの分析。JT10年分を全部引っ張り出してきて、平屋住宅プランの分類をスタッフといっしょに行った。たまにぎょっとするプランに出会うのでなんとも面白い。こちらの興味に合致するものを選びぬいたら51軒あった。これらをセームスケールにする。これでここ10年くらいのおおよその形式が炙り出せるだろう。昨今の平屋トレンドを受けてこうした分析は既にJTでやられているのだが、それとは視点が異なる。ではそこから何か別の形式が見い出せるのか?あるいはヴァリエーションしか出てこないのか?
大学時代所属していたスキー部の冬の試合の結果が毎日のようにメールされてくる。自分が学生時代、冬は7大戦、春は東京都国公立、東日本国公立、インカレと年間4試合を行っていた。冬の7大戦とは全国の国立大学(神戸、大阪、京都、名古屋、一ツ橋、東京、東工)7校の試合だったが昨今は九州大学が加わって8大戦と言うらしい。その昔、僕らのころ、単科大学である東工大は総合大学の選手層の厚さには勝てず、いつも下位を争っていたのが、去年あたりからメールで回る情報を見ると、とんでもなく強くなっている。そして今年も男子は3位、女子は優勝である。工業大学だからただでさえ女子が少ないのに総合大学相手に優勝とは感動である。心から拍手。

January 5, 2010

松本の会議

エアコンの暖気が冷気に感ずる。6時にセットした目覚ましで目が覚めたのか、エアコンの冷気(?)で目が覚めたのか不明。外はまだ真っ暗。余りの寒さに風呂のドアを開けたままシャワーを出しっぱなしにする。部屋中に湯気が雲海のごとくたちこめる。これで部屋の温度は4℃くらいすぐ上がる。ついでなのでこの熱いシャワーを浴びる。やっと目が覚めた。6時台の電車で松本へ。長野から松本へ来ると普段はひどく寒く感ずるものだが今日はそうでもない。長野がよほど寒かったということか?駅で朝食をとってから大学へ向かう。副学長や施設部の方たちと、ある計画についてのミーティング。最近は後でストレスがたまらないように会議では言いたいことはなるべく全部言うようにしている。1時間半たっぷり意見することができすっきり。副学長には初めてお会いするので『建築の規則』をさしあげる。山梨県の中世史が専門とのこと。私も山梨で仕事をしていることを伝えると嬉しそうに話始められた。今後またいろいろ話を聞かせて頂くことをお願いして大学を後にする。午後のアズサで新宿へ。昨晩は寝不足なのだが車中では目が冴える。『それでも日本人は「戦争」を選んだ』を読み続ける。じっくり読んでいるせいかなかなか終わらない。駅で遅めの昼をとり事務所へ向かう。皆と年初の挨拶。たまった雑用を終わらせ、スタッフと今後の仕事の進め方を話す。話しているうちに面白くなり明日は共同でその作業をすることにする。

今夜も寒い

1月4日仕事始め。日建時代も仕事始めは義務で出ていた。義務とはいうものの社長はそれなりに精一杯の意味ありげな話をしたものだ。それに比べてと言ったら申し訳ないが、大学の仕事始めはあっさりしている。せっかく集まったのだから長たるものの心の入った言葉を聞きたいものだが業務連絡で終りである。気が楽と言えばそうとも言えるがちょっと物足りない気もする。終って新年最初の学科会議。飯食って午後も会議。それから4年生の卒論ゼミ。もう余り言うことはない。後は自分でよく考えてもらうしかない。てにをはを直すのは僕の役目ではないだろうし、大きな方向転換ももはやあり得ないし、後出来ることはマラソンの横で並走するコーチのようなもので、ゴールまでへこたれるなと怒鳴るだけである。夕刻研究生とコンペの打ち合わせ。いい線まで来ている。後は表現の段階だろうが、言いたいことを明確にするプランニングというものは何かを考える、、、、明日朝早く松本で結構重要な会議があり今晩中に移動しようと思っていたのだが、その矢先に中国の事務所に行っていた卒業生から電話。「飲みませんか?」。前から会おう会おうと言って会えずにいたので松本への移動は諦め、研究生と指定の場所へ行く。彼の友人で今年のSDの奨励賞をとったS君もいて建築談議に花が咲く。短い時間だったが面白かった。明日が早いので先に失礼。今夜ももちろん長野は死ぬほど寒い。

January 3, 2010

本格的冬

午前中夫婦で散歩。僕はジョギング、かみさんは自転車。新宿まで往復。人もまばらで爽快。昼をとりながら付けたテレビに雪の降る善光寺がホラー映画のごとく映る。恐怖におののきさっさと家を出て長野に向かう。東京駅はさすがに人がごった返していたが新幹線は空いていた。車中昨日の続きで『それでも日本人は「戦争」を選んだ』を読み続ける。企画は気に入らないところもあるが内容はとても面白い(僕の歴史的知能レベルが高校生並であるということである)。題名が示す「なぜ戦争という判断に至ったのか?」という問いは、どうも二つの局面を持っているようである(未だ読み終っていないのだが)。一つ目はその判断を生んだ過去の歴史読解。そしてもう一つはその判断を支援した世論の成立基盤である国民性。なるほどそういう目で見ると日本に限らず様々な戦争が何故そういう判断をしているのか少し理解が深まる。戦争ほど究極の政治的判断はないだろう。となれば歴史家にとって(あるいはそうじゃない一般の人にとっても)その判断の根拠に迫ることほど肝要なことはないだろう。6時に長野に着いた。もう真っ暗である。一月になるとぐーんと長野は寒い。先ず道が凍り始める。自転車は怖い。駅から歩いて大学に来た。よく滑る。実に危ない。研究室に着いてファンヒーターとエアコンを両方入れても全然部屋が暖まらない。冬休みで建物が芯から冷え切ったようだ。冷蔵庫でマッチをともすようなものである。ダウンのコート着ながら、明日の会議の資料を作る。3月に行うワークショップの企画なのだが名案が浮かばない。苦し紛れに2案ほど作ってはみたもののどうもうまくいくような気がしない。寝ながら考えよう。

January 2, 2010

教育の基本

かみさんは仕事始めで出かけた。書道を生業にしているのだから仕方ない。娘と僕は二人で雑煮を食べ正月二日目を過ごす。ジャックアタリの本の続きを読みながらテレビでラグビーを見る。早稲田が既に負けたので興味は半減しているのだが、慶応と早稲田の行方が気になった。しかし両方とも東海と帝京の巨漢フォワードに潰されてしまった。時代も変わった。夕方かみさんの兄弟姉妹との新年の食事会に出かける。電車の中で加藤陽子『それでも日本人は「戦争」を選んだ』朝日出版2009を読む。この本の企画は先日読んだ『単純な脳複雑な「私」』と同じで東大の先生による高校での講義録である。つまり難しい話を簡単に語るために高校で話させるという企画である。それはそれでいいのだが、今回は名の売れた私立高校を前面に押し出して本づくりをしている。この本の場合は桜蔭出身の東大教授が栄光学園で教えてその講義録を本にするというものである。私立受験校を出版のプロモーションに利用するのが僕は気に入らない。私立受験校が日本に過剰に登場してきたのはベビーブーム時代に東京に都立高校が不足したからだと言う。そしてそれからというもの東京では公立高校のレベルがどんどん下がった。逆に私立高校が努力してレベルを上げた。それはそれでよいのだが、やはり教育とは基本は国が責任をもって行うべきものであり、私立学校は補助であるべきだと思う。年間100万程度の学費を払う親の負担が生活の豊かさを犠牲にしているのである。だから日本はいつまでたっても文化を持てないのだと思う。教育にはやたら敏感だが文化には全く鈍感な国民がこれだけ生まれてきたのはそこに原因の一端がある。こういう状況に拍車をかけるすべての行為を僕は好きになれない。

January 1, 2010

2010 おめでとう

2010年元旦。皆さまあけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。クライアントの皆さま、昨年はいろいろありがとうございました。大学の先輩、同僚、後輩の教職員の皆さま、今年も楽しくやりましょう。研究室の学生諸君、あと少し悔いの残らぬように全力を尽くしてください。事務所のみなさん、今年もいい作品を作るべく頑張りましょう。そして友達の皆さま、今年もまた機会あればお会いいたしましょう。

10時ころ、家族でブランチのような雑煮を食べ、ワインを一口。賀状をマンション、事務所のポストから回収。今年の正月は暖かい。ジャック・アタリ華山紘一監訳『図説「愛」の歴史』原書房2009を読む。こういう本をジャック・アタリが書くというのが信じられない。この人は経済学者だと思っていたのに何者だ?『〇〇の歴史』成る本を年末数冊買った。今まであまり足を踏み込んだことのない丸善の西洋史コーナーの本である。いずれも図版が多く楽しい。この本は昆虫の愛、つまりは交尾の方法やその頻度等に始まり、人間に移り一妻多夫制、一夫多妻制へと世界中の写真を示しながら進む。今でも全世界人口の1%が一妻多夫制だという。チベットには特に多いそうだ。一方世界の45カ国が一夫多妻を認めている。それもすべてがイスラムではないそうだ。フランスには一夫多妻の家庭が3万世帯ありその大部分はアフリカのマンデ族出身だそうだ。一夫一婦制を厳格に決めて性をスキャンダルとしたのはつい最近(?)。キリスト教の教義によるものであると書かれている。そして現在世界の大部分はその道徳観で動いているのだろうが、この本そして昨日の同性愛の本が示す通り、その教義(道徳)からこぼれ落ちる社会、や集団や、人々はいくらでもいるのである。そして多分世界はますます性に対しある意味寛容になるであろうし、とは言え決してこのキリスト教的倫理観がドラスティック崩れることもないように思う。昨日書いたようにイタチゴッコが果てしなく続くのではなかろうか?夕方家族でちょっと出かけ映画を一本見て帰る。知らなかったが毎月1日は入場料が1000円。これはお得だ。