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カッコイイ女とカワイイ男

午前中事故調査。某建物のトップライトのガラスが割れているとのこと。行ってみると予想通りペアガラスの内側の網入りが熱割れを起こしていた。日建時代も熱割れはいたるところで起こっていた。そしてこれに対してガラス屋は割れることは仕方ないという態度をとり続ける。ハードディスクはクラッシュするものですと言って平気で売っている電機屋と同じである。腑に落ちない。更に、それにも増してこの割れるガラスの使用を強制する法制度はもはや理解不能。火事の時に割れて落ちないためにこのガラスを使えと言うが、火事でもないのに割れて落ちる可能性があるということはもっと問題ではないの??
午後事務所でカワイイデザインパラダイムをチェック。一体カワイイが現代的価値として浮上してきたことを真壁氏はどうとらえているのか?彼はその原因の一端として世の中の母系化をあげる。つまり家庭内において親父の力が下降し、家に長くいる女たち(祖母、母、娘)が価値観を共有し、それが世の中を席巻しているというわけだ。更にそうした価値観が拡張して男的カッコイイをも包み込んでいると言う。一理ある。我々が住宅を設計する時も、クライアントの発言権は旦那より奥さんにある。家にいるのは女だからという理由で。しかし家にいるのは奥さんという時代も何時まで続くか?
ところで真壁理論ではモダニズムがカッコイイ男性でそれにとって代わるカワイイは女性(中性)である。この指標と昨日まで見てきた梅原、谷川による美術における男女的表現の循環運動を接続するといつしかこのカワイイがカッコイイに再転換する時期も来るはずである。それは何時どんな契機で?と想像をふくらましたくなる。その現象はちょっと複雑である。つまり男が家庭化する父系的世界が現れ、再度世を男性表現が席巻しても、その父系世界はすでにカワイイ男に担われているわけだ。そして世の中を牽引する母系は既にカッコイイ女になっているのでは。高校生の娘を見るまでもなく大学を見渡してもそれは伺える。ということは何も変わらないのか?それとも今の表現を担う女性が男性化しその力が表現の覇権を握るのか??
昨日のスケッチの模型化をチェックして事務所を出る。アサマ車中ではゴンブリッチの西洋美術史をトレース。西洋の男女性を追いかける。夜は研究室でコンペの打ち合わせ。方向が見えてきたか?

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コメント

坂牛さん、こんにちは。しばらくぶりです。ジェンダー間の勢力図?に関してですが、今後は男女ともが中性化していく、というのが正しい観方なのではないでしょうか?男性が女性化し、女性が男性化しているとされる現在も、すでにその途上にあるような気がします。生物学的には、有性生殖から無性生殖への移行があちこちの種で見られると言いますから、今後は男性/女性ではなく、交尾無き生殖(=種の再生保存)が可能な生物の形態へと進化して行く、ということなのではないでしょうか。この件は「カワイイ」かどうかとはまったく無関係だと思います。ちなみに、個人的には、僕は「カワイイ」を称揚している人たちをかなり胡散臭い目で見ています。

貴重なご示唆多謝。ところであなたは誰ですか?

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