教育の基本
かみさんは仕事始めで出かけた。書道を生業にしているのだから仕方ない。娘と僕は二人で雑煮を食べ正月二日目を過ごす。ジャックアタリの本の続きを読みながらテレビでラグビーを見る。早稲田が既に負けたので興味は半減しているのだが、慶応と早稲田の行方が気になった。しかし両方とも東海と帝京の巨漢フォワードに潰されてしまった。時代も変わった。夕方かみさんの兄弟姉妹との新年の食事会に出かける。電車の中で加藤陽子『それでも日本人は「戦争」を選んだ』朝日出版2009を読む。この本の企画は先日読んだ『単純な脳複雑な「私」』と同じで東大の先生による高校での講義録である。つまり難しい話を簡単に語るために高校で話させるという企画である。それはそれでいいのだが、今回は名の売れた私立高校を前面に押し出して本づくりをしている。この本の場合は桜蔭出身の東大教授が栄光学園で教えてその講義録を本にするというものである。私立受験校を出版のプロモーションに利用するのが僕は気に入らない。私立受験校が日本に過剰に登場してきたのはベビーブーム時代に東京に都立高校が不足したからだと言う。そしてそれからというもの東京では公立高校のレベルがどんどん下がった。逆に私立高校が努力してレベルを上げた。それはそれでよいのだが、やはり教育とは基本は国が責任をもって行うべきものであり、私立学校は補助であるべきだと思う。年間100万程度の学費を払う親の負担が生活の豊かさを犠牲にしているのである。だから日本はいつまでたっても文化を持てないのだと思う。教育にはやたら敏感だが文化には全く鈍感な国民がこれだけ生まれてきたのはそこに原因の一端がある。こういう状況に拍車をかけるすべての行為を僕は好きになれない。