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December 31, 2011

共感、焦点、印象―アップルのマーケティング哲学

ベストセラーは普段読まない僕だけれど、「いま世界で一番売れている」という広告に負けた。ウォルター・アイザックソン井口耕二訳『スティーブ・ジョブズ』新潮社2011の一巻を朝から読んでいた。そうしたら夕方の5時にNHKで彼の特集をやっていた。やはテレビは本に比べるとシンプルで本の4分の1くらいの情報量しかない。
本を読んではじめて知ったのだがジョブズは60年代後半のヒッピーのスピリットの中で育った人だった。反体制で、裸足で、ボロを来て、風呂に入らず、禅が好きで、LSDにのめりこみ、インドを放浪した。そんな人である。あの時代のスピリットは世界的に様々な知恵を生みだした。しかしそれらは一般に反体制的、革命的な知性である。体制であるところのビジネス界での(いやその見かたが違うのかもしれないが)巨大な智慧につながった例はそう多くは無いのでは?とはいえコンピューターで時代を変えたのだから一つの革命だったのだが。
1977年にアップルを設立したのはジョブズ、ウォズ、そしてマーケティングを担当したマイク・マークラの3人であり、このマークラの作った「アップルのマーケティング哲学」と題されたペーパーが素晴らしい。そこには3つのポイントが書かれていた。
① シンパシー―顧客の想いに寄り添う
② フォーカス―重要度の高いものをやるためには低いものは切る
③ インプレッション―評価して欲しいと思う特性をデザインで印象付づける

なぜこれらが素晴らしいかと言うと、これらが月並みなお題目ではなく、アップルの商品はまさにこれを全て実行していることの結晶と思えるからである。そして何よりも素敵なのは、押し並べて平均点をとるという発想ではなく、一番の売りを100点に近づけるという発想である。平均点には不満は出ないが満足もない。100点狙いはリスクもあれど夢があるものだ。そしてそうした夢の発想が人々に受け入れられるという事実に僕らは勇気づけられる。

おそらくこの原理はこれからの建築にも通用する何かだと思う。人々に共感されること、もっとも重要なことに焦点を定めること、その焦点を徹底して印象付けること。 Sympathy Focus Impression 2012に未だにコンセプトメークの基礎ではなかろうか。

December 30, 2011

イトイのスタンス


糸井重里 ほぼ日刊イトイ新聞『できることをしよう―ぼくらが震災後に考えたこと』新潮社2011を昨晩虚ろな目で読んでいた。糸井は昨今日刊イトイ新聞というネット新聞を配信している。そこで3月14日に3つの提案をしたそうだ。
① ぼくらは『たいしたことないもの』です
② こころのことは別にしました
③ カッコいいアイデアはありません
アイデアを捨てるとはコピーライターイトイを捨てることに等しい。そして被災地のためにコピーを書くというような仕事はやるべき事とからは最も遠い仕事であると思ったそうだ。つまり表現者としての自己は捨ててバケツリレーの1人として頼りにされることが大事と考えたと。プロはプロとして自らの専門分野で協力するべきと言う意見はある。しかし専門分野でやることには報酬がついて回る。お金を無条件に拒否しながら協力するとなると自分の専門を捨てたところでやることも一つのあり方だと思う。

p.s.
こうして一冊の本として出版していることは結果的に、十分自己表現(飯のタネ)にしているようにも見える。しかし内容は徹底して聞き役である。そこが本としては物足りなくもある。でも彼らがいろいろな人ととにかく出会ってその状況を新聞のように報じていることには深い意味があると思う。

December 29, 2011

石巻を歩く


知り合いの誘いで石巻に来た。東日本大震災による死者行方不明者が最も多かったのが石巻であり4000人近い。2番目が陸前高田で約2000人。その倍である。
石巻は東北有数の工業都市であり工場群は海の近くに立地しておりかなりの被害にあったはず。しかし既に煙突からはもくもくと煙があがっていた。一方海近くにある市立病院と文化センタは一階の割れた大型ガラスの代わりにベニヤが打ちつけられ無残な状態である。
4000人の人間を一掃した津波被害の場所には駅から一つ丘を越えて辿り着く。丘の切れ目からその光景を目の当たりにすると不謹慎な表現かもしれないが、ガリバーがほうきで町を一掃し海際にそのゴミを山積みにしたかのようである。別の言い方をするとこれから建設が始まる埋め立て地のようでもある。しかし残骸として残された戸建住宅の基礎がそれを否定する。
ガリバーを地面にひもで張り付けるなど子供心にあり得んと思っていた。ガリバーが本気出せばあんな糸はプチっと切れてしまうに違いない。本気のガリバーは手がつけられない。そんな虚しさを覚える光景である。
高山英華が究極の防災とは災害が起こりそうな所に住まないことであると言っていた。石巻に限らずこの海際がその地である。それはそうかもしれない。一たび丘の上に上がれば何事も無かったかのような街並みが続くのだから。でもそこに土地を頂けるわけではないし、言うは易く行うは難しである。

ルンバの動き方


突如我が家に飛来した謎の飛行物体ルンバ。帰宅するとかみさんがルンバをついに買っちゃったと嬉しそう。ソファの脇で充電中。寝ようと思ったら充電完了。動かしてみるといやあかわいい。昔よくあった壁にぶつかると方向を変えるおもちゃのようである。およそ10分あっちこっち走り回るルンバを止めて円盤を引くり返し見るととんでもない量の綿くずがブラシに絡みついている。特に我が家は全室絨毯なので凄い埃。
一体こいつの動きはどういうプログラムで規定されているのだろうか?サーペンタインのセシルバルモントのプログラムのようでもある。

December 27, 2011

配管ハウスお見事

夕方金箱さんに電話して屋根の梁を抜いてもらう。さすが金箱さん。切妻屋根を折板構造とモデル化し直して梁なしを実現してくれた。いい構造家は骨組みのモデル化のアイデアがいろいろあるものである。感謝。
夜岩岡先生の家を急襲。すいません。呼ばれてもいない忘年会に勝手に伺いました。今年のSDレビューに入った狭小住宅である。屋根で作ったお湯を地下に落として貯湯。ガス給湯器で温度を安定化して各階のスラブに送りスラブ放熱する。夏は地下水で同じようなことをする。自家製PSである。配管はメンテを考えて全て露出。こりゃすごい。ポンピドーセンターがインテリア化された。配管でインテリア作っちゃった。
このざっくり感さすが岩岡さん。


December 26, 2011

山の手と下町の格差

先日丸善で新書を見ていて橋本健二『階級都市』ちくま新書2011に目が止まった。格差社会問題の都市構造版である。
都市の物理構造は日本に限らず階級構造を反映してきた。言われてみればそうである。
その典型が東京で言えば下町と山の手の格差。これも薄々分かっていたけれど数字になると恐ろしい。例えば現在理科大(建築)のある千代田区(山の手)と再来年引っ越す葛飾区(下町)を比較してみるとこうなる。
1人当たりの課税対象額は千代田区423.7万、葛飾区165.9万1人当たりの年間収入は千代田区423.4万、葛飾区は221.5万。ある程度の差があるとは思っていたけれど倍半分違うとは予想外。これには少々驚き。ちなみに千代田区は両方において23区で一番高く、葛飾区は両方において23区内で下から二番目である。
この格差を生んだ大きな要因は古くは関東大震災、二次大戦、そしてグローバリゼーションの波というのが著者の分析である。都市がさまざまな意味でホモジニアスである必要は無いけれど、社会問題化する閾値があるはず。何らかのコントロールが必要なことだと思う。

December 25, 2011

ケーキを撮る娘を撮る


朝から本棚大整理。もう絶対読まないだろう本は捨てるか家族にあげる。売れそうな建築本は南洋堂へ。使いそうな建築書はなるべく研究室へ。ただ闇雲に送ると何処に何があるのか分からなくなる。今日は今和次郎全集などの全集ものをまとめる。昼ころかみさんが買い物行ってケーキを買ってきた。
このマンションではどこもドアにクリスマス飾り付けしていて同じ階でしていないのは我が家だけ。クリスマスプレゼントの習慣もだいぶ前に消えた。でもケーキは欠かさず食べる。酒も飲むけれど甘いもの好きな僕としてはこの丸いの一つくらい食べられるのだが、そんなことをしても体にいいことないので素直に家族で3分の1ずつ。これで3000円って暴利だよなと思いながらも、四谷一美味しいという評判の駅2階のケーキを味わう。ものの10分。もう少しゆっくり会話を楽しんで食べればいいものを酒は延々飲んでも甘いものは延々食べる習慣がない、、、、
再び本の配置を変えながらダンボール詰め。南洋堂へ一箱、研究室へ五箱、娘やかみさんの本棚へ少し。夕方クロネコ呼んで持って行ってもらう。

December 24, 2011

ブエノスアイレス・マドリード・東京を結ぶラボを作ろう


だいぶ前に来春アルゼンチンで行うワークショップの課題を送り意見をくれとメールしたのだがその後音沙汰無し。課題の主旨が理解されなかったのかなあ?とやきもきしていたのだが今日ブエノスアイレスのロベルトから返事が来た。届いたのは質問や意見ではなく既にスペイン語となったきれいな冊子のPDF。良かった。僕らの作品写真なども参考でくっついていた。送ったペーパーは3ページくらいだったのに15ページくらいの懇切丁寧なものに様変わり。こちらの意図が正確に翻訳されているのかは分からないが、なんとなく僕らのテーマ「住宅+α」(公共性のある住宅というテーマ。αとは家族以外が入って来られるスペースでカフェやバーや下宿など)を彼らは納得しているようである。それにしても彼らはこういうものを実に丁寧につくる。頭が下がる。
ワークショップの話に加えてアルゼンチン、マドリード、東京の3都市を結ぶメディア、建築、デザインのラボを作ろうと言う誘いの話が書かれていた。そしたら既にフライヤーのようなものが添付されていてそれにはご丁寧に日本語訳も付いているし既に僕の名前も載っている。もちろん面白そうな話なので細かいところは分からないけれどやってみたい。
ちなみに我々のワークショップがこのCrea Lab での最初のイベントということのようで、毎年どこかの都市でワークショップやミーティングをやっていこうということである。再来年は東京かマドリード。どこかから助成金をもらいたいところである。

3年生合評会良い案が沢山あって嬉しい


午後一で八潮。公園設計、水路上の空間設計、T邸設計と三つの打合せ。水路上空間は最終的に小川研でかっこよくまとめてもらいました。
夕方僕以外の先生方と役所の方は忘年会へ。僕は今年最後の奉公で大学へ。3年生の製図最終合評会。4先生のスタジオ課題で亀井先生のオフィスビル。青島先生のアーバンデザイン。多田先生の大空間。川辺先生の公共空間。ゲストは日建山梨先生。
山梨さんのショートレクチャーを最初にやってもらう。この間できたソニーを見せてもらう。オープンハウスに行きそびれたのでやっと見ることができた。なるほどの素焼きのルーバー。利他的建築とは彼らしい命名である。
合評会とはいえ全員の作品を並べてもらい発表者を全部の先生で決定していく。なかなか充実した案が並び嬉しい限り。
全体の最優秀案は亀井スタジオのオフィス。前半課題の最優秀も亀井スタジオだった。これは指導が良いのか課題が良いのか学生が良いのか???
終わって懇親会。その後学生たちと忘年会。来年はいよいよ4年生。皆自分の進路を決めて悔いの無いようにやって欲しい。意匠は才能ではない。やり続ける力。

December 22, 2011

山本理顕さんの住宅論賛成


夕刻山本理顕さんの退官記念シンポジウムを聞きに横浜へ。第Ⅰ部は伊東さん妹島さん小島さん山本さんでテーマは建築の地域性。第二部は隈さん内藤さん北山さん山本さんでテーマは「社会システムと住宅」である。両方とも3.11後のトピカルな話題。大学の会議を終えて着いたのは二部の始まったところ。着いた時は満員御礼。運よく受付やっていた大西さんが席を見つけてくれて座ることができた。
来る間際に会議中に書いて送った10+1のアンケートで3.11の教訓はと問われ、相互扶助の街の機能の必要性と書いた。シンポジウム会場では期せずして同様の話が展開していた。隈さんは徹底して住宅の私有制を否定していた。それはよーく分かる。そうかもしれない。私有制を奨励したのは国であり、そのおかげで住宅は一国の城と化し閉塞したのだ。まさに城のように。
山本さんはこれからの住宅(集合住宅)は専有部より共用部の方が大きいものとなるべきだという持論を展開していた。そりゃすごい。そんな卒業設計を今やっている学生が僕の研究室にいる。皆そういうことを少しずつ考えているのだろう。相互扶助の建築のヒントはそんなところにある。
シンポジウムの後のパーティーでは田村明さんがYGSの設立者として祝辞を述べられた。こう言う人がいるからYGSはできたのかと認識を新たにした。
パーティのお土産は未だ店頭に並んでいないという『地域社会圏主義』INAX出版2012『山本理顕の建築』TOTO出版2012。帰りの電車で読んで見た。山本さんの住宅は見世というパブリックな部分と寝間という究極のプライベートな部分で構成しトイレや風呂やキッチンは共用部というものである。これからの住み方に大きなヒントを与えると思った。
日本もラオスやカンボジアのような生活を再度見習ってもいいのかもしれない。

初めて野田に行きました

博士論文の審査で理工学部の建築学科に初めて行った。東武野田線の運河駅。いやー寒い。川向先生に聞いたら東京よりは3度くらい低いと思うと言われた。野田は初見先生や川向先生に加えて新任の岩岡さんや安原さんがいてなかなか充実した教授陣である。工学部からは宇野先生と山名先生と伊藤先生そして僕が行った。論文対象はコルビュジエの土着性。土着性という言葉の定義を巡って前回同様になかなか議論が収束しない。もう一息なのだが。
ここの建築学科には廊下と一体化したプレゼンルームのような場所があり、そこに3年生がレーザーカッターを使って作った木製の不思議な形態が並んでいた。800万のカッターを借りて作ったそうである。なかなかこれは凄い。大学に申請して買う方針だそうで羨ましい。

December 21, 2011

大掃除&忘年会


事務所大掃除。毎年とんでもない量のカタログとサンプルピースを廃棄する。でも今年は大分少ない。皆カタログを取り寄せなくなったからだろうか?カタログもペーパーレス化してきた。床はスクレーパーをつけてスポンジでこする。そしてワックス。すっかりきれいになりました。夜は荒木町の秘密の個室で忘年会。この場所最近見つけたがとある割烹の2階で10名でも貸し切りにしてくれる。時間制限無いからゆっくりできる。今年も(終わってないけれど)皆さんお疲れ様。

宮台さんの言うことはちょっとどうだろうか?

誰かが宮台真司・東浩紀『父として考える』NHK出版2010が面白いとtweetしていたので読んでみた。
うーんこれを読むとなんだかとても居心地の悪い気分になってきた。彼らの言うことがある意味分かるし僕も同じことを言いそうなのだが、ちょっと引いて見ると、その上から目線が気分悪い。つまり半分自己嫌悪。くわえて全く理解不能な部分もある。
特に宮台さんの発言は気になるところが多い。彼は同じ年だから子供のころの生活環境の話はよーく分かる。でもそういう環境に育ったからこそ今の自分があるという自分優位を誇示するのはちょっとどうかしら?そんなの同世代ならみなそうなのであなただけが特別では無い。たまたま最近子供ができたからと言って周囲の若い親たちを上から目線で勘違い扱いするのはあなたが勘違いである。
加えて麻布に行きながら受験勉強を否定しても説得力無い(因みに僕は受験勉強賛成派である)。そして次のような発言にはもう自己嫌悪を通り越してついていけない。
「・・・子どもの頭を良くしたいと思ったり、喧嘩に強く育てたいと思うのはわかります。でもだったら頭のいい人と仲良くなる力や喧嘩に強いひとと仲良くする力のほうがずっと重要です。普通、そうしたことは誰もがわきまえるべき常識です」
僕はこんなことが常識だとはあまり思わないなあ。

December 20, 2011

町医者礼賛

今日は朝近くのかかりつけの医院で区のがん検診。バリウム飲んで胃のレントゲン、肺のレントゲン。撮り終わっておよそ1分後、先生の前にあるモニターを一緒に見る。この速さは圧巻である。肺は特に問題なし。胃は襞がきれいに見えて腫瘍のようなものはないが少々変形しているので夜遅くに食事しないことと注意された。それにしても撮って直後に絵が出てくるのはなかなかすごい。20分で全てが終わった。
最近はちょっと大きな病院は分業制。どこか悪いと1階で血と尿とって2階でレントゲン撮って3階の担当医のところで待つこと30分。全てのデーターがそろうと先生に呼ばれ所見を言い渡される。それはそれで合理的だが大病院のそんな先生たちは自分で血もとれなきゃ、レントゲンも使えず、聴診器は飾りで音も聞き取れないと誰かが言っていた。本当かもと今日の町医者を見ながら思った。なんでもできる町医者は素晴らしい。

一昨年信大時代にスイスの建築家を呼んでシンポジウムをした時彼は自らを町医者のような建築家と呼んでいた。なるほどそういう万能選手で町の人に慕われるのが医者や建築家のあるべき姿かもしれない。

December 18, 2011

建築は設計者とクライアントの運命的出会いが作るもの

ジムに行ってヨガしてからチャリで国立近代美術館へ行きオルジャッティ展を見る。http://ofda.jp/column/とてもよかった。帰りは半蔵門近くのスタバで休憩。
そこで鈴木志郎康のエッセイ集である『結局、極私的ラディカリズムなんだ―鈴木志郎康表現論エッセイ集』2011をマンゴジェラードを飲みながら眺める。その中にこんなことが書かれている。
鈴木自身の撮っているような映画は個人映画と呼ばれ、映画館でやっているような営利目的のものとは少々異なり自叙伝のような意味がある。その個人映画について彼はこう言う。個人映画は商業主義的ベースから外れるので作者が思いのままに表現を実現できるので見た人から理解されないことも起こる。すると独りよがりとか自慰的だと非難される。しかしたとえそうであれこれは人間の表現であり、こうした映像コミュニケーションの変化が個と個の関係の在り方を変えていく。と言う。そしてなにより大事なのは自分の表現を何処まで思いのままにやりきるれるかということだと締めくくる。

詩人で映画作家の鈴木志郎康は篠原一男の某住宅のクライアントである。僕は一度訪れたことがあり、鈴木の家としてぴったりだとその昔感じた。建築と映像表現はもちろん次元が異なるし、まして個人映画はそれこそ自叙伝のようなものである。でも鈴木の上の言葉はあたかもクライアント鈴木が設計者篠原に言ったかのように錯覚する。つまりあの家はまさに篠原の表現を思いのままにやりきったものと見えるからだ。

建築は設計者とクライアントの運命的出会いが作るものでもある。

信大がんばれ

信州大学に残した修士2年生のゼミを東京でやった。彼らは僕の後任が決まっていないので心理学の先生や歴史の先生にお願いして面倒を見てもらっている。それなので修士設計をしたいという意志とは裏腹に、それぞれの研究室でのそれなりの論文を書くこととなり設計にはあまり力が入らない結果になっているようだ。しかし彼らは皆設計ができる学生なので少々残念ではある。残り1カ月だが是非頑張って欲しい。
その後信大2年生の住宅課題の講評会を行った。学内で行う講評会に飽き足らず僕に見て欲しいと言う連絡をもらったので東京に来るように促した。そうしたら10人以上の学生がやってきた。結構眼から鱗。教師冥利に尽きる。理科大ではゼミをやったって来ない学生が沢山いるのにこれだけ教えられることに飢えている学生がいると言うのが嬉しいい。
1人15分くらいかけて見て上げた。僕がいなくなってひどいことになっているのかなと悲観的に予測していたのだが、そうでもない。僕ができないようなことを誰かが教えているのだろうか?住宅の公共性をプログラムしている学生が多くいた。誰が教えたのか分からないが嬉しいことである。
終わって2年生+坂牛研のOBたちと九段下で飲んだ。僕がいるから信大に来たという2年生もいるようで、そう言う学生には申し訳ないと思った。でも僕の後任もくるだろうからいつまでもあきらめず建築を好きで続けて欲しいと心から思う。

December 17, 2011

ロース装飾論の2重性

田中純によるロースの装飾論(『装飾と罪悪』)の解釈に納得。
田中のロース解釈はフロイトの精神分析と重ね合わせられるその理路はこうである。

ロースは装飾の起源は十字であるとする。十字とは横たわる女性とそれに交わる垂直の男性でありそれは性衝動の代理物である。言い換えると装飾とは性の代理物への崇拝すなわちフェティシズムである。一方性衝動とは性器の交わりでありそのシンボルはペニスである。ペニスへの崇拝が一つのフェティシズムである。ところがこの崇拝している対象が失われて行くと言うのがフロイトの性理論である。男の子が母親に失われたペニスを見出だし、自らが虚勢される恐怖にかられる。
フェティッシュな装飾に満ちた建築が虚勢されるとプレーンな箱となる。これは虚勢された男性器であり女性器そのものである。この虚勢状態の代替物が下着であったりハイヒールであったりする。それがまた次なる代理崇拝物としてフェティシズムの対象となる。これを建築で作ったのがワーグナーである。郵便局の外装石を取り付けるステンレスボルトが虚勢されたプレーンな箱に敢えて取り付けられた記号として装飾の代替物となっているというわけである。
さてこう考えるとロースの装飾論とはプレーンな箱に取り付けられた余剰物否定(ペニスの否定)という側面と装飾で満ちた彫刻物から表面を綺麗にスクレープして残った面への溺愛(去勢した女性器崇拝)という二つの側面を宿していることになる。

トラディショナルな何かを虚勢してその代替物へ関心の方向を転換させる、あるいは衝撃的にそちらを向かざるを得ないような状態にしてしまう。これがフェティシズムの技法である。これを性衝動と重ね合わせながら行うことができた時エロティシズムが見えてくる。

December 16, 2011

ノーテーション再考

先日ノーテーションについて記すとある人が10+1の#3がノーテーションとカルトグラフィーの特集であることを教えてくれた。そんなことはすっかり忘れていた。古本を取り寄せ巻頭の八束さんの「現代建築におけるノーテーションの冒険―見えない建築へ」を読んでみた。時間系を取り込んだローレンス・ハルプリンの広場の設計がダンサーである妻のコレオグラフィーのノーテーションに影響を受けた例。磯崎さんがお祭り広場の人々への応答としての音や光をオーケストラのスコアの如くノーテーション化した例が書かれていた。それらはいずれも建築的ハードと言うよりはその場のイベント(出来事)を創造(想像)するシナリオである。
それらの現代版がラ・ヴィレットのチュミやレムの案である。いずれもドローイングに示された重要な内容はアーキテクチャーよりもイベント、あるいはそのイベントが生み出すシーンである。それゆえできあがってしまったチュミの案はドローイングがかき立てた想像的な場を生みだし切れていない。
つまりチュミやレムもハルプリンや磯崎同様、やはりノーテーションが生み出しているのは字義通り楽譜が生み出す音楽のようなふわふわしたものであり固定的な何かを生みだすものではないようだ。
しかし僕がノーテーションを考えた方がいいいというのはこういうふわふわしたモノを記譜するためにではない。あくまで固定した建築を創るツールとしてである。そしてそれは最後の成果品としての図面というよりは、建築を創る過程における創造(想像)のツールとしてのノーテーションである。建築家のドローイングはそういうものの一つではある。しかしもっと方法論に直結するようなノーテーションがあってしかるべきだと常々思う。そしてそれを何にせよ考え続けなければいけない。

kindle 使える


アマゾンの電子書籍Kindleを買った。信大にいた頃から鞄が本で一杯になるのでkindleに入れて持ち運べればと期待していた。しかし欲しい本がまだ電子化されておらず時期尚早とほっぽておいた。その後何度もkindle storeをチェックしていたが一向に本が増えない。そこでこれ以上待つのを止めることにした。売っている本だけでもこの中に詰め込もうと思い購入。そしてすぐに数冊ダウンロードしてみた。
John Summerson The classical language of architecture,   Anthony Vidler Histories of the immediate present,    Steen Eiler Rasmussen Experiencing Architecture以下その凄さを並べてみる。

①ダウンロードは数十秒であっという間。
②値段はどれも13~15ドル。1000円ちょっと。ペーパーの本で買えばサマーソンは手元にある古い翻訳本で2300円。ヴィドラ―はアマゾンの原書が2146円。ラスムッセンの翻訳古本の値段は知らない。原書はアマゾンで1905円。つまりだいたい半分の値段である。
③必要なその瞬間に手に入る。
④軽いのが嬉しい。片手で長時間持っていられる。
⑤薄いから鞄に入れてもかさばらない。
⑥驚異の検索機能。例えばサマーソンの古典主義建築の系譜の中でオーダーという言葉の使われている個所を知りたいとする。Orderと入れると瞬時に全個所が現れる。因みに232個所で使われている。
⑦小さい字が既に霞となる私の眼には活字の大きさを自由に大きくできるのは実にありがたい。

というわけでこの機械はとんでもなく嬉しいものである。ただもちろんデメリットもある。それは一望に本を見渡せないという点である。そのせいかページをくくるリズムもつかめない。おそらく速読は難しい。何かをじっくり読むのには向いていると思う。

デメリットを差し引いてもこの機械がこれで1万円ちょっとなら絶対お買い得である。

December 14, 2011

建築のエロティシズム

その昔信州大学の卒制でエロティシズムをテーマにした学生がいた。バタイユの理路を読み解きながら人間の根源的な感覚としてのエロスを建築に応用しようとした。なかなか上手くいったとは言えないけれどテーマとしては重要だと思っていた。そうしたら田中純が書いた『建築のエロティシズム』平凡社新書2011という著書を発見した。今日現場への往復で読んでみた。これは面白い。話は世紀末ウィーンの装飾とそれを取り巻く言説の中にエロティシズムを読み込んでいる。もちろん現代日本人の私がロースを見てエロティシズムを感じられるかと言えばそれは分からない。当時の言説空間と装飾空間の中に身を浸して感じ取ってみたいという欲望にかられる。

December 13, 2011

長いフレーズのディレクション

小沢征爾、村上春樹『小沢征爾さんと音楽について話をする』新潮社2011を読むと村上春樹の音楽マニアぶりがよく分かる。おそらくとんでもない量のクラシックレコードを持っているのだろう。そんな村上のレコードを聞きながらこの本は始まる。最初はベートベンのピアノコンチェルト3番である。バーンスタイン+グールド、カラヤン+グールドのレコードを聞き比べ2人で議論が行われる。
小沢征爾はカラヤンに習い、バーンスタインのアシスタントをしていたので両方よく知っている。そして師であるカラヤンを心から尊敬し、カラヤンを称賛する。しかし僕はどうもカラヤンが分からない。一般にカラヤンの演奏は軽いと言われる。
その昔小学生の頃モーツァルトの主要交響曲のセットをフルトヴェングラー指揮で買うと宣言したら芸術好きの叔母さんが聞きに来ると言って楽しみにしていた。ところが何の理由か忘れたが買ったのはフルトヴェングラーではなくカラヤン。それを叔母さんに告げたらそれには何の興味も無いので行かないと言われた。子供心にショックであり、何故かと音を聞きながら考えたが小学生の耳にはよく分からなかった。それ以来カラヤンはなんとなく僕の中で????の人にとし保存されてしまった。
さて小沢はカラヤンとバーンスタインを聞き比べながらカラヤンの決定的な特徴の一つを「長いフレーズのディレクション」だと言った。それは細かなアンサンブルを犠牲にしても長いフレーズの一本の線を大事にすることだと言うのである。
これを読んでなんとなく小学校の頃の叔母のカラヤンへの無関心が思い出された。長いフレーズのディレクションとは音楽の大きな構成要素のことであろう。建築とパラフレーズすることもできる。すなわち建築の大きな骨格、構成を大事にするということである。エスキスの情景を思い浮かべるなら、スタッフがちまちま書いたスケッチの上にボスがマジックでバシッと一本(あるいは数本)の線を書いてしまうあれである。僕もよくやられた。太い色鉛筆か4Bでバシッと数本の線を描かれた記憶がある。あれはまさに全体を決める骨格のディレクション。混乱したスケッチにあれは大事かつ有効な指導である。特に学生に対してはそうだ。しかしよく考えられたスケッチの上にあれをやってはいけない。込められた様々な思いがバシッと飛散するからである。構成や輪郭だけが優先されて局部に込められた熱がはじけ飛んでしまう。

カラヤンが軽いと言われるのはディレクションを優先させた建築同様、曲の骨格や構成ばかりが勝ってしまい、音の中に込められた無限の豊かさが犠牲にされているからなのでは?とふと思った。

佐藤雅彦ののらりくらり思考

ピタゴラスイッチなどで有名な佐藤雅彦の『考えの整頓』暮しの手帖社 2011は佐藤の日常の心に引っかかることが書かれている。この本ちょっと変っている。ふつうエッセイのようなものは普段の暮らしの発見をうまく脚色して鮮やかにきれいに小気味よく書いてしまうのだが、そう言う技巧が全部省かれてだらだらと書かれている。下手するとそのひっかかることが一体何なのと思うようなところもある。
「引っかかる」ということは、何かの発見ではない、何かに気付くということでもない。あれっ何だろうと思ったことがどうも上手く理解できないそんな心の状態である。
つまり本人でさえよく分からないことなのだ。そんなものだから読んでいる人間もなんだかよく分からない。でもそれを著者といっしょになってどの切り口で考えてみたらいいのだろうかということをのらりくらり探るのである。彼の思考の過程がそのまま字になっているような書き方である。こののらりくらりは彼独特のものかもしれない。だからあの不思議なヴィジュアルソリューションがうまれるのだろう。

December 12, 2011

プリミティブな行為を意識する場所を簡単な仕組みでつくる

『一般意志2.0』を読んだので藤村龍至編『アーキテクト2.0』彰国社2011を読んでみる。藤村氏が情報化時代の建築、郊外化時代の建築について20名近い建築家と対談している。その中で2つの話が面白かった。
伊東さんは20世紀の建築ではあまり意識されなかった人間のプリミティブな行為:食べる、着る、住むが21世紀の建築では強く意識されるようになったという。それは先日クラウド時代の建築は人間の実存を強く意識するはずだと言う僕の考えにつながる。ヴァーチャルとリアルの二つの身体性を持つ現代人にとってイマココのワタシの空間が現実の現実たる根拠となるだろうというのが僕の読みである。伊東さんのプリミティブな行為はそうした実存を強く意識する契機になりやすいことなのだと思う。
もう一つは藤村さんの説明するツィッター。140字だから投稿が増えるという話。とても簡単な仕組みが大きな効果を生みだす。それが情報化時代の特徴だそうだ。なぜだろうか?それは情報空間とはマスが瞬時にアクセスする場所だからである。

単純に二つを足すとプリミティブな行為を意識する場所を簡単な仕組みで作ると言うことになる。重要なことである。

December 11, 2011

理科大には日建OBが多い

父の家打合せ。1時から5時半まで。大学に行かねばならずスタッフを置いて中座。6時から理科大非常勤講師懇親会。久しぶりに和田先生、寺本さんにお会いした。和田先生は非常勤をお願いしていて、寺本さんは非常勤教授である。2人ともお元気そうである。和田先生は僕が大学4年のころに日建から戻ってこられた。寺本さんは僕が意匠設計をしたアクアライン風の塔の構造設計を終えた頃日建をやめて理科大に来られた。理工学部には10年近く前に日建をやめて教授に就任した北村さんがいる。僕も入れると4人が日建OBである。

December 9, 2011

建築計画2.0は3.0を生む原動力

明日の打合せ図面をチェックしていたら決まっていないことがいろいろあって一つずつ考えていたら結構時間がかかった。夕方大学に行き、輪読本西村清和『現代アートの哲学』の説明をし、1時間設計の課題を与える。今日はHOUSE SAを料理する。この複雑な構成を変化させる力は4年生には無いのでアクソメを描けというシンプルな課題を出す。九段から神楽へ移動し製図エスキス。さあ残り一週間。
昨日『一般意志2.0』の読後感を書いたら、コメントをいただいた。巷の「2.0」系の話は「平均」を作る活動だと。なるほど確かに。僕が恐れた建築計画2.0(藤村さんの言う建築家2.0ではなく)も建築を平均値へ誘うクラウドデーターベースの暗黙の力を言いたかったわけである。
しかしこの力はいかほどのものだろうか?クラウドデーターベースは建築を平均値化して都市を均質化するのだろうか?と考えるとことはそう簡単ではない。建築計画2.0が厳然としてあるならば、創造と言う行為はそこからの距離によって計られるはずである?と考え直した。
我々の事務所にKという洋書屋さんが頻繁に来る。彼は有名どころのアトリエ事務所、組織事務所、ゼネコン設計部、大学研究室を売り歩きその売れ筋をデーターベース化して我々の所に来る。そして「この本はアトリエ系で売れているから是非どうぞ」「妹島事務所でよく売れた」「誰が買った」などと言って売りこんでくる。まるで人間アマゾン、アナログクラウドである。アマゾンではたまに推薦された本も買うがKさんの誘いに乗ることはめったにない。それは自分なりにデーターベースの質を読んで距離をとっているからである。建築計画2.0という平均値ができれば、我々は必ずやその性格や確かさを値踏みし、それに基づき自らを相対化する。結果それは均質性ではなく多様性としての建築計画3.0を生み出すジャンピングボードとなるのかもしれない。

December 8, 2011

建築計画2.0

東浩紀『一般意志2.0―ルソー、フロイト、グーグル』集英社2011を半分読んだ。半分しか読んでいないのでこれから書くことは彼が結論としているだろうことの予測である。あるいは彼の最初半分をもらって僕が勝手に作った結論でもいい。
2世紀前にジャンジャック・ルソーは考えた。人々の個々の意志(特殊意志)は集合するとある合意(一般意志)を形成しそれが世を推進する。そしてそのための暫定的な機関として政府が存在する。またこの一般意志を作る過程において、個々は合意を形成するためにコミュニケーションを交わす必要はない。これを受けて東は考えた。この古典的民主主義の立脚点をラディカルに解釈するならば、人々の合意である一般意志というものは議会制民主主義のような場で生成されるものではないのではないか?むしろネット上のグーグルやアマゾンで人々の嗜好がデーターベース化されて行くように形成されるべきである。そうすれば談合や密室政治のような不可解な決定メカニズムを排除したクリアな民主主義が生まれるのではないか。それを一般意志2.0と呼ぼう。
と言うのがこの本の主旨(だろう)。とりあえずこうした社会的な決定ルールを認めるか認めないかは別として、ここで言うようなことが事実として政治では定かではないが、今後様々な局面で発生することを止めることはできないと僕も思っている。
そしてこんなことは建築でもおこる。ある建築が好きか嫌いか、使いやすいか悪いか、ある場所が広いか狭いか、明るいか暗いか?例えばフェイスブックとグーグルアースのようなものが合体すれば、人々の行く先々でスマホがあなたに問いかけてくる。そしてそれに「いいね」と答えることで世界中のあらゆる場所の物理環境が評価されデーターベース化され逆にそのデーターベースがあなたをあなた好みの場所に誘うことになる。
建築基準法で定める様々な数値は殆ど意味を持たなくなるかもしれない。廊下幅が1.2とか1.6なんてナンセンスとなり得る。必要な数字はグーグルが持つようになるのである。
今までの建築計画を建築計画1.0とするならば、クラウドに蓄積されたデーターベース上に構築される建築計画は2.0なのである。我々はそれを安易に無視できるだろうか?それこそが人々の最も求める建築となるのではなかろうか?しかしそうであるからこそ、そうしたデーターの対極を求める施主は必ずやいる。しかしその時でさえも相対的な位置を計るベンチマークとして建築計画2.0は君臨する可能性がある。

December 7, 2011

巨大蜘蛛現る


「気持ち悪!!」という声がコピー室から聞こえた。何事かと思ったら巨大な蜘蛛が現れたようだ。朝からアドレナリンが出る。眠気も吹き飛び大騒ぎ。蜘蛛が大嫌いな僕は見ることもできない。スタッフのT君がやっとのことで捕獲して事務所の外へ運び出す。こわごわ近寄りシャッターを押す。家の中にいる蜘蛛だからゴキブリなどを食べてくれるいい蜘蛛なのだとは思いつつそのグロテスクな体を見ていると寒気がする。そこへやってきた木島さんがこんなの阿蘇には沢山いると平然としている。スゴッ!!
栃木の現場の往復で富井雄太郎編『アーキテクチャーとクラウド』millegraph2010を読む。柄沢さんがでクラウド時代の空間体験を「概念的一望性」と「身体的局所性」が2重化されている状態と説明していた。
現代はグーグルアース、ストリートヴュー等であらかじめ行く場所の空間をヴァーチャルには一望していても、その場所にリアルに身体を置いて見ると想像を超えて様々な迂回が発生するということである。
ヴァーチャルな空間の平べったさがリアルな世界ではとてもでこぼこしていることに気づく。それは単に物理的、固定的環境だけではない。いざ行ってみるととんでもない人の量に圧倒されたり、とてつもない寒さに震えたり、鳥の大群に出会ったり、その時その場所のその人の実存的な空間が現れるものである。蜘蛛との出会いもそんなことの一つである。
クラウドが発達すればするほど人間は自らの実存をより強く意識するものである。

建築のノーテーション(記譜法)をもっと考えた方がいい

卒計のエスキスをしながら彼らは自分の作りたい空間を作る新たな表現法に全く関心がないと感じた。模型と平立断という既成の表現法以外使わない。空間を創造するための新たなノーテーション(楽譜)を期待していない。
そんな不満を抱きながら帰宅後一冊の本を開ける。芸大出身者を中心とした集団ダブルネガティヴスアーキテクチャーによる『ダブルネガティヴスアーキテクチャー塵の眼、塵の建築』INAX出版2011という小さな本である。すると彼らの興味の中心にノーテーション(記譜法、楽譜)があることを知りその偶然にびっくりする。
楽譜と言うものが発明される前に人は音を奏で、字を書けるようになる前に人はしゃべる。レシピーが無くても素晴らしくおいしい料理を作れる人は沢山いるだろう。建築も同じだ。図面が無くても建物はできた。しかもいい建物が。
ノーテーションは記録のための、演奏のための、契約のための、伝達のための、道具に過ぎない。もちろんそれは創造のための小道具であったかもしれないが、創造は常に更新されていく。であるならばノーテーションも更新されなければならない。
音楽はノーテーションを更新している。武満が、ケージが、マークレーが、新たな記譜法を描いている。それに比べると建築は何時までたっても新たな記譜法を生み出せていない。何故だろうか?建築における記譜法は言語同様に多くの異業種の中での共通言語であり続けなければいけないからである。女子高校生言葉のような言語が突如契約書の一部を構成するわけにはいかないのである。
しかし建築のノーテーションも創造のツールとして考えるのであれば女子高校生言葉を使ってもかまわないのである。もっと自分にフィットした言葉を使うべきである。実施図面は現代社会の契約書であるからJISに則ったものである必要はある。しかし創造の場では違う。そこへ眼が向かないのであれば創造などできないと思った方がいい。

December 5, 2011

経験を超えたディテール

RC外断熱で勾配屋根にしたときの雨樋の作り方が分からない。一日考えてしまった。同じような雨樋数十個描いたけれどこれだって言うものに行きあたらない。とりあえず今日の結論は幅50高さ100のステンレス樋。さて一晩寝るとこんなのダメだと思うだろうか?
それにしても雨樋のディテール一つにこんな悩むのはどうしてだろうか?最近ディテールを描いてないから技術的な知識が希薄になっているからなのだろうか?それともやり慣れない外断熱に挑戦しているので知っていなければいけないことを知らないからなのだろうか?そのどちらかが分からないことが問題である。
と思っていろいろな人の外断熱の屋根のディテールを見るのだがどうもそれが正しいやり方なのかどうかが分からない。もちろん工法を分解すれば原理的に正しいかどうかはおぼろげに判断がつくのだが、建築のディテールは経験値がモノを言う。自分の経験の延長に無いものはお手上げである。

平瀬君から展覧会のお知らせが来た。素敵な案内状である。来週からオゾンで行われるようである。行って見よう。

December 4, 2011

歴史を知るとは歴史から自由になるということ

西谷修『世界史の臨界』岩波書店2006を読み始めた。
「世界史とは世界の歴史ではない。<世界>として歴史を語り始めることを可能にした一つの文明の運動、グローバルな現実を作り出したヨーロッパ近代のプロジェクトの名である」というのがこの本のコンセプトである。なるほどさもありなん。
六本木でアメリカのモダンアートの歴史を見ながら、僕らはこうした歴史的な展覧会をもっともだと思って見てしまうのだが、これはまさに歴史家の一つのプロジェクトだと思った方がいいhttp://ofda.jp/column/。身近な例でいえば近代建築史なんて言うものはまさにそれ以外のなにものでもない。ペブスナー、ギーディオン、バンハムたちによって作られたモダニズムを僕らは何の疑問も持たずに受け入れていたのだが、ある時それはおかしいと皆が思い始めた。そしてそれをなんとかひっくり返そうとしたのだがフランプトンである。そうやって歴史はどんどん作り変えられる。しかしこれがまた歴史の難しいところだが後から唱えられたものが必ずしも正確であるかどうかなど分からないのである。
その昔多木浩二の西洋建築史の連続レクチャーを聞きに行ってどうして多木さんは西洋建築史をやるのか(日本建築史ではなく)と質問した。すると日本には理論が無いからだと言っていた。しかし本当だろうか?確かに理論書は少ないけれど現存する史料で歴史が組み立てられないことも無いではないか。それをやらないのは日本のそれをどんなにがんばって組み立ててもそれは日本に閉塞し、グローバルなプロジェクトにはならないからだと邪推したくなる。そしてもっと言えば、結局歴史が現代を拘束するたがになっているのであれば日本の現代建築にたがをはめているのは日本の歴史ではなく西洋の歴史なのだと多木は言いたかったのかもしれない。
そして最も重要なことはそうしたたがからどうしたら自由になれるかと言うことを歴史を通して知ることである。そのためにこそ歴史はある。

December 3, 2011

ゲーリーやコールハースを真面目に批判してもしょうがない

ハル・フォスター(Foster, H)著 五十嵐光二訳『デザインと犯罪』平凡社(2002 )2011 は方々に書いた論文の寄せ集めなのでタイトルが示すような内容の一連の話しではない。しかし、もちろんこのタイトルがロースを参照したものであり、様々な意味での現代デザイン批判である。
例えば現代建築家を代表してコールハースとゲーリー批判がなされる。ゲーリーの形態は輪郭と構造が乖離しているという意味で自由の女神と同じでありそれによって驚きを与えるのではなく人々を煙に巻き方向感覚を失調させる。さらに、こうした珍奇な形状は場所との関係を切断する。
確かにその通りである。でもそれがどうしたと言う気にもなる。ビルバオ行ってグッゲンハイムを見れば確かにこれがこの場所と何の関係も無いと感じる。でもだからいいと思った。コールハースも同じだ、彼のどの建物がその場所と関係性を持っているだろうか?(いやもちろん無くは無いが最近の多くモノには無い)。でもだからどうした?
彼らは普通の建築家では無い。一つの都市には余り多くは必要ないが少しは必要である視覚的アイコンを設計することを許された建築家なのである。だから形がどうあろうとこの二人に関してごちゃごちゃ言うのは野暮である。それより問題なのはこうしたアイコンがギードボーの言うところのスペクタクルになってしまっているということである。すなわち「イメージと化すまでに蓄積の度を増した資本」であると言う点である。
公共のごく一部の建物を除いて彼らの巨大な彫刻はグローバル社会の資本の渦の溜まりなのである。いや彼ら二人だけではないかもしれない。新自由主義の滓が形になっているというその事実が問題である。
昨日ニューヨーク大学で経済を学んで外資の銀行に勤めて止めて建築を学び始めた二部の学生に言われた。「ミルトン・フリードマンにノーベル賞を与えたのは世界的な大失策であると言われている」と。その通りだ。そしてその大失策の結果世界に偏在した金が形になり下手をすると称賛されるということが問題なのである。
それがどんな形であろうと知ったことではない。

林昌二逝く

今朝林さんの訃報が毎日新聞だけに掲載された。朝日に載ったのは夕刊である。おそらく何か複雑な状況があったのだろう。

公の追悼の言葉は公の誌面に載せるのでここに記すのは極めて私的な独り言である。

僕は林さんの中学の後輩であり、大学の後輩であり、そして会社の部下だった。でも大学の後輩として何かつながりがあったわけではなく、会社の部下として多くの密接なつながりを持っていた他の部下以上の関係があったわけでもない。ただ中学の後輩であったことはいくつかの特別な関係を僕に与えてくれた。

林さんはよく僕ら(中学の後輩を)を食事に連れて行ってくれた。何か面白い建物ができると誘うのである。菊竹さんのメタボリックなホテルが上野にできた時もご飯に連れて行ってくれた。林さんの家に行ってお酒をごちそうになることも何度かあった。
飛行機好きの林さんはそんなときよく飛行機の開発の歴史を話始めた。そして現代の巨大旅客機ボーイングの時代で進歩が終わる。そこで飛行機の話は終わりその続きが建築界につながり日建もそんな状態だとぼやいていた。

中学(旧制)には建築家の会がある。林さんの4つ上に三輪正弘一つ上に穂積信夫、桐敷真次郎、岡田新一、二つ下に鹿島昭一、三つ下に高階秀爾、五つ下に藤木忠善、更に下の方に益子、片山と続く。とんでもない建築家山脈である。この会は何か会員がいい建物を作るとそこに集まって酒を飲んだ。僕のリーテム東京工場が芦原義信賞をいただいた時もバス一台で見学しその後宴会をしてくれた。その時ぜひ林さんに一言と思ったが、残念ながら所用で欠席だった。しかし祝電を送ってくれた。そう言う時に決して礼を欠かないのも林さんである。

僕と僕の伴侶は中学の同級生なのでそろって林さんの後輩である。そんな理由から林さんに結婚式での乾杯をしていただいた。お礼の意味でその後季節の挨拶をお送りすると、林さんは社内の人間からそういうものは受け取らないと言って返送された。数日前、家で今年の歳暮が話題となった時、もはや社員ではないのだから林さんにお歳暮を贈ろうとかみさんに言うと彼女は「それより元気なうちに会いに行こうよ」と言った。そうだよなあと思っていた矢先に今日の訃報が届いた。亡くなったのはかみさんと歳暮の話しをした日だと知った。林さんが呼んでいたんだような気がした。ああ生きているうちに会っておくべき人がまた1人逝ってしまった。なんだかとても淋しい。

December 2, 2011

コルビュジエの合理性

岸本章弘『仕事を変えるオフィスのデザイン』弘文堂2011はこれからの時代の仕事の仕方とそれに応じた空間いついて書かれている。著者はコクヨの社員。コクヨはかなり前からワークプレースの提案を日本では最初に考えてきた企業である。その中に「作業に応じて選べる仕事場」という提案がある。今やITネットが仕事場の離隔を解決しているわけでこの提案自体が画期的に新しいわけではないのだが、自分の生活に照らし合わせてみればこのことはとても示唆的である。ゆっくり静かに物を考える時には家にいればいい。スタッフとじっくり話をしたり模型を作りたくなったら事務所。学生と戯れたければ大学である。自分が最も生産的な場所にいることが重要である。
しかし問題はこの本にも書いてあるし実際そう思うことも多いのだが、自分は自分の思うようには動かないのである。仕事は人との出会いであったり、本が自分の前に現れたり、その時の気分であったりする。生産性は計画的に生み出されることではないのかもしれない。そこでワーク―プレースの設計を考えるなら、それは計画的な見地からはできないことかもしれない。そこで起きるだろう偶然性を喚起する設計が望まれるのである。
などと思いながら夜博士論文の審査。コルビュジエの土着性がテーマだった。果たして近代のパイオニアであったコルを再度そのアンビバレンシーで評価することの意味は何処にあるのか?もちろん近代的な計画性を自ら破壊したということにおいて現代的なアクチュアリティがあるのだが、しかし、それは彼が本当に自らを否定したからおこったことなのだろうか?これは謎である。近代的な合理性が必然的に土着の設計をさせたのではないだろうか?つまりインドで、そしてラテンアメリカで技術が追いつかない国において合理性を追求したからこそ土着性に帰結したというストーリーは分かりやすい。審査した先生方の意見はそちらに傾いていた。コルが二面性を持っていたと言うのは僕が学生時代のトピカルな話題だったけれど実はそれは二面性では無かったのかもしれない。いやその方が分かりやすい。