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ロース装飾論の2重性

田中純によるロースの装飾論(『装飾と罪悪』)の解釈に納得。
田中のロース解釈はフロイトの精神分析と重ね合わせられるその理路はこうである。

ロースは装飾の起源は十字であるとする。十字とは横たわる女性とそれに交わる垂直の男性でありそれは性衝動の代理物である。言い換えると装飾とは性の代理物への崇拝すなわちフェティシズムである。一方性衝動とは性器の交わりでありそのシンボルはペニスである。ペニスへの崇拝が一つのフェティシズムである。ところがこの崇拝している対象が失われて行くと言うのがフロイトの性理論である。男の子が母親に失われたペニスを見出だし、自らが虚勢される恐怖にかられる。
フェティッシュな装飾に満ちた建築が虚勢されるとプレーンな箱となる。これは虚勢された男性器であり女性器そのものである。この虚勢状態の代替物が下着であったりハイヒールであったりする。それがまた次なる代理崇拝物としてフェティシズムの対象となる。これを建築で作ったのがワーグナーである。郵便局の外装石を取り付けるステンレスボルトが虚勢されたプレーンな箱に敢えて取り付けられた記号として装飾の代替物となっているというわけである。
さてこう考えるとロースの装飾論とはプレーンな箱に取り付けられた余剰物否定(ペニスの否定)という側面と装飾で満ちた彫刻物から表面を綺麗にスクレープして残った面への溺愛(去勢した女性器崇拝)という二つの側面を宿していることになる。

トラディショナルな何かを虚勢してその代替物へ関心の方向を転換させる、あるいは衝撃的にそちらを向かざるを得ないような状態にしてしまう。これがフェティシズムの技法である。これを性衝動と重ね合わせながら行うことができた時エロティシズムが見えてくる。

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