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建築のノーテーション(記譜法)をもっと考えた方がいい

卒計のエスキスをしながら彼らは自分の作りたい空間を作る新たな表現法に全く関心がないと感じた。模型と平立断という既成の表現法以外使わない。空間を創造するための新たなノーテーション(楽譜)を期待していない。
そんな不満を抱きながら帰宅後一冊の本を開ける。芸大出身者を中心とした集団ダブルネガティヴスアーキテクチャーによる『ダブルネガティヴスアーキテクチャー塵の眼、塵の建築』INAX出版2011という小さな本である。すると彼らの興味の中心にノーテーション(記譜法、楽譜)があることを知りその偶然にびっくりする。
楽譜と言うものが発明される前に人は音を奏で、字を書けるようになる前に人はしゃべる。レシピーが無くても素晴らしくおいしい料理を作れる人は沢山いるだろう。建築も同じだ。図面が無くても建物はできた。しかもいい建物が。
ノーテーションは記録のための、演奏のための、契約のための、伝達のための、道具に過ぎない。もちろんそれは創造のための小道具であったかもしれないが、創造は常に更新されていく。であるならばノーテーションも更新されなければならない。
音楽はノーテーションを更新している。武満が、ケージが、マークレーが、新たな記譜法を描いている。それに比べると建築は何時までたっても新たな記譜法を生み出せていない。何故だろうか?建築における記譜法は言語同様に多くの異業種の中での共通言語であり続けなければいけないからである。女子高校生言葉のような言語が突如契約書の一部を構成するわけにはいかないのである。
しかし建築のノーテーションも創造のツールとして考えるのであれば女子高校生言葉を使ってもかまわないのである。もっと自分にフィットした言葉を使うべきである。実施図面は現代社会の契約書であるからJISに則ったものである必要はある。しかし創造の場では違う。そこへ眼が向かないのであれば創造などできないと思った方がいい。

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