コルビュジエの合理性
岸本章弘『仕事を変えるオフィスのデザイン』弘文堂2011はこれからの時代の仕事の仕方とそれに応じた空間いついて書かれている。著者はコクヨの社員。コクヨはかなり前からワークプレースの提案を日本では最初に考えてきた企業である。その中に「作業に応じて選べる仕事場」という提案がある。今やITネットが仕事場の離隔を解決しているわけでこの提案自体が画期的に新しいわけではないのだが、自分の生活に照らし合わせてみればこのことはとても示唆的である。ゆっくり静かに物を考える時には家にいればいい。スタッフとじっくり話をしたり模型を作りたくなったら事務所。学生と戯れたければ大学である。自分が最も生産的な場所にいることが重要である。
しかし問題はこの本にも書いてあるし実際そう思うことも多いのだが、自分は自分の思うようには動かないのである。仕事は人との出会いであったり、本が自分の前に現れたり、その時の気分であったりする。生産性は計画的に生み出されることではないのかもしれない。そこでワーク―プレースの設計を考えるなら、それは計画的な見地からはできないことかもしれない。そこで起きるだろう偶然性を喚起する設計が望まれるのである。
などと思いながら夜博士論文の審査。コルビュジエの土着性がテーマだった。果たして近代のパイオニアであったコルを再度そのアンビバレンシーで評価することの意味は何処にあるのか?もちろん近代的な計画性を自ら破壊したということにおいて現代的なアクチュアリティがあるのだが、しかし、それは彼が本当に自らを否定したからおこったことなのだろうか?これは謎である。近代的な合理性が必然的に土着の設計をさせたのではないだろうか?つまりインドで、そしてラテンアメリカで技術が追いつかない国において合理性を追求したからこそ土着性に帰結したというストーリーは分かりやすい。審査した先生方の意見はそちらに傾いていた。コルが二面性を持っていたと言うのは僕が学生時代のトピカルな話題だったけれど実はそれは二面性では無かったのかもしれない。いやその方が分かりやすい。