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September 30, 2011

ケアは金で買う

朝一で水戸へ。車中クライアントとスケジュール、予算の話をする。構造は木造にすると言ったら意外そうな顔をする。木は耐久性の点で不安だと言うので模型を見せる。構造を露わにした荒々しさを作るには木が最適と説明。模型を見て納得してくれた。現地で周辺状況や展示する屏風を確認、採寸。昼をいただきスタッフは市役所へ、僕は東京へ戻る。
帰りの車中上野千鶴子『ケアの社会学』太田出版2011を読み始める。上野千鶴子ケア学の総まとめである。500ページ近い大部の書。先ずはケアという概念の捉え方が上野流である。すなわち上野にとってケアとは家事労働と同等に極めて社会構築的概念なのである。つまり家事、育児、セックスはある文脈では愛の行為であり、ある文脈では労働となる。加えてこれらは有償の場合もあることで無償であることが問題化される。ケアも同様で、ある文脈では倫理的行為であり、ある文脈では重荷となる。そして有償にもなることによって無償であることが概念化される。
こうしたケア概念の捉え方によってこの行為の問題系が鮮明になる。ケアとはもともと個人的なできごとであり社会的問題ではなかった。それは家事と同じようなものである。しかしこれらを個人的領域から政治的領域に引きずり出すことで初めてこれらがproblematize(問題化)されたと上野は言う。
しかしケアが社会問題化したのは何も学者の力によるわけでもない。一言で言えば大家族の時には同居している子供によって可能だったケアが、核家族化及び嫁の労働によって困難な時代になってきたのである。その時ケアは子供ではない第三者の手に委ねられ、それをするべく公に財源が無い時、商品化され巷に出回ってきたわけである。ここにケアは社会現象として現れざるを得なかったわけである。
昨今我々の親世代を見ているとケアのグレードの差に驚かざるを得ない。簡単に言えば金のある人は豪華なケアを買えるということである。

September 29, 2011

スペイン人は赤がお好き

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午後研究室でしこしこ模型を作る。夕方セルバンテス文化センター東京に行く。この施設は世界中でスペイン語圏の文化普及を行っている。先日友人に是非来たらと誘われた。UIA関連のイベントとは聞いていたが一体何をやっているのかは正確には聞いていなかった。まあ大学のそばだし、スペイン語圏建築のファンなので寄ってみた。来てみたら「景観再生」と題したシンポジウム。先ずカタルーニャの建築家、ミゲル・アギラル、カルロス・フェラテル、ジュセップ・フェランド、エステバン・テラダスらの連続プレゼンがあり、それを受けて隈さんのレクチャー。
スペインの建築を一年ぶりに見てやはりいいなあと思った。映された絵は殆どバルセロナなのだが去年のマドリードを思い出す。彼らの街にはオーダー(規律)のようなものが歴史的に刻まれており、それを抜きに新しい建築はできないのだが、その中で新たな規律を上乗せしていく決意のようなものが感じられる。
シャンペンを飲んでトイレを探したが見つからない。女子トイレはいくつもあるのになあと思ってサインをよく見たら、この建物内のサインは全て赤なのである。男子トイレも赤だから見つからないわけである。

September 28, 2011

コンサマトリー化する若者

児童養護施設のお金がやっとまとまりゼネコンへ設計説明を行う。200枚近くの図面を3時間くらいで理解してもらうのは無理なことだがとにかく最初が肝心。構造からは建て方要領のアドバイスまで行われた。本来ゼネコンがやるべきことなのだが心配なのだろう。
行き帰りに古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』講談社2011を読む。著者は弱冠26歳の論客である。日本の20代の若者の生活満足度は2010年の時点で男子で65.9%女子で75.2%だそうだ。過去40年間で15%近くも上昇している。景気低迷+就職難で若者の状況はどんどん悪化しているのにも関わらずである。しかし、じゃあ世の中何の問題も無いのかと言えば、20代の日ごろの生活の中での不安感はここ20年間くらいで30%以上も上昇している。幸福だけど不安なのである。大澤真幸はこう解読する。幸福と言うのはそれ以上の幸福の可能性が無い状態の時に生まれる感情だと。「今日よりも明日がよくならない」と思う時、人は「今が幸せ」と答えるのだと。そしてこの今の幸せを大事にする感性をコンサマトリーと呼び今の若者はコンサマトリー化していると分析される。この解読はなんとなく妥当。しかしそう思うと少々もの悲しい。身の回りの小さな幸せに満足してしまうと言うことは、未来への夢など持ち得ないから。もちろんそんな生き方を否定しないけれど、それでいいのだろうか?

知識が身の回りを切り分ける

早めの夕食を学食で食べながらT先生の自然観察という授業のことを聞いた。学生と大学周辺を歩き何が見えるかを教えるのだそうだ。夜の木のシルエットだけ見ながらこの形は何の木と教える。蜘蛛の巣の中に巣を食べる小さな蜘蛛がいることを教える。普段何気なく見ている風景が知識によって分節化されていくのだとT先生は言う。
6時から卒制の中間発表会。ゲストクリティークに新建築元編集長の大森さんをお呼びした。30人弱の制作者にA1、1枚をピンナップしてもらい巡回して内容を制作者にヒアリング。講評。その後大森さんに町の読み方などについてお話いただく。理科大前の靖国通りからは西に富士山、東にスカイツリーが見えると教えられた。なるほどそう言われれば確かにこの道はそんな軸にのっている。
普段見えない富士さんもT先生が言う蜘蛛も視覚表象というよりかは知識表象である。人間ってそんな風に知的に世界を切り分けどんどん見えないものが見えるように(見えないものを見るように)なっていくのである。

September 27, 2011

経営工学との連携プロジェクト

午前中教室会議。昼カロリーメイトを頬張りながら事務所に行って打合せ。3時にまた大学へ。今日は信大のM2相手に修論ゼミ。僕の学生を受け入れてくれたのは心理学の研究室と歴史の研究室。心理学の方では触覚実験から設計、もう一人は色実験から設計をしようとしている。歴史系は映画の分析から設計、もう一人はスティーブンホールのドローイング分析である。まだ深みはないのだが流れは悪くない。
夜経営工学の先生と打ちあわせ。先日発表した某企業のCIづくりに続き第二弾の企業とのコラボプロジェクトを持ってきてくれた。今度もかなり有名な企業相手のプロジェクト。テーマは「本社ビルのイメージづくり」。プレゼンは12月半ば。4年生は卒業設計でいっぱいいっぱいだし、2年3年も課題の締め切りと重なりそう。しかし建築の学生にしたらダイレクトなテーマだし、大学時代にクライアントへのプレゼンをするチャンスなんて滅多に無い。チャンスを逃すな。是非参加してほしい。
誰もやらなければ僕がやろうかな??

September 26, 2011

八潮のポンプ

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今日は八潮day。午前中は公園の打合せ。午後は八潮のツカイカタと称し5大学で考えてきた案を市長、市民を前にプレゼン。学生の発表も4年前に取り組み始めたころに比べると遥かに上手になった。先輩の背中を見ながら少しずつ上達するものだ。
今年のワークショップは八潮の特徴を3つの視点から捉えそこで様々な案を出して、その一つを実際に作る。3つの視点とはランドスケープ(水路)、防災(水害)、コミュニティ。例えば防災班からは花壇で水害ハザードマップを作るなんていう案が出てきた。ハザードマップは恐らくどんな行政でも持っているのだが住民はその内容はおろか存在をも知らない場合が多い。
水路班からは八潮特有の網の目のような水路を使用しているものしていないものに分ける。使用しているものは釣りスポットとして、不使用のものは緑化したり遊び場にする。ポンプ小屋は歴史的遺産として修復する。などの案が提示された。
ポンプ小屋を昼食時に見学。川から用水路へ水を汲みあげるためのポンプが置いてある小屋である。今回の台風で床が水没していたのでポンプがよく見えないが、こんなポンプが残っているのは全国でも大変珍しいそうだ。

September 25, 2011

運動会

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午前高3になる娘の運動会を見に行く。卒業までに一度くらいは見たいと思い出かけた。新校舎が一部完成し、きれいなキャンパスになりつつある。昔の煉瓦校舎に因み新しい建物もレンガタイル張り。プロポーザルだったそうだが、三菱地所設計がとったという。
この学校の運動会はおもしろい。中高一貫なので運動会もいっしょにやる。そして一般に紅白対抗、クラス対抗で行う運動会を学年対抗でやる。中学生と高校生では体格も違うから運動能力も違うわけでどうあがいたって先輩に勝てるわけがない。それでも学年対抗でやるのが伝統だそうだ。たまに高校2年生が3年生を制して優勝なんて言うこともあるそうだが今年は順当に3年生が優勝。
午後事務所でスタッフと試行錯誤。夜『思想としての「無印良品」』を読み終える。無印とは両義性の産物だった。それはノンブランドのブランドと言う意味ではなく、白紙に様々な絵が描けると言う意味での両義、多義性である。

September 23, 2011

ジャブ建築とボディブロー建築

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朝寝坊。家の周囲を一っ走りしたら突然現れた槇さんを真似したような建物。釣り文化資料館という館銘板がついている。こんな施設が世の中にはあるんだ。調べたら設計は大成建設。
シャワー浴びて研究室へ。東北の保育所のコンペ打合せ。新宿アートフェスタと締め切りが重なるがやることにする。
夕方研究室を出て埼玉の阿部勤さん自邸にお邪魔する。その昔阿部さんの五本木にある事務所を訪ねたことがある。その時に自邸の写真も見せてもらいいつかは見たいと思っていた。念願叶う。200㎡ほどの角地の敷地に一辺約7.5mの正方形を45度振って置いてある。そうすると三角形の余白が4隅にでき、そこに巨木が建っている。
建物の置き方だけでも参ったという感じだが、中がまたすごい。7.5メートル角コンクリート殻の中に3.3メートル角コンクリート殻が貫入している。中心のある家と言う名を本人がつけているくらいである。なんと1975年の竣工時から2011年まで36年間に86回雑誌に掲載されたそうだ。こんな住宅は滅多にあるまい。ギネスものである。
実は私が上北沢に住んでいたころ、娘の通う幼稚園が阿部さんの設計だった。うち放しのブルータルな外観。幼稚園とは思えぬ強そうな建物だった。内外打ち放しだったように思う。スタッフの人が言っていたが阿部さんは未だに打ち放しに断熱材を入れないらしい(もちろん自邸に断熱材など入っていない)冬に「寒い」というクライアントからの電話が来ると「冬ですからねえ」と言うそうである。さ す が。朝見た軽いジャブ建築とは異なる重ーいボディーブロー建築である。
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無印とgeneric

『思想としての「無印良品」-時代と消費と日本と-』千倉書房2011によれば無印を作る時に当時の生活者意識の分析が行われたそうだ。80年の話しである。そこで出た4つの分析結果は①余分なものは買わない、②経済合理性へ、③自分なりの生活追求、④ものへのこだわりだそうだ。これを見ると、①②は無印に直結しそうだが、③④は一見繋がらない。自分なり、個性化ならもっと個性的なデザインの方がと思いやすいが当時の個性的とは持ち物ではなく生き方としての個性だったようだ。加えて特徴的なデザインは逆に大勢が持てば人と同じということになりその人の個性を否定することにもなりかねない。つまり持ち物は主張していないことを主張する必要があったわけである。
無印の潮流はコールハースのgeneric賛美とも根底でつながる時代の空気である。個性的であるのはあくまで人であってその周りのものは無個性であることが望ましいわけである。

September 21, 2011

杉本博司の眼

朝から不穏な空模様。夕方には東京でも時間20ミリ降ると言う予報である。大学も休校になった。午後構造事務所との打合せ。YAMAの構造設計をしてくれた長坂さん来所。彼は打ち合わせにパソコンを持ち込んでその場で様々条件下の材厚を検討してくれる。今回も楽しみである。
終わって大学の会議に行こうと思ったが幸い会議も台風で延期になった。夕方信大のobが来所。すっかり手帳から彼の来る予定が抜け落ちていたが会議の延期で事なきを得た。夕食をともにしてから帰宅。杉本博司の『空間感』の残りを読む。この本は彼が個展をやった美術館との攻防記であり、その建築家との美的な交流やその建築家の他の作品を撮影する顛末なども書かれている。
その一つとしてヘルツォーグとの関係が面白い。時間的な順序は定かではないが、杉本はデ・ヤング美術館で個展をやっている。そしてバーゼルのシグナルボックスを撮っている。彼らはそんな仲なのだが、ヘルツォーグの事務所で杉本はヘルツォーグにプラダを撮って欲しいと頼まれこう考えた「撮る撮らないは私の自由裁量で、私が建築家に頼まれると、私の判断に狂いが生じてしまうから・・・・頼まれなければ撮ったかもしれないのに・・・・」そして彼は撮っていない。因みに恐らくデ・ヤング美術館も撮っていない。彼の採点表ではデ・ヤングは三つ星である(五つ星中)因みに彼の評はこうである「・・・ギャラリーは巨大な二つの箱状で、何の創意工夫も無いが、機能はする」
公の本でヘルツォーグをここまで言える玄人はいないだろう。杉本の美観の好みはあれども、歯に衣着せぬこういう率直な発言は胸が空く。
僕のニューヨークの親友が杉本は在米日本人アーティストの中では千住などとは違い本格的だと評価する。それを聞くまでも無く彼の眼は正確だと感じた。

September 20, 2011

ミースのガラスを杉本が撮った

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杉本博司の『空間感』マガジンハウス2011は彼がスター建築家の作品を訪れその建築のエキスを掬い取った写真集である。もちろん写真以外に彼の攻防記も併置されている。リベスキンド、ミース、磯崎、ズントー、SANAA,、小川冶兵衛、ヌーヴェル、吉田五十八、ヘルツォーグ、安藤、谷口、ピアノ、西村伊作。そして最後に採点表まで付いている。採点表は写真が掲載されていないものも多く含まれ、星一つから五つまでで示されている。なかなか手厳しいその評価はさておき、さすが杉本という写真がいくつかあった。
その中でも一番美しいと思ったのはミースのニューナショナルギャラリーである。昨今、中の美術品の為にカーテン締め切り状態のこのガラス張り美術館をカーテン全開にして撮っている。それだけでも大変な苦労だろう。それに加えこのガラスに夕陽と町並みが写り込んだその瞬間が捉えられている。恐らく一般の建築写真でこんな瞬間を切り撮ったものは無いと思う。
昔GA素材空間の編集協力をした時に二川さんに言われた。ガラスの厚みを耐風圧で決めるようじゃ建築家じゃない。ガラスは素材としての美しさがある。その美しさで厚みは決めるものだと。ファンズワース邸に数回行って毎回朝から晩までいるとその表情の変化が分かるのだと教わった。そんな表情の機微はそう簡単に写真なんかで伝わるものじゃない。でもこの一枚はそれを伝えている。

September 19, 2011

自尊感情の欠如

朝、家でスケッチ。模型が作りたくなったのでノートだけ持って事務所へ。作っては見たが、、、、どう評価したらいいのだろうか??家に戻ると皆出かけた後。昼を作って食べてから軽くジョギング。シャワーを浴びてから森美へ。メタボリズム展を見る。http://ofda.jp/column/。帰宅後風呂に入って正高信男『団塊のジジババが日本をダメに』潮出版2011を読む。著者は『ケータイを持ったサル』で有名な京大霊長類研究所の教授である。
団塊の世代に代表される戦後日本人が子供たちに望んだ資質は「思いやりと素直さ」だそうだ。この標語の狙いは大人に服従する子供づくりだと著者は言う。なるほど頷ける。
かたやアメリカに行くと子供に求める資質は自尊感情(self-esteem)と公正、正義(justice)なのだそうだ。さもありなん。彼らの執拗な自己主張はそこから来る。それに偏り過ぎるのもどうかと思うが服従する子を作る教育よりかは100倍マシである。今の大学生には自尊感情のかけらもないような人が少なくない。彼らには「自分はこれをやったのだ見てください」という自信ある態度が欠如している。これは明らかに本人のせいだけではない。親の育て間違いだと僕には思える。

ブラジル人の嫌いなもの

『イサム・ノグチ』下巻を読む。山口淑子と6年間結婚して最初の一年を魯山人の家の離れで暮らしていたとは知らなかった。20世紀前半のアートコネクションである。
続いて和田正親『ブラジルの流儀』中公新書2011を読む。「ブラジル人はアルゼンチン人を嫌うことを愛する。アルゼンチン人はブラジル人を愛することを嫌う。」という言葉があるそうだ。ブラジルから見るとヨーロッパ人比率が高いアルゼンチンはスノッブに見えるのだろう。アルゼンチンに行ってニーマイヤーの話しをしてもどうも食い付きが悪かったのはこれが理由???この対立が極点に達するのがサッカーだそうだ。
夕方ジムでシャドーボクシング。久しぶりにスタジオ系の運動をしたらばてた。ボクシングしながら考えた案を夜事務所に行って模型にする。でもあまりよくない。

September 18, 2011

空飛ぶ家

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午前中親友の父親の葬式に行く。我々が高校時代クラブの試合後よく行っては酒を飲ましてもらった。青春の一コマを飾る素敵な親父。期せずして自分の親父と同い年。大正15年生まれ。アーメン。
葬式後その自分の親父の家最初の打合せ。長男と同居の家。案を二つ出しリクエストを聞く。特にこれっと言ったものはなくお任せ状態。できかけの三つ目の案も見せる。善福寺川氾濫地域なので一階は床を上げ低めに窓をつけないRC造。親父の部屋と広間と水回りを配置。二階と一階の間にロフトを入れてそこをぐるり採光空間として鉄骨で二階を支える。二階は四等分して四室配置。軽くするため木造。屋根は一種高度車線と日影をやらないで済むぎりぎの高さに抑える。空飛ぶ家。

4人のツワモノたち

3年生の後期製図が今日からスタート。講師陣は日建の亀井忠夫さん。建築家青島裕之さん。川辺直哉さん。構造設計家の多田修二さん。皆さんの自己紹介パワポはそれぞれ印象的だった。亀井さん設計さいたまスーパーアリーナの観客席の移動は数百円しか電気代がかからない。青島さんのプロポの腫率は8割!!!川辺さんはあれだけ集合住宅を作っているが全てが個人からの依頼(デベが絡んでいない)。多田さんの佐々木事務所時代の仕事の一つディオールでは模型が数百個作られたとか。いやはや皆さん凄い人たちである。

September 15, 2011

ヴォリュームゾーン・イノベーション

朝一で古河へ。落札したゼネコンに初めて会い強烈な減額案を提示される。これからネゴらなければならない。そして時間が無い。それにしてもトリッキーなプロセスである。
行き帰りの車中で大泉啓一郎『消費するアジア』中公新書2011を読む。ちょっと目から鱗な発見。
ファッションの流行伝搬の法則としてソースティン・ヴェブレンの滴り理論という古典的法則がある。上流階級のファッションがそれに憧れる下位の階級へ滴るように伝搬するというものである。これは19世紀末の提唱であり、現在はこんなもんじゃあるまいと歴史の1ページにしまいこんでいた。ところが現在アジアで起こっていることはまさにこんな事である。
アジア市場において年間可処分所得が40万円から280万円の中間所得層をヴォリュームゾーンと呼ぶ。この市場は2008年現在アジアに9億人近くいて、市場参入のターゲットとなっている。さらにこの中間所得層の中でも40万円~120万円の下位中間所得層の増加率が高い。そこでこのゾーンを狙い商品開発が進む。これまで高嶺の花であった商品の、性能を下げ、デザインを捨てコストを抑え購買力の範囲に生まれ変わらせるのである。因みにそうした変革を「ボリュームゾーン・イノベーション」と呼んでいるそうだ。
ところが近年、情報網の発達により、ヴォリュームゾーンでの売れ筋商品は限りなく富裕者層の商品デザインに近いことが必須となってきたそうである。性能はともかく見た目は富裕層商品と同じが望まれている。これまさに上流への憧れである。階級社会は無くなったが経済的格差社会が代わりに登場し、100年前の滴り理論が現在進行中ということである。

September 14, 2011

スタディモデル

最後の一枚、メインのフォトモンタージュが決まらない。夕方宅急便で送ろうと思っていたけれどあきらめた。この一枚のブラッシュアップを2人でやる。締め切りぎりぎりに出来上がるだろう2つのフォトモンは学生達で良い方を選べと言い残し夜研究室を出て事務所へ戻る。研究室最初のコンペは学生の実力を見るためのテストみたいなものだったけれど今回は誰が何をできるかも分かり作戦もたった。それでも4年しかいないハンディは如何ともし難い。手とり足とり指示をしないととんちんかな方向に進む。連日注文を付け続けるのは結構な労力である。叩いたなりの力が発揮される時は喜びではあるが。
それにしても模型は作りこむほど難しい。最後のフォトモンが上手くいかないのも模型が理由。コンペに限らず模型は最初のスタディモデルや構造モデルが美しい。前者はつけたくない機能的なディテールが削ぎ落とされているから。後者は人間もヌードが美しいのと相通ずる。

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September 13, 2011

ちぢみ模型

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●家から持参したちぢみの端切れ

鎌倉のクライアントと延々禅問答のような打合せ。「食パンのような建築、、、」「農家のようで、、、」「菜園から直接入れるようなバスルームとキッチン」「教会のような神聖な、、、」「薄暗い土間があり、、、」「土間に炉」「一段上がったところが図書室のようであり、、、」「シザの教会のような明るい光が入り、、、」「明るいリビングルームというのとは全然逆で、、、」という話を聞いていていイメージが定まる人は先ずいない。一体いくつ模型を作っただろうか?まだ先は長い、、、迷路を歩いているようなもの。
夜研究室へ。いよいよ残すところあと二日。プレゼンボードの右一列はどうなっただろうか??おやおや予想に反して水彩画のコラージュがうまくできている。頑張ったねU君。両方を打ち出して皆で見る。全会一致で水彩画を採用。続いて模型写真。本物のちぢみを切って吊るしているのだが悪くない。建物が抽象性を重んじんないのだから模型も抽象白模型では表現できない。つくるなら徹底して具象的に、、、

CI (Cultural Interface) プロジェクト

見積もりが高くて不調に終わりそうだった仕事がなんとかネゴれたようである。まるでひとごとのようなのはネゴのすべてをクライアントがやってくれたから。そのおかげで我々の仕事は減ったのだがどういう筋道で納まったのか分からないので不安が多い。こんなやり方は未だかつてないのだが、このクライアントは過去に沢山の施設を作ってきて何時もそうしているようである。
夕方学生と企業の連携プロジェクトの発表会を聞きに丸ビルに行く。あらあらここにはこんな素敵なコンフェレンスルームがあるとは知らなかった。このプロジェクトはCIプロジェクトという名がついているCultural Interfaceの略である。学生の社会勉強にはなかなか有効。経営学科と建築学科が某企業の戦略プロジェクトを練ると言う企画である。4チームが参加し、この企業の方々が審査員となって賞を決める。建築学科のチームが最優秀賞となった。聞いているとさもありなんである。4チームの中ではまだましだ。3か月くらいやっているのだから皆もう少しアイデア出さないと企業の方に申し訳ないよ。
夜研究室に戻りコンペの作業を見る。あと少し。

September 11, 2011

形無き形たち

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朝早く起きて母校サッカー部の都大会を見に行った。野球に続きサッカーも頑張っているのだが行ってみたらこりゃだめだ。ボールを「止めて、蹴る」ということができていない。武蔵小金井で昼をとり四谷に戻り昨日休みだったジムでひとっ走りしてから竹橋に行ってイケムラレイコ展を見る。これが思ったよりよかった。彫刻と絵画とスケッチがタイトルなしに150点くらい並んでいる。具象とも抽象ともいえぬその中間をさまよっている。顔が半分溶けたような彫刻とか、闇に消えてしまいそうな人物画等である。形を消そうという意識にとり憑かれたたような形たちである。夕方研究室に行くが誰もおらんのでイサム・ノグチを読み続ける。一生私生児であったからこそこんな執念が生まれたのだろうか?芸術家になる条件は劣等感だと昔友人と話し合ったことがあったが、、、、夜学生が三々五々やってくる。

イサム・ノグチ

オフクロの形見の中には子供たちが贈ったものが山とある。本も多く、僕があげたものは僕が読みたかったものなのでそっくりもらって帰ってきた。その中にドウス昌代『イサム・ノグチ―宿命の越境者』上下講談社2000がある。ドウス昌代は叔母の大学の同級生で彼女の勧めでこの本をオフクロに贈った気がする。イサム・ノグチの研究家ではないから詳しいことは知らないが、やはりドウスさんのような在米日本人という立場はハーフの芸術家の調べ物をするには好都合なのかもしれない。それにしてもハーフであることこそがイサム・ノグチをしてアーティストの道へ進ませたという事実はなかなか興味深い。帰属問題から逃れるために自由の世界に没入したというのがノグチの言葉である。当時だからこそという気もする。

September 10, 2011

プリンストン大学建築学科のHP

朝、学科のホームページを新しくするための打ち合わせ。セットエンブの入江君と井上君が来研。コンテンツは助教の呉君がまとめてくれた。そんな説明をしながら他大学のHPを見る。なんだかどこも似たり寄ったりである。見やすさの差は多少あるもののデザインがパッとしない。すると彼らがプリンストン大学建築学科のHPはなかなかいいのではというhttp://soa.princeton.edu/見るとなるほど素敵だ。写真をトップに持ってこないで字だけというのは意表を突いている。しかしこれはOFDAと同じである。僕やセットエンブの単なる好みなのかもしれない。でもある程度他大との差異化が必要なのでこれも1案である。「プリンストンを超えるデザインをお願いします」と頼む。

September 8, 2011

事務所大学事務所大学

理科大は都心にあるから何処にいようと30分あれば大学に着く。家と大学を数往復なんてざらだよと山名さんに昔言われた。そんな非効率なことはするまいと思っていたのだがスケジュールは自分の思い通りには造れない。当日急にたずねたいという飛び込みの電話が入る。それも場所を指定してくるのだが何時に何処に居られるかはそう簡単に読めない。なんだか中途半端な余り時間ができたりもする。
今日は突然の電話で6時にOさんと会う。だいぶ前にもらった電話の続き。信大の北側、川を渡った住宅地。その辺りにオーナーが好意的な空いた土地が10個くらいあるので何か提案できないかと言う。「提案って何を???」「いやーそれが分からない。一戸建て賃貸とかないかなあ?」と言う。そんなのありっこないだろう、そんなお金があるのなら空いた民家を改造した方がよほど豊かな空間が出来ると言うと、「そうだよねえ」と同意する。長野は戸建ても土地と併せ考えれば安い。信大時代の先生たちは若くても戸建に住んでいる人は結構いた。一番大きい土地に6軒くらいまとめてミニ開発するならあるだろうなあと言うと、では少し検討しようと言うことでまた次回。

信州の恩恵

信大の後輩の先生から同窓会誌に寄稿して欲しいとのメールをいただく。高々6年程度いた教員に対して光栄な寄稿依頼である。ありがたく引き受け30分くらいで思いを綴り返信した。「恩師からの便り」というタイトルでお願いしたいと言われたが、そんな大それたことを書ける身分でも無いので僕が東京に移り感じた国立と私立の差、そして信州で得た恩恵について書いてみた。以下その全文である。

長野に行かなくなって半年。まだ長野が恋しいという気持ちになるほどではありませんが、卒業まで面倒見切れなかった研究室の教え子たちが今頃何をしているのだろうか?とふと気になることがあります

私は今年の4月から東京理科大学工学部に籍を移しました。初年度から卒論生を16人受け持っています。本来なら卒論生はプラス2人、加えて院生を12人担当しなければいけないのですが初年度と言うことで配慮いただきこの数字となっています。とは言え信大での担当数の3倍近い学生数です。先ずはこの量が国立と私立の差を象徴していると感じました。加えて研究室の面積がこの人数に対応していません。基本的に4年生は研究室に場所はないというのが私立の宿命のようです。
つまり学生1人当たりの先生の数と施設の面積が圧倒的に小さいのが私立です。もちろん都心にあるのだからという理由もあろうかと思いますが、東京にあっても国立は十分な面積と先生の数を備えています。そんなことは承知の上で移動したので、もちろんこれは愚痴でもなんでもなく事実を述べているに過ぎません。
一体こういう状況は何に起因しているかと言えば、理由はいろいろあれども最大の要因は私学に対する補助金の額によるものと思われます。日本の教育予算は世界的に見ても低レベルであり、特に私学への補助は低いのが実状です。私学が日本の優秀な人材を輩出しているという現状を鑑みれば国はしかるべき補助を出すべきだろうと言う人もいます。国立の倍以上のお金を出してこれだけ不利な条件の場所に入学するというのは普通に考えるととても変です。それを変なことと思わない状態にしているのは私学の伝統と教員の質の高さと運営の知恵でしょう。それにしても大きなギャップです。
さてここまでは半年の間に国立と私立の違いで感じたことです。ここからは私が信州で受けた最大の恩恵について記しておきたいと思います。
私は2005年から6年間信大で教育、研究にいそしんで参りました。その間私なりに信大建築学科の意匠についてボトムアップを図り、日本国内で建築意匠の世界に信大ありというプレゼンスを確立できたと思っています。また研究分野では自らの博士論文を提出させていただきました。こうした意味で教育研究の双方で大変有意義な時を過ごすことができました。しかし私にとって何よりも重要だと今感じているのは私自身が信州で貴重なものを得ることが出来たと言う事実です。それは一言で言えば自然をリスペクトする気持ちです。建築のデザインにとって自然と言うのは有史以来とても重要なテーマでした。ところが近代世界になって自然は不要なものとして横に置かれました。建築以外においても世の中の思潮がそうだったのだと思います。そして21世紀に入りそうした流れは変わりつつあります。そうした時期に僕は東京を抜け出て長野の文化や生活に浸りました。その中で「自然」と言うものが染みわたってきていたようです。こういうことに僕は気がついていなかったのですが、東京に戻り私の継続的なクライアントにこう言われました。「長野に6年間いて変ったね」と。「何が?」と問うと、モノの見方が変ってきたと言うのです。どういうことかと問うと僕の発想が建築だけではなくその周囲に、つまり環境に、つまり自然に基づいたものに変ってきたというのです。
信大時代に学生と設計活動や卒業設計を行う時、市役所の方たちと建築や町づくりについて語る時、自然は大事なテーマとなることが多々あったわけですが、それが血肉化しているというような意識はありませんでした。しかし人に言われて「ああそうかあ」と自覚しました。
理性的にエコロジーなどと叫ぶのは僕の好みではありません。特に建築家が声高にそういうことを言うのをあまり好きにはなれません。そもそも建築を造ると言うこと自体がエコロジカルでは無いのですから。なので、自然と「自然」を語れるようになれるまではそうしたことに強く関与したくないと思っていました。ところが、信州の6年間はどうもそれを可能にしてくれたようです。
建築よりも常にその周囲に目が向く。そうした自分の感覚を2010年に一冊の本にまとめました。それはArchitecture as Frameと言うタイトルの作品集です。建築は周囲の環境を切り取るフレームに過ぎないというのがその趣旨です。この考え方は信大に来る前から僕の中に胚胎していましたが信州の6年間が無ければ結実しなかったと思います。そしてその6年間の内実は僕の教え子たちへの指導、同僚の先生たちとの会話、役所の方々や市民とのふれあいだったと思います。

「自然」を自然に考える力を与えてくれた信州に感謝しています。

September 7, 2011

ピカソの造形的隠喩

西村清和の『イメージの修辞学』理想社2009を大学近くの蕎麦やでカレーうどんを食べながら読む。その中にピカソの≪牝山羊≫(1950)という彫刻作品が出てくる。この作品の肋骨部分はゴミ捨て場に落ちていた網籠を用いて造ったそうだ。ここである人はこう言う。ピカソは網籠を肋骨のように造ったと。これは肋骨を網籠のように造るのとは少々違う。言い換えれば前者は肋骨のような網籠であり、後者は網籠のような肋骨である。まあどっちに見えやすいかという程度の問題ではあるが一応こういうのを造形的隠喩というそうだ。
なんていうことをコンペの作業を終えて夜地下鉄の中で思いだした。帽子hatのような形をしている小屋hutなのか?小屋hutのような形をした帽子hatなのか?ついでにもう一つくらい違うものに感じられてもよいのだが。

September 5, 2011

屋根の形

体調今一つの月曜の朝。昨晩送られてきたコンペ案の平断面を構造へ。電話で打ち合わせるが送った3案の内2案はけんもほろろに否定される。まあコストも厳しいのだからおっしゃることも分からないではない。残った1案を描き直して再度送る。少しは相手にされた。まあこれでやるしかないか。そのスケッチを研究室に送り模型を作っておくように指示して夕方行く。なんだかメキシカンハットのようである。オーストラリアハウスなのに。そう言えば昔かみさんに買ってあげたヘレン・カミンスキーの帽子はオーストラリア製だった。あんな形も面白いのだが、、、、、、

September 4, 2011

土とガラス

そう言えば今週は横浜トリエンナーレhttp://ofda.jp/column/に行こうとかみさんと約束していたのを思い出した。起きてきたかみさんに「行く?」と聞くと特に変更なしとのこと。飯も食わずさっさと家を出る。丸の内、副都心、棟横と乗り継いだのだが、考えて見れば南北線で一本であることに後で気付く。車中山本学治『素材と造形の歴史』SD選書1966を読みながら土の重要さを思う。現在勧めているコンペで建物の大半を土間にしようとしているのだが、その心は土の『自然性』にある。土は最も自然に近い空気を作れる材料だ。次にガラスの章を読みながらガラスとはすなわち光であることを再認識。土も光も自然からの贈り物。この本は建築にとっての『自然』を再考させる。馬車道で降りてバンクアートへ。アートは常に建築のテーマを先取りする。土やガラスが建築とは違う現れ方をする。
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●デワール&ジッケル 無題
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●マイク・ケリー シティ3

September 3, 2011

アラヴェナ展に行ってきた

大きな台風が来たのだが朝からあまり雨は降らない。内藤廣の『構造デザイン講義』王国社2008を読む。うすうすそうだとは思っていたが、グッゲンハイムもミレニアムブリッジもザハも建築として評価していないのは内藤さんらしい。午後ギャラ間に行ってみた。チリの建築家アラヴェナの展覧会。経済的な展覧会ということで展示物は極めてシンプル。ふわふわと風船が浮いていた。あまり建築展という感じではない。すごーくいいと誰かに言われて来たのだが建築展と言うよりかはインスタレーションである。。夕方大学でコンペの打ち合わせ。延々と夜中まで議論。なんとか方向性は出たのだが。先は長い。

後期の4スタジオ

夕方大学で後期3年生製図非常勤講師の方と打ち合わせ。3年後期は4人の建築家にそれぞれスタジオを持っていただく。課題も其々の先生に考えていただく。今日はそんなみなさんの案を聞く日でありどんな案が出てくるのか楽しみであった。結果下記のような4つのスタジオが完成。
青島裕之さんのアーバンデザインスタジオ、
多田脩二さんの構造デザインスタジオ、
川辺直哉さんの都市の公共空間スタジオ、
亀井忠夫さんのターミナルコンプレックススタジオ
それぞれとても特徴的な視点があり3年生の課題としてはなかなかユニークだと思う。
ところで長野市庁舎コンペのヒアリング者が決まったと聞いた。槇文彦、岡田新一、仙田満、日本設計、佐藤光彦。是非案を見たい。しかしネット上には見つけられない。提出した方から聞いた情報なので確かだとは思うが。

September 2, 2011

天高1.3メートルの飲屋

理科大で夏休みゼミ。卒計の意向を聞く。その後コンペ打ち合わせして坂牛研始まってほとんど初めての宴会。後期製図の非常勤の集まりに来ていた柳澤潤氏も参加。彼は来年から東工大の連携准教授だそうだ。
宴会のお店は飯田橋と九段下の間の裏の方。外からはRC2階建てくらい見える。店に入るとカウンターしかない。そのカウンターの後ろに急こう配の階段がある。いや殆ど梯子である。その梯子を登るとなんとRC打ち放しの天井高1.3メートルくらいの10畳間くらいの空間がある。つまり屋根裏部屋である。屋根裏部屋だから窓は無い。家庭用の小さなクーラーが一台ついている。そこに10人以上の人間が入るととんでもなく暑くなり空気が薄くなる。もちろん煙草なんか吸うと酸素が減るのでタバコ吸う人間は下に降りて道路で吸うということにする。梯子の周りには「落下注意」壁には「頭上注意」の張り紙。数名立ち上がる時に脳天をコンクリートの天井(というよりかは屋上スラブ)にぶつけていた。
こんなお店があるんだ!!!