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October 30, 2011

久しぶりの批評理論

娘の文化祭に行った。高校最後の年なので。演劇二つとダンスを見る。いやなかなか面白い。ダンスはセミプロである。黄色い声援が女子高らしい。図書館前では古本市。筒井康隆の『文学部唯野教授』岩波書店1990が売っていた。130円。10年以上前に読んだことがある。批評理論を学ぶには最良の入門書。笑い転げる面白さ。また読もうと思って書架を探したのだが捨てたのか失くしたのか分からないが見つからないので思わず買って帰宅後斜め読み。
明言されていないがこの本にはネタ本がある。テリー・イーグルトン『文学とは何か』岩波書店1997(1983)である。そして更にこの本には解説本がある。訳者である大橋洋一(東大教授)が書いた『新文学入門』岩波書店1995である。筒井康隆の本のモデルが大橋洋一ではないかという噂が流れたくらいである。
ところで彼らが注目した批評理論をあげてみると恐らく現代、使用に耐えられる批評理論はほぼ網羅されていると思われる。以下批評理論と掲載本を記してみる。
1、 英文学批評(イーグルトン、大橋)
2、 現象学、解釈学、(イーグルトン、筒井)
3、 受容理論、構造主義、ポスト構造主義(イーグルトン、筒井、大橋)
4、 印象批評、ニュークリティシズム(筒井)
5、 ロシア・フォルマリズム(筒井、大橋)
6、 精神分析批評(イーグルトン、大橋)
7、 ジェンダー批評(大橋)

批評と言うのは物事を解釈する一つの立場、見方である。筒井は文学を対象に書いているがこれはもちろん建築を対象としても何ら問題はない。この本来年の坂牛研のゼミ本にしよう。笑いながら批評理論を学べる。

October 29, 2011

寡黙なる巨人

午前中ジムに行ったら今日は休み。帰宅してジョギング。午後事務所に兄貴夫婦来所。またしても6時間の打合せ。やっと一案に絞り込む。
帰宅後風呂につかりながら多田富雄『寡黙なる巨人』集英社文庫2010を読む。小林秀雄賞をとったこのエッセイは千葉大、東大の教授歴任後、理科大の生命科学研究所の2代目所長をされた著者が脳梗塞で倒れた後の闘病記である。
ちなみこの本のタイトルである寡黙なる巨人とは、脳梗塞からのリハビリは元の自分に戻るのではなく、体の中に横たわる別の誰か(寡黙なる巨人)が目覚めるように感じたことからつけられたものである。
著者の闘病は嚥下障害、言語障害、歩行障害との闘いであり先日亡くなった友人の父親の闘病と同じである。こんなに苦しい状態だったのかと思うと再度友人の父親が気の毒になる。

神楽の設計陣は4人野田も合体したら6人である

7時の新幹線で東京へ。帰りの車中はジョン・バージャー伊藤俊治訳『イメージ―視覚とメディア』パルコ出版1986(1972)を読む。我々に見えているモノが社会的にどのように意味付けられているかという話し。考えて見れば40年も前の本なので少々解釈が古い感もある。例えば広告イメージは頻繁に絵画のイメージを転用する話。何故転用するかと言えば絵画は富の象徴であるからであり、伝統や歴史にこそ人は価値を見いだせるからだという。確かに今から40年前はそういう時代だったかもしれない。しかしその後我々は伝統や歴史に頼らなくても想像的に価値を見いだせる時代に入ってきていると思う。それゆえ見たことも無いような広告イメージが多く生み出されてきている。
10時に大学。雑用。午後一で計画意匠系の会議。信大の時もそんな会議はあった。構成メンバーは歴史3人、心理1人、意匠が僕だけ。ここでは歴史1人残り4人は意匠、計画で皆さん設計ができる人たち。これに来年度からもう一人加わる予定。これは嬉しい。会議も充実する。これに野田の2人も入れたら設計者は6人である。大学院教育など一体化したらこんな恵まれた大学はあるまい。
自転車で事務所。打合せ。夜大学に戻り研究室の1時間設計の課題を出して、輪読本である佐々木健一さんの『タイトルの魔力』の説明をしてから製図へ。今日は提出日である。そこそこ形になってきただろうか?まあ24万㎡の渋谷のコンプレックスなど、数週間でできる課題ではないが、なんとか提出にこぎつけている。来週は藤村龍二さんをゲストに呼んでの講評会。楽しみである。

October 27, 2011

住宅作家とは?

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朝一で住宅の模型を見る。1/30 の段ボール模型は頭が模型に入る。なかなかいいものである。しかし最近模型を見るたびに赤坂さんの言葉を思い出す。「模型は作らない、甘くなるから、、、、」大学のお弁当会議を終えて東京駅へ。久しぶりに新幹線に乗る。目指すは長野ではなく大阪だが。
車内で鞄を開けて驚愕。行き帰りと向こうのホテルで読もうなんて思って4冊の本を入れていたつもりだった。読みかけの9.11、コミュニティデザイン、新しいオフィスの作り方、それから脳梗塞になった東大の先生の日記。ところが恐ろしいことに4冊ともまるで手品のように違う本が入っている。ルネサンス、三島由紀夫、愚作論、イメージ。
まあ別に入れたつもりの本を今読まなければいけない必然はないからそんなことはどうでもいいのだが、自分の体が自分の意思通りに動いていなかったと言うことが問題である。体中が不随意筋でできているようなものである。
仕方ないから八田利也『復刻版現代建築愚作論』彰国社2011を読む。この本は復刻版とある通り、1961年に出た本であり八田利也(はったりや)というペンネームの主は磯崎新、伊藤ていじ、川上光秀三氏の共同体である。内容は当時の建築界の状況風刺。藤村龍二の解説では本書の主旨が建築家は「量」を問題にせよということになっているが、そうとも言い切れない。しかし当たらずとも遠からず。たとえば住宅作家をこんな風に批判する。住宅だけやっている建築家はプロではない。なぜなら住宅は食えないのだから。故に一流の(?)住宅作家と言うのは全て大学の助教授である(当時)。東大の池辺、早稲田の吉阪、東工大の清家みな一流の住宅作家にして大学の助教授である。なるほど。今日会うだろう日建のO君も住宅で学会賞とっているが、あれを仕事にしたら大赤字のはずである。
大阪では日建の方々とお会いする。2年ぶりくらいだろうか。社長以下いろいろお話させていただく。4月に大学移動したこともお伝えする。終わって新しくできた大阪駅などを見る。これは一見飛行場である。駅の上にもう一度屋根をかけようなんてそう思いつかないだろう。基本設計は日建と聞く。大屋根によって場内放送が反響しヨーロッパの駅のようである。なかなかダイナミックである。

October 26, 2011

リゾートのような

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野木の現場定例。開発行為工事が先行。11月末に制限解除されてやっと建築工事となる。それまでは指を加えてまっているような感じである。さっさと施工図が出て来てチェックできればいいのだが、、、契約のどたばたで未だ下請けが決まっていないのが現状。ひどい。今日は秋晴れ。空気は澄んで周辺の雑木林の木漏れ日を見ていると一瞬仕事を忘れてリゾートに来たような錯覚に陥る。

吉阪隆正的想像力

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●倉方さんが撮られた写真を再掲載

夕方卒業設計の中間講評会。高橋堅さん、新堀さん、他非常勤の先生8名そしてゲストの倉片俊輔さんを加え豪華なメンバーで講評。いやはやこれだけの布陣で見るほどのものになっていないのが残念だしお呼びした方に申し訳ない。
講評途中で倉方さんのショートレクチャーを聞く。伊東忠太と吉阪隆正について。吉阪の呉羽中学校の未完性の面白さがよく分かった。つまり建物が長年の間に新たな予想外の使われ方を生んでいくという面白さである。
帰宅後『吉阪隆正の迷宮』2004吉阪隆正展実行委員会編2005をぺらぺらめくると石山さんのコメントに目がとまる。吉阪隆正と丹下健三の違いについて。吉阪は先ず建物を配置すると人間の歩く道は自然にできると言う(セミナーハウスなど)。一方丹下さんはまず歩く道を決めてその中に建物を置くのだと。
計画者が計画できることの限界を見極め後は人間の力を期待すると言う態度は極めてポスト近代的である。丹下の方法はまさに近代。そう言えば先日お会いした板屋緑さんも「建物はできた時が一番いい時ではない」と言っていた。彼のデザインは何かがはずれたり壊れたりしながら核とした部分だけは風化せず残りそうな建物である。千年後に遺跡になった時を想像させる。変化を許容するデザイン。これが吉阪的早稲田の伝統か?!
そんなざっくりとした、何かがおこるかもしれないと想像力を掻き立てるような卒業設計が生まれてくることを是非是非期待したいところである。

October 24, 2011

9世紀後の十字軍

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一昨日、瀧本哲史『武器としての決断思考』星海社2011を読んだ。ディベートの仕方を描いている本なのでディベート好きの娘にあげよう。
昨日、太田敬子他『十字軍全史』新人物往来社2011を読みながらバルカン半島からパレスチナにかけての地図と睨めっこ。エルサレムに一度は行ってみたい。兄貴の話だとイスラエル入国の時に次にアラブの国に行くと告げるとパスポートの上に紙を一枚乗せて入国の印を押すそうだ。つまりパスポートにイスラエル入国の証拠が残らないようにしてくれるとのこと。なんとも不思議な国である。
十字軍の9世紀後アメリカはイスラムにリベンジされる。ローレンス・ライト平賀秀明訳『倒壊する巨塔―アルカイダと「9.11」への道(下)』白水社(2006)2009を読む。2007年のピュリツァー賞受賞作。ビンラディンは「アメリカはキリスト教徒とユダヤ人によってイスラム復興を粉砕する地球規模の十字軍のさきがけ」と見ていたと言う。それを察知した彼は先手を打ったわけである。9世紀前の轍を踏まぬように。

October 23, 2011

ロートレックの目

驚きのフェイスブック。UCLA時代の一番仲の良かったドイツ人から20年ぶりにフェイスブックを通して連絡が来た。彼はドイツに帰らずヴァンクーバーで都市計画の仕事をしているとのこと。11月に日本に来るので会うことにした。
雑用がたまりいろいろやっていたら夕方。行こうと思っていたオープンハウスも行けそうもないと諦めた頃にかみさんがロートレック見に行こうと言う。日展の作品制作でこのところ土日は出ずっぱりだったが今日は久しぶりに家にいる。
三菱一号館に行くのは作品選奨の審査以来。この庭は高層ビルの公開空地の作り方としては少々暑苦しくはあるが画期的である。
ロートレックは3年前にサントリー美術館でも見た。あの時は人の背中で絵を作ったのはロートレックが最初だろうと思った。今日は目が凄いと思った。ここまで表情のある顔を描く(リトグラフだが)アーティストはいないと思った。いやもう少し言うと彼の描く目は漫画みたいである。と思って見ていたら彼が浮世絵に影響を受けたことが説明されている。特に北斎漫画に影響を受けたと言う。そうやってみると確かに彼の描く目は北斎漫画の人物画集から貰って来たのではないかと思わせる?女性の目など実に日本的な細い切れ長ものがあったりする。
今日は暑くなく寒くなく気持ちのいい空気。丸の内のストリートカフェで食事。お隣さんのお連れの犬が少々ばて気味。
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驚きの一日

午後早稲田理工学部へ。建築学会の建築論、意匠小委員会に出席。理工キャンパスに来たのは建築士の試験を受験した時以来である。その時はあまり感じなかったけれどひどく建物が密集したキャンパスである。入江先生がこのキャンパスは容積率を使いきっているんだよと言っていた。そんなキャンパス他にあるのだろうか?まあ理科大もそうかもしれないが、理科大はキャンパスがないから同列には扱えない。
委員会の後シンポジウム。入江先生のお題「建築論の現在 建築デザインにおける既存、既在という場所を巡って」に沿って萩原剛さん、赤坂喜顕さん、板屋緑さんの3建築家が自作を語った。
萩原さんの台湾の美術館はもうすぐ竣工のようである。とても日本人離れしたデザインに驚いた。
赤坂さんはあの白い箱をコンテクスチュアルに説明された。彼は模型を作らない。図面と言う抽象性から建築という具体に突如移り変わる緊張感が重要なのだと言う。これも驚愕である。そういう建築家がいることは聞いていたが赤坂さんの建築がそうだったとは。
板屋さんは恐るべき人である。四角いものを見るとロの字に見えてローマを思うというほどローマが好きな人。ローマの遺跡のような建築を作っている。作った数僅か3つである。しかしそこにとんでもないエネルギーと情念が刷り込まれている。30分間よどみなく「えー」とか「うー」とか全く入らず話す。まるで機械のように話す。これは想像以上に驚くべきことである。また雑誌で作品を見た時はきっと若い人だと勝手に想像していたのだが私より一回り以上先輩であると聞きこれも驚きであった。
3氏のプレゼンの後岸田さん、富永さん、田路さん、奥山さん、僕が加わり質疑そして最後に中谷礼仁さんがまとめて終了。
夜は懇親会。意匠小委員会の委員でもありかねてより翻訳本を愛読していた白井秀和先生とお話しした。老齢で静かな方をこれも勝手に想像していたのだが、なんとも豪快で元気な方なのには驚いた。現在ワトキンの本を訳されているそうで出版が楽しみである。2次会は若手だけ。下吹越さんとは法政と理科大はお隣さんだし何かできないものかと話す。彼はあの若さで教授であるこれも驚き。今日は驚くことばかりである。

October 21, 2011

日本で働くモーチベーションは?

構造の長坂さん来所。10時から1時まで打合せ。お腹が減った。2時に昔のインターンシップ学生、アイルランド人ガレスが来所。一昨年インターンシップ後アイルランドに戻りこの夏に大学を卒業。卒業と同時に大胆にもさっさと日本にやって来て就職活動を始めたそうだ。そうしたら運よく日建設計が試用職員で拾ってくれた。某国の空港プロジェクトをやるらしい。
どのくらい日本にいてその後どうするのかと聞くと別に何も決めていない。‘It would be open` と言う。アイルランドの最もプレステジアスな大学を卒業して、まあヨーロッパで仕事もあるだろうが、そんなチャンスを放り投げてさっさと日本にやって来て将来の具体的なヴィジョンもない(いい意味で)というのはどう考えたらよいものか?
先日メールが来たチリの建築家の卵も同じである。チリの東大みたいな所を出て就職も楽にできたのにそんなことを放り投げて日本に来たいという。日本に来て大金持ちになれるのならいざ知らず、まあせいぜいアトリエ事務所の初任給はまあいいとこ10万だよと言ってもOKというのは一体どう考えたらよいのだろうか?
ヨーロッパも南米もとにかく建築家の仕事などないということなのか?経済状態が悪いと言ってもそれでも日本の状態は相対的にいいということなのか?日本の建築が世界的に見ていろいろな意味でレベルが高いからここで勉強したいと言うことなのか?今のところ僕には正解が分からない。

ミドリが好きな日本人

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先日、とある計画敷地前の公園を歩きながらこの建物に入ると公園(ミドリ)を感じるようにしたいと思った。そうしたら本屋に『「緑の本」女子美術大学公開講座』近江源太郎他1992という緑色の装丁の本があり思わず手に取ってみた。
そこに印象派の画家が使ったミドリの絵の具の種類があげられていた。
モネ:エメラルドグリーン、ヴィリディアン、クロームグリーン
ピサロ:エメラルドグリーン、ヴィリディアン
ルノアール:ヴィリディアン
シスレー:ヴィリディアン
セザンヌ:エメラルドグリーン、ヴィリディアン
なんだ普通なんだ。印象派はミドリなんか使わずミドリを描いていたのかと思ったのだが。
ところでこのヴィリディアンという小学校の絵の具セットにもはいっているような普通のミドリをネットでひくとこの花が登場する。ラケナリア・ヴィリディフロラという名前である。昔はこの花からミドリを絞り出していたのかもしれない。絵の具のヴィリディアンは冴えないけれどこうやって花になると素敵な色に見えてくるから不思議である。
色と言えば小澤征爾とならび世界文化賞を受賞したリカルド・リゴレッタはバラガン仕込みの色の魔術師である。UCLA時代の先生であり、彼と一緒にメキシコを1週間旅行した。彼の自邸にも行った。しかしミドリは無かった。あるのはイエロー、ピンク、パープルである。色は地縁。場所の好みと言うものがある。
先の本によると日本人はミドリが大好きだそうだ(正確に言うとミドリという概念は一番好きだが色見本帳を見せると三番くらいに落ちるらしい)。そう言えば信州大学も理科大もスクールから―はミドリである。

October 19, 2011

驚異的な才能の理由

ユダヤ人の類まれなる能力は何に起因するのか?例えばノーベル賞受賞者を見れば医学生理学賞受賞者184人のうち48人がユダヤ人。物理学賞では178人のうち44人。化学賞では147人のうち26人で比率でみれば26%、25%、18%である。世界人口の0.2%しか占めないユダヤ人がこれだけの受賞をするのは驚異的である。
建築家、音楽家、その他アート関係、政治、ビジネス、およそすべての分野で彼らが最前線にいない分野は思い浮かばない。一体この驚異的な才能は何処から来るのか?彼らが一つの国家に属する成員ではない以上それは教育の問題ではないし、生物学的な遺伝子とも言えない。であればそれは彼らの自らを鍛える精神のレベルの高さにしか求められない。とても分かりやすく言えばユダヤ人以外が驚異的努力だと思っていることがユダヤ人にとっては普通のことだというわけである。
まあそういうことは学校と言う集団を想定してみれば理解される。ある学校の常識は別の学校ではとても理解しがたい高度なことだったりするものだが。しかしユダヤ人はそういう自らの想定レベルを個々に掲げて生きているという驚異的なことをやっているわけである。それは差別を前提に生まれた彼らの生きるすべなのかもしれない。
少し前の(今でもかなりそうかもしれないが)日本の男女の働き方も似たようなことが見受けられた。女性は男性の3倍働いてやっと同じに見られたというような時代があった。生まれながらの差別を引き受けた彼女たちは暗黙のうちにとんでもない努力をすることを強いられた。
ユダヤ人はおそらくそれをはるかに超越した命がけの努力を2000年以上続けているのだろう。しかも、そして最も重要なことは、彼らがそれを努力だと思っていないことである。

野木の現場の行き帰りで内田氏の本を読みながら感ずるところである。

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●現場周辺の蕎麦畑と雑木林

October 18, 2011

反ユダヤ主義がユダヤ人を生み出した?

「私たちは、ジェンダーがセックスと言う自然的なカテゴリーにもとづいて構築されているのではなく、むしろ、ジェンダーが存在するがために、セックスが関連事象になり、したがって、知覚対象のカテゴリーになったのだと考える。ジェンダーが解剖学的なセックスを作り出したのである」とフランス人フェミニスト、クリスティーヌ・デルフィは言った。

つまりジェンダーが先ずあってそれがセックスを生み出したというわけだ

さてユダヤ人と言う定義困難な呼称も実は上記の通り社会構築的なので上記文章のジェンダー・セックスをユダヤ人・反ユダヤ主義と入れ替えるとユダヤ人と言う言葉の意味が鮮明になる。
「私たちは、反ユダヤ主義がユダヤ人と言う自然的なカテゴリーにもとづいて構築されているのではなく、むしろ反ユダヤ主義が存在するがために、ユダヤ人が関連事象になり、したがって、知覚対象のカテゴリーになったのだと考える」。

つまり反ユダヤ主義がまずあってそれがユダヤ人を生み出したというわけである。

昨晩受験勉強中の娘が「ユダヤ」という言葉の意味を探求することの無意味さを主張した。文系だと高三でそんなませたことを考えるのかとびっくりしたが、たまさかこの本(内田樹『私家版・ユダヤ文化論』文春新書2006第六回小林秀雄賞受賞)のこの部分を読んだばかりだったので教えてあげた。若いうちは言葉には常に不動の実態が伴うと考えるものである。しかしそうではない言葉も存在するということはそのうち分かる。高三にはまだ早いか?

October 17, 2011

ミドリ

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朝一で東京駅の丸善へ。シャープペンの消しゴムを買おうと思ったのだが行ってみたら売りきれだった。もちろん本も買いたかったから別にいいのだが。
慣れた本屋はいい。どこに何があるか分かっているし、前に無かった本が何かもすぐわかる。加えてここは9時からやっていてその時間は他の客がいないのでカートを飛ばしてもぶつからない。今日は手に取る本全てが興味深く思える珍しい日だ。
東京駅から快速で西荻へ。敷地の周りを少し歩く。確かに敷地のある善福寺川のあたりは駅からかなり下がっている。そして敷地正面にある公園を散策。5メートル近い段差に作られた公園の緑は今時貴重である。
午後はひたすらスケッチ。さっきの緑はやはりいい。この緑がよくてこの土地にしたという施主の話を思い出す。テーマはミドリか??昔早坂さんの緑陰の家と言う軽井沢の別荘を見せてもらったのを思い出す。緑陰かあ、、、、あれほどの木ではないけれど、、、、日建時代結崎さんがグリーンタワーという20階建ての高層タワーを設計したのも頭を過る。敷地にミドリが多く残っていたからそうしたらしい。100メートルのビルが全部ミドリ色なんてそうは無いだろう、、、、、
先日来メールのやり取りをしているチリ大学の卒業生にメールの返信をする。名門チリ大学をかなりよい成績で卒業して春から働き始めた建築家の卵。外国で働いてみたいというメッセージを1週間前にいただいた。こんなメールは月に一度は来るのだが何時も忙しさにかまけてよく見ない。今回はしかし建築の良い学校であることと、たまさか開いたポートフォリオが面白かったのと、来春レクチャーに行く予定のチリであることと、何と言っても昨今ラテンアメリカに興味があるのですぐに返信してみた。「あなたのポートフォリオに興味あり」そうしたら丁寧な自己紹介が来て、何度かやり取りをしている。優秀であることはメールを読めばすぐに分かる。先ずは会って話をしてみたいのだが来春向こうで会って話をしてからでも遅くはないのではとメールしてみよう。

October 16, 2011

裏表ないプレゼン

昼から親父の家打合せ。事務所に兄貴達来所。2案の模型を前に唸る。両案とも甲乙つけがたく面白くなりそうである。
一般に打合せで複数案をプレゼンするのは相手の意向を探る場合、片方を引き立て役としてもう片方を推す場合などである。つまり進むべき方向が見えておりそれに向かうためにそうすることが多い。しかしこのプロジェクトはどうもそういう戦略性を持ってやる気になれない。というか、戦略性なしにやれる相手である。そういうかけひき無しに、作ったそばから包み隠さずなんでも見せたいのである。相手を多少混乱させるかもしれないが、そんなざっくばらんなプロセスを踏んだ方がいいものができそうな気がしている。こういうことはあまりないのだが相手もそれを楽しんでくれているのでそうできる。なので考えが変われば前回と違うことも言うし打ち合わせ中でさえ前言撤回である。相手を説得するというより、自分を説得する打合せである。そのせいで今日も13時に始まり19時半までやっていた。それも僕の用事があったから。無ければもっとやっていたかもしれない?

October 15, 2011

君はショック・ドクトリンを読んだか?

『ブランドなんか、いらない』で10年前にデビューしたナオミ・クライン(幾島幸子、村上由美子訳)の話題作『ショック・ドクトリン』岩波書店2011を読んでみた。タイトルshock doctrineは直訳すれば衝撃原理である。一体何事かと思うのだがその内容は新自由主義批判である。しかしそれはその内実の批判にとどまらず、いやむしろその内実批判よりもその導入、伝搬の方法を批判するところが特徴的。
気になるタイトルのショックとは世の中の天災人災を指すのだが、話は拷問から始まる。CIAの拷問術は外界からの情報を一切遮断し(ヘッドホンを付け目隠しし)数カ月放置し、その後強烈な刺激(光、音)に晒す。これによって被拷問者は自らの意志を失い拷問者の言いなりになってしまうのだそうだ。
この原理を政治経済に応用したのがアメリカ新自由主義の首謀者たちだと著者は言う。具体的にはハイエクを師としてシカゴ学派を築いたノーベル賞受賞者ミルトン・フリードマンである。彼に先導された新自由主義者たちは巨大災害で判断力を失った人々の隙をついて自分たちの思い通りの主義主張を引きずり込んできたという。フォークランド紛争1983後のサッチャ―、イラク戦争2003後のブッシュ、スマトラ沖地震2004後のスリランカ政府、ハリケーンカトリーナ2005後のリチャード・ベーカー。
彼らは全て天災、人災のショックで放心し、自らの意志を失った人々に時代が変ったと洗脳し過激な自由競争による資本主義を導入してきたのである。
訳者あとがきで幾島幸子は3.11後の日本を案じている。復興の名を借りて住民無視・財界優先の政策が打ち出されないかというわけである。
先日ある県トップのゼネコンの社長が嘆いていた、震災復興には全く参入する余地は無いと。政治と限られた巨大ゼネコンの緊密な関係の中で全てが進もうとしている。スーパーゼネコンはこれによってこれまでの負債を全て解消できるだろうと。本当かどうかは知らないが十分あり得そうな話である。
3.11は一つの標語でさえある。ライオンの食い残しにたかるハイエナの如く、ジャーナリズムも評論家も建築家も土建屋も政治家もとにかくたかる。心ある人もあればない人もある、そして全てはこのショックから立ち直るためだと言わんばかりである。しかしこの状況はどうかと思う。熱い心と覚めた目が必要である。

October 14, 2011

新宿の欲望

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朝一で水戸のクライアントと打合せ。忙しい人なので捕まえるのが大変。幸い多くのことを決められてよかった。昼をとりながらアフターミーティング。その後僕は新宿のアートフェスタの現場へ。昨晩きれいにハンペンのように仕上げてねと頼んで帰宅した。その通りきれいに仕上がっていた。ご苦労さん。全員完徹のようだ。
ぼくらの提案は
① 落書きがしたくなる白く美しい落書き禁止柱
② 電気のコンセントが一杯ついていて、つい充電(盗電)したくなる充電禁止柱
③ 鏡が10枚くらい貼りつけられ、ついその前で化粧をしたくなる化粧禁止柱
④ 小便器がくっついていて、ついもよおしてしまう小便禁止柱
⑤ おしりの形が3つくっついていて、つい触りたくなってしまうお触り禁止柱
という社会的にあまりよろしくない行為を誘発する5本の柱で構成されている。行為を誘発しながらでもダメよと明示されている。ダメと言われるとついやりたくなるのが人の性。社会とはそうしたねじれを活力としている。歌舞伎町のような場所では特にそうだしそうしたねじれは解消しようとしても無駄である。都市の闇は残念ながら無くならないしその必要もない。そんな主張をこめたオブジェ。名付けて「ダメバシラ」である。
午後事務所に戻り金箱さんと親父の家の構造打合せ。7つくらいの模型を前に問題点を整理。明後日の打合せに備えさらなる模型の作成を指示して大学へ。先程新宿で完徹していた学生が研究室に戻って爆睡中。それを起こして1時間設計の課題を出し、輪読本の説明をしてから製図の授業へ。受講生がやや少ないのが気になる。今年から選択必修になったので皆履修をあきらめたのだろうか?

October 13, 2011

2G篠原一男特集の意味

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●花山第三の家(上田宏撮影)
奥山先生から2Gの篠原一男特集が贈られてきた。既に南洋堂でもアマゾンでも売り切れ状態のようである。不動の人気と言いたいところだが、初版刷りが少なかったのかもしれないので何とも言えない。
今回の特集はかなり前に一度企画されぽしゃり延々と伸びながらやっと実現に至ったようである。それというのも、editors` noteを見ても、冒頭のEnrikの論文を読んでも、今回の編集の特徴は篠原が絶対に崩さなかった出版のスタイルを破壊することが暗に目論まれたから。彼は自分の好む写真と自らの言説を巧妙にパッケージ化したもの以外の出版は認めなかった。人が住んだ形跡が見えるような状態を公にするなどと言うことは200%あり得なかった。
今回それを許したのが誰かは知らないが、上田宏さんによる現状の写真が昔のそれと併置されながらその時間の経過を報告するかのように並べられている。加えていくつかの住宅では内部写真が、今まさに使われている状態で載っている。しかもクライアントが入ったものさえある。これはもはや建築写真の枠をドラスティックに逸脱し、建築系一般誌がよく使う写真の部類になっている。それは篠原が絶対に認めなかっただろうことである。
地の家には本が山と積まれ、壁にはメモがピンナップされキャビネット上には置き物が並んでいる。未完の家では石膏ボード塗装だったあの亀裂の壁に縁甲板が張られ、床の絨毯はフローリングとなり、そして観葉植物がセンターホールに置かれている。白く輝いていたその空間は妙に落ち着きしっとりとした場所に変っていた。篠さんの家の金色の壁はアイボリーに貼りかえられ。海の階段のアトリエには足の踏み場が無いほどの画材が並ぶ。同じクライアントの別荘である糸島の住宅も同様である。花山第三の家ではクライアントが写真の中央でまさに主人公足らんとしている。一瞬読んでいる雑誌が2Gであることを忘れてしまう。カーサブルータスだったか??
篠原一男が許さなかっただろうこの特集が篠原一男が最も嫌っただろう自らの家の「生きられた家」化を刻銘に、そして正確に伝えている。
篠原一男の家でさえ生きられた家となるのである。そんなことは当たり前と言えばそうなのかもしれないが、最後の最後まで生活臭が感じられなかった「白の家」を目の当りにした僕にとってにわかにこの状態は信じられなかった。しかし、どうも殆どの住宅がクライアントによって生きられたものへと変貌しているのようなのである。そしてそれを嫌った篠原空間はそうなると命を失うのかとも思ったのだが、写真を見る限りその状態での味が染み出ている。篠原の空間さえもが生きられた泥臭さを十分許容するということがここから伝わってくる。

これからおそらくこうした巨匠たちの建築の現在が再撮影されて我々の手元に届くことが増えるのではなかろうか?特にexclusiveにモダニズムを生きてきた巨匠のそれが。というのも彼らの建築が実はexclusieでもなんでも無かたっか、そうした意気込みが時間によって軽々と超克され、そうした時間の力に深い意味がありそうだからである。

October 12, 2011

人の心を傷つける

茂木健一郎の『脳と仮想』新潮文庫2007(2004)は第四回の小林秀雄賞を受賞した作品で小林秀雄に大きく影響をうけて書かれている。その影響とはよく言われる「花の美しさはなく美しい花がある」という小林の考え方のエキスからの影響のようにも感じられる、、、、なんて小林秀雄を知ったかぶるのはやめよう。高校生程度の知識しかないのだから。ところで茂木は「芸術はひとの心を傷つけることで感動させる」と書いている。そしてその「傷つける」を次のように説明する。「心無い言葉のように不快な形で傷つけるのではない。その瞬間に、何かが自分の奥深くまで入り込んで来たような気がする。ああやられたと思う。」この何かが自分の奥深くまで入り込んで来たような・・・・という感覚。これはとてもよく分かる。す――っと入られてしまうような感じである。相手が何の挨拶も無く勝手に上がりこんでくるような感じである。
こういうことはしかしそんなに起こることじゃあない。特に建築では。何故だろうかと思う。写真や音楽や絵だと比較的頻繁に起こるのだが建築ではそうしょっちゅうは起こらない。それは建築を見る時にこちらにも隙が無いからかもしれない。ちょっとやそっとでは入り込めないからである。しかしどうもそれだけが理由ではないような気もしている。見過ぎて鈍感になっているのか本物を見ていないかである。

教育現場はブランドの格好の餌食

事務所に朝早く出かけたら偶然クライアントが車でやって来ていた。思わぬ来客。午前中にやろうと思っていたことができなくてがたがたとスケジュールがずれ込む。火曜日は夕方からゼミ。少し遅刻して大学へ。理科大1年生の僕には彼らの進捗が早いのか遅いのか直観的にはよく分からない。しかし一般にこういうものがスケジュールより早く進んでいるということはない。
そう言えば最近学生のcad図にこの図面はオートデスクの学生版で作図されたというようなことが印刷されている。Auto Cadが学生はとても安く購入できるのだがその代償として彼らはAuto Cadの宣伝マンにさせられている。
アメリカでは企業の学生支援=宣伝は日本の比ではない。ケンタッキー大学はナイキから年間2500万㌦の支援を何らかの形で受けていたそうだ。そしてその契約条項に「大学がナイキを非難・・・あるいはナイキ商品の促進にそぐわない行為が行われた場合にはこの支援を一方的に破棄する権利を持つ」という一文がある。
学生がナイキよりリーボックの方が優れたシューズであると言うような論文を科学的に立証したらそれを大学は受理するだろうか?それがナイキに知れたら年間20億近い支援が水の泡、、、になるかもしれないとするなら、、、、教授はそんな論文を書こうとする学生に「ちょっとテーマ変えたら」と言いかねない。
もしオートデスクが学生に是非このソフトを使わせてくださいと言ってAuto Cadを無償貸与してくれて他のソフトは使わないようにと言ってきたら大学はどう返答するのだろうか??専属契約を結ぶだろうか???。
ゼミ終わったら11時過ぎ。帰宅後昔なら何か食べてビールでも飲んでいたが夜は食べないことにした。ちょっとお腹が淋しいがシャワー浴びて即歯を磨いてしまうと何も食べられない。夕刊読んでお茶飲んですぐベッドへ行って面倒な本を読んでいると空腹でも寝られる。

October 11, 2011

ナオミ・クラインのデビュー作

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オフクロが死んでから3カ月。やっと墓の準備ができて納骨である。親族十数名が集まる。無宗教だけれど焼香はした。納骨後吉祥寺に出て参列者で会食。墓地では親父の口数が減ったと心配してたが、食事をしたら元気にしゃべり始めたのでほっとした。
帰宅後ナオミ・クライン松島聖子訳『ブランドなんか、いらない』大月書店2009(1999)を読み始める。今から20年以上前、様々なグローバルブランド(ナイキ、スォッチ、ボディショップ、IBM)が登場し世界中に生産拠点を作っていった。彼らは「もの」を売るのではなく、ライフスタイルを、社長の思想を、生き方を、つまりブランドを売っているという風に言われた。言い換えるとそれはモノではなくマーケティング(顧客ニーズを知り、作り、届ける)なのである。そしてそれが招来する(それだけではないが)グローバリズムへのアンチの教科書がこの本である。
20年後の現在相変わらずグローバリズムとローカリズムの2極化の構図は社会問題の枠組みの一つである。自分も両足はその両極に深くはまっている。墓なんていうものを前にするとローカリズムを意識せざるを得ないのだろうが、英語で描かれた無宗教の墓石を前に自分が結びつけられている場所とは何なのか考えてしまう。

October 9, 2011

田原総一朗若き日の渾身のドキュメント

昨日は地鎮祭で早起き。今日は片山先生の事務所に伺うので早起き。諸先輩後輩と同窓会館の件で打合せ。同窓生のプロポーザルによって案を決めようと言う話になってきた。大学の教員はレフリー側になりなさいと言われたがプロポには是非出したいとお願いしてレフリーは辞退。
昼前四谷に戻り久しぶりにジムでヨガ。ランチとって神保町で古本渉猟。帰宅後読みかけの田原総一郎『ドキュメント東京電力』2011(1980)田原総一朗若き日の渾身の一冊を読む。電力会社とそれを管轄する通産省(現経産省)の闘いの歴史である。主役は東電の創業者的社長だった木川田一隆である。福島原発誕生を決意したのも木川田である。加えてその決断は通産に先を越されないためもの。つまり民間で原発が安全に作れることを国に先んじて実証するためだったのである。その決断は62年ころ。そしてそれから10年後のオイルショック1973は原発の後押しをして翌年田中角栄肝いりの電源3法ができる。これによって原発を誘致した市町村には多量の金がばらまかれることになる。しかしこの法律も国VS電力会社の抗争の顕れ。国が民間に介入するための法律であった。笑ってしまうのはこの資金は電源開発促進税という形で電力会社から徴収したもの。それは元をただせば電気代である。つまり我々の電気代が国に回り国がその金を地方にばらまき電力会社が労せず原発を作りそして電力会社の多大な献金が政治家に戻るというわけである。これってつまり我々の金が電力会社を肥やし、政治家の私腹を肥やしその結果とても危険なものが甘いチェックの下に作られ続けてきたということなのである。

October 8, 2011

防衛省のタワーは時たま光る

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僕のマンションの裏口に入る通りの突き当たりには防衛省の電波塔が聳え立っている。何メートルあるか知らないが10階建てくらいのビルの屋上に建っていてビルの2倍以上の高さがある。ということはビルが50メートルとして電波塔はその2倍の100メートルはあるだろうか?
そのタワーは時たま上から下まで発光する。何時どういう理由で発光するのか知らないのだが昨晩、発光していた。思わず写真を撮った。今晩は普通の日で発光していなかった。これも写真。何かの合図なのだろうか?誰か理由を知っている人がいたら教えて欲しい

October 7, 2011

赤対黒の闘い

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昨日今日と、とあるクライアントと長電話した。電話嫌いの私だが相手のゆっくりとした語り口と哲学的な思考の流れに思わず引き込まれ話しこんでしまった。電話代が心配だったがお互いi phoneなので無料と後で気付いてほっとした。それにしても世の中いろいろな人がいるものだ。勉強になった。
夕方大学で製図のエスキス。川辺先生のエスキスは面白い。ロールトレペを学生との間に置いて黒マジックを持たせ学生の考えをそこに再現させる。その上から先生は赤マジックで書きこみをしていく。そしてロールが巻かれ抽象的な図式を黒で描かせ赤が入り、ロールが巻かれ具体的な絵を黒で描かせ赤が入る。毎週ロールトレペ一本が消費される。赤対黒の闘い。

信大その後

一夜明けて今日はいい天気で昨日より7度くらい暖かい。小春日和。午前中雑用を終えて事務所経由大学。大学院専攻会議。二部教室会議。理科大の会議は手短だが、数が多く内容がだぶる。だぶりは減らして実質的な議論を増やした方がいいのだが、、、、でも長い会議はゴメン。痛し痒し。
夜信大時代の後輩のT先生と会う。建築学科のその後の様子を聞く。I先生は学会賞をとって秋から教授。おめでたい。僕の後任の先生は未だ決まらず公募も出ていない。意匠系は活気がなくなり寂しいとのこと。何らかのかたちで面倒を見て欲しいと言われたが、、、近い場所ならいつでも行くのだが、、、、集中講義という手もあるが、、、、今のところ名案なし。
終電で帰る予定だったが朝一の新幹線に乗れば1コマ目の講義に間に合うことを教えたらじゃあ泊まろうということになる。四谷には三井ガーデン、東急ステイ、JALシティと3つのビジネスホテルがあるがそのうち二つは満室だった。結構客がいることにびっくり。

October 5, 2011

外交なんて!!

今日はひどい雨。野木の児童養護施設、第一回現場定例。現場の伐採抜根が終わって敷地の全貌が現れた。敷地の向こう側は畑でそして20メートル級の樹木が密植する林が連なる。実はとても素敵な敷地だったということがやっと分かった。未だ現場事務所が無いので施主の事務所で打合せ。行き帰りに佐藤優『交渉術』文春文庫2011を読む。別に僕が交渉術を身につけたくてこんな本を読んでいるわけではない。佐藤優というひとの著書の一冊くらい手にとってみようという程度のことである。元外務官僚が描くノンフィクションとしての外交の裏世界は落合信彦の小説さながらである。外交とは結局は人間関係の積み上げである。となると外交官というものは人間関係の(裏)操作が仕事なのであろう。そんな騙しあいに国の存亡がかかっているのかと思うと(まあ歴史とはそういうものかもしれないが)うんざりだ(もちろんそんな世界に僕はお呼びでは無いのだろうが)。
新宿から大学へ。雑用を片づけてコンペの様子を見る。もう少し考えたいと言う意見が多く学生に任せる。

とある一日

・7時半~起床、メールチェック(信大に残した4年生からアルゼンチン留学が決まったという連絡。先日の芸大K研合格とともに嬉しい知らせ)
・9時半~事務所で打合せ(二つのプロジェクトがクライアント検討中なのでその間に古賀の図面直し)
・14時~移動(コンビニでサラダを買ってタクシーに乗りメールチェック)
・14時半~1部学生の卒論ゼミ(データーはほぼ揃ったのでその加工の仕方を模索)、
・15時半~学科ホームページの打合せでセットエンブ来研(文字だけのページとヴィジュアルのページのコントラストを大きくつけるようにお願いする)、
・16時~1部2部合同で第一部門の来年度カリキュラム検討(理科大は卒業に必要な単位数が伝統的に他校より多い。カリキュラムが高校の時間割のようである)、
・18時~2部学生の卒業設計ゼミ(欠席が多い)、
・20時~Y先生と再度来季カリキュラムの打合せ(信大以来の意匠系の負荷の大きさをどう克服したらいいものやら)、
・21時~新宿アートフェスタの作成進捗チェック(実際のモノづくりになると学生は生き生きする。笑いが絶えない。)
・22時半~Y、G先生と食事しながらカリキュラム検討(エンジニア系の実験に比べると意匠系の製図は時間がかかるし非常勤任せにはしづらいそうなると途端に負荷があがる、ジレンマである)
・24時半~帰宅後メールチェック(2通ほどメールの返信)
・25時半~就寝

October 4, 2011

荒木町の金の舞台

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夕方中国同済大学、東南大学の先生たち6名が研究室を訪れる。中国で建築を学べる大学の最高峰の二つ。東南大学の李先生はAAを出られてロンドンに7年いた経験があり、現在『言葉と建築』を中国語に翻訳中だそうだ。ロンドンでエイドリアンに会い僕があげた日本語翻訳を見たという。世界は狭い。同済大学の支先生は出版会の社長、時代建築の編集長と1人3役をこなすスーパーマンである。
大学を案内した後事務所を見せる。そして荒木町を散策。古い街が残されていることに深く感動していた。こんな荒木町でもどんどん古いものが壊されていると言うと。中国での壊され方はこんなもんじゃないと言う。決定的な差は土地の私有にあると言う。昔の料亭を改造した小料理屋で食事。ここは人づてに最近知った場所で人数が多くなると2階を貸し切りで使わせてくれる。昔の名残で金の舞台がある。こんなお店は見たことない。
食事中僕の中国体験の話となる。共産党幹部による歓迎会があり市の書記は市長よりも上席だったことに驚いたと話す。Communist partyと言う言葉に皆大笑い???何がおかしいのかよく分からないのだが、もはや世の中はだいぶ変わっているとのこと。例えば大学や出版社の自治権は確立していると力説された。そう言う脇で私は共産党と言う人もいてなんとなく皆好き勝手という雰囲気。

October 2, 2011

日本のモンマルトル

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朝家の周りを一っ走り。セツモードセミナー前の階段を上がるのが最近のコース。セツさんはこの場所を日本のモンマルトルのようだと感じてモード学校を作ったと聞く。なかなか素敵な場所である。
午後一で事務所にクライアント来所。今日は細かな要望を聞きながらその場で図面を書きながら模型を作る打合せ。ワークショップである。こんな打合せ方式をとったのは長い建築人生でも初めてである。クライアントには自分なりのイメージがあるのだがそれは何かを形にしてみようというもの。しかしやってみるとそういうイメージがあまりうまく敷地にはまらないことが分かってくる。1時から始まった打合せは延々7時間、最終的には僕らが提案したものがどうも具合がいい。クライアントは模型を持って帰り敷地で一晩考えるとのこと。
お腹が空いたが大学に向かいコンペの打合。学生の提案がヒット。デヴェロップの方向を指示して帰宅。今日はかなり憔悴した。

半世紀前ならもう僕は生きていない

午前中『ケアの社会学』を読み続ける。ケアが問題化したのは日本では60年代後半であり70年に日本は人口の7%以上が高齢者(65歳以上)である高齢化社会に突入した。今でこそ日本は世界の最長寿国となり平均寿命80歳代という数字となったが戦前は50にも満たなかった。ということは長子に嫁が来ても舅、姑との同居期間も少なくその間に介護が必要になる確率は現在より圧倒的に少なかった。つまり僕の年齢では既にあの世だったのだから。この本のデーターによれば当時嫁入婚後舅姑との同居期間はたった11年だったそうだ。しかし50で死ぬと言うのは何歳くらいから弱り始めていたのだろうか?50になってぱたりと死んだわけでもあるまい。
午後事務所で住宅打合せ。1時から6時まで。普通のクライアントとならお互い気を使ってなかなかこんな長―いまったりとした打合せにはならない。兄貴相手だとこんなことになる。親父のケアをするための家を設計しているのだが、平均寿命を超え90台に突入の勢いである。