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May 30, 2011

東京に移り変わったこと

朝一で研究室へ。コンペ最終プリントアウトを見る。いろいろ注文を付けているうちに助手のコンピューターがフリーズ。なんだかんだやっていたら昼である。最終品は4年生主体チームにしてはまあまあのできだと思う。CGなどまるで使えなかった4年生がなんとかレンダリングまでできるようになってきた。嬉しいことである。それにしてもコンペの最後を4日連続でチェックなんて長野にいたら絶対できなかった。そのおかげで提出物のグレードは少し上がったかもしれない。
事務所に戻り打ち合わせ。夕方再び大学。コンペは無事提出したとのこと。ほっとした。
他大院受験希望者から電話。名古屋からだが一度会いに来るように伝える。東京に帰ってくると、「帰ってきたのだから」ということで、ゲストクリティークやら非常勤やらお誘いがぐーんと増える。ありがたいことでもあるが学則で制限があるのでお断りすることも多い。その場合は申し訳ない。大学院の希望者もやはり東京だと増えるのだろうか?信大の時は他大からの応募者は実家が長野という方が大半だった。東京に来るとそうでもないようである。僕の考えに興味があってやる気のある人なら歓迎である。

May 29, 2011

他者性の表現

朝から早稲田の講義の主体性⇔他者性のパワポを作り直す。近代で確立された主体性が20世紀に崩壊しその主体性の崩壊後の表現の位相を見極めると言うのが講義の主旨である。他者性の表現は圧倒的な状況(他者)の受け入れか過激なモノ性(他者)の凝視から生まれるというのが一つの結論である。今までだましだまし昔学生と一緒に作ったものを使っていたが0から作り直した。1回分の講義だけれど結構エネルギーがいる。でも手前みそだが深みのあるお話となった。
夕方大学へ、コンペのチェック。飯の後八束さんの大部の書『メタボリズム・ネクサス』オーム社2011に挑戦。さすがに内容が多くて半分で疲れた。著者が語るように、最初の半分くらいは丹下論である。確かにメタボリムを日本建築史からそこだけ切り抜いて来ても説明がつかない。その丹下論を読んでいるとつくづくその凄さを見せつけられる。旧制の大学生の教養が高いのはそのシステム上当然のように言われてしまうのだが、それにしてもヴェルフリンやリーグルの著作に既に高校時代に触れていたと知ると愕然とする。現在そんな学生に出会う確率は恐らく1%もないだろう。

May 28, 2011

久しぶりにギャラ間

朝ジムで走った後かみさんと麻布へ。焼き鳥を食べながら街を探検しようと企てたが焼き鳥屋は午後からだった。
六本木のオオタファインアーツとその隣のwako works of artを覗きゲルハルトリヒターとサイ・トゥオンブリーの新作を見るhttp://ofda.jp/column/。昼飯食ってギャラ間の五十嵐淳さんの展覧会へ。ベニヤ模型が清清しい。鉄の足が生えていたのは下から覗くためだったとは。建物名の「○○の谷」とか「○○の矩形」は篠原一男を彷彿とさせるのだが、模型を見ていたら名前だけではなく空間も同質のものを感じた。そもそも単一マテリアルでモノリシックな模型表現が篠原的である。6月3日に製図のゲストクリティークでお呼びしているので聞いてみたい。ギャラ間の本屋に行ったら坂本一成の系譜図という手書きのフローチャートが置いてあった。一体だれがこんなものを作ったのか?それによると僕は篠原一男の弟子として坂本一成と並列に並んでいるのだが、これは間違いである。僕は坂本の弟子でもある。そしてその系譜図のそばに拙著発見。思わず二つを並べて記念撮影。
夕方研究室に行きコンペの進捗チェック。みんな頑張れあと少し。

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新建築写真

午前中早稲田の演習。学生発表。今日は視覚的建築と体感的建築。建築芸術と建築写真芸術はそれぞれ違うものであると言う指摘があった。なかなか的を射ていると思った。それに従えば『新建築』と言う雑誌は『新建築写真』となってもいいのかもしれない。また建築で重要なのは雰囲気や人の気配というハイデッガー並みの指摘も良い。でもそれはどういうところから感じられるのかの突っ込みがやや不足。まあそこに目を付けているだけでも建築学科の2年生よりかはましである。
午後事務所で設備事務所との打ち合わせ。大盛りの内容で5時までに終わらず事務所を出て大学へ。コンペのシートを見ようと思ったが未だもう少し時間がかかりそう。今日は製図の提出日。各スタジオを巡回する。面白そうなものもぽつぽつ見られるが総じて図面のプレゼンテーションが稚拙である。
研究室の勉強会。1時間設計は住吉の長屋を都市に開け。減築可。増築は木造でというのが条件。輪読は松井みどりの『芸術が終わった後のアート』。この手の本は本物を美術館で見ていないと実感が湧かないものである。とにかくなんでもいいからモノを見て欲しい。建築とアートの繋がりは切っても切れない。

May 26, 2011

ごちゃごちゃを模倣せよ

ウィーン工科大学で木造建築の耐火性能の研究をしているTさんが学会出席で一時帰国、理科大にも顔を出してくれた。日本はさまざまな意味で(火災保険料が高いなど)木造が発展しないようになっていると嘆いていた。ウィーンではそういうことは無いと言う。
話に夢中になっていたらドクターの中間発表に遅刻(ごめんなさい)。その後九段下で会議、場所を移動して神楽坂で会議。会議は明らかに信大より多い。そのうえ内容の重複が激しい。今日の内容など99%教室会議で聞いたことである。
会議後雑務、雑務、飯、雑務。夜アンソニー・フリント(Flint, A)渡邊康彦訳『ジェイブズ対モーゼス―ニューヨーク都市計画をめぐる闘い』鹿島出版会(2009 )2011を読む。先日ジェーン・ジェイコブズの名著『アメリカ大都市の生と死』を通読したのでこの本も読んでみた。苦労の末アーキテクチャラル・フォーラムの編集者になった彼女が1956年ハーバード大学でのアーバンデザイン総会で上司の代役で講演した。ここにはディーンのセルト、ヒデオ・ササキ、ビクター・グルーエンなど再開発推進派のモダニストがごろごろしていたわけである。もっと言えばハーバードこそそういう輩を輩出する、彼女が反発してきたあらゆるものの権化だった。
そこで彼女は非難承知で都市再開発を否定し既存の近隣居住区画のごちゃごちゃ寄せ集めを模倣せよとぶったのである。この発言はやはりかなり冒険だっただろう。勇気ある言葉だと思う。ハーバードモダニズムはこれに大ブーイングを示したが彼女に拍手したジャーナリズムも一方にあり、それから彼女の闘いが始まるわけである。
この本思わず読みふけってしまう。彼女の理論というよりその戦いぶりに血わき肉躍る。僕の仲人をしてくれた恩師の奥さんがまさにこうした運動を現在しているが、ジェイコブズと彼女がだぶって見えてきた。

May 25, 2011

原発・正力・CIA 結構驚きのお話である

事務所でスケッチ。150×150×6のカットTを@600で並べた天井の6ミリの小口を赤く塗ろうと思った。そのカットTがぶつかる壁に6ミリのすかし目地をつけて2階の床まで下ろす。このすかし目地の底も赤く塗る。あくまで底だけ。
夕方大学に来てコンペの状態を見る。少しずつ進んでいる。
夜研究室でCPUにソフトをインストールするのだがなかなかうまく入らない。アカデミックエディションは意地悪されているのだろうか?やたら時間がかかる。仕方なく積んであった新書を抜き取り読む。有馬哲夫『原発・正力・CIA』新潮新書2008。原爆を落としたアメリカはソ連が核を保持したことに脅威を覚え、原子力安全利用キャンペーンを張る。その一貫としてアジアに目を向け、日本には核と通信網を普及させたいと考えた。そんなアメリカと通信網を作りたく政治家として花をさせたい新聞屋正力松太郎の利害が一致する。その仲介にCIAが入り、新聞とテレビで核の安全利用の大キャンペーンをはった正力は見事新聞界から政界へ打って出た。絵にかいたような話だが、それを若くしてバックアップしたのが中曽根である。
そんな歴史を振り返ると、アメリカと結託し原子力を巧みに利用し最大の利益を得たのは自民党以外のなにものでもない。この事実に彼らは一言も無いのだろうか?

May 24, 2011

世界語としての英語

朝一で古河へ。クライアントの部長さんと一対一の打ち合わせ。3時間半昼飯抜きで実に多くのことが打ち合わせで来た。もう一回こういう打ち合わせするかな。
2時ころ古河から上野へ。車内で記録を書いて事務所に送る。
行き帰りの電車でディビッド・ホン、ジャン=ポール・エリエール『世界のグロービッシュ』東洋経済新報社2011を読む。対訳がついているが英語で読む。世界語としての英語は今や英語をネイティブとしない国民によって多く話されている。例えばスペイン人が日本人にコミュニケーションをとろうとすれば8割がた英語を使うであろう。そこで使われる英語はもちろんネィティブイングリッシュではない。スペイン訛りと日本訛りのヘンな英語である。ドイツ人が中国人に話す英語だって同様である。国民の数だけ英語があると言ってもいい。そんな世界ではもはやネィティブイングリッシュにどれだけの意味があるかというのがフランス人著者たちの問いである。そして世界英語としてのglobishを考案した。1500語の単語。時制を単純化。イディオムを使わない。
確かにこの英文は十分深い内容を日本語のように読み進めることができる。イングリッシュネイティブにグロービッシュを書けと言えば困難かもしれないが、日本人に書けと言えば恐らく簡単に達成できるだろう。事務所に戻りさっきの記録の説明をしてから大学へ。コンペ打ち合わせ、そして製図のエスキス。

理科大来て良かったね

朝一で教室会議。とにかく資料が多くて短時間では理解ができない。午後事務所に戻り打ち合わせ。夕方再び大学へ。行ったり来たりできるのは地の利である。コンペの打ち合わせをしてから講義。ゴールデンウィークを過ぎると学生が減ると言われていたが確かにぐっと減ってきた。講義を終えてから再びコンペのレイアウトを見ながら指示をする。段々と盛り上がってきたかな?研究室最初のコンペだからどこまでできるかわからないけれどこういうものはとにかく全力を振り絞ることに意味がある。だいたいの指示を出してからY,I,I先生と食事に行く。こうやって同僚の先生と食事なんていうことは信大ではあり得なかった。意匠の先生1人の信大では孤立していた。こうやって意匠の話をできる先生がまわりにいるって幸せである。理科大に移った意味はここにもある。家に帰るとかみさんに「理科大から帰ると楽しそうね?」と聞かれた。「うん楽しい」「良かったね」と言われた。そうかも。もちろんいいことだけではないけれど、いいことの方が悪いことよりかは多い。

May 22, 2011

カラヤン型かチェリビダッケ型か?

最近自転車に乗ると体調が悪くなる。理由は分からないけれど今日はマスクして帽子かぶって大学に行った。午前中コンペの打ち合わせ。午後課題の敷地を再度よく見たく北の丸公園へ。武道館は誰かのコンサートで黒装束で化粧した若い男女が凄い人数集まっている。その脇を抜けて池を回り近代美術館へ「路上」展を覗くhttp://ofda.jp/column/。420円と安く、量も多くないけれどピリッと小粒でパンチのきいた展覧会。
帰宅後片山杜秀編集『思想としての音楽』講談社2010の中から片山杜秀VS菊池成孔と片山杜秀VS許光俊の二つの対談を読む。菊池の語り口は相変わらず鋭いし本音ベースでいいなあ。例えば現代音楽の音楽家(恐らく作曲者も奏者も)を菊池は三つに分類する。①マゾ上がり(退屈に耐えられる)、②頭が良くなってここまで来た人、③幼稚園のころから無調が好きだったりする(感性で退屈が好きな人)。この分類が既に凄―く冴えていると思うのだが、、、、先日、音楽の形式主義って快感レンジが狭いと書いたけれど音楽のプロもそう思っているということがこれで分かった。逆に言うと建築、まあ広く造形芸術を受け取る視覚というものは聴覚や味覚や嗅覚に比べると遥かに不快レンジが狭い、、、、という気がする。
さてもう一つの対談は片山が許に「最高の演奏」とは何かと聞く対談。ここで許はカラヤンとチェリビダッケの差をスリラーとドストエフスキーだと言う。つまり同じクラシックでも喜ばせる相手の領域が違うと言うわけである。それって良い表現だと思った。建築もそんな感じが常々する。カラヤン型の建築家とチェリビダッケ型の建築家がいたりする。もちろんカラヤン型の建築家の方が人気は上がる。
それにしても、音楽って片山にしても、許にしても、菊池にしてもきちんと評論する人がいるモノだと感心する。建築って批評の貧困な場所である。建築家が勝手に自分の都合のいいことだけを語っているに過ぎない。

May 21, 2011

津波の危険に警告を発していた高木仁三郎さん

1988年の朝まで生テレビで原発議論がなされたhttp://www.youtube.com/watch?v=yEwmEFmSi9I。その時の反原発の中心人物であった高木仁三郎が2000年に書いた『原発事故はなぜくりかえすのか』岩波新書を読んだ。高木さんは90年代に既に、古くなった原発の危険性、地震はもとより津波、火事などに起因する災害の可能性を訴えていた。もんじゅ、JCOの事故があっても抜本的なことを何もしない国のあり方を批判している。
また高木さんは東大理学部を卒業後60年代に日本原子力事業(三井系の原子力会社)で研究を始め、その当時の原子力推進民間会社の雰囲気を「議論なし、批判なし、思想なし」と書いている。原子炉周りの放射能汚染の状況を論文にして発表したら上司から理由もなく止めるように指示された。
原子力は国の方針で旧財閥系が組織されて開発を半ば強制的に後押しされた、その時事故に対する損害賠償の議論が皆無でアメリカが1957年にプライスアンダーソン法という法制度を確立したのに遅れること4年。1961年に原子力賠償法が制定された。しかしその責任限度額がアメリカは日本の10倍。そのせいでアメリカはリスクが高いと判断して企業が原子力事業から撤退しているという。一方日本は官の号令を断り切れない企業側が議論もなくずるずると継続しているのである。責任範囲が曖昧ないかにも日本的な状況である。
高木さんが原発津波事故に言及したファイルをダウンロード

本の買い方

午前中早稲田の講義。今日は男女性の発表。なかなか質の高いプレゼンが多い。三朝庵で昼。今日は暑いのでおろしそば。高いけれどなかなかうまい。となりのあゆみbooksで面白い本発見「括弧の意味論」。さまざまな本で使用される「」を数えてその多寡の意味するところを探るというもの。そんなこと考えたことも無かった。
最近研究室でまとめて本買うので本屋で面白い本があると記憶して助手に伝える。書評が面白いものは切り取って助手に渡す。ネットで見つけた本はそのページをコピーして助手にメールする。本に出てくる本はメモって助手に渡す。しかし買ってすぐしたい、着たい、履きたいという子供じみた性格の僕にとって買ってすぐ読めないのは辛い。
夕方大学で製図、研究室の1時間設計は藤木忠善さんの自邸が題材。都市の中で自然に開かれた家をさらにもっと自然に開くようトランスフォームせよというのが課題。輪読は佐々木健一の『美学への招待』ヤマにこもり10日くらいで書いた本。勢いあるし読みやすい。結論は、美は自然に回帰するというもの。そうそう、自然は偉大。所詮建築なんていうもので対抗することなどできない。建築は自然を切り取るフレームに過ぎない。

May 19, 2011

音楽と建築におけるフォルマリズムの差

朝早く起きて白石美雪『ジョン・ケージ―混沌ではなくアナーキー』武蔵野美術大学出版会2009を読み始める。構造、形式、方法、素材という四つのカテゴリーがケージ作曲論の重要なタームだった。建築とそっくりで驚く。そして聴こえる音自体よりも形式の操作に力点が置かれていることがいかにもモダニズム。ヴィットゲンシュタインの建築のようである。しかし形式の操作は僕らには聞こえにくく見えにくい。人々が受け取るのはあくまで視覚と聴覚の快楽に過ぎない。そして視覚と聴覚ではそのレンジ幅が異なるように僕には思えるのである。聴覚のそれはかなり狭いというのが僕の実感。つまり音楽では下手に形式をいじるとすぐに不快な領域にはみ出ていくように思えるのである。音楽のフォルマリズムはそう簡単に人を気持ちよくさせない。一方建築のフォルマリズムは簡単に人を快楽に導く。なんて考えているのは僕が建築をやっているからに過ぎないのだろうか?耳が古典的にできているだけなのだろうか?

午後コンペを進めるために研究室へ。なんだか閑散としている。コンペやっているのに学生は1人、助手と僕がしこしこと作業している。この研究室大丈夫だろうか?四年しかいないとこんなもんだろうか?前の大学でも四年はコンペじゃお味噌だし、ゼミやってもピントはずれでイライラした。だからここで怒ってはいけない。じっと耐えねば。でもそうやって鍛えた彼らが大学院に来られるかと言うとこれがまたそうでもない。ここは簡単に院には入れないようである。八方ふさがりである。

May 18, 2011

北欧の建築

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事務所で仕事。午後研究室でコンペの打ち合わせ。徹夜組も結構いるようだ。大方の方向性を決める。6時からヨーロッパを旅行してきたO君のスライド会。バルセロナからフランス、イタリア、イギリス、デンマーク。行ったことのないデンマークには驚きが多い。ヘニング・ラーセンの建築は余り知らなかった。デンマーク王立アカデミーの施設の豊かさにもびっくり。日本はプアだよなあ。こんな状態だと何時まで経ってもヨーロッパに追いつけない。日本は国立の施設もひどいけれど私立は一段とひどい。そもそも教育に対する国の出費が少ないのだが私立大学に対する国の交付金は国立に比べて格段に少ない。先日読んだ『消える大学生き残る大学』の著者も、日本の学部大学生の6~7割が私立大学生である現実を踏まえれば私立大学への交付金は少なすぎると言っている。まったくそうである。そもそも教育は国がやることのはずである。

May 17, 2011

力の系を見る感性とは

研究室のメンバーとコンペの打ち合わせで金箱事務所へ。引っ越した後始めて訪れたが、広くて気持ちのいいオフィスである。約束の時間よりだいぶ伸びてしまったがだいぶ先が見えた。帰りがけ『建築画報』の3月号「挑戦する構造」という特集号をいただいた。新谷さん、和田さん、金箱さんで監修している。その巻頭に内田、菊竹、高橋、林、槇、川口という超巨匠たちへのインタビューが載っている。インタビューと言っても聞く方は4人がかりである。まあこんな面々に一対一で話を聞くと飲まれてしまいそうだ。久しぶりに林さんを公の場で見たけれど(読んだけれど)相変わらず。いや林さんだけではなく皆さま変わらない。三つ子の魂百までというのは褒め言葉なのかけなし言葉なのか?林さんは自らがやってきたことは力の系が見え、使う人が安心感を持つ構造だという。確かに日建の構造はよくそんなことを言っていたように思う。そんな言葉が腑に落ちなくてよく構造とけんかした記憶がある。そして昨今の建築はこの系が見えないと少々不満気である。しかし何が安定感を持ち、力がどう伝わっているかを感ずる感性は先天的なものではなく、かなりの部分は後天的に習うものだと思っている。林さんと僕の感じ方はだいぶ違うはずである。
その昔とある著名建築家が「力の流れが見えない構造にしたい」と言っていたのに僕はとても共感した。というのも建築は常に構造が前面にくるべきものとは思わないから。建築が安全であり、不安を抱かせないことは言うに及ばない。しかしそれは必要条件であれど十分条件だとは思わない。
この歳になっても林主義に共感できない部分はあるものだ。

May 16, 2011

ああ疲れた

土日が地方回りで終わると疲れが残る。事務所行って大学来てゼミして講義して。飯食って少しほっとして机の上の新書をめくる。木村誠『消える大学生き残る大学』朝日新書2011。後半の就職データーを見ると本当かよ?と疑わしくなる部分もある。去年まで就職委員をやっていた僕の実感にそぐわない。よく見るとデーターにいろいろと条件がついている。なので軽く流してみていると理科大の就職率が全国でベストテンに入っているのを発見。東京でベストテンは東工大と芝工と理科大だけである。上場企業への就職率となると私立では理科大3位。早稲田は5位なのに。健闘している。なんてどうでもいいようなことを眺めていたら少し疲れが取れてきた.。帰宅後来年受験の娘と志望大学の就職先のデーターを見ていたら一部上場企業が名を連ねている。「結構つまらないねえ」と僕が言うと「そう、大企業と、役所と、銀行なら行くのやめようかな?」と娘。だいたい昨今の大学生は大企業志望と言うが、本気で彼らはそういう所に行きたいのだろうか?僕の見るところ彼らの選択には大きく親の意思が絡んでいる。仕方なく大企業を選択しているようにも見える。半々だろうか?世の中にはもっと小さくて、チャレンジングで、世のためになる企業は沢山ある。大企業も役所もどんどん硬直化して身動きとれず結局人のためどころか人の害になっていることはこの震災がよく示している。学生諸君よく考えたまえ。

May 15, 2011

一双六曲屏風

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昼のスーパーひたちで水戸へ。某社の創業の地に建つ小さな昭和初期の木造事務所をリノベする。その後ろに小さな集いの場を作る。90メートル近い奥行きの敷地のランドスケープを整備する。そんな全体を考えてほしいと言われた。中に展示する会社所蔵の美術品なども見せてもらう。金銀の下地に描かれた水墨画が屏風に表装されてあった。一双六曲屏風が二つ。全部延ばせば14メートルくらいになる。なかなか壮観である。
水戸も少なからず震災の影響を受けている。敷地の中に建つある一つの建物の瓦がかなり落ちていた。ブルーシートがかけられているがかなりの面積である。
帰りの電車で社長が中国の可能性を話してくれた。役所の対応が早い。優秀な人材が余っている。富裕人口が膨大な数に及ぶ。日本は新しいことをしようとすると役所も企業も動きが遅すぎて何もできない。常に周りとの共同歩調を考える。中国やアメリカではそんなことはない。いいと思うことは単独でもすぐに行う文化であると言う。そうかもしれない。

安田幸一さんの東工大図書館

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昼のアサマで久しぶりの長野。信大で建築学会の北陸支部総会が行われる。そこで安田幸一さんの記念講演会が行われるということでご一緒した。というのも信大在職中に僕が安田さんにお願いしていたから。加えて久しぶりに教え子たちに会いたいと言うのもあった。演題はボーダレスキャンパス。東工大の大岡山キャンパスの話しである。安田さんのやった桜並木のウッドデッキ、建築学科棟、そして最近完成した図書館である。安田さんらしいシャープな三角形。なんでこんなチーズケーキみたいな形?と思うがキャンパス計画のサイトプランから説明してもらうとここにしか建たないということがよく分かった。
短い期間によくここまで設計したものだと感心する。しかしそれ以上にここまでの整備費が出てくるというのは驚きである。

May 13, 2011

一般教養不足だよな

午前中早稲田の講義。コンピューターの画像が映らなくてあせった。電話して技術員の方に直してもらっている間ひたすらしゃべる。画像が無いので皆が知っているような名前を挙げて話をしたつもりだが、先週丹下健三を知っている人が40人中2人。今週コルビュジエを聞いたら知っている人が4人、妹島和世は3人、伊東豊雄も3人。これにはちょっと参った。まあ建築の認知度ってこんなもんなんだなと再認識。でもコルビュジエは一般教養だと思うのだが。
今日は天気も良くて気持ちがいい。三朝庵で親子丼食べてあゆみbooksで新書を5冊買って事務所に戻る。仕上げ表のチェックを続け、写真の整理をしていたら夕方。大学にあわてて来て製図。そして研究室の即日設計と勉強会の説明。今日はフェイッシャ―邸のトランスフォーム。箱建築を袋建築に換骨奪胎せよという課題。輪読は『動物化するポストモダン』。早稲田同様、東浩紀知っている人はと聞いたら14人中2人くらいしかいなかった。これも一般教養だろうと思い愕然とした。驚くと言うより悲しい。

May 12, 2011

理科大の新しい同窓会館

午前中日建の音響のプロSさんのところに行って音の相談をする。急に電話をして嫌な顔一つせず会ってくれる彼の優しさが嬉しい。昼神楽坂に新しくできた理科大同窓会のレストランでY、G先生と会う。神楽坂を登る途中の左側。黒いスチールファサード。低層部はお店で未だ工事中。七階の同窓会レストランは神楽坂の喧騒から切り離された明るくて気持ちのよい空間。まだ知られていないせいか我々しかいない。そこでランチをとる。まあ美味というわけでもないが値段も安いから満足である。夜は10時まで安いお金でちょっと飲めるそうだ。インテリアは普通だが建物全体の構成は悪くない。設計施工は鹿島。理科大OBがやればいいのにと少々残念。その足で交際交流課に行って理科大の国際関係の補助制度などを聞く。有効に活用したいものである。
午後事務所で先ほど聞いたことをまとめて施主と電話で話す。いろいろと問題が多くて頭が痛い。まあ一つずつ解決していくしかない。仕上げ表のチェックをしながら知らないことがまだまだあるものだと改めて思う。建築は難しい。そしてそう思いながら一生終わるのだろうなあと奥の深さに溜息。

つるつるな関係

栃木の打ち合わせの行き帰りで長島有里枝『背中の記憶』講談社2009を読む。武蔵美在学中に家族のヌード写真で荒木に認められパルコ賞受賞でデビュー。カリフォルニアに留学後スイスのアーティストインレジデンス中に撮った写真を『swiss』という写真集にまとめ個展も開いたのが去年である。
この本もテーマは家族。うらやましいくらいに素敵な家族の中で育ったのだなあというのが最初の印象。ここに書かれていることが正確かどうかは著者自身言うように定かではない。記憶の中に忍び込んだ長島が無意識にねつ造しているかもしれない。でもそれは既にその人の歴史として血肉化しているのである。ディテールの描写は実にきめ細やかであり、その一つ一つが感情の機微を過不足なく表している。この表現力には嫉妬さえ覚える。この人は写真を撮りながらファインダーの中の光景を無意識のうちにことばに置き換えているのかもしれない。
彼女の観察力、そしてそこから抱く細やかな感情の揺れ動きを見ていると自らの粗雑な人を見る目にあきれる。そして50年間に接した人(特に家族)との関係がつるつるの皿のように無味乾燥なものに見えてくる。人生大事にしないと。

May 10, 2011

案の幅

午前中6年前にできた住宅「ヤマ」へ行く。地震の時に擁壁コンクリートに張り付けた大谷石が割れたのを見に来た。他にも剥離しそうな場所があったので全数叩いてみた。あれあれ結構すかな音がする。
午後事務所に戻り明日の打ち合わせの資料などをまとめる。スタッフのT君が風邪で倒れたのであたふたである。
夕方大学へ。製図のエスキス。いろいろな人がいろいろなことを考えるモノである。信州大学の時はある画一化された学生が集まっていたから、言うことの幅がある範囲にあった気がする。この大学はさまざまな入試で入って来ているせいかいろいろな人間たちがいて言うことの幅がとても広い。それはいい意味でも悪い意味でも。
10時半にやっと終わる。やはり腹減るなあ。

May 9, 2011

小学生の作文のような建築

朝自転車で都庁に行った。免許の更新である。去年更新をし忘れた配偶者にせき立てられ、今日でなくともと思いつつ今日行った。天気もいいし自転車は悪くないのだが、途中で10時に客が来ることを思い出し、帰りは必死にこいで帰ってきた。そのせいかへとへとになって午後昼を食べてからしばらく椅子の上で眠った。
夕方大学へ来て仕事して帰ろうと思ったら頼んでおいた本が届いていた。村田喜代子『縦横無尽の文章レッスン』朝日新聞出版2011。よい文章の例として小学校低学年の作文が最初に出ていた。2年生。海水浴の話し。その文章の何がいいのかと言うと「書かなくていいことが書かれていない」ということである。率直に必要なことだけがダイレクトに書かれて終わっている。このさっぱり感は建築に通ずる。ある種の建築を見た時ととても似ている気がする。小学生の作文のような建築を作りたい。表現とは何を表現するかと言うことであると同時に「何を表現しないか」と言うことへの問いでもある。再認識。

ジェイン・ジェイコブスの新訳

ジェーン・ジェイコブス(Jacobs, J)『アメリカ大都市の死と生』(1961)が山形浩生の新訳で鹿島出版会から昨年(2010)出版された。また旧約は前半二部だけであり今回は全編(四部)の訳である。全編一気に斜め読み。実は前勤めていた大学の先生が大好きでよく酒の肴にしていたけれどきちんと読むのは初めてである。始めて読むがそんなわけでデジャブである。なるほど60年代アメリカの大都市再開発を徹底的に糾弾した迫力が伝わる。しかし50年代のアメリカ都市は実はひどいスラム化で人口が減少しており、ジェイコブスの言うような主張が一般的だったわけではないということは知っておいてよい(と訳者解説が言っている)。であればなおさらジェイコブスの主張は凄みを増す。
夕方小林章『フォントのふしぎ』美術出版社2011を見ていた。素敵だなと思っていたロゴが結構碑文のフォントをまねている事を知る。しかも重要なのはフォントだけではなく字間にもあるようだ。
LOUIS VUITTON  L O U I S V U I T T O N
なんだか先週の疲れがたまり今日は眠い。長島有里枝のエッセイを持ってベッドへ。

May 8, 2011

K君のレポート

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金曜日はbbrの蜂谷君が若松さんの代理で来てくれたのでせっかくだからご飯をご一緒して読みかけの『思想』をネタに遅くまで話した。そのせいか土曜日は不調。『思想』を読み終えて3時ころ帝国ホテルへ。2004年に東大で教えた時の教え子の結婚式。この年の講義は『建築の規則』の基礎となった重要なものだし学生が皆優秀で楽しかった。講義に加え、4つの住宅を見学した。連窓の家#2、HOUSE SA、岩岡邸、ガエハウス。そして毎回レポートを書いてもらい、それぞれの家のオーナーに審査してもらった。贅沢な授業だった。岩岡邸の岩岡先生が1等賞に選んだ詩のような文章の書き手が今日の結婚式の新朗であるhttp://www.ofda.jp/lecture/main/02visit/02/01.html今読み返してみても建築家の心の底を抉るような文章であり彼のモノに迫る深い洞察を感じる。加えて写真(目の付けどころ)が並じゃない。レポートに写真を入れよと言われ椅子の下やポストなどだけを撮る学生は先ずいない。また彼はHOUSE SAのレポートでも坂本賞はとれなかったが坂牛賞を与えているhttp://www.ofda.jp/lecture/main/02visit/01/01.html。彼は今はリルケの研究者であり建築とは何の関係もなくなってしまったが今後とも話を続けていきたい人である。
式後代々木で信大OBたちと会う。皆元気そうでなにより。少々バテ気味

May 7, 2011

『思想』五月号:磯崎新のX

話題になっている『思想』2011年5月号岩波書店を補手の田谷君に買ってきてもらって読んだ。建築家の思想という特集で伊東豊雄、山本理顕の対談が40ページ近くあり。それを読んだ西沢立衛、磯崎新、内藤廣、平田晃久が寄稿している。西沢さん、平田さんはこの膨大な対談に付き合う気は無いようで軽くスルー。内藤さんは思想は語りきれないものとして、まあこれも2人の対談を真に受けていない。3人の気持ちはなんとなくよく分かる。というのもここでの二人の話はもう耳にタコができるくらい聞いているからである。僕でさえそうなら恐らく3人にとってはもう聞き飽きたという感じであろう。『思想』という一般雑誌であるから2人も確信犯的に同じことを語っているのではあろうが。
ところが磯崎さんだけはとても真面目にこの対談に向き合っている(かに見える)30ページ近い論考であるから量からしても3~4ページでお茶を濁している他の方とは意気込みも違う(ように見える)。しかしさすがに磯崎新、2人の対談に対応するふりをしながら自分を語っている語り口は何時もの通りである。柄谷行人の『世界史の構造』によほど感銘を受けたのだろうか、その修辞は受け売りである。
19世紀は都市を官僚が計画した時代、20世紀は大都市が自由経済市場の中で投機された時代、そして21世紀は超都市が電脳ネットワークによって「X」される時代だというのである。磯崎はこのXという手法で新たな職能を生きると締めくくり、2人の言っていることは既に過去のものであるかのごとく語っている。
このXの中身は読者の想像力いかんでどうにでもなるのだろう。少なくとも僕のセンスでは磯崎新のXには届かない。しかしそれとはまったく別に時代がXを求めていることは明らかであり、僕らがXを求めて行動せねばならないそんな背中を押してくれるような文章であることは確かである。

村野早稲田を壊す理由がどこにある?

今日は早稲田大学での春学期最初の講義。震災の影響で始業が1カ月遅れている。久しぶりにやってきた文キャンは様変わりしてついに村野さんの大きな校舎が破壊されそれに連続したやはり村野さんの建物との接続部が無残に食いちぎられた肉の断面のように露出していた。ああ痛々しい。なんでこの時代にこれを壊さねばならないのだろうか?OBが属する建設会社にそそのかされて(と言えば言い過ぎだろうか)耐震補強よりはるかにお得ですなんて言う嘘で塗り固められた資料をもとに大学理事会は営利優先で大学の巨大化に走っているように見えるのだが違うのだろうか?
今年は13回の講義で15回分の質を保つように宿題やらレポートやらを書かせるように大学から指示をもらっている。ということを高校生の娘に呟いたら。それはひどい、授業料を返すべきだとマジで憤慨していた。塾に通うこの世代は皆こんな経済観念をもっているのだろうか?それはそれでいいことだとは思うが。
午後事務所に戻り打ち合わせをして夕方大学へ。製図の授業、1時間設計の指示。出来はひどいもんだ。でも4年生の最初はこんなものだったなあと信大のころを思い出す。輪読は木田元の『反哲学入門』現代は「つくる」ではなく「なる」の時代というのが基本的な著者の認識そんな時代に「つくる」建築家は何ができるのだろうかということを考えて欲しい。

May 5, 2011

現代写真論

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●アンドレアス・グルスキー<シカゴ株式市場Ⅱ>1999
今日は朝から事務所。仕事モード。実施図のチェックを夕方まで行う。スタッフと打ち合わせして内容を伝える。その後先日届いたシャーロット・コットン大橋悦子・大木美智子訳『現代写真論―コンテンポラリーアートとしての写真のゆくえ』(2004)晶文社2010をぺらぺら眺める。著者は現代写真のコンテンツを8つに分類。
1) これがアートであるならば
2) 昔々
3) デッドパン
4) 重要なものとつまらないもの
5) ライフ
6) 歴史の瞬間
7) 再生と再編
8) フィジカル、マテリアル
デッドパンは無表情と言う意味で視覚的ドラマや誇張が全く見られないアート写真のことである。例えばアンドレアス・グルスキーや昔のホンマタカシがこれにあたる。僕はこの手の写真がとても好きである。一方「ライフ」は先日観た下薗さんの「きずな」のように写真に人間が滲み出るようなものである。荒木やティルマンスはこれになる。これも僕は大好きだ。デッドパンとライフは対極をいく。写真の客観性と主観性を突き詰めるということである。

原子力問題

現代思想五月号「東日本大震災特集」を読む。32編の論考を全部ではないが時間の許す限り読んでみた。と言うのも昨今のメディア報道がひどく無意味に感じられるからである。そもそもスポンサーがついているテレビや新聞、パニックを回避したい政府、そして責任当事者である東電、どれをとっても原理的に真実を報道しにくい状況にある。となれば2次資料でもいいから違うソースで、情報を大量に仕入れないことにはある正確性にたどりつけない。


地震と日本/柄谷行人
「無責任の体系」三たび/酒井直樹
「未来」はどこにあるのか/西谷修
傷は残り、時おり疼く/森達也
ヒロシマからフクシマへ/関曠野
福島原発大震災の政策的意味/吉岡斉
ゲンパツを可能にし、不能にしたもの/飯田哲也
軍事支配の下流に置かれた「平和利用」/梅林宏道
封印された「死の灰」はそれでも降る/小松美彦
「安全神話」は誰が作ったのか/ 高橋博子
原爆投下以後、反原発以前/山本昭宏
東京を離れて/矢部史朗
ハイブリッドモンスターの政治学/土佐弘之

おそらく『現代思想』とて編集長のバイアスで筆者は選ばれているのだからここにも真実があるかどうかは怪しい。しかしここでは多くの論考を読むことで確率的にそうしたバイアスを少しでも取り除けたと仮定する。そのうえで最も信頼できそうな考えから僕が共感できたことを二つ記しておきたい。
一つはなぜ原爆を受けた日本が原発を採用してきたかと言うことである。それを説明した飯田哲也の論考は説得力を感じた。日本には環境をめぐる社会的ディスコースが形成されてこなかったという理由である。余りに軽薄な知識人的人間のその場しのぎの言葉しか世論形成の土台になく、そのため日本を決める決定事項になんの批判も生み出せなかった。そんな知の空洞化が原子力を「安全なものとして」容易に受け入れてきたというわけである。
二つ目は原子力採用の可否についてである。エネルギー問題にかかわらず、我々がある政策を採用する時にはそのメリットとリスクをパブリックに議論することが重要だろう。しかし原子力問題だけはそうした天秤にかけて検討する問題ではないのではという土佐弘之の議論も正しいように思えた。かれはハイデガーの次の言葉を引用する
「我々は必要に足りるだけの燃料や動力源を、何処から獲得してくるかと言う問ではありませぬ。決定的な問いはいまや・・・<表象する>ことが出来ない程大きな原子力を一体如何なる仕方で制御し、操縦し・・・どこかある場所で檻を破って脱出し、いわば出奔し一切を壊滅に陥れるという危険に対して、人類を安全にしておくことができるかと言う問いであります」
やや情緒的に聞こえるこの言葉の中で、「<表彰する>ことができない程大きな原子力」という認識に注目しておきたい。桁違いの大きさは桁違いの危険をはらむ。その点は結局切り捨てられてしまうわけである。であれば最初からそれを存在しないものとして考えるべきなのである。
世界には原発電気供給をしていない国もあるようだ。オーストラリア、オーストリア、デンマーク、イタリアなど、そうした国を見習う方が正しい選択と思われる。

以上二つの内容は今回の原子力問題における僕の考え方の基礎となっていくと思われる。

May 4, 2011

レモン展感想

オペラシティギャラリーでホンマタカシを見http://ofda.jp/column/てから新宿でかみさんと会う。連休中は東京から出ない。帰宅して現代思想の五月号をめくる。柄谷行人が「地震と日本」という短文を寄せている。阪神でも今回でも災害後に若者のボランティアが相互扶助的に現れることを指摘。そういう共同体の出現は日本だけではなく世界的に起こってきたことをレベッカ・ソルニットの『災害とユートピア』を引きながら説明している。こういうことは日本的なことだと思っていたので目から鱗である。
夕方明治大学にレモンの卒計展を見に行く。郷田先生とばったり会う。今年は高橋禎一さん、小島さん、山城さん、木下さん、トムヘネガンが審査員で賞を出している。夜審査委員の面々に加え北山さんらとともに近くのレストランで夏のトークインのキックオフミーティング。そこでトムの感想を聞くと、今年は一つの大きな形ではなく、フラグメンタルな形の寄せ集めが多いことを驚いていた。それは今年特優のことなのかと疑問に思ったが、確かに全般的にそんな感じはする。そしてそういうフラグメントに異様な密度感を加えてひたすら積み上げていく作り方が一般的になっている。その密度感はオブジェとしての見ごたえはあるのだが建築的な意味を作り上げているのかどうか、にわかには判断できない。
高橋賞をとった成長する住宅は他のフラグメントとは異なり瞬間的にコンセプトとリアリティが見て取れる。短い時間で判断するならこの作品は評価しやすい。
2軒めで北山さんが我々はもっと建築や都市の在り方について発言をしていかなければいけない。それが我々の責任であることを力説していた。そう思う。

May 3, 2011

大学出版会

6時半のアサマで軽井沢へ。しなの鉄道に乗り換え小諸へ。ある建物の設計者の選定ヒアリング。6社の設計事務所の方とお会いし昼まで個別にインタビューする。すでにこちらで作った基本構想書を渡してありその実現性などについて聞いた。こちらの意向を全く斟酌しない事務所から是非これを実現したいと言う事務所までいろいろあるものだ。というわけで選定はいたって簡単に終わった。
昼をとってからアサマで東京へ。車中佐藤郁哉、芳賀学、山田真茂留『本を生み出す力―学術出版の組織アイデンティティ』新曜社2011を読む。知のゲートキーパーとしての学術出版社4社、ハーベスト社、新曜社、有斐閣 、東京大学出版会の書籍ラインナップ、組織アイデンティティについて分析した本である。4社は個人出版社、10人規模、100人規模、そして大学出版会という規模と性格の異なる4つの組織である。出版と言うのは営利行為であると同時に文化事業である。彼らの持つ悩みは実に設計事務所とよく似ている。例えばよい本は必ずしも売れるとは限らない。特に学術書であればなおさらである。しかし出版社の矜持とはそういう本を世に示すことである。だから定期収入が見込める教科書を売りさばき、会社の顔としては売れぬ名著を発刊することになる。
大学出版会というのは他の3つとはやや異なる。これは財団法人であり営利団体ではない。日本には大学出版会(部)が大学出版部協会に所属するものだけでも。これだけある。

北海道大学出版会、東北大学出版会、東京大学出版会、名古屋大学出版会、京都大学学術出版会、大阪大学出版会、九州大学出版会
弘前大学出版会、三重大学出版会
流通経済大学出版会、聖学院大学出版会、聖徳大学出版会、麗澤大学出版会、慶應義塾大、出版会、ケンブリッジ大学出版局、産業能率大学出版部、専修大学出版局、大正大学出版会、玉川大学出版部、中央大学出版部、東京電機大学出版局、東京農業大学出版会、東京農工大学出版会、法政大学出版局、武蔵野大学出版会、武蔵野美術大学出版局、明星大学出版部、関東学院大学出版会、東海大学出版会、大阪経済法科大学出版部、関西大学出版部、関西学院大学出版会

その中でも売上1位は東大出版会である。これはまあ当然。しかし意外なのは第二位。アマゾンやジュンク堂の売り上げでは東京電機大学出版局が東大に続く。理系の重要書を上手に刊行しているのであろう。それにしてもこれだけ出版会があるのなら、理科大に無いのが不思議である。先日理科大出身で某出版社にお勤めの方とお話していたら是非理科大出版会をとおっしゃってくれた。実現できれば嬉しい限りである。
それにしても本書を読んでいると人文系の出版社は人文系出身の方が創業し母校の人文系の先生たちの本を出すわけである。しかるに理工系の先生は人文系より出版に価値を置いていない。だから出版社に勤めようなんて言う理工系の人は少ない。東工大も出版会を持たない。加えてそもそも建築を理工系などと思っていない我々は理工系の出版社からの出版を期待していない。とは言え人文系の出版社とは縁が無い。だから出版のとば口まで進むのも一苦労である。こうなると理科大学出版会を何とか作りそこで理科ではない本を作ってみたいという夢が広がるわけである(矛盾?)。

May 1, 2011

原子力都市

午前中コニカミノルタギャラリーで今年の木村伊兵衛賞を見る。久しぶりにいい写真を見た。その足で紀伊国屋で本を物色。宅配してもらう。その中の一冊矢部史朗の『原子力都市』以文社2010を読む。矢部は現代の管理社会を批判的に論じる社会主義者である。タイトルの通り日本の社会が工業化社会から、原子力社会に移りそれがどういう事態を招いているかを旅しながら記している。ある一章は柏崎についてである。曰く「原子力都市における情報管理は、嘘と秘密を全域的、恒常的に利用する。嘘と秘密の大規模な利用は・・・・感受性の衰弱=無関心を蔓延させる・・・・原子力都市は、無関心を新たな美徳とすることで、生活環境を不可視なものに塗り替えていく」まったくそう思った。
むつ市の章にはこんな記述がある。「原子力時代の管理は、労働の剽窃ではない。この管理のモデルは、労働に根を持たないのである。・・・・生産や労働の実質を離れたはるか上空に、包括的な管理社会が登場するのである」。
今回の福島を見ながらつくづく思ったことはまさにここに書かれていたことである。一つは情報の問題。我々の関心を麻痺させていた情報管理技術。二つ目は労働とその管理の問題。それは搾取などと言う次元を超えたところに移行しているということ。労働がもっともっとちっぽけで人間の尊厳などとはなんの関係の無い所まで貶められ一方で管理は全く見えないところに浮遊してしまっているその乖離の状態。

近くのスーパー

午前中大分前に約束していた古い友人に会い昼を共にする。午後事務所。模型の様子を見て、図面の通り芯の振り方を決めて事務所を出る。かみさんが極度の花粉症で寝込んでいるので丸正(スーパーマーケット)へ。店のサインに電気がついていないのでやっているのかいないのか分かりにくいようにも思うが、よく見れば中に電気がついているのだから分からないことはない。乳製品をはじめ物はだいぶ昔の状態に戻ったようである。ただ店の中はかなり暗い。こんな暗さ(明るさ)で何か不都合だと言うことはないのだが、もう少し効果的に暗くした方がいい。昔の市場のように、ベース照明を全部消して、陳列棚だけ照らせばいいように思うが。カツオのたたきワンパック、豚肉150グラム、キャベツ半玉、トマト6つ、レンコン一つ、ヨーグルト大きいパック3つ、牛乳1リットル、を買って店を出る。小さな自転車の両側のハンドルに買ったものをぶら下げて帰る。