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村野早稲田を壊す理由がどこにある?

今日は早稲田大学での春学期最初の講義。震災の影響で始業が1カ月遅れている。久しぶりにやってきた文キャンは様変わりしてついに村野さんの大きな校舎が破壊されそれに連続したやはり村野さんの建物との接続部が無残に食いちぎられた肉の断面のように露出していた。ああ痛々しい。なんでこの時代にこれを壊さねばならないのだろうか?OBが属する建設会社にそそのかされて(と言えば言い過ぎだろうか)耐震補強よりはるかにお得ですなんて言う嘘で塗り固められた資料をもとに大学理事会は営利優先で大学の巨大化に走っているように見えるのだが違うのだろうか?
今年は13回の講義で15回分の質を保つように宿題やらレポートやらを書かせるように大学から指示をもらっている。ということを高校生の娘に呟いたら。それはひどい、授業料を返すべきだとマジで憤慨していた。塾に通うこの世代は皆こんな経済観念をもっているのだろうか?それはそれでいいことだとは思うが。
午後事務所に戻り打ち合わせをして夕方大学へ。製図の授業、1時間設計の指示。出来はひどいもんだ。でも4年生の最初はこんなものだったなあと信大のころを思い出す。輪読は木田元の『反哲学入門』現代は「つくる」ではなく「なる」の時代というのが基本的な著者の認識そんな時代に「つくる」建築家は何ができるのだろうかということを考えて欲しい。

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