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力の系を見る感性とは

研究室のメンバーとコンペの打ち合わせで金箱事務所へ。引っ越した後始めて訪れたが、広くて気持ちのいいオフィスである。約束の時間よりだいぶ伸びてしまったがだいぶ先が見えた。帰りがけ『建築画報』の3月号「挑戦する構造」という特集号をいただいた。新谷さん、和田さん、金箱さんで監修している。その巻頭に内田、菊竹、高橋、林、槇、川口という超巨匠たちへのインタビューが載っている。インタビューと言っても聞く方は4人がかりである。まあこんな面々に一対一で話を聞くと飲まれてしまいそうだ。久しぶりに林さんを公の場で見たけれど(読んだけれど)相変わらず。いや林さんだけではなく皆さま変わらない。三つ子の魂百までというのは褒め言葉なのかけなし言葉なのか?林さんは自らがやってきたことは力の系が見え、使う人が安心感を持つ構造だという。確かに日建の構造はよくそんなことを言っていたように思う。そんな言葉が腑に落ちなくてよく構造とけんかした記憶がある。そして昨今の建築はこの系が見えないと少々不満気である。しかし何が安定感を持ち、力がどう伝わっているかを感ずる感性は先天的なものではなく、かなりの部分は後天的に習うものだと思っている。林さんと僕の感じ方はだいぶ違うはずである。
その昔とある著名建築家が「力の流れが見えない構造にしたい」と言っていたのに僕はとても共感した。というのも建築は常に構造が前面にくるべきものとは思わないから。建築が安全であり、不安を抱かせないことは言うに及ばない。しかしそれは必要条件であれど十分条件だとは思わない。
この歳になっても林主義に共感できない部分はあるものだ。

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