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June 30, 2010

ベタほど腕がいる

午後製図第五のエスキス。最終講評会前の僕のエスキスは最後。なるべく丁寧に見ようと思っていたら7時半になってしまった。今年は坂本一成さんと松岡聡さんにゲスト出来てもらうことになっている。恥ずかしくない作品をお見せしたい。帰りのアサマは柄谷を読み続ける。釜めし食べたら腸に血が流れ眠気を誘う。疲れたので週刊誌を開くと志村けんのインタビューが載っていた。「ベタなことが実は一番ウケを取りにくい」という見出しが目に入る。志村曰く「俺はお客さんが予想した通りのことをやってるだけ。それはお客さんが優位に立つってことだからね。お客さんが『次はこうなるぜ、ほら、なったろ』って。そうするとお客さんは喜ぶわけよ。でも誤解されがちだけど、そういうベタな笑いの方が腕がいるんだよ」。うーんこういうベタな〇〇というのはどんな世界にも当てはまるなあと感じた。ベタというのは言い換えると定石通り、あるいは王道である。奇想天外ということもなく、意外性も無く、普通のことをしながら、予想通りのことをしながら、笑わす、感動させる、酔わす、痺れさせるということである。建築家で言えばだれであろうか?定石なき時代にそれも難しいかもしれないが、例えば益子さんとか、その弟子の堀部さんなんてそういうタイプかもしれないな?!

June 29, 2010

メディアとしての住宅

金沢の朝は土砂降り。大分濡れた。その上特急はくたかの冷房がぎんぎんに効いていて凍りそうになった。直江津で乗り換えて長野へ。車中柄谷を読み続ける。残念ながら何かコメント出来るほどまだ理解できていない。午後製図のエスキス。学生がこの課題(幼児の施設)は難しいという。そうだと思う。それは幼児の気持ちになるのは殆ど不可能だから。だからこれは結局、独りよがりだと思われない範囲で自分の想像力を無限に拡張していく作業なのである。童話作家になれるかどうかということだろう。今日は4コマ目でエスキスを終え。5コマ目は僕が主催している。異分野レクチャーシリーズを聞いてもらう。第二回の今日は人文学部から祐成保志准教授をお招きして、お話しいただいた。タイトルは「メディアとしての住宅―住まいの『質』を考える」。氏の専門は歴史社会学で対象は住宅なので、話は住宅難、現代住宅の起源などを歴史的に跡付ける。そのうえで現代住宅をメディアと位置付ける。氏の話で面白いのは先ず、「住宅」と「住まい」を分けている点。メディアが運ぶものとして「データー」と「情報」を分けている点である。住宅とはリテラルな物質であり、住まいとは物質の中での生活である。データーとはメディアが運ぶ刺激全てであり、情報とはそれを受け取った者が自らの不確実性を減らせる刺激である。例えばとして祐成氏の出した例は、彼が調査をした山本理顕の保田窪団地。ここでは家相互のプライバシーが低くお隣さんの視線や物音を感じるように設計されている。そうしたデーターは居住者の中でも比較的高年齢層に評判が悪い。しかし、もう一つの例としてあげられた、昨今よく孤独死が起こる団地などではこうしたお隣の気配があれば防げただろうにと思われている。つまり同じデーターがあるところでは住まいの質を下げ、あるところでは上げ得る。つまり受けての受け取り方でデーターが情報化されていくのであり、その意味で住宅をメディアとして考えられると言うわけである。そして情報の質がその住まいの質を向上させるわけで、それは必ずしも住宅の性能ではないという。工学部の先生、あるいは役所の頭でっかちにはよく聞かせたい重要な指摘である。
八潮のワークショップでわれわれが頻りに住宅と言う器を作るよりもまず住まい方の提案をしようとしてきたことも住宅がメディア的性格を帯びていることの証なのだと思われる。いつも何となく考えていることを社会学的概念で捉まえてくれるとスッキリした気持ちになる。

選集の審査

朝金沢21世紀美術館に行こうと思ったら休館日だった。仕方なく長町の武家屋敷をぶらぶらしていたら観光客の大群と遭遇。それでも結構楽しめた。10時ころ学会の北陸支部へ。学会選集の審査部会。今年から部会長をおおせつかったので1時間早く行って提出書
類をみる。今年は去年の5割増しの提出数で22件。これを9件にまで絞ることになる。なかなか荷が重い。11時に審査部会委員が集まり審議開始。終わったのは4時ころである。選ぶと言うのはなかなか重い作業である。どれだけ状況に流されずに自分の意見を主張できるかと言うのが大事な問題である。そのあたりを上手くコントロールするのが部会長の役目かもしれない。侃侃諤諤の議論の末現地審査の対象作品を選び設計者に連絡。なんとかオンスケジュールで日程が組めた。しかし本来ならこんな書類審査でそれなりの価値ある建築を選り分けることなどできないと思う。やるなら全部見に行くべきだろう。自家中毒になりそうだ。

June 27, 2010

金沢へ

午前中金沢行きの電車やらホテルの予約。何故だか知らないが電車がひどく混んでいる。午後からA0勉強会。事務所に行くと伊藤君がコンペの打合せ中。少しするとクライアントも来られた。日曜日なのに人口密度が高い。辺見が鹿島編集のKさんに会ったら、原稿の上がりを期待されているとのこと。頑張らないと。とは言うものの進みは毎度亀のごとし。夜の新幹線で越後湯沢へ。新潟行きの「とき」っていつもこんなに混むの?空席が見えない。越後湯沢で「はくたか」に乗り換え。こちらも満員。4時間あるので先日買った柄谷行人『世界史の構造』岩波書店2010をカバンに入れてきた。精読する。それほど面倒な内容ではないのだが3時間で根気が続かなくなった。60ページ読んだ。大きな窓ガラスには大粒の雨がへばりついている。夜なのでそれ以外は何も見えない。富山に着いたあたりで雨がやんだ。それにしても遠い。後20分で金沢。

内藤廣の『著書解題』

午後ジムへ。初めて整体運動というのをやった。僕ぐらいの歳の人が沢山いる。何をやるかと言うと体のいろいろな場所をいつも動かさないような方向へぐるぐる動かす。リラックスしながら筋肉をほぐす運動である。終るとスッキリするが家に戻ってイスに座るとお尻が痛い。まあじっくり直そう。夕方出かけるまで先日早稲田で買った内藤廣の『著書解題―内藤廣対談集2』INAX出版2010を読む。著者が若いころ影響を受けた本についてその著者と対談し本の内容を詳細に分析した本である。磯崎新『空間へ』1971、長谷川堯『神殿か獄舎か』1972、原広史『建築に何が可能か―建築と人間と』1967、植田実『都市住宅』1968年創刊、菊竹清訓『代謝建築論―か・かた・かたち』1969、宮内嘉久『建築ジャーナリズム無頼』1994、林昌二『建築家林昌二毒本』2004、槇文彦『見えがくれする歳―江戸から東京へ』1980、川添登『建築の滅亡』1960、石本泰博『桂KATSURA-日本建築における傳統と創造』1960『桂―日本建築における伝統と創造』1971『桂離宮―空間と形』、伊藤ていじ『民家は生きてきた』1983。大方読んでいるが、これらが自分に最も影響を与えたような本ではない。やはり10年歳上の方の選ぶ本だと感ずる。しかしその中ではいくつか記憶に強く残る本はある。都市住宅』は浪人時代からよく読んだ。薄くて軽くて内容が濃い雑誌だった。槇さんの本は出版時(大学2年)に読みとても印象的だった。原広史の本も学生の頃読んだ。正直言って当時何書いているのかよく分からなかった。しかし最近読み強い影響を受けた。菊竹さんの本は最近読んだ。これぞ日本では数少ない意匠論だと感じた。石本泰博の磯崎版桂は研究室で最初に買った本である。

June 25, 2010

早稲田界隈の本屋いいなあ

午前中は早稲田の演習で学生発表。今日は二人欠席だったので6人発表。とにかく毎度時間がぎりぎりでタイムキープであくせくするので、実は欠席がいるとホッとする。主体性と他者性で梵寿綱とガウディのお話をしてくれた人がいた。梵寿綱をガウディの類似品と、見てしまったのは自分の類型化の呪縛であると分析。なるほどね。その通りかも。終って早稲田界隈の本屋へ(あゆみbooks)文学部まわりの本屋って町の本屋だけど品揃えがとてもいい(生協の本屋も凄く楽しい)。入って左が人文、デザイン、音楽、建築。平積みの選択も波長が合う。狭い場所に欲しい本が10冊くらいあった。こういうことは大きな本屋(丸善とか)ではちょっと起こり得ない。四谷にも欲しいな。こう言う波長の合う本屋。丸善じゃ気づかない内藤廣や石山修武や鈴木博之、人文では久しぶりに柄谷の新刊なんか買っちゃった(分厚いので本当に読むかどうか30分も立ち読みしてしまった)。本屋を出てとなりの学生御用達の定食屋へ。植田実『集合住宅物語』みすず書房2004を読みながらカツカレーを食す。東京の戦前戦後の集合住宅40近くが鬼海弘雄の写真と植田実の文章で紹介される。鬼海さんの写真がいい。フィルター付いているからそうなのか分からないけれど、空間が黄色かったり青かったり緑だったりする。この色にやられてしまう。このなかに「飯倉片町スペイン村」というのがある。学生の頃東京のフィールド調査しながら都市の迷路性に興味を覚えたのだが、その頃この建物に出くわし謎の一画と思っていた。それから「松岡九段ビル」これは内藤廣さんが事務所にしていた九段の坂を上がった左に建っている建物。場違いな雰囲気が好きだった。現在の外装は改装されたもので元は横川民輔が設計した旅館だったそうだ。学生用の巨大なカツカレーを半分残し事務所に戻り打合せ。

June 24, 2010

日本のゼネコン大丈夫かい?

午前中入札申請を提出した6社の書類をチェック。ホームページにもアクセスして工事実績も詳しく見る。経営状態などの書類は審査基準に達していても、実績から見て心配になる会社が数社ある。昼ごろ事務所を出る。施主の理事長に会社の内容を説明する。心配はあるのだが、審査基準に合致しているのだから不安は押し殺すしかない。3時から現場説明。なんと一社遅刻。困ったものだ。時間にルーズな会社は鼻から信用できない。パンクチュアルであることは建設関係者にとって鉄則である。6か月の工期でこれを作ることの難しさが分かっているのかいないのか??まるで緊張感がない。行きの車中で読み終えた『ベイジン(下)』の話がラップする。北京オリンピックに照準を合わせた原発建設の話。中国建設業界と政府との癒着による入札とは表面だけの随意契約。利益至上主義のゼネコンの杜撰、手抜き工事。その結果運転開始と同時に発生する大事故。そんなフィクションはフィクションで終わって欲しいと願うばかり。日本ではそんなことは起こらないと信じたい。
帰りの車中鷲尾賢也『編集とはどのような仕事なのか―企画発想から人間交際まで』トランスビュー2004を読む。著者は講談社の編集者だった。最初は週刊誌、次に新書、そこで数年たって編集長となる。講談社現代新書は高校、大学時代に大分お世話になった。杉浦康平の装丁が魅力的だった。中根千恵『タテ社会の人間関係』、渡辺昇一『知的生産の方法』、板坂元『考える技術、書く技術』などなど本書でヒットしたと例示されているものは全部読んでいる。新書を初めて読み始めた頃、大人の読書の仲間入りができたと思ったものだが、「あれはパンフレットのようなものよ」と親に言われてショックを受けた記憶がある。そう新書はパンフレットである。読みやすく簡単だから未だに大好きである。

June 23, 2010

村松伸さんの家は林雅子の設計

昨日届いた村松伸『象を飼う』晶文社2004を読んだ。なんと建築史家の村松伸さんが林雅子の「ギャラリーを持つ家」を購入し、それを飼いならすという話である。もともと雑誌『室内』に連載したものを一冊にまとめた本である。そもそも村松さんが中古の家を探し始めた動機が振るっている。とある海の見える丘に建つ建築家の設計した家を取材した時に、自分が建築の批評をしたり歴史的に分析することに嫌気がさしたと言う。人の作った住宅に何か言うことに意味があるのだろうか?と疑問を持った。村松さんはただこの家に住みたいと切に感じたそうだ。そう思った時からこう言う「住みたい」と思う家を探して住むと決意し、家探しを始め、そしてたどり着いたのがこの家だったそうだ。この家を欲しい人がもう一人現れ、法的にもめて1年ごしで手に入れたこの家は既に5年も使われておらず、雨漏りはするは内装は剥がれるわでリフォーム設計を長尾亜子さんに頼み自分たち流に改造した。林昌二がその姿を「象を飼いならす」と称したのである。しかしそれにしても90坪近い家に家族三人ですむ贅沢を僕もしてみたい。そんな日が何時来るのか分からないけれど。ところでこの本の写真は浅川敏さんが撮っている。建築写真以外も取る浅川さんの写真には建物の匂いが立ち込めている(と隣席の木島さんが呟いた)。飼いならせていないのんびりした象の姿が感じられる。

June 22, 2010

ベイジン

午前中修士のゼミ。午後は3年生の製図。夕方突然の大雨。学食で夕食をとってから帰宅。車中、真山仁の『ベイジン(上)』幻冬社2010を読む。ベイジンとはもちろん北京のこと。北京オリンピックに絡む共産党と行政の裏側を描く。建設業界と政府の癒着はさもありなん。現場の手抜き、労働者のいい加減さ、話の全てが実感を持って伝わる。それでも表面は取り繕うその姿は何時になったら改められるのだろうか?小説なのだがノンフィクションを読んでいるようだ。事務所に戻ると新しく来たオープンデスクのS君が模型作製中。A君の2段ベッドの模型もできた。今までひたすら図面描いていたので現場始まる前になんとか挽回である。

June 21, 2010

1968年を体現した本と本屋

午前のアサマで長野へ。車中、福澤一吉『議論のルール』NHK出版2010を読む。ルール自体はありきたりなことしか書いていないのだが、分析の題材が「爆笑問題のニッポンの教養」と「国会答弁」。著者によればテレビ番組的な受けを狙った議論のルールの破壊が国会答弁にも起こっているという。確かに新聞でも滅多に読まない国会答弁をきちんと読んでみるとかなりひどい。結局国会という場所は議論をする場所ではなく、自らの優勢を限られた時間の中で見せびらかすパフォーマンスの場でしかないことがよく分かる。国会が中継される場合はなおさらであろう。芸人みたいな首相が二度と出てこないようにするためにはもう国会中継などやめた方がよいのかもしれない。
午後一で大学院の講義、そしてゼミ。今日の輪読は懐かしき『建築の解体』。今の学生には今一つピンと来ていないようにも見える。そもそも1968年の意味からして80年代生まれの彼らには遠く昔のことである。夕飯の後『書店風雲録』(リブロのお話)を読み終える。リブロをリブロたらしめた中心人物は全共闘世代。つまり1968年の人たちなのである。そしてあの時代こそが良くも悪しくもポストモダニズムという歴史の折り返し点を作ったのである(きっとリブロにも『建築の解体』が並んでいたはずだ)。それがリブロを作った。つまりリブロはポストモダニズムの本屋だった。それが20世紀の一つの文化の核たり得た。リブロは経営的な問題で変遷しもはやあの頃の状態ではない(と思う)。本屋の趨勢は図書館のような大型本屋(ジュンクのような)か小さな個性的本屋(南洋堂のような)へ2極分化している。売る方と買う方が共に熱くなるような場を共有することは当分ないのかもしれない。

June 20, 2010

「告白」見て考えた

青山で二つの写真展を見る。RAT HOLE GALLERYでアラーキーの「センチメンタルな旅 春の旅」岡本太郎記念館で「岡本太郎の眼」。現代を見つめるアラーキーと時代を超越した岡本が対比的に見えてきたhttp://ofda.jp/column/。見終わって凄く久しぶりにヨックモックビルに入りランチを食べた。相変わらずここはホテル並みに高いけれどこの辺りじゃゆっくりパソコン開いて本も読めて1時間いても気分がいい場所だ。夕方乃木坂で待ち合わせした娘と国立新美術館へ。かみさんが出品している書展を見る。奨励賞を受賞したので授賞式も後ろの方で眺めていた。今年はこれ以外にも賞を受賞したようだ。賞の価値はともかく取るにこしたことは無い。おめでとう。かみさんは最終日ということもあり打ち上げ。僕と娘は地下で夕食をとり、ヒルズに話題の映画「告白」を見に行く。僕は何も知らずに娘に引かれて見に来たのだがなかなかディープな内容だ。松たか子のナレーションは淡々とし、ストーリー展開の異様さを増幅する。それにしても表現がちょっと強すぎる。でもこんな一見虚構のような世界が実は本当なのかもしれない。子供の養護施設の設計等を始め、いろいろな方からいろいろな話を聞いてきたせいか、こういう陰惨な子供の社会がヴァーチャルなものとは思えなくなってきた。僕は建築なんてリアルなものを相手にして気持ちよく文化なんて語っているのだけれど、こんなどろどろした嘘みたいな世界のほうがよほどリアリズムである。建築屋はモノを扱うから実業だなんてむかし広告代理店相手に言った覚えがあるけれど、自惚れだね!

八潮公園設計ワークショップ第一回

朝一でジムに行ってティラピス。腰の矯正運動。少しずつ楽になって来た。午後八潮のワークショップ。今年から神戸大学も加わった。神戸から埼玉に来るのはちょっと遠いけど頑張って欲しい。
今年は駅前の公園の設計をするので、実施設計をするランドスケープ事務所のトデックとパートナーを組みながら進めることになる。今日のワークショップはトデックの昨年までの市民とのワークショップの内容の説明を聞き、続いて各大学の資料集めの成果発表。日工大小川研は都市公園事例調査。茨木大寺内研は駅前都市公園の事例調査。神奈川大曽我部研は変った公園と照明について。信大坂牛研は佐久平の駅前公園調査。神戸大槻橋研は海外公園事例調査。建築屋はランドスケープの設計に興味は多々あるものの、抑えるべき機能や法律について知識不足の部分もある。というわけで最初はお勉強会である。各大学の発表はそれなりの分析的な視点がありとても興味深かった。しかしこれからが本番である。一体ここで何ができるか?3カ月で結果を出さないといけない。ワークショップ後はそのまま懇親会。そしてワールドカップオランダ戦観戦モード。時刻は8時。帰るとライブを見逃すのでそのまま公民館で観戦。それにしても岡崎毎度毎度惜しい。そして大久保の調子がいい。デンマークには勝つ。

June 18, 2010

分かりやすいことはいいことか?

午前中早稲田の演習。二回休講したので、今日は2講義まとめてやった。超特急である。グローバリズム問題と主体性問題。主体性は毎年どうもうまくいかないので昨晩急遽パワポを作り替えて話をした。自分で一から作るとすらすらと話せる。あたりまえだ。建築も理論も共同作業は難しい。最近聴講生がツィッターしているので授業が理解可能か等を聞けて便利である。今日は超特急講義だったがとても分かりやすかったと言われた。しかし分かりやすいと言われて嬉しいやらそれでいいのかと?ちょっと落ち込むやら。分かりやすく話すということは分かりにくいことを話さないということでもあるし、複雑なことを解きほぐし、時に複雑を構成する要素の幾つかを捨象したりする。そうしながら分かりやすく話せる人は世に受ける。でもそれって正しいことなのだろうか?嘘つきではないだろうか?とツィッターで学生に返信したら、そういうことを宮台真司も言っていたと返事が来た。そうだよな。自分でこういう反省をしているので、テレビや新聞で妙に分かりやすいことを言う人をどうも信じることができない。固より、テレビも新聞も8割信じていないけれど。
夜事務所に八潮の先生たちが来られた。明日のワークショップの打合せ。今年は結構密に打合せしないと成果品ができないので大変である。槻橋さんが関西から美味しいクリームパンを買ってきてくれた。僕は夕飯食べたばっかりだったので大事に持って帰ったら。「これはかの有名なクリームパン!!」と妻と娘に食べられてしまった。

June 17, 2010

ある時期池袋は日本の文化の核だった

昨日のレントゲンを見ると背骨が少し曲がっており、真っすぐにするのにティラピスがいいと言われて行ってみた。終るとすっきりした。効果があるかもしれない。
事務所では発注期間中に不足している模型スタディを回復するべくやるべきことのリストを作る。順番が逆だがあの設計期間中にはとても無理だ。
数日前、今年の東京コレクションにも出ていたT美大のS君が「フレームとしての建築」のコンセプトに賛同して是非僕の所で働きたいとメールをくれた。今スタッフは募集してないと言ったのだが、ではポートフォリオだけでも見て欲しいという。送られたポートフォリオはアルドロッシを彷彿とさせる。小さいけれどちょっと惹かれるものだった。なんて返事を書こうかと思っていたらオープンデスクでもいいから働かせて欲しいとまたメールが来た。修士まで出た人をオープンデスクに使うのは主義ではないのだが熱意に負けた(ポートフォリオの魅力に負けた)。
帰宅後、田口久美子『書店風雲録』ちくま文庫2007を読む。著者はその昔の池袋西武の中にできた本屋、「リブロ」の店員だった人(因みに永江朗氏もここに勤めていたはず)。リブロがどのようにして、ああいう個性的な本屋になったかを記した本である。リブロが出来たのは1975年。僕は高校1年生である。西武池袋線の大泉学園から有楽町線の護国寺まで通っていた僕は池袋で電車を乗り換えていた。放課後サッカー部の練習が終わると西武線沿線に住むクラブの友人と帰宅した。その中に朝日新聞に行ったMと練馬区役所に務めたKがいた。練習後は彼らとたいてい学校近くで大びんの炭酸ジュースを飲んで一休みしてからしばしば池袋の本屋に立ち寄った。MとKは文系で小学のころから格段の読書量があり理系の僕に読むべき本を指南してくれた。しかし行く本屋はリブロではなく芳林堂書店。駅から少し歩くが、文庫本の備えがとてもよく高校生向きだった。リブロの本はなんだか面倒臭いし高かった。というわけでリブロには高校時代は滅多に行かなかった。それが大学に入るころに西武美術館に通うようになり美術館脇にある洋書のアール・ヴィヴァン(今のナディフの前身)そして和書のリブロとお決まりのコースになった。とは言え、大学当時は未だリブロの品揃えに敏感に反応するほど物知りでは無く、アール・ヴィヴァンの方が遥かに面白かった。その後池袋にはあまり行かなくなってしまったが、あの頃は明らかに日本の文化の一つの核が池袋にあったように思う。それなりに熱い場所だったと思う。

南洋堂の定番本

最近イスに座っていると左のお尻が痛くなる。昔から固いイスは苦手だったのだが腰痛を起こしてから急にこうなった。腰痛の続きなのか、内臓の問題なのか不明で最初は大腸の先生に見てもらったがこれは整形だねと言われて整形の先生に回されレントゲン。結局ストレッチをよくしなさいと言うことになる。つまりは年ですか?。午後事務所で雑用を終わらせ、先日送った入札見積もり用図面の追加指示を皆でまとめる。確認の質疑が認定機関から来ているのだが意匠の質疑は殆どない。これはびっくり。こちらの資料が完ぺきだったか。向こうのチェックが甘いのか?
夜永江朗の『ブックショップはワンダーランド』読み続ける。4つ目の本屋さんは南洋堂である。どの本屋も自分のお店の定番の本を載せているが、南洋堂も40冊近く。以下既読に〇、知っているが未読に△、聞いたことも無いに×、初めて聞くが興味深いので是非読むに●を付けてみよう。10宅論〇、厳選建築家名鑑〇、住宅病はなおらない×、渡辺篤史のこんな家を創りたい〇、生きられた家〇、優しさの住居学〇、建築家と家を建てたい×、家族を容れるハコ家族を超えるハコ〇、小さな家〇、集合住宅物語●、新編住居論〇、箱の家に住みたい×、象を飼う中古住宅で暮らす法●、住宅巡礼×、建てずに死ねるか建築家住宅×、建築家が建てた幸福な家×、狭くて小さいたのしい家×、普請の顛末×、コレクティブハウジングの勧め×、住まい学大系10塔の家白書、〇、住まい学大系80「私の家」白書●、住まい学大系761969~96安藤忠雄×、新建築臨時増刊建築20世紀part1、2〇、a+u20世紀のモダンハウスⅠ、Ⅱ×、GAhouses masterpieces1945-1970×,住まい学大系90中野本町の家〇、住まい学大系100栖十二●、近代建築を記憶する×、20世紀建築ガイド、ルイスカーンの全住宅×、衣食足りて住にかまける×、JA57文化遺産としてのモダニズム建築×、住まいの探求増沢洵1952~1989●、現代住宅研究〇、ありえない家×。特に増沢洵は興味深い。

June 15, 2010

日本人の意識構造

朝のゼミの前に修士入学希望者と面接。はるばる九州から来られた。9時からのゼミにも出席してもらう。4年のゼミは少しずつだが進んでいるようだが、選択の設計製図もあるせいか進捗は亀のようである。午後は3年の製図の後半課題。幼児の施設である。例年最初にプログラムを持ってこさせるのだが、今年はやり方を変えて、先ずは敷地の何かに(地形や舗装の材質や石の形など)反応して形を作ってくるように指示をした。そのせいか例年の不満が払拭された。ただし未だ場所への心配りが足りない。製図の後急に雨が降りだす。梅雨だから仕方ない。帰りのアサマで『現代日本人の意識構造』を読み終える。1973年から日本人意識として大きく変化したことの中で二つのことが目を惹いた。一つは昭和から平成にかけてそれまで天皇への好感度が20%程度だったものが倍の40%へと上がったこと。もう一つは選挙やデモが国の政治に影響を及ぼすと考える人が20%前半から30%後半へ増加したことである。前者の問題はその理由として皇太子結婚が挙げられている。年号の変わり目にはいつも起こることなのだろうか?まあ意識が高まることは結構だが好感度が上がるというのは腑に落ちない。どこかの都知事じゃあるまいし。天皇はシンボル。皇室ゴシップに盛り上がる国の民度って何だよ?と嘆息する。後者は経済状況の悪化が原因かと思いきや、そうでもない。バブル時代にはすでに上がっているのである。これはなんとも嬉しい数字である。
東京駅で丸善へ。新刊を物色してカートに放り込み宅配。永江朗の『ブックショップはワンダーランド』六曜社2006とmusic bar@marunouchi tokyoというcdだけ持ち帰る。永江さんの本は特色ある品揃えの本屋13点が紹介されている。帰りの地下鉄で読み始めると最初の本屋は青山のbook246。とある施主の家のそばだったので仕事の打合せ後よく立ち寄った。というのもこの本屋にはカフェが併設されているから。専門は旅である。と言ってもプラクティカルな意味での旅の本だけがある訳ではない。読むと旅した気になる本とか、写真集などもある。またメインの流通に乗らない本も多い。僕もここで上海を特集した写真雑誌を買ったことがある。これも普通の本屋には置いてないものだった。帰宅後music bar @marunouchi tokyoをかけながら新聞を読む。このcdは80年代discoの名曲ノンストップリミックスである。オヤジ御用達cd。BananaramaのI heard a rumourは結婚式でも流れていたなあ!!

June 14, 2010

車で決まる形を考える

午前中博士の講座会議、入試判定会議、午後の教員会議はゼミですっかり失念。ゼミの輪読はリオタール『ポストモダンの条件』。この本たいしたこと言ってない割には文章が厄介だ。でも「大きな物語」というキャッチフレーズは分かりやすく皆の使う言葉となった。流行語大賞のようなものだ。ゼミ後の1時間設計は小さな家の敷地で100㎡自動車2台停まれる住宅設計。なかなかリアルな条件だ。都心ではその外形は建築家の意志とは関係なく決まるものと奥山信一は言っていたが正しいね。建蔽率と斜線と敷地形状でほぼ決まる。車はこう言う時あまり登場しないが、でも車の存在も大きい。そもそも小さな家の外形も車で決まっているわけだ。この建物以降、車があるから斜めの壁というのはちょっとした流行になった感もある。というわけで、では2台置いたらどうなるの?というのが出題意図。まあいろいろと案が出てきて面白かった。皆が製図している間NHK放送文化研究所編『現代日本人の意識構造[第七版]』NHK出版2010を読む。これは1973年から続く日本人意識の定点観測である。第二章は「男女と家庭の在り方」。その中に女性の教育という調査がある。1973年(調査開始年)女性を大学に入学させるべきだと言う考えは全体の22%だったものが2008年では52%と30%も上昇している。僕が学生の頃同級生(建築学科の)で女子は2人だった。それが今では3分の1(約15人)は女性と聞く。信大も同様だ。50人の内15人から20人くらいが女性である。ところが大学院まで行かせるべきだと言う意識はそれほど増えていない。だから未だに院に行くのを反対される学生も後を絶たない。院は何をするところか親には伝わりきれていないのかもしれない。

June 13, 2010

知の編集術

ホテルの朝食が混んでいて待たされた。タクシーで駅へ向かったが予定ののぞみに乗れず一本遅れ。車中松岡正剛『知の編集術』講談社現代新書2000を読む。21世紀は「主題の時代ではなく方法の時代だ」に始まり、その方法として編集術があり、編集の方法は遊びと同じとしてカイヨワの遊び理論が紹介される。それらは4本柱で、競争、運、模倣、めまいである。さらに古代ギリシア劇で尊重された技法として、アナロギア(類推)、ミメーシス(模倣)、パロディア(諧謔)を編集術では尊び、オリジナリティを問題にしないと言う。彼の編集術とは単なる編集ではなく、それこそが一つの創作としての位置づけなのだが、そこでの創るは純粋なクリエイティビティとはずれてぃる。でも建築なんて言うのも編集術と言えばまさにそうかもしれない。
重い荷物を引きずって事務所に直行(腰に悪い)。次々に打ち出されて来る図面の最終チェックをしていく。やはり未だ少しずつ赤が入る。どうしてもこの短期間だから矛盾、書き込み不足が後を絶たない。来週の追加変更指示まで時間をフルに使わないとだめかもしれない。今日の5時の宅急便に乗せる予定が結局無理。明日の11時までに乗せることにする。最後の展開図に赤を入れて後をスタッフに頼み事務所を出る。帰宅して京都の荷物を置いてから飯を食って長野に向かう。車中松岡正剛を読み続ける。この本では編集術を使いこなす芸術家として武満徹が例に上がる。ノヴェンバー・ステップなどの雅楽をとりいれたオーケストレーションがそれに当たる。新しい素材の組み合わせである。さて何か参考にできるだろうか?長野は雨。そろそろ梅雨。

京都造形でお話をする

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今日はレクチャーにぎりぎり飛びこむかと思っていたが、朝から行ける段取りとなった。朝起きてふと正伝寺に行こうと思い立つ。と行ってもそれがどこにあるのかも知らない。高校時代に読み耽っていた立原正秋の『日本の庭』の冒頭に出てくる寺である。書き出しがいかした文章だった「いつの年だったか、正伝寺の山門をくぐりぬけ出た時風が死んでいたことがあった。・・・・」原文の通りかどうか定かではないが、こんな文だった。いつか行きたいと思って30年。ネットで場所を調べると北大路から徒歩15分。朝食もそこそこに家を出て事務所に立ち寄る。『フレームとしての建築』をカバンに入れる。今晩のレクチャーで即売しようと思っていたのだが、なんと3冊しか手元にない。10冊くらい残っているかと思ったのだが。満席ののぞみに揺られ京都。今日は30度を超えている。梅雨前の夏日。正伝寺は緩い坂の上の方にある。山門の周りは山中の風情である。確かに季節が季節なら立原の言う風が淀み死んだような雰囲気が醸し出されるかもしれない。庭は小堀遠州という噂もある枯山水。比叡山を借景した小さな庭である。枯山水だが見ての通り石はなくその代わりにつつじが饅頭のように4つ置かれている。今にも動き出しそうなこのつつじの饅頭がなんとも愛らしい。強い日差しが照り返す道を北大路まで戻る。まだ時間があるので電車を乗り継ぎ妙心寺へ。お堂が公開され狩野探幽の天井画を見ることができた。構想に5年描くのに3年かかったそうだ。まあ大きな龍の絵である。
ホテルに引き返しシャワーを浴びてから京都造形芸大へ。松岡聡さんと初めてお会いする。会ったことも無い方にレクチャーをお願いされるのは光栄である。6時半から8時まで演題であり拙著の題名である「フレームとしての建築」のお話をする。日建を止めてから10年間の僕の考え方と作る建築の変わらないところ変ったところをお見せした。質疑応答して8時半には終了。持って行った拙著も売り切れた。やはりもっと沢山あればと後悔。
先日東京でお会いした松岡さんの同級生である京都大学の朽木さんも聞きに来てくれて、準備された事務の北川さんや助手の方たちと一緒に夕食。美味しい料理を頂いた。心づくしの歓待に感謝である。松岡さんありがとうございます。

June 11, 2010

チャンバラ

長野の朝もだいぶ暖かくなった。嬉しい。でもこれから梅雨が来ると思うと萎える。午前中3年次編入学試験。終わって研究室の雑用。昼のアサマに乗る。車中直木賞受賞作である佐々木譲『笑う警官』角川文庫2007を読む。僕は疲れて何も読みたくなくなると小説を読む。そういう時はこの手の権力モノ(政治モノ)が多い。「ハゲタカ」なんかも好きだけれど。言ってみればこの手の小説はチャンバラ時代劇のようなものである。水戸黄門とは言わないが、まあそれに近い。そんなの面白いの?と言われそうだが疲れた時は気分転換に水戸黄門も悪くない。昔花山大吉というチャンバラ劇をテレビやっていた。親父が大好きでいっしょに見ていたから息子も単純な精神構造になったのかもしれない。まあ最近の権力モノは映画も小説も必ずしも勧善懲悪の結末にはならないのだが。
事務所に戻りクライアントと電話、最後の詰め。見積もり額とスペックをフィックスする。後は図面を間に合わせるのみ。締め切りは日曜日の午後5時DVDで発送である。夕方先日の図面レビューで入った赤と最後のスペック調整による赤及びその修正状況を確認した。おやおやまだまだ結構あるよ。終るかなあ?

June 10, 2010

公共性

朝スタッフが来る前に、週末レクチャーのパワポを作る。ほどなく最初のスタッフが来たので途中で終了。仕事モードに頭を切り替え工務店にネゴの電話。ネゴった数字をクライアントに送る。電話で感触を聞く。別件の見積もりを見ながら、入札前の最終図面のスペック調整をする。昨日今日と一日数字と睨めっこである。
夜のアサマで長野へ。中村良夫の『都市をつくる風景』を読み続ける。彼は日本の都市に世代を超えた継続性と公共性が欠如していると指摘する。そうだと思う。しかし日本もその昔は公共性が結構あった。江戸の様子を細かに知っている訳ではないが、テレビに登場する、あるいは江戸情緒の残る下町を見れば、開かれた家の前に公共の場が生まれていたであろうことが想像される。しかるに明治以降、街に背を向けた家が連続するようになり一挙に自分の家の中しか考えない「心」が生まれてしまう。
多分そういう閉じた家の出現の一因には家に入ってすぐに玄関、靴を脱いで我が家という家の構造の変化があるのではなかろうか?江戸の開かれた家には土間のようなものがあり公が家の領域で一気に断絶することはなかったのでは。また例えば僕が住んでいたアメリカの家で言えば家の前には開かれたフロントヤ―ドがありそこに連続するリビングが道に開かれて(外から見えるように)あるわけだ。そう言う家に住んでいれば当たり前の話だが、庭は公共のものであると同時に自分の家の中から見える重要な風景なのである。こうした土足が連続する土間やリビングに住む人は家の外への意識が高くなるのは当たり前である。当然そこに公共への眼差しが生まれながらに育まれるはずである。生まれた時から公から切り離されたマンションに育った子供はかわいそうである。どこかで外への意識を作ってあげなければ一生公共性を身につけることはできない。

June 9, 2010

久しぶりに中村良夫

夕刻審査部会で学会へ。部会長は渡辺真理さん。急いでいるので終わったらさっさと退散しようと思っていたのだが、会議が終わったら呼び止められた(横に座らなければよかった)。10月にやる上越のワークショップに今年も是非信大生を連れて来て欲しいと言われる。去年は僕が連れていったわけではなく行かせただけなので何があったか実はよく知らない。ただ千葉さんとか渡辺さんとか先生を囲んで学生と先生の座談会のようなテーブルがいくつかあったそうだ。今年はその数を増やしたいので是非来いと言われる。ただこのワークショップは東京だけで想を練っているので地方大学の学生は行っても出遅れ感があるらしくてうまく乗れないようなのだ。ということを渡辺さんに言うとそれは違う。去年など準備不足でぶっつけ本番だったよと言う。僕は今年は学生を行かせる気が無かったのだが、、、、と言うわけで寄り切られた。その後池田さんや村上徹さんと少し雑談。池田さんの学校はそれなりにスタートしたようだ。パワフルである。
帰りの電車で中村良夫『都市をつくる風景』藤原書店2010を読み始める。中村良夫は僕が東工大にいた頃隣の学科にいらっしゃった(その後京都大学に移られたが)。中村先生の風景論にとても魅かれて修論でも大いに参考にさせていただいた。その後日建にはいり横断道路の換気塔を設計するときに景観委員としてお呼びし意見していただいた。川崎の換気塔、人工島の風の塔、海ほたるのパーキングエリアの3つの位置づけを説明すると〇△□くらい分かりやすい形を並べるべきだと言われたのが今でも頭に残っている。何故残っているかと言えばその意見が少々単純すぎると思って「かちん」ときたからである。でも出来てから振り返れば確かに複雑な形など何も見えない場所なのである。だから〇△□とは言わないが、単純な形態であるべきだという指摘は正しかったと思う。

June 8, 2010

‘‘おひとりさま‘‘VS‘‘フリーター‘‘

有限責任事業組合フリーターズフリー編『フェミニズムはだれのもの?―フリーターズフリー対談集』人文書院2010という対談集を読む。第一章は‘‘おひとりさま‘‘と‘‘フリーター‘‘は手を結べるかと題して、フリーターズフリーなるフリーターを考える編者グループと上野千鶴子のシンポジウムである。‘‘おひとりさま‘‘とは老後を独りで過ごす女のこと。つまり上野のことである。一方‘‘フリーター‘‘はここに登場しているフリーターグループであり35歳独身でアルバイトしている女のことである。面白いことに‘‘おひとりさま‘‘を書いた上野が批判されている。上野はこの本で「おひとりさま」に憐みをかけるなと主張している。ほうっておいてちょうだいという風に言っているらしい。フリーターグループの栗田はそう言う。しかしほうっておくということは孤立を招くのではないか、上野の理屈は強者の論理であり、弱者は藁をもすがりたいのではと批判される。これに対して上野はあまりやり返さない。まあ言おうと思えばどうにでも言いくるめられるのだろうがじっと我慢しているように見える。ゲストなのに会話量が少ない。30も下の若い独身フリーター女性の気持ちや社会状況を心から分かることの限界を感じているのだろうか?彼女の黙りはなんとなく分かるような気がする。

June 7, 2010

1970年建築が変った

朝のアサマで長野へ。車中朝日新聞特別取材班『エコ・ウォーズ』朝日新書2010を読む。朝日の取材にしては一般論ばかりで取材に迫力が無い。午前中、他大の大学院受験希望者2名が来研。志望動機などをインタビュー。午後『言葉と建築』の講義。受講してもらう。今日は深い眠りに入っている学生が目立つ。体は出席だが精神は欠席である。出席簿にそう記しておこう。夕方ゼミ。今日の輪読は篠原一男『住宅論』出版年は1970。先日の伊東さんのレクチャーを思い出す。曰く「大阪万博(1970)の前後で建築が変った。それまでは右肩上がりの成長日本であり、技術が建築も社会も変えていくと信じられた時代。丹下、菊竹、黒川がけん引した時代。その夢は70年万博で終了した。その後の建築を引っ張ったのは磯崎、篠原であり、抽象性と批評性が建築を語る主軸となった」。そしてその時代の変わり目にこの本が出たわけだ。そう思って読むと今まで見えなかったものも見えてくる。ゼミ中に携帯に入るメールを見る。住宅の見積もりが上がって来た。2割増し。やはり競争していないから下がらない。続いて、別件の某施設の見積もり事務所の見積もりが届く。こちらは想定内。ほっとする。この建物は先週末確認を出そうと思っていたのだが、なんだかんだで今日も出せない。スタッフは残業200時間で寝ずにやっているのに追いつかない。設計時間が短すぎる。だいたい単年度設計施工の補助金というシステムがおかしい。先日会った県の役人(同級生)に「1000㎡を超す建物を単年度設計施工するのは現実的ではない」と文句を言うと。県発注の公共事業はもはやそんなバカなことはしないと言う。じゃあ誰の責任だと問うと、それは補助金の指針だから厚労省だと言う。建築素人集団が既存の法律の枠内でやっているからこういうことになる訳だ。困ったものである。

ブック・レヴュー

午後事務所に行くと『建築技術』の6月号が届いていた。拙著をbook reviewで紹介くださったようである。「プロフェッサーアーキテクトとして活躍中の坂牛卓氏が本書の著者・・・実作とプロジェクトを含めた27作品を纏めた作品集であ・・・本誌2002年2月号のarchitectural designで『連窓の家#1~#3』紹介した。巻頭の『窓を巡って』で、質料と形式はセットで考えなければならない、そこから3つ問題。①素材・形、②部分・全体、③享受者(住人)を意識し始めたと述べている。約十年を経て、氏は自身の建築を人々がいつまでも新鮮味を失わないライブな魅力を保ち続けられる生き生きとした世界を切り取るフレームのようなもという。・・・中島壮氏のブックデザインが大変かっこよく視覚でも楽しむことができる秀逸の作品集」と紹介していただいた。http://eeg.jp/Orw5そう言えば確かに十年前に「窓を巡って」という論考を書きご指摘の通り、その頃の思考がフレームとしての建築に繋がっているようである。さて次の10年はどう展開するのだろうか?3時から図面のレヴュー。今日はナカジがレビュウアー。複数の目で図面チェック。平面図を終えたところで11時となった。残りは明日。

June 6, 2010

twitter恐るべし

夜篠崎さん平瀬さん城戸崎さんとお会いする。Twitterが結び付けた会合。Caminadaの本が欲しいと呟く人に僕が呼応したのがきっかけ。そうしたら平瀬さんがそれに反応した。それを見ていた双方を知る城戸崎さんが二人は知り合い?と乗って来たわけだ。というわけで、スイス建築の話をする会をしようということになってETHに行っていた篠崎君も加わった。うーむtwitter恐るべしである。
それにしても皆体力がある。久しぶりにお店を出たら明るかった。

June 5, 2010

製図講評会に袴田さん

今日は製図第三の講評会。課題は善光寺脇の丘の上に建つ蔵春閣という建物コンヴァージョン。この耳慣れぬ名前の建物は三沢浩さんの設計で1967年に建ったもの。打ち放し4階建でブルータルな外観である。今朝製図室で優秀作を15ほど選び、学用車でこの蔵春閣まで運ぶ。講評会を現地でやるという新しい試みである。1時半ころ学生も皆到着。今日のゲストクリティークは袴田喜夫さんである。彼は芸大で天野太郎最後の弟子。和敬塾や自由学園の文化財改修や耐震補強をしている。最初にそうした仕事をレクチャして頂く。袴田さんに加えて、今日は蔵春閣の館長さん、地元ミニコミ誌のカメラマン、地元の建築家にもゲスト参加してもらった。3年生からCADの使用を認めているので表現の幅が広がったようである。模型表現も少しずつだが進歩しているように思う。夕方全プレゼンが終わり、ゲストの方々からそれぞれ賞を選んでいただき終了。袴田氏と善光寺を散策し駅へ。

June 3, 2010

センセイの書斎

朝一で塩山。130枚の図面の納図。と言えば聞こえがいいが、まだ全図面ができたわけではない。10枚くらいは未完だが、その全貌は図面リストでお知らせしながら、120枚くらいをざっと説明。見せた図面の半分くらいは既に説明されているものだが、全部で4時間くらいかかる。終って山梨県庁に東工大の同級生を尋ねる。彼は平井研を出て地元の県庁に勤めた。既にかなり前に主事をとって今はけっこうな身分である。入札の仕組みやら、山梨の建設物価やらいろいろ教えてもらう。それにしてもこの県庁の老朽化はひどいものだ。こんな役所を見たのはその昔の都庁以来である。耐震補強されているだろうか?
今日の打合せ内容を伝えるべく東京へ戻る。車中内澤旬子『センセイの書斎』幻戯書房2006を読む。上野千鶴子のエッセイで紹介されていた本である。イラストレーターの著者が31人の作家、学者、翻訳家、デザイナー、建築家などの書斎を訪れ、それを妹尾河童の如く見下ろしパースで描いたものである。その中にもちろん上野千鶴子もいる。養老孟司、金田一晴彦、清水徹、石山修武、小林康夫などなど。それにしても上野の研究室の本棚はすごいね。本が手前から奥に3列に並んでいる。2列に並ぶのさえ僕は嫌だが3列である。これで後ろ側の本が死滅しないのかというと、大丈夫なのだそうだ。基本的に著者別五十音順に配列されており、3列目まで思い出せるようである。確かに著者別にすると頭の中にはあの本があったはずだと思い出させる何かが残っているようにも思える。ただしこのシステムは常時学生バイトを入れて本の整理をさせて成立しているようで、そんな費用を捻出できない僕には無理な話だし、そんなにたくさん本ないからその必要もないかも。

June 2, 2010

強い女

朝から市のデザイン専門部会。部会長は宮本忠長さん。この部会は景観重要建造物の改修図面のチェックなどを行っていたのだが、今年度からは、13メートル以上の公共建築に対して、設計段階でコメントするという役割を担った。本日はその仕事で新たにできる二つの小学校の審議。マイクロバスで敷地に行って図面を見ながらコメントした。竣工後40年の小学校の改築。デザイン的コメントはさておき、40年で建て替えと聞いて自分の大学を思い返す。信大工学部では40年選手の建物などざらである。マスタープランを作ったから、全キャンパスの全建物の年齢は知っている。先日も40年たった土木の建物が耐震補強して内外装をやり直した。結構綺麗に蘇っている。改築せずにそう言う方法もあろうかと思うのだが、、、、小中には予算がつくということか?午後製図第五のエスキス。夕方のアサマで戻る。駅で買ったAERAに2010年秋冬コレクションの話が出ていた。今年のショーではがりがり拒食症モデルはもういなくて、アラサーくらいの豊かな女性の出番だそうだ。というのもデザインが少しクラシックだったりするかららしい。プラダのテーマは「クラシック・フューチャー」20年代のシルエットを90年代にかぶせ更に10年代へとつなげると言うもの。建築でそれをやると四角い豆腐を、さらにミニマルにそぎ落として、それに味付けするとういところか?ルイ・ヴィトンは「バック・トゥ・フェミニン」というテーマでフィナーレのモデルはエル・マクファーレン46歳である。最近デザイナーの口から出てくるのは「女性はパワフルではなくストロング」だそうだ。パワーは権威でストロングは内面から湧き出る力とのこと。大学のデザイン論で、建築を親父的建築とおふくろ的建築に分けてこれからの建築は強いオフクロとだいぶ前から言っているのだが、ストロングウーマンには我が意を得たりである。コムデギャルソンの強い女はカッコイイ。例のこぶ服の変形で体中に内臓がくっついているようなえぐいデザインである。これは文字通り人間の内面である。言われないと気づかないが言われるとぎょっとする。


June 1, 2010

日本に文化的建築など無い

午前中は学科会議。午後一も会議。大学のとある幹部の方と施設の話。この方の推す施設のコンセプト作りの手伝いをしているが、他の幹部連中の同意が得られないと言う。同意どころか相手にもされないらしい。建築を一つの文化とおっしゃってくれるこの希少な幹部の方は文化を理解しない人が多いと嘆いている。そんなことを嘆くのは10年前に終わっている僕としてはそれは日本では無理な話だと諦観の境地である。日本と言う国においては自らの周囲を豊かにする環境としての建築(文化的建築)は存在しないのだと思っている。日本においてそれは建築ではなく自然なのである。建築はそれを阻害する何かでしかない。無ければ無いほどいいようなものである。伊勢神宮の昔から、日本人が愛でるものは建築ではなく自然である。伊勢に行ってつくづくそう思ったがあそこには建築は無い。あるのは場所と自然である。そしてその精神は恐らく現代まで絶えることなく、そして未来永劫日本人の心の中から消えることは無いように思う。安藤忠雄がここまでリスペクトされるのは決して彼のセルフプロモーションの巧智だけから来るものではない。日本人はそこに建築を見ないからである。あの中に自然を見ているのだと思う。ここまで言うと大いに反論されそうだが妹島和世にも実はそうした種が植わっているように思える。それは彼女が意識しているのではなく見る側がそれを見ているという意味だが。
しかし、だからもはや日本と言う国を見捨てたというつもりは実は全くない。そういう文化建築に全く無頓着、無関心な国だからこそ生まれる自由と多様性がある。ヨーロッパじゃとてもできないどうしようもないモノが平気で建つ土壌があるのである。それを是と言うか非と言うかは大きな分かれ目だが僕はいいと思っている。しかしこれを言いと言う以上日本に文化的な意味での建築なんて無いと言わざるを得ないし、それを嘆く資格もない。