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日本に文化的建築など無い

午前中は学科会議。午後一も会議。大学のとある幹部の方と施設の話。この方の推す施設のコンセプト作りの手伝いをしているが、他の幹部連中の同意が得られないと言う。同意どころか相手にもされないらしい。建築を一つの文化とおっしゃってくれるこの希少な幹部の方は文化を理解しない人が多いと嘆いている。そんなことを嘆くのは10年前に終わっている僕としてはそれは日本では無理な話だと諦観の境地である。日本と言う国においては自らの周囲を豊かにする環境としての建築(文化的建築)は存在しないのだと思っている。日本においてそれは建築ではなく自然なのである。建築はそれを阻害する何かでしかない。無ければ無いほどいいようなものである。伊勢神宮の昔から、日本人が愛でるものは建築ではなく自然である。伊勢に行ってつくづくそう思ったがあそこには建築は無い。あるのは場所と自然である。そしてその精神は恐らく現代まで絶えることなく、そして未来永劫日本人の心の中から消えることは無いように思う。安藤忠雄がここまでリスペクトされるのは決して彼のセルフプロモーションの巧智だけから来るものではない。日本人はそこに建築を見ないからである。あの中に自然を見ているのだと思う。ここまで言うと大いに反論されそうだが妹島和世にも実はそうした種が植わっているように思える。それは彼女が意識しているのではなく見る側がそれを見ているという意味だが。
しかし、だからもはや日本と言う国を見捨てたというつもりは実は全くない。そういう文化建築に全く無頓着、無関心な国だからこそ生まれる自由と多様性がある。ヨーロッパじゃとてもできないどうしようもないモノが平気で建つ土壌があるのである。それを是と言うか非と言うかは大きな分かれ目だが僕はいいと思っている。しかしこれを言いと言う以上日本に文化的な意味での建築なんて無いと言わざるを得ないし、それを嘆く資格もない。

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