京都造形でお話をする
今日はレクチャーにぎりぎり飛びこむかと思っていたが、朝から行ける段取りとなった。朝起きてふと正伝寺に行こうと思い立つ。と行ってもそれがどこにあるのかも知らない。高校時代に読み耽っていた立原正秋の『日本の庭』の冒頭に出てくる寺である。書き出しがいかした文章だった「いつの年だったか、正伝寺の山門をくぐりぬけ出た時風が死んでいたことがあった。・・・・」原文の通りかどうか定かではないが、こんな文だった。いつか行きたいと思って30年。ネットで場所を調べると北大路から徒歩15分。朝食もそこそこに家を出て事務所に立ち寄る。『フレームとしての建築』をカバンに入れる。今晩のレクチャーで即売しようと思っていたのだが、なんと3冊しか手元にない。10冊くらい残っているかと思ったのだが。満席ののぞみに揺られ京都。今日は30度を超えている。梅雨前の夏日。正伝寺は緩い坂の上の方にある。山門の周りは山中の風情である。確かに季節が季節なら立原の言う風が淀み死んだような雰囲気が醸し出されるかもしれない。庭は小堀遠州という噂もある枯山水。比叡山を借景した小さな庭である。枯山水だが見ての通り石はなくその代わりにつつじが饅頭のように4つ置かれている。今にも動き出しそうなこのつつじの饅頭がなんとも愛らしい。強い日差しが照り返す道を北大路まで戻る。まだ時間があるので電車を乗り継ぎ妙心寺へ。お堂が公開され狩野探幽の天井画を見ることができた。構想に5年描くのに3年かかったそうだ。まあ大きな龍の絵である。
ホテルに引き返しシャワーを浴びてから京都造形芸大へ。松岡聡さんと初めてお会いする。会ったことも無い方にレクチャーをお願いされるのは光栄である。6時半から8時まで演題であり拙著の題名である「フレームとしての建築」のお話をする。日建を止めてから10年間の僕の考え方と作る建築の変わらないところ変ったところをお見せした。質疑応答して8時半には終了。持って行った拙著も売り切れた。やはりもっと沢山あればと後悔。
先日東京でお会いした松岡さんの同級生である京都大学の朽木さんも聞きに来てくれて、準備された事務の北川さんや助手の方たちと一緒に夕食。美味しい料理を頂いた。心づくしの歓待に感謝である。松岡さんありがとうございます。