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分かりやすいことはいいことか?

午前中早稲田の演習。二回休講したので、今日は2講義まとめてやった。超特急である。グローバリズム問題と主体性問題。主体性は毎年どうもうまくいかないので昨晩急遽パワポを作り替えて話をした。自分で一から作るとすらすらと話せる。あたりまえだ。建築も理論も共同作業は難しい。最近聴講生がツィッターしているので授業が理解可能か等を聞けて便利である。今日は超特急講義だったがとても分かりやすかったと言われた。しかし分かりやすいと言われて嬉しいやらそれでいいのかと?ちょっと落ち込むやら。分かりやすく話すということは分かりにくいことを話さないということでもあるし、複雑なことを解きほぐし、時に複雑を構成する要素の幾つかを捨象したりする。そうしながら分かりやすく話せる人は世に受ける。でもそれって正しいことなのだろうか?嘘つきではないだろうか?とツィッターで学生に返信したら、そういうことを宮台真司も言っていたと返事が来た。そうだよな。自分でこういう反省をしているので、テレビや新聞で妙に分かりやすいことを言う人をどうも信じることができない。固より、テレビも新聞も8割信じていないけれど。
夜事務所に八潮の先生たちが来られた。明日のワークショップの打合せ。今年は結構密に打合せしないと成果品ができないので大変である。槻橋さんが関西から美味しいクリームパンを買ってきてくれた。僕は夕飯食べたばっかりだったので大事に持って帰ったら。「これはかの有名なクリームパン!!」と妻と娘に食べられてしまった。

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