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June 30, 2009

アメリカの講評会

朝、現地審査の講評を書いていると、隣の研究室の博士課程中国人留学生、李君がやってくる。副指導教官である僕にレポートを提出することになっている。その中間チェック。日中近現代建築における伝統主義の現われ方を比較せよというテーマである。彼の故郷大原の市内の写真を見せてもらう。わっ!高層ビル群!人口300万。名古屋より一回り大きな市であるから、不思議ではないのだが、、、、中国はこんな市がたくさんあるのだろう?計り知れぬ国である。
9時からゼミ。今日は発表者が少ない。終わって、研究生が提出したSDレビュー作品を見せてもらう。いい線行っていると思うのだが、こればっかりは分からない。午後3年生の製図。先日ブログに書いたからか?今日はエスキスを周りで聞く学生がけっこう居る。結構なことだ。夕刻小諸の打合せ。長引いて夕飯を食べ損ねた。木質バイオマスのポンチ絵出すのが今日までだったことを思い出す。イラレで描きメール。こんなのでいいのだろうか?終わって事務所からメールされている模型写真やら図面をプリントアウト。ちょっと面白い、、、、外は雨が降り出した。夕食は今日はなしか?『現代アートの舞台裏』を読み続ける。今日はカル・アーツ(カリフォルニア芸術大学)の話。アメリカで芸術家になるためには一流美術学校のMFA(芸術修士)が必需品。LAならカルアーツ、UCLA, アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン、USC,オーティス・カレッジ・オブ・アートなど。そして学内の授業では講評会が最も重要だそうだ。このあたりは建築と似ている。とは言え大きな違いが一つある。それは講評するのが先生ではなく学生だという点。その上、教師によっては、発表者(作品制作者)にはしゃべらせず、作品のみが提示され同級生によって八つ裂きにされるという過酷な講評会もあるという。建築でも人数を絞ってこういうのをやってもいいかもしれない。まあ2~3年生では無理だろうが、4年や院生が講評者になるというのはありかもしれない。

力が抜ける

今まで打ち合わせに出てこなかった施主の長がでてきて話をひっくり返すということは日建時代には数回あった。どうして担当者は話を上げておいてくれないのかと恨めしい気持ちになったものだ。こういうことは大会社相手だと起こりうる。日建やめれば必然的に小さなクライアントで、こういうことは起こるまいと思っていたのだが、、、、、本日までずっと事務局という方々を相手に話しを進めてきたプロジェクトの打ち合わせに、今日始めて組織の長が出て来られた。初めて見る図面と模型に多少の驚きを示した後、体を90度回転して、部下達にどういう指示をしてきたのか?と苦言を呈した後、こちらに向き直って多少のお世辞を言って出て行かれた。ああ昔と同じだなあと少々がっくりしてしまった。一体我々の作っているものは理解されているのか?喜ばれているのか?納得されているのか????力が抜ける!!!。
午後講義とゼミ。ヴェンチューリを読む。夕食後、大学院希望者と面接。4年生のエスキス。事務所から送られる図面のチェックとコメント返信。なんだか疲れた。午前中の出来事がボディーブローのように効く。まあ一日寝れば忘れるだろうけれど。
サラ・ソーントン(Thornton, S)鈴木泰雄訳『現代アートの舞台裏』ランダムハウス講談社2009を読む。最初の章はニューヨーク、クリスティーズのオークション舞台裏。せりを行なうオークショニアはせりのリハーサルを何度も行い、おまけにそれを多くの人間がチェックするそうだ。いかにして高く買わせるか、いかにしてオークションをショーとして成功させるか念には念を入れるわけだ。それにしても未だに数億の値が付くウォーホール、もはや落札されないリヒター。アート作品は株となんら代わりない、人の信用で上がり下がりする生き物である。

June 28, 2009

軽井沢

午前中のアサマで軽井沢に向かう。車中、大江正章『地域の力―食・農のまちづくり』岩波新書2008を読む。量販店の進出で壊れかけた商店街の再生の事例が出ている。そこにこんなくだりがある。「商店街はまちに根を張っている植物で、大型店やチェーン店は獲物を求めて生きる動物です。動物が来て食い荒らし植物を枯らして去っていけば、まちは荒廃します」。そこで動物に食われない植物の育て方がここでは提示されている。結局動物は植物が無くなれば違う場所に移動する。まあ身勝手なものである。しかし行政が動物を招いたこともあっただろうから、動物だけの責任でもない。強い植物を育てようとしてこなかった行政の無能ぶりが今露呈しているとも言える。
11時に軽井沢着。やはり軽井沢は涼しい。学会選集現地審査。3つの建物を見せていただいた。力作である。いろいろとこちらも勉強させてもらった。11時から見て、終わったら4時。再びアサマで長野、研究室へ。明日納品するプロジェクトの最終成果品のチェック。原稿は未だ真っ赤。模型は大分出来ている。

June 27, 2009

反省

情緒障害児短期治療施設の見学に戸塚に行く。クライアントと一緒に向かった施設は50人収容する大舎制である。L字形のパノプティコン形式のものであった。クライアントの目指す小舎制のものとは根本的に異なるものではあるもののこの手の施設の必要機能が理解できた。なるほどこういうことなのか。法が定める機能の意味が理解できた。設計は山下と聞きなるほどそのドライな作りが大手事務所らしい。でもこれではだめだなと感じた。
戸塚から東京へ戻り、朝日の友人と何度か延期になった夕食を共にする。6時に東京で会う予定が、夕刊のトラブルで7時になると言うことで一度帰宅。メールのやり取りをしてから再度出かける。とんかつを食いながら教育論。彼は早稲田卒。僕が早稲田の文化構想学部で教えてることを話すと、面白いことだが、それはカルチャーセンターのようだと批判された。大学とはとんでもなく難しい古典を読む場所ではないかと言う。それはその通りである。もちろん僕も自分の大学ではそうしている。でももっとそうすべきだろうかと少し反省。ゼミでもついポピュラーな本をとりあげるのだが、確かにそんな本はいつでも読める。もっと大学でしか読めないとんでもなく面倒臭い本を取り上げるべきだろうと反省。後期はそうしよう。

k-project再訪

午前中早稲田。今日はグローバリズム⇔ローカリズム、主体性⇔他者性の発表。いつも発表者の学年を気にしてなかったのだが、今日は3年生がいることに気付いた。そして3年生は2年生に比べ格段に大人っぽい。今日は3年生が二人いて一人は安藤忠雄論を通してグローカリズムを展開しもう一人はカフェ形態を通して主体性について話をした。なるほどと思うことしきりである。
午後K-projectの補修工事にうかがう。竣工後初めて。「おかげさまで●●●」といくつかお褒めの言葉をいただいた。出来た当初はいろいろ苦言を呈されていたので、少々安心した。綺麗に使われている。ものは確かに多いのだが上手にレイアウトされている。生きられた家になってきた。しかしまだ二階の廊下にはダンボールが山積み。jtの取材は未だ無理か?
夕方事務所に戻る。打ち合わせ。いつも早稲田の講義の後はぐったりするのだが、今日はあっち行ったりこっち行ったりしているわりには、体力は残っている。模型がいろいろ大分新しくなる。ナカジのスタディは早い。さてどう展開するか?明日は養護施設の見学。今日よりも暑くなるとか?

June 25, 2009

怒!!dynabook

朝からクライアントのオフィスに缶詰。飯も食わずに3時まで。やはり来月あたまに出張は避けられない。手帳を見ると、その日にクライアントが来所することになっているではないか?最近この手の未定予定のところに別の予定を入れることが多い。そして未定予定がやっぱりその日と決まりあわてる。クライアントに電話をして平謝りで日程調整をお願いする。遅めの昼飯をとって事務所に戻る。調子悪いパソコンはやっぱり直りそうも無い。リカバリーするためにデーター移動。まだ買って1年経ってないのに年初にハードが飛んで今回は打っても打っても字が出ない。サービスセンターに聞くも、症状を話すとあっさり「リカバリーしてください」と言う。電話オペレーターに罪はないだろうが東芝には罪がある。もうdynabookは買わない。そんな決意は東芝にとって痛くも痒くもないだろうが、、、、、コンピューターが壊れようが仕事は待ってくれない。データー移動の合間に打ち合わせ。終わってまたコンピューターと睨めっこ。この時間返せ東芝!!!

June 24, 2009

レクチャーシリーズ第一回

朝スケッチ。昨日同様早朝ベッドで思いついたことを描くが毎日うまくいくとは限らない。今日は進まない。10時頃修士入学希望者と面接。終わってサンドイッチを食べながら描きかけのスケッチにけりをつけてスキャン。隣の研究室にはA3スキャナーがある。データーを事務所に送り模型の指示。午後製図第五のエスキス。もうここまでくればエスキスっていう段階でもあるまいと思う反面、実際見ると、「おいおい終わるのか?」とも感じる。数十年前雑誌に載った自分の卒業設計のコメント見ると制作期間2か月と書いてある。こちらは約3か月半。こんなかけてやるものでもないのかもしれない。4時にリーテム中島社長が来校。異分野レクチャーシリーズの第一回。タイトルは「E to サスティナブル」Eはecology energy そして eros  である。つまり生の根源ということ。いきなりクリムト、シーレの絵画論から始まる。工学部の学生にとっては馴染みのないことかもしれない。院生はまだしも学部生にとっては興味がなければ理解不能かもしれない。しかしこの異分野レクチャーシリーズはそもそも工学部学生の狭い視野を広げる目的であり、こうしたレクチャーは本当にありがたい。次回は来月、成実弘至さんである。中島氏と駅で蕎麦を食べアサマに乗車。彼は乗るなりパワポの印刷資料を出して読み始める。宿題と言っていたが、社長業は大変そうである。次なる中国の仕事の始まりは秋だとか、知らぬ間にワーキンググループに入っているようで、協力を約して東京駅で別れる。事務所に戻る。できかけの模型を眺める。雑用を片付け帰宅。

スタディ

昨日は遅かったが目覚めが早い。ベッドの中で昨日のスケッチが頭に浮かびそこに寸法が入っていく。忘れないように大事に大事に反芻し大学に行き描いてしまう。午前中ゼミ。途中T先生と小諸の最終成果品の確認打ち合わせ。昼食を食べ、朝描きかけのスケッチを仕上げ、院生に頼んでスキャンして事務所に送ってもらい模型化するよう指示。あわてて午後の製図エスキスへ。今日は欠席者が10人以上いる。3分の1の欠席は許すし、最後は成果物だからとやかく言わないが、どうもこの大学では人のエスキスを見るという習慣がないのが残念である。終わって夕方再度小諸の打ち合わせ。夕食後研究生との打ち合わせ。SDレビューの締切二日前。事務所から昼に送ったスケッチの模型写真が届く。なるほど、なるほど。こうなるか、まあ予想通り。塩山プロジェクトの模型とスケッチも数案届く。昨日からの流れを把握するのに時間がかかる。可能性を見極めていく重要なところ。いったいこのプロジェクトの決定要因は何か?金か?機能か?デザインか?メールの返事を書いて、やっと今日の義務は終わり。甲府のスケッチを始める。群造形だけではだめであり個々の特質の合計値が必要なのだが、個々の機能がばらばらなだけにその特質を作るのが難しい。

June 23, 2009

アイコン

午前中、学生と打ち合わせしようと思ったが連絡がうまくつかず延期。小田部氏の『西洋美学史』の自然と芸術の章(カント、シェリング)を読む。その後大学院のコメント(小レポート)に評を書き込む。午後講義、そしてゼミ。今日の輪読はユリイカ「コールハース」特集。現実主義の重要性を話す。加えてこの間のラジオで聞き損ねたアイコニック建築の是非を学生に問う。考えて見れば善光寺ができた時これはとてつもないアイコニック建築だったはずである。かつて、権力はアイコンを必要としただろうし、権力は金を持っていた。しかるに現代では権力はアイコンを不要とし、金もない。一見権力ではないところに金はあるし、金がたまるとアイコンになる。あるいはアイコンが集積すると金になる。今日の1時間設計は山川山荘の増築。山本理顕さんの1977年の作品。30年前の建物とは思えない新しさを感じる。夕食後甲府のスケッチ。群れのデザインなのだが、、、、

June 21, 2009

ほうとう

朝A0勉強会メンバーのI君から「本日の訳文原稿です」とメールが届いた。「本日A0??」「しまった!!ダブルブッキング」もう5年以上も毎月続けている勉強会だがダブルブッキングしたのは初めて。手帳に書き忘れている。
朝事務所に行き今日の打ち合わせの重要事項説明書の素案を作り新宿駅へ。駅ネットで買った切符を受け取るのにクレジットカードが必要なのだが、決算用のカードを忘れた。これが無いと切符が受け取れないのだが、緑の窓口の方が親切でカードのデーターを抹消してくれて現金で受け取ることができた。なんだか凡ミスが多い。
切符を買ってスタッフのYさんと会い特急「かいじ」に乗る。甲府は大降りの雨。クライアントのオフィスにはかつての先輩も来ており4人での打ち合わせとなる。RCを前提とした前回案とは異なり、今回は木造を前提としたドライな案である。駐車場の取り方、敷地の使い方、デザインの方向性でかなり突っ込んだ話となった。建築の具体的な話にクライアントを引きずりこむにはこうした振幅のある案を提示せざるを得ない。これで進路が少しずつ見えてきたのだが、さあどうするか?まあこれだから建築は楽しいのだが。
打合せを終えてクライアントが甲府名物「ほうとう」を食べに行こうと言う。最初にお会いしたとき「ほうとう」はうまいものではないと言ったからか、美味しい「ほうとう」を食べさせたいという。甲府出身の学生にも是非食べて欲しいと言われていたので、喜んで御馳走になる。かぼちゃの入ったかぼちゃほうとう。それに白菜のつけものと馬のもつ煮に馬刺し。その昔20年前に食べたものよりはるかに美味しかった。
駅まで送っていただき、Yさんと先輩は東京へ、僕は松本経由長野に向かう。前回同様松本までは中央線の各駅停車である。何とも静かでのんびりとした時間が止まったような2時間である。松本から特急で長野へ。今日は長野も蒸し暑い。

June 20, 2009

山本氏の新作

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午前中山本想太朗氏の新しい住宅のオープンハウスを見に行く。法的には3階建。但し2階の半分に写真のようなロフトが挟まっている。ロフトは最上階と思いこんでいたがこうして途中階に挟むこともできるわけだ。なるほど。これによって階段手前側には天井高3700の垂直性の高い居間が現れている。彼の建物はいつでも技術に裏付けられた堅実なデザインである。見ていて安心できる。行って分かるのだが敷地は新富町の高速道路の脇。うるさいところだが家の中は実に静か。道路側に設備の穴を開けないとか、障子は横引きにしないなど細かい配慮が効いているのである。
丸の内に出て昼をとって帰宅。入浴後テラスで『ソクラテスの弁明関西弁訳』parco出版2009というけったいな本を読む。著者はもちろんプラトン。訳は北口裕康。関西弁である。ギリシャの哲学者とは市民に自分を主張して弁論、説得した人たち。それは哲学者という言葉の持つ現代的イメージとは違うはず。もっと俗っぽいおっさんたちではないか?自転車に乗って駅前でビラ配りながら演説している政治家あるいはその候補者のようなもの。その臨場感を伝えるためには標準語的な固い感じより、関西弁の上方落語のような砕けた感じの方が合うのでは?というのが訳者の考え。標準語訳と読み比べてみると多少関西弁の方が俗人っぽく聞こえるのだが、いかんせん関西弁がよくわからんところもある。
夕食後Sherin, A石原薫訳『サステイナブル・デザイン』ピーエヌ・エヌ新社2009を読んでみた。まあ一般論はともかくとして、リサイクルのための技法(消えるインク)とか、リサイクルによる商品(紙のキッチンカウンター)は昨今いろいろなものが開発されているようで驚かされる。

June 19, 2009

酸素不足

早稲田の講義室は僕の前の講義がいつも満員で入っていくと毎度すごい熱気である。クーラーはあるから温度は下げられるのだが、換気扇がついてない。窓は2重窓で開かない(開けようと思えば開けられるのだろうが、どうも慣習として開けない)。そのせいか息苦しい、終わるとぐったりである。事務所への帰り道は都営新宿線の曙橋の地下ホームから地上に出てさらに階段をかなりあがりやっと事務所に到達する。事務所に着くと息切れする(だらしない)。午後仕事をしていると、「そこにいるのは坂牛さん?」と声が聞こえて振り返ると宇野求さんだった。宇野さんの双子の兄弟が僕の高校の先輩だそうでびっくりした。伊藤君に会いに来られていたようでしばし話をされて帰って行った。
夕方コーヒー片手に外に出ると研修生のガレスがタバコを吸っていた。ここ10年くらいの間でタバコを吸っている外国の知り合いを見るのは初めてである。タバコはアイルランドでは1200円くらいするそうで日本のタバコは安いと喜んでいる。
夜はスケッチ、打ち合わせ。日曜日のプレゼンの模型がだいぶできた。農家のようでもあり、兵舎のようでもある。ユーモラスなようでもあり、いかめしくもある。屋根の形一つでイメージがどんどん変わる。不思議なものだ。スケッチの合間にとあるアトリエで働く知り合いから電話があった。仕事がハードで家に帰れないと嘆いている。帰れて週に2日だそうだ。妹島事務所に勤めていた後輩も同じようなことを言っていたのを思い出す。精神的に参っているようなのだが、ここで辞めると苦労が水の泡である。もう少し頑張ってみればと元気づける。でも凄まじい事務所もあるものだ、もう少しスタッフを増やせばいいのにと思わなくもない。

June 18, 2009

ウィーン工科大学で都市型木造建築の研究をしているTさんと新宿でランチ。捨てられる木を建築に有効利用する可能性を教示いただく。彼女の先生はウィーンで中高層木造建築の可能性を追っているそうだ。そんなわけで彼女は日本とウィーンの木造建築の法制度の違いを調査中で一時帰国している。なるほど聞いていると今までただ漠然と木造建築は難しいと思っていたことが、もう少し具体的に理解できてきた。一番の問題は構造強度ではなく、可燃性にあるようだ。ならば木を耐火被覆すればいいではないかと考えると、せっかくの軽い木が重くなるし、木が見えないのだからそれは無意味。まとめると木を使うモーチベーションは①感性(五感)への訴求力②構造的な軽さ③環境性④世の中の無駄をなくすということとなるようだ。さてそう言うことが分かったからと言って明日から木を大々的使えるわけでもない。木はまだまだ高いのである。木の流通改革が必須である。
事務所で塩山プロジェクトの打ち合わせ、甲府同様こちらも可能性は尽きない。いつもそうだが、Aから始まりそのバリエーションをA-1A-2とつけていく。今日の打ち合わせでAとDはやめ。B-2、E-2E-3を検討。更に今まで検討しいなかった4階建を考えることに、これはPから始めるP-1P-2を検討することに。都市型住宅だとタイポロジーはA,Bくらいでそれが延々と1,2,3,4,5、となるのだが、土地がゆったりしていると、タイポロジーが無限に増えていく。

June 17, 2009

課題のエスキスで元気

10時から小諸プロジェクトの打ち合わせ。11時から大学院入学希望者との事前面接。昼から再びプロジェクトの打ち合わせ。ドーナツをかじり、2時頃製図の第二次発表会へ。構造デザイナーを志望しているのT君のスタディが素晴らしい。建物はサービスエリアにホテルが付いたもの。大空間である。当初はありきたりのシェルのようなデザインで「こんなの全然面白くない」と言っていたら、全く新たな大空間構造を考えてきた。どこかで誰かがやったことがあるのかもしれないが、少なくとも僕は見たことがないし、構造が空間の柔らかな分節を作り出している点でもとてもリーゾナブルである。こう言うスタディみると元気がでるなあ。更なる発展が楽しみである。終わって夕方のアサマに乗る。『西洋美学史』の続きを読む。アウグスティヌスとトマス・アクィナスを読んでいたら眠ってしまった。中世は哲学も美学も僕の中では空白地帯なのだが、もちろん何もなかった時代ではない。アウグスティヌスは「期待と記憶」がテーマ。このテーマはバウムガルデンに引き継がれ、受容者の期待にこたえる作品が称揚される。そしてさらにそれは20世紀受容美学に受け継がれ、ヤヌスは期待との距離に芸術性を見出している。つまり否定性の美学である。トマス・アクィナスのテーマは「制作と創造」。言うまでもなく中世、創造は神の手にあり、人の能力は制作でしかなかった。デカルトも神の連続的創造を唱えそれを批判的に読み換えたのはベルククソンだそうだ?その前にはいないのかな??
東京駅丸善で本を宅配。事務所に戻る。ガレス君に会おうと思ったが今日はすでに帰ったようだ。甲府プロジェクトの打合せをし、メールチェック。松田達さんからメール。art spaceというページに拙著のレビューを書いてくれたとのこと。ありがたいことだ。http://artscape.jp/report/review/author/1192005_1838,1,list1,2.html

小田部さんの近著

修論ゼミ、飯、3年製図、飯、研究生ゼミ。先日学兄小田部胤久氏から送って頂いた近著『西洋美学史』東京大学出版会2009を読み始めた。始めの言葉に書いてある通り、この美学史は一般のそれとはかなり異なる。先ず美学史というタイトルであるがこれは芸術の理念史であること、さらに叙述の方法は芸術理念の流れを構成する理路に着目した「人」の選択となっていること。更にその「人」の全貌を明らかにするのではなく、その流れに必要な理論のみを抽出していることである。未だ2章であるが、その着目点の差異を明確に感じるし、その流れの深さは新たな歴史の断面を見せてくれる。また小田部氏の記述のスタンスはいつもながらこの手の書では類を見ない丁寧なものである。美学芸術学の素養のないものでも何の苦労もなく読める。建築学科の大学院の教科書にしても全く問題ないだろう。来年は使おうかな?少なくとも後期のゼミ本にはしよう。事務所からのメールチェック。膨大なスケッチ、写真、図面。一つのプロジェクトはまだ可能性の探求段階なのでとにかく可能なスタディを伝えるのだが、、もう一つは今週末プレゼンなだけに時間を勘案してデヴェロップする切り口が必要である。少し考え込んでしまう。そうこうしているうちに2時。

June 15, 2009

像は語る

朝の会議がことのほか長い。終わって昼までの間に構造のI先生と小諸プロジェクトの打ち合わせをする予定なのに。どんどん時間がなくなる。I先生とは学会の木質バイオマス特別委員会でご一緒させていただいているので、この計画も木でいけるかと打診するのだが、話していくと、コストで挫かれる。こいつを下げる方策が無い限り建築材としての木の一般的な普及は難しい。
午後講義、終わって教員会議。会議後ゼミの様子を見に行く。今日は『生きられた家』だが皆難しそうである。難しいから読むのであり、簡単な本ならゼミで読むまでもない。最近ゼミの最後にちょっと面白い1時間設計をやっている。基本的に二つの住宅のプランを暗記させておいてそのどちらかを題材として、それを増改築する。今週は梅林の家の家族を3人にして内部を自由に改築し、かつ4階建てに増築せよというもの。妹島さんの空間を換骨奪胎してその形式を用いながら自分のものとせよという課題である。もちろん1時間で仕上げるのにはかなりの力量がいる。しかしなかなかの瞬発力が鍛えられる。
夕食後その図を採点。その後WEB上の大学院講義レポート読み、その感想と新たなレポート課題をWEBに書き込む。これが結構時間がかかる。終わって事務所から送られてくる図面をプリントアウトしてチェックする。今日から来たガレスというアイルランド人の研修生のスケッチも入っている。おーいきなり与えたテーマに対してのスケッチにしては上出来だ。CAD図を見ながら空間トレース。エネルギーがいる。自分でアクソメを描きながら前回の打ち合わせの内容が出来上がっているのか?できてないところはなぜそうなっているのかを読み込む。いくつかの指摘をメールで返す。やっと今日の仕事は終わり。読みかけの『動的平衡』読む。生命とは生命を構成する分子の流れがもたらす「効果」である。という一文が印象的だ。これはカルテジィアンによる機械論に対するアンチテーゼの一つである。もう一つのアンチテーゼは像もクジラも豚も感情があると言う仮説。これもなんとも感動的な話だ。とある国で絶滅寸前で最後の一頭となった像を追跡した学者が断崖絶壁の海辺でその像を発見。像は沖で潮を吹くクジラと低周波で語り合っていたそうだ。像はもちろんすべての哺乳類に感情があると僕も思う。

June 14, 2009

磯崎のイタリア

朝の電車で長野へ。助教のHさんの結婚披露宴。善光寺そばの藤屋というホテルで行われた。江戸時代の御本陣、今の建物は大正14年にできた和洋折衷建築。その後もリニューアルされインテリアはスケールが小さくインティメットな空間になっている。始めて中に入ったが気持ちよかった。終わって研究室に戻る。雑用をしばらく片付けてから、カサベラの日本語版を全部引っ張り出してきて磯崎さんの対談記事を通して読んでみる(全10回)。送られて来た時は目次と表題程度しか目を通していなかった。昨日小巻さんにお会いして、ああきちんと読まねばと反省した。テーマはイタリア。ルネサンスからバロックへの建築美術の流れである。対談で歴史が語られると、ゴシップ的な話題がちょくちょく入ってくる。あっち行ったりこっち行ったりするのだが、それこそが人の世である。一人の人がとうとうと語るより対談は時代が広がりを持って見えてくる。アントロポモロフィスム(人体像形象主義)こそが15世紀の発見であり、これは近代にまで引き継がれ、そして解体されつつあると磯崎が言う。こんな発言は歴史家にはできない。歴史家が書く歴史と制作者が書く歴史は見方が違う。今翻訳中のヒューマニズム建築の現代的意義が多少鮮明になるか?

June 13, 2009

メビウスの輪

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9時頃かみさんと家を出て国立新美術館へ。開館前で裏口から入れてもらう。建物は何でもそうだがいつも見られない裏導線に入ると興味ぶかい。ここは公募展が多い美術館なので裏動線には延々と審査室が両側に並ぶ。油絵の匂いが立ち込める。かみさんの書展を見てから隣でやっている野村仁の展覧会も覗くhttp://ofda.jp/column/時間の空間化は興味深い。美術館でサンドイッチを食べ六本木まで歩く。今日は夏のようである。日比谷線から東横線に乗継ぎ妙蓮寺へ向かう。前田さんのオープンハウス。彼とはちょくちょく会うが、建物を見るのは初めて。模型のとおりメビウスの輪である。全体感は模型でないと全く分からないが、空間の連続感は入ってみないと分からない。仕上げが内外共にFRPの白というのが内外の曖昧さを強調する。木造だというのも驚きである。小巻さんに出会う。前田さんと3人で夏の日差しを浴びながらテラスで会話。谷内田さんが訪れた。彼も構造に興味ありげ。何故RCではなく木造なのか?前田氏の答えはRCの型枠が精度よく作れないから。むしろ木造なら形を切った貼ったできるのだという。まあそうかもしれない。小巻氏と2人でお暇する。帰る道すがら彼が日本版の編集をするカサベラの話となり、磯崎さんの知識量の凄さに2人で感嘆。そして話はユリイカコールハース特集に。コールハース以上に磯さんは建築言説コンテクストをサーフィンする天才であり、コールハースに正攻法でぶつかるほど空しいことはなく、そうしたズレまくりの淋しい文章もあそこにはあると彼は言う。僕は読んでいないがまあ想像はできる。

お疲れさん会

朝、我が家の空調機が壊れて管理人を呼びチラーを見てもらう。さっぱり冷房が効かない。どうも屋上のクーリングタワーからの水が流れていないらしい。フィルターの清掃をしてもさっぱりである。午前中早稲田の講義があるので今日はもう終わり。後日また見に来てもらうことする。早稲田にぎりぎり到着。2コマ目の講義をして事務所に戻る。1時半にアイルランドからのオープンデスクの学生の面接。アイルランドに4つしかない学位授与ができる大学の一つであるアイルランド工科大学の学生。アイルランドの人口は400万人。東京の半分足らず。卒業後どうするのか聞くと、アイルランドで就職するつもりはないとのこと。仕事が無いらしい。世界の経済状況は厳しいようだ。ポートフォリオの説明を聞いたが、なかなか面白い。来週から来てもらうことにする。午後甲府と塩山の打ち合わせ。この仕事を始めて2か月経つがまだ実感の湧かない場所がたくさんある。とにかく本物の見学をしなければ。夜、中国から戻ったナカジのお疲れさん会を坂牛チームのメンバーで行う。いろいろ話を聞くと中国の仕事を1年半やって恐ろしく人生感が変わったようである。世の中はもっといい加減で成りたっている、いや成り立つべきである、そしてその方が人の為だろうというのがそこから感じたことのようである。妬ましいほど感受性が強い。人間はこうあるべきなのだろうか?考えさせられる。

June 11, 2009

暑い

朝は雨で肌寒い。午前中事務所で打ち合わせ、塩山のプロジェクトは中国帰りのナカジに先ずは手を動かしてもらうことにする。午後はWプロジェクトのクライアントのところへ打ち合わせ。3案持って行き方向性は出たのだが、クライアントは同じプロジェクトをプレファブメーカーにも案を作らせているとのこと。僕の最も嫌いなパターンだがまあ仕方ない。ここまでの費用は基本設計料の日割り計算で戴くことを確認して、とりあえず6月中は正式ゴーをもらうまで仕事はストップすることでお互い了解。事務所に戻り雑用。アイルランド工科大学の学生からオープンデスク希望メールが来ている。既に藤本さんのところで4か月オープンデスクをしていたようである。ポートフォリオがすっきりしていてなかなかいい。甲府、塩山の模型をたくさん作りたいのでちょうどいいタイミング。明日会えると返事を出す。今日は朝方雨で肌寒かったが午後から気温が上がり蒸し暑い。レイアウトを変えてから事務所の下の階の窓が開けずらくなったせいか室内が異様に暑い。帰宅後、福岡伸一『動的平衡』木楽舎2009を読む。こんなに分かりやすくていいのだろうか、生物は?昔は大嫌いな科目(つまり最も成績の悪い科目)だったのだが。

June 10, 2009

電車の遅れ

今日は1時から金沢で学会選集の選考会。直江津まで2時間、直江津から特急で2時間の予定。しかし予定どおりいかないのが田舎である。8時20分に乗った列車は黒姫駅の手前で止まった。妙高高原で人身事故らしい。50分遅れで直江津に到着。予定していた特急に乗れず、次の特急は1時間半後。仕方ないので直江津の街を歩く。このあたりは市街地空洞化なんてもんじゃない。歩くのが不気味なくらい人がいない。スナックの看板が空しく朽ちている。早めの昼食を食べて駅に戻る。ところがずらした特急がまた遅れている。今度は金沢駅構内で車両故障らしい。ふー。金沢に着いたのは2時。長旅だなあ。結局1時間半遅れて学会へ。2時間半ほど投票、議論を行い、現地審査対象を決める。私の担当は3作品。設計者に電話をし、審査日を決める。最後に来たにもかかわらず、5時17分の電車を予約しており、最初にお暇する。列車は直江津から越後湯沢に向かう。ところが、この特急がまた突然止まった。踏切遮断機が折れてそれを轢いたらしい。30分ほど動かない。またもや越後湯沢で乗り換え予定の新幹線に乗れない。こういうシステム不全のいい加減な世界に放りこまれるとあああ遠くへ来たなと実感する。
車中、宮台真司『日本の難点』幻冬舎新書2009を読む。先週の朝日の書評に取り上げられていたがそこで評価されているほど面白くはなかった。彼の知識量と周到な論理は切れ味するどいし、ミヤダイ独自の経験と実践がその主張に厚みをつけているし、加えて、彼のここでの根本的な主張である、「普遍主義の理論的不可能性と実践的不可避性」には共感する。さらにもっと言えば、自己決定性を標榜する彼のもの言いは危うさを感じるほど小気味いい。でもなぜか感染力がない。彼は教育というのは教育者の利他的な本気が生み出す感染力だと言っている。そのことに僕はひどく感銘し、共感するのだが、きっとミヤダイの言説にはまさにこれがない。もし面と向ってそれを言えば彼は5倍の反論をしてくるのだろうが、そう言うだろうと思わせるところがすでに彼の言説の足りない点なのだろう。

June 9, 2009

エスキス、エスキス

午前中ゼミ。午後製図。3年生前期後半課題の課題説明と現地見学。現地は大学から5分の公園。今日は天気も良くピクニック気分である。公園の芝生に寝転がる。人なつっこい飼い犬が走り回っている。学生は残し大学に戻る。昨日の小諸プレゼンを受けての修正追加の打ち合わせ。構造の先生と構造概要を作る予定がその先生が体調不良で今日は休み。設備の先生に省エネ計画をたててもらうべく説明。終わって夕食。7時から研究生T君の自宅プロジェクトのエスキス。続いて4年の製図のエスキス(明日は学会の審査で金沢に行き、製図に出られないので今晩エスキスをすることとなった)終わると11時。事務所から送られたプロジェクトの図面をプリントアウト。激しいプラン。模型を見たいものである。新たなプランの指示を言葉で送る。伝わるだろうか??

場所

朝一で小諸へプレゼンに行く。学生は10人余り。9時から2時間。先方はこちらのプレゼンにほぼ納得。あと一か月で纏めることなのだがまだ詰めることはいろいろありそうである。昼に研究室に戻り午後大学院の講義。それが終わってゼミ。今日の輪読本は丸田一『場所論』NTT出版2008.21世紀のメディア論である。前回の大澤真幸の『電子メディア論』に続く本として選んだものである。数年前に読んだのだがだいぶ忘れていた。ここにもヘテロトピアのことが書かれている。世界のヘテロトピア化を認め、ウエッブの匿名性が世界を均一化するのを認め、しかし地域の場所性を復活(維持)するにはどうしたらよいのか?考えさせられる。

June 7, 2009

甲府~塩山~長野

8時のあずさで甲府へ。最近土日が仕事で埋まり、いささか体力切れである。車中熟睡。甲府は快晴。太陽はすでに夏である。クライアントから「今日は一日空けておきます」と事前に言われていていたので、長くなりそうな予感。スタバで一服し目を覚ましタクシーでオフィスへ。10時から打ち合わせ。スタッフのYさんと役所打ち合わせの経過、新しい案のゾーニング、細かなプランを説明。複雑な機能に僕らの知識はまだ追いついていない。なにせ山梨県でも最初の施設。県の担当もよくわからないようなもの。そのイメージはクライアントの頭の中にしかない。それを引き出すのが一苦労である。昼食後。クライアントの車で塩山に連れていかれた。今では合併して甲州市という名に変わった場所。武田信玄が敵に送った塩を採取したところらしい。ここにある施設の建て替えにも力を貸してほしいとのことでその学園を訪れる。築40年のその建物は確かにかなり痛んでいる。中も凄い状態。これがRCの建物かと思うような姿である。こちらの施設は甲府のそれよりシンプルなので学んだ知識で理解可能な範囲だが、敷地が800㎡位しかなく窮屈である。さてどこまで何ができるだろうか?お暇したのは結局夕方。甲府まで送っていただく。Yさんと駅のカフェで打ち合わせ。7時半に彼女は東京へ、僕は松本へ向かう。車中やはり熟睡。松本から鈍行で長野へ。車中読みかけの『日本のこどもの自尊感情はなぜ低いのか』を読み終える。世界の子供に比べると日本のこどもはかなり精神的に疲弊している調査結果がある。その原因の多くは親に負っている。「こども問題はこどもだけを見ていても解決しない。親も含めてセットで考えないと再生産される」とクライアントが言っていたことがそのままここに書かれている。大学に行き作成中の明日小諸でのプレゼン模型とコンセプトペーパーチェック。

June 6, 2009

八潮ワークショップ

今年度最初の八潮ワークショップは住宅スクール。これから家の建て替えを計画している市民を募り5大学の学生が相談にのるスクールである。受講生は全部で8人。生徒一人に先生(学生)2人で対応である。11月までに4回のスクールを開き模型と図面を作り上げようというものである。信大は二人の生徒さんと対応。一人の方の予定敷地(つまりは今住んでいるところだが)を車で見に行く。広い敷地。代々八潮にすんでいる方のようである。スクール中は元気だったが途中からお腹が痛くなってきて調子悪い。帰りは皆のお誘いを断り帰宅。

June 5, 2009

Dの会

午前中早稲田の講義。学生発表第2回。講義のテーマを元に街に出て写真を撮ってそのテーマを掘り下げて一人10分の発表。前回よりも面白いものが多くなった。前回はちょっと物足りない気がしたが、文化構想学部の学生であるし、2年生だと言うことを考慮すればやはりいい勘しているのかもしれない。昼飯をとって次のクライアントとの打ち合わせ。天津でサスティナブルシティの街づくりをしたいとのこと。大きさはと聞くと、23区より大きいとのこと。まあ僕には手に負えないが夏にミーティングに行くことを請け負う。中国がこれからどうなるかは読めないが、国は主要都市の体裁を崩すことはないようだ。事務所に戻り打ち合わせ。夜はとある食事会。日建時代の仕事のクライアントとゼネコンと今でも続いている食事会。会の名はDの会。プロジェクトの頭文字をとったものである。集まったのは某生保、某商社、某ゼネコンである。18年前の仕事だが、毎年何かしら理由をつけてはお会いしている。クライアントやゼネコンとその立場を越えて飲めるのは実に痛快である。彼らは今では設計本部長であったり、子会社の取締役であったり、引退したり、立場はいろいろである。しかし今ではそういう利害関係なしに勝手なことを言える仲である。その昔、ニューヨークのマリオットのバーで「責任をとれ」と怒鳴られた。ボストンのリッツカールトンのバーで2時まで机をたたきながら議論して追い出され、続きをとある人の部屋で飲みあかし彼の部屋の冷蔵庫の酒を全部飲んだ挙句、激論で彼にワインを浴びせ、怒りとどまらず彼のカメラを部屋から放り投げた記憶もある。とにかくこの人たちとの仕事は僕にとっては忘れられないものである。一生の仲であろう。2次会にも行きたかったが明日も早いのでこそっと抜け出し帰宅。

June 4, 2009

ショック

最近学外の大学院入学希望者からのメールが続く。少しは信大の建築学科も知られてきたということだろうか。ポートフォリオを見ないと何とも言えないが、院の入試が競争的になるのは結構なこと。質もあがるのではなかろうか。午前中雑用をこなし、午後打ち合わせに行く。前回同様早く着いたので近くの公園ベンチで図面を見ていたら法的に間違っているところを発見した。ショック。クライアントには正直に間違いを言いながらその場で新たなプランを書いて見せたものの、ちょっと恥ずかしい。こんなことは初めてである。
昨晩ベッドで古荘純一『日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか』光文社新書2009を読み始めた。事務所に戻る電車で続きを読む。タイトル通り、日本の子供は自尊感情が低いとのこと。その主たる原因は大人によるこどもの人格neglectのようである。ではその対処は?こどもの言うなりに甘やかせばいいというものではもちろんない。こどもをいい加減に扱わないということのようである。これを読みながら、昨日の「コロニアル問題」が頭をよぎる。スピヴァクの言う「戦略的本質主義」なる不平等解消の方法を思い出す。それは相手も自分も同じ人間であるという本質を再認識するという忘れかけた当たり前のことである。発展途上国の貧困層であれ、訳の分からぬこどもであれ相手は自分と同じ「人」であることを思いおこすこと。そして彼らとがっぷり四つに組んでやること。これが基本なのであろう。僕のような母子家庭寸前の家でも、短い時間とはいえしっかり相手の言うことを聞いてやると、こどもは溌剌とした表情を見せるものである。オヤジとして落第生であろうとも、できる限りのことはしなければならない。
こんな力んだ気分の時に限って遅く帰ったオヤジにタイミングよく娘が相談事をしに来たりする。うっ。ゆっくりビール飲んで新聞でも読もうと思っていたが諦めて話始めると1時になってしまった。

June 3, 2009

信州サーモン

午前中小諸プロジェクトの打ち合わせ。おお!分析資料が実に良いできになってきた。この資料は街の観光案内所にでも置いてもらうような「街の味わい方ガイド」のようなしつらえにしている。ウマヘタパースなど入ってユーモラスな雰囲気である。一方建築デザインはなかなかまだ悩ましい。考えている途中で時間切れ昼。今日は午後の製図エスキスを終わらしてすぐに帰ろうと思っていたが、製図室に戻り模型を見ながらスケッチ再開。担当の院生にそれを渡し模型作成の指示をする。
長野駅で初めて見る「信州サーモン」弁当というのを買って夕方のアサマに乗る。信州でサーモンって採れるのだろうか?まあ理屈はともあれ、味はというとこれが結構うまい。脂がのっていてとろけるようである。1000円は高いが、やたら高い駅弁が多い中、まあ納得のいく駅弁である。
車中『ポストコロニアリズム』の続きを読む。インド生まれでアメリカで教えるスピヴァクの紹介がされている。その彼女の思考の集大成が『ポストコロニアリズム理性批判』なる本らしいのだが、そのポイントの一つとしてこんなことが挙げられている。昨今のポストコロニアリズム理論はスピヴァク自らを筆頭に、ポストコロニアルな主体(=脱植民者)がコロニアルな主体(=被植民者)の情報を提供をしている。サイードの『オリエンタリズム』ではこの情報提供者はあくまで植民地宗主国の知識人であったことに比べ一歩踏み込んだ観察である。さらにこのポストコロニアルな主体は現地生まれであるから植民地文化をよりよく知っているという危ない思い込みに流れる傾向を持っていると指摘する。なるほど世界のグローバル化とはこうした情報発信の輻輳化をも生み出すわけである。
事務所にたどり着く寸前で足を挫いた。癖になっている左足首である。あまりの痛さに事務所の床に倒れる。キッチンから出てきたYさんの「わっ!!」と驚く声が頭の上を通過する。

講評会

朝9時から製図の採点をして午後の講評会の発表者上位30名を選ぶ。20人くらいは毎度あっさり決まるのだがそこからはどんぐりの背比べである。10時からゼミ。12時前に終えて急いで昼食。今日の講評会のゲストクリティーク城戸崎和佐氏から電話。課題の敷地にいるとのこと。なんと敷地を見てから来てくれた人は初めてである。感謝。12時半から彼女のショートスライドレクチャ。アーティストとのコラボワークと彼女の自邸を舞台にした30分の映画を見せて頂いた。名前は知らないが有名な俳優が3人も出ている。「いい建築を作ると有名人が集まる」とのこと。彼女らしい発言である。1時半から講評会。実力伯仲のいい作品が多い。上位5名くらいは彼女とほぼ同じ。その中からそれぞれの賞と佳作を選ぶ。毎回思うがゲストを呼ぶ楽しさは彼らが何を評価するかその評価基準を聞くこと。彼女とは学生のころからの仲だが、その好みは変わらないことが良く分かった。なるほどね。終わって打ち上げ。最終のアサマで彼女を見送る。昨日あまり寝ていないせいか今日はふらふら。

June 1, 2009

ポスコロ的建築態度とは?

午前中角窓の家に行く。不具合のチェック。打ち放シリコン塗装は今のところかなりきれいである。庭は奥さんが手入れしてどんどん良くなっている。室内もとてもきれい。ありがたいことだ。午後事務所に戻りプロジェクトの打ち合わせ。粘っこく打ち合わせしたいのだが、どうもこちらのanticipationにはまらない、、、、、、。夕方南洋堂へ向かう。建築ラジオなるものの収録。テーマはコールハース。パネラーは柄沢さん、勝也さん、南後さん、僕。コメンテーターは堀井さん。司会は松田さん。南さんと五十嵐さんと山田さんが企画者側として聞いている。こうやって話すと、ああこの人こういう人なのねということがよく分かる。柄沢さんは会ったことはあったがゆっくり話したのは初めて。「コールハースの空間図式」について語る。彼はどんどん建築を現代思想に関連付けていく。そのうち抽象化された概念が一人歩きし建築が見えなくなる。勝也さんのテーマは「批評性からスクリプトへ」。ヨーロッパ時代とアメリカ進出後を比較したタイトルだ。南後さんはよくお会いする。シチュアショニストの専門家なので今回も「シチュアショニストを編集するコールハース」というテーマ。垂直性と水平性というキーワードに司会の松田さんが反応。それを堀井さんが、「コールハースは自分を煙に巻く種をあちこちに蒔いているのであってそれにひっかかってはいけない」と諫める。松田さんはそうは言ってもという感じで徹底してコールハースを抽象化した概念で串刺しにしたいようである。僕は煙もコールハースだからそれを全部引っ剥がす必要はないと思うが、その煙を建築と別次元でまくし立てても無意味だと思う。最後は僕のテーマで「コールハースとスペクタクル」について語り皆の意見を聞く。南後さんには特にコールハースはシチュアショニストから何を得たのかを聞きたかったが、皆が話を自分の領域に引き込むので議論にならない。時間も少ないしまあ仕方ないか。終わって急いで東京駅へ最終のアサマに飛び乗る。車中、本橋哲也『ポストコロニアリズム』岩波新書2005を読む。本当は今日のラジオの前に読もうと思っていたのだが、読む暇がなかった。この本はコロニアリズムの原点として、コロンブスの話から始まる。そして植民地化の原則としての国語の重視、新たな土地で国語を強要するレケリミエント(催告文)という文章、征服者の言葉をしゃべらない人間の罰などが続く。これを読みながら、一昨日の中国での完成検査を思い出した。この仕事では徹頭徹尾中国との文化ギャップを感じてきた。そして振り返ってみれば、われわれは常に日本のやっていることが正しく、日本の水準が上であるということを疑わなかった。しかしこのレキリミエントを読みながら、もしかするとわれわれの行為もこれに近いのかもと頭をかすめた。日本の価値基準(言葉)を前提として、その言葉を話さない中国施工者は我々に服従する意思がないものとして罰せよと思っていたのでは?検査前にcctvの現場状況をユリイカで読み自分の現場と同様であることに勇気づけられ、圧倒的に自分たちの正しさを疑わなかったのでは?ペンキの塗り方にむらがあってもプラスターボードがまっすぐ張れなくてもそれが何か問題だろうか?と疑問を持つことは無かった。契約上の行為だから違法性があるわけではもちろんないもののこれでよかったのだろうか?と少し考えてしまう。しかしでは我々は中国の言葉を語ることがポストコロニアリズム的な建築行為だったのだろうか?コールハースのやっていることは間違いなのだろうか?そこまで言わずとも、そもそも日本や欧米の技術を前提にして設計していることが間違いだったのだろうか?確かにラオスで小学校建設の手伝いをした時は、彼らに何が作れるかから考え始めていたのだから。少々考えるのに時間がかかりそうである。