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May 31, 2009

東京はひどい雨

7時に劉さんの車に乗る。プードンまで院の講義「言葉と建築」のコメントを読みその感想を打ち込む。車は立派なのだが、道が悪く振動が激しい。僕のコンピューターは振動が大きくなるとハードディスクが自動的に止まる。打ち込み途中で頻繁に入力がとまる。8時過ぎにプードンへ。少し買い物をして10時に乗機。機中、マーク・ウィグリーの「量の歴史を目指して」を読む。建築を量の歴史で語ろうというもの。建築理論それ自体が余剰を支配する歴史。確かに経済的にも見た目にも余剰は表現の基本原理である。しかし建築家像の始まりであるアルベルティは建築の代わりにドローイングという建築の非存在をあみだし。つまり建築家は殆ど無価値なことをすることを約束することで建築家になったというわけである。アルベルティの美の定義である、何も加えられず、何も取り除けない状態が示唆する通り、建築家のゴールとは不足も過剰も避けることにあり、モダニストは量の計算を正当化し、データーとチャートの論証法を強調した。さに彼らの夢はエンジニアとアーティストの合体。フラーが前者、ミースが後者を体現した。そしてミース以来、量と表現性(芸術性)の関係は簡単な言葉に表されるようになる。ミースのless is more, ヴェンチューリの Less is not more, less is a boreコールハースのmore and more is moreなどである。しかし結局、少ない多いはもはや表現の実態として差がなくなっており「ほとんど無い」ということが「ほとんどすべての実質」に再びなるであろうと予言して終わる。つまり表現の根源に余剰は不可欠としてもその表れが必ずしも余剰でなくとも良いというわけである。むしろデコン支援者であったマーク・ウィグリーがミニマリズム応援であるかのように読めるのだが、、、東京はかなりの雨である。成田からリムジンで東京へ、帰宅後溜まったメールチェック。

May 30, 2009

完成検査#2

朝8時にクライアントの部屋で今日の作戦会議。工期の遅れと直らないダメ工事にどう対処するかを話し合う。現場に移り、10時から夕方6時まで100カ所位のチェックを行う。ほとんどが塗装とシールと疵である。まあ日本の現場と変わらないのかもしれないのだが、とにかく現場が汚い。完成検査の時は現場はぴかぴかなものだろうがここはどろどろである。おかげで服はもう埃だらけ。こちらは汚れないものと予想してたいして替えも持ってきていないのに、、、、とほほである。最後は結局日本と中国の文化の差ということになってしまうのだが、それでは検査の意味もない。一流の所長になりたければもっと上をめざせというような教育的指導でとにかく直させることを約束させる。中国はこんなことずっとやっていていいのだろうか?世界の文化の発祥地はもっと誇りをもってモノづくりをして欲しいものだ。終わってクライアントに誘われ羊料理を食べ、ドイツ人町でビールを飲

May 29, 2009

さらに新たなるラオコーンに向けて

今日はひどい雨。早稲田に出かけるのについタクシーに乗る。講義の後ミルクスタンドでパンを頬張り事務所に戻る。新しいエスキス模型を前に打ち合わせ、相変わらず難しい。5つくらいのビルディングタイプを同じリズムで作るのはなかなかの難問。終わって急いで東京駅へ。3時半の成田イクスプレスに乗る予定だったが着いたらなんと成田方面が大幅に遅れ。この大雨が原因かと思い気や電車の故障だとか。天災ならまだ許せるが列車の故障とは、、、とほほ。乗る予定の列車は運休。予約をキャンセルしなければならないのだがon lineも故障だとか。とにかく日暮里に回りスカイライナーで成田へ。なんとか50分前に着いて滑り込む。今日はANA。いつものCHINA AIRとは違い快適だし機内食が美味しい。機内でアンソニービドラーの「建築の拡張された領域」(Anthony vidler ed. Architecture between spectacle and use 所収)を読む。レッシングの『ラオコーン』に始まり、グリーンバーグの「新たなるラオコーンに向けて」を踏まえしかし建築の領域は曖昧という認識の上でヴィドラーなりの建築の特質分析が展開される。その中でヴィドラーはクラウスの「彫刻の拡張する領域」を引きながら本来歴史や場所のモニュメントとして存在していた彫刻が領域を拡張してノマドな状態となり、さらには場所性を保持した非彫刻的なものへと展開したこと。加えてそうした非彫刻がaxiomatic structure(原理的構造)を生み出したことをあげそれが建築と彫刻の共有領域を生むことになったのではないかと指摘する。そうした彫刻の建築への侵入という歴史的経緯を踏まえヴィドラーは現在の建築領域に見られる4つの原理を示す。1)ランドスケープの概念、2)生物学の類比、3)プログラムの新たなコンセプト、4)建築固有の形態探索。更にこれらが(特に4が)コンピューター技術の進歩により飛躍的に前進し、そして、この技術が下手をすると唯のフォルマリスト支援の悪しき道具の如く断罪されるのだが、うまく使えばモダニズムが生み出した様々な問題解決の糸口ともなるであろうことを指摘する。そしてクラウスの指摘した「彫刻の拡張領域」が「建築の拡張領域」を用意し、このオーバーラップした建築と彫刻の共有領域がそれぞれの領域の境界を曖昧にしたり取り除いたりするのではなくむしろ真にエコロジカルな美学を生み出す新たなヴァージョンを作り上げるのではないかと結ぶのである。
最後の結論に至る論理展開は論理としてはあまり説得力がないし、建築が寄与するところは何も「エコロジカル」な美学だなんて妙に倫理的である必然性はないと思うのだが(ヴィドラーは結構真面目な批評家なんだ)、直観的には腑に落ちる。その理由はよく考えないと。プードンに着くと。防菌服とゴーグルで完全武装した検疫官が乗り込んできて赤外線温度探知機のようなものを額にあて乗客全員の体温を計って降りて行った。今日は遅いので白タクでプードンからタイソウに向かう。夜は高速が空いている。1時間ちょっとでホテルに着いた。

May 28, 2009

携帯

ついに壊れた携帯の機種変更をしにsoftbankへ。iphoneにしようかと思ったが、おしりのポケットにいれるには少し大きいのでsamsungの小さい機種にした。cpuを持ち歩く身にはもう一台小さなcpuはいらないような。もう少しすごいのがでたらまた考えよう。会計士さんから決算の質問がメールされる。面倒くさいので電話する。最小限の質問に応え「後は社長に聞いて」と言い残し、電話を切る。二つのプロジェクトの打ち合わせをしてから蔵前に横溝さんのやった集合住宅を見に行く。なかなか面白い。事務所に戻りユリイカコールハース特集を読む。コールハースを語るのは苦痛以外の何物でもないという南さんの文章に笑った。なるほどね。その気持ちは分からないではない。今更なにをとは僕も思う。

May 27, 2009

景観賞ツアー

2時間仮眠。寝坊せずに市役所へ。マイクロバスで昨年の景観賞建物の見学ツアーに行く。役所が参加者を募って年2回やっている。去年から審査している手前、解説を頼まれている。解説と言っても建築好きの市民の方と(大方お年寄りである)建築雑談しながらのどかな散歩という感じである。「先生は長野は長いのですか?」と聞かれ「やあ、長野県信の設計をしていた95年くらいからです」と言うと「あの建物は素晴らしい、それまでは長野には箱しかなかったけんど、それとは違いすごい建物ができたとびっくりした」と褒められた。社交辞令とはいえども、ほっとした。
昼に大学に戻る。昼食をとると寝そうなのでそのまま製図のエスキス。「ほれほれそろそろ形を作らないと終わらないぞ!!」とはっぱをかける。終わって駅で飯をしっかり食べ新幹線で爆睡。丸善で本を物色宅配。事務所へ。ユリイカコールハース特集が届いていた。ペラペラめくると著者は全員知った方たち。こういうことも珍しい。Wプロジェクトの打ち合わせ。台形敷地は天空率で高さを稼ぐのには不利であることがよく分かった。でも敢えて使うか、使わないか?2案作るしかないようだが。

プロジェクトに追われ

午前中はゼミ。今年からA君の提案でゼミ前に5~6人ずつ「毎週の発見」というのをやっている。写真に発見をまとめプロジェクターで映し一人1分半話、2分意見。このくらいだと見せる方も意見する方も気楽。雑談のようで楽しい。午後来るべき研究生が来ないので日影図と睨めっこ。3時頃から小諸プロジェクトの打ち合わせ。2時間くらいべたーっと設計を悩もうと思っていたのに、調査分析資料のチェックをしていたら5時半。担当は他の研究室の学生なので力のほどが分からない。どの程度の指示をしたら何が出てくるのか?と思って1か月。なかなか思ったようにはいかない。しびれを切らした助教のHさんがだいぶ喝を入れてくれたのだが、喝でできるなら苦労しない。〆切も迫っているのでいいかどうか分からないが、目次とコンテを一緒に作る。まあこれでやらなきゃ選手交代だな。
夜は読みかけの本を読みながら事務所からのメールを待つ。明日甲府市役所に持っていく図面を見る。うー法的にはクリアできているのだろうがちょっと固い。Wプロジェクトの日影、天空を見る。厳しいけれどこれだから可能なかたちがありそうだ。なるほど、法律は必要悪ではない。スケッチを始めたら中国から日報の写真がメールされる。いやはやまだ塗装している。一体週末完成検査できる状態なの?とメールしたら即長文の返答がナカジから。すったもんだの中国現場の状況が手に取るように分かる。彼には文才がある。反論のしようもなく「行きます」と返答。製図の〆切が近いのか部屋の外がやたら騒がしく夜が更けるのを忘れスケッチ。おっと気づいたら明るい。まずい明日は市役所主催の景観賞ツアーの引率。これから寝て起きられるだろうか???

May 25, 2009

電子メディアは主体を置き去りにしたか?

午前中研究室でゼミ本である大澤真幸の『電子メディア論』を再読。昼食後講義を挟みゼミ。話は結構込み入っている。マークポスターの『情報様式論』を手本に更に徹底した突っ込みでロジカルに組み上げられた本なのだがどうしても府に落ちない点がある。近代人が主体性を獲得するためには超越的選択においても主体がそれを支配せねばならないことを前提にしておきながら、それを哲学的な(カント的な)統覚に置き換えたところで、主体は二つの他者との弁証法的な関係の中で確立すると言い換える点である。超越的選択を主体が行うのであれば、超越的他者の他者性はあやふやなものになってしまうと僕は思うのだが?僕の読みが間違っているのか、それとも著者はそれを承知で作為的にこうした二重のロジックを並走させているのか???とりあえずその疑問は置いておいて、結論的な内容である電子メディア環境での主体の脆弱な基盤は果たして原理的なものなのか?過渡期の人間の不慣れによるものなのか僕にはまだよくわからない。子供を見ていると電子機器に向かう時と、アナログメディア(本)に向かう時ではどうも脳みそのチャンネルが切り替わっているように見えるからである。電子メディアを小学校から習う世代と言うものはもはやそれを生活の一つのツール(僕らにとっての電卓など)程度にしか思っていないように思えるのだが。
輪読の後即日設計。1時間半で住吉の長屋の敷地に僕の家を設計してもらった。なかなか面白い。またやろう。
夕食後、多木さんの本の最後の論考であるコールハースに関する部分を読む。いやー褒めてんだかけなしてんだか、勝手にしろと言う感じがよく出ている文章である。タイトルがいい「波を上手く捉えるサーファー レム・コールハースの疾走」である。読みながら事務所から送られる図面やら、日影チェックやら、天空率チェックに目を通す。うーんなんだか不思議なものばかり送られてくる。どうして?と口をつくのだが、、、、、ネットチェックはストレスがたまる。

May 24, 2009

作ることと、伝わること

朝、講義のホームページに書き込まれた小レポートを読む。今年はコメントが良い。良いのでコメントしコメントするから学生も応答する。良い循環である。今回の質問は建築家の観念は見る者に伝わるかというようなこと。昨日から読んでいた多木浩二『表象の多面体』青土社2009にそれにかかわる言及があった。それはキーファーの近作である「七つの天の宮殿」というコンクリートで作られた廃墟のような七つのタワーがコルビュジエのラトゥーレットから受けた感動をきっかけに生まれたという話である。ここでキーファーはコンクリートが砂という大地の象徴から生まれ、それを使ったコルは精神的空間を創りあげたと受け取っている。しかしそれはコルの意図をはるかに上回る解釈である。つまりこの話が示唆するところは、建築家の観念が見る者に正確に伝わるルートは残念ながら用意されていないということである。もちろん建築でなければ話は違う。たとえばこの本の後に出てくるマリオ・ジャコメッリの写真などは見る者の多くを悲しみや空虚の感情に導くだろう。そして写真家がそれを意識していただろうことはその写真の表題から想像される。こうした一致がありうるのはそれが写真であるということにも増してその対象が人であることに多く起因している。
午後A0勉強会。今日は担当者が荒訳を作って来なかったので、われわれの班はその場で訳を作るはめに。これは結構しんどい作業。1時から始め5時半でダウン。いつも頭を使ってないのだろうか?終わったらへとへとになった。家に帰ってソファに雑巾のようにもたれかかり動けなくなった。風呂に入ったら少し元気が出たのだが。上がろうと思ったら排水口が詰まっていることに気付く。よりによってこんな日に。近所の薬屋でパイプスルーを買い流し込んだが埒が明かない。管理人室でヴァキュームを借りて排水口に何度も押し当てやっと開通。必死だったせいか体に血が回り少し元気が回復した。明日にしようと思っていたが今晩長野に出かけることにする。車中多木さんの本の続きを読む。ジャコメッリの写真は実に魅力的である。この本には小さな写真しか載っていないのだがこの空虚感はたまらない。大きいのを見てみたい。

May 23, 2009

spectacle

切通利作の『情緒論』の中で岡崎京子が語られている。懐かしくなり本棚の奥の方から数冊出してきてぺらぺらめくる。「岡崎京子の漫画は情景を人物の感情のクライマックスに対応させない」と書かれている。そう言えばそうかもしれない。登場人物の語りはあくまで単なる一つのストーリー。それとは違う何万通りもの世界がそこにはあるということがビジュアルで並行して表現されているようにも見えてくる。。それが――世界をそのまま見るということ――というこの本の副題にもつながっているのだろうか?
午後事務所で来週の建築ラジオで語る内容を考える。以前買って積んでおいたAnthony Vidler ed. `Architecture between spectacle and use` Clark Art Institute 2008 に目を通した。ラジオのテーマはコールハースだが、コールハースの何を語ってももう語り尽くされている感がある。こうなったら正攻法である。コールハースのスペクタクルをどう考えるか?この本の序文でヴィドラーはギードボールによるスペクタクルの定義‘capital accumulated to the point where it becomes image`を反転し、‘image accumulated to the point where it becomes capital`とし、今や多くの建築家にこの言葉があてはまると言うわけである。もちろんその中にコールハースもいる。さて金融資本が世界を瞬時に駆け巡る21世紀のグローバル資本主義が躓きを見せた昨今、世界のスペクタクル建築はどうなるのだろうか?資本主義シニシズムと言われるコールハースの建築あるいはもっと一般的にスペクタクル建築家は何を求めてさまようのか考えてみるのも悪くない。因みにこんなテーマの本が出たのは、ハル・フォスターがビルバオを批判したことに端を発しているそうだ。
一段落して甲府プロジェクトの打ち合わせ。先に模型でイメージを作りそれを図面化。当然だが模型はいい加減に作っているから面積が合わない。2割オーバー。棟数が多いので担当者も悪戦苦闘である。

May 22, 2009

究極のワンルーム

午前中早稲田の講義。終わって早稲田界隈の不動産屋を覗く。このあたりの家賃相場調査。ワンルームマンションの最低面積はいかに?10.96㎡で6.8万なんてのがある。早稲田プロジェクトは学生用のワンルーム集住なのだがいかに小さな部屋に人間は住めるかがテーマである。事務所に戻りそんな手を伸ばせば両側の壁に手が届きそうなウナギの寝床のスケッチを開始。間口寸法はどこまで小さくしてよいのだろうか?考えていてもらちがあかない。それはもはや建築学の問題ではない。心理学の問題である。

立ち飲み屋

午前中事務所で打ち合わせ。午後クライアント宅に打ち合わせに行く。場所は門前仲町。地下鉄の駅から川を暗渠にした公園を通っていく。少し早く着いたので公園のベンチで時間を潰す。このベンチからクライアント宅が見えるのだが、クライアントとそのお母さんが家の前にたくさんの鉢を出して水をやっているのが見えた。なんとも下町っぽい。打合せが終わり、日本橋から新橋に出て人と会う。新橋の立ち飲み屋に連れて行ってもらう。8畳くらいの狭いスペースに15人くらいが満員電車の如くひしめき合っている。立ち飲み屋と言うとただ飲む場所かと思いきや料理がうまい。魚がうまい。9時からイタリアンを予約しているのでと言われ、そこを出て2軒目に連れていかれる。なんとここもイタリアンの立ち飲み屋であった。流石に足が疲れたので困ったと思ったら奥に少しだけテーブルがあった。聞くともう少し先ににフレンチの立ち飲み屋もあるそうで、3軒とも同じ経営者だとか。凄く流行っている。

May 21, 2009

湿っている

午前中補講、午後製図。四年の製図の中間発表。夕方設計プロジェクトの打ち合わせ。だんだん難しい局面になってきた。捨てた案を復活させるべきか?終わって21時のアサマに乗る。車中切通利作『情緒論』春秋社2007を読み始めたと思ったら眠りに落ちた。途中何度か目が覚めたがまた眠り,気が付いたら東京。こんなこともある。それほど疲れていたわけでもないのだが。先週の土曜日から久しく東京をあけていた。出かけた日は寒い日だっが戻ってきたら空気が生温く湿っている。外堀の水が蒸発して四谷に充満しているようだ。

May 19, 2009

政府の景気対策とは?

午前中某市の建築部長とお会いする。市の活性化をかけた一大改革の話を聞く。市庁舎、病院の移転。駅の改築、図書館併設。どうしてこの時期にそんな話が持ち上がるのかというと、政府が発動した景気対策の資金が地方へかなりの額回るからであり、この資金を元手にということらしい。そしてそれに乗り遅れればもはやこの市の再建は不可能と言う勢いであった。もちろんそれを基礎にという話は分かる。しかし、町づくりのヴィジョンもなく、生活の提案もなく、不要かもしれないが、マスタープランもない状態で単体の建築を作らざるを得ないという焦りだけが見て取れる。政府のバラマキ資金が経済復興だけを目的に短期的な視野で行われている姿が実感される。まさに昨日の本の感想を今日裏付けたようなもの。地方の価値を具現化するのには時間がかかるはずなのに、とりあえず在任期間にできることをやろうという発想が気に入らない。そうした発想で地方が本当に豊かに(文化的にも)なるとは思いにくい。地方自治の構造的改革が必要と思われる。地域の大学にいる以上できる限りのことはしたいとは思うのだが、、、末永くお付き合いすることを約束しお暇する。午後の製図を終え夜は研究生T君の実家設計のアドバイス。今日は模型がたくさんある。案は少しずつ面白くなってきている。やはり院を出ると一皮むけるのかもしれない。修了後すぐ自分の設計ができるのは羨ましい限りではあるが、若いころの設計は自分の原風景になり一生つきまとうものだからそれなりに心してかからなければならない。終わって中国の事務所に勤めたK君の一時帰国を祝い研究室の皆で夕食。軽く一杯。中国事情は知っているつもりだが、いろいろまた楽しい上海の話を聞く。

May 18, 2009

地方の矜持

会議、講義、会議、ゼミ。夕食後、『グローカリゼーション』の続きを読む。岩井美佐紀「東南アジアのグローカリゼーション」の中にこんな文章がある「グローカリゼーションとはまさに多元的価値の共存をめざす地球規模の模索である」この言葉に異論はない。しかし問題はその多元的価値が逆に世界に(とは言わないまでも少なくとも国内広汎に)通用するものでなければなるまい。そして価値が通用するかどうかはその価値の本質に加えてその価値のプロモーションにかかわるものと思われる。しかるにそのプロモーションは誰がやるのだろうか?行政か?市民か?npoか?
又そうした価値を維持していく姿勢としてこんな言葉も見られる。「グローバル化に対する反発から、ナショナリズムや伝統回帰などの非合理的な感情論に絡み取られることなく、ローカルな生活基盤に根ざしながら常に進化していく意識が共有されなければならない」この言葉にも異論はない。ただし、ここで言う「進化」を可能たらしめるためには経済的、文化的自律が不可欠と思われる。そして日本に即して考えるなら現状のネオリベラリズム的競争政策はこの自律を促すどころか挫折への道を用意するのみである。確実に地方には地方の価値が存在するのだが、その価値を誇りを持って主張する余裕がないのが現状だ。明日の食扶持に追われている。地方の行政や経済団体の様子を垣間見るにつけ感じるところである。彼らが多様な価値を再認識しそれを維持する矜持を与えるのが国の役割ではなかろうか?その昔とある間抜けな首相が地方に金をばらまいたがそういうイベント的発想ではなにも生まれない。価値を誇り、プロモーションし外に通用するものを作るには時間がかかる。長いヴィジョンを持った国政は次期政権に期待できるだろうか?

May 17, 2009

地方で考える

朝の電車で甲府へ向かう。ゼミ本である『studio voice』2006年12月号「90年代カルチャー特集」を読む。だいぶ前からかなり時間をかけて読んでいるのだが、次から次に登場する固有名詞の群れになかなか進まない。その上このvoiceは字が小さくて、赤い字だったり黒字だったりするもんだからひどく読みにくい。しかし、若い女流写真家、j文学、dtpグラフィックなどと馴染みのある分野が出てくると、ああ90年代はこれだったなあと思いだしながら最近のこととは言え妙に懐かしい。松本であずさに乗り換え甲府に11時に着く。駅の脇にある城址に登り市内を見渡す。先ほどプラットフォームからは巨大に見えた丹下さんの山梨文化会館もここからだと空しく小さい。丹下さんのこのころの建物は大きく見えないと価値が半減する。城址の芝生広場に大の字に寝っ転がって空を見ているうちに睡魔に襲われる。久しぶりの幸福感。雨粒が顔にあたり目が覚めた。その昔ラショードフォンへコルビュジエを見に行きワインとパンでいい気分になり駅前の芝生で寝ていた時も雨が降って目が覚めた。
駅で昼をとり、さあクライアントのところへ向かおうとしたら携帯の着信履歴にクライアント名前を発見。あわてて電話をすると急性胆のう炎で入院したので病院に来てほしいとのこと。敷地で東京から来ていたスタッフのYさんと会い、関係者の車で病院に向かう。午前中手術をした体なのに3時間こちらのプレゼンをしっかりと聞いてくれた。最初のプレゼンだし、分からないことだらけの施設であることを考えるとまあまあの収穫か?しかしまだ五里霧中である。
駅前カフェで電車の時刻までYさんと打ち合わせ。彼女は東京へ僕は長野へ向かう。車中神田外語大学国際社会研究所編『グローカリゼーション―国際社会の新潮流』神田外語大学出版局2009を読む。グローバリゼーションは90年代からの異常な世界変動だけではなく近世以来、そして20世紀にはいり加速度的に進んできた事象であることを再認識。特に日本の建築においては、90年代グローバリゼーションの2大要因と言われる東西冷戦の終焉とIT情報革命からドラスティックな影響を受けているとは思いにくい、やはりモダニズムに端を発するインターナショナルスタイルの残滓が未だにゆっくりとしかし確実に全国を犯している。それはグローバリゼーションと言うよりはナショナルイコーライゼーションである。建築デザインがグローバル化しているなんて言うのは東京の一角ぐらいの話、日本のほとんどの都市で起こっていることは未だに100年前のモダニズムである。さてグローバライゼーションと言えば、大国があるいは大企業が自らの戦略をグローバル市場に浸透させることだと言われてきたが、経営論においてはそれが変化してきているらしい。それは少数国に集中する知識やノウハウが世界規模で流動化し地方化し顕在化する。それを少数国はその顕在化した知識ノウハウを資源として学習して進化すると言うものである。そんな理屈が現実的かどうかはおいておき、日本での建築に即して考えるなら、少数事務所やゼネコンの知識とノウハウを日本中に浸透させるのではなく、その知識が地方に流動化し地方なりの味付けの元に顕在化したそれを再度学習し進化させるということになるのであろう。言うは易し、行うは難し。いったい地方に顕在化する知識やノウハウとは何なのか、甲府でそんなものを見つけられるだろうか?いくつか地方都市でものを作る可能性が出てきた今イコーライゼーションは前景化してきた。

羊・ヤンキ-

今日はひょんなことから信大繊維学部の農場で羊の毛を刈ることになった。上田のキャンパスから少し離れた景色の素晴らしい山裾にこの農場はある。因みに農場の隣には伊東さんの設計した大田区の保養所がある。長野の中でも有数の美しいランドスケープである。30名くらいが5チームに分かれて羊の毛を刈る。大型のバリカンで20センチくらいに伸びた毛を刈り取るのだが、バリカンの角度を間違えると皮膚を傷つけてしまう。そのためにヨードチンキも用意されている。刈り方が上手ならば羊も安心して静かにしている。そうするとまた上手に刈れる。けがをさせると羊も不安で暴れる。悪循環である。実はこの毛刈りは小諸に移転を計画する会社の社長が企画したもの。終わって社長の話をいろいろ聞く。そして現在移転を検討中の敷地へ車で案内してもらった。ほー長野にもいろいろな場所があるものだと感心した。
大学に戻り難波功士『ヤンキー進化論』光文社新書2009を読む。この本ではヤンキーとは階層が低く見られ、性的役割については保守的で、自国や地元を志向するものと定義されている。もちろんツッパリであるというのが先ずは根底にある。それにしても結構定義の幅が広い。しかしこの幅の広さがヤンキーが絶えない理由だと書いてある。ゼミで90年代論をやっているが、ヤンキー文化は少なからずこの時代にも影響を及ぼしている。たとえばVシネマなんて言うものはヤンキー文化の落とし子であろうし、チーマー現象も暴走族の違う形の現れだと説明されている。しかしいつの時代にでも悪がきは棲息するだろうし、その中には性的にコンサバでナショナルな奴らはいるのでは(あくまで勝手な想像だが)、であるなら、それらを全部ヤンキーと呼んでしまうと有史以来どこにでもヤンキーは生きていたのではと思えてしまいそうだが。
それにしてもこの本を読みながらyou tubeで懐かしい暴走族の映像を見ていたら、アフロの髪の毛が羊に見えてきてしまった。

May 15, 2009

旧友来日

午前中早稲田の講義演習。今日は学生の発表。一人10分パワポを使って、町で見かけた男性性⇔女性性、あるいは消費性⇔永遠性を語ってもらった。去年に比べおとなしい。というか見る目が陳腐。終わって事務所に戻り一休み。3時に渋谷グランベルホテルでucla時代のクラスメートEdmund Einy夫妻とおち合う。卒業してから日本でもL.A.でも会っているがそれでも10年ぶりくらいである。全く変わっていない。こちらはだいぶ変わった。Edmundはヨーロッパからの留学生が大半を占める僕らのクラスで数少ないL.A.育ちのアメリカ人。卒業してからはいくつかの事務所で仕事をして現在はGKK、LA(40人程度の事務所)のdirectorになっている。事務所ではスクールやシティホールの設計が多く、事務所の仕事とは別に夫妻で住宅の設計などしてGAhousesに3回くらい掲載されている。
インフルエンザは大丈夫?と聞いたら、情報は常にexaggerateされる。成田では45分間飛行機の中に閉じ込められ書類を書かされたと愚痴っぽかった。夫妻をリーテム東京工場に案内する。僕も久しぶりに見るのだが、ガラス皮膜は顕在だが全体にだいぶ年をとった感じである。アメリカではリサイクルはかなり遅れていてゴミの分別収集などしていないそうだ。しかしサスティナブルな建築はおお流行りでみんなしてgreen greenだと笑っていた。ホタルイカで夕食をと思い電話をしたが今日はお休み。仕方なく東京駅周辺で夕食。食事中彼らが作った見学リストを見せてもらった。100近い建物の建築家と住所がリストアップされ、それらはマップ上にマークされていた。凄いリサーチ。注目は妹島、伊東、のようである。日本の建築家でもっとも有名なのは誰かと尋ねられたので、やはり安藤だろうと言うと「still?]と驚く。「今やテレビのワイドショーにも登場するよ」と付け加えると「それはアメリカで言えばゲーリーだね、彼を知らない人はいない」と言っていた。東京駅で別れ事務所へ戻る。明後日のプレゼンのマテリアルチェック。

May 14, 2009

モーレツ教授の生きざま

昨晩丸善で一冊だけ宅配に回さず持って帰った本をベッドで読み始めた。今野浩『すべて僕に任せてください―東工大モーレツ天才助教授の悲劇』新潮社2009なる本である。「頼まれると断れず、次々と降りかかる膨大な雑用に疲弊し、ポスト争いや「調整」に翻弄される日々―。成果として論文の数を問われるものの、本業である研究に没頭すること自体がいかに難しいか。元東工大教授が、共に勤務した研究者の半生を通じて明かす、理工系大学の実態」という帯の言葉に惹かれて思わず手に取ってしまった。そして読み始めたら止まらなくなった。著者は数学者だが、教育統計学が専門のため数学科ではなく文系の学者が集まる一般教育セクションに配属された。ここはその昔から文系一匹狼の棲息地である。著者在職中は江藤淳、永井陽之助、吉田夏彦など蒼蒼たる有名人が居並び、一匹狼であるがゆえに全くまとまりを欠いていたとのこと。僕が在学中も、あのセクションはテレビに登場するスターが集まり、組織としてどうなっているのか不思議だったがやはり、という感じである。さてそれは余談で本筋は金融工学を日本に産み落とした著者が、自分の講座に迎え入れた天才助教を育て上げる中で味わう大学という政治組織の裏の実態である。大学組織に自ら所属しているので裏の実態を知らないわけでもないけれど、たたき上げではない私のようなものには助教から教授への長い道のりは計り知れない。しかし民間企業のピラミッド組織では昇進する人数が徐々に減るのに比べて大学は実力とポジションは比較的整合しているように思う。それにしても年間4000時間働き、学生との共著論文は自分の業績とすることを潔しとせず、癌で全身転移した後もその事実を知らず働き続け、教授昇格とともに42歳で夭逝するなんていう学者がいるとは想像もしなかった。大学で働き始めた時、大学は民間より働かない場所だと感じたし今でも感じているのは建築なんていう異常な職場から来たからであろうか?民間一般と比べたら大学も働いているのだろう。という程度に思っていたのだがこんなバケモノみたいな人がいるのである。寝不足気味で事務所に行き昼にクライアントとランチミーティング。事務所に戻り、雑用書類の山を片付け、中国と電話でやりとり、アルゼンチンとメールでやりとり。アルゼンチンからは返事がすぐ帰ってくる。こっちの午後は向こうの午前である。

May 13, 2009

小諸

朝一、車で小諸に向かう。高速から小諸の町を見ると千曲川から浅間に向かって標高差2000メートルに分散する町が見渡せる。こう言う地形はそう見られるものではない。学生を含めて総勢10名でプレゼン。街区分析、導入機能コンセプト、ヴォリュームスタディ。約2時間。強い反対も賛成もなく、少し拍子抜けな感もあったがまあ初回としてはこんなものだろう。相手の希望が少し分かったが、その希望が必ずしも適当かどうかは再検討である。お昼に大学に戻り午後は4年生の製図。夕方のアサマで東京へ。車中五十嵐太郎編『建築と植物』INAX出版2008を読む。ヴェネツィアヴィエンナーレのコミッショナーがコンペだったことを知る。しかも最後に残ったコンペティターが八束さんだったとは驚き。丸善で本を物色し宅配。事務所に戻る。日曜日のプレゼン資料を見る。難しい。変数が多くどこを固定してかかればいいものやら。

May 12, 2009

集中切れ

午前中ゼミ。院生の修士設計のためのコンセプト序論を聞く。午後は3年生の製図。夜は研究生の実家設計へのアドバイス。終わって事務所から送られてくる図面と模型写真を見る。このあたりで力尽きたのだが、そこへ中国から現場写真とその報告が届く。細かいのでプリントアウトしないとよく分からない。朝からずっと人の書いた図面や模型や写真と睨めっこ。集中力には限界がある。そんな状態で学長裁量経費で始めてしまったレクチャーシリーズのスケジュール調整を考える。考えているのだが4人のレクチャラーの配置が頭の中で錯綜。とりあえず成実さんにメールして7月に可能か打診。明日は7時45分に車で小諸へ。某プロジェクトの第一回目のプレゼンである。研究室で受けたものなので発表は学生に任したが、さあうまくいくだろうか??

電話、電話

電話、メール、会議、電話、メール、講義、電話、メール、打ち合わせ、今日はかける電話もかかってくる電話も多い。合間を縫って五十嵐太郎、菅野裕子『建築と音楽』NTT出版2008を飛ばし読み。建築の比例と言えば、ヴィトルヴィウスしか知らない私には音楽的比例との相同性は刺激的である。しかも中世もルネサンスもそして近代もである。夜は建築学科2年以上が全部集まった飲み会。

May 10, 2009

良いこと悪いこと

最近すっかり休みの日のジョギングが習慣化した。去年も季節のいい今頃同じように「休みジョギング」を始めて体力が付いた気になった。そして調子にのって学生とサッカーやってぷっつりとふくらはぎの筋断絶をおこした。今年はサッカーはやるまい。
朝飯食べてメールチェック。最近とんでもない量の外国からのスパムメールが飛んでくる。なのだが、そうした中に時たま、外国雑誌の取材や、友人からのメールも紛れている。邪険に捨てることができない。今日はアルゼンチンのブエノスアイレス建築美術館http://cfm.socearq.org/seccion.cfm/s.6.htmのキュレーターからのメールあり。今年の9月10月に日本建築をテーマにした展覧会をするとのこと。内容はミノル・ヤマサキが半分そして残り半分が日本建築の近作だそうでそこへ出品してほしいとのこと。なんと嬉しい話ではないか。しかし9月開催にしちゃのんびりしている。まあデーター送るだけだからこんなものか?
昼頃中国のナカジと電話で会話。現場で結構悩ましい問題発生。1時間以上電話会議。うー胃が痛いわい。いいことがあると必ず悪いこともおこる。最近はどちらかというと悪いことの方が勝っているような気がす。午後事務所で打ち合わせ、スケッチ。夜長野へ、車中読みかけの倉橋透、小林正宏『サブプライム問題の正しい考え方』中公新書2008を読む。先日nhkのドラマ「ハゲタカ」を見てその後、nhk特集で投資銀行の大物数名のインタビューを聞き、もう少し正確にこの問題を知りたくなった。返済能力があやふやなサブプライム層に高金利であるいは当初固定低金利で後に変動金利へ転換するローンを大した説明もなく貸し出したそのやり方は日本で言えばサラ金ではないかと思ってしまう。そう言う理解をしてはいけないとこの本で警告を鳴らしているのだが。僕のローンもそう言えば当初10年固定、そしてその後変動である。末恐ろしい。

May 9, 2009

誕生日&母の日

朝方軽くジョギング。今日は天気がいい。上智大学の周りには人だかり。礼拝の人たちだろうか?ニューオオタニの前を通りファサードが全面ガラスにリニューアルされているのに気付く。これは日建の設計だったか?朝食を食べてからスケッチしたり調べ物したり。午後八潮ヘ行く。アメリカ帰りの槻橋氏、小川、曽我部、寺内氏との座談会。雑誌用なので写真を撮られながら2時間近くしゃべる。町づくりの話になって、『言葉と建築』CONTEXTの章を思い出す。その中でもT.S.エリオットの「歴史のセンスとは過去の過去性だけではなく、過去の現在性をも知覚することである」という言葉を披露。会場の都合で座談会は5時に終え、駅前のカフェで特集全体のテーマについて議論。1時間話したが決まらず各自の宿題となる。
腹も減り軽く一杯誘われたが、今日は娘の誕生日。誘いを断り帰路につく。四谷駅で誕生日ケーキを買おうと思ったら、ラウンドケーキはすべて母の日用になっている。正確に言うとその母の日ケーキはラウンドではなくハート型であるが。そしてその上にメッセージ。ピンクハートチョコに白字で「お母さんいつもありがとう」と書いてある。このケーキを誕生日用に変更できるか聞く。ピンクハートの代わりにHAPPY BIRTHDAYプレートを載せられますと言う。「それでお願い」と言って直ぐに、いつも「かみさん」を「お母さん」と呼んでいるので、この際ピンクハートも載せたままでいいだろうと心変わり。ピンクハートとHAPPY BIRTHDAYプレートの両方が載ったよくばりケーキが出来上がる。
夕食後にこのケーキを食す。3等分して食べるのは面白くない。3方からフォークで好きなところを好きなだけ食べようと言うことにする。なかなかワイルドな食べ方である。ハートケーキは3方から突き崩され激しく変形した末に跡形もなくなった。

早稲田

午前中早稲田の演習。朝少し早めに行って、ミルクコーナーでカプチーノとクロアッサンを買い頬張る。金曜日の10時10分くらいは文学部キャンパスにあまり人はいない。早稲田の非常勤の控室はとても広い。非常勤の先生が多くいるからなのだろう(だいたい僕みたいのまでいるのだから推して知るべし)。同じ教室の1コマめの先生が鍵を返却してくれるまでこの部屋で待つことになる。文化構想学部のシラバスを初めて眺めた。まあ工学部じゃや考えられない分厚さ。ペラペラめくるとその講義タイトルの豊富さに目が回る。そして講師の量も凄い。おや、永江朗なんて人も先生じゃやないか?何やってるの?出版文化論、ジャーナリズム論などである。誰かが早稲田のオープンスクールや東大の教養は良くできたカルチャーセンターだと言っていたが、確かに各界の有名人を多量に呼んできてレクチャーさせるという意味ではよく似ている。カルチャースクールと違うのは報酬が低いことくらいである。それでも人が集まるのは大学の名前がなせる業である。
午後事務所で打ち合わせ、スケッチ、打ち合わせ、夕刻事務所を出て横浜へ。信大准教授の北村明子先生が自ら出演され、振り付けされたダンスが組み込まれたオペラを見に海の前の県民ホールへ。一柳慧:作曲、辻井隆:台本「愛の白夜」なるオペラである。なかなかべたなタイトルでかつ内容もクリシェオンパレードなのだが結局感動した。これはしてやられたという感じであるhttp://ofda.jp/column/。7時半開演なので終わったら10時近い事務所に戻ったらまだたくさん人がいた。半袖姿が多い。熱気ムンムン。

May 7, 2009

登録更新

事務所登録の更新通知が先月来た。会社の登記簿だの納税証明書だのが必要で、税務署やら法務局やらスタッフに駆けずり回ってもらってやっと今日終わった。5年に一度今回が2回目だから事務所を作ってから満10年ということになる。石の上にも10年というのが僕の教訓なので、そろそろ事務所も新機軸が必要かもしれない。
夕刻学会の委員会に出席、木質バイオマスは聞いていて勉強にはなるものの、意匠設計者はあまり議論に噛めないテーマである。というのもバイオマスの実態把握がまだまだなのが現状で有効利用の方針などという段階ではないからである。先ずは実態基礎データーの作成というのが2年間のまとめとなりそうである。新橋駅で立ち食いうどん。事務所に戻りスケッチ。少し可能性が見えたか??

May 6, 2009

川越散歩

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質素なゴールデンウィークだった。事務所と家の往復。最終日くらいは家族とどこかに行こうとあけておいたら雨が降った。仕方ないので映画でもと思ったが、一日時間がとれるのだからやはりもう少し遠くへ行こうと思い、協議の結果川越へ。副都心線ができたおかげで一つのりかえれば行ける。電車に揺られ小一時間。雨なのに凄い人だった。来るのは初めてだが写真は結構見たことがある。その昔景観法ができた時雑誌の原稿を書くために集めた資料に景観コントロールがうまくできた町として川越はよく登場していた。川越市役所では、景観に携わる担当者は部署変えをさせずに景観を見る目をもったプロに育て上げると記してあったように記憶する。そのせいかどうかわからないが、歴史的保存に加え、こんな新しい建物も許容している。

競争、評価

ジョギングから戻り、朝食をとりながらNHKの連続ドラマ「ハゲタカ」を見た。外資系の投資会社対日本企業の戦いである。攻撃のターゲットとなっている日本企業の体質を聞くとその昔アメリカで受けた、とある講義を思い出す。それはアメリカの企業を説明する授業で比較対象として日本の企業体質が説明された。「終身雇用」、「年功序列」、「家族主義」が珍しい生き物でも見るかのように語られた。日本人学生は説明を求められたりもした。そのころ僕は日本体質が旧態依然なものと映り、好みではなかったのだがアメリカの友人の何割かはこの日本の習慣を絶賛していた。
その後会社に入り組合活動を通して能力給の積極的な導入や分社化などを提案した。幹部の中には働かない人は減らすべきだという意見さえあった。まるで組合と経営陣が逆転していた。
バブル時代、一時日本体質は追い風だったが、バブル崩壊を契機に政治的な後押しもありそれは嫌悪されアメリカ基準が浸透し始めた。自己責任、能力尊重の時代である。われわれが考えたことがどんどん現実化し始めた。しかし、それはある限度を超えて進み、かつ企業のみならず教育現場にも浸透した。
それは学校同士あるいは教員同士の競争というかたちをとる。そんな競争は教員評価制度を生み、能力、業績給与につながる。民間企業なら十年以上前から始まったことだが、教育現場では最近の話。われわれの大学では一昨年から始まった。そんな実態が刈谷剛彦 他により『教員評価』岩波ブックレット2009という冊子にまとめられている。
評価には評価の基準が必要である。しかしいったいそういう基準は普遍的に存在するのだろうか?そしてそうした基準の遂行は外から見ていて認識可能なものだろうか?アンケート調査によると、大方の教員の答えは普遍的な価値が存在するがそれは外から認識できるものではないというものだった。こうした評価観のずれが存在すると評価はなかなかうまくいかない。このアンケートは小中高の教員になされたものである。これに対して大学での評価は、(少なくとも我々の大学では)「教員に求められる普遍的価値」は掲げられていない。極めて定量的に業績を申告するものである。その意味では客観的で文句の出しようがない。しかし逆に言えば、ひどい論文でも、良い論文でも一個は一個というドライな評価を生み出すことになる。
評価制度はある程度必要なものだろうとは思うものの、これでいいと思うものに出会ったことはない。

May 4, 2009

武家屋敷

都内の大きな公園、大学、ホテルなどは武家屋敷の跡地に作られた。東大は加賀藩前田家、日比谷公園は佐賀藩鍋島家である。四谷近辺も武家屋敷だらけである。このあたりは敷地に歴史表示が丁寧に出ている。ジョギングしながらそれらを見ると江戸がしのばれる。四谷駅のそばにある赤坂離宮は紀伊藩徳川家。四谷駅を越えたところにある上智大学は尾張藩徳川家。四谷駅を越えていつもは上智を過ぎたあたりを左折して一番町の方に行くのだが、今日は右折して赤坂方面へ下る。赤坂プリンスホテルとホテルニュー大谷の間を走る。赤プリは紀伊徳川家。ニュー大谷は彦根藩井伊家の跡地である。徳川御三家の二つがこのあたりにあったわけだ(因みにもう一つの水戸藩は小石川後楽園一帯である)。このあたりの住所は紀尾井町、その名前の由来は紀伊藩、尾張藩、井伊家から一文字ずつ取ってできている。午後事務所でスケッチ。夜読書。

May 3, 2009

憲法記念日

s.j.グールド鈴木善次、森脇靖子『人間の測りまちがい(下)』河出文庫2008を読む。知能指数の話が延々と続く。一日家にいて娘と勉強したり、会計処理しているかみさんの質問に答えたり、気ままに過ごす。夜皆で近所の中華料理を食べに出たら四谷に引っ越してきた大学の先輩のYさんにお会いした。方南町に住んでいたころは高円寺のあたりに住まわれていた。僕が四谷に引っ越したら後を追うようにこちらに移動してきた。またゆっくりお会いすることを約束して別れる。
今日は憲法記念日だがテレビをつけるとバラエティ番組に元航空幕僚長の田母神氏が登場していた。新聞を開くとやはり田母神ブームについての記事が目にとまった。主張を曲げない頑固な側面と、なかなかのユーモアが多方面で受けているらしい。一方で彼の主張は明らかに史実の認識に誤りがあるとの指摘も多い。既に一般市民となった人が何を主張しようと勝手だが、マスコミが安易にブームを巻き起こすのはうなずけない。

design

朝軽くジョギング。四谷から一番町、女子学院の脇を通り外堀に出て市谷から四谷へ戻る。今日はかなり飛ばした。息が上がり帰宅してシャワーを浴びてもはあはあ言う。事務所に行き模型を作る。

先日大学院の講義でdesignの両義性について話をした。この言葉は概念とできたものの双方を指し、その両義性が古来モノづくりのプロセスで議論されてきた。たとえばモノを作る時に本能的に手が勝手に動きながら絵が、模型が、彫刻ができてきて事後的にそれが概念化(建築なら図面化)されるのか、図面やコンセプトや構想が先ず明快にあってそれが絵や模型や彫刻へと出来上がっていくのか?そんな議論をした。http://ofda.jp/lab/lecture/word2009/bbs/2009/04/post_2.html

模型を作りながらこの議論を思い起こし、今自分の行っていることは手が勝手に動いているのか?それとも明確な構想のもとに行われているのか自問した。答えは以下のようなものとなる。模型を作り始める時にはおぼろげにイメージする形が頭の一部にある。もちろんその全貌は見えない。そして作り始める。1000㎡程度の平均1.5層くらいの建物を1/200で作る。先ず屋根を切り出しカッターでラインを入れて折り曲げる。折り紙細工のようである。そうするとそこで朧げだった屋根の形がより明確に自分の前に現れる。そしてその下に壁を切り出しては接着していく。屋根ができた時点で壁のついた全貌は想像できるのだがそれも朧げである。そして壁が全部ついた時点でそれをじーっと見つめる。
さてそこにあるものは自分が最初におぼろげに構想したものだろうか?もちろん違う。それは作りながら自分の当初のイメージがどんどん変化しているからである。その変化は頭が司令しておこなっていることなのかというと実はそうでもなくほとんど反射的に手とカッターがその状況にあったことをしているのである。そして出来たものを見ながら今度はそれを図面化、あるいは言葉にしてみる。自分のしようとしたことを言語化する。もちろん言葉は当初からなんとなくある。しかしできたものを見てその言葉がそのままでいるはずはなく形に合わして変化するのである。設計をする人ならこんなことは当たり前のことだと思うが、そうした話が前回の授業ではできなかった。
夜、事務所の人を誘って友人のブルースを聞きに神田のライブハウスに行った。行ってみると多くの知り合いに会う。ライブは大いに盛り上がる。飲んで歌って騒いだら気分すっきり。終わって、来ていた友人も誘ってもう一軒。彼はT大を出て一流銀行に勤めているのでゆっくりこの金融情勢について聞きたかった。「仕事どう?昨今厳しい?」と聞くと「6月で退職、転職、職探し中だよ」と想定外の回答。なんと言うことだ。日建の設計による彼の会社のビルも去年外資系に売られたとか。辞めるのは積極的なものではなく、彼のやっていた仕事がクローズされるからだそうだ。彼の実力を持ってすれば次の仕事くらいいくらでも見つかるだろうが、それにしても厳しい世の中になったものである。

May 1, 2009

装飾と犯罪の時代背景

アドルフ・ロースなる建築家が1908年「装飾と罪悪」という論考を書き、その題名が示す通り20世紀初頭の無装飾モダニズムデザインの端緒を切り開いていった。当然当時のユーゲント・シュティールその他の様式、装飾デザインを敵に回したものの時代はロースに追い風だった。
デザインをやるものならバイブルのようなこの本は実は思いもかけない言葉で始まる。「人間の胎児は、母の胎内にあるうちに、動物界の発展段階をすべて経験するものだ」。これは19世紀後半に唱えられた進化論以降に進化論が誤って適用され、しかし広く流布した反復説に他ならない。それは「個体発生は系統発生を繰り返す」というもので、簡単にいいかえれば、生物は自らの進化の歴史を成長の中で繰り返すというものである。そしてそれが、劣性(黒人、女性、犯罪者など)な人種の成人は優性(白人など)な人種の子供に等しいという差別理論につながるのである。
さて装飾と犯罪に話をもどすと、反復説で始まるこの論理は反復説で劣性とされるパプア人や犯罪者は刺青をするそして刺青は装飾である、よって装飾は未進化の人間すなわち犯罪者の行為であり装飾は犯罪という具合に展開する。
さてロースは反復説とともに同系ダーヴィニズム理論に大きく影響されたと思われる。それはチェーザレ・ロンブローゾの『犯罪人類学』である。これは1876に著されその内容は、未進化の形質を持った人種は未進化ゆえに現代社会に適応できず犯罪を犯すというもの。そしてその主張は犯罪者の人体計測によって行われた。また彼は医学、生理学的見地からだけではなくやや社会学的見地からもこの主張を行った。すなわち劣等人種の声の質、刺青の有無と罪を犯すことの間に有意の相関関係を主張した。このこともロースの理論には大きな影響を与えただろうことは想像に難くない。

帰宅のバスで『人間の測りまちがい』を読みながらロースを思い出した。