ショック
最近学外の大学院入学希望者からのメールが続く。少しは信大の建築学科も知られてきたということだろうか。ポートフォリオを見ないと何とも言えないが、院の入試が競争的になるのは結構なこと。質もあがるのではなかろうか。午前中雑用をこなし、午後打ち合わせに行く。前回同様早く着いたので近くの公園ベンチで図面を見ていたら法的に間違っているところを発見した。ショック。クライアントには正直に間違いを言いながらその場で新たなプランを書いて見せたものの、ちょっと恥ずかしい。こんなことは初めてである。
昨晩ベッドで古荘純一『日本の子どもの自尊感情はなぜ低いのか』光文社新書2009を読み始めた。事務所に戻る電車で続きを読む。タイトル通り、日本の子供は自尊感情が低いとのこと。その主たる原因は大人によるこどもの人格neglectのようである。ではその対処は?こどもの言うなりに甘やかせばいいというものではもちろんない。こどもをいい加減に扱わないということのようである。これを読みながら、昨日の「コロニアル問題」が頭をよぎる。スピヴァクの言う「戦略的本質主義」なる不平等解消の方法を思い出す。それは相手も自分も同じ人間であるという本質を再認識するという忘れかけた当たり前のことである。発展途上国の貧困層であれ、訳の分からぬこどもであれ相手は自分と同じ「人」であることを思いおこすこと。そして彼らとがっぷり四つに組んでやること。これが基本なのであろう。僕のような母子家庭寸前の家でも、短い時間とはいえしっかり相手の言うことを聞いてやると、こどもは溌剌とした表情を見せるものである。オヤジとして落第生であろうとも、できる限りのことはしなければならない。
こんな力んだ気分の時に限って遅く帰ったオヤジにタイミングよく娘が相談事をしに来たりする。うっ。ゆっくりビール飲んで新聞でも読もうと思っていたが諦めて話始めると1時になってしまった。