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July 31, 2009

昭和史

8時半のかいじで塩山へ。車中、メールを開くとアルゼンチン建築家協会から9月に開かれる「日本建築展」での講演依頼のレターが届いていた。展覧会の会期は9月4日から30日まで。この展覧会にはリーテム東京工場とするが幼稚園が展示される。塩山では水道局、下水道、消防署を回り昼食をとる。午後施設へ行って打ち合わせ。先週理事会が開かれたとのことで今日の打ち合わせから担当になったFさんが新たに参加。その方が新たに図面を見直し6ユニットの現在のプランを1~2ユニット制に変更したいとおっしゃる。それは今まで積み上げてきたことを無に帰するようなもの。6ユニットプランがオペレーション困難であるという説明は理解できなくはない。しかし言うのが遅過ぎる。さすがにこの進み方には納得できず少々憤った。変更することは仕方ないとしても、ものには言い方というものがある。それにしても今までの時間がもったいない。
夕方の電車で新宿に。車中半藤一利の『昭和史1926-1945』を読み続ける。満州事変から始まるこの本だがやっと真珠湾攻撃までやってきた。半藤さんの書き方の影響もあろうが、ひどい政治家は今も昔も沢山いたのだなと感じる。加えて、戦うことを使命として生きた軍人というものの心理はどう多面的に考えても、最終的にはやはり理解する気になれない。

July 30, 2009

美しいこと

朝のアサマで長野西高校に講義にでかけた。高校へ行って出前講義である。最近は中学生くらいから自分のキャリアを考えさせる指導が行われている。娘も中学三年の時、夏休みの宿題でなりたい職業の人にインタビューをしていた。高校では自分の進むべき進路を自分で考えるために大学の先生が呼ばれて学問の紹介が行われる。加えてどこの大学も学生集めに躍起なので、両者の目的が合致してこうした出前講義が行われる。長野の高校だから信州大学の先生ばかり来ているのかと思ったらさにあらず、東京の一流私立大学の先生もいらっしゃった。この高校は文系教育の方が進んでいるようで僕の部屋には10人程度しかいない。看護とか心理学の部屋は人気で30人くらいの生徒が集まっていたようである。1時間半程度、工学とは、建築とは、僕の高校時代は、などの話をして終わる。今日はこれだけのために長野にやってきた。帰りの車中、赤木明登『美しいこと』新潮社2009を読む。美しい写真と美しい文章によるものづくり職人の紹介である。著者は漆職人なのだが、文章がとても上手である。略歴を見ると大学では哲学を学び出版社を経由して、突如輪島塗の職人に弟子入りしたと書いてある。この手の本にはミーハー的な有名人巡りが多いのだが、この著者には職人の選択に一貫したポリシーが感じられる。それは言ってしまえば「その職人に信念があること」である。言葉にすると実に陳腐なのだが、それが文章の中にひしひしと感じられる。事務所に戻り明日の打ち合わせ資料の打ち合わせ。スタッフたちは横浜の類似施設を見学して帰ってきたところ。見てくると今の図面の不足しているところがよく分かるものである。それが分かるとますますこの図を明日役所に出していいものやら?ちょっと不安。

July 29, 2009

経験外

10時ころクライアントから電話、金曜日に向けて作っていた案のどんでん返し的修正の依頼。「2~3階にあるものを1階に下ろし、1階にあるものを3階にした方がいいと思う」と言うのである。座長を務めるキャンパス計画の会議が迫り、5分で電話を切ったが、会議中新たなプランが頭の中を彷徨う。まあその方が正しいのかもしれない。経験量が違うからその意見を客観的に判断することができない。言われたことを否定する材料はまったくない。新しいビルディングタイプはいつもこうである。急いで東京に電話、要望の概略を説明する。そして会議が終わって事務所に戻る。判断不能だからそれをやるしかないのだが、2ヶ月かけて作ってきたその図面を金曜日クライアントは県庁に出す予定だった。それを二日で大幅に直してそんなものを役所に出していいものやら?これも経験外のことである。
今日は午後長野の高校で講義をする予定(とスケジュール表に書いて)だったのだが、一緒に行く予定の学生に「それは木曜日ですよ」と言われ、東京に戻り夜出席する予定のマンションの理事会の部屋に行ったら管理人さんに「それは明日ですよ」と言われた。二つの予定はともに一日ずれて書かれていた。こんなことなら東京に帰ってこなければよかった。明日朝また長野に行かねばならないなんて。

July 28, 2009

市街地活性化

久しぶりの修士論文ゼミ。後期に入る前にある程度片付けてほしいのだが、いつもそう言ってもなかなか皆やらない。やらないのかやれないのか?
午後市役所で重要指定建築物の修繕工事内容の検討委員会。現地調査をして意見する。この手の市の委員会ではいつも宮本忠長さんとご一緒。年老いて言うことは尚正確である。委員会の後、依頼されていた二つの部署の方とお会いする。景観賞がらみと、市民会館の新築に関する相談。市民会館の新築は既に公報にも載っているようだが、市街地活性化を狙い市の中心部にある再開発予定地が候補となっている。3年前の塩尻も市街地活性化の一環として再開発コンペが行われた。最近ニュースとなった小諸も市役所の再建に絡み市街地活性化を狙い市民病院を移転しようとしている。どこもかしこも市の真ん中に穴があきそこを箱物で何とかしようというのが行政の発想である。しかしそれだけではどうにもなるまい。塩尻の時は役所の方全てにやる気とヴィジョンを感じた。そういうものが果たして小諸や長野にはあるだろうか?期待したい。

July 27, 2009

大雨

事務所で昨日の打ち合わせの内容を伝達。甲府の仕事は今後の展開の目標を話し合う。ガレスには塩山のプロジェクトの新たなスタディの方向を伝える。午後金箱さんが来所。塩山の構造システムについて議論。少しスタディの方向性が見えたか?終わってから先週の忙しさで手をつけていなかった、レクチャーの準備やら、出張の手配やら、大学への書類やら、なんだかんだやっていたら夕方。急いで帰宅。八ヶ岳登山から戻った娘と遭遇。大雨に降られて二日ともびしょ濡れの登山だったとか。話を聞くとまるで北海道の遭難のような状況。無事戻れてまあよかった。世の中とんでもない豪雨で不幸な事故が相次いでいる。この数年のゲリラ的な気象の変化は何が原因なのだろうか?急いで飯を食って長野へ向かう。車中なかなか進まないルーマンのノートをとる。こんなペースだと読み終わるころには最初に書いてあったことを忘れそうである。

July 26, 2009

夏本番

今日の青空は深い、本格的夏の空。7時のあずさで甲府に向かう。クライアントの友人が急逝したとのことで急遽時間を早めて8時半ころから打ち合わせ。昼間には34度まで上がった甲府も着いたときは爽やかだった。政権交代が補助金にどのような影響を見せるか分からないという不確定要素はあるものの本日の案をもとに徐々に案の細かいところが詰まってきた。しかし理想の高いクライアントのイメージをどこでフィックスさせるかはなかなか悩ましい。県の役人もこの分野のオピニオンリーダーであるクライアントに絶大なる信頼をおいている。それだけにクライアントも役所に自分の新たな構想を理解させたいようだ。10時半頃、午後移動しようと思っていた塩山のクライアントが甲府に出向いてくれた。そして場所を貸してもらえた。こちらは県から補助金の関係で7月中に図面と見積もりといわれているのだが、見積もりは参考物件の見積もりをいじくることで納得いただく。午前中に甲府一箇所で2プロジェクトの打ち合わせが完了した。効率的である。甲府駅まで送ってもらい、食事をして1時のあずさで新宿へ。行きも帰りも満員である。新宿で改札の外にでるとマイケル・ジャクソンのライブインブカレストdvdがタワレコの前で街頭販売されていた。思わず買う。やはり僕らの時代の懐メロ(横浜球場まで見に行ったし)。先週から3連続レクチャに続き、八潮、甲府でちょっとグロッキー。

July 25, 2009

夏っぽい

午前中、事務所に来客。クライアントになるかもしれない方との打ち合わせ。多摩に40坪弱の家を建てたいとのこと。飛び込みのお客さんだが話しを聞いていると比較的わかっていらっしゃる。一般にクライアントは工事費の目安はあってもそれ以外の雑費を含めた事業費のイメージができていないケースが多い。今日の方たちはそのあたり銀行とかなり話をしているようである。それでも全体の事業費として工事費に加え、その3割くらいは諸雑費として覚悟された方がいいですよというと少し困惑していた。しかし設計料は15%と申し上げたがびっくりはしていなかった。
午後八潮に学生を含めたミーティングに行く。昨日までとは打って変わって今日はかなり暑い。八潮は内陸だからもっと暑いかと思ったが風が強くそれほどでもない。学生の発表の後の議論はかなり盛り上がった。曽我部が物議をかもす提案をしてくれたが、果たしてどれほど意味のあることだったかよくわからない。僕は先約があり中座。6時半に飯田橋で人と会う。今日は隅田川では花火大会。神楽坂は何故か阿波踊りをやっていた。そのせいかTX,総武線と浴衣姿の女性が目に付く。阿波踊りは迫力に欠けるが狭い道なので観客はそれなりに盛り上がっていた。夏を肌で感じる一日である。

July 24, 2009

伊勢

午前中早稲田の最終発表。今日は3年生ばかり3人。今日の発表は充実してた。建築のアート性を発表してくれた人は伊東さんの座高円寺と青木さんの青森県立美術館を写真にとってその装飾性を語ってくれた。建築の倫理性を発表してくれた人は、カントの倫理観をもとに建築の倫理性と悪党性について語ってくれた。人文の学生の発表だが、レベルは工学部建築学科顔負け。いや3年生のレベルとしては明らかに超えている。参ったね。建築における人文知の必要性を痛切に感じる。建築教育を本気で見直さないと日本の建築は終わるだろうなあ。山梨ではないが、明らかにもっと多様な価値観を理解するリテラシーが必要。
午後事務所に戻り設備事務所と打ち合わせ。今月末に向けた概算の出し方について知恵をもらう。その後再度cpuのリカバリー。合間合間に事務所に届いていた石元泰博の『伊勢神宮』を眺める。磯崎新の序文は集中できないので飛ばし、石元の写真だけをぺらぺらとめくる。まだ見ぬ伊勢に思いをはせる。見ていくうちに磯崎建築の骨格が伊勢にあるように見えてくる。この骨太さそしてこの上昇感。

成実さんレクチャー

リカバリーしたコンピューターがウィルスに感染したようである。大学のアンチウィルスを生協で買って撃退しようとしたのだが、service pack2が入っていないとインストール不可という表示がでる。そこでsevice pack2をdlしようとするのだが、ウィルスのせいか、dlできない。パソコンが病んでいる。
週末の八潮でのミーティングの打ち合わせをして午後たまった事務処理、3時半に京都造形芸大の成実先生が到着。大学院異分野レクチャーシリーズの第二回めである。ファッション文化と建築デザインというタイトルでお話いただく。成美さんのファッション社会学的な知見は日本ではあまり類を見ない。ロンドンのゴールドスミス(成実さんの学んだ)ではこうした研究者は珍しくないそうだが。2年生から院生まで100人以上の聴講だった。2~3年生にはまだ難しかったようだが、遠路はるばるきて頂いて数十人では企画した僕としても残念。なんとかたくさんの学生に聞かせることができてよかった。
終わってから食事をしながらさらに深い話。エントウィルスの『ファッションと身体』では18世紀中葉まで外見と内面は別物で、ロマン主義以降その結びつきが重要視されると書いてある。建築もそうで近代になればなるほどその内容が外見を支配するようになる。然るに21世紀はまたその整合性にずれがでているのではと持ちかけると、「だからコスプレ」と答えが来た。成実さんの近著は『コスプレする社会』。未読である。成実さんは松本へ、僕は東京への最終アサマに乗る。ハードな3連続レクチャーが終わった。疲れました。

July 22, 2009

製図第五講評会

今日は4年生製図の講評会。これはちょっとしたセレモニーである。信大工学部で一番大きな会議室を使い、この授業とは関係ない製図の非常勤講師に来ていただき、さらにゲストを呼んで行っている。選択なので10人程度の発表だが、半期の自由課題なのでそれなりに重みもある。今日のゲストは日建の山梨さん。例によって最初の1時間ショートレクチャをしてもらう。タイトルは「ヒューリスティックアーキテクチャー」。変数を最小にして多様な形を作るというアルゴリズミックな昨今の作り方に対して、変数を最大にしてシンプルな形を作るという方法論。それによってできた建物が本当にその理由でできているかどうは別にしても、そうした工学的知の結集が意匠的な想像力のきっかけにはなるだろう。
講評会は12人が発表。毎年この製図では案が発展、結実しない。自分がエスキスしているのだからその責任の一端はもちろん自分にもある。だから来られた評者の方の批判はそのまま僕の指導力を問うものでもある。であれば僕が何を発言できようか?と思うと講評会では何も語れない。昨日はその考えで槻橋さんにお任せした。しかし今日は方針変更。やはり恥を承知で、自分の罪を自分で裁かなければと考えた。なるべく全員に今までのことは無かったかのごとく発言した。辛辣だとはしりつつ全員を批判した。そしてゲストの山梨を始め非常勤の先生たちからもポジティブな講評は無かった。
信大に来て5回目のこの製図。いい加減に何かしないとまずいなあと感ずる。坂牛研OBもやって来て講評会後の懇親会では自分の過去は棚に上げて言いたいことを言ってくれた。しかしこうした意見がないことには進歩も無い。来年はいくつかの新しいやり方を取り込みたい。

3年生講評会

製図第三、三年生「幼児の施設」の講評会。ゲストは槻橋修さん。今回は発表者の選定が難しく。人数が多くなり駆け足の講評会だった。槻橋さんとは普段ワークショップなどでお会いするが、そういう時は建築家も数多く、調整のための意見に終始しがちである。こうして講評会に呼ぶとその人の本音が聞ける。5時間くらいぶっ通しで意見してもらうとゲストの方の建築観がほぼ見えてくる。槻橋さんはさすが原研出身なだけあって、ものごとを構造的に的確に捉える方だと感じた。終わって懇親会。今日から3日連続レクチャー。受け入れるほうもなかなかタフである。

July 21, 2009

伊勢へ針路変更

上野国博に伊勢神宮展を見に行った。かみさんに連れて行かれた。今日は曇りだが上野の美術館たちは西洋美術館以外少しずつ駅から遠い。着いたらもうくたびれた。展覧会は式年遷宮ごとに作り変えられる御神宝がメインだった。そうした神の品々は贅を尽くしたものではあるものものそれ以上のものでもない。僕にとって興味深かったのは最後のセクションの展示である神像。始めてみるものだし、仏像ならぬ神像なるものがこの世に存在することすら最近まで知らなかった。イヤホンガイドでは「神は仏が現世に現れるときの化身、、、東大寺の大仏は天照大神である」などと言っている。この神仏習合というものは僕にはうまく理解できない。ところでこれら神像の中に2体の国宝があった。それらは伊勢神宮ではなく熊野の速水大社に伝わるもの。熊野で見たいと思っていたものだとかみさんは言う。熊野に行く意味が少し減ったか?(と思って帰って調べたらこの神像は和歌山博物館に寄託されていた。速水行っても所詮見られないのだが)。これから井上章一の『伊勢神宮』を読む予定だし、なぜか美術手帳の8月号の特集は伊勢神宮だし、伊勢はいまトレンドなの??針路変更するか?確か石本泰博が撮影した『伊勢神宮』の写真集に磯崎が文章を書いていたはず。どこに行けば読めるだろうか?

July 20, 2009

用・強・美

昨晩dynabookの代わりに使っていたvaioが不調になった。東芝に続き、ソニーも、である。まあよく壊れてくれる。最近、コンピューターとは操作機械であって、データーベースと考えてはいけない。と自分に言い聞かせデーターは違うところに置くようにしてあるが、それも限界はある。リカバリーに30分。午後の勉強会のテキスト読みながらアプリの入れ直しやらメールの設定やら。コンピュータークラッシュという天災にたびたびみまわれると建築防災という学問も理解できる。次にコンピューターを買わねばならないときは用・強・美でいえば強にしか興味はない。午後の勉強会の担当は序章。話はヴィトルヴィウスの用・強・美で始まる。批評家はこれらの3分野を好き勝手に評論し、統合する論理を持っていない。それならそれぞれを徹底して論じればよいのだろう。しかし、この中でもっとも大事なのは美なのでありその意義と重要性をこの本で論じようと序で著者は語る。何の疑念も持たずにその序に賛同しながら今朝方感じた強への思い入れを思い出し苦笑する。
勉強会に参加しているM君から「ミュージアムコミュニケーション概念の有効性――ミュージアムとメディアの時代――」という最近の論文をいただいた。ミュージアムコミュニケーションとは展示品を人々はどのような文化的背景の中でどのように受容しているかについて特にその形式性を指し示す概念であり、加えて、ミュージアムで行われる受容者間のコミュニケーションも指すらしい。その論考にも記されていたが、下手をすると博物館も図書館もショッピングセンターも、もっと言えばディズニーランドでさえもこれからは家庭でその機能を享受できるであろう。そうなるとそうした施設の存在価値はまさにコミュニケーションにしかない。と僕は前々から思っている。その意味でもまさにそうした(受容者間における)コミュニケーションの意味合いについては興味深い。というのも建築を作る側からすれば、そこにこそ建築の存立基盤があると思われるからである。

July 19, 2009

ルーマン

ルーマンのやたら面倒臭い本を読む決意をした。ちょっと大げさだがこれは決意しないと読めない。フーコーなんて目じゃない。以前少し読み始めて全然歯が立たず3ページで諦めた(本文だけで518ページもある)。そこで今回は少し準備をすることにした。先ずこの本を読むために近くの文房具屋で大学ノートを買った。この本は目次の中に節が50以上ある。見開き2ページで一節のノートをとろうと思うと40枚のノートでは1冊に納まらないのだが適当に量を減らし1冊に納めることにした。そして先ずは節の表題をノートに書き写しながら、ストーリーを想像しようとしたが無理だった。そんな想像が可能ならこんな面倒臭い方法をとらなくとも理解できるのだろう。
とある人が本には「開いた」ものと「閉じた」ものがあると言う。フーコーの著作などが前者にあたる。つまり自分では結論を明示せず、読者にそれを委ねるもの。閉じたものはその逆だ。また本の内容のシークエンスには登山型とハイキング型があるという。前者は理路整然と結論へ向けて着実に展開するタイプ。後者は道すがらの風景を楽しむタイプ。そして読む本がこの二つの変数による4つのマトリクスのどこに位置するかを素早く見極めることができれば正確な理解が早く得られるという(高田明典『難解な本を読む技術』光文社新書2009)。節表題を全部写し終り、ここから軽く通読。気になる分からない言葉を抜き出す。10-ページで10くらいある。社会学辞典をひいても半分くらいしか出ていない。さてこの通読を10時間、精読を30時間で終わらせられるだろうか?うまく合間を縫って時間を確保できるだろうか?
夕方娘と東急ハンズヘ行って壊れた自転車のチューブバルブのゴムを買い、文具を買い、伊勢丹に行ってパンツを一本買い、四ッ谷で中華を食べて、帰宅。ノートが一杯になったので新調。新しいノートにスケジュール表を書きこみ、古いノートから必要なところをコピーして貼り付け、ペンを差す部分に和紙の補強をした。

July 17, 2009

権力と資本からの自由

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スカンノ1957―59 マリオ・ジャコメッリ

午前中の早稲田の講義は学生最終発表。倫理性と悪党性がテーマの一つ。多くの学生が悪党性を文字通り倫理の反対の意味で悪いこととして捉えている。そういうつもりで講義した覚えは無いのにと苛立ちながら聞いていた。すると一人だけ、フーコーを参照しながら正確な理解をしてくれた学生がいた。ほっとした。「往々にして世の中の倫理と言われているものが権力あるいは資本と合体して強制力を発揮する。それに対して悪党性が個人の感性の自由を基盤としてこの強制力をずらすものである」ことを示してくれた。そこまでは良かったのだがそれを建築に移すところで上手く行かない。まあ仕方ないか。食事をとって大学脇の本屋で気にとめていた写真家ジャコメッリについての本が目に留まる。辺見庸『私とジャコメッリ』日本放送出版協会2009。事務所に戻り空いた時間に眺める。ジャコメッリの写真はイタリアの田舎の村を舞台にした老人や子供の写真が多い。それらは全てモノクロである。辺見曰くジャコメッリの写真には死が滲み出ている。また生きている間は少なくとも権力からも資本からも自由だった稀有な写真家であったようだ。午前中の学生の発表を思い出した。僕には写真で金を儲けていないプロのカメラマンの親戚がいるが、彼の写真に比べれば、果たしてジャコメッリのそれが権力と資本から自由かどうかは分からないが、少なくともこのレベルの写真家の中では確かにそうなのであろう。また自由であることが理由かどうかわ分からないし、田舎の自然主義と言うようなものとも関係の無いことだが、彼の作品から伝わるものは大きい。思いっきり作為的な一枚の絵のような写真だが(いやだからこそ)伝えようとする強い意志がこちらに乗り移ってくる。

ウルムチ

事務所で仕事。午後事務所の前に置かれた2脚のディレクターズチェアに気付く。誰かが買っておいたようだ。今日も暑いが、なんとなくプールサイドのデッキチェアのような感じ。缶ジュースを買って飲んでいたらガレスがコーヒーを持ってやってきた。昨日塩山から新宿に戻り、そのまま皆で食事に行き、2件目でガレスがバイトしているアイリッシュパブに行った。「ザ・ダブリナーズ」という名の大きな店。「東京人」みたいなもの?ギネスを飲みながらガレスの仕事が終わるのを待ったが、結局忙しくて合流は無理だった。彼は週に二日夕方パブでバイトをしている。日本人が外国行ってすし屋でバイトしながら設計事務所で働くようなものだ。そのパブではギネス一杯千円。ここのギネスはアイルランド直輸入でその辺のニセモノとは違うらしい。ただ結構高い。アイルランドで同じものがいくらかと聞いたら5ユーロくらいと言っていた。
夕方個人でツアーガイドをやっている友人からメルマガが来た。2月に一度くらい送られてくる。世界中というわけではなく、彼の専門はシルクロード周り。今回はラサとウルムチ。いつもは読まずに写真だけ眺めるのだが、今回は話題の場所なのでしっかり文章も読んだ。外務省が渡航自粛を促すけれど、まあそれほどでもない。新聞、テレビは必死に争い場面を報道するけれど、それはある一部のできごと。そうではない部分も多くあるわけだ。というような内容の文章と写真が付されている。彼は中学の同級生。そのころから体がでかく逞しく一緒の高校に進み大学は琉球に行き台湾に留学し中国語をしゃべれるようになり個人ガイドをやっている。酒はとんでもなく強く、たまに日本にいると飲むのだが敵わない。先日もうちで朝まで飲んでいた。僕は寝ていた。
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「ウルムチ空港付近のウイグル族の食堂の風景。漢族とウイグル族が何もなかったように、同じ場所で、シシカバブやラグメンに舌鼓をうっていた」。文写真ともユーラシア企画メールマガジン第28回 「ウルムチ・ラサ」より。二村忍撮影

July 16, 2009

五里霧中

朝一の特急「かいじ」で塩山へ。役所を三つ回る。今日は日本中でここ塩山が一番暑いのではなかろうか?36度くらいらしい。畑の脇のアスファルトの道を3人で歩いていると陽炎が見えそうだし、意識が朦朧となる。駅へ戻り昼をとってからクライアントの車で施設へ向かう。敷地の上を高圧線が通っているので東京電力が2時頃やってきて打ち合わせ。今の計画はぎりぎりだと言うことが分かる。高圧線と言うものは電流が多く流れると熱を持ち膨張し1メートルくらい垂れ下がってくるのだそうだ。これはかなりエネルギーの無駄遣い。超伝導の研究は重要か?
前回の案の改良案を見せる。模型を見せようと思ったら役所に置き忘れてきた。なんということ。うっかりしていた。やはり厚さのせい?プランは少しずつクライアントの希望に近づいている。分からぬことは多々あるがまあクライアントといっしょになって五里霧中をさまよいながら少しずつ前進するしかない。帰りは甲府まで送ってもらい「かいじ」に乗って新宿へ。車中最近話題の半藤一利の『昭和史26→1945』平凡社2009を読み始める。分厚い文庫本。語りかけるような文体がテレビを見ているようである。

July 14, 2009

午前中のゼミ、午後の打ち合わせを終えてアサマに乗る。『ゼロ年代の想像力』によれば2000年代は「やられる前にやるやる」というサヴァイヴに目覚めた時代だと言う。そして著者はそうした例としてテレビドラマや小説を挙げる。それらを読めば読むほど、うちの娘がちょっと前まで熱狂していた類だなあと思い出す。もう高校生なのでその手のものには飽きたようだが、中学までは本屋で買ってとせがんでくる小説はたいていこのタイプ。見ているテレビドラマも殆どが戦いもの(と呼んでいるのは僕だけかもしれないが)。一体この子は変なんじゃないの?と思っていたが、世の中一般であったというわけだ。夕方事務所に戻る。携帯を研究室に忘れたことに気付いた。僕に電話しないで下さいね当分。御用のある方はメールでお願いします(と、帰宅後妻と娘に言うと、電話しても出ないし、メールしても返事くれないからそういわれなくても電話もメールもしないと言われた)。甲府プロジェクトの模型がカワイイ。室内の壁に赤みを入れようと言っていたら桃色にできている。甲府だから桃というのは安直だが、なんだかふんわりした感じである。友人の会社が「桃コマーシャル」と言う名前だったがそういえばなんとなくふんわかしてよかったなあと思い出した。人間関係を構築する場所にはふんわかした感じは大事だなあ。

July 13, 2009

デタッチからコミットへ

何度目かのテクトニックカルチャーをゼミで読む。学生諸君もm1は4年の時、m2はm1の時読んでいるので2回目。この手の本は1年ごとに何回か読むと著者のはっきりしない論旨の後ろにおぼろげに漂う思いがつかめてくるものだ。
夕食後宇野常寛『ゼロ年代の想像力』を読み続ける。彼の論旨の大筋は昨日も書いたが90年代の「引きこもり/心理主義」から2000年代の決断主義(黙っていると殺されてしまう)への想像力の転換である。前者を代表するストーリがエヴァンゲリオンなら後者のそれがデス・ノートであり、前者がデタッチなら後者がコミットである。
振り返るとこの世紀の変わり目(1999年)に僕は篠原一男、鈴木隆之、萩原剛と鼎談をしてそのまとめた本の中に短いコラムを載せた。その中で時代はデタッチからコミットへという主旨のことを記していたhttp://www.ofda.jp/sakaushi/text/1999b/07ja.html。もちろん僕の考えは必ずしも自分の内部だけから発露したものではない。そのときの時代状況と共振しながら書いていたのだろうと思う。つまり10年前に、宇野が言うように確かに自分の想像力も社会のそれもある種の転換期を迎えていたのだと感じられる。そして自分にとってそのきっかけとなったのが篠原一男との再会だったかもしれない。篠原一男は何時だってコミットの人であったと思うが、90年代の終りにその精神が再び社会と共振し始めたともいえるのではないだろうか.

July 12, 2009

執念の家

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昨日スチュワートさんに「9月にブエノスアイレスに行きたいと思っている」と言ったら、「へー」と驚くでもなく「何故?」と聞くでもなく、「あそこは危ないから夜は外出するな!飛行機の切符はすぐに予約した方が安い。僕なら今日予約する」と,まるで先生が生徒を指導するかのような対応。突如その場が20年昔に戻った。それで思い出した。そういえば学会の電車も宿もとっていない。一体はどこでやるのだったけ?大学は?ホテルは?僕の司会は何時?出張パックを探し、値段の比較をして、申し込む。会員番号?パスワード?先日のパソコンクラッシュでどっか飛んでったよ。ああいやだ。この手の作業は苦手。どんどん気分が落ちる。さっさと終えて、大急ぎで家を出て木島さんのオープンハウスに向かう。場所は逗子。戸塚乗換えで1時間電車に揺られ、駅からタクシーに飛び乗る。1800円くらいの場所。山道を登る。ここは何処?道は幅2メートルない?一体どうやって工事したんだよ?道の両側には家が建っている。でも多分普通の人ではない。どうしてもここでなければ住まないという固い意志があるひとたちだろう。息が上がる。道は続く。両側の家からはみ出る木が道に覆いかぶさる。そして緑の切れ目にレッドシダーの外観が現われた。およそ40度くらいの斜面にきのこの如く生えている。RC一層分の上に木造が3層乗っている。それもRCの設置面積を減らすためか木造の3層は斜面側に一層ずつせり出している。この建ち方に意地を感じる。中に入ると逗子の海が広がる。4層の空間は少しずつスキップしながら連続し、いたるところで外部の海や空が目に入る。木島さんらしい内外部のゆるやかつながりである。
この現場は工務店が2回倒産し最後は設計事務所が工務店をして設計者は延べ180日現場通いしたと聞く。ケーブルカーのようなウインチが無いとものを運べないような斜面を延べ3ヶ月登ってできたと聞くともはや執念を通り越した何かを感じる。
帰宅車中で『思想地図』の続きを読む。どうも東浩紀が自画自賛するほどビビッドに伝わってこないのだが、それは読み方が悪いのか?帰宅後シャワーを浴びて夕食をとり長野へ向かう。車中思想地図にも載っていた宇野常寛『ゼロ年代の想像力』早川書房2008を読む。こちらは大変面白い。90年代から2000年にかけて社会の想像力が大変換を起こしているにもかかわらず批評はそれについていけていないことを批判する。その通り。

例の会

午前中奥山さんの新作を見に駒澤大学へ行く。オープンハウスには行けなかったので今日見る機会を作ってもらった。スチュワート先生も来られていた。矩勾配の切妻打ち放しである。最近の建物は全てこの形式で彼の形への強い意思を感ずる。見終り東工大に行きスチュワート先生の新しい部屋を案内してもらう。緑ヶ丘棟の3階に素敵な部屋が出来ていた。ひょんなことからアンソニー・ヴィドラーの話になる。スチュワート氏は彼の最も面白い本はuncanny architectureだと言う。日本語で読んだよと言うと、この本は日本語に馴染むコンテンツではないからサカウシなら英語で読んだ方がいいと言う。そうかもしれない。ヴィドラーの翻訳はとにかく日本語がよく分からない。それに比べてspectacles and useは英語で読んだのだが実に読みやすかった。次に最近の彼の著書であるHistories of the Immediate Present: Inventing Architectural Modernismに話が移る。これは近代建築史史のような本であり、カウフマン、ロウ、バンハム、タフーリの趣向が作り上げたモダニズムを浮き彫りにしている(と思われる)。この本を辺見たちと翻訳しようかと思ったという話をしたら、これは薄いがとんでもなく背景の濃い本なので日本語に出来るようなものではないという。ある人がこの本を翻訳する予定のようだと言うと、誰だか知らないが難しいのではないだろうか、そもそもヴィドラーはこうしたテーマの本を書く適当な人間ではなくむしろ自分の方がうまく書けるだろうと言っていた。相変わらずのすごい自信。
その後国士舘大学の助教授の職を辞してAAスクールに留学して帰国した美濃部君の帰国報告を聞く1時間半のプレゼンテーションは実に内容が濃く面白かった。バイオミメティック建築の設計プロセスを細かく詳細に亘り聞いたのは初めてである。建築を取り巻くマイクロクライメットを形として取り出し、インテリアクライメットとの相互関係を建築化するというものであった。もちろん主役はコンピューターである。終わって思わず質問した。それはこういうことである。ヴィドラーはspectacles and useで現代の建築の四つの潮流(ランドスケープ、生物学、プログラム、建築固有の問題)は全てコンピューターの発達によって可能となった。しかしコンピューターが作る形態はアドホックであり、そのチョイスはまして恣意的であるのが現状。しかしいずれコンピューターの発達により最適解は適性に選び得ると言うのである。さてそんな可能性をあなたは感じるか?と聞いた。彼は即座にそうは思わないと答える。それなら彼のやっていることは詩的な創作のための技術と称したきっかけに過ぎないのか??
夜東京テックフロントで坂本研obの集まりである「例の会」が行われた。こちらも内覧会には来られなかったので今日初めて見せていただいた。会の乾杯の音頭を頼まれ、篠原坂本研出身のサカウシとしては大岡山の駅前に二人の恩師の建物が並んで建っていることが楽しく、嬉しく、しかもその作風のあまりの違いに驚愕であるとの感想を申し上げた。
(今日見た二人の建築への感想はコラムをご覧下さいhttp://ofda.jp/column/)。

July 10, 2009

アーキテクチャ

午前中早稲田の講義、今日で前期の講義は終了。次回以降は学生の発表のみ。気が楽だ。昼食をとりながら東浩紀、北田暁大『思想地図』vol.3を読む。アーキテクチャー特集である。もちろん東が編集しているのだから広義のアーキテクチャであるが。最初のシンポジウムのメンバーが迫力である。磯崎、浅田、宮台、東、それに若手の批評家宇野常寛に濱野智史。磯崎さんは極めて分かりやすい建築言語を話しているのだが、浅田と宮台は若手をねちねちイビル。東はそれを軽くかわす。とは言え無視するわけでもなく適度に言いたいことを言わせ、そしてまた挑発する。ワンジェネレーションのずれの構図が痛快である。しかし、これだけかみ合うつもりの無い、エゴ丸出しのシンポジウムというのもすごいね。大モノ(というか言葉のテロリストというか)をこれだけ並べて若手が司会するとこういうことになるのだろう(八束さんとシンポジウムしたときのことを思い出す)。このシンポジウムは東工大でやったみたいだけれど工学系の学生が理解できる範囲を超えている。
午後事務所に戻り、昨日の打合せを踏まえプランのスケッチ。夕方日建の亀井さんから電話。製図第五ゲストクリティークの日に役員プレゼンがはいってしまったと申し訳なさそうな声。そりゃないだろう!!と言いたいところだが、まあ仕方ない。代打山梨を送るとのことなので了解する。しかし彼は彼で東京に6時半に戻らなければならないとか。とにかくスケジュール組み直し。

July 9, 2009

ぶどう棚

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朝のあずさで塩山へ。スイカで出ようと思ったらポケットにも鞄にも無い。電車の中か新宿駅かで落としたみたい。見つからぬままクライアントの迎えの車でオフィスへ。
6月初旬に初めてクライアントにお会いしてから1ヶ月たった。その間研修生のガレスを含めてナカジ、竹内君、僕と4人がかりで数十案を作ったうちから3つをブラッシュアップして持参した。今までやったことの無い施設なだけに作ったものが全く的外れだったらという不安もあったが、狭い敷地で条件も厳しいなかでこちらとしてもその可能性の範囲は見極めているつもりではあった。打ち合わせをしているうちに相手の意図していたおぼろげなイメージとこちらの案の何かがなんとなく合致していることが分かってくる。どうにか3つの案のうちの一つをこれから進めていく基本とできそうである。とりあえず今日のプレゼンは機能した。塩山駅から電話があり、スイカをいれた名刺ケースは松本に到着しているとのこと。しかし今日は幸か不幸か東京へ戻る。
施設の昼食をご馳走になり、引き続き午後の打合せをし、終了後施設を再度よく見せてもらい外にでる。建物周囲はブドウ畑が広がる。ぶどう棚はおばさんたちが手を伸ばせば届く高さなのでとても低い。1メートル60センチくらいだろうか?その下に広がるぶどうに被せられた無数の白い袋を透過する緑の光はネトの作品のようでもある。いやむしろネトよりよほど幻想的である。
帰りの電車の中、ソシュールを読み続ける。有名なターム「シニフィアン」、「シニフィエ」が「聴覚イメージ」、「概念」に置き換わる。それによって双対性が明確となる。そして「シニフィアン」とは「意味するもの」ならなんでもいいのではなく、基本は「音」で「文字」ではないことが分かる
新宿に着いて事務所に帰る前にタワレコに寄る。I AM ROBOT AND PROUDの新しいCDが出ていた。店内はいたるところでマイケル・ジャクソンが流れている。

July 8, 2009

毛沢東時代の中国ポストモダン

朝8時。中国からの留学生李君がレポートを持って研究室に来た。1時間かけてそのレポートを読みながら日本語を直し、話の流れを修正する。テーマは中国と日本の近現代建築における伝統の現われ方比較。正直言って中国のモダニズムなど知らなかったから大いに勉強になる。中国モダニズムは上海租界地に始まるが、その後の毛沢東時代は伝統様式の現代版だった。この頃の建物の写真とその引用元を見るとまあ結構ビックリである。べたな模倣である。それも小さな寺を巨大ビルに引き伸ばしたりしている。滑稽だ。中国では20年くらい早くポストモダンしていたわけだ。もう少し調べる価値がありそうな??そして欧米の現代建築が進出したのは鄧小平以降。面白いねえ。彼にレポート書かせた甲斐があった。
午前中の打ち合わせを終えて午後製図。4年生最後のエスキスをして東京へ。ソシュールを読み続ける。第二部「言語」の前半、有名なテーゼ:「ある聴覚イメージとある概念をむすびつけるつながり――これが記号としての価値を与えるものですが――は、根源的に恣意的なものです」が現われる。話はとても厳密に進むがノートの直訳だから少々曖昧な部分もある。
東京駅で丸善により本を宅配。成実さんの新刊があった『コスプレする社会』。事務所に戻り、明日のプレゼンの資料を確認。このところ毎日図面も模型写真も送ってもらっているのでそれほど心配ない。これは結構いいシステムである。

July 7, 2009

直江津でブログを書く

部屋でコーヒーを飲み10時頃学会の北陸支部に行く。先ず作品選集の審査。現地審査の結果を踏まえての再議論。全部の作品を見ていないのだからある部分は見てきた人の主観的評価を参考にせざるを得ない。なるべくそれに惑わされないようと思いつつ、やはり見てきた人の言葉は気になってしまう。昼休みにクライアントに電話、木曜日にプレゼンしたい旨伝えると、補助金の関係がスムーズに進みそうで、今月中に案を県に提出したいと言われた。「できますか?」と問われる。「やるしかないでしょう」と答える。我々の大学でも補助金の関係で無思慮な建物が建設中だが、そうならないようにしなければ。時間が無いは理由にならない。午後学会コンペの審査。課題は複雑で奥が深いが提出案はどれもが単純でしり切れトンボという感が否めない。他の課題を議論して金沢発6時50分の特急に乗る。直江津で乗り換える。ここの乗り継ぎが毎度のことだがひどく悪い。待ち時間が50分。待合室でNHKのニュースを見る。ラクイラで起きた地震でかなりの人が亡くなった。イタリアの大学教授がイタリアには耐震性能を上げて防災に強い街を作ろうとする土壌が無いと言う。建築の母国がこう言うことに嘆くというのも皮肉なものである。ウルムチで起きた暴動が画面に映る。ウィグル族と漢民族の対立が激化している。日本で流れているこうした報道はもちろん中国では流れない。テレビはもとよりYou tubeも統制されており共産党に不利な事実は誰も知らない。CCTVの火事でさえ極めて僅かしか報道されないのだから。

July 6, 2009

北陸

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朝のアサマで研究室へ、午後の大学院講義を終えて夕方金沢へ。車中ソシュール(Sassure, F.)影浦峡 田中久美子訳『ソシュール一般言語学講義』東京大学出版会2007を読む。これはコンスタンタンのノート直訳なので、口語体。他の訳(丸山圭三郎)は読んだことはないから知らないが、こうした直訳は初めてだと解説に書いてあった。だから分かりやすいということのようだが、やはりそんな分かりやすいものではない。とは言え言葉の話だから基本的にそんなに入り組んだ問題でもない。言語の変化は時間と場所に左右されると書いてあるが、北陸の海を見ながら、ここ数日間の時間と場所の変化を痛感する。金沢で魚の美味しい店をホテルで聞く。おお!さすがに美味しい。酒は焼酎。1:1で水で割って一晩寝かせた水割りを黒千代香という器で暖めて飲む。金沢の飲み方ではないのだがこれはいける。

July 5, 2009

石探し

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朝5時に目が覚め散歩。昨晩はご馳走だったのでお腹が減らず朝食はとらず部屋でお茶を沸かして飲んだ。ホームページに提出された院生のコメントを読んで感想を書こうと思ったが出発間際になっていることに気付き、簡単にコメントしてチェックアウト。昨日張り替えが決まった外装の石を探しに今日は朝から二つの石材市場に行った。一つは地元大倉の市場。ここでは㎡380元くらいの気に入った石があった。1元15円くらいだから6000円弱である。その石を少し切ってもらい、上海の市場に向かう。ここは石だけで500軒くらいの店がありそうだ。とにかくとんでもなく広い。ここで280元くらいの石をみつけた。5000円弱である。外装用の石が5000円と聞けばとんでもなく安いだろうがこちらでは普通。高くても10000円はしないし、今回の建物で使って問題となった石は3000円しない。なんとこの石は染色された石であることがつい最近分かった。石屋に問うとこの石は外部には不向きだと言う。その石をどうしてゼネコンは外部に使ったのだろうか?どうして使ってはいけないことを事前に知りえなかったのだろうか?どうしてそういう石を我々に推薦してきたのだろうか?謎だらけである。
市場からプードンまで送ってもらう。帰りの機中、ホンマタカシ『たのしい写真―よい子のための写真教室』平凡社2009を読む。写真史の説明で目から鱗。ホンマは写真史の第一期をアンリ・カルティエ・ブレッソンなどの「決定的瞬間」。第二期をエグルストンやベッヒャー(白黒だが)による「ニューカラー」と区分。その特徴は前者が小型カメラで主観的な瞬間を捉えるのに対して、後者は大型カメラで客観的にとると言う。そして次なる説明がさすが写真家である。前者がそうであるのは手持ちカメラで手ぶれするためシャーッタースピードを上げてあまり絞らず撮る。すると必然的に撮りたい対象のみにピントがあった写真となり写真かの主観がよく現われる。一方後者は大型カメラのため三脚に乗せる。よってシャーター速度は幾らでも遅くできるし絞りも小さくでき必然的に全体にピントがあった均質な客観的(どこかを強調することのない)画像になると言う。つまり写真の内容と機械が整合していたというわけである。僕等の研究室では建築写真の分析をやってきたが、これから手持ちカメラ(デジタル)の写真が増えていき時代が一回転して建築決定的瞬間写真がきっと来るのではなかろうか、その時動かない建築において何が決定的なのだろうか?そこには建築の中での時間を示す指標が必要である。それはきっと人であり、空であり、動植物だろうと思うのだが。

July 4, 2009

着地

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中国での仕事も大詰めである。問題は4つ。一つ目はいつまでたっても汚れが落ちない外壁タイル。二つ目はシールやはねた塗装を金属スクレーパーで剥がしたためにできたサッシュ表面の傷。三つ目は工期の著しい遅れ。最後は外壁石のひどいまだら。最初の3つはどうしようもないので金額交渉。石は取替え。午前中にこちらから損害金額の提示と石の張替えを要求。それに対して午後施工者側からの回答を得た。もちろん100%満足行く回答ではなかったのだが、クライアントの寛容さに助けられて、なんとか妥協点にたどり着いた。ほっとした。ホテルに戻り夕食までの間部屋で休憩。小田部さんの『西洋美学史』を読み終える。最後の3人、ハンスリック、ハイデガー、ダントーを読む。ハイデガーの副題は不気味なもの。不気味なものと言えばフロイトとパブロフの犬のように思っていたが、ハイデガーが『存在と時間』の中でこのテーマを語っていたとは気付かなかった、いやきちんと読んでいなかった。いずれにしても至極興味深い。簡単に言えば、人間は普段居心地の良さにかまけて頽落しており、そういう状態を打ち破るには「居心地の悪さ」=「不安」=「不気味さ」が求められる。そして芸術作品に内在する「不気味なもの」が頽落から現存材を本来的な状態に取り戻す契機となり、その結果として我々の中には「原初」が導かれるというのである。
僕が建築の窓に興味があり、窓は覗かれるという不安をかきたてるからこそ常態化した建築を新鮮にすると考えているのだが、そのストーリーは既にこうして説明されていたわけだ。この手の本を読んでいて楽しいのは自分のもやもやとした直感が哲学的に説明され得ることを知るときである。

July 3, 2009

上海も梅雨

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午前中早稲田の講義。今日のテーマは倫理性と悪党性、エコロジーという現代の抗えない倫理性は果たして建築史にどう刻まれるのだろうか?終わって飯は食わず東京駅へ。丸善でart forumを買って成田イクスプレスに乗る。Ono yokoが特集されている。Hal fosterの論文も載っているぺらぺらと写真を見ているうちに成田。ターミナルで遅めの昼食。上海へ向かう機中、小山治憲『熊野古道』岩波新書2000を読む。夏に熊野に行きたいと思っている。中世日本で上皇、貴族、女、障害者にいたるまでおよそ貴賎の区別なく、この世のご利益を求め祈りに向かう人々を受け入れた場所に行ってみたくなった。かみさんは弘法大師を求めて高野山まで足を延ばしたいというが、このあたりとんでもなく交通の便が悪そうだ。7時に上海。未だに宇宙服に包まれた検疫官が体温を測りに乗り込んでくる。迎えの車で大倉へ。上海も先週から梅雨だそうだ。湿気が凄い。ホテルで明日の作戦会議。部屋に戻って『現代アートの舞台裏』を読み終える。「批評家がディーラーのディーラーがコレクターの先導役を務めていた時代は終り、今ではコレクターがディーラーのディーラーが批評家の先導役を務めている」という文章が面白かった。建築の状況もかなりこれに近い。

July 2, 2009

アートの賞

夕刻クライアント来所。大分迷ったのか道が混んでいたのか1時間ほど遅れていらっしゃった。打ち合わせはまあまあ上手く進んだ。クライアントのイメージするものとすりあって来たようである。こうなると後は役所との補助金交渉。これはこちらではあまり動ける問題ではない。しばらく打ち合わせの間隔をあけることとする。こちらは建築的な思考を進めるチャンス。とはいうもののなかなか次ぎの一歩に踏み出す切り口が見つからない。やはり公共施設は難しい。住宅のような特殊解ではないから仕方ない。
夜たまに訪れる友人の医者のサイトで彼女のブログを読んだら、坂牛は過労死するほど働いている。あいつ(僕)は昔から体力だけはあり、雪で電車が止まったとき杉並区から文京区まで歩いて学校に来たと書いてあった。そんな記憶はまったくないが、もしかしたらそう言うあほなこともしていたかもしれない。しかし僕が過労死するなら設計事務所は死体の山。この業界にはもっととんでもない人たちは一杯いる。僕などまっとうだと思っているのだが、医者に言われると心配もする。
『現代アートの舞台裏』続きを読む。ターナー賞の選考過程が書かれている。賞ほど難しいものはない。選ばれる方も選ぶ方も数少ない経験があるけれど、最後の最後は選ぶ場合は直感でしかない、選ばれた時もその理由など不明である。もちろん選ぶ時にはその理由を考えるのだが、だれがその理由の正当性に順位をつけられようか?アートにいたっては建築の比ではない。まだ書道のように一つの道(それこそ道を)を駆け上がる芸術はクライテリアも明確で順位もつけられよう。しかるにアートの世界とはプロレスと相撲とサッカーとゴルフが一つのリングで競うようなものである。ルール無しのスポーツにどうして順位などつけられようか?この本では2006年のトマ・アブツが賞に輝く経過が書かれていた。彼女の作品は森美術館で見てとても好きだったかし、その時見た他のターナー賞受賞作品はそれぞれ魅力的だった。とは言えやはり一人だけを選ぶこういう賞にはゴシップ的な興味以外に意味があるとは思えない。

July 1, 2009

箱物行政

午前中研究室の内部監査。昨日研究室メーリスに送るはずの監査の知らせを、事務所のメーリスに送っていたらしく、研究室は監査の時間になっても蛻の殻。うっかりしていた。午後4年の製図のエスキス。早いものでもうすぐ講評会。自由課題というのは自分で問題作って自分で解いてみせるショーなのだ。3ヶ月かけて1+1=2と解いて見せても仕方ない。誰もが考えつかないような問いを組み立ててそれを華麗に解いてみせるのが自由課題。それは別にデザインに特有なことでもない。数学だって物理だって、いやおよそ全ての学問はそういうことをしているわけだ。製図室を後にして駅へ。駅コンコースで子供達が集まってイベントが開かれている。NHKも取材に来ている。壇上には市長の顔も見える。ここの市長は確か建設業の社長だったと記憶する。先日プレンゼンしたクライアントの長も建設業の方だった。地方は本当に建設業が牛耳っている。日本もそろそろ箱物行政から転じねばいかんだろうと思いつつ、同じ穴のむじなとしては複雑な心境である。事務所に戻り明日の打ち合わせの模型をチェック。