力が抜ける
今まで打ち合わせに出てこなかった施主の長がでてきて話をひっくり返すということは日建時代には数回あった。どうして担当者は話を上げておいてくれないのかと恨めしい気持ちになったものだ。こういうことは大会社相手だと起こりうる。日建やめれば必然的に小さなクライアントで、こういうことは起こるまいと思っていたのだが、、、、、本日までずっと事務局という方々を相手に話しを進めてきたプロジェクトの打ち合わせに、今日始めて組織の長が出て来られた。初めて見る図面と模型に多少の驚きを示した後、体を90度回転して、部下達にどういう指示をしてきたのか?と苦言を呈した後、こちらに向き直って多少のお世辞を言って出て行かれた。ああ昔と同じだなあと少々がっくりしてしまった。一体我々の作っているものは理解されているのか?喜ばれているのか?納得されているのか????力が抜ける!!!。
午後講義とゼミ。ヴェンチューリを読む。夕食後、大学院希望者と面接。4年生のエスキス。事務所から送られる図面のチェックとコメント返信。なんだか疲れた。午前中の出来事がボディーブローのように効く。まあ一日寝れば忘れるだろうけれど。
サラ・ソーントン(Thornton, S)鈴木泰雄訳『現代アートの舞台裏』ランダムハウス講談社2009を読む。最初の章はニューヨーク、クリスティーズのオークション舞台裏。せりを行なうオークショニアはせりのリハーサルを何度も行い、おまけにそれを多くの人間がチェックするそうだ。いかにして高く買わせるか、いかにしてオークションをショーとして成功させるか念には念を入れるわけだ。それにしても未だに数億の値が付くウォーホール、もはや落札されないリヒター。アート作品は株となんら代わりない、人の信用で上がり下がりする生き物である。