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地方の矜持

会議、講義、会議、ゼミ。夕食後、『グローカリゼーション』の続きを読む。岩井美佐紀「東南アジアのグローカリゼーション」の中にこんな文章がある「グローカリゼーションとはまさに多元的価値の共存をめざす地球規模の模索である」この言葉に異論はない。しかし問題はその多元的価値が逆に世界に(とは言わないまでも少なくとも国内広汎に)通用するものでなければなるまい。そして価値が通用するかどうかはその価値の本質に加えてその価値のプロモーションにかかわるものと思われる。しかるにそのプロモーションは誰がやるのだろうか?行政か?市民か?npoか?
又そうした価値を維持していく姿勢としてこんな言葉も見られる。「グローバル化に対する反発から、ナショナリズムや伝統回帰などの非合理的な感情論に絡み取られることなく、ローカルな生活基盤に根ざしながら常に進化していく意識が共有されなければならない」この言葉にも異論はない。ただし、ここで言う「進化」を可能たらしめるためには経済的、文化的自律が不可欠と思われる。そして日本に即して考えるなら現状のネオリベラリズム的競争政策はこの自律を促すどころか挫折への道を用意するのみである。確実に地方には地方の価値が存在するのだが、その価値を誇りを持って主張する余裕がないのが現状だ。明日の食扶持に追われている。地方の行政や経済団体の様子を垣間見るにつけ感じるところである。彼らが多様な価値を再認識しそれを維持する矜持を与えるのが国の役割ではなかろうか?その昔とある間抜けな首相が地方に金をばらまいたがそういうイベント的発想ではなにも生まれない。価値を誇り、プロモーションし外に通用するものを作るには時間がかかる。長いヴィジョンを持った国政は次期政権に期待できるだろうか?

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