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地方で考える

朝の電車で甲府へ向かう。ゼミ本である『studio voice』2006年12月号「90年代カルチャー特集」を読む。だいぶ前からかなり時間をかけて読んでいるのだが、次から次に登場する固有名詞の群れになかなか進まない。その上このvoiceは字が小さくて、赤い字だったり黒字だったりするもんだからひどく読みにくい。しかし、若い女流写真家、j文学、dtpグラフィックなどと馴染みのある分野が出てくると、ああ90年代はこれだったなあと思いだしながら最近のこととは言え妙に懐かしい。松本であずさに乗り換え甲府に11時に着く。駅の脇にある城址に登り市内を見渡す。先ほどプラットフォームからは巨大に見えた丹下さんの山梨文化会館もここからだと空しく小さい。丹下さんのこのころの建物は大きく見えないと価値が半減する。城址の芝生広場に大の字に寝っ転がって空を見ているうちに睡魔に襲われる。久しぶりの幸福感。雨粒が顔にあたり目が覚めた。その昔ラショードフォンへコルビュジエを見に行きワインとパンでいい気分になり駅前の芝生で寝ていた時も雨が降って目が覚めた。
駅で昼をとり、さあクライアントのところへ向かおうとしたら携帯の着信履歴にクライアント名前を発見。あわてて電話をすると急性胆のう炎で入院したので病院に来てほしいとのこと。敷地で東京から来ていたスタッフのYさんと会い、関係者の車で病院に向かう。午前中手術をした体なのに3時間こちらのプレゼンをしっかりと聞いてくれた。最初のプレゼンだし、分からないことだらけの施設であることを考えるとまあまあの収穫か?しかしまだ五里霧中である。
駅前カフェで電車の時刻までYさんと打ち合わせ。彼女は東京へ僕は長野へ向かう。車中神田外語大学国際社会研究所編『グローカリゼーション―国際社会の新潮流』神田外語大学出版局2009を読む。グローバリゼーションは90年代からの異常な世界変動だけではなく近世以来、そして20世紀にはいり加速度的に進んできた事象であることを再認識。特に日本の建築においては、90年代グローバリゼーションの2大要因と言われる東西冷戦の終焉とIT情報革命からドラスティックな影響を受けているとは思いにくい、やはりモダニズムに端を発するインターナショナルスタイルの残滓が未だにゆっくりとしかし確実に全国を犯している。それはグローバリゼーションと言うよりはナショナルイコーライゼーションである。建築デザインがグローバル化しているなんて言うのは東京の一角ぐらいの話、日本のほとんどの都市で起こっていることは未だに100年前のモダニズムである。さてグローバライゼーションと言えば、大国があるいは大企業が自らの戦略をグローバル市場に浸透させることだと言われてきたが、経営論においてはそれが変化してきているらしい。それは少数国に集中する知識やノウハウが世界規模で流動化し地方化し顕在化する。それを少数国はその顕在化した知識ノウハウを資源として学習して進化すると言うものである。そんな理屈が現実的かどうかはおいておき、日本での建築に即して考えるなら、少数事務所やゼネコンの知識とノウハウを日本中に浸透させるのではなく、その知識が地方に流動化し地方なりの味付けの元に顕在化したそれを再度学習し進化させるということになるのであろう。言うは易し、行うは難し。いったい地方に顕在化する知識やノウハウとは何なのか、甲府でそんなものを見つけられるだろうか?いくつか地方都市でものを作る可能性が出てきた今イコーライゼーションは前景化してきた。

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