« 携帯 | メイン | 完成検査#2 »

さらに新たなるラオコーンに向けて

今日はひどい雨。早稲田に出かけるのについタクシーに乗る。講義の後ミルクスタンドでパンを頬張り事務所に戻る。新しいエスキス模型を前に打ち合わせ、相変わらず難しい。5つくらいのビルディングタイプを同じリズムで作るのはなかなかの難問。終わって急いで東京駅へ。3時半の成田イクスプレスに乗る予定だったが着いたらなんと成田方面が大幅に遅れ。この大雨が原因かと思い気や電車の故障だとか。天災ならまだ許せるが列車の故障とは、、、とほほ。乗る予定の列車は運休。予約をキャンセルしなければならないのだがon lineも故障だとか。とにかく日暮里に回りスカイライナーで成田へ。なんとか50分前に着いて滑り込む。今日はANA。いつものCHINA AIRとは違い快適だし機内食が美味しい。機内でアンソニービドラーの「建築の拡張された領域」(Anthony vidler ed. Architecture between spectacle and use 所収)を読む。レッシングの『ラオコーン』に始まり、グリーンバーグの「新たなるラオコーンに向けて」を踏まえしかし建築の領域は曖昧という認識の上でヴィドラーなりの建築の特質分析が展開される。その中でヴィドラーはクラウスの「彫刻の拡張する領域」を引きながら本来歴史や場所のモニュメントとして存在していた彫刻が領域を拡張してノマドな状態となり、さらには場所性を保持した非彫刻的なものへと展開したこと。加えてそうした非彫刻がaxiomatic structure(原理的構造)を生み出したことをあげそれが建築と彫刻の共有領域を生むことになったのではないかと指摘する。そうした彫刻の建築への侵入という歴史的経緯を踏まえヴィドラーは現在の建築領域に見られる4つの原理を示す。1)ランドスケープの概念、2)生物学の類比、3)プログラムの新たなコンセプト、4)建築固有の形態探索。更にこれらが(特に4が)コンピューター技術の進歩により飛躍的に前進し、そして、この技術が下手をすると唯のフォルマリスト支援の悪しき道具の如く断罪されるのだが、うまく使えばモダニズムが生み出した様々な問題解決の糸口ともなるであろうことを指摘する。そしてクラウスの指摘した「彫刻の拡張領域」が「建築の拡張領域」を用意し、このオーバーラップした建築と彫刻の共有領域がそれぞれの領域の境界を曖昧にしたり取り除いたりするのではなくむしろ真にエコロジカルな美学を生み出す新たなヴァージョンを作り上げるのではないかと結ぶのである。
最後の結論に至る論理展開は論理としてはあまり説得力がないし、建築が寄与するところは何も「エコロジカル」な美学だなんて妙に倫理的である必然性はないと思うのだが(ヴィドラーは結構真面目な批評家なんだ)、直観的には腑に落ちる。その理由はよく考えないと。プードンに着くと。防菌服とゴーグルで完全武装した検疫官が乗り込んできて赤外線温度探知機のようなものを額にあて乗客全員の体温を計って降りて行った。今日は遅いので白タクでプードンからタイソウに向かう。夜は高速が空いている。1時間ちょっとでホテルに着いた。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://ofda.jp/lab/mt/mt-tb.cgi/4196

コメントを投稿