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March 31, 2006

稲葉君の展覧会

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朝方お堀端を少し歩く。桜の下はすでにブルーシートが敷かれ夜の宴会に備えている。まだ寒いものの今日が桜咲く最後の金曜日。その昔ナカジと二人で凍えそうになりながらこのお堀端で紹興酒を飲んだことを思い出す。
家と事務所でいろいろ仕事。夕方大学の同級生である「稲葉なおと」の写真展へ。今日はオープニングレセプション。場所は銀座ハウス・オブ・資生堂。今や同級生の中では最も有名な人。会場を一回り。写真の腕に驚嘆する。何時の間にこんなにうまくなったのだろうか??尊敬。『まだ見ぬホテルへ』ではJTB紀行文学大賞激励賞も受賞し、週刊誌ではもうお馴染みかもしれない。昨年は週間新潮で「名建築に泊まる」という写真付き紀行文を連載していた。「写真も自分で撮っているの?」と聞くと「カメラマンを連れて行くと金がかかるからさあ」と謙遜していたが、いつの間にかプロのカメラマンにもなっていた。
今回は世界のアールデコを4ヶ月の旅行で撮ってきたそうだ。この展覧会のためであり、それにあわせて本も出版した。会場では、偶然だが、リーテムの彰良副社長、東工大のスチュワート夫妻、編集者の小巻さん、日建の西村、建築家の西村、などに会った。しかしさすが、銀座で資生堂のパーティという感じである。
因みに展覧会は「都市に生きるアール・デコ」と称して、4月1日~5月28日まで行われている。銀座に行った折には寄ってみたら?

March 30, 2006

アリカ・アート・サイト

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昨日アリカ・アート・サイトという日本橋の新しいギャラリーに芝さんの絵を見に行った。この個展は2~3日前の毎日新聞の学芸欄で紹介されている。芝さんは10年くらい前からmaoシリーズといって不定形な雲のような形を追い求めている。とても綺麗な形だった。六本木ヒルズのゴールドマンサックスのレセプションにも彼の大きな絵が飾られている。
このアリカ・アート・サイトはディレクターのいるギャラリーである。ちょっと美術館のようだ。ディレクターは谷川渥さんである。さらに面白いのは、企業の受付のような位置に作られている点である。そして出来立てのこのギャラリーのトップバッターが芝さんである。素敵な個展。僕もここで個展をやるよう谷川さんや芝さんに言っていただいているのだが、何時どういう風にやるのがいいだろうか?思案中である。
今日は、本の整理。21世紀に入ってからデーターベース化している本のリストをプリントアウトしてこれから書く論文のために、先ず重要な本を150冊ほど選んだ。そしてそれを4種に分類した。哲学、美学、美術、建築史の基礎的文献。建築のモノサシに関係する文献。他のアートに関するもので現代の建築に深く関わる文献。社会学に関するもので現代の建築に深く関わる文献。それらを先ず本棚から全部出して、自分の机のすぐ脇の本棚に移動。そしてそこにあった本は別の場所に移動。さらに全書籍を再度分類し直しテプラで本棚に分類項目を貼った。なんとなく少し整理できたか?
夕刻クライアントと打ち合わせ。昨晩社内で打ち合わせをしていたので今日はそれに沿って進めた。少しづつだが進歩。とりあえず照明以外基本設計は終了してきた。

March 29, 2006

ウエッブ進化論

突如雪が揺る長野を後にして東京へ。新幹線の中で『ウエッブ進化論』を読み始めてちょっと衝撃。目から鱗。いろいろな思いが錯綜する。全部読んだわけではないのだが、この本どうもグーグルの戦略を賛美している。そしてグーグルの10の戦略を示し、その一つであるウエッブ民主主義に注目する。それはグーグルの世界での使用者数億人の総意が物事を動かすというものである。簡単に言えば、金をかけずにマーケット調査をしているということなのだ。また別の見方をすると、単に人々の趣向だけでなく、物事の意味づけさえも総意で決められるということである。これはちょっと本当かとも思うかもしれないが、例えばウィキペディアのような辞書はそういう側面がある。そしてそれを結構使っている。今朝もそれで英語の哲学用語を引いていた。でも論文に書くなら、やはりOEDが必要かなあ?と思って、OEDのCDを買おうか迷った。しかしいつかウィキペディアの方が望まれる時代も来るのかも知れないと、この本を読みつつ感じた。人間の総意が瞬時にリアルタイムで集計されているということなのである。
でもやはりまだ割り切れないなあ。なぜかというと。ウエッブ上での民主主義と言うが、それは民主的主体が不在なただの数のようなものだけが動く可能性を感じるから。ぽんとボタンを押すだけな世界。ちょっと間違えて押してしまうような世界。アマゾンで本を注文するあの最後のエンターキーを押す世界である。アマゾンは明らかに僕の本の購入量を増加させている。あの簡単さ。それがネットのあっち側の戦略であると思うからかなあ。

March 28, 2006

ヴェントゥーリの『美術批評史』

ヴェントゥーリの『美術批評史』をぺらぺらと新幹線の中で読んでみた。この本なかなか手に入らないものだと思う。かなり前古本屋で発見して買って我が家で積読状態だった。ふとゼルゲルの様式論に通ずる何かがありそうで読んでみたくなった。さわりだけだけどちょっと難しい。
序文にこう言うくだりがある。「もし私がドラクロワは芸術家であるということを直感するならば、私は彼の絵画の長所や短所を探るべきではない。ドラクロワの絵には長所もまた短所もない。そこにはドラクロワの様式以外の何物もないのである」つまり、ヴェントゥーリにとって批評史とは個々の芸術家に対する良し悪しの判断史ではなく、ある時代のある個人あるいはその時代に共有された様式の存立基盤を明確にすることのようである。ヴェントゥーリは(おっとこのヴェントゥーリはラスベガスのヴェントゥーリではありませんよ。スペルは同じですが)ギリシャから現代までこの様式の存立基盤を入念に提示した最初の人なのである。でもこれは美術史と何が根本的に違うのだろうか。ゼルゲルの概念を借りて推測するなら、これは様式論だということなのだろうか??

March 27, 2006

様式論

ヘルマン・ゼルゲルとうい人の書いた『建築美学』なる本がある。ここでは建築の意匠的な記述には三つの方法があると説く。一つは歴史。これは言うまでも無く事実学。二つ目は美学。これは法則を発見する学。そして三つ目はこの両者の知識を下に行われる様式論。これは史実を法則的に解釈するというもの。この分類でいけば僕の興味は様式論である。それも現在論であろう。それは現在という事実の源泉を過去に見つけ、将来への流れ(法則)を見極めることにある。それは文章という形をとることもあるが、設計という作業も結局は様式論である。設計とは現在の様式への邂逅を彼岸とする行為なのである。
事務所で設計打ち合わせ。1時から始めた打ち合わせが気付くと5時。あっち行ったりこっち行ったりしながら、この流れを探している。くだらないエピソードなど話しながら、考えている。スタッフは「ああ早く終わらないかなあ」と思っているかもしれないが、頭なの中では様々な事実関係を結んだり離したりしながら、この流れの正当性を見極めているのである。結局今日の時点ではまだまだいろいろ積み残しである(そんことは当たり前だが)。
こうしてある結論は工事されるときまでには出さざるを得ないし、出した仮設はそれが竣工したときにはその妥当性を試されることになるのである。

March 26, 2006

桐建会の打ち合わせ

桐建会の打ち合わせで石橋さん、谷さん、吉田さんが事務所に、5月13日にリーテム東京工場でやることに決定。夕方見学を行い近田さんのライティングも堪能し(日が長くなるのでできるか??)チャーターバスでクリスタルヨットハーバーで食事。ここの社長は先輩であることを思い出し、即予約。何名くらい来られるだろうか?しかし桐建会の会場に使って頂く建築が作れるのは何年後のことだろうかと数年前の会で思っていたのだが、芦原賞を受賞したことでお声をかけていただけた。光栄である。諸先輩の御高覧、御批評を賜りたいものである。
午後家族+お犬で表参道に散歩。すごーい人であった。表参道ヒルズにはオープンしてから何度かその前には来ているのだが、取り付く島が無いこのファサードの表情は好きになれない。そのためか一度もこの中に入ったことがない。今日もなんだかうんざり。この馬鹿みたいな人の多さが滅入る気分を助長しているのは分かっているし、殆ど感情的な問題なのでもう少しゆっくり考えないといけないのだろうが、、、、
お犬とキャットストリートを行ったり来たり。とある屋上のカフェで佇む。3階の屋上から見える原宿の風景は鉄骨や木造のアパートが密集した旧い住宅街のカオスそのもの。将来の棲家を探す。

March 25, 2006

クラス会

朝一でプラド美術館展を覗く(内容はコラムをご覧くださいhttp://ofda.jp/column/)プラドには20年前に行ったのだが、ゴヤしか記憶がない。上野公園の桜はまだ2部咲きというところだが、既に木の下にはブルーシートが。しかし今日は暖かく気持ちが良い。帰宅後、家でいろいろ仕事。
夕方高校のクラス会に出かける。
A君:T大教授(素粒子理論で学術振興会の賞を受賞)。
K君:D広告代理店(予算を作る会社の中枢の部長だが仕事はつまらないとぼやく)。
N君:N設計(こちらは経営の中枢を担う企画の室長。都市開発をしていたのに買ったマンションで3000万の損害で皆に笑われる)。
O君:Tフォレックス(高校時代とまったく変わらぬそのしゃべり、不動産の仕事をしている)。
Wさん:K病院部長(放射線科の部長おー相変わらずの迫力)。
Oさん:G大講師(今回の発起人。今度アメリカ人とけんかするのでけんか用語を勉強中)。
Mさん:主婦(娘の受験で体重が10キロ増えたので次回は痩せると宣言)。
Kさん:D出版(大卒後入社した児童書向け出版社http://www.doshinsha.co.jp/main.htmlに勤続20年以上。すごい。女性は皆二児の母だったりするのに仕事止めてないところが本当に偉い)。
Nさん:塾先生(二児の母で子供を公立の学校で育て、教育が悪いと自ら学研の塾をつくる)。
Fさん:T中学教師(昨年病気にかかりその病気を押して学校い通い続け、病気の痛さをこらえ歯が折れたという忍耐の人。高校時代からバスケ部キャプテンでそういう性格だったなあ)。
Fさん:T研究所(半導体の研究一筋。東工大の総代でした。才女。最近子供ができたという快挙)。
Sさん:G務省(内閣官房に出向中。大陸棚問題を調査中。なんかすごいことを言っていたがここで書いてはいけないような内容だった。その昔はスペインにいましたね)。
あまり人集めしないで来られる人だけ来ようということでやったが僕を入れて13人来た。多彩である。しかし基本的なその人の人となりというものは変わらないということがよく分かった。良くも悪しくも変わらないのだ。いいのやら悪いのやら。とにかく面白かった。誰かが「消息分からない人はネットで引くときちんと出てくるのがすごいね」と言っていたが、確かにそうだ。皆さんそれぞれの分野で活躍しているのが嬉しいものだ。1次会は神楽坂、2次会は我が家で。11時頃解散。

March 24, 2006

ひきこもり

ひどい。免許の書き換えをせよとの葉書が送られてきたので、東陽町くんだりまで行ったのに、「受付は誕生日一ヶ月まえからなので26日からです」だって。「もう少し大きい字で書いてくれよ」。悔しいので東西線沿線美術館(現代美術館、近代美術館)に寄ってこうかと企画の内容を電話で聞いたがいまいち。すごすご帰る。自宅にひきこもり資料整理。再読。一体これらの本は大学に置くべきか、自宅においておくべきか?悩ましい。
7月末締め切りの原稿を引き受けてしまった。まあ1万字くらいだから量は普通だが、とある都市に関する翻訳書の解題を高名な社会学者と一本ずつ書くと言うもの。社会学者の方は「都市と国家」僕は「都市と建築」である。社会学者が高名だというのに圧され、本だと言うのでちょっと重く、そして何より夏休み中には仕上げたい論文とバッティングするのが息苦しいのだが、論文一章のつもりで頑張ろう。
さて、3ヶ月も先の心配より4月末締め切りの景観法についての論考にさっさと着手しなければいけない。基礎資料は先日一通り丸善で集め今頃大学に届いているはず。

March 23, 2006

谷川渥を送る会

谷川さんがローマに行くお別れ会。宮下誠さんが司会。すごいノリなんだこの人。最近の光文社新書で『20世紀絵画 モダニズム美術史を問い直す』という面白い本をだしている。
谷川氏はダンスへの造詣が深い(そこが僕の好きなところである。ダンスを知らずして身体性とかいう人を僕は信用しないのだが谷川さんは違う)。今日もダンサーが大勢こられいてた。その中から、和栗由紀夫が踊った。土方直系のその踊りは円熟の境地でユーモラスな振り付けと衣装。それに競演した関という女性(情報があまり正確に分からず恐縮ですが)がとても素晴らしかった。現在御茶ノ水女子大の博士課程にいてダンスをしながら研究もしているとのこと。幼少の頃からクラシックをやっていただけあって手の表情がその辺のダンサーとはちがった。
大野一雄舞踏研究所からも2名来られて踊った。ちょっとユーモラスな踊りだった。
藤枝先生とご挨拶、少々お話、とある本の相談。東京画廊の山本社長とご挨拶。先日のレクチャーシリーズのテープおこしが終わるとのこと。画家の山田さん、芝さん、山田さんの御茶ノ水時代の同級生の細江さんとご挨拶。細江さんはただ一人建築家。坂倉に17年もいたとのこと。そしてなんとあの福田和也の同級生でバンド仲間だったそうな。成績は分からないけれど、iQはすごく高かったそうだ。
谷川さんの新著『芸術をめぐる言葉Ⅱ』にサインをいただき退散。「先生頑張ってください」と言ったら「その辺で飲んでるかも」とうそぶいておられた。2次会もあったが谷川、藤枝ラインにつかまると朝までになるので行きたいのだが、退散。飲むようになったら付き合います。

贈る言葉

昨日冷蔵庫をプレゼントしてもらいました。しかもお菓子とジュースで満杯になったもの。ビールじゃなくてお菓子。「ありがとう研究室の卒業生たち」。
贈る言葉
「前にも書いたけれど、僕の先生であるディビッド・スチュワートは僕の卒論を(梗概ではなく)3回最初の頁から最後のページまで真っ赤にしてくれました。考え方、言い回し、単語の選び方まで、直されました。本当にしつこく時間のある限りそうされました。その赤が今の僕の励みです。
社会に出るとテストまで全力で走ってそれで終わりという行動パターンは終わります。特に建築ならば何年間も同じことを考え続ける持久戦です。はっきり言って自分との戦いのようなものです。どこまで前に進むかは自分次第です。学歴とか持って生まれた才能はもう関係ないと思ったほうがよいと思います。事務所のスタッフを見ていてもそう思います。半歩でも前に進むしつこさと自分のスケッチに時間のある限り赤を入れられる人が何かを達成できるのだと思っています。もちろん自分にもそう言い聞かせています。そんな時スチュワート先生の赤を思い出すのです。君たちの梗概を僕のできる範囲で赤を入れながら『分からない』を連発していたのは意地悪からではありません。社会に巣立つ君たちへの贈り物だったと思ってください。苦しくなったら僕を思い出して頑張ってください(研究室の集まりを年に一回くらいやりたいね)」

March 22, 2006

長ーい打ち合わせ

川崎のクライアント打ち合わせ。母屋と離れと2件分の打ち合わせ。それぞれの担当がそれぞれの住人と打ち合わせをはじめ僕は真ん中にいて両方の打ち合わせの様子を眺める。収納と設備と打ち合わせ項目が盛り沢山ということもあるが、1時にスタートして終わったら7時くらいだった。しかし順調に決めるべきことは大体決まってきた。3月末の基本設計終了はなんとかクリア。ただし、出窓や樋のディテールが勝負なのでそのあたりが決まらないとまだデザイン的には煮詰まらない。
東京駅で卒業生用に小さなメモ帳を買い、車中、それにちょこちょこ小さなスケッチを描いた。卒業式の後の謝恩会でお返しに皆にあげよう。

March 20, 2006

信大に東京の空気が

こんなこともあるものだ。
僕は大学で4年生の担任というものをしている。その関係で4年の学生相談をいろいろ受ける。今日も3時にアポがあり、その学生と会うことになった。いろいろな相談事をひとしきり受けた後に、彼の出身を聞くと東京である。「えっ??」耳を疑う。この大学に来て初めて出会う東京出身者。「東京の何処?」「石神井公園」「えっ?」僕の実家大泉学園の隣の駅ではないか「石神井公園側?」「逆です」なんて会話。だいたい愛知県か静岡県が大半のこの大学で(というと大げさだが、半分くらいはそこ出身である。因みに僕の研究室は静岡3、愛知2、長野2、大阪1、宮崎1、札幌1、香川1、マレーシア1、ラオス1)東京人に出会うと、急にその周りの空気が信大ではなくなる。更に輪をかけて驚きが待っていた。石神井公園出身なら高校は石神井か大泉と思って、「高校は?」と聞く。なんとなく言いにくそうに、「石神井とかじゃなくて、、、」とためらいながら、で何処なんだよとこちらはじれる「筑波大附属というところなんです」と、きっと僕は知らないだろうと言うような口調で言う。「えっ?」またもや今日3回目の「えっ?」である。「僕もだよ、、、、なんだかなあ、附属(僕等は母校を附属と呼ぶ)かあ、、、、」こんなところで後輩に出会うとは。しかも聞いたら20下であった。もう急にそこの空気は文京区になっている。
「まあ、がんばれよ」なんて声かけて。「失礼します」と出て行きそうなところに「ところでクラブとか?」そして今日4回目の「えっ」である。「サッカー部でした」「オレもだよ」、、、、、

March 19, 2006

オープンハウス二つ

10時頃、千葉学さんのオープンハウスに行く。千葉さんの本物を見たのは初めて。1階と地下1階が商業で2,3階が集合住居でメゾネット。このユニットがすごい。だって窓が無いんだもん。ここでばったり安田さんと会う。本当に久しぶり。早々に切り上げヨコミゾ氏のオープンハウスに行こうと思ったがつい二子玉のお店が楽しそうで春っぽいシャツなどすこし買い物。外苑前に11時半、ちょっと早いけれど誰かいるだろうと思ったが12時からという約束なので誰もいない。どこかで時間を潰そうかとも思ったが、メールに「テナントビルなので中身はごく普通です」とあったのでまあ外観みたからいいか。とあきらめる。サッシュレスなカンジの窓のディテールを中から見たかったのだが。東京駅へ。丸善で少し買い物。1時のアサマで長野。4時の会議に出席。
しなランバーコアと石膏ボードで研究室の院生部屋の大改造を行った。ランバーのテーブルに石膏ボードの側壁で個人が集中できるように。さらにcpu以外にドローイングできるスペースを取れるように。そして書いたドローイングを側壁の石膏ボードにピンナップできるようにした。ドローイング描かない人は学部生部屋に移動というのがいいかもしれない。

3 events

 娘の卒業式があった。娘の学校は僕の卒業した学校と運動の定期戦をしていたのでその昔よくこの学校の校歌を歌ったものである(エールの交換のために)。今日30年ぶりに歌った。懐かしかった。校長先生がいいことを言っていた。「人間は20までに基礎ができる。それまでに自分なりの理念を持って生きて欲しい」その通りだと思う。
 午後から現場に行く。工務店の社長が工期の遅れを謝罪した。とにかく今後遅れることのないように頑張ってください。
現場から夜のレクチャーまでちょっと時間があったので渋谷でブックファーストに寄る。「10+1」の次号原稿のための資料を少し買う。大学でのちょっとした研究とテーマがかぶっているので好都合である。
 6時10分前に高円寺のパラグローブに到着。東京アートスピークのゲストにお招きいただいた。『言葉と建築』についてお話をした。といったって監訳した本についてなにを語ればいいの?ということで、私にとって言葉と建築と題して、篠原、坂本から学んだ言葉と建築、そして翻訳、更には現代における言葉と建築の面白さについて語る。例としてモードの体系におけるバルトの手法を用いたカーサブルータス分析。これからの僕の研究のさわりである。レクチャーのあと30分くらい今村さんに乗せられて、ついつい軽口をたたいてしまった。あの会でのお話はオフレコですので(なんて、もう遅い)

スピーチが終わってパーティーではいろいろな人に会えて面白い。なんと信大のレクチャーのネットに侵入してきた、早稲田の立川創平君。こんなところで実物に会えるなんて。不思議。そして、吉松さんのところにいる前田さん。パリ大でバルト研究をしている桑田さんは戸田君や星野君を知っているという。世の中狭いね。

TASの小倉さん、原さん、今村さんありがとうございました。面白い会でした。

March 18, 2006

設計を目指すなら

さすがに一週間分の打ち合わせをやったらちょっと参った。明日の現場、来週の川崎、中国の見積もり図、そしてとある相談事。
大学でも事務所でもこう言う質問はよくある。「僕は、私は建築家になる力を備えているでしょうか?」この質問に限らないけれど将来の予測には自分の経験の範囲でしか答えることはできない。だからいつもこう言う「自分のやっていることが、面白い、面白いとずっと思っていられるかどうかということではないだろうか?馬鹿みたいに、ああ、面白いなあと思えていられそうなら建築家向き。それは大学の製図の点数とはあまり関係しない。その辺の雑誌の切り張りが上手でも設計の点はよくなったりする。自分が本当に好きなものを作れた末のいい点でないのなら、やはり設計に向いてないのかもしれない」

March 16, 2006

須坂でのレクチャーも終えて久しぶりに家へ

一週間ぶりの東京。8時半の電車があるはずだったのに長野駅に着いたら次の電車は9時。しょうがないちょっと平安堂に寄って帰りの電車で読む本を買おう。かばんの中には山のように本が入っているのだが、バルトやカントじゃこの疲れた頭では歯が立たない。思わず立花隆の『政治と情念』を買う。うーん政治はその辺のドラマよりはるかに面白い。と半分ほど読んだところで東京。
今日は6時から須坂で講演会をさせていただいた。地元の方と信大の学生君たちと100人くらいいただろうか?市長さんもいらっしゃって1時間半ほどお話をした。新旧の共存する街・建築ということで、僕の訪れた世界中の街ロサンゼルス、スイス、北アフリカなど、そして京都でやった茶室保存プロジェクトなどを紹介し、最後は東北芸工大の先生をしている同級生の山畑氏からお借りした、山形の蔵プロジェクトを紹介した。反響があったね。この部分には特に。
信大にレクチャーに来てくれたみかん組の竹内氏がレクチャで話してくれたのでこのプロジェクトを知ったわけで「竹内ありがとう」感謝感謝である。あっもちろん山畑ありがとう。

ところで須坂と言えばやはり同級生の坂田の出身地である。彼は今東工大の構造の先生だが、同級生で教職は結構多い。横山はやはり東工大の材料の先生。安藤は法政の意匠の先生。上述山畑、僕と5人先生をしている。

March 15, 2006

夜中の奇行

昨晩4時ごろ目が覚めた、頭が妙にさえている。夢で論文を書いているではないか。かなりきているねこれは!と思ったものの、これを忘れたらまずいと思い、筆記具を探す。しかし昨夜に限って全ての荷物を研究室に置いて手ぶらで帰ってきていた。僕の部屋は本当にベッドと小さな机しかない。文房具も何も無い。困った。シャツのポケットにボールペンがささっているのを思い出した。ところが、ノートが無い。しょうがない読み終わった文庫本のカバーの紙に書き始めた。4行書いたところで、さあ寝ようと思って枕元の電気のスイッチを切った。ところが3分後にまた頭の中に一行分の考えが浮かんだ。枕元の電気のスイッチを入れて一行書いた。と繰り返すこと3回。今朝研究室に来て読み返してみる。なんだかどこかで読んだような言葉が並んでいる。
このところ来年度のゼミで『モードの体系』を読みたいという学生がいるので、未だ読んだことの無いこの本を(お恥ずかしい)精読している。この本ではシニフィアン、シニフィエを記号作用部と記号意味部と訳しているのだが、先ほどのメモに建築作用部と建築意味部という言葉が並んでいるのだった。思わず笑った。

明日は学会主催須坂市共催の講演会。皆様ありがとうございます。演題は『新旧共存の街・建築』。今晩は夢でリハーサル。

March 14, 2006

いろいろ気になる

長野東京の往復回数を減らそうとしている。その方がうまくやれば時間もお金も節約できるのではと思うからだ。そうしてできた時間で論文書こうと思うのだが、そうもいかないので困ってしまう。まあ東京から来る図面のチェックはよい。それはあまり胃にたまらない。ボディーブローのように効くのは、現場の遅れと進歩しない梗概と遠くいるというだけで気になる細かな事務所のこと。この手のことは本を読んでいても、字を書いていても、ワープロ打っていても、10分に一度くらい頭の中に登場し、思考の継続をちょきちょきちょん切ってくれるのである。何かこう、外界と精神的に遮断してくれる部屋か薬が欲しいものである。なんてちょっと危ない。去年の春は信大医学部の精神科の先生に新任の先生はすぐうつ病になるから気をつけなさいと言われ、本当にそうだと思ったものだったがそれに近い。

March 13, 2006

仙台の話聞きかじり

学食で昼ごはんを食べながら、仙台から帰ってきたY君と話をした。仙台とはもちろん「学生日本一卒製」の話だ「どうだった」「駄目でした」「印象的なのは?」「穴掘っただけという案」。そうかそういう案が上位にあるのか、ふむ。

学生の設計のリアリティがよく問われる。昨日も少しコメントしたのだが、東大の講評会で思った。面白い。先ずは、しかし壮大なるフィクションの世界を見せられてもなんだかうんざりする気分をぬぐいきれない。SFロマン小説だと思えばいいのだろうが根っからSFが嫌いな僕としては息苦しい。そもそも建築はフィクションではないと思っているし、やはりロマンチストでは無いからかな?彼等の案は面白いけれど、クリアすべきいろいろな問題を抱え、そうした問題の上で自分たちの案をどこまで本気で真剣にリアルに考えているのかが見えない。卒業しても本気でそういう精神を継続させようとしているのかが分からない。そんな思考の遊戯は遊戯であって、卒業したらそこまでの遊戯とは断絶して手のひらを返すように違うことをするならやらなければいいと、そんな風に思いは募るのであった。つまり僕が言うリアリティとはあくまでその人にとっての、実現へ向けての真剣度みたいなものである(いやもちろん彼等に真剣味があるかどうかそんなことは本人と話したわけでもないしこちらの想像の域を出ないのだが)。技術的な問題では決してない。

さてそう考えると、穴掘ったというのは妙にリアリティが伝わってくるのである。なんでだろう?、実際やったから?そうではない。きっと。実際に掘って無くても僕は賛同すると思う。なんで?身の丈にあった真剣味がありそうだから。

まあドローイングとか見てないし、コンセプトをきちんと聞いたわけでもないし、勝手なこといえないけれどね。Y君の話を聞いていら勝手に自分の中の想像でそんな気持ちになっただけだけど。

March 12, 2006

卒製コンクール

入試の面接官を幾度か経験すると分かることがある。建築を学びたい人のきっかけは地震か安藤忠雄である。これには僕以外の試験官の先生も驚いている。そして建築の人気は高い。姉歯事件は建築人気を落とすどころか拍車をかけ、建築正義なる妙な倫理観を生み出している。
さて今日は長野県のjiaが主催する学生卒製コンクールである。といっても出すのは信大だけなので卒製の公開学外審査というところで、東大のそれのようなものである(そんなに人は来てない様だが)。私は入試で行かれなかたっが、金、銀、銅が選出されたようである。
人数が少ないこともあり、7人くらいの建築家の方に(委員長は宮本忠長氏である)丁寧に見てもらえたようである。選出された根拠の詳細は分からないが多くの人に批判されるのはとにかくいいことである。4年はもとより手伝いの下級生にはいい勉強になったのではなかろうか。こう言う審査はちょっとしたきっかけで票が流れることもあり、その順位に余り拘泥しない方が良い。しかし各建築家の意見には謙虚に耳を傾けるべきであり、それを逆に批判する精神を養って欲しい。

March 11, 2006

娘が哀れ

昨日かみさんが「最近娘をどこにも連れて行ってないね」と言う。そうそう、研究室の学生と合宿しても家族で合宿してない。「何時からだっけねえ、去年の夏は?」「no」「春は?」「no」「冬は?」「no」「一昨年は」「一年間どこにも」「げ!」「二年前は?」「夏に文がシンガポールに行っただけ」。困った父親である。建築オタクのお父さんをもった娘が急に不憫に思えてきた。この春休みも今のところ無計画。小学生最後の春休みだというのに。そこでせめてもの罪滅ぼしに、お昼をoazoに食べに行こうと誘った。ついでに丸善で好きな本を買ってあげようと言ったら喜んだ。提案もせこいがそれで喜んでくれる娘も幼い。でもこちらとしては嬉しい。小学校時代音楽に明け暮れ本なんて読まなかった僕とは大違いで、成績は悪いが、読書だけは人一倍するようで、年間200冊以上読み学校から表彰されたそうだ。まあ僕ができなかったことをせいぜいしてください。成績はあまり高望みしません。母親は毎晩隠れて本を読んでいる娘と大喧嘩しているがまあ大目に見てあげたらどうだろうか?

March 10, 2006

クラス会の幹事

来週末高校のクラス会のようなものをしようと突如、G大、T大、パリ大まで行って音楽評論をしているOさんから電話があった。彼女曰くT大の先生をしているA君がやろうと言い出したとのこと。このA君は所謂天才型の男だった。授業が終わればパチンコか麻雀試験前には教科書の目次を暗記しほぼ満点をとっており、物理学でノーベル賞をとらないかと期待していたが世界はそう甘くはないようだ。しかし長くNY大学にいて今でも共同研究で、年の半分はアメリカに出張しているとのこと。
わがクラスにはK大からS生命に進み、小説家をしているOという変わり者がいる。高校時代から机の中には原稿用紙しかはいっておらず、国語のレポートを原稿用紙に100枚以上書いて先生を困らせていて今後はレポートの上限を作ると先生に言わしめた男だ。売れっ子になっても会社を辞めずにいたが果たして今どうなっているのだろうか?
最近リニューアルされた名簿を見ると、留学した人が4人居た。そのうち先述のパリ大に行ったOさんは各美大で講師などしている。T大の建築からスタンフォードに行ったY君はM工大の先生になり私はS大学。と皆教えることに多少関わっているが、T大からD広告代理店に行って、スタンフォードに留学したK君はそのままその会社に居る。
T工大に進んだものは僕をふくめて4いた。一人は会社までいっしょになったN君。経営企画室長という要職につき経営者の見習い中である。同じ建築学科に現役ではいったH君はコールハースの事務所に行って福岡の仕事やオランダの劇場の担当をした後止めてオランダで事務所を開いている。T電気に行った女性のFさんはなんとT工大で卒業生総代だった。才女である。才女と言えば幹事の一人、IさんはK中央病院の放射線科の部長(だったと思う)。高校時代から迫力があった。
考え出すときりが無い。40人のうち果たして何人くらい来られるだろうか??因みに幹事の一人にさせられてお店の段取りをせよとのこと。筑波から来るやつ、新幹線で来るのもいるのかな?とはいえ西のベッドタウンから来るのもいる。そうすると場所は真ん中でうちのそば四谷あたりがいいかな(笑)いずれにしても、半分くらいの輩には会いたいものである。

March 9, 2006

近所の話

昨日の最高気温が19度で今日は10度だそうだ。三寒四温とはいえ激しい。
我が家の道路を隔てた逆側に去年まで三井住友建設の本社があった。去年の夏その建物が解体された。そこに三井不動産の17階建ての高層マンションができるとのこと。建設会社は土地を系列不動産会社に売って、その工事の仕事をとって自らはどこかに引っ越したという話である。
ところがである。去年の暮れ頃行きつけのとんかつ屋の主人が「坂牛さん、あのマンション17階建てが10階建てになるようですよ」と言う。そんなことまさか反対運動があったってそんなことはあり得ないでしょう。と思っていたのだが、つい先日、ポストに一枚の手紙。三井不動産から。17階建てのマンションを10階建ての事務所にするので工事説明会をしたいという内容だ。とんかつ屋の主人が言っていたことは本当だったのだ。さて今日。そのとんかつ屋で飯を食っていたら、町内会のおじさんが入ってきた「僕等が新宿区区役所に掛け合い、高度地区の、、、、、で高さを7階小さくさせたのだ」と言っている。そんなことできるの???本当びっくり。さらに「今日は説明会ですよ」と言う。なるほど、これから説明会か?17階を10階にしても容積は使いきるので、鉛筆のようなビルが豆腐みたいになっただけだそうで逆に周辺の日影条件は悪くなったようだ。今まで文句を言わなかった人が文句を言い出し、「建物を高くしろ」と言いかねないようである。
この建物の東側に住んでいる僕は高見の見物状態なのだが、果たしてどういう結末になるのだろうか?さっさと作って売りぬくつもりだった三井不動産は誤算。もちろん工事できない建設会社も誤算。しかし最大の誤算に頭を痛めているのは建物を低くさせたことで勝利と思ったのも束の間で逆に日影が悪化したことに気付いた近隣反対派の方たちかもしれない。

初夏のような表参道

東京はいきなり春を飛び越えて初夏のようだ。東京駅から千代田線で神宮前に行く。表参道はヒルズ人気(でかどうか知らないが)とても混んでいる。坂本先生の新作を見に行く。外からはあのイかのような姿のみでもちろん中の流動的な空間はしのばれるはずも無い。FRPの外装の汚れ具合とか樋なしのディテールとか技術的なところを拝み終わり。せっかくこのあたりまできたので安藤さんのhhstyleも拝んで行こう。こちらも考えてみれば樋なしディテール。かたや白かたや黒だが形はよく似ている。安藤さんの中でよいかどうか分からないが(安藤さんの建物で知っているのは住吉ぐらいなので)僕は好きな建物である。
長野仕様の服装が初夏の表参道ではひどく場違い。事務所に帰りいろいろ、雑務、などなど。その後川崎の打ち合わせ。二棟の仕上げと色でひどく悩む。3時間くらい模型を前に試行錯誤。ひたすら沈黙。9時頃帰宅。なんだか疲れた。

March 7, 2006

純粋理性批判

そう言えば日課だったカントの『判断力批判』宇都宮訳が終わって今引き続き『純粋理性批判』上巻宇都宮訳をちょっとずつ読んでいる。もうカントはいいやと思っていたが、判断力批判を読むと、こちらを読まないわけには行かないのである。この本8500円もするのだが古本ネットで5000円で買った。5000円だって充分高い本だが、文庫本を2回読む気になれないので敢えて買ってみた。
さて少しずつ読んでいくとあの有名な一節に序論で出会う「私は、対象にかかわるのではなく、対象についての我々の認識の仕方に、しかもこの認識の仕方がア・プリオリに可能である限りにおいてかかわるすべての認識を、超越論的と名づける」
批判という言葉の語源はギリシャ語で「分ける」という意味だったそうだ。つまり純粋理性批判とは経験としてではなく(純粋に)原理として理性に可能なことを分ける作業だったのである。それが上述の序論を生み彼はその分ける作業の末得られるものに超越論的と名づけたわけである。
どうして僕が性懲りもなくカントに惹かれるかというと、建築を見るときに人は何に感動するのか、十人十色と言わず、超越論的に感得されるものがありやしないかといつも思っているからである。これは思ってないことの裏返しなのだが、つまり十人十色だとずっと思っていたし思っている。でもそれを実証するためには、共有する感性があることを先ず否定したい衝動に駆られるのである。
なんともひねくれものである。本心はどこにあるのか自分でも分からない始末である。

March 6, 2006

大学行政

教室会議、学科会議、会議の連続。極秘事項があるのでここでは書けないが、学科の運営なるものは会社の運営と変わらない。利益追求団体ではなく、価値追求集団を標榜しつつも、生存をかけた競争がある。それは大学間だけではなく大学内でも起こるものである。民間の会社でも社内部署間での戦いがあるのとまったく同じである。民間の社内の戦いはひとえに利益の多寡によって決着がつく。話はとてもシンプルに定量的である。一方大学というものは、そう簡単ではないはずである。
その昔元名工大の学長であった柳田博明氏にインタビューをしたとき、日本の大学行政の見識の低さを嘆いていた。柳田氏が留学していたイギリスでは、研究とは目先の利益につながることではなく100年のタームで必要と思われることに金をかけるものだという通念があったという。一方それに比べ日本は目先のことしか考えない。コンピューターが流行ればパブロフの犬の如く、コンピューター関連には目を瞑っても予算が付く。馬鹿げていると嘆いていた。大学行政を司る人間には長いいビジョンにたった深い見識が問われるはずなのである。それがひどく欠けているのかどうか正確には知らないが、現在の溺死寸前の大学の生存競争、学内の生存競争というのはなんとも嘆かわしいものである。
午後、須坂のレクチャ、大学内パンフレットのデザイン、その他こまごま雑務をこなしているうちに夜。

日曜日

事務所に行って少々仕事。帰宅後須坂での講演会のパワポづくり。昔のロサンゼルスのスライドをスキャン。懐かしい。再来週はこの講演会の後に今村君に頼まれたTASでのレクチャーもあって頭があっち行ったりこっち行ったりする。一夜漬けができないタイプなのでこのくらい前からちょっとづつ準備しないと話すことがまとまらない。夕食後少し早めだが秋葉原でデジカメを見たいので家を出る。コダックから出たワイドレンズと望遠ズームレンズが付いた2眼カメラを試す。これがなかなか優れものだ。2眼で無理がないせいかいこれだけのレンズ性能なのに薄くて軽い。でもちょっと高い。東京駅丸善による。taschenの本が安い。2冊組みのsculputureという彫刻史のビジュアル本とDavid Adjaeの作品集(以前housesは購入したが、public buildingsが新しく出ていた)を購入大学に届けてもらう。
9時半のアサマで長野へ。車中『クリスティーズの内幕―華麗なる美術オークションの世界』を読む。クリスティーズ対サザビーズの熾烈な戦いの内幕を記したものでテレビドラマを見ているような面白さである。

March 4, 2006

打ち合わせ・打ち合わせ

朝10時kプロジェクト現場定例。少し遅刻。現場進捗状況を木島がクライアントに説明中。外壁塗装色を最終決定。定例後、木島・加藤は佐藤淳さんのオープンハウスに、僕は東大の公開講評会に行く。信大の学生にも宣伝しておいた手前少し見ておかないわけにはいかない。会場で松永君、芦田君、山田君に会う。3年生も数名来ているとのこと。12名の発表のうち半分くらい聞いた。ずば抜けたものは無いが、そこそこ考えられているように感じた。しかし4年生としては立派なものではなかろうか。講評の先生たちは立場上厳しく批評していたが。4時に事務所にもどり、川崎の家の打ち合わせを加藤、大武とする。外装の材料のあり方を議論していたら7時になった。その後、ナカジと中国の話をする。4月まで動かない予定が、ちょぼちょぼと仕事が発生するのである。8時半頃帰宅。どうも未だ合宿の疲れが残っている。

March 3, 2006

お疲れ

昨晩から坂牛研の合宿。学生のパワーはたいしたものだ。今まで大学内ではあまり感じたことのない力が見えてくる。彼等の多くの側面に触れることができたのは貴重な体験であると同時にとても嬉しいものである。まだまだ若いつもりのこちらもくたくたである。帰りの新幹線ではぐったりと深い眠りに入ってしまった。

March 1, 2006

ヤマ

朝学部生の部屋から密かに頂いてきたガスファンヒーター無しにはこの時間までとてもいられない。しかしヒーターも力尽きたか寒い。帰ろうかなあと外を見ると雪。帰るのも寒い。帰らないのも寒い。

信州大学には山岳科学研究所というものがある。山を科学する研究所など信大にしかない。信大が誇れるものの一つらしい。そこで僕等も少し何かしようと歴史の先生と山岳景観をちょっと考えることとした。歴史の先生はタイポロジーが得意なので形態分析。僕は得意なものがないのでとりあえず、色彩分析をしたらどうかと思っている。山は一年間でどう色を変えるかということを調べる。そして山は何色に社会の集団表象として捉えられているかということを小説、絵画、写真などから分析する。例えば赤富士という言い方がある。富士山が真っ赤に現象することを指している。というように、長野の山もある色を持って現象することもあるはずである。もちろん四季で色が変わるかもしれないし変わらないかもしれない。その差は何によるだろうか?

さてヤマという建物を作った僕にとって山はとても面白い対象である。そのカタチも面白いしイロも面白い。果たして何が得られるだろうか?ヤマ#2のアイデアに出会えることを願っている。

学内リニューアル

就職相談コーナーの模型ができた。倉庫で見つけた、既存家具の模型を部屋の中にばらばらと置いてみる。軍隊スタイルはもう古いから、それこそ豆を撒くようにばらばらに置いてみる。まあこんなもんか。夕方工学部長が松本から帰ったところにその模型もって打ち合わせにいく。工学部長だけかと思ったのだが、管理の係長以下5名ほど集まってきた。模型を見ながら「さすが」とか「すごい」とかおっしゃっている。「うむ、まずい、なにかプレゼンしないとかっこつかないかな?」とちょっと戸惑う。今日はどうしたいか要望を聞くだけのつもりだったのだが、そういう雰囲気でもなさそう。面倒くさいから昼考えたことを述べておわりにするかな?「お金が無いので、1、先ず壁を取っ払ってガラススクリーンにする。100万。2、床壁天井は同じ色にする。天井はやりかえられないから、天井の色にする。ということは白にする。塗装と床で50万。3、部屋の真ん中の柱は掲示板にして高さ1200くらいのところにテーブルをまわしパソコンを2台置く。机設置10万。4、机はばら撒き何処かに常駐の先生二人は座る。以上」
「えっ、ちゃんとした席が無いと先生が不満ではないか」と工学部長。「いまどき先生の席だけ特別もないでしょう」と私、「白い床は汚れる」と管理「ワックス塗っとくと掃除は楽ですよ」と私「その掃除が大変で」と管理。まあありそうなやり取りを少しする。とりあえず模型をさしあげ、あとは少し皆様でお話しくださいと言うことで退散。残務を片付け8時頃には大学を出て駅前の平安堂に向かい面白そうな本を物色。最近何故か宗教の本に手が出る。昔の建築のことを考えると、宗教抜きに語れないからかもしれない。というと格好いいが、単にゴンブリッチの歴史の本の影響。そうなるとどうもパレスチナのあたりが面白い。平積みの文庫をふと取り上げると中東の詳細な地図が折り込まれていた。松本 清張。ほう。この手の本はほとんど読んでいるので気を付けないとよく同じものを買うことがある。10ページくらい読んでああ昔読んだと気付きもったいない思いをするので記憶を辿る。それを買って階下の蕎麦屋で蕎麦を食しながら読み始める。帰宅して風呂につかりながら読んだ。砂漠で凍えそうになる描写は僕の北アフリカ旅行の記憶を蘇らせた。