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February 28, 2006

正座は大変

午後川崎のクライアントとの打ち合わせ。2時からはじめ終わったのは8時頃だった。何せ母屋と離れと2軒分なので時間はかかる。離れの住人はその昔お茶の先生だった。お茶をずっとやって正座をしていたためにひざを悪くされたとのこと。今ではイスでないと座れないのである。和室での打合せだが、彼女だけはイスである。しかしこちらも6時間和室というのは結構大変である。失礼は承知で足はあっち向いたりこっち向いたり、抱えたり。もちろん正座は不可である。
昔事務所の木島さんに連れられてお茶の場に臨んだことがあったが、1時間近くの正座で失神しそうになった。正座というのは体にいいものではない。昨今の若い子達のスタイルが良いのは座式生活からイス式への生活スタイルの変化が原因とも聞くし。
帰りの電車の中で今日の打ち合わせを確認し、僕はそのまま長野へ向かう。昼は比較的穏やかな天候だったのに夜はかなり寒い。車中小田部氏の『芸術の条件』を読む。小田部さんの文章は本当に良くできている。難しいが哲学者のジャーゴンではない。正確に伝わる文章である。

February 26, 2006

歴史のなぞ

東大の東洋史に数学0点でもはいった友人のKが私の娘に勧めていたマンガ世界の歴史を娘から借りて読んでみた。へー面白い。つい昼から四巻ほど、メソポタミアから、ギリシア、ローマ、中世ヨーロッパ、ルネサンスまで読んでしまった。マンガは教科書では割愛されてしまうような登場人物の微妙な心理が表情に出てくるところが楽しい。
例えば、ミラノに行ったダヴィンチがフィレンツェに帰ってきたとき既に頭角を表していたミケランジェロの対抗意識とか、モナリザの微笑みを見て涙したラファエロの感動とか、文章より絵の方がその感情の機微は直接伝わるし、教科書にそんなことは書いていなかったようにも思う。いや、面白い。マンガ読んでたら夜になってしまった。夕食後小田部さんから頂いていた、『芸術の条件』を読み始めた。小田部さんにしては平易な文体で書いている。これならすぐ読めるかな?前著『芸術の逆説』が芸術に内在する問題系ー創造、独創性、芸術家、芸術作品、形式、-を扱ったのに対し、本著はー所有、先入見、国家、方位、歴史、ーという芸術に外在しながら芸術を形成してきた因子の解明ということのようである。それゆえ「語の正確な意味での姉妹本」だそうである。
ところで近代芸術関連の本はそのオリジンに触れようとするとどうしても18、19世紀のドイツに話が関係せざるを得ないのだが、マンガでもゴンブリッチでもこのあたりが手薄なのはどうしてなのだろうか?客観的に見れば(客観とはなんなのか分からないが)あまり重要ではない時期なのだろうか????

February 25, 2006

留守番

ポートフォリオを送るのに久しぶりに英語の手紙を書いた。書こうと思うとスペルが出ない。かなり深刻である。記憶力の低下は娘を見ていると痛感する。うらやましい若い脳みそ。さてポートフォリオを送ろうと事務所に行ったら事務所に無い。ナカジがチェックするのに家に持って帰ってしまったようだ。一日なんとなく落ち着かない。あせっても仕方ない。昼間静かに本を読む。今日は留守番。家族は映画を見に行った。犬と私と二人だけ。誰も居ないので食卓を独り占めして年表やら辞書やら広げてゆったりと読書。犬は寝床で向こうを向いて寝ている。家族が居るときはこちらを向いているくせに、私一人だと反抗的にお尻をこちらに向けて寝ているのである。5歳になったおばさん犬をいただいてきたもので、この歳になってから人に慣れるのは大変なのである。

びっくりすることが多い一日

早朝、日本最初で唯一と思われるオリンピック金メダルのパフォーマンスをライブで見た。優勝候補のアメリカのコーエンが転倒したことも手伝い、荒川が一位となった。昨晩アメリカの放送局のスポーツ担当ディレクターがコーエンがプレッシャーに弱いので失敗をして荒川が優勝すると予想していたのがその通りになった。あまりの予測の確度の高さにびっくりである。
テレビの興奮冷めやらぬうちにKプロジェクトの現場に到着。今日は宙に浮く鉄の箱の仮設柱8本を取り除く日である。構造の金箱さんも来て取り除いた後に床レベルが下がらないか確認をした。1ミリも下がらないのにはちょっとびっくりである。
その後、近くの川崎の家の敷地を見てもらう。そして事務所に戻った。ポートフォリオ完成間近である。結構時間もかかったが、なんと200ページのポートフォリオとなった。エディトリアルデザインをしたナカジの力はたいしたものだ。すごい。
夜、日建の皆に芦原賞の受賞お祝い会を開いていただいた。構造の小堀さん、顧問となった池西さん。同期の西村、後輩の田島さん、そして後輩で新入社員の佐藤さん。どうもありがとう。昨今の構造問題から、日建ゴシップまで尽きぬ話題に花が咲く。同期山梨が副代表になったと聞いてびっくり。もちろんなるべくしてなったのだが、もうそういう歳なのかと思うとちょっとがっくりでもある。

February 23, 2006

日記っぽくない日記

日記の内容は何時考えているのですか?とある人に聞かれた。答えは、こうして打ち始めてそれからである。と言って打ち始めてからしばし打つのを止めて考えにふけっているわけではない。なんとなく書くことが頭に湧いてそれを手が勝手に打っている。
実はその昔日記を最初に書き始めた頃は日記というつもりで書いていたのではなかった。中学の頃だったと思う。梅棹忠夫の『知的生産の技術』という岩波新書を読んでその中に出てくるダヴィンチの手帳という話に感動して自分もダヴィンチのように常に手帳を持ち歩き気になること発見したことをメモっておこうと思ったのである。であるから、その手帳に書くことは毎日の日常の備忘録的なものであってはならず、ある画期的発見でなければならなかった。それは結構自分にとってプレッシャーであり、何らかの発見をしなければならないと朝から晩までモノを上から下から左から右から見るようになった。だから書こうと思っても毎日書けるものではなかった。その後就職して、もう発見ノートでなくともいいと思い、日記をつけようと始めたのだが、やはり癖が抜けない。所謂日記というものにならない。つい発見テーマについての文章という形式に知らず知らずになってしまう。すると逆に一日中今晩何を書くか考えるようになり、考えがまとまらないで夜を迎えると書くのに時間がかかっていた。
それがこのブログになったらあら不思議。別に朝から夜書くことを考えているわけではないのだが、時間がかからなくなった。ワープロなんだから当たり前と言えば当たり前かもしれない。数倍早く文章を記せ、かつ消せ、かつ入れ替えられるという安心感。何も考えずに書き始めても怖くないということだからかもしれない。

さてそうやって書く内容はやはりどこか日記ではなく30年前の癖を未だにひきづっている。何か題をつけないと文章を書いた気にならなくなってしまった(ダヴィンチとは言いませんが)。題のついた日記なんてあまりない。

裁量労働制

大学から裁量労働制運用指針(案)なるものが来る。裁量労働制とは大学の先生の仕事柄、一日の仕事の時間配分、仕事場所について個人の裁量権をある程度認めるというものである。つまり一般社会じゃフレックスと言っているものの更なる拡大版と言える。
大学に来る前は、大学なるものは、決められた授業と会議をこなせば後は全て自由な世界かと思っていたがそうではないことが分かった。問題は二つあって、一つは、まったく大学に来ない自宅研究型の先生への批判。もう一つは、一日24時間研究室にこもって働く先生の健康問題。この両極端を解消するには、自己裁量でやってもらうしかないというところなのだろう。しかし、そのためについにタイムカードの自己申告版も送られてきた。私のように民間に居た人間にはあまり抵抗がないのだが、ずっと大学で育ってきた先生(特に文系の人)は猛烈に抵抗するのだろうなあ。

大学の自治、教員の自由を束縛するものである。なんていう風に。昔、私の先輩で東大の文学部の助教授がぼやいていた「法学部なんてタイムカードがあるんだよ、変だよねえ」と。
難しい問題だけど、本当に優秀な人材を時間で縛るのはなんとも馬鹿馬鹿しい。一方でもうわけの分からん研究を野放しにしておくほど予算がない。とするなら、やはり、少数精鋭の自由な学問領域を作るしかないのかもしれない、入試倍率も激減してきているのだから、大学も淘汰されて、残ったところは自由な領域であるべきではないか。

February 22, 2006

斜めの床

大学内の就職相談コーナーを作るというので少しお手伝いすることになる。30㎡くらいの部屋を個人相談コーナーとして、100㎡くらいの談話室を多くの方に来てもらえるようなスペースにしようというもの。と言っても予算はほとんどないので、肝心要の家具も学内にあるものを探してくるところから始まる。そこで倉庫化している、使われていない旧い講堂に始めて入った。使われなくなった椅子やら机やらソファが並べられている。そこで発見したのだがこの講堂の床が斜めなのである。腐って床が落ちたかと思ったのだがそうではない。ステージから見て後ろ側の床がステージを見やすいように上がっているのである。講堂は後ろから入るから入ると前方に向かって下がっていることになる。なんとも愉快なつくりである。写真ではこんな講堂を見たことがあったような気がしたが、本物を見たのははじめてである。

February 20, 2006

ブログ病

30歳少し前から15年くらい手書きの日記帳をつけていたのだが、去年からブログに書くようになってしまった。なぜかというと、東京長野往復生活をし始め、日記帳を持ち歩くのが苦痛となったからである。というのが理由の一つ。二つ目の理由はブログをやっている他の大勢の方と同様に自分の感動を誰でもいいからお伝えしたいというもの。そして3つ目は教育にも幾ばくか関わっているものとして、教育的な一般的情報を流したいからである。
などという理由でブログをやっているのだが、どうも電子情報は心もとないものだ。ぼくの本棚の奥のほうには日記帳の棚があり、15年分の丸善の布張りノートが並んでいる。その頃から日記だけは万年筆でつけていた。当時はb5版で大きいものを使っていた。一日一頁の日課、するとだいたい1500字くらいは書けてしまう。それが何時の頃からかもう一まわり小さい版に換えた。書くのが大変というよりかは出張などにもち歩きが便利なようにというためだった。過去を懐かしんでいる時間はあまり無いが、年に一度くらいそれらを見ることがある。そうすると、良くも悪しくも昔の自分に出会う。もちろんブログの情報もいつかまとめてcdにでも焼いて保存しておけばよいのかもしれないが、なんか忘れそうである。そのうちに知らぬ間にこのサーバーの会社が倒産したりしたらどうなるのだろうか?倒産しなくとも、僕のデーターをなくしてしまうなんていうことが起こらない保障はあるのだろうか?実際かつてサーバーに保存されていた僕の貴重なデーターがある事故から回復不可能になったことがある。これは大変悲しいことだった。この頃からどうもデーターへの信頼性がない。日記帳なら、火事にあうか捨てない限りなくなることはない。目に見えるモノの強さである。更にデーターの信頼性に加えて、手で書かれたものとしての「字」というもの現前性は大きい。数年前の自分は単に思考回路だけではなく、その時使っていた万年筆やら、そのインクの色やら、それこそ字体にもそこはかとなく現われているのである。

手で書くということの価値はどこかに残しておきたいのだが。一度このブログの便利さにはまるとなかなか抜け出られるものではない。

February 19, 2006

萌える男と燃える男

久しぶりに日曜日の夜に自宅にいる。家にいるのもいいものだなあ。犬とじゃれたり、娘とじゃれたり(はしないが、無駄口たたいたり)、かみさんとあほ言ったり、ぶらぶらしているのはいいものだ。昼はラグビー見たけど大差で早稲田は負けちゃった。やはり体が違うなあ、フィットネスで勝てないねえあれでは、前半はいらいらしていたが後半はもう諦めだ。
竹内先生からレポートの採点結果竹内賞がメールで送られてきた。ありがとうございます。竹内にしてはとても丁寧な解説つきでびっくり。さすがやるときはやるねえ。竹内賞はやはり三年生だった。名前はまだ明かしません。坂牛賞とともに近日中に授業のネットに載せます。
ゴンブリッチの歴史の本読んだらパレスチナの話ができてきて思わず聖書なるものの解説書を読んでみた。旧約と新約の差のようなものが少し理解できた。風呂に入って『萌える男』を読んだら面白いことが書いてある。萌える男の反対語は燃える男だそうで萌える男はもてないが燃える男はもてるのだそうだ。そうかそうだったんだ。でもやはり萌える人が沢山いるのは別に今も昔もあまり変わらないのではなかろうか?たまたま萌える男がネットという社会の活断層に露出しているだけで、それがとても生産的な何かになっているとは思わないのだが、電車男も早稲田のラガーも昔からいて明日もいる。騒ぐほどのことではない。違うかな??
もう眠いのでベットでゴンブリッチの続きを読もう。

February 18, 2006

レイアウト教本

六本木ヒルズでランチを食べてぶらぶらしてから(このあたりこのとはコラムに書いたので読んでください)青山ブックセンターに寄った。この本屋は東京じゃあちょっと楽しい本屋の一つ。デザイン系が充実している。そのデザイン系の真ん中の平積みコーナーの台(ということは注目書や売れ筋が置かれている台)のさらに真ん中に平積みかつプラスチックの書見台のようなもので立ててもある、つまりこの店の最も大事な一押しの本の場所に『言葉と建築』が置かれていた。思わず口元が緩んでしまった。因みに『言葉と建築』は重版が決定した。こんな高い本買っていただきありがとうございます。誰かが『ウンコな議論』は面白いというので買って読んだがその面白さが僕には分からなかった。残念。それから研究室の四年生が萌える男になったので『萌える男』というちくま新書を買った(でも未だ読んでない)。それから建築デザイン系洋書が30%offになっていたので、レイアウト系の本ばかり8冊買って大学に送った。平面構成の概念がまったく欠如しているわが大学の学生の参考書にしようと考えた。新学期最初の課題はこのレイアウト教本に則り自らのコンセプトをA3のポスターにするというのを一週間で提出させよう。
そのレイアウト本の中でも単に美しいレイアウトの事例集ではなく、原理を説明したとてもよい安い本があった。レイアウトを学びたい人にはお勧めです。
Kimberly Elam ‘Grid System‘ Princeton Architectural Press 2004
amazonで新品ユーズドで2000円くらいで買えます。僕は2500円で買ったからアマゾンの方が安い(アマゾンは本当に安い)。一つの情報(下記)を延々100ページくらいそのレイアウトヴァリエーションとヴァリエーションの原理そしてその原理に基づく他の事例を載せている。レイアウトは直感に頼りがちだが、これはその意味では抑えるべきポイントが身につくと思う。うちの学生には是非買わせよう。

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February 17, 2006

4人目の家族

朝マンションのエントランスを出たら浅野先生に出会う。こんなところでお会いするのははじめてである。大学で事務所から来ているメールに返事を書いたり、諸指示を院生たちに置手紙。その後東京へ。車中、仲正昌樹『デリダの遺言』を読む。この手の著者(東大文学部系ちょっと暗めの屈折おじさん)を異様に嫌う人たちがいるのだが実は僕は読むのは嫌いではない。本人に会ったらよく分かりませんが。一週間ぶりの事務所。これだけ間を空けたのは初めてだろう。まっ卒論だから仕方ないね。4時に川崎のクライアントがいらっしゃった。打ち合わせはあまり悩むこともなく進んだ。大まかな進行方向が決まった。これもスタッフの準備のおかげであろう。さあこれでどの程度当初のイメージを崩さず進められるかが問題である。
打ち合わせ後、秘書の井上の就職相談。研究室の就職で頭が一杯だったが井上も3年生である。来年の今頃仕事の状況が許せば希望をかなえてあげる旨約束。そう言えば今年はあるとき以来あまり就職相談が来ない。もうピークを過ぎたのか?
9時半頃帰宅。4人目の家族(チワワ)が来ていた。3キログラムと大きなチワワである。我が家に来てまだ4日くらい。臆病者で近寄ってきても30センチ向こうで踵を返して逃げてしまう。

やっと一年のお勤めの締めくくり

昨晩は卒論発表会。50名あまりの発表を8時半から一人7分ずつ聞いた。終わったのは夕方。僕の部屋の人。他の部屋の人もご苦労様。卒研のカタチは全員しっかりおさえていた。20数年前の自分を思い出した、東工大の小さな教室で同じような発表をした。信じられないかもしれないが、(僕自身信じられないが)当時の論文は全員手書きが普通。僕等スチュワート研だけは、英語で書いていたので少し違った。藤田は手書きだったが、辺見はタイプ、僕はあるところからパソコンを借りてきて打った。(当時パソコンはよほどのオタクでなければ持っていなかったのである。研究室はどこを見渡してもどこも持っていなかった。大学に一台大型コンピューターがあり、それにパンチカードで入力するという信じられない時代だった)梗概もロットリングで手書き。一字も間違えられないし、一字一字美しく書かなければならなかった。僕等スチュワート研は論文を最初から英語で書いていたから、辞書片手に英語の論文を日本語に訳しながら日本語の梗概を書いていたのであった。
さて、とにもかくにも全員passできて卒業が決まった。4年生とともに僕自身この大学に来て最初の仕事をこなせたという安堵感と喜びがある。(設計の内容はまだちょっとではある。だからpassではあるけれどaとは限らない。僕がuclaの修士の時、修士設計を4人の審査員の前で発表した時、主査であるチャールズムーアがpass と書いてサインしてくれたのを思い出す。アメリカではpassか否かだけなのであった)
さてこうして学部生、修士生が卒業できたのは下級生の絶大なるヘルプがあったからである。先輩を手伝う習慣がなかったこの大学に手伝いを徹底させようととにかくことあるごとに手伝え手伝えを連呼したせいで、本当に多くの人が彼等をサポートしてくれた。そういう下級生にお礼をしようということで50人近くでお礼の会を開いた。4年は昨晩も徹夜という状態で(発表会の前まで徹夜するというのもしかし、本当に計画性がないよなあ)ふらふらになりながらよくのみよく騒いでいた。会を仕切ったのはm1だけれどお見事。本当に忘年会に続いて大いに笑わしてもらった。健康にいいなあ。「これがあるだけでも信大に来た甲斐があった」と言ったら「それだけですか?」とすかさず突っ込まれてしまった。「それだけではない」と言いたいがそれは来年の今頃卒計、修士設計にもっと満足できるかにかかっている。来年の4年、修士はいい3年を見つけ、3年はいい2年を見つけて手伝ってもらうそれが君たちの権利だし、そこで自分の力を伝授するのが義務でもある。

February 15, 2006

スケッチ三昧

一年たつのは本当に早い。この大学で働き始めて一年。最初の卒業生の発表会が明日である。内容へのコメントはまだしないけれど、無事卒業できることを祈ろう。

川崎の家の打ち合わせを朝メールと電話とファックスでする。先週の金曜日が最初のクライアントとの打ち合わせだった。そこでクライアントに思いっきり叩かれたのだが、問題はこの次である。次が大事なのである。最初というのはこちらも夢を詰め込んでプレゼンする。そして大体クライアントの思い描くものと齟齬をきたす。そしてこちらはびびったり、しょげたりして、最初の夢はどこかへ吹っ飛んでしまうことが多い。「ヤマ」の時もそうだった。こんなコートハウスみたいのは絶対いやだと言われあっさりその路線を変更。その後紆余曲折して最初の案に戻るのに4ヶ月くらいかかった。
最初に叩かれるとこちらも少しびびるので相手の言いなりになるもので、少しいい子になろうとする。しかしいい子になることが最終到着地への近道ではない。それは絶対に言える。いや悪い方向に進むことも多々ある。確かに最初の案でクライアントの意向を無視している部分は多いのだが、それを指摘されてびびっても仕方ないのである。
まあいいや。とにかく今日は研究室でひたすらスケッチを書いていた。

February 14, 2006

ゴンブリッチの書いた世界史の本知ってますか?

朝からガイダンスのチラシ作り。3年生向け研究室ガイダンスを2コマめに行う。午後同じ学生相手に就職のガイダンス。僕は設計分野の就職担当。その後4年の卒論発表会のリハーサル。一人5分。修士に比べると短いものである。みんなもうなんとなかなりそうだ。一安心(するのは早いかな?)。
夕食後ことのほか雑用に手間取る。須坂市に送る講演会のチラシのpdfを作るのに時間がかかってしまった。そのため東京帰りそびれた。こうなったら明日の社内ミーティングも電話メール作戦に切り替えよう。
先日ゴンブリッチ(有名な美術史家です)の書いた『若い読者のための世界史』という本を買った。小学生か中学生向けの世界史の本である。なんとも不思議な本だが、彼が25歳の時に妹に語って聞かせた世界史だそうだ。童話のような語り口に絵本のような挿絵が入っている。古代エジプト、インド、中国、そしてやっとギリシアと進むこの本は疲れた頭には一服の癒しである。ふっと4000年の過去に飛んでいくような気分である。

a long day

昨日は長い一日だった。午前中、会議、午後も会議、研究室で今日の3年生ガイダンスの資料などいくつか作って、あわてて3時半の新幹線に飛び乗る。車中昨日のギデンズを読むが東京についてからの講演会でどうしゃべろうかなどと考えているとあまり頭に入らない。とりあえず、ギデンズとしてはデュルケムやパーソンズの構造優先には異議ありというポジションだけ確認して終わり。講演会画像の整理をしていたら、東京。走って会場へ。今日はaaca賞、芦原信義賞の展示+講演会が大手町カフェで行われるのであった。会場に着いたら、既にaaca賞の藤江和子さんの講演が行われていた。途中で侵入。その後aaca賞特別賞の京都迎賓館について日建の佐藤さん。続いてやはり特別賞の竹中工務店本店ビルについて。そして僕。日建は相変わらず手配師的な仕事の仕方で日本の名工を総結集し、日本で一番高い材料を全部集めてきてこの迎賓館を作ったようだ。総工費を明らかにして欲しいものだ、我々の税金で作っているのだから。プラダといい勝負ではないのか??竹中の本店ビルはあの外観だけ注目していたけれど、実は光と風とアートがテーマだったようで。この手のテーマは10年前日建でいやというほどやってきたのではあるが、やはり普遍的なのだろうか????
そこへいくと藤江さんの作品はすっと腑に落ちる。感性でデザインできるひとなのだろう。理屈ではないという感じである。そもそも家具を作れる人はミリ単位の目を持っているものと坂本先生に言われたことがあるが、やはり僕等とは別種の感覚を持っていると思う。
僕は、完成品ではなく設計プロセスをお見せした。パワポがうまくできなかったのでpdfを開きつつ割とアドリブでお話しした。少し見にくかったかもしれない。ごめんなさい。
その後パーティ。元芸大の学長だった澄川先生に久しぶりにお会いした。現在は内藤さんの設計した島根芸術文化センターのセンター長だそうで「遊びにおいで」と誘われた。いや是非行きたい。芦原太郎さんを始めてご紹介された。親子そろってどうしてこう人あたりの良い方たちなのだろうか。竹中の水野さんという設計課長にお会いした。「坂牛さんとは20年前に会ってますよ」と言われびっくり。その当時東京の大学の卒業設計展に日大代表で選ばれていたそうだ。なるほどあの時の方だったか。「展覧会の後のみに行きましたよねえ。東大の藤野とかと」と言われまたビックリ。まったく記憶に無い。
さてパーティーをこっそり中座して事務所に、1時間ほど打ち合わせ。腹の虫の居所が悪い。まああまり感情を出さずに冷静に考えよう。そして最終のアサマに飛び乗った。
長い一日だった。今日もそんな日になるのかな??

February 12, 2006

いろいろと雑用をこなす日曜日

明日の大手町カフェでの講演の内容考えて、3月須坂で行う講演会のタイトル考えて、明後日大学でやる研究室ガイダンスのペーパーと、製図第五の春休みの宿題を考えた。その合間に早稲田対トヨタのラグビー見て(早稲田が勝ったすごい)、ギデンズの『社会学の新しい方法規準第二版』を読んだ。最近少し、このあたりの人たちの主張が相対化できるようになってきた。
夕方から北風がびゅんびゅん吹き始めた。ちょっと事務所に行ったら柴田君が一人で仕事をしていた。明日の仕事のメモをスタッフにおいて必要な本を持って帰ってきた。今日の夕飯はお好み焼き。なかなか家で食べるお好み焼きも美味しいものだ。テレビからは上村愛子が残念ながら5位に終わったというニュースが流れてきた。残念。上村も三回めのオリンピック。デビューは長野だったのである。その長野にさあ最終で行こう。

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February 11, 2006

イージーな文化再生産はもうおしまいにしよう

これはブルデューの文化再生産理論の知見の一つだそうだが、「労働者や農民の子弟は・・・一定の自己限定を行い、法学部、医学部、薬学部をあまりえらばないという傾向がある。代わりに、文学部と理学部に進む、」(宮島喬『文化的再生産の社会学』)その理由の最大のものは、彼等は自分たちの身近な世界にそのモデルを見出すということであり、身近でないものからは無意識のうちに遠のくのである。これはブルデューのフランスでの調査結果であるが、その文化的再生産の仕組みは日本でもほぼ同じであろう。人は身近なモデルに進みやすいのである。それは大学の学科選択に始まり、就職へとつながる。
つまりもうすぐ佳境にはいる大学の就職戦線においても言えることである。先輩が進んだ就職先をイージーなモデルとして自己同化させながら自分の未来像を作り上げる。そして長年その再生産が行われてきたのである。ある狭い殻の中で安穏としているように見える。人のことを非難するつもりなど全然無い。自分がまったくそうだった。ほとんど何も考えず就職した悪しき例である。だからこそ信州大学の学生にはそうなって欲しくない。自分の可能性を信じて自分の身近なイージーなモデルに自己同化せずに、チャレンジして欲しい。今まで先輩が行かなかったようなところでも自分の進みたい道があればとことん挑戦して欲しい。それができるだけの力は、少なくともデザインの分野に関しては3年かけて教えるつもりである。

レポート再読

早朝大学。レポートを再読。日課のカントと睨めっこ。カントのカテゴリーには批判も多いというが、質と量と様相と関係というのはとても分かりやすい。
10時8分のアサマに乗る。この電車は大宮しか止まらない一番速いアサマである。東京11時半に着く。車中、更にレポートを再読。昨日Bをつけたものの中にAに上げるものがないか見直しである。東京昼。ちょっと丸善により、昼食をとり、4冊ほど本を買って事務所に向かう。3時から川崎のクライアントとの打ち合わせ。いろいろと要望を聞く。
夜友人と会食。

February 9, 2006

今日は拷問

朝8時から修論の発表会。一人15分で36人夕方6時までびっしり。さすがに疲れた。全員漏れなく聞いた。さて専門外も含めて聞いてみて何が分からないって、構造は分からない。なんでだろうね、本来ここは一番設計者にとって身近なはずなのに、ブラックボックスである。終了後即判定会議。皆さん御苦労様。さて、それが終わって、東京へ帰るか否かちょっと悩む。山のように届いたレポートをどうするか???読む決心をした。優秀作品10個を選定した。これが5時間かかった。5000字レポート50篇である。25万字。新書1.7冊分である。10時間発表を聞いた後の頭にはちょっと拷問。この10篇を竹内に送るのだが、向こうのボックスが一杯で戻ってきてしまう。あーメールも弱ったものだ。

February 8, 2006

分裂にっぽん

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昨晩帰宅すると朝日の友人Mからメールあり。5日の日曜日から朝刊1面に「分裂にっぽん」という連載を始めたので読んでくれとのこと。実はこの記事は既にとても気になる良い紙面(記事だけでなく、写真もいい)だと思っていたところだった。そうか、いい仕事をしているなあと思って、嬉しくなった。内容は東京の20年前に典型的な中流サラリーマンの住む町として名を馳せた高島平団地を取材ポイントとしながら高齢化し家賃を払うのもままならぬ人々を見つめ、リストラで家賃を払えず抜け出てしまった人を追うというものである。要は高齢化と下流化を中流の総本山で取材するというものである。久々に新聞の言葉が感性に訴えていた。最近社会学の本を読み、社会をシステム化する目を養っているけれど、マクロな捉え方の中にミクロとしての人がいることは言うまでも無いし、そうしたミクロを訴える力が新聞には未だ残っていると感じる記事だった(褒めすぎか?)。日曜版の団地の写真はまるで香港のスラム。その写真に引き寄せられてこの記事を読んだのである。
今朝は昨日とうって変わって寒い。また寒波である。午前中事務所で月曜日の芦原義信賞受賞レクチャのパワポ作り。午後川崎の家の社内打ち合わせ。10日がクライアントプレゼン。第一案の最後のチェック。第二案もあるのだが、まだそちらのほうが良いと思えていない。10日に見せるかどうかは模型次第。
打ち合わせ後、長野へ。今日は卒論の梗概提出日。電話で全員提出したことを確認した。8時に大学に到着。本論のチェック。最終ボードを画面上でチェック。まだレイアウトされていなかったり内容が不足しているものある。発表まで時間のある限り詰めてほしい。
2年生のデザイン論、院生の空間設計のレポートがメールで届き始める。まだ読む元気はないが、なんとなくワードファイルを開きたくなる。プレゼントの箱を開けるようなわくわく感がある。そしてナカミにさらりと目を通す。アッと目を惹く写真が載っていたり、キラリと光る言葉が転がっているとついその周辺を読んでみたくなる。でもまだ我慢。時間のある日を作って一気に読むつもりである。明日は修論発表会。

February 7, 2006

話しの極意

朝、修論発表会のリハーサル。一人2回ずつ発表してもらう。高々12分の発表なのだから、しゃべることくらい暗記する。そしてスクリーンを見ずに聞いている人の顔を見て話せるところまでいけばたいしたものなのだが(とはいえ多分大方の発表は棒読み、スクリーン釘付けだろうが)。
先日信大のノーベル賞候補である遠藤教授の公開レクチャーがあったが、やはり見事なものである。何度僕は目が合ったことか。つまりスクリーンの方などあまり見ない。見るのは、スクリーンに注意を集めたい時だけ。残りの時間はずっとこちらを見て話されていた。更にしゃべりがすごい。言葉が淀みなくあふれ出るのである。話しの極意を見た気がした。
昨日の大雪と寒さが嘘のようである。今日は8度まで上がったし。僕の部屋も寒くない。僕の部屋のエアコンは外気温が下がると止まり、上がると動きだす。
さあそろそろ東京へ帰ろう。

February 6, 2006

読売書評に載る

朝一から会議。この時期(修論、卒論前)の先生たちは気が立っていて怖い。(自分もそう思われているかもしれないが)気をつけよう。人のふり見てなんとやらである。

午後雑誌『a』のゼミ。M1の諸君は論文書くか、修士設計やるか、迷走中なせいかゼミの進捗もイマイチ。どこかでキチンと組み分けして今後のゼミのやり方を確立しないといけないだろう。夕刻、事務所から送られる図面をエスキス。外は吹雪。エアコンはあまりの寒さに止まる。シャープペンと消しゴムと三スケ片手にガスファンヒーターのある学生部屋に避難してエスキスを継続。

さて今日は嬉しいニュースがひとつ。拙共訳『言葉と建築』鹿島出版会2006が昨日の読売新聞朝刊書評に取り上げられていた。評者は上智大学助教授 林道郎氏。西洋美術史が専門。建築ではない人に取り上げられたのが嬉しい。谷川先生に推薦して頂いたのが効いたかもしれない。これ以外でもいたって評判は悪くない。先日もTOTO広報部の方にいきなり「『言葉と建築』大変評判よいですねえ」とお褒めの言葉を頂いた。何を根拠におっしゃっているのかあずかり知らぬところであるが、ありがたいことである。共訳者皆さんの努力の賜物と思わざるを得ない。


言葉と建築読売.PDF.jpg

February 5, 2006

教科書の価値

昼まで自宅。積読状態の本の整理、引越しの時に京都から取り寄せた3段スライド本棚が少しずつ一杯になってきた、恐怖である。しかしここが一杯になるのも時間の問題であろう。どうしよう?大学に送るという手もあるのだが、いずれ戻ってくることを考えるとそれも躊躇してしまう。
午後事務所、一人で静かにエスキスをする。気持ちがいい。新たな案ができた。スタッフに模型を作る指示を残して帰宅。昨日から宮島喬『現代社会学』有斐閣1995、改訂2005を読んでいる。多分このての本は大学の教科書にするようなものである。それゆえ、広く浅く体系的な説明がされる。自分の断片的な知識を整理統合するにはもってこいである。ちょっと前に原佑 他『西洋哲学史』東大出版会1955、第三版2000を読んだ。これも教科書でありとてもよくできている。やはり長年使われている概論はきちんとしているということだろうか。そう思うと自分の授業でもいわゆる教科書を使ってみようかという気にもなる。僕が大学時代使っていた、藤岡先生の『建築史』は未だ売られている。学生には全体を見渡せる視点を示す必要もあるのかな?
さてこれから夕食をとって秋葉原のブリッジ渡ってから長野へ行こう。

神保町の誘惑

午前中 k project現場定例。コンクリート躯体が打ちあがった。塗装色をクライアントと決める。リーテムでやったように墨色をうっすらとかける方向で決定。リーテムはアクリルシリコンに顔料を混ぜたが、今回はランデックスに顔料を混ぜた。ヤマの白い塗装と同じ方法で谷内田さんがよく使っているものである。現場はトップライトサッシュの製作遅れが全体工程に響きそうである。住宅の現場でビル用サッシュを使うと絶対遅れる。遅れなかったことが無い。
帰りはそのまま帰宅しようと思ったが、乗り換え駅の神保町でつい古本屋に寄りたく地上に出てしまったのが運の尽き、ぶらぶらすること3時間。しかしいろいろ掘り出し物もあった。ケネスクラークの『風景画論』が1500円。ラスキン『建築の七燈』2000円。また和田伸一郎の新刊を発見。などなど、南洋堂にもつい行ってしまう。3冊ほど購入。mvrdvの新刊はとてもよくできた本で面白い。

February 3, 2006

疲れた

午前中一月の雑用、銀行、郵便局。午後はエスキス。年明けからの大学でのハードワーク(というか心労)の疲れがたまったか?今日はまったく力が出ない。弱った。
一年間かけて修士と4年と卒業に向けて勉強した。たった一年でどこまで教えられようか?一生懸命作った彼等の作品はそれなりのものだと思う。しかしどうしたって、一年では限界がある。来年の4年生は3年の最初から教えているから卒業の時は2年のつきあいだ。今の2年は卒業の時は3年教えたことになる。一歩一歩進歩していくことを夢見ている。いや夢ではなく、そうならなかったら僕の教育手腕が無いということで辞表である。僕はそのくらいの気持ちでこの仕事をしている。そのことを学生諸君にわかって欲しい。ふー。

山本想太郎信大でクリティーク

2年生の製図第二後半課題オフィスの講評会を1時から6時半まで行った。ゲストは山本想太郎氏である。坂倉の入社最初の担当がサザンタワーだっただけあり、オフィス経験豊富。その上やはり最前線の話題をいろいろつかんでいるだけあって、コメントが的確である。日建の誰かを呼ぼうか山本さんにしようか迷って山本さんにしてよかった。ありがとうございます。
2年生の前半の課題の講評会は時間のたつのが遅く感じられて、早く終わらないかなあと思いながらやっていたのだが、今回はあっという間に時間がたち、もう終わりか残念という感じだった。何故なのかと考えてみたが、やはり総じて面白かったということなのだろうか?表現がまだまだ稚拙なのはおいておくとしてもそれなりに思考の形跡が見えていたように思う。嬉しいことである。3年生の松田君や武智君が去年よりよくできていると思うと言っていたのはそれほど大げさなお世辞ではなかったのかもしれない。
講評会が終わって山本氏は「突出したアイデアやプレゼンがあるわけではないが、あるレベルのきちんとした図面を全員よくかけていた」と本気で言っていことをお伝えしておこう。ただ意匠系に進もうという人はもっともっと人より上を目指す向上心と貪欲さを忘れずに春休みを過ごして欲しい。
講評会終了後、研究室の院生と山本氏を囲み食事をして、最終の浅間で東京へ。車中建築の話題に花が咲く。山本さんありがとう。

February 1, 2006

目的論的繭関係

不眠不休のわが研究室の中根君、深沢君の論文がやっと完成。まあよく頑張った。内容の細かい所はまだまだだけど、とりあえず格好はついただろうか。とにかく卒計と同じレベルにならなくて良かった。(まあそんなことは当たり前か?本人たちに失礼か?でもそんな心配を人知れずしていた時もあったわけで)。信州大学初の修士設計として、それなりの論理的な主張のあるものになったかな?後は発表会でしっかりとアピールして人を惹きつけること。それも建築力である。

歴史にロマンを求めて昨日頂いた日本建築史の6篇の論文と建築心理学の一遍の論文の梗概を一気に読んだ。なかなか悪戦苦闘(こちらがです)である。分からない専門用語が多くていちいちネットで調べていると結構時間がかかる。なんとか読み終わった。それぞれ面白かった。本当によく調べてあって感心。ロマンとかそういうことにはちょっと遠いかもしれないけれど、中途半端な調査で勝手な想像をするよりか気持ちがよい。

昼ごろ川崎の家の修正図がメールされてくる。図面がメールできる時代は本当に便利である。なんだか多角形の双生児の繭のようなカタチの平面である。
その昔、機械論と目的論という哲学的対立があった。機械論とはもちろんあらゆる現象には因果があるというものだ。一方目的論とは自然的存在者には自己自身のうちに自己自身のあり方を規定する原理を持っているという考えである。
この二つの論理に頼るなら、この繭のようなカタチを僕は目的論的に扱いたいと思っているのである。つまりこの300㎡近い土地の中に大小二つの生物が肩を寄せ合って、うまくはまっているそういう姿を想像しているのである。それは、こちらがこうだからこちらがこうという関係ではなく、無限の連鎖反応の中で、両者の自律的な目的意識が、双方の位置関係と形状を生成するような関係である。二つの関係が今回のポイント。目的論的繭関係を今のところ模索している。
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