仙台の話聞きかじり
学食で昼ごはんを食べながら、仙台から帰ってきたY君と話をした。仙台とはもちろん「学生日本一卒製」の話だ「どうだった」「駄目でした」「印象的なのは?」「穴掘っただけという案」。そうかそういう案が上位にあるのか、ふむ。
学生の設計のリアリティがよく問われる。昨日も少しコメントしたのだが、東大の講評会で思った。面白い。先ずは、しかし壮大なるフィクションの世界を見せられてもなんだかうんざりする気分をぬぐいきれない。SFロマン小説だと思えばいいのだろうが根っからSFが嫌いな僕としては息苦しい。そもそも建築はフィクションではないと思っているし、やはりロマンチストでは無いからかな?彼等の案は面白いけれど、クリアすべきいろいろな問題を抱え、そうした問題の上で自分たちの案をどこまで本気で真剣にリアルに考えているのかが見えない。卒業しても本気でそういう精神を継続させようとしているのかが分からない。そんな思考の遊戯は遊戯であって、卒業したらそこまでの遊戯とは断絶して手のひらを返すように違うことをするならやらなければいいと、そんな風に思いは募るのであった。つまり僕が言うリアリティとはあくまでその人にとっての、実現へ向けての真剣度みたいなものである(いやもちろん彼等に真剣味があるかどうかそんなことは本人と話したわけでもないしこちらの想像の域を出ないのだが)。技術的な問題では決してない。
さてそう考えると、穴掘ったというのは妙にリアリティが伝わってくるのである。なんでだろう?、実際やったから?そうではない。きっと。実際に掘って無くても僕は賛同すると思う。なんで?身の丈にあった真剣味がありそうだから。
まあドローイングとか見てないし、コンセプトをきちんと聞いたわけでもないし、勝手なこといえないけれどね。Y君の話を聞いていら勝手に自分の中の想像でそんな気持ちになっただけだけど。