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ウエッブ進化論

突如雪が揺る長野を後にして東京へ。新幹線の中で『ウエッブ進化論』を読み始めてちょっと衝撃。目から鱗。いろいろな思いが錯綜する。全部読んだわけではないのだが、この本どうもグーグルの戦略を賛美している。そしてグーグルの10の戦略を示し、その一つであるウエッブ民主主義に注目する。それはグーグルの世界での使用者数億人の総意が物事を動かすというものである。簡単に言えば、金をかけずにマーケット調査をしているということなのだ。また別の見方をすると、単に人々の趣向だけでなく、物事の意味づけさえも総意で決められるということである。これはちょっと本当かとも思うかもしれないが、例えばウィキペディアのような辞書はそういう側面がある。そしてそれを結構使っている。今朝もそれで英語の哲学用語を引いていた。でも論文に書くなら、やはりOEDが必要かなあ?と思って、OEDのCDを買おうか迷った。しかしいつかウィキペディアの方が望まれる時代も来るのかも知れないと、この本を読みつつ感じた。人間の総意が瞬時にリアルタイムで集計されているということなのである。
でもやはりまだ割り切れないなあ。なぜかというと。ウエッブ上での民主主義と言うが、それは民主的主体が不在なただの数のようなものだけが動く可能性を感じるから。ぽんとボタンを押すだけな世界。ちょっと間違えて押してしまうような世界。アマゾンで本を注文するあの最後のエンターキーを押す世界である。アマゾンは明らかに僕の本の購入量を増加させている。あの簡単さ。それがネットのあっち側の戦略であると思うからかなあ。

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コメント

僕もあの本は少し興味を持っているんですが、プライオリティの問題から読めていないんですよね。確かに、もしもこのままネット端末が増加し続けて、瞬時に私たちの総意が集計されるのであれば、古代ギリシャ以来の『民主制度』なのかもしれませんが。

但し、ネット世界(グーグル)の場合には、その総意形成までのプロセスが透明になっていないのは大きな問題です。つまり、

①技術的に、自身の選択が総意に反映されていく過程が見えていない。(つまりクリックと反映の過程。見えなければ操作の可能性を否定できない)
②個人の認証の問題。(プログラムさえ組めれば、誰でも100万人の総意になりうる。)

が問題だと思うわけです。ギリシャの民主制が「ユートピア」としてあるのは、「意志を有した主体(個人)」が「誰にでも公開された議論(過程の透明性)」を通じて「合意」を形成するからであって、それを代議制やメディアが歪めているというのが、一つの典型的な近代以降の民主主義の腐敗論者の指摘なわけですから。

私もこの本には興味をもって読ませていただきました。
オープンソースの問題はお二人がおっしゃるように確かにあるでしょう。しかし、閉鎖コミュニティでは得ることのできない、予期せぬ知恵が得られる可能性もあるので、プロセスの不透明さ・それによる不正などのリスクをどこまでケアできるかにかかってきます。
WebによるSNSが日本で巨大化している記事がありました。半ば閉鎖的お仲間コミュニティによるソースの限界がどこにあるのかがまだよく見えません。確かに安心、リスクが少ない面はありますが、進化の可能性がどのようなシステムによって保証されるのか、まだまだ課題はありそうです。
今後、私はSNSとグーグルタイプ、どちらも実プロジェクトで試行することを計画しています。また随時、皆さんと議論させていただきたいと思います。

初めまして>松下さま

坂牛さんのBBSですので、長いレスポンスは避けますが、少し誤解を生むような書き方をしてしまったようです。

僕がお伝えしてしたかったのは、「オープンソース」というネット社会における「民主的なるもの」としての理念型の問題ではなく、19世紀以降、特に社会思想よりの文脈で議論されてきた、「公共圏(public sphere)」における問題としてとらえているということです。

もちろん、両者が完全にずれているというわけでは全然ないのですが。

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