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卒製コンクール

入試の面接官を幾度か経験すると分かることがある。建築を学びたい人のきっかけは地震か安藤忠雄である。これには僕以外の試験官の先生も驚いている。そして建築の人気は高い。姉歯事件は建築人気を落とすどころか拍車をかけ、建築正義なる妙な倫理観を生み出している。
さて今日は長野県のjiaが主催する学生卒製コンクールである。といっても出すのは信大だけなので卒製の公開学外審査というところで、東大のそれのようなものである(そんなに人は来てない様だが)。私は入試で行かれなかたっが、金、銀、銅が選出されたようである。
人数が少ないこともあり、7人くらいの建築家の方に(委員長は宮本忠長氏である)丁寧に見てもらえたようである。選出された根拠の詳細は分からないが多くの人に批判されるのはとにかくいいことである。4年はもとより手伝いの下級生にはいい勉強になったのではなかろうか。こう言う審査はちょっとしたきっかけで票が流れることもあり、その順位に余り拘泥しない方が良い。しかし各建築家の意見には謙虚に耳を傾けるべきであり、それを逆に批判する精神を養って欲しい。

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コメント

東大卒計の公開審査では、辰野賞を獲得する作品が必ずしも賞を取らないそうです。意匠、計画、構造、設備、環境などの建築を取り巻く様々な要素に配慮したバランス良い作品が選ばれる傾向があるそうです。それも大切なことですが、まだ学生は若いのですから、やはり強烈な思いを大事にしていくような評価もしてもらいたいものです。

東大のは見に行きました。面白かったです。ただ、つくづく思うのですが、ああやってがんばったこととその後社会でやっていることのずれに愕然とし、空しくなるのです。社会に出たとたん、あそこでの思考と断絶して、無思考にただの箱をただひたすら作ることになる人が大勢居るわけです。それならあんな卒計やめちまえと言いたくもなる。適当に雑誌からかっこよさそうなもの持ってきて貼り付けるくらいならいっそ自分の就職先と思しきところで作っていそうな箱を一生懸命デザインすることの方が余程リアルではないのか?
と思わなくも無い。できそうも無いあるいはやりそうも無いけれど、今これが流行ってますよね的な思考のお遊びは止めればいい。なんて心の片隅には常に割り切れないものがあるのです。

いや舌の根も乾かぬうちに、ちょっと付け加えるなら、ああした卒計がつまらないとかやめろというのではなく、むしろそうした思考が社会で本当に位置づけられるだろうかを真剣に考えることと、それを本気でやる気があるのかどうかを自らに問うことが重要だと思うのです。

コメントありがとうございます。
私も含めてですが、本気の人が少ないような気がします。私のようなゼネコンにいると、「経済」の原理がそのまま「建築」と化しているような気さえしてきます。「経済」=「社会」のような言われ方さえしていますね。最近のホリエモン事件で、そうやくその方向性に疑問符がつけられるようになりましたが。最近、仕事をしていて思うのは、日本人の品格が落ちてきているのではないかと思うのです。このような品格のない人々が社会をだめにしてきており、それに若者は迎合してしまっていると。こんな社会、変えていかなきゃならん、とは思って日々取り組んでいるつもりです。

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