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June 30, 2012

槇文彦、さすが屋上も美しく納まる


最近6時半には起きるようにしている。寝ぼけたまま20分ほどジョギングしている。帰ってストレッチしてサラダ食べてシャワー浴びて翻訳1ページする。1時間で終わらせたいのだが少しオーバーする。その後はその日の予定ですぐに外出の時もあれば、雑用の時もあれば、読書の時もある。
午後森美に行き「アラブ・エクスプレス」http://ofda.jp/column/なる展覧会を見る。僕は去年からここの会員になっているのだが、展覧会数が少なくてもとをとれている気がしない。もっと沢山やって欲しい。
見終わってから滅多に行かない展望台の方に行ってみた。今日は天気がいいので珍しく横断道の換気塔も見える。眼下には槇さんのテレ朝の屋根が見えた。きちんと緑化している。機械は何も見えない。さすが名建築は屋根もきちんと納めている。日建時代よく言われた。屋上もきちんとデザインせよと。パレスサイドの屋上の美しさは当時としては図抜けている。気にしない事務所は気にしないのだが、コルビュジエじゃないけれど屋上は有効に使われるべきである。機械置き場ではない。
1階に降りて第一工房に行くべく地下鉄の改札に入ってから路線が違うことに気付く。大江戸線に乗るべきところが日比谷線。あわてて地上に戻りタクシーに乗る。考えて見ればここから第一工房はすぐそばである。ではあるが遅刻。
今日は10月の上越トークインのキックオフミーティング。高橋てい一さん、渡辺真理さん、木下庸子さん、川口さん、そして早大、芸大、東大、横国、工学院、法政、日本女子大、らの学生に混じっ理科大の学生がいた。が知らない学生。後で聞いたら理工の吉澤研と安原研の学生だった。あれあれ、うちの学生も参加させないと。
今年のトークインのゲストはなんと三浦展さんである。彼は生まれ育ちが上越ということで二日間我々とべったり付き合ってくれるそうだ。これはなかなかおもしろそうである。三浦さんと言えば、下流社会で衝撃的にデビューされたが、その後も僕は彼の著書を面白く読ませていただいている。最近では彼の吉祥寺や高円寺の本を見ながら中央線文化を楽しんでいる。いやリアル三浦さんとお会いできるのは楽しみだ。
興味ある学生はそのうち「上越トークイン」というホームページができるだろうからそこに申し込んでください。

June 29, 2012

神社の朱色を内装に使う


とある神社脇のオフィスの7階ワンフロア―を改装することになった。この1カ月スピードデザインである。図面書いて施工者決めて見積もっていたのでは間に合わないので、最初から施工者を決め打ちでスケッチ書く脇で見積もってもらいながらの設計である。こんなやり方初めてであるがそうでもしないと間に合わない。
320㎡にフリーアドレスで60人入れる。柱間に板をわたしスタバのカウンターみたいな席を設け、内側は巨大テーブルを点在させ、神社が見える角の一角は30センチあげたお茶屋さんのような畳スペースとカフェゾーン。全体のコンセプトは神社である。内装のカラースキームは木々の緑と神社の朱色。
カーペットはふかふかの緑色。会議ゾーンは木軸のガラス張りで壁と天井は朱色。フリーアドレスなので60個の個人ロッカーをコアの壁にべったり造る。これも朱色。しかしこの朱色というのがなかなか難しい。神社にこの朱色を採取しに行ったのだが場所によって色が違う。オレンジ系と赤系と2種類ある。さてどちらを使おうか?

June 28, 2012

堤清二の魅力

辻井喬『叙情と闘争――辻井喬*堤清二回顧録』中公文庫2012を読む。次々に飛び出す政財界人、文士との交流は別世界の話しである。その中で少々びっくりしたが身近に感じた話があった。社会党の高沢寅男との逸話。ある日東大同窓の高沢が会いたいと堤に連絡をよこした。既に西武の経営者である堤に社会党の人間が会いたいと言うのも妙な話。当時高沢は社会党の中央執行部におり未だ議員では無かったが選挙に出ると言う。それが既に社会党の議員がいる選挙区から立つため、周到な根回しが必要であったのに情報が漏れその議員は憤った。その人は神近市子。元新聞記者であり愛人大杉栄が別の女性に心移りしたことから彼を刺傷し刑務所に入った強者である。
高沢は堤に仲裁に入って欲しいと懇願した。というのも堤の母が神近と親交があったから。堤という人はお人よしである。こう言う時にさっさと動いてくれる。堤は神近に電話でアポを入れ、高沢と2人で訪問したそうだ。きついことを言われたものの仲裁は上手くいった。加えて高沢は堤に西武の労組を紹介して欲しいと頼んだ。堤は高沢を労組の部屋へ連れて行き彼を応援するように頼んだそうだ。
堤は別れ際にこう言った「僕は君を応援するが条件がある。いつまでも社会党の幹部としての立場を貫いてくれ」と。
僕は学生になったころ高沢寅男に会ったことがある。社会主義を追いかける親父の同士であったから。社会党左派のばりばりのマルキストである。
やはり堤清二という人は一筋縄ではいかない人である。そこが彼の魅力でもある。

June 27, 2012

現場は嵐

現場の最後の方は嵐だな。突如噴出する様々な意見やら問題に晒される。この嵐に立ち向かうのは相当なパワーがいる。とは言えそんなことは毎回のことでもある。毎回そうなのに人間って慣れない動物だ。あれから比べればこんなの屁の河童と思えるはずなのに。のど元過ぎると熱さ忘れる。
結論は世の中いろいろな人がいるということだ。それはある意味仕方ない。そして偉そうに「他者性を受け入れる中で新しいものができる」なんて言ったりもする。とは言えなかなか「言うは易し行うは難し」。この間の中国なんて想像を絶する文化ギャップに押しつぶされそうだった、、、、、当分あの国には行きたくないと思って何年経ったのかも忘れてしまった。
今日中国から帰ってきた友人がメールをくれた。彼女は中国も変わってきたという「賄賂をもらいたくなくてやめてしまったお役人とか、高層ビルがきらいな人とか、、、、、」ローカルな常識がグローバルスタンダードにそろえられるなら少々寂しい気もするのだがでも仕事をするうえではある程度の共通認識がないと厳しいなあ。

June 26, 2012

夫婦の平等は経済的平等の上にある


設備のMさんと現場の設備検査に行く。車中、山田昌弘、塚崎公義『家族の衰退が招く未来――「将来の安心」と「経済成長」は取り戻せるか』東洋経済新聞社2012読む。話せば長いが山田氏は経済回復の大きな引き金は男女共同参画にあると言う。そのために女性がもっと進出する社会を待望するのだが、社会の受け入れ体制が変らないだけではなく、女性が変らないと指摘する。そして変わらない大きな原因の一つに専業主婦が守られ過ぎているからだと言う。その守りの最も大きなものの一つに「専業主婦が家計を握る」という通念がいつまでも存続していることをあげている。一度家計を握った主婦は働く意欲を失うと言うわけである。そりゃそうだ。自由になる金が無ければ自ら働かざるを得ないはずである。
山田氏の意見に僕は全面的に賛成である。僕の世代ではおそらく給料袋をそのままかみさんに渡している輩は多い。僕は結婚した当初からそれはしなかった。その結果(かどうか定かではないが)配偶者は適度に働き続けいている。それによって彼女は彼女なりに消費活動をしているわけで経済活動の微小な一端を担っているわけである。
まあ、しかし、給料袋を渡さなかったのは、小遣いをもらうなんてとんでもないと思っていたのと、配偶者には当然働く能力があるとリスペクトしていたのと、最大の理由は夫婦の精神的平等は経済的下部構造の平等の上にしかあり得ないと思っていたからである。25年経って今のところそれは間違いではなかったと感じており、マルクス的思考が有効であると思う稀有な例の一つとなっている。

June 25, 2012

犬化した現代人

テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン、 中尾 ゆかり『動物が幸せを感じるとき―新しい動物行動学でわかるアニマル・マインド』NHK出版2012を読む。
犬はオオカミが分化したものだが、オオカミの子供状態で成熟が止まっていると言われる。こういうのを幼形進化って言う。祖先の幼体にのみ見られる特徴的な姿で成熟を迎えることをさす。何故そういうことが起こるのかというとそれ以上の進化が犬の時代の環境になったら不要になったからだ。つまり犬は人間に家畜化されることでオオカミ化する必要が減っていたのである。
なんだか人間の世界でもこういうことは起こっているように感じる。僕らの親父世代から見たら明らかに今の学生達は幼い。考え方も、行動も、親父世代の中学生のインテリジェンスである。何故そうかと言えば、環境がそれを必要としないからである。だれも中学生に半世紀前のインテリジェンスを期待しないからである。だから幼いまま成長が止まっちゃうわけである。人間も昔はオオカミだったのがどんどん家畜化して今は犬化したということである。

June 24, 2012

国立新美術館で二つの展覧会を見る


午前中サッシュの戸車とり替え工事。昨晩遅かったので九時からというのはつらい。午後国立新美術館へ。配偶者の所属する書道会の展覧会が開催されている。その展覧会で奨励賞をいただきその授賞式があった。
中国宋の時代の四大書家の一人米 芾(べい ふつ、皇祐3年(1051年) - 大観元年(1107年))の字である。字も額装もなかなかいい(と思った)。
せっかく国立新美に来たのでエルミタージュを覗く。この美術館は理科大の教員証見せると団体料金にしてくれる。プ―ジェ、モネ、マティスに感動。やはり見てよかった。
http://ofda.jp/column/

旅行家二村忍


「二村忍が見た世界」と題して理科大で彼にレクチャーをしてもらった。彼は中学高校の同級生。琉球大学に進み台湾へ遊学し、その後旅行代理店の中国駐在員などをやりながら、独立して自称旅行家になった(旅行家っていう職業があるのかどうか知らないが)。
年間50日くらいのツアーを一回20日クラスを4回5日クラスを数回やり、年間約半分を世界で過ごす。アメリカは嫌いなので行かないらしいが世界100カ国は渡り歩いている。
そんな彼が『アジアの秘教ゆったり旅行』(七つ森書館)と言うタイトルの本を上梓した。
読んでみたが実に愉快である。西安から敦煌を回りラオスへという壮大なツアーの話し。彼のツアーの醍醐味はバスで大地を走り、何か発見すれば止まり観察する、話をする、食べる、そして常にトラブルと出会う、でもあせらずのんびり行く。
そんな彼の旅行の仕方に熱烈なファンがいるそうだ。なんと彼のツアーに700日も参加した方がいる。驚きである。

June 23, 2012

現代における王の家

朝一で早稲田の授業。娘と一緒に出かける。曙橋から九段下経由東西線早稲田へ。地下鉄内で研究室の院生O君に会う。びっくり。
今日の講義は建築を生みだす倫理性について。ジェフリー・スコット、ディビッド・ワトキンの倫理性批判などなど。そして現代の抗えない概念エコロジーの功罪について。
昼は三朝庵でカレー南蛮。事務所に戻り現場定例。引き続き別件の打合せ。中座して大学ゼミへ。地下鉄駅まで来てCPU忘れたことに気付く。スタッフに持ってくるよう頼み、自分も事務所方向へ向かう。そのせいでゼミ遅刻。
I君は超高級集住のプランニングを調べていたがなかなか資料が集まらない。そこで集住から住宅に切り替えた。延べ床500㎡を越える巨大住宅のプランニングに的を絞る。そうするとなかなかとんでもない見たことないようなものが現れる。アメーバ―みたいなもの、街路みたいなもの、円盤みたいなもの、、、、、、、、などなど。
僕は修論で摩天楼の巨大(高い)性分析をし、「反復」、「伸長」が設計の中心概念であることを導いた。それに類似した手法分析は可能かもしれない。

その昔、王の家である宮殿という巨大性があった。彼らは力の具現のためにのモノやらヒトの収容力を必要とし、そしてその収容力を権力の象徴性へ転換して見せた。王不在の現在において巨大性は何を意味するのか?現代にも王は別の形で蘇生しているということなのか?調べがつくなら誰が何のためにその大きさを必要とするかが分かれば更に面白くなるのだが。

June 22, 2012

建築用心棒


●父の日に娘にもらったUSB

Y市の都市デザイン課の課長さんと係長さんが来研。「マスターアーキテクト」というものを委嘱された。マスターアーキテクトと聞くと、何か大きなプロジェクトがあってそのマスタープランを作る建築家を連想する。ところが今回の依頼はそういうものではない。仕事は3つ。景観計画が変更になる時、大規模開発が行われる時、コンペする時、市長に助言するという役割である。つまり市長の建築用心棒である。そういう役割ってあまり聞かない。お互いよく分からないけれどまあやってみましょうと言う状態。暗中模索である。

June 21, 2012

国会は機能しているのだろうか


いやー設計は大変だ、現場の最後の最後まで修正を求められる。もう無理と悲鳴!
先日とある偉い方と食事をした時おっしゃっていた。朝令暮改は当然だ、君子豹変の何が悪い。ブレないなんていうのは決して立派なことではない。考え方など変わるものだと。

現場の往復で読みかけの『財務省』を読み終える。日本の法律は国会で作られると言うがとんでもない、国会で決まる法律の7~80%は政府提出でありそれらは官僚が作っているのである。著者は言う「日本では国家公務員が事実上、立法と行政の双方を担っています」。憲法にはしっかりと国会に立法権、内閣に行政権を与えているのであり、こうさらっと現実を言われると開いた口がふさがらない。もちろん国会は作られた法律を審議する機能をもっているのだからこの事実を憲法違反とは思わないけれど、彼らはその法律を審議する能力を持ち合わせているのだろうか?はなはだ疑問である。

June 19, 2012

報酬に見合った仕事を!


朝一で水戸の現場。昔の建物についていた瓦。屋号が入った紅色の瓦。これはコンクリートの塀に埋め込もうかと思ったけれど、庭の床に埋めよう。なかなか素敵である。
現場の行き帰りにミスター円と言われた大蔵省OB榊原英資著の『財務省』新潮新書2012を読む。その中で日本の財務状況を悪化させる一因として議員歳費があげられている。国会議員歳費は年間2000万を越え世界トップクラスだそうだ。加えて問題なのは地方議員。都道府県議会議員の平均年収は2119万だそうだ。これはアメリカの州議会議員の5倍。イギリスとフランスの地方議員の歳費は73万、スイスでは大半が無報酬。ヨーロッパではそれはボランティアとの認識だそうだ。要は町内会である。
著者は元国家公務員だから自分たちのところに火の粉が飛ぶ前に政治家にジャブを飛ばしているのだろうが、それにしても高いよな。報酬下げろということもできるが、そうすると質の低下を招きかねない。そう考えるより数を減らしたうえで報酬は維持し報酬なりの仕事をせよと言うべきか?

June 18, 2012

湾岸のスケールはでかい


朝早くリーテム東京工場に行く。モノレールの流通センターで降りていつもはタクシーなのだが、今日は丁寧にお迎えの車。待っている間ぶらぶらしているといつも見ている風景が急にクローズアップされてきた。駅の目の前の倉庫が高速道路下に見える。今にも動き出しそうな船のようである。スケールが違うのである。
工場に行くのは何故かと言うといろいろな改善工事の相談である。6メートル階高の1階手解体スペースを2層にしたいということに始まり、15メートル上にある屋根の下に、屋根を作りたいなどなど。やはり工場というものは断面、平面のスケールが普通の建築の3倍くらいあるから様々な変更の可能性を持っている。
大田区のこの辺りは駅前の倉庫と言い、城南島の工場と言いとにかくでかい。この強烈なスケールギャップに圧倒される。

June 17, 2012

魚は痛みを感じるか?


青森出張の行きに鈴木隆雄『超高齢社会の基礎知識』講談社新書2012を読み、帰りにビクトリア・ブレイスウェイト高橋洋訳『魚は痛みを感じるか?』紀伊国屋書店(2010)2012を読んだ。65歳以上の人口が全体の7%を超えると高齢化社会、14%を超えると高齢社会、21%で超高齢社会と呼ぶ。日本はすでに23%を越え優に超高齢社会だそうだ。そりゃ世界一の平均寿命の国なのだからさもありなん。
それにしてもこう言う本は一種の脅しであり、読んでいて気分のいいものではない。でも読まざるを得ない。おまえもいつか死ぬのだが、その前に病気や介護で人に迷惑かけないように疾病や介護の予防をせよというわけである。まあ予防して何とかなるようなことは何とかしよう。しかし認知症みたいな精神的なものに予防の方法はあるのだろうか?既に認知症状は十分見てとれているし。
中核症状である、抽象思考障害、判断障害は今のところ無いが、失行(自分の意志による行為ができない)、失認(対象とする事柄を正確に認識できない)、失語(言葉が適切にでてこない)はしばしば。周辺症状である妄想、幻覚、睡眠障害、徘徊、は無いけれど、不安、焦燥など不必要にしばしば、多弁、多動、暴言は飲むとひどい、依存、過食など二日酔いの時は頻繁。というわけで症状の半分は既に発生している。今からでも間に合う予防策を誰か教えて。認知症などなる前にがんにでもなって痛かったらさっさとモルヒネ打って何事もなかったようにおさらばしたいものである。
さてモルヒネと言えば次の本に面白い実験があった。正常なマスを大きな赤い岩の塊がはいった水槽に入れるとマスはその岩を回避するように泳ぐ。しかしそのマスをとりだして酢酸を注入(つまり痛みを加える)してから泳がすとこの回避行動が鈍るのだそうだ、つまり岩にぶつかりそうになる。そこでこの痛みを除去すべくモルヒネを注入してから再度泳がすとこの回避行動が正常になるそうだ。
もちろん酢酸を打たれたマスが僕らと同じような「痛ってええええええ}という情動を持っているかどうかは正確には分からない。でも様々な実験を通してそれに近い感覚をもっているはずだという推測は成り立つそうだ。これ聞くとちょっと活きづくり食えんな。

ヘルツォーグ風、縦格子風、暖簾風、、


理科大には「こうよう会」という学生の親の組織が各都道府県にある。いうなればPTAである。大学にもなってという気もするが、この組織が地元のOB会とも連携して卒業後の進路などでも協力し合う。
毎年一回この会に教員は出向き懇談する。信大にもこういうのはあったがその会は大学で行われて親御さんは大学まで来られた。早稲田でもあるらしいがやはり大学でやっている。しかるに理科大は全国に出向いてやるところが懇切丁寧である。
教員は何処に行きたいか希望を出せるので僕は青森を選んだ。もちろん青森が父母の故郷だからである。昼ごろ青森駅あたりに到着。数年前青森県美に来た時以来だがまた不思議な建物ができていた。ねぶたを展示する展示館である。おっとヘルツォーグみたい。しかし横が縦になっているし、ルーバーのサイズが大きい、表面の加工が違う、、、、
しかし自分は知っているからこう思うけれど世の中の大半の人は別にこれが偽物だとは思うまい。そう思ってみるとこの偽物は結構うまくコピーしているようにも思う。まあルーバー自体はユニバーサルなデザインだし、縦線だったら日本の伝統である。暖簾のようにも見える。それに少々ヘルツォーグをふりかけただけか。

June 16, 2012

器用に溺れないように


午前中は早稲田の演習学生発表。今年は比較的静かな学生たちで少々物足りない。午後もいろいろ詰まっているので三朝庵で昼をとってさっさと事務所に戻る。1時にセットエンブの入江君とHPの打合せ1時半から荻窪の現場定例。現場定例を事務所でやるのもどうかと思うが、着工してから杭打ちまで一カ月。じっくり施工図作っている現場である。こういう現場も初めてだがクライアントが親類だからできることでもある。定例終って別件の打合せしてから大学へ。4時半から4年ゼミ。やっと一人、形になってきた。後4カ月。未だ4人くらいは迷走中。
6時から3年製図の講評会。今日のゲストは生物建築舎の藤野高志さん。ショートレクチャーで彼の土間のオフィスでを見て皆息をのむ。事務所の床が土でそこに木が生えているのだから。面白い人もいるもである。レクチャーの後合評会。若松スタジオ、高橋スタジオ、川辺スタジオ、木島スタジオ、塩田スタジオそして僕と呉君のスタジオ。ちょっと偏りがあるけれど、去年よりは着眼点が冴えている。でも詰めが甘い感じもする。模型のレベルは2年生の方が上かもしれない。でも数名は去年より確実に面白い。がんばれ。ゲストの藤野賞をもらったのはこの作品。こういう曲線だけで全体を上手にまとめられる人は所謂器用な建築家である。器用に溺れず更にステップアップして欲しい。器用な人ほど伸びないことが多いので。

June 15, 2012

もの決めの早さ

とあるクライアントとの打合せ。なんと1時半から5時半まで。4時間である。長い会議はどうも苦手である。会議は長くても2時間というのが僕の基準だけれど、相手がクライアントだと、さすがにさあこの辺りでまとめましょうというわけにもいかない。
スタッフとモノ決めの早さという話になった。僕は彼らに言わせると決めるのが早い方だと言う。OFDAの他のパートナーは結構時間をかける。とあるビル改装のカーペットを決める時、スタッフが用意した5種類くらいの見本を前に「これ」って見た瞬間に決めた。他のチームのスタッフが横目でそれを見ていて「自分のチームならこれを決めるのには1カ月かかる」とささやいていたらしい。
一体これはどういうことか?日建時代のボスのキャラなのかもしれない。僕のボスはとにかく早かった。色でも素材でも瞬時に決めた。僕が逡巡していると「無い頭を使うな」と怒られた。一方パートナーの一人のボスはSさんであった。Sさんはきっと悩む人なのだろう。
僕はそんな即決ボスを反面教師にしてなんとかいろいろ考えようとしているのだが、デフォルトが即決なので、長々悩んでいると悪魔の声がささやいてくる「無い頭を使うな」と。なので第一印象を大事にする癖がついているのかもしれない。いいことなのか?悪いことなのか?

June 13, 2012

塚本由晴は詩人だと詩人が言っていた


一昨日塚本さんから一冊の本が届いた。タイトルは『建築と言葉』河出ブックス2012。詩人の小池昌代さんとの共著(というか対談)である。『言葉と建築』を訳した僕としては何とも興味深い本である。
現場への行き帰りで読んでみた。そして「おっさすが!」と思ったことがあった。それは申し訳ないが内容とは直接関係なく、小池さんの塚本描写であった。詩人小池さんは塚本さんを詩人だというのである。曰く「彼の創るもの建造物ではなくまさに棲家・・・すうすす、はあはあ、息をはいたりすったりしているように見えた・・・ふるまいという日本語を見つけたとき・・・心の中にあっと声があがった・・・言葉を発したのは彼なのに、しかし彼はそこで権力をふるわない。ただ、立ち会い、様々な要素が、うまく調和し機能するように観察し、考え、方向を指し示すだけなのだ。・・・わたしは思った。あ、詩人がいる」
先月10日間くらい私と配偶者は塚本夫婦と外国でご一緒した。その短い(とも言えないが)期間で私の配偶者はべったり塚本ファンになっていた。「今度彼と飲む時は絶対呼んでね」とまで言われている。その気持ちは一緒に生活しているとよく分かる。なぜなら彼は底抜けに楽しい、そして誰にでもとても気を使う。誰にも気を使わない僕と数十年も暮らしている配偶者は世の中にこんな人がいるのかと目から鱗だったに違い無い。
しかしそうした表面上のことではなく彼の脳ミソまで含めた成り立ちというのはそんなに簡単ではない。というのも帰国後塚本さんを知る数名の建築家と飲んだ時に「いやー塚本って面白いよなあ」と言っても皆白けた顔をしているのである。ふーんっていう感じである。逆にサカウシはノー天気なやつだと言う顔でこちらを見ているのである。彼をよく知っている人たちは彼を単に楽しいという一言で語れないことをよく知っているわけだ。
なんて思っていたところでこの本の小池さんの描写を読み、うーんそうなんだよなあと納得した。
なんだかせっかく送っていただいた本の感想としてこんなことを書くのも著者には失礼であろう。彼らの書きたかったことはきちんとある。それを僕は異国の地でさんざん聞いた。なのでこの備忘録的ブログに書くこともない。とても面白い話である。是非読んでみて欲しい。彼の詩人的なものの見方に学ぶべきことは必ずやある。

June 12, 2012

利休もマルジェラもブリコラージュ

利休の2畳の茶室は秀吉の戦場での即席茶室に起源をもつ。だからありあわせの材料であり、粗っぽいし、狭い。というのが藤森『茶室学』での解説である。なるほどと思う。待庵では雨戸を壁に転用しているなんて知らなかった。そういう方法を藤森はブリコラージュと呼ぶ。
ブリコラージュとは、レヴィ=ストロースがアマゾン原住民の神話分析の結果ある部族のそれが他の部族の神話の一部を本来の意味や役割を無視して断片化して使用することを発見したことから考え付いたことで、人間が古い体系から新しい体系を生みだす方法として定義した概念である。
そうか利休がブリコラージュならマルタン・マルジェラもそれに近い。先日松田さんや入江さんと恵比寿で発見したマルジェラのショップは電気屋さんの古いビルの1階を使って中を真っ白く塗りたくり、天井引っ剥がして、汚い所はシーツのようなもので覆い隠してある。新品の雰囲気を消して寄せ集めて貼り合わせている風を装っている。お店がそうなら、売っているものも古着に絵の具こぼしちゃいましたといった風情である。
この「その辺にあるもの寄せ集めました」っていうのはポストバブルにしぶとくブームである。みんな大好きである。不景気的なのである。でもそんな建築400年前に利休がやっているのだ。

June 11, 2012

今村創平さんによるヴィドラーの訳本出版されました


今村創平さんからアンソニー・ヴィドラ―今村創平訳『20世紀建築の発明』2012鹿島出版会が送られてきた。だいぶ前に『言葉と建築』を訳し終わって次の勉強会の本を物色中にこの本も候補にあがり、少々皆でさわりくらいを訳した記憶がある。カウフマン、ロウ、バンハム、タフーリというモダニズムをけん引した建築史家のパワーダイナミクスを詳らかにする本である(と思っているが本当のところは実は知らない)。
とても興味深い本でもあり恩師ディビッド・スチュワートにこの本を訳そうかと思っているというと、それは止めた方がいいと言われ驚いた。なんとなれば彼の英語は日本語にするのがとても難しいからだと言う。僕の英語力をもってすれば英語で読むほうがはるかに楽なはずだと言うのである
もちろんそんなリップサービスを真には受けなかったのだが、訳すのが難しいと言うのは過去のヴィドラ―の訳本を読むと察するに余りある。というわけで僕らはこの本を諦めて『人間主義の建築』にとりかかったのである。しかし正確に言うとこの本に多少恋心をもってブログに書いたら、今村君にこれは既に自分が手をつけているよとメールいただいたので諦めもついたのである。
そしてあれから何年経ったか忘れたが、彼はついにこの難解な書の翻訳を終えたのである。しかも単独で。僕らが数名のグループで富士山を登っている間に彼は単独でエベレストに登頂したのである。これに敬意を払わずして何に敬意を払おう。とても頭が下がる思いである。そして心から祝福したい。
この気持ちをメールでお伝えすると彼は僕が翻訳を続けていることに勇気づけられたと言う。しかしそれは逆もまた真なりである。こんな難解な本を一人で訳そうなんて思う人がいることに元気をもらえる。そしてまた僕らも次の本にとりかかる勇気が湧いてくる。

June 10, 2012

篠原一男に九間はない

僕は茶室らしきものを一つだけ設計したことがある。それから配偶者が茶をやるので茶会で茶をのむこともある。とは言えぞっこん茶に興味があるわけではない。長野にいたから藤森さんの高過庵も学生にくっついていけば見られただろうが行ったことはない。まあ茶に対しての興味などその程度である。
なのだが藤森照信『茶室学』六曜社2012は書店で見つけてすぐ買った。藤森ワールドは僕の経験では創ったものより文章の方が面白い。なぜならば彼の建築は彼の歴史的知性の上に構築されているからである。彼の歴史的知性はやはり図抜けて楽しい。その楽しさが建築に変換されているのだから建築もいいのだが変換される前はもっといいというのが僕の考えである。
それを読んでいると茶の起源として寝殿造りの神殿の北側に親しい仲間が集まって遊ぶ会所という場所ができ、そこで利き酒ならぬ利き茶のようなことが行われたそうだ。その会所は三間×三間の九坪の広さで九間(ここのま)と呼ばれたそうだ。ここで茶の話から飛ぶが、この三間四方というのは吉村順三お気に入りの大きさだそうで、彼は古今東西の気持ちいい部屋の大きさを調べたら三間四方が多かったそうだ。
さてそう聞くと恩師のプランを見てみたくなる。きっと違うだろうなあという予測のものとに。案の定、そんな大きさの部屋は殆どない。倍の50㎡くらいか、もっと小さいかである。篠原一男は古今東西の気持ち良ささそうな部屋を集めてそうならないように慎重に設計したのかもしれない。

June 9, 2012

<モナ・リザ>が世界一有名なのは何故か?

なんで<モナ・リザ>は世界一有名な絵なのか?
<モナ・リザ>には他のどんな絵にもない微笑みと光の使い方と幻想的な背景があるからだと説明されたとしよう。さてそれに反論するのはなかなか難しい。なぜなら確かに<モナ・リザ>には他のどんな絵画よりもこの点について秀でているからである。
しかしよく考えて見よう。それは<モナ・リザ>が世界一有名なことの理由となるのだろうか?これは<モナ・リザ>世界一の理由をXとかYとかZとか言い張っているように見えて実は<モナ・リザ>は最も<モナ・リザ>的だと言っているに過ぎない。こういうのを論理学では循環論法というわけである。
ダンカン・ワッツ青木創訳『偶然の科学』早川書房(2011)2012は常識に寄る説明は殆ど何も言っていないこんな説明が多いと指摘する。
僕は(いや僕以外の多くの人が)そんなこと、とっくの昔に気がついていた。だからある時からそういうことを語ることは止めようと思った、余りにナンセンスではないか。しかし最近は循環論法であろうとそういうことを語ってもいい(語らねばなるまい)と思っている。なぜなら循環論法を欠いたら建築なんて語ることが無くなってしまうからである.

今日は東現美でトーマス・デマンドを見た。コラムにその良さを書いたが、これもまったくもって循環論法である。http://ofda.jp/column/

言葉の体力維持

もう10年くらい前から翻訳の勉強会を続けている。東大の文学部で教えた時の聴講生勉強会がいつしか翻訳チームに変身した。そのチームによる最初の翻訳本がエイドリアン・フォーティー『言葉と建築』である。2006年に鹿島から出版していただいた。去年はジェフリー・スコットの『人間主義の建築』をやはり鹿島からSD選書として出していただいた。
村上春樹は毎日ジョギングをしている。同じように翻訳も欠かさない。肉体と言葉の体力を維持する日課である。僕らも建築の設計をしながら(あるいは他の専門の仕事をしながら)翻訳を続けて言葉の基礎体力を維持しているわけだ(と我々の活動を位置付けている)。
『人間主義の建築』を出して1年したので数ヶ月前から次の本を探り1か月前にちょっと気になる本を出版社に提示した。「それはいいですね出しましょう」と企画が成立したのだが、こちらもまだその本への確信が生まれず、様々な関係本の渉猟をしていた。そこに今日「この本はどうですか」というイギリスでできたての本のテキストがメールされてきた。
これは行ける。出版されたら訳したかった本の一つである。そしてこれは確実に内容が濃いしヴィジュアルも悪くない。そう思って少し検討しようと思っていたらエージェントから他からの引き合いもあるので決断はお早めにとのこと。まあ迷うこともないかな?

June 8, 2012

I am busy!

アルゼンチンワークショップのレコードブックを作ろうと企画して帰国後すぐに指示をした。すでに1カ月がたち初めて学生の案を見せてもらったのだが、今一つこちらの言わんとしていることが伝わってない。これはコンペみたいに集中してやって欲しいと言ったのだが、出てきたものがあまりに希薄。なんだかなあ。難しいものだこういう作業は。信大の時は放っておいたらさっさとできたのだが、今回は読ませるものにしたく作り方の注文を加えたのが原因か?素敵なキャッチコピーを入れて欲しいと頼んだのだが、、、、、そんなものは一つもなかった。
やっぱり放っておけば出来るなんて考えている僕が甘いのかも。夜大学のちょっと偉い人と食事をしたら似たようなことをおっしゃっていた。曰く「僕はやりたいことが沢山あってそういうきっかけをいろいろ作るのだけれど、それにレスポンスしてくれない。一から十まで言わないと分からないのだろうか?最後まで言わない自分がいけないとも思うのだが僕も忙しいのだよ」
僕も忙しいんだよと思いつつ、まあそれじゃあだめなのかなとも思う。

June 6, 2012

別荘はフォルム?


昼から野木の現場。4棟のうち1棟は外壁のモルタルも塗られ、サッシュもはまり、屋根も8割葺けてきた。工期の厳しさを除けばある程度先が見えてきたとも思えたのだが、地元消防から今日厳しい要求が提示されて現場一同大慌てである。どうして消防は最初に図面を見ているにもかかわらず、この時期にこういう無茶な要求を提示することが許されるのだろうか?クライアントはある予算を持って工事契約しているわけである。契約社会の根底を揺るがすような問題だと思う。
夕刻大慌てで大学に戻る。2年生の製図の合評会。課題は別荘。去年より模型や模型写真が上手になった。いまひとつ形が凡庸だがまあそれは良しとしよう。ゲストは元新建築カメラマン小川重雄さん。
別荘と言えば住宅と異なりプランニングの生活臭を一気に消せるものである。僕はそんな別荘らしい平面形の面白さを今日のプレゼンに期待した。一方ゲストの小川さんはちょっと違うことを言う。「別荘とは街中の住宅と違い、引きがあり、他の建物がないのだからフォルムが見えるというのが特徴的なビルディングタイプ」と言う。なるほど余りそんなことを考えたことが無かったが確かにそうである。やはり写真家の見る目はちょっと違う。でもそう言われるとそういう条件下でフォルムの見えない建築を作れればと思わなくもない(もちろんそんなことを考えて作っている学生などいないのだが)。

日本人は働き過ぎ


昼飯のあと荒木町のカルミネさんのギャラリーを訪ねる。カルミネさんは東京に4つくらいイタリア料理屋を持つオーナーさん。その昔はこの荒木町にも古住宅を改造した素敵なイタリアンレストランを経営していたのだが、住宅に改築した。
改築した自宅の1階は道路にオープンに開く空間で料理教室をしようと思っていたそうだ。我々はアルゼンチンで「住宅+α」という課題を出したがαスペースを料理教室にしたグループもいた。それってまさにこのカルミネさんのお家である。でも荒木町を素敵な街にしようと考え料理教室をやめてアートギャラリーにするそうだ。なかなか粋な考えである。
彼としばし話していると面白い。日本人は働き過ぎ。イタリア人は40年働いたら後は遊ぶ。遊ぶために働いているのであり、遊び方を知っている。日本人は働くために働いていて遊び方を知らない。そうだろうねえ。僕もそうだきっと。
彼は数十年日本にいるけれど結局日本人にはなれないそうだ。荒木町をこよなく愛するのも日本人の感覚ではないのかもしれない。

June 4, 2012

四ツ谷の谷で設計課題


●このあたりのアップダウンは10メートル。ジョギングには結構きつい。

アルゼンチンで毎朝ジョギングを日課にしていたせいか東京に戻って来てもこれをしないと目が覚めない。散歩かジョギングか分からない程度のスピードでダラダラと走る。それでも最近は暑いから20分も走ると汗だくで朝食が美味い。
場所は三栄町から新宿通りを越えて須賀神社の辺りを通り若葉町を走る。あのチェーンスーパー丸正の本社があり学習院初等科があり、もう少し行くと創価学会の建物が沢山ある。いまも大礼拝堂が工事中である。
先日頂いた皆川典久『東京「スリバチ」地形散歩』洋泉社2012によれば四谷のスリバチは東京に15あるスリバチの一つである。スリバチとは要は谷である。しかも四谷は単なる谷ではなく複数の谷が複雑に入り組んでいるから、上がったり下がったりの繰り返しとなる。その上この辺りは東京の防災ハザードマップでは常に登場する崖あり、消防車の入れない路地あり、倒壊危険の木造密集地帯。何度来ても迷子である。
こんな四谷の谷を敷地にアルゼンチンでワークショップをやったのだが、その連続で理科大の3年生にもこの辺りを敷地これから設計課題を行う。高橋堅さん、若松さん、塩田さん、木島さん、川辺さんそれぞれに自由な課題を考えてもらう。荒木町の某ギャラリーで優秀作の展覧会を企画中。TAには頑張ってもらおう。

circulationという言葉


万年筆はしばらく使わないとインクが蒸発してインクタンクが空になる。そして滓がインク経路に詰まる。このモンブランもよく詰まる。このペンは軸をくるくる回すとペン先が引っ込み全体の長さが短くなるというもの。とある理由から短いペンが欲しくて買ったのだが手で握るフィット感が今一つなので最近たまにしか使わない。というわけでよく詰まる。万年筆も人間も同じである。どこかに何かが詰まるというのは病である。循環circulationは生き物でも生き物じゃなくても同等に重要、建築でも都市でも同じである。何かが動線に詰まると機能しなくなる。
ところでこcirculationという言葉、建築で使うと動線と訳されるが本来循環という意味の医学用語を借用したもの。建築に使われるようになったのは近代に入ってからである。

June 3, 2012

コムデギャルソン座談会


午後松田達さん入江徹さんと恵比寿のフィルムアート社に行く。西谷真理子さんのアレンジでファッションデザイナー森永邦彦さん(アンリアレイジ)と座談会である。テーマはコムデギャルソン。ファッションは好きだが、コムデギャルソンに特に詳しいわけでもない。皆と会う前に高橋晶子さんに電話をして何故コムデギャルソンを着るようになったのかを聞いてみた。すると「着られると思った。エキセントリシティと日常性がコムデには共存している」とのこと。なるほどそうなんだ。座談会では川久保玲のモノづくりにおける他者性の介入、その介入の必然としてのイクスクルーシブからインクルーシブへの移行、加えてモードの必然など思っていた話題に触れることができた。西谷さんはアンリアレイジのシャツを着てこれていたがなかなか素敵である。森永さんのDVDにサインを頂き満足。昔は人にサインなど請わなかったが、最近はなるべくもらう。会ったことの記録である。
夕方恵比寿駅で信大坂牛研最後の修士学生達に会う。修士論文の構想を聞く。空間の記憶、村野藤吾の本歌取り設計手法、ヒートアイランドを減少させる県庁舎の設計など。結構面白い。彼らは皆設計事務所に就職が決まった。石本、松田平田、NSD、三輪設計、日立設計おめでとう頑張って。

June 2, 2012

村野さんの平行四辺形階段


早稲田の文学部はその昔、一文二文と別れていた。二文とはつまり夜学である。二部というのは理工にもあって二部理工は建築家のメッカでもあった。なのだが、そうした需要はなくなったのだろうか?夜間は絶滅した。二文は文化構想学部と言う名でリノベ―トされ、第二理工はとっくの昔に消滅した。いまだに夜間部なんてものが残っている大学は数少ない。僕の勤めている理科大にそれが残っているのはとても珍しい。でも社会人大学はこれからの成熟した日本社会には欠かせない教育の場だと思う。
僕はそんな文化構想学部で建築を教えてほしいと頼まれた。建築を文系の素養を持った人間に教えるのは素晴らしいことである。東京工業大学で建築を学んだ自分がそんなことを言うのもなんだが、建築はエンジニアリングだなんて酷く歪曲された認識である。
昨日某大学建築学科が朝日新聞に広告を出していた。高校時代文系を志望している学生もウエルカムだと。先を越された。建築なんて言うものはエンジニアでもないし、リテレチャーでもないそれはアーキテクチャーでしかないのである。世界のほとんどの場所で建築は建築学科ではなく建築学部なのである。一つの独立したファカルティなのだ。
工学部の教員をしているのにこんなことを言うのも何だが、毎週金曜日早稲田の文キャンに行くのは楽しい。そしてそこには村野藤吾のいろいろなデザインが残されている。そんなデザインに出会ってハッとする。今日も不思議な斜めの階段に遭遇した。こんな村野がまだ残っているこのキャンパスを壊さないで使ってほしいものである。

June 1, 2012

やりたいことがあったらそのことに時間を割きなさい

午後大学で会議。3時間もあってちょっと閉口。話がポリティカルなことに及ぶと時間がかかる。そういう話題は苦手である。
なんでそういう話題は苦手なのだろうか?と我が身を振り返る。自分はノンポリだと自覚する。でもどうしてなのか?「デモをしよう」とか偉そうなことを言うくせに、、、、、思うに「デモをする」ことは必ずしもポリティカルな行為ではないと思っている節がある。デモは不満を素直に吐露することであり、ポリティカルであるということはそうではない。人間関係の力学を理解しながら自らのポジションを効率よく優位な立場におくことがポリティカルという行為なのである。その差は歴然としている。
しかし僕がノンポリになったのにはどうも昔の記憶が作用している。というのもそもそも僕はかなり政治好きな人間だったのだ。少なくとも小学生のころまでは。ところがある出来事が僕を変えた。とても尊敬する芸術史をやっていた秀才叔母さんがポリティカルな親父を軽くいなしたたわいもないシーンがあった。親父がその叔母さんにポリティカルな話を向けた時、秀才叔母さんはあっさり「私ノンポリですから」とかわしたのである。秀才叔母さんは言いたいこともあっただろうが親父との論戦は勝算なしと踏んで、いなしたのである。少なくとも僕にはそう見えた。若輩の女性が先輩の男を涼しい顔してかわしたあの姿が忘れられない。叔母さんの心中は子供心にも察するに余りあった。それ以来僕も目的外のことに時間を使うことはやめようと思った。
その後もう一つの事件があった。幼少のころからやっていたヴァイオリンの先生に「お前は柏戸だ」と言われた時である。柏戸はとは実力があったけれど生涯大関止まりで横綱になれなかった力士である。彼はなかなか男前でいろんな趣味があった人らしい。つまり相撲に集中できなかったので大関止まりだったと言われていた力士である。ヴァイオリン教師が言いたかったのは僕が勉強も運動もやって更に音楽もやろうなんて甘いということであった。音楽をやりたければそれ以外は全部捨てろということなのである。その言葉も僕の中では今でもずしーんと響いている。
つまり50になっても思うことはやりたいことの為にはそのことに時間を割けということである。逆に言えばそれ以外のことに時間を割くなと言うことである。まあそうは言っても人生その通りにはならないのではあるが。