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July 30, 2012

非日本を生きる

室謙二の『非アメリカを生きる―<複数文化>の国で』岩波新書2012を読んでいたら『非ユダヤ的ユダヤ人』という本が紹介されていた。トロツキー、フロイト、マルクスなどなどユダヤ人の境界を超えたユダヤ人らしからぬ人も、ユダヤ人のアイデンティティを作っているという話のようである。
著者は日本人としてアメリカ人の市民権をもちユダヤ人であるアメリカ人と結婚してアメリカで生きながら自分を非アメリカと感じている。そしてアメリカにはそういう非アメリカが沢山あるという。
おそらく日本は世界の中ではそういう状況が少ない国の一つなのだと思う。僕は比較的非日本だなどと思っていても、それでもユダヤやアメリカの状況と比べればはるかにピュアに日本である。ではあるのだが、建築の作り方としては常に非日本でありたいなと思っているし、政治的にも文化的にも非日本であれればなと思っている。これは決してかみさんのやっている書道を否定することではないし、日本食を食べないということではない。自分の属するものをちょっと引いて見られるもう一人の自分を常に持っていたいということである。

July 29, 2012

飛田新地の謎を解く

その昔僕は日建の組合中央執行委員をしていた。大阪、名古屋、東京で年数回中央執行員会を行い終ると飲みに行くのが慣例で各支部がその宴をセットした。ある年の大阪のそれは「鯛よし百番」という割烹で行われた。有名な飛田新地の端っこに位置しており、宴会の後、飛田遊郭の残滓を垣間見た。凄い場所があるものだと記憶の片隅に残っていたので本屋で井上理津子『さいごの色街飛田』筑摩書房2011を見つけ、12年かけたルポを迷わず買って読んでみた。
ここはいわゆる花街だが1912年に焼失した遊郭「難波新地乙部」の代替地として設置されたもので芸妓はほとんどいない、娼妓ばかりの街である。その数昭和初期で2000人を超えたと書かれている。同じ時期同じ花街(こちらは芸妓専門だが)である神楽坂で600人ちょっと、荒木町で200人ちょっとだった。飛田がいかに巨大であったかよく分かる。それにしてもそれ以来戦後の売春防止法以降も昔ながらのシステムと街並みを残しているのには驚かされる。ここは関係者が決してそのことに深く触れない暗黙のルールがある場所のようであり、写真も撮ってはいけないのである。このルポにも下の一枚を除いて写真は載っていない(この写真も著者撮影ではない)。
しかしグーグルアースにはうつしだされるのが少々不思議ではある。


●白い看板にお店の名前が書かれているこの写真は店名を消していると思われる。

坂本一成研同窓会

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坂本一成同窓会はいつも先生の誕生日を祝い、7月に行う。ちなみにその名を「例の会」と言う。その由来は知らない。名簿を見るとOBはムサビ時代東工大時代をあわせて300人強?出席者は100人くらい。場所は先生設計の同窓会館。自分で設計したところでこう言う会ができるって羨ましい限り。
先生も60代最後というが若々しい。最近作の図面や模型、コンペ案、それから展覧会の様子などパワポで報告。加えて塚本さん達と一緒に出した構成の本の解説と案内があった。
二次会は同窓会館はす向かいの庄屋で。先生と並んで話をする。9月に行う東南大、同済大でのレクチャーの話などすると、「彼らはまだ欧米が先生で少し硬いけれどレベルは凄く高いのでそのつもりで話した方がいい」とアドバイスを頂く。

July 27, 2012

東工大の3年生

東工大3年生の講評会に呼ばれる。数年前も見せてもらった。その時は安田先生が担当。今年は奥山先生担当で非常勤は意匠が鹿島デザインの北さん。構造が金箱さん。課題は東京タワーの足元に1000人が集う場所を作れというもの。なかなか難しい課題だし、最終形は構造の1/100模型を作らせる。
ゲストできたのは金箱事務所OBの木下さん鹿島デザインの辺見さん、松岡さん、そして僕。常勤は担当の奥山先生、塩崎先生、そして塚本先生、安田先生、構造の竹内先生、松井先生も来た。つまり東工大OBだけで12人。そして竹中の萩原さんもやってきた。13人のプロが見るなかでの発表である。
いやなかなかどうして20人の発表者の半分以上は見どころあり。しかし母校だと思うとこちらも歯に衣着せぬしゃべりになる。北さんも金箱さんもガンガン言う。塚本さん、安田さんなんか「図面になってない」とまるで一年生に言うようなことをさんざん言っていた。挙句の果てに、ゲストは甘過ぎといさめられる始末。
まあ確かにひどい図面も結構あるけれど、どう厳しく見てもわが校の図面よりはまし。やはり教育だなこれは、少々反省してもっと厳しく図面書かせないと。

80年代の建築を見る視座

ロザリンド・H・ウィリアムズ(Williams, H. R吉田紀子+田村真理訳『夢の消費革命―パリ万博と大衆消費の興隆』(1982 )1996を読む。原題はMass Consumption in Late Nineteenth-Century Franceなので大衆消費というよりは大量消費と言う気もするが、果たして十九世紀後半フランス(パリ)における華やかな消費がどの程度大衆のものであったのかはこの本だけではよく分からない。早稲田で建築の消費性という講義をする時はやはりボンマルシェ(19世紀半ば)を話題にはするものの大衆が生まれたのは20世紀初頭のアメリカだと話をしている。
パリのデパートが初めて定価と言う概念を作りだし、それによって人々は買わなくても適当に商品を見て回る楽しさを覚えた。そしてパリの万博が初めて商品に値札をつけて売りはじめた。消費というものが生活の付加価値を伴う文化的行動に繋がる契機だった。
この本では最初の僅かな部分だが、ルネサンスからルイ王朝への連続の中に消費文化の始まりを見ている。17~18世紀のバブル消費である。建築的にはそれと似たようなことが1980年代に起こった。だいたいこのバブル現象はいつでもいいものと思われない。ふまじめなものとして捨て去られることが多い。しかしバロックも200年以上たってやっとヴェルフリンに客観的評価を与えられた。80年代バブル・ポストモダンもじゅっぱひとからげに×をつけるのではなく、正確な分類と評価をすべきだと思っている。そのためにも消費の構造を歴史的にきちんと位置付けないといけないだろう。

July 25, 2012

この工事のスピードは一体なんだ!!


●カットTの垂木の間にグラスウールボードをはめ込んで構造をリブのように見せた天井

今日はまた一段と暑い。こんな暑い日に朝ジョギングするのも馬鹿かという気もするが、公園ではラジオ体操しているし、まあ早起きして運動するのは悪くない。飯食ってシャワー浴びて、ちょっと英語読んで、頭も体も覚醒してからさあ出陣と家を出る。しかし今日はいかん。余りの暑さにドアを開けた瞬間元気がなえた。
野木の現場は最後の追い込み。凄いスピードで工事が進む。4棟のうち最後の一棟は鉄骨造で建て方してから1カ月ちょっとでほぼ90%の状態になった。先週の定例ではまだ外装塗装も終わってないし、足場もあったのが今日行ったら足場もばれている。この速さはなんだろね?結局内装、設備、塗装が全部一度に現場に入っているからこなせたということである。一般にこういうことは混乱を招くし、仕事が雑になるのでのでやらない。しかし今回はとにかくそうしないと終わらないのでなんとかそれをやりとおしたと言うことである。
それにしてもこういう経験を一度見てしまうとできないことは無いと言う変な自信がついてしまうから危険である。これはあくまで例外と思わないと。現場の所長以下寝ずにやっているという感じである。連日最後の設備屋さんが帰るのは12時くらいだそうだ。まあ12時程度なら我々の業種ではあたりまえだけれど、肉体労働の方々がそういう状態だとちょっと危険である。気分が悪くなって帰る人も結構いると聞いた。残り2週間くらい。暑い日が減りますように。

4年の講評会


講評会シリーズも2週目。今日は理科大二部4年生。30名近い作品が並ぶ。去年よりは少し作れるようになってきただろうか??今年は4つのテーマを与えてそれを伸ばすように勧めた。建築論、コンテクスト、エンジニアリング、プログラム。これによって少しテーマの幅が広がったのだが、突っ込みがまだ浅い。これは指導する側の問題もあるかもしれないけれど、やはり本人の自覚がなにより必要である。
4年の製図は一部二部の常勤教員全員で見る。宇野、郷田、伊藤裕久、稲坂、青木、山名、坂牛、呉、金子、天内。なかなかこうやって名前をあげると沢山いる。とはいえコアは二部教員。そしてこれが卒業設計の土台になる。プレディプロマである。今日はある意味中間発表。これが年末花開くように頑張ってほしい。

July 24, 2012

武道館で発見を!

意匠論の最後の講義はレポートの出題をして終り。昨日から何をレポートしてもらおうか考えた。拙著『建築の規則』ナカニシヤ出版2008を教科書にしているのでレポートは何か建築を選んで批評してもらうのだが、では何を?
批評と言っても学部3年生に高邁な思想を語っていただいてもこちらは疲れるだけそうなのですごーい現代名建築を選んでも間違いそうである。もっと身近などこにでもある建築を観察してどこにでもなさそうなことを発見して欲しいと思うわけである。
そこで最初に頭に浮かんだのは「自分の住まい」。しかしそれだとよほど素晴らしい文章を書いてくれないとこちらは何も分かりそうもない。
次に浮かんだのは理科大九段校舎。これは結構いけると思った。でもここはさすがに僕も連日使っている建物だから微に入り細にわたり知っている。彼らの発見が新鮮に映らない可能性もある。
「うーん」研究室で外を見ていると正面に靖国の鳥居、目を左に転じると「あった。武道館。これにしよう」。ネット情報禁止、図面や山田守の他の作品の図版は本のコピーのみ許可。他の図版は全て自ら出向いて自ら撮った写真のみ許可。山田守解説書や雑誌の説明などには絶対に書いていないようなことを自ら発見してきて下さいと課題説明。
さてどんな答えが出てくるか?面白い発見を伝えてくれたらそのレポート持って僕も見に行こう。

July 22, 2012

68年はポストモダニズムにつながる


やっと解放された一日。ノルベルト・フライ(Frei, N)下田由一訳『1968年―反乱のグローバリズム』(2008 )2012みすず書房を読む。68年と言えば5月革命と条件反射のように覚えていた僕にはその始まりがアメリカであったと言う事実が新鮮である。アメリカでは人種差別とベトナム戦争、パリでは大学に端を発する権力への反逆、ドイツではファシズムに加担した世代への抵抗、日本もパリに近い、いずれにしても、戦後近代の第二の波に覆い尽くされまいといする若者を中心とした抵抗の嵐が60年代の最後に世界中で吹き荒れたわけである。
68年と言えば、当時の世界の建築を記したのは磯崎新の『建築の解体』である。磯崎はこの書を含め、68年を世界のラディカリズムのピークとして位置づけその後70年代、80年代を飛び越えて68年は89年に接続すると記している。
しかし僕にはどうしてもそうは思えない。その理由は80年代に大学時代を過ごしたことへの郷愁などではない。そもそも歴史の20年に意味がないと言うことはあり得ないと思うからである。68年にUFOでも飛来して世界の人間から脳ミソをすべて抜き取ってしまったのならいざ知らず、同じ人間が知的活動を継続している20年間が意味を帯びないと言うことは原理的にあり得ない。
68年が近代への抵抗への嵐であるならば、必ずやその流れが70年代のポストモダニズムの準備へつながり、80年代のバブルへ接続することになっているはずなのである。よく見れば、『建築の解体』にはロバート・ヴェンチューリもチャールズ・ムーアも載っているのである。そしてムーアは昨今、現象学がポストモダニズムに与えた影響分析対象の一人でもある。
歴史的事象は突如天から降ってきたようにおこるのではない。その準備は常にされている。最近ますます感ずることである。

いい建築も伝え方一つでダメになる


魔の一週間最後の一日。今週は魔の講評会連ちゃんで夜は毎日懇親会。相手は毎日違えどこちらは体一つ。もう持たない。
今日は一部、二部同日開催の合評会。一つの部屋でやろうとすると数百人になり入りきらないので一部と二部は別室で開催。時間も少しずらしたので一部の発表会も見に行けた。2年生の最後と3年生のほぼ全部を見た。なかなかパワポだけだとなにを言っているのか分からないのが残念である。2年生は住宅課題で場所は神楽坂。2年生にしてはいろいろ考えていそうだが、なにせプレゼンが今一つ。逆に3年生はプレゼンが大分上手いのだが、案のデヴェロップがまだできていない。コンセプチャルな造り方は二部より上手だが形の操作は二部の方がはるかに上手。これはまあ4年生になって研究室配属されてもそうなのだが。
4時から二部の合評会。こちらはゲストクリティークにキドサキナギサさんと寶神尚史さんをお呼びしての2年、3年の発表。一部の後で見ると、デザインは上手いのだがトークがダメである。もう少し上手に自分の作品を語れないと結局建築は相手に伝わらない。キドサキさんも同じことを言っていた。

July 21, 2012

小川次郎氏をゲストに3年の講評会―テーマは荒木町を読む


午前中早稲田の最後の講義。来週が最後の学生発表。15回の授業は長い道のり。息切れしそう。
午後大学へ。夕刻は3年生の製図の講評会。今日のゲストは小川次郎さん。課題は荒木町を読む。各スタジオがすり鉢状の地形を囲むように敷地を選び、それぞれが面白い課題を提示。若松スタジオは公民館、川辺スタジオは15人が共有する空間、高橋堅スタジオは住宅+カフェ+ギャラリ、木島スタジオはある人数毎に使える空間のコンプレックス、塩田スタジオは立体路地、坂牛+呉スタジオはオフィス+α。
それぞれ課題が異なるのでトータルで一位をつけるのは難しいが、最優秀賞は立体路地。小川賞は川辺スタジオの15人で共有する赤テント。今年から各スタジオに一人ずつ院生のTAを付け彼らも教えることの補助をさせた。教えることを少しでもかじると自分を客観視できてとても成長する。信大では人がいなかったのでTAも教師のようなものだった。今回のTA君たちもこのスタジオで大いに成長しただろうと期待したい。

July 20, 2012

ヨコミゾ+佐藤淳の院のスタジオ


今日は大学院の設計課題の講評会。この課題はヨコミゾマコト+佐藤淳という豪華メンバーの指導のもと行われている。今年はナカダイというゴミの中間処理業者さんから資材を購入してある構造を作ろうという試み。去年はまだ院生がいなかったので坂牛研は今年からの参加。なんだか面白いオブジェが一杯出来上がっていた。
みな造っているものが大きいので部屋から外へ運び出せないものばかり。このオブジェは屋上で作られ、室内に持ち込めない。ただオブジェをつくるだけではなく、それを構造として成立させるための計算をきちんとしているところが院生である。
これらのいくつかは来週学会のワークショップで田町の中庭に飾られるとのことである。院の設計はなかなか課題の作り方が難しいのだけれど彼らのおかげで5年間素晴らしい成果が上がった。

July 19, 2012

文章書けない人は建築も作れない

昼に現場へ。とにかく暑くてシャツはびしょびしょ。東京に帰る間に乾くかと思ったが乾かない。気持ち悪いのでコンコース沿いにあるお店でTシャツ買って着替える。
6時ころ大学到着。今日は新聞社の友人Mを呼んで学生9人が書いた文章の添削会。半分くらいは面白い発見が見えるのだが、それが文章化されていない。何でもかんでも押し込もうとするから何言いたいのか分からなくなる。もっとシンプルに一番言いたいことを最初に書けばいいのに。
日本の学校は作文を教えないからこういうことになる。アメリカではcompositionをきちんと教える。留学した時さんざん書かされた。今でも覚えているのは一つのパラグラフに言いたいことを一つだけ書け。そして文章はいくつかのパラグラフで構成し一番最初のパラグラフの最初の文に全体で言いたいことを書けと教わった。ちなみにこの文をトピックセンテンスと呼ぶ。Mさんも本日同じようなことを言っていた。文章は逆三角形。一番大事なことを一番最初に書けと。
英作文はEnglish composition 作曲もcomposition .composeとは構成するということである。文章とは構成なのである。建築の研究室でしつこく文章術を教えるのはこの構成する頭がなければ建築もできないから、建築もcomposition である。

July 18, 2012

歌舞伎揚げ色


午前中現場で材料の色決め。グリーンのカーペットにオレンジの壁。補色でかなりきわどい。湘南電車色。というか歌舞伎揚げ色というか??
午後大学。会議に代理出席を頼まれたのだがはて場所はどこ?行けば分かると思ったが大学に電話して聞く。おっとなんと神楽坂ではないか。九段に行かなくて良かった。会議が何とも長い。終わったら4時。10月から毎月この会議に出なければならないと思うとちょっとうんざり。終わってあわてて九段へ。PD天内君と建築年表見ながら、戦前戦後の意匠論の継続性を探す。のだが、なかなかつながりの糸が紡げない。
6時。九段から神楽へ。九段神楽の往復はこの暑さだと苦痛。4年生の製図提出前の最終チェック。数週間ぶり。さて来週何が出てくるだろうか?とにかく後一週間は模型に専念して欲しいのだが。

July 16, 2012

賞は欲しい!


水戸の現場は35度である。梅雨は明けたのだろうか?。建て方が始まった。棟持ち柱と隅柱以外は450ピッチに入るツーバイ材。まだ入っていない状態だとまるでベンチューリのフランクリコートのようである。
往復のスーパーひたちで小谷野敦『文学賞の光と影』青土社2012を読む。世の中にはこれほど文学の賞が作られてきたのかと溜息がでる。芥川賞、直木賞を頂点に賞はこれでもかと言うほどある。恐らくその半分は本を売らんがための話題づくりだと思われる。
前回の芥川賞の田中慎弥が「もらってやる」と毒づいただけで二十万部を超えて未だ売れているのを見ると、出版社が巧妙に仕組んだ(あるいは代理店が)芝居かと疑いたくもなる。それも賞があるからこそできることである。あんなイベントが無ければ確実に本はますます売れなくなるに違い無い。
建築も同じようなところがある。とにかくいろいろなところにいろいろな賞がある。書籍と違って建築は複製品ではないから賞をとったからと言って誰かがすぐに儲かるわけではないけれど、長期的に見ると、賞をとったゼネコンだって設計事務所だって利益につならないことは無い。だからこれでもかと言うほど賞に応募する。文学賞も著者曰くだぼはぜのように賞をとる輩がいるようだが、建築も同じである。
たまさか賞の審査をやっていると毎年毎年とにかく造ったものは何でも出す人はいるものだし、既に最高峰を極めた人でも、熱心に賞を応募し、取るために最大限の努力を惜しまない。かく言う私も出せるものがある時は出す。でも何でも出すと言うことは無い。

July 15, 2012

東電問題は独占体質にあり

今日は八潮の家づくりスクール初日。あれッ?会場行ったら理科大の学生はたったの2人。神戸大なんてあんな遠くから5人も来ているのにどうなってんだろうね?やっぱり電通鬼の十則を研究室の十則にしようかな?
帰宅後本間龍の別の電通本『電通と原発報道』亜紀書房2012を読む。東電がローカル企業であるにもかかわらず年間269億(10位)を広告費に投じている。これはとてつもないこと。このお金で原発へのネガティブ報道を徹底して抑制している。しかしこれをどのように批判したらいいものか?誰が悪いのだろうか?と考えてしまう。
つまり、競争相手が無く、監視機関が同業者のような状態で一体どうしたらこれをとめられるのか?ということだ。

今の電機業界を建築に置き換えれば建設会社が東京にはA社一社しかなく、確認申請はA社のOBによって作られている建築安全委員会が行うというような状態なのであう。そんなの想像しただけで恐ろしい。A社は何したって野放し状態ではないか。建設コストが下がる原理もないし、安全性も全く担保されない。

こんな状態で震災が起こり多くの建物が倒壊してもA社は東電同様、地震が想定外に大きかったし、確認申請は下りているのだから我々に責任は無いと言えてしまう。それは競合していないからだし、認定されているから。そして地震発生とともにA社を応援する大学の建築学科教授をずらりとテレビ出演させてA社を守り抜く。その段取りをA社担当の広告代理店が行う。これを批判するのは難しく、それぞれのポジションの人間はその場所の責務を全うしているかに見えるからてそれって人間の自然な行動にも見えてしまう。
A社しか東京に建設会社がなく、その確認機関がA社OBでできていたら、そういう風に世の中動く。水は低きに流れるのでありそれを止めることはできない。
だから今回の東電問題を反省し改善するなら競合他社を作ること。認定機関はまったくの第三者で構成すること。これしかないように僕には思えるのだが。

電通鬼十則

午前中本間龍『大手広告代理店のすごい舞台裏』アスペクト2012を読んでいた。あの業界の人間たちの働き方は尋常じゃない。電通四代目社長吉田秀雄の鬼十則と言うのがあると言うのを聞いていたが本文を初めて見た。
1、 仕事は自ら創る・・・
2、 仕事とは先手先手と働きかけて行くこと・・・
3、 大きな仕事と取り組め・・・
4、 難しい仕事をねらえ・・・
5、 取り組んだら話すな・・・
6、 周囲をひきずり回せ・・・
7、 計画を持て・・・
8、 自身を持て・・・
9、 頭は常に全回転・・・
10、摩擦を恐れるな・・・
あの業界、手術がんがんやる医者、ブンヤそして設計屋は働きっぱなしという意味でよく似ているけれど、行動指針としては発注業の悲哀を共有する広告屋のそれが近い。鬼十則は僕らの十則と言ってもまあ正しい。
午後、1年ぶりの翻訳勉強会。場所は理科大。交通の便もいいし広いからよい。今回の本は形而下的な話が多く。読んでいてとても楽しい。しかめっ面しないでも読めるのが嬉しい。それでも1時~6時までぶっ通しで読むと頭がふらふらになる。今回はなんとか来年末には出版と行きたいところである。

July 14, 2012

小ささに価値を見出せる日本人


昨日は二つの著作、平川克美『小商いのすすめ』、渡辺 真理 、 下吹越 武人『小さなコミュニティ―』に共通する「小」に注目した。今日早稲田講義の帰りにあゆみbooksで阿部和重『幼少の帝国』新潮社2012を買って昼を摂りながら読んでみた。日本のサブカルに見られる特性に成熟拒否を読みとる(ビジュアル系ロック、ヤンキー、ホスト、ロリータ、ガングロ、デコトラ)。そしてこの成熟拒否は戦後マッカーサーと並んで写された天皇の写真に端を発していると言う。マッカーサーに比べればかなり小さな天皇の姿にがく然とした日本国民は小さいことに価値を見い出さないことには神としての天皇を維持できなくなったというわけである。
まあこれは天皇を持ち出すまでもない。小さい日本人が世界に行ってコンプレックスを持たぬようにするためには小ささに価値づけをするのが手っ取り早いのである。そしてその価値づけを妥当なものとするために小ささを美的な価値へと昇華するためにさまざまな角度から挑むのである。「カワイイ」はそんな努力の結果生まれた世界的美基準の一つ。その功労者はもちろんキティちゃん。
小さい○○を評価する国なんて、まあそうあるまい。日本以外に「小さい」ことに価値を見出す国ってあるのだろうか?

July 13, 2012

「大」を戒める?

平川克美『小商いのすすめ―「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ』ミシマ社2012という本を読んだ。
著者平川克美はその昔内田十樹と渋谷で翻訳業をやっていた人。内田の自己紹介にはよく出てくる人が本人の著作を読むのは初めてである。
未だに成長神話の上に乗ろうと悪あがきする人はまれだが、かといって縮小するのが正解かと問われれば分からない。著者はどちらでもなく均衡であると説く。
ところで古い話だが、日本が成長を目指してがらりと変わったのは1964年の東京オリンピックからであると言う。僕が小学校に入るころである。はてそうだったのだろうか?と振り返るとその年にそう言えば僕も江古田の団地から大泉学園の一軒家に引っ越した。日本中が開発された年だったのかもしれない。
そんな本を読んでいたら渡辺 真理 、 下吹越 武人さんから 『小さなコミュニティ―住む・集まる・つながること 』彰国社2012という本を頂いた。「小」という字が二つの本に共通している。「小」は平川さんの本では必然ではない。渡辺さんのほんでそんな気がするのだが、「小」は単に「大」を戒める時代の言葉?

July 11, 2012

地下室は涼しい

野木の現場の往復で松原隆一郎『ハイエクとケインズ』講談社現代新書2009を読み始めるケインズとハイエクが近い世代の経済学者とは知らなかった。ハイエクがそもそも心理学を学んでいたというのも発見。経済学って心理学的要素抜きには語れない。柄谷行人が言うように、資本論が語る資本主義の最も重要な点の一つは信頼関係。心理学とは切っても切れない話と思われる。
今日は現場もかなり暑い。しかし地下室に下りたらまるでクーラーが効いているように涼しい。クールチューブってあまり信用していなかったけれど。これなら使えるなと感じた。後一カ月でオープニング。梅雨を明けよ。

July 10, 2012

1000字の文章は3回「おっ」と言わせろ


午前中オフィス改装の現場へ。設計期間も施工期間も短期なので日々変転する状況の中でモノを決めて行くのは一苦労。
現場から大学へ。某出版社の編集者来研。新たな企画のご相談。学生のワークショップ体験を書籍化しようと100ページ余りのダミーを見せる。タイトルと、それに続く序の作り方が重要との指摘を受ける。全体としてはなかなか行けそうである。
ただ学生の文章が余りに面白くないのが僕の不満。「これとっちゃいますか?」と言うと「面白いかどうかですね」と言われた。
それは学生がワークショップの感想を書くページ。9チームあるので9ページある。それぞれ1000字くらいの文章なのだが、だらだら書くととても読めたものではない。そこで文章を3段落に分けてそれぞれ惹きこむ見出しを付けよと指導してきた。1カ月言い続けているのだが、誰ひとりそれに応えられていない。それどころか書く気がないのかページが埋まってない。これってどういうことだ?やる気がないの?能力がないの?指導が悪いの?ぐっと我慢して指導が悪いと反省し、指導の仕方を学ぶべく、今晩はプロの新聞記者と飯を食ってそのひどい文章を見せ指導方法を乞うた。「どう思う?このセンスの無さ」と問うたら、笑っていた。
彼曰く、見出しの付け方には二通りある。ひとつはそれを読めば本文がほぼ想像できるタイプ、もう一つはミステリアス見出しが本文を読みたいと思わせるタイプ。どちらを選ぶかはケースバイケースだと。そして本文の書き方には二つの鉄則がある。一つは最も面白いことを最初に書くこと。次に1000字の文章なら3回「おッ」と言わせること。そうしないと人は最後まで読んでくれない。
まったくそうである。ほぼ同じことを言ってきたつもりだが直らない。所詮僕は文章のプロではないので学生もまじめにやらないのかもしれない。腹は立つが仕方ない。そこでプロに来てもらおうと考えた。「悪いけれど研究室に来てくれない?ひどい文章を直々に直してくれないか?」「おう、分かった。行くよ」と言ってくれた。ありがたい。ノーギャラでプロの文章書きが来てくれるなんてこんな贅沢はあるまい。これで書けなければ指導の問題ではない。能力がないだけである。

July 9, 2012

松永さんの地域づくり本を読みました


長野にいる時よく思った。この町のサイズはコンパクトシティ化するのにちょうどいいと。チャリで暮らせるいいサイズ。もう少し小さければ徒歩圏内。これで流入する車がなければベストである。そこで先ずあの駅を地上化か地下化して障壁を無くし南北にトラムが走ればいいなあと思った。それから郊外から市街地に働きに来る人の家は中層化して市街地に移し、極力車を市街地に入れなければいい街になる。
その時、しかしコンパクトシティの間はどうしたらいいものか?とふと疑問が湧いた。長野市、上田市、小諸市などがコンパクト化するとして、その間はどうなるのだろうか?まあ農業地帯なのだが、ここにいる人たちはさすがに市街地に住むわけにはいかない。
そんなことをかんがえていたら松永安光さんの『地域つくりの新潮流―スローシティ、アグリツーリズム、ネットワーク』彰国社2007が実に同じような疑問と動機の上に書かれていると知った。
いま茨城県の某町の農業街づくりのお手伝いをしている。今日も町長さんと3時間じっくりお話した。この本のことをお伝えした。町長はドイツ、フランスのアグリツーリズムの視察に行かれる。農業を経済行為から文化活動に格上げしたいとおっしゃる。マルクス的に言えば農業を下部構造から上部構造に格上げしようと言うわけである。
それって字義的には矛盾しているけれどとてもよく分かる話でもある。というのも、農業は食文化であり、風景なのだから。とてつもなく大きな話ではあるがそういう時代が来たという気もする。

July 8, 2012

世界4大文明と教わったが本当は6大文明

9月にグアテマラのイスモ大学(Universidad del ITSMO)の建築ウィークに招待されている。行きたいところがあれば何処へでも連れて行くので早く来られる日を伝えるようにとメールが来た。そう言われても全く知らない国なので少々歴史を辿ることにした。青山和夫『マヤ文明――密林に栄えた石器文化』岩波新書2012を読んでみた。僕らは世界史で四大文明(黄河、インダス、メソポタミア、エジプト)を教わる。しかし世界にはあと二つ第一次文明(0からスタートした文明)がある。それがメソアメリカ(メキシコの大部分と中央アメリカ北部)の文明とアンデス文明(ペルー、ボリビア周辺)である。
UCLA時代にリゴレッタやムーアとメキシコのオハカという町で見た遺跡がある。これはサボテカ文明だった。これ以外に有名なアステカ帝国、やマヤ文明などがこのメソアメリカという地域の一連の文明に分類される。中でもマヤは最も長く続いたメソアメリカの中心的な存在だろう。その遺跡が多くグアテマラにもある。マヤ文明は30メートル近いピラミッドを持っているのだが、大型の家畜を持たず、人力が主体。さらに乳のでる動物を飼わず乳製品を食さない、しかもスペインに占領されるまで鉄器を持たなかった。人力以外を頼らず、道具の進歩がなく、食べ物の選択肢も比較的狭い、それも原因で小さな国家しかなかったのかもしれない?
一般の歴史本がこの辺りを包含していないのだから、建築史の通史も同様。この辺りを語るものは少ない。まして日本語になったモノだと殆どない。唯一ドリス ハイデン、ポール ジャンドロ『メソアメリカ建築 (図説世界建築史)』本の友社1997があるくらいである。
メールにはITSMOでのレクチャーのレジメを送るようにと書いてある。僕以外の海外招待建築家は4人。タイムテーブルを見ると僕の講演がしょっぱなである。レターをよく見ると僕のレクチャは Inaugural Lectureと書いてあった。あまり気にしていなかったけれど Inauguralというのは開会とか最初のという意味である。つまり基調講演ということである。今年のテーマはIDENTITYである。さてどうしたものか?

July 7, 2012

モルタルしごきのうえ銀ペイント


6時に起きてジョギング。雨降っているけれど雨の中も気持ちいい。ヨーグルトとコーヒー飲んで翻訳の見直してこの2週分を相棒に送る。家を出て西荻の現場に。初めてやるRC外断熱の家。外断熱メーカーが持っている純正品塗装は種類が少なく木造モルタル住宅にしか見えない。クライアントもそれは嫌だということで外断熱上の寒冷紗に銀色ペイントをスペックした。うっかりしていたが銀ペイントは厚みが無いので寒冷紗がよく見える。仕方ないモルタルしごいてその上に塗ることにする。二つの見本を見てもらう。しごいたとしてもこて跡が残るのでコンクリートペンキには見えない。このギャップはなかなかたまらん。
西荻の駅から現場の間には戎(えびす)というおいしい焼き鳥やがある。ここは焼き鳥がうまいだけではなく店がいい。何がいいのだろうか?道すがら店を眺め考えた、すると建具の桟が太く、店の椅子の足が太く、カウンターが分厚い、ことに気付く。つまりなんとなく全体的にデブなのである。このデブがいいのではと感じた。
出窓の先端を薄く見せるために断熱材を切る原設計を変更する決心がついて、もっとデブに見せることに決めた。繊細さを自慢する時代は終わった。というのが焼鳥屋からの教訓である。
午後はオフクロの一周忌。一年たちました。去年はちょっとへこんで飲みまくっていたがもう直った。焼香して皆で吉祥寺で会食。昼からワインのんでいい気持ち。

July 6, 2012

中国における建築理論研究の進捗度

エイドリアン・フォーティーの『言葉と建築』を翻訳し終わった頃、中国でこの本を翻訳していた南京にある東南大学の李准教授がメールをくれた。僕が翻訳したことをエイドリアン本人から聞いと言う。未だ会ったこともない同じ興味を持つ海外の人と話をするのも面白い経験だった。大したアドバイスをした記憶もないのだが、その後覚えていてくださり、去年日本に来たおりに僕の研究室を訪れ、東南大学の学科誌をプレゼントしてくれた。中国語、英語併記で建築論、歴史の論考が10編近く掲載されていた。英米の著名な学者の寄稿もあり、その充実ぶりに驚いた。日本の大学でこんなの作っているところは無い。建築学科がその編集や出版のシステムを既に持っているのだから日本を抜いている。東南の建築が建築論では3本の指に入るというのも頷ける。いつか中国で講演をして欲しいと言われ、そういう場があれば喜んでと言って別れたら一年経ってお誘いのメールを頂いた。9月に東南大学とAAスクールの共同主催で2日間の現代建築理論のレクチャーシンポジウムを行うのでレクチャーをとのこと。このシンポは今年で3回め。テーマはInvention of the Past.。まだよく分からないけれど興味深い。決まっているスピーカーは以下の通り。よく知らないけれど建築理論のエキスパートなのだろう?
Mark Cousins、Mark Campbell from the AA;
Reinhold Martin from Columbia University;
Stanford Anderson、 Yung Ho Chang from MIT
PrGu Daqing from Hong Kong Chinese University;
Jianfei Zhu from Melbourne University;
Lu Yongyi from Tongji University;
Chen Wei from Southeast University.
中国来るなら上海同済大学でもレクチャーをと頼まれた。南京への通り道。久しぶりに上海に寄るのも悪くない。

July 5, 2012

芸大の3年生


学会関連の会議を終えて夕刻芸大に。学部三年生の講評会にTNAの武井君と二人でゲスト参加。ヨコミソさんと川辺さんが開いているスタジオで「共有して暮らすかたち」というタイトル。100人の人が何かを共有して暮らす集合住宅を作れというもの。
世の中に存在する言葉で言えばシェアハウスが近いけれど、必ずしも何かの部屋を共有するだけとは限らない。ある案は時代の空気を共有すると言うもので、しかも集合住宅を作っていない。
アルゼンチンでやったαスペースに近い考え方の課題であり興味深かった。そしてそれへの返答の仕方が形より生活を重視していることが嬉しかった。図面にこれでもかと人が描いてある案がいくつかあったし、最初のスケッチが生活を漫画で描いているものもあった。こういうのを描けるところが芸大ならではである。
懇親会でビール飲んでいたら後ろから信大で教え、現在北河原研にいるTさんが現れた。ダンスと建築の関係を学びたいからダンスのメッカパリに行きたいということだったが北村明子さんに相談したら、今ダンスが熱いのはベルギー、ドイツ、オランダだとか。そこでまた行き先が決まらなくなったようだ。

北千住電気大を訪れる


午前中、野木の現場。午後久喜から東武の電車で北千住電気大へ。槇さん設計の新キャンパスが夏空の下で目にまぶしい。まるでテピアのような階段が迎えてくれる。あせってきたのだが着いたら30分早かった。せっかくなので図書館を見学。しばし休憩。小池滋、和久田康雄編『都市交通の世界史―出現するメトロポリスと鉄道網の拡大』悠書館2012を読んでみる。公共交通って世界各地、最初は人力か馬力なのだ。それが20世紀を境目にして電気に代わる。郊外という概念ができるのも公共交通ができてこそなわけだ。フィリップ・モリスの赤い家は郊外を象徴する家だけれど1860年イギリスには既に郊外があったということになる。世界最初に公共の都市交通が発達した国だからこそ。
4時から電気大修士の講評会。僕と藤原徹平さんがゲスト。それに常勤の山本圭介さん、松岡恭子さん、今川さん、非常勤の佐々木さん長友さん藤江さん。凄い布陣。
課題のやり方がまた考えられている。テーマは公開空地の備蓄。これを5週間松岡さんが全体を見て、次の5週長友さんがコンピューター3次元を教え、最後の5週藤江さんが原寸スケールを教えるというもの。正直言えば学生はそれについていけていないのだが、今日は4年生も見にきていたし、きっと来年からはよくなるはず。

July 3, 2012

つながらない生活

10年くらい前誰かが言っていた。もはやネットに繋がっていないcpuなどcpuの意味はない。その時はまったくそうだと感じていた。cpuが常時つながっているなんて夢のような時代だったから。
それがどうだ、10年経ったら状況は逆転した。今ではcpuを前にして何かアプリを立ち上げた時はネットから切れるボタンがあるといいと感じている。翻訳作業でスクリーンと睨めっこしていてちょっと休憩などと思ってメール見たりする。変身すべきメールを見てしまうと「ああ見なければよかった」と思いつつ、見た以上早く返信しなければという気になってしまう。ちょっと天気予報を見てしまって雨だと分かった時、ちょっと電車の接続を調べて今日の予定を考えてしまった時、とにかく何か情報が来てしまえばそれに脳ミソは反応せざるを得ない。
ウィリアム・パワーズ(Powers, W.)『つながらない世界』㈱プレジデント社2012はネットにつながることとつながらないことの調和が生活を豊かにすると説明する。まあそれはそうなのだが、面白いのは人類史上でメディアが開発された時にはそれが対話であれ、本であれ、印刷技術であれ、ラジオであれ、人間は情報過多に悩まされ、その都度自らを反省する手段を考えたと言うのである。プラトン、セネカ、グーテンベルク、ハムレット、フランクリン、ソロー、マクルーハン。彼らはいずれも情報と言う雑踏から身を隠す術を身につけた。それなしでは極度の情報過多に身が持たない。
ネットスクリーンを前にした我々は自分と向き合っているようで実は違う。スクリーンの向こうにはつながった世界がありこの雑沓の中で集中を失い、深い思索に到達するまえに、思考は細切れに分断されるのである。
因みに僕のIPHONEは常時繋がってない。ポケットwifiをONにしないと使えない。これが結構手間なのでIPHONEをつなぐのは日に数回ということになる。便利ではないけれど困ることもない。それでいいのだと思いつつ、まあしかし、ポケットwifiなんて持っていること自体、そもそもこんなこと言う資格ないのかもしれないが。

July 2, 2012

キレイならいいのか?

月曜日って長いよなあ。朝早く起きるようになったらますますである。朝6時に起きて夜10時くらいまでオブリゲーションがあると思うとちょっとへこむ。でもまあへこまない体力をつけるために朝早く起きているのだから仕方ない。なんだかいたちごっこであるが。事務所行って、外で打合せして、大學来て電話して、教員と打合せして、ゼミやって、講義して、研究室の打合せ。
合間にデボラL. ロード栗原泉訳『キレイならいいのか―ビューティー・バイアス』亜紀書房2012を読みながら笑う。これ正しい!!
著者はアメリカのとても著名な法学者。化粧にも、スタイルにも、服装にも殆ど興味も関心もない学者なのだが、偉くなればなるほど、周囲から服装やら、化粧やら、髪型やらうるさく指摘されこんな本を書くはめになったようだ。
世の女性とは美しくあることをデフォルトとされており、それにとんでもないお金と時間をかけることを社会的に強要されているというわけである。一方で男性はそういう強要の程度が遥かに低い。
アメリカにはシンディ―クロフォードが一般女性にメイクアップ指導する番組があるそうだ。そして世の女性はとてもシンディクロフォードになれるはずもないと思っている。そしてこれは数十億ドル規模の産業に支えられている。一生なれないでもなりたいという願望をこの産業がデフォルトとして世の女性に埋め込んでいるのである。では男はいかに?ブラッドピットが中年男を集めて男性化粧品の指導をする番組は成立しない。世の男性にとって、そんなのなれるはずもなければなろうともしないことがデフォルトだからである。
こんなことを書くと多大な反論があるそうだ。僕も多少思わなくもない。美という感情を人間が持つ以上それは動物にも、植物にも、建築にも、絵画にも、何に対してでもその多寡はあれども存在する。だからそれを隠蔽することはできない。しかし著者が言うようにその概念が社会構築的に拡大されているのもまた事実である。美に限らずだけれど、「いいね」と言うようなものの大半は社会的産物である。それが人の差別を生む方向で産み出されてくるのならそれはまずい。

July 1, 2012

スポーツ新聞のような論文を書こう


昼から大学院の学内選考を行う。終わったら夕方。結構かかる。すぐに帰宅しようと思ったが研究室から見える緑にしばし見とれる。読みかけの本を鞄から出し、残りを読み終える。森田邦久『科学哲学講義』ちくま新書2012。よくある科学の妥当性、科学性の話しである。なんとなく聞いたことある話が多いのだが、一つ面白い指摘があった。
科学的な命題とは何かという問いに、「間違っていることを証明する手段があること」という一般的な説明がある。これは「反証可能性基準」と言う。「神は存在する」と言う命題は「神は不在」を証明する手段が無いので科学的命題ではないということになる。
建築のデザインなどやっていると、実に科学的ではない言葉を吐くことが多くなりがちである。しかしなんとかそれを回避して、科学的とまで行かなくても妥当性の高い言葉にしたいと思うものである。つまり反証可能性をかろうじて担保するようにしたいと思うのである。
さて反証可能性を担保したうえでの話だが、、、著者は「反証可能性というのは情報の価値とも関わる」という。なるほど!!!!反証可能性が高い情報ほどそれが正しければ価値があると言う。例えば、「妹島和世が受けた建築的影響の最たるものはシルバーハットの開放性」という命題があったとする。これはもちろん反証は可能だから科学的命題。そして昔のボスの自邸なのだからそう聞いてもさもありなんと思う。だから反証する可能性は低い。一方、「妹島和世が受けた建築的影響の最たるものは幼少の頃近所に沢山あったガラス温室の透明性」という命題があったとする。これも、もちろん反証は可能だから科学的命題だけれど、「ええええそんなこと聞いたこともない」と皆思い反証したくなる。つまり反証可能性はとても高い。
しかしもしこのニュースが正しければ、この情報価値は「シルバーハット」より高いのである。
論文も同じである。なるべく「ええええええ、うっそ」と言うような反証可能性の高い命題を証拠付きで提示する方が価値は高い。皆が「そうだよね」、というようなことを結論ずけても価値は低く、何たって面白くない。信じられないということを結論づけることに論文の意味はある。
なんかこう言うといかがわしいスポーツ新聞のように書くことを勧めているみたいで気が引けるが、あれだって確かな証拠があれば情報価値が高いのは言うまでもない。