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塚本由晴は詩人だと詩人が言っていた


一昨日塚本さんから一冊の本が届いた。タイトルは『建築と言葉』河出ブックス2012。詩人の小池昌代さんとの共著(というか対談)である。『言葉と建築』を訳した僕としては何とも興味深い本である。
現場への行き帰りで読んでみた。そして「おっさすが!」と思ったことがあった。それは申し訳ないが内容とは直接関係なく、小池さんの塚本描写であった。詩人小池さんは塚本さんを詩人だというのである。曰く「彼の創るもの建造物ではなくまさに棲家・・・すうすす、はあはあ、息をはいたりすったりしているように見えた・・・ふるまいという日本語を見つけたとき・・・心の中にあっと声があがった・・・言葉を発したのは彼なのに、しかし彼はそこで権力をふるわない。ただ、立ち会い、様々な要素が、うまく調和し機能するように観察し、考え、方向を指し示すだけなのだ。・・・わたしは思った。あ、詩人がいる」
先月10日間くらい私と配偶者は塚本夫婦と外国でご一緒した。その短い(とも言えないが)期間で私の配偶者はべったり塚本ファンになっていた。「今度彼と飲む時は絶対呼んでね」とまで言われている。その気持ちは一緒に生活しているとよく分かる。なぜなら彼は底抜けに楽しい、そして誰にでもとても気を使う。誰にも気を使わない僕と数十年も暮らしている配偶者は世の中にこんな人がいるのかと目から鱗だったに違い無い。
しかしそうした表面上のことではなく彼の脳ミソまで含めた成り立ちというのはそんなに簡単ではない。というのも帰国後塚本さんを知る数名の建築家と飲んだ時に「いやー塚本って面白いよなあ」と言っても皆白けた顔をしているのである。ふーんっていう感じである。逆にサカウシはノー天気なやつだと言う顔でこちらを見ているのである。彼をよく知っている人たちは彼を単に楽しいという一言で語れないことをよく知っているわけだ。
なんて思っていたところでこの本の小池さんの描写を読み、うーんそうなんだよなあと納得した。
なんだかせっかく送っていただいた本の感想としてこんなことを書くのも著者には失礼であろう。彼らの書きたかったことはきちんとある。それを僕は異国の地でさんざん聞いた。なのでこの備忘録的ブログに書くこともない。とても面白い話である。是非読んでみて欲しい。彼の詩人的なものの見方に学ぶべきことは必ずやある。

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