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やりたいことがあったらそのことに時間を割きなさい

午後大学で会議。3時間もあってちょっと閉口。話がポリティカルなことに及ぶと時間がかかる。そういう話題は苦手である。
なんでそういう話題は苦手なのだろうか?と我が身を振り返る。自分はノンポリだと自覚する。でもどうしてなのか?「デモをしよう」とか偉そうなことを言うくせに、、、、、思うに「デモをする」ことは必ずしもポリティカルな行為ではないと思っている節がある。デモは不満を素直に吐露することであり、ポリティカルであるということはそうではない。人間関係の力学を理解しながら自らのポジションを効率よく優位な立場におくことがポリティカルという行為なのである。その差は歴然としている。
しかし僕がノンポリになったのにはどうも昔の記憶が作用している。というのもそもそも僕はかなり政治好きな人間だったのだ。少なくとも小学生のころまでは。ところがある出来事が僕を変えた。とても尊敬する芸術史をやっていた秀才叔母さんがポリティカルな親父を軽くいなしたたわいもないシーンがあった。親父がその叔母さんにポリティカルな話を向けた時、秀才叔母さんはあっさり「私ノンポリですから」とかわしたのである。秀才叔母さんは言いたいこともあっただろうが親父との論戦は勝算なしと踏んで、いなしたのである。少なくとも僕にはそう見えた。若輩の女性が先輩の男を涼しい顔してかわしたあの姿が忘れられない。叔母さんの心中は子供心にも察するに余りあった。それ以来僕も目的外のことに時間を使うことはやめようと思った。
その後もう一つの事件があった。幼少のころからやっていたヴァイオリンの先生に「お前は柏戸だ」と言われた時である。柏戸はとは実力があったけれど生涯大関止まりで横綱になれなかった力士である。彼はなかなか男前でいろんな趣味があった人らしい。つまり相撲に集中できなかったので大関止まりだったと言われていた力士である。ヴァイオリン教師が言いたかったのは僕が勉強も運動もやって更に音楽もやろうなんて甘いということであった。音楽をやりたければそれ以外は全部捨てろということなのである。その言葉も僕の中では今でもずしーんと響いている。
つまり50になっても思うことはやりたいことの為にはそのことに時間を割けということである。逆に言えばそれ以外のことに時間を割くなと言うことである。まあそうは言っても人生その通りにはならないのではあるが。

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コメント

失礼しました。柏戸も横綱になっていましたね。事実誤認。

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