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夫婦の平等は経済的平等の上にある


設備のMさんと現場の設備検査に行く。車中、山田昌弘、塚崎公義『家族の衰退が招く未来――「将来の安心」と「経済成長」は取り戻せるか』東洋経済新聞社2012読む。話せば長いが山田氏は経済回復の大きな引き金は男女共同参画にあると言う。そのために女性がもっと進出する社会を待望するのだが、社会の受け入れ体制が変らないだけではなく、女性が変らないと指摘する。そして変わらない大きな原因の一つに専業主婦が守られ過ぎているからだと言う。その守りの最も大きなものの一つに「専業主婦が家計を握る」という通念がいつまでも存続していることをあげている。一度家計を握った主婦は働く意欲を失うと言うわけである。そりゃそうだ。自由になる金が無ければ自ら働かざるを得ないはずである。
山田氏の意見に僕は全面的に賛成である。僕の世代ではおそらく給料袋をそのままかみさんに渡している輩は多い。僕は結婚した当初からそれはしなかった。その結果(かどうか定かではないが)配偶者は適度に働き続けいている。それによって彼女は彼女なりに消費活動をしているわけで経済活動の微小な一端を担っているわけである。
まあ、しかし、給料袋を渡さなかったのは、小遣いをもらうなんてとんでもないと思っていたのと、配偶者には当然働く能力があるとリスペクトしていたのと、最大の理由は夫婦の精神的平等は経済的下部構造の平等の上にしかあり得ないと思っていたからである。25年経って今のところそれは間違いではなかったと感じており、マルクス的思考が有効であると思う稀有な例の一つとなっている。

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