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コミュニティを問いなおす

新書大賞(中央公論社)の中で誰かが推した一冊に広井良乗典の『コミュニティを問いなおす』ちくま新書2009があった。広井さんの本は面白いので何冊か読んだし、これも大分前に買って積読状態にあったのだが、順番が回って来た。タイトル自体もそうなのだが、最初の文章を読んでちょっと暗い気持ちになる「これからの日本社会やそこでの様々な課題を考えて行くにあたり、おそらくその中心に位置していると思われるのが『コミュニティ』というテーマである」。僕はこの「コミュニティ」という言葉をうまく咀嚼できない。別の言い方をすると僕の中ではこの言葉がどうにもこうにもうまく位置づかないのである。それは何故かということをよーく考えてみるとどうも大学時代の地域計画(農村計画)の講義にそのトラウマがあるように思える。正確な記憶かどうかももはや定かではないのだが、その講義の中に、「建築を含めた地域の計画がうまくいけばコミュニティがうまく出来上がる」という教えがあったと思う(あるいはそんな教えは無く自分が勝手にそう解釈していただけかもしれない)。その時ぼくにはそれがどうしても正しいことには思えなかったのである。人と人との良好な関係がハードの作り込みによって可能となるなんて妄想としか思えなかったからである。その後、意匠系の研究室に進んだ僕はそのことを真剣に考える機会がないのだが、未だにそれは妄想だと心のどこかで決めつけている。というわけでコミュニティがこれからの時代のキーワードと言われて、そうかもしれないけれど僕たち建築家はそれに対して余りに非力だと最初から匙を投げてしまうのである。ソフトの問題としてコミュニティに関心はあるし、マンションの理事も辞退せずに出来る範囲のことはやっているし、荒木町の石畳を作ろうと言われれば出来る限り協力するし、場所と人が関係を持つことを否定はしない(いやむしろ好き)なのだが、やはり建築がそれに対して何かをできると思うことが分不相応に思えてしまい、この言葉が登場すると喉にものがつかえたような気分になるのである。

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