現代のヴァザーリにならないように
午前中のゼミ。先週は工事で窓が開いていて寒いし、今日は引っ越し業者が走り回っていてうるさい。教育施設なのだから大学の施設部はもっと気を使って欲しいものだ。午後製図。エスキスは楽しい時間でもあるのだがエネルギーを消耗する。その昔、香山先生が明治大学の退官パーティで「製図は闘い。戦う気力が無くなったので辞めます」とおっしゃっていたのを思い出す。
夕食後ハンス・ベルディング元木幸一訳『美術史の終焉?』勁草書房(1987)1991を読む。ここで美術史と言っているのはヴァザーリ流の美術史のことである。それは「良きものからより良きものを、より良きものからもっと良きものを区別する」美術史である。つまり美術がある進歩を遂げていくと言う史観であり、そうした考え方の終焉を言っている。ではそうではない美術史とは何かということについては明確な回答は避け様々な可能性を語っている。今時進歩的美術史観なんて!と馬鹿にしていると足元をすくわれかねない。我々は建築を語る時にでも、これよりこれはいいと言う時にそれはある尺度を設定してその上での進み具合を言っている。そして往々にしてそんな尺度を我々はそんなにたくさん持っているわけでも無かったりするではないか!!!いつの間にか現代のヴァザーリになっている自分に気づかないだろうか?ベルディングの言葉を肝に銘じておかないと。