伊東、坂本、富永鼎談
午後四谷駅のジムに行ってから南北線で大岡山に行く。東工大のテックフロントのホールで学会が主催する伊東、坂本、富永鼎談を聞きに行く。ぎりぎりに会場に着いたら満員だった。東工大の諸先生に加え、首都大の小林さん、京都の田路さん、工芸大の市川さん、東大の岸田さんなどがいらっしゃっている。
鼎談はそれぞれの30分のショートレクチャーを行った後、奥山さんの司会でディスカッションを行うというもの。伊東レクチャのタイトルは「抽象性+批評性をめぐって」。高度経済成長の明るい未来が万博とともに終焉して、抽象+批評性の建築が磯崎、篠原の主導で登場した。それについて行った若い建築家は徐々に社会に組み込まれていない自分を感じ始めた。社会はまさにこの「抽象性+批評性」を弾き飛ばしてきた。それゆえ社会に組み込まれていくためにはこの「抽象性+批評性」を後景化せねばならないtと語る。続く坂本さんは閉じた箱を開くことをやってきた。その目的は自由の確保であり、それによって建築が世界と繋がる可能性を探りたい。そして世界を取り込むためには建築空間というよりも、雑多なもモノを受け入れる場を作らなければいけないと言う。富永さんは自らが行ってきた3つの手法として「内なる空」「コルビュジエの日本化」「大地の空間」を説明。現在その大地性に惹かれ、それは建築をとりまく大きな環境との連続性であるという。
3人の話にはある世代の共有する感覚が感じられた。それは伊東さんの社会、坂本さんの世界、富永さんの大地という言葉が共有するニュアンスである。それは建築の外へ繋がる関心である。そしてそこへ行くための方法として建築の内的論理(理念)の後景化と人やモノの前景化が挙げられた。
建築はギリシアの時代からイデア(理念)とモルフェ(形)ヒューレ(質料)で出来ていると言われてきたし、それは今でもそうずれていない。イデアを唱えるプラトニズムは中世一休みし、ルネサンスのネオプラトニズムとして再来する。そうしたイデアをひっさげて登場したのが建築家であり、イデアを語ることによって建築は熟練技術から自由学芸、「学問」へ仲間入りもしたわけである。そもそもイデアを語るのが建築家でありイデアを語らないのであれば石工でよい。中世へ逆戻りするのである。信大でも建築はモノ(モルフェ、ヒューレ)でありイデアに興味はないと言う学生が多い。そのせいか去年も修士を終わって大工になった学生が二人いた。建築の中世化である。
これは最近の傾向なのだろうが、イデアを語らないというのは一つのポーズである。イデアを語らない建築家は存在しないのである。イデアを語ることが建築家の定義なのだから。秋のワークショップで日本に来るアルゼンチンの建築家からもらった課題がこう始まる「物の定義に関するフィールドは二つの重要な側面と関係しています。一つの側面は「本質」という概念と関係しています。もう一つは、その本質の具現化ということです。イデアとしての本質は、全ての建築作品の創造のために重要な基盤であり、欠かすことのできないものです」。建築のイデアとは西洋建築の伝統の中では不滅だと思われる。そう言うものが簡単に無くなったり出てきたりするのが日本である。とても面白い現象である。イデアとともに建築家が消滅することは考えにくい、イデアその後というのがあるはずである。