女性の居場所の移動
このところ東京も暖かったが、甲府は30度を超えていたと言う。夏は鹿児島、冬は秋田と言われる所以である。甲府遠征の電車の中で西洋住宅のプランの変遷を日本の住宅と見比べた。どういう視点で比較しているかというと住宅内での女性の居場所の変化の比較である。日本の住宅であれば西川祐子が分析しているように、(いや平井先生を始め多くの方が分析しているように)父権制のオヤジ座敷中心の間取りが、徐々に書斎や応接にオヤジの居場所が追い込まれ、家の中心に家族が皆集まる場所としての居間が登場し、応接が北側に追いやられそのうちなくなって家事室が居間の脇の日あたりのいいところにできてと言う風に女性の居場所が家の良い場所を占めてくるわけである。西洋住宅でも所詮父権制の世界から女性の地位向上という同様な社会変容があるのだから平面も同様な変化をしているだろうと思って平面を追っかけてみたわけだ。そうすると中世の領主の家から近世の住宅になるとやはり主人のための応接空間が南の良好な場所に登場し、19世紀になるとタウンハウスのようなプランではそれが一~二階に現れ、主婦の台所は半地下に作られる。寝室は最上階。寝る時以外は半地下にいる訳だ。それがモダニズム住宅になると陽のあたる場所に台所が登場し、居間なるものが現れる。ライトのロビー邸などでは居間が一番いいところにあり、応接は北側に押し出されることになる。やはり西洋でも女性の場所は徐々にいいところに移動しているようだ。