地方コミュニティ
スタッフからメールで質問がきたので夕方事務所に。僕のチームは全員いた。これで彼らはGW中完璧に無休。しかし、明日見積もり事務所に図面を渡すというのに、今日やっと届いた構造図の基礎が見事に布基礎になっている。数週間前に届いた構造図が二重スラブで基礎底が地盤の関係で2メートルも深かった。こりゃちょっと勿体無いと思って、できる限り布基礎にして欲しいとお願いしていたのだが、それがよりによってこんなぎりぎりに回答が来るとは。断面から矩計から大量に直しが発生する。間に合うだろうか?
心配しながらアサマに乗る。読みかけの広井良典の『コミュニティを問いなおす』を読み続ける。彼のコミュニティの定義は二つあって、一つはコミュニティには外部があることもう一つはその外部に対してコミュニティはアプリオリに開いているということ。そして、コミュニティの中心について語る。それは歴史的に3段階あり、伝統社会では神社、寺、次の市場化産業化社会では学校、商店街、文化施設、そしてポスト産業化社会では福祉施設、大学、再び神社などのスピリッチュアル施設だそうだ。そしてこういう施設はコミュニティが外部と繋がる場所ではないかと推論する。外部と繋がるコアがコミュニティには必要という考えは賛成である。地方主義の最大の問題はその内に閉塞することである。閉塞した地方に未来はないと思う。長野で考えるとスピリット施設善光寺、大学施設として信州大学がある。これを利用しない手はないのだろう。もちろんこちら側にコミュニティコアとしての自覚が必要なのは言うまでもないのだが。