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石探し

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朝5時に目が覚め散歩。昨晩はご馳走だったのでお腹が減らず朝食はとらず部屋でお茶を沸かして飲んだ。ホームページに提出された院生のコメントを読んで感想を書こうと思ったが出発間際になっていることに気付き、簡単にコメントしてチェックアウト。昨日張り替えが決まった外装の石を探しに今日は朝から二つの石材市場に行った。一つは地元大倉の市場。ここでは㎡380元くらいの気に入った石があった。1元15円くらいだから6000円弱である。その石を少し切ってもらい、上海の市場に向かう。ここは石だけで500軒くらいの店がありそうだ。とにかくとんでもなく広い。ここで280元くらいの石をみつけた。5000円弱である。外装用の石が5000円と聞けばとんでもなく安いだろうがこちらでは普通。高くても10000円はしないし、今回の建物で使って問題となった石は3000円しない。なんとこの石は染色された石であることがつい最近分かった。石屋に問うとこの石は外部には不向きだと言う。その石をどうしてゼネコンは外部に使ったのだろうか?どうして使ってはいけないことを事前に知りえなかったのだろうか?どうしてそういう石を我々に推薦してきたのだろうか?謎だらけである。
市場からプードンまで送ってもらう。帰りの機中、ホンマタカシ『たのしい写真―よい子のための写真教室』平凡社2009を読む。写真史の説明で目から鱗。ホンマは写真史の第一期をアンリ・カルティエ・ブレッソンなどの「決定的瞬間」。第二期をエグルストンやベッヒャー(白黒だが)による「ニューカラー」と区分。その特徴は前者が小型カメラで主観的な瞬間を捉えるのに対して、後者は大型カメラで客観的にとると言う。そして次なる説明がさすが写真家である。前者がそうであるのは手持ちカメラで手ぶれするためシャーッタースピードを上げてあまり絞らず撮る。すると必然的に撮りたい対象のみにピントがあった写真となり写真かの主観がよく現われる。一方後者は大型カメラのため三脚に乗せる。よってシャーター速度は幾らでも遅くできるし絞りも小さくでき必然的に全体にピントがあった均質な客観的(どこかを強調することのない)画像になると言う。つまり写真の内容と機械が整合していたというわけである。僕等の研究室では建築写真の分析をやってきたが、これから手持ちカメラ(デジタル)の写真が増えていき時代が一回転して建築決定的瞬間写真がきっと来るのではなかろうか、その時動かない建築において何が決定的なのだろうか?そこには建築の中での時間を示す指標が必要である。それはきっと人であり、空であり、動植物だろうと思うのだが。

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