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用・強・美

昨晩dynabookの代わりに使っていたvaioが不調になった。東芝に続き、ソニーも、である。まあよく壊れてくれる。最近、コンピューターとは操作機械であって、データーベースと考えてはいけない。と自分に言い聞かせデーターは違うところに置くようにしてあるが、それも限界はある。リカバリーに30分。午後の勉強会のテキスト読みながらアプリの入れ直しやらメールの設定やら。コンピュータークラッシュという天災にたびたびみまわれると建築防災という学問も理解できる。次にコンピューターを買わねばならないときは用・強・美でいえば強にしか興味はない。午後の勉強会の担当は序章。話はヴィトルヴィウスの用・強・美で始まる。批評家はこれらの3分野を好き勝手に評論し、統合する論理を持っていない。それならそれぞれを徹底して論じればよいのだろう。しかし、この中でもっとも大事なのは美なのでありその意義と重要性をこの本で論じようと序で著者は語る。何の疑念も持たずにその序に賛同しながら今朝方感じた強への思い入れを思い出し苦笑する。
勉強会に参加しているM君から「ミュージアムコミュニケーション概念の有効性――ミュージアムとメディアの時代――」という最近の論文をいただいた。ミュージアムコミュニケーションとは展示品を人々はどのような文化的背景の中でどのように受容しているかについて特にその形式性を指し示す概念であり、加えて、ミュージアムで行われる受容者間のコミュニケーションも指すらしい。その論考にも記されていたが、下手をすると博物館も図書館もショッピングセンターも、もっと言えばディズニーランドでさえもこれからは家庭でその機能を享受できるであろう。そうなるとそうした施設の存在価値はまさにコミュニケーションにしかない。と僕は前々から思っている。その意味でもまさにそうした(受容者間における)コミュニケーションの意味合いについては興味深い。というのも建築を作る側からすれば、そこにこそ建築の存立基盤があると思われるからである。

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